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2012年7月の29件の記事

2012年7月31日 (火)

シャーロック BBCドラマ シーズン2 その2  The Hounds Of Baskerville

7月29日(日)に放送されたが、録画しておいたものを7月30日の夜鑑賞した。

今回は、「バスカービル家の猟犬」を現代を舞台に翻案したものだった。

これまでのこのドラマシリーズがオリジナルの短編を巧みに組み合わせたものだったこともあり、今回の長編作品への挑戦が注目されたが、換骨奪胎は成功だったとは思えなかった。

普段なら面白い導入部のハチャメチャ振りも、この長編のイントロとしては無用だっただろうし、トリックや設定、犯人像もあまりスマートではなく、まず「バスカービルの猟犬」ありきのご都合主義的なものに感じられてしまった。原作からインスパイアされた独立性が感じられるこれまでのドラマではそのようなご都合主義があったとしても無視できるようなものだったが、今回は原作に引っ張られ過ぎだったのではなかろうか?

次回は、ライヘンバッハの名が付く回となる。モリアーティのイメージがこのドラマシリーズではそれほど明瞭に提示されていないが、最後にその姿がはっきりと表れるのだろうか?元々原作でも、悪の組織や黒幕という設定は、市井のやむにやまれぬ犯罪ものとは違って、少々陳腐なものだと感じていたのだが、このシリーズがそれをどう現代化して料理したのかが、明らかになるように思う。

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2012年7月30日 (月)

奈良美智展 横浜美術館

奈良美智と書いて、男性か女性かを即答できる人は周囲にはあまりいなかった。なら・よしとも と読み、男性の美術家(アーティスト)である。イラスト風の少女像をどこかで見たことがある人も多いと思う。見れば、ああ、あれかと思うような結構印象的なイラストだ。そんな「どこかで見たような東洋系の少女の顔」をモチーフにしている。

次男に夏休み中に美術館を訪問してその感想を書くという宿題が出たので、長男と三人で猛暑の中を出かけてきた。夏休み中に訪問するという指定がなければ、4、5月に連続で出かけた美術展があったし、マウリッツハイス展にもこれから行く予定があるのだが、まずは7月中に学校の宿題を済ませたいということで、一番行きやすい最寄の美術館を訪れた。

同じような宿題が市内の市立中学校全員に出されたのか、中学生頃の年代の少年少女の観覧者が多かったため、少々ざわざわした美術館の雰囲気だった。

正面から入って右側の特別展示室に個展として開催されていて、床は打ちっぱなしのコンクリート剥き出しでペンキ跡も目立つもの(普段はカーペットが敷かれている)になっており、展示スペースは、暗かったり(彫刻やオブジェ)、低い入口からくぐって入ったり、カーテンを開けて入ったりのキッチュな「工夫」がなされていた。

現在も活躍している最先端の美術家(アーティスト)の作品なのだろうが、このようなポップアート系というのか、「かわいい」という歓声が上がっていたりしていたが、鑑賞というのはなかなか難しい。

常設展というか、コレクションをテーマに従って展示したコーナーの方が、面白かった。この中には、奈良の作品も展示されていたが、正当的な肖像画や、シュル・レアリスムの中においてみるとその特色が浮かび上がってくるのかも知れない。

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2012年7月28日 (土)

『薄桜記』(NHK BS時代劇)

前作の手塚治虫原作の『陽だまりの樹』は、期待に反して原作のイメージと合わず、録画はしたが、途中で見るのをやめてしまった。

今作の『薄桜記』は、丹下左膳もの?忠臣蔵の裏面もの?らしいが、どんなものだろうと見始めたら、意外と見入ってしまった。五味康佑の原作ということが2作目を見て分かったが、いかにもベタな設定ながら当時の旗本の日常のようなところがよく描かれていたりして舞台設定上なかなか面白く、そこに相当ベタなストーリーで昼メロ的な展開もあり、あれこれ考えすぎることなく、どっぷりとストーリーに嵌れたので、かえって面白かった。ベタな展開は、韓国ドラマの影響だろうか、それとも昭和30年代、40年代の時代小説の特徴だったのか。

