辻惟雄『奇想の系譜 又兵衛―国芳』(ちくま学芸文庫)
先日の東博のボストン美術館展では、伊藤若冲の作品は数点しかなかったが、それまで名前も知らなかった(ポスターの漫画的な龍の画は誰のものだろうと思っていたほど)曾我蕭白の作品が第2室の最後の方に大作がまとめて10点ほど展示されており、先の記事でも書いたが、初めて見たときには『久米仙人図屏風』などの奇怪な面相が違和感を強く感じさせる画風で抵抗感があり、なぜこのような画家の作品が大量に飾られているのか不審に思ったほどだったが、『商山四皓図屏風』の骨太な線とユーモラスさは好感をもった。緻密な山水画などや、ポスターにもなった巨大な龍の襖絵など、とにかくスケールも緻密さも併せ持った巨大な画家であるという印象を持った。
若冲の方は、近年展覧会も多く、テレビや一般向けの雑誌などでも取り上げられるので、それこそ我が家も含めて女子供でも知るようになった著名な画家になっているが、蕭白については今回の展覧会が初めてでみな一様に衝撃を受けたような面持だった。
そこで、東博地下のミュージアムショップで売られていた新潮社のとんぼの本シリーズで、伊藤若冲と曾我蕭白(狩野博幸著)を購入してきた。
その中で、辻惟雄(つじ・のぶお)『奇想の系譜』(1970年)でこの二人が取り上げられて近年の再評価につながったと書かれていたので、調べたところ、ちくま学芸文庫版が入手可能ということで、書店で購入してきて、一気に読み終えた。上記の二人以外は、先日テレビで紹介番組を見て猫のような虎の襖絵が気に入った長沢蘆雪も取り上げられていて、なるほどと思った。他には、岩佐又兵衛(信長に叛旗を翻した荒木村重の妾腹の子で、江戸初期には松平忠直にも仕えたという人物)、狩野山雪、歌川国芳。
脱線をも恐れない執拗とも言えるエネルギーは、通俗的な解釈ではあるが、縄文時代の土器、土偶を連想させるものがあるように思った。若冲も蕭白もいずれも大変なヴィルトゥオーゾであり、その強烈さは胸焼けがするほどで、特に蕭白にそれが著しいように思う。もしそれが可能だとしてもとても自宅に飾るようなことはできないだろう。
今回の東博でも平成館一階の考古学展示を見てきたのだが、特に土器では、縄文時代に比べると、弥生時代、土師器須恵器はより薄く、固く、実用的にはなっていて、プロポーションの整った落ち着いた美しさもあるのだろうが、ぐっと興味が薄れてしまい、近世の古伊万里など、中島誠之助氏など「いい仕事ですね」を連発しそうな名品でもまったく興味がわかなくなってしまうといういつもながらの鑑賞だったのだが、特に蕭白に感じる過剰さ、異形ぶりへの違和感と興味はどうも縄文への興味関心と似たところに肝があるように感じたのだった。
昨年の出光美術館の展覧会は、風流であり古雅であり過ぎてよさがわからなかったが、この春に見ることができた、雪舟、応挙(「鯉魚図」三幅、登竜門の滝登り)を初めとして、東博本館とボストン美術館展で、すっかり日本の古い絵画作品にも興味がわいてきた。本物の持つ迫力に中てられたのだろうか?
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