以前桜田門を通って法務省庁舎の方に歩いて行ったときに見かけた米沢上杉家藩邸が舞台になっていたり、なかなかそういう面でも興味をひかれた。

この後の筋書的には、堀部安兵衛との関係で、赤穂浪士との関係が生ずるのだろうし、元妻との関係では、上杉家を通じての吉良家との関係が再燃するのだろうから、主人公はその歴史的な事件に否応なく巻き込まれていくというところだろうか。なかなか楽しみになってきた。

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2012年7月27日 (金)

大地の歌 ショルティ/CSO  ミントン(Ms)、コロ(T)

以前に、中古店で購入したCD。最近、マーラーをよく聞いているので、ほとんど聴かなかったこの録音を聴きなおしてみた。

ルネ・コロがこの時期、連続でショルティ、バーンスタイン、カラヤンの「大地の歌」のはしごをしたことでも知られる。

第1楽章冒頭からのショルティ的な力強すぎる響きが印象的で、そのままガチガチの演奏になるのではと思っていたら、意外にも後続楽章がゴリ押し的ではなく、ソフトな感触ながら冴えた美しさで驚いた。

ショルティのマーラーは、故・吉田秀和氏が評価をしていたものだったが、聴くのは初めて。いつもながら陰影や曖昧さはない演奏ぶりだが、第1楽章以外のソフトさはショルティらしくないものだった。

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2012年7月26日 (木)

ロンドンオリンピックが開幕する

まずは、日本時間の7月26日午前1時、現地時間(夏時間のため日本との時差は-8時間)17時に始まるサッカー女子のカナダとの予選リーグ第一戦。サッカーは試合日程の関係で、開会式前に予選が始まるのが常で、今回もその例にならっている。

4年前の北京。8年前のアテネ。12年前のシドニー。16年前のアトランタ。20年前は思い出せなかったが調べたらバルセロナだった。すると24年前はソウル。そして1984年は東側が不参加のロサンゼルス。1980年は西側が不参加のモスクワオリンピックとなるわけだ。1976年がモントリオール。1972年がミュンヘン(このあたりは記憶が鮮明)。1968年がメキシコ。そしてオリンピックの記憶は、1964年の東京オリンピックまでさかのぼる。東京オリンピック音頭で盆踊りを踊った思い出がかすかにあるのだ。

ロンドンのオリンピックは、これで史上初となる3度目(中止となった1944年も回次に加えるため実際は4回目)とのことだ。第1回目が1908年、第2回目が1948年。

前回はもう64年前というので、目新しさは無いとはいえ、ほとんどの人にとっては初のロンドンオリンピックにはなるのだろう。

さて、この記事をアップする7/26の6時には、女子サッカーの結果はどうなっていることだろう。

追記:朝6時16分 なでしこジャパンは、2-1でカナダに勝った!

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2012年7月25日 (水)

BBCドラマ シャーロック シーズン2 その1 A Scandal In Belgravia

7月22日(日)にようやくシーズン2の第1回がNHK BSで放送された。

タイトルから「ボヘミアのスキャンダル(醜聞)」を下敷きにしたものだろうとは予想がついたが、最初から最後までこのドラマ特有の目まぐるしい展開に引っ張られっぱなしだった。いったい事件はいくつ発生したのだろうか?

アイリーン・アドラーは、映画版の「ホームズ」に影響を受けたのか、原作とは違い、相当の悪女に描かれ、ホームズもワトソンも魅了され、翻弄され尽くされていた。そこに、兄マクロフトとモリアーティが複雑に絡み、現代のテロリストとの戦いや公安警察的な要素も絡んでいた。

第1シーズンは、家族はあまり興味を示さなかったが、火曜日の夜、録画しておいたのを見始めたら、一緒に嘆声をあげながら見ていた。

刺激が強いので、家族向きとはいかないが、このテンポ感と密度の濃さは、なかなか見られないものだ。第2作はバスカービルものらしい。期待したい。

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2012年7月24日 (火)

有川浩『図書館戦争』(図書館戦争シリーズ①、角川文庫)

2011年7月に読んだ本。

先日も取り上げた人気作家 有川浩の初期の代表作と言われている『図書館戦争』第一巻を文庫で購入して読んでみた。

亡くなった俳優で読書家の児玉清との対談で、児玉氏が有川浩を相当評価していたのを知り驚いた。

以前アニメーション化された時には見逃したのだが、アニメーション映画化される(た)らしい。

連作ではあるが、続きを読んでみたいとは思わなかった。図書館が武装して戦闘を行うというパラレルワールド的な設定が自分には突飛過ぎた。

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2012年7月23日 (月)

富士山もりの蕎麦

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横浜の味奈登庵名物富士山もりの野菜つけ天

「みなとあん」という蕎麦屋。

この写真では、テーブルに置いてもらう直前の頂上が崩壊して、浅間山もりになってしまったが、蕎麦の量はおそらく通常盛りの約3倍から4倍だと思われる。

蕎麦好きとしては、腹一杯蕎麦を食べてみたいという欲求があり、家族ともども一昨日、夕食を食べに行ってみた。

富士山もりを頼んだ場合には、他の人と分け合って食べてはいけないことになっている。それをやられた日には、お店は大赤字になってしまうだろう。

相当空腹か体調のよいときではないと、食べきるのは無理だ。今回は、野菜天ぷらを家族に食べてもらってなんとか食べ終えることができて、満足だった。

横浜市内にはチェーン展開している店が10店舗以上あるようだが、今回訪れた店はファミリーが落ち着いて食べられる店舗で、冨士山もり以外の大盛りサービスはやってないようだった。

超大盛りとはいえ、蕎麦の作りは雑ということなく、美味しく食べられた。家族は小盛りの蕎麦がサイドメニューについた丼ものを食べたのだが、こちらも結構おいしいようだった。

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2012年7月22日 (日)

小川洋子『博士の愛した数式』、『猫を抱いて象と泳ぐ』

これも2010年7月に読んだ本。当時は、とにかくよく本を読んだが、読む方が忙しくブログあまり記事にしなかったのだった。

『博士の…』は、本屋大賞の第1号か何かで、『妊娠カレンダー』の芥川賞作家の小川洋子の一風変わった作品として大いに読まれ、文庫化され、映画化された作品だったが、ブームが完全に過ぎてから古書店で購入して読んでみた。短期記憶というものの不可思議さをテーマにしたものと思える。このテーマは、その後若年性アルツハイマー症などの病気をテーマとした映画、小説などでも描かれた。数学者という専門家を主人公にした小説らしい小説であり、読後感も悪くなかった。

『猫を…』は、不思議な長編ファンタジーとして読んだ。こちらは、天才チェスプレーヤーが主人公だったが、練達の文章であり、奇妙な設定ながら読ませる力があった。

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2012年7月21日 (土)

恩田陸 「夜のピクニック」「ユージニア」「六番目の小夜子」「図書室の海」「ブラザー・サン シスター・ムーン」

これも、2010年7月頃に読み終えて、記事にしようとしたものだが、記事一覧の下の方で眠ってしまっていた。

この作者は、有川浩と同じく、男性作家だと思っていた作家。茨城の出身で、宮城県にもゆかりがあるらしい。

「六番目の小夜子」は、学園ドラマとしてNHKで以前ドラマ化されたのを覚えていたり、「夜のピクニック」が映画化され、ポスターを目にしたことがあったが、小説を読んだのはようやく2010年になってからだった。

全体的に着想は面白いのだが、構成力やさまざまな伏線(話)のまとめ方、読者を納得させる終結に不満を感じることが多かった。

面白かったのは、「ユージニア」。これも先の米澤穂信と同じく金沢を舞台にした小説で、怪奇趣味やホラーめいたミステリーで、随分引き込まれたが、エンディングに難があるように感じた。わざと余韻を残したのかも知れないが、どうも後味がすっきりしなかった。はぐらかされた感じが残る。印象的な余韻ではない。

青春ものの連作らしい「図書室の海」「六番目の小夜子」のスッキリ度も少し不満だった。

「夜のピクニック」はロードムービー的な構成で、一番スッキリと味わえた作品だが、ドラマチックな要素を入れるための登場人物の造形が少し残念な部分があった。

「ブラザー・・・」は、内容が薄く、下書き的な感じだった。

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2012年7月20日 (金)

米澤穂信 古典部シリーズ(『氷菓』など、角川文庫)

このシリーズは、7月15日の朝日新聞の読書欄の売れ筋で紹介されたが、この春から始まった深夜アニメの影響でこのシリーズを読み始めた。妻はすでに第1巻を読んだことがあったらしく、そのイメージとアニメーションのイメージが合わないと言っていたが。

アニメーションとのコラボは最近多く、地味だったこのシリーズだが、相当の売れ行きを見せているらしい。

この作家の金沢や東尋坊を舞台にしたサスペンス小説『ボトルネック』の後味があまり良くなかった印象を持っていたが、この青春ミステリーシリーズは結構面白かった。

もどかしい感じや、本歌取りの対象の先行ミステリーにこだわり過ぎているのか構成的に無理な感じも受けることがあるけれど、殺人事件やそれに類するような重大な刑事事件がまったくないのは、高校生活を舞台にしたものとして好ましい。

ただ、自分が高校生だった頃は、こんなにものを考えていただろうか、行動しただろうか、と記憶をたどると、やはりその意味では青春物は、青春を過去のものとして客観視できるようになってから書けるものかとも思ってくる。

ミステリものは、読み終えるとその記憶が相当薄れてからでないと読み返しはできないものだが、このミステリ風青春小説は、意外にもそんなことはなく、直近での読み直しにも耐えるようだ。ここは主観的なものかも知れないが、なかなかそのような本はあるものではないので、その点よく書けているのではなかろうか?

ただ、カバーがアニメーション放映に合わせて、アニメがらになっているところが、大人の読者にとっては少々敷居を高くしているところかも知れない。

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2012年7月19日 (木)

ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』『ガニメデの優しい巨人』 (池央耿訳)

2011年の1月、2月に読んだSF小説だが、最近たまたま買った漫画雑誌『ビッグコミック』にその漫画化版が掲載されていて驚いた(漫画化:星野之宣)。

記憶も多少薄れてしまったが、地球の衛星月の特異な(?)特徴をモチーフにした壮大なSFだった。

シリーズになっており、第2巻以降も続くらしい。

第1巻の『星を継ぐもの』の冒頭は、とても読みにくい。2010年の年末に帰省したおり、妻が持参して読み終えたのを、帰路の列車内で読み始めたのだが、何が書かれているのか五里霧中の様相を呈していて、これがこのまま続くのかと妻に聞いたほど。壮大な伏線であり、後になれば意味が分かるというので、読み続けたところ、次第に霧が晴れてきた。その後の展開は、月の起源、人類の進化の鍵も含めて壮大過ぎるほど大胆で面白い。

音楽で言えば、ちょうどシベリウスの第4交響曲のような感触といえようか。この晦渋ともいえる第1楽章を突破すれば、その後はシベリウス的に聴けることが最近ようやく分かった。

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2012年7月18日 (水)

谷川流 『涼宮ハルヒの憂鬱』などのシリーズ

青春ものにはまっていた2010年の夏に、ブックオフで数冊シリーズを購入して読んでみた。

いわゆるライトノベルジャンルの中では大ベストセラーで、最近最新刊が出たらしく、書店の平積みの棚には、文庫本全巻と並んで、ユリイカの特集号まで積まれてあった。それほど、この小説とアニメーションのメディアミックスは成功しているらしい。

音楽のジャンルも細分化が進んでいるが、小説もライトノベルというものが分化していて、それなりに読者がついているようだ。先日、記事にした「ビブリア古書堂」シリーズもライトノベルに属するらしい。

このハルヒシリーズは、中高生や大学生くらいに人気なのだろうが、設定がSF的に奇抜であり、人物造形も奇天烈ながらもユニークで、面白い。さすがに萌え系のアニメ絵が無ければ、一般成人も読めるような気がする。

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2012年7月17日 (火)

リーダーの決断 (滋賀県 大津市長)と『沈黙の町で』の終了

梅雨が明けた。

http://book.asahi.com/special/okudahideo.html

奥田英朗という小説家の『沈黙の町で』が2011年5月7日から朝日新聞の朝刊で連載され、2012年7月12日に終了した。時間も当事者視点もジグザグを繰り返しながら、ある町で起こった中学生に関わる事件(ある男子生徒が転落事故で死亡し、それがいじめによる自殺と推定されて容疑者と目された中学生たちが逮捕された)を巡る人々を描いていた。一つの事実を巡った「藪の中」的な内容であり、勧善懲悪的に溜飲の下がるような解決に至らない場面で、最後はあっさりと終了された。

さて、いじめ自殺事件でニュース報道の焦点となっている滋賀県の県庁所在地大津市の市長(越という若い女性の市長)が、当の中学校及び大津市の教育委員会のこの問題への対応を批判して、自殺した生徒の両親との和解と第三者による調査を決断した。この市長は、いじめ自殺事件が発生した当時は、まだ市長職についておらず、当選後つい最近まではこの決断にいたってはおらず、大津市の教育委員会側は、民事訴訟で「いじめのあった事実」の挙証責任は両親側にあるという冷酷な法理を突き付けていたことも報道されていた。全国的な報道の圧力もあったのだろうが、市長がそのように表明したことで、それまで両親からの事件としての捜査要請を蹴ってきた滋賀県警察も中学校、教育委員会の捜査に入ったという(これによって市長が指示した第三者による調査に困難をきたすようだが)。

リーダーには祭り上げられた調整型のリーダーと、上意下達型のリーダーがいるが、日本のリーダーはほとんどが前者であり、関係者の利害を調整しながら、ことが大きくならないように図る傾向がある。今回も当初は、中学校、教育委員会とも責任があることは明白でありながら、うやむやにして誰も責任を取らなくてもよいように動いていたのだろう。民事訴訟に見られた教育委員会の強気の姿勢には、警察が捜査しなかったことも背景にあったのかも知れない(教育委員会は家庭問題もほのめかしているが、数十万円もの金銭が使途不明で被害生徒が持ち出したのは、普通に考えれば恐喝ではないのだろうか?)。

これが、市長というリーダーの姿勢の転換によって一挙に覆った観がある。これまで、都道府県知事の国の決定に逆らえる意外なほどの権限がクロースアップされてきたが、市長の決断によっては、事態が大きく変わるということが分かった。今後、この女性市長には内部的にはさまざまな困難が待ち受けるのだろうが、自殺にまで追い込まれた生徒の無念を晴らすという正義が行われることは大きな意味がある。

特に警察署までもが加担している公務員層の裏金のような業務上横領事件の例のように刑事的にも民事的(自主的な返金、利息払いのことは聞いたことがあるが、損害賠償請求が起こされたことはあったのだろうか?)にもあまりにも正義が行われないことが、社会に大きな影響を与えてきた。明らかに悪いことがうやむやにされている。おそらく今回も、関係者の保身的な動機が事態解明の障害になったのだろう。

さて、この報道に影響されたかのように、陰湿ないじめの実態が報道され始めてきた。埼玉県では、いじめ自殺での民事訴訟に、いじめ被害者側の原告敗訴の判決が出された。今回の事件が契機になり、社会正義の実現の方向に梶が切られることを望みたい。

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2012年7月16日 (月)

シューリヒトとヴィーンフィルの ブルックナー 交響曲第8番

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(梅雨明け前日の夕焼け)

先のHybrid SACDの廉価盤でシューリヒト指揮のヴィーンフィルによる交響曲第8番と第9番を購入した。ブルックナーのステレオ録音としては相当初期のもので、長く聞き継がれていて、名盤ガイドなどではよく目にしたのだが、これまで聴く機会が無かった。

シューリヒトと言えば、これまでこのブログの記事で取り上げたブルックナーの5番と7番の録音しか音盤の手持ちがない。クリュイタンス/BPOと同時期に、パリ音楽院管を指揮して入れたベートーヴェンの交響曲全集も有名だが、こちらも聞いたことがないほど、自分にとって縁が薄い大指揮者だ。

2010年3月18日 (木) ブルックナー 交響曲第5番

2005年9月26日 (月) シューリヒト ブルックナー第7番

これらの記事音盤にしても特にヴィーンフィルとの第5番は、結構著名な録音らしい。7番はシュツットガルトとのライヴ録音。

シューリヒトはブルックナーの録音しか知らないのでその印象しか言えないのだが、その音楽には、ブルックナーのぶっきら棒、とっつきにくさと同じような感触があるように感じる。

シューリヒトの録音と聞き比べた第5番のティントナーにしても、第7番のブロムシュテットやジュリーニにしても、同じ作品の演奏ながらもっと人懐っこさを感じさせるのだが、シューリヒトの場合には直情径行的な表情で、取りつきにくさ、近寄り難さを感じる。これをプラスに解するならば、品格の高さ、孤高の気高さのような印象を与えてくれるともいえる。それに頑固一徹居士とは違い、第5番の第2楽章の質朴でありながら清澄な旋律の歌わせ方はただの無愛想なとりつくしまの無いようなものとも違う。(久々に聞き直していたら、第2楽章に第8番の旋律が引用されている箇所があった。第2楽章の10:00あたりの部分。)

クレンペラーも同系統のスタイルのようにも思えるかも知れないけれど、シューリヒトに比べるとクレンペラーの方がより洒落っ気があり精緻ではなかろうか。

第8番は、ブルックナーの中でも取り分け荘厳な交響曲だと思う。この曲もそれほど聞いたことがあるわけでなく、ヨッフムのシュターツカペレ・ドレスデン盤と、コンセルトヘボウとハイティンクのライヴが音源としてもっているだけ。ただ、この曲はスイトナー/NHK交響楽団の生演奏を聴く機会があって、この体験によってそれまで4番くらいしか聞いたことが無かったブルックナーに目覚めた思い出深い曲でもある。

ヨッフムの録音も名盤として知られるが、自分の好み的にはあまり得心のいくものではなかった。

このシューリヒトの8番は、初演を務めたヴィーンフィルとの録音であり、伝統的な要素を持った演奏なのだろう。

ブルックナーの交響曲は聴き込んだレコード,CDとしてはかろうじてLP時代からのベーム/VPOのものしかなく、他のほとんどのCDはながら聞きになってしまっているものが多いのだが、このシューリヒトの指揮の第8番はじっくりと付き合える演奏だと感じた。

 

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2012年7月15日 (日)

阿部和重『シンセミア』

これも2011年の7月頃読んだ小説。妻が図書館から借りてきたもの。

2005年に芥川賞を受賞した小説家だという。

山形県のある町を舞台にした群像劇的な現代小説だが、大河小説であり、フォークロアであり、猥雑な風俗小説でもあり、ファンタジーでもあるという破天荒な長編小説だった。

ガルシア・マルケスに比するような批評も目にしたことがあるが、マルケスの『千年の孤独』の読後感の方がましだったほどの、不愉快な描写が数多かった。

読ませる筆力は強いものがあるが、どうも付いていけない下世話な描写が多すぎた。

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2012年7月14日 (土)

フルトヴェングラーのブラームス(生誕125周年記念Box)

2011年の7月に珍しく店頭買いをしたボックスセット。1年越しでブラームスのレビュー。

フルトヴェングラーの録音では、ベートーヴェンは比較的馴染んでいた方だが、ブラームスは第4番以外はほとんど聞いたことがなかった。

ベートーヴェンでは、多用されるアゴーギクの違和感はほとんど感じない方だったが、ブラームスの方は違和感を覚えたのは不思議だった。ベームやセルといったインテンポを基調としたブラームス演奏に慣れているためかも知れない。なんでも慣れというのは、影響力のあるものだと思った。中では、ドッペルコンツェルトが気に入った。

CD10(新リマスター)
・ブラームス:ハンガリー舞曲第1番ト短調
・ブラームス:ハンガリー舞曲第3番ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲第10番ヘ長調
 1949年4月、ウィーン、ムジークフェラインザール(モノラル/セッション)

・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1952年1月、ウィーン、ムジークフェラインザール(モノラル/セッション)


CD11(新リマスター)
・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1952年5月、ミュンヘン、ドイツ博物館(モノラル/ライヴ)

・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90 
 1949年12月、ベルリン、ティタニア・パラスト(モノラル/ライヴ)


CD12(新リマスター)
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1948年10月、ベルリン、ゲマインデハウス(モノラル/ライヴ)


CD13
・ブラームス:ヴィオリン協奏曲ニ長調作品77
 ユーディ・メニューイン
 ルツェルン祝祭管弦楽団
 1949年8月、ルツェルン、クンストハウス(モノラル/セッション)

・ブラームス:ヴァイオリン、チェロのための協奏曲イ短調作品102
 ヴィリー・ボスコフスキー
 エマヌエル・ブラベッツ
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1952年1月27日、ウィーン、ムジークフェラインザール(モノラル/ライヴ)

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2012年7月13日 (金)

アクセス解析と学生の課題図書?

COCOLOGというブログは、アクセス解析機能が結構充実(というよりもこんなに詳細なものはシステム管理者以外には不要なのではと思うほど)している。

どのページがアクセスが多いのかは、ブログのトップページにも表示しているが、日別のアクセスも見られるので時々みることがある。やはりマスメディアで話題になった項目のアクセスが増えるようだ。

最近では、なぜいかこれまでほとんどアクセス上位には入らなかった【船曳由美『100年前の女の子』(講談社) 】の記事が増えてきた。

これまで、時折【角山栄『茶の世界史』を読んだ 】がページ別アクセス数上位になることがあった。このような比較的固い本の検索をするのは、誰だろう? もしかしたら学生が教師から課題図書としてレポート提出が求められて、たまたまGOOGLEなどの検索結果の上位にきてしまっているこの記事にアクセスするのではないかと想像したりしているのだが、果たしてどうなのだろうか?

検索結果の上位と、内容とは必ずしも比例関係になく、私の記事などは偏った感想でしかなく、とても参考になるものとは思えないのだが、まあ他山の石程度にはなるのだろうか?

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2012年7月12日 (木)

クレンペラー/フィルハーモニア管の モーツァルト 交響曲第40番、41番

6月に購入してからなかなか記事にできなかったが、クレンペラーのモーツァルト後期交響曲集で一番気に入ったのは、第41番の「ジュピター」だった。

第40番は、有名な第1楽章の第1主題を意外にレガートで歌っているのが印象に残った。モダンオーケストラながら、録音上のバランスとして木管の活躍がよく収録されているクレンペラーの一連の録音なので、これまでのクレンペラーの音楽と同様、重々しい音楽にはなってはおらず、解釈にも違和感は感じなかった。落ち着いた雰囲気の悪くない演奏だった。

第41番。これは、文句なく素晴らしかった。これまでの「刷り込み」もあり、LP時代から聴いてきたベーム/BPOの引き締まった厳格で品格の高い演奏の録音が長い間自分のリスニングの基準となってきたが、その録音のためか解釈のためかLPもCDもオーケストラの響きが少々こじんまりと痩せているように聞こえるところが小さい不満だった。

その点、クレンペラーの「ジュピター」は、壮大さと緻密さを共存させるクレンペラー様式によって、自分にとってのこの交響曲の印象は一新されたような衝撃を受けた。

第1楽章の壮麗さはもちろんのこと、ベーム/BPOの場合には両端楽章に比べて少し影が薄かった第2楽章や、少々物足りなかった第3楽章も十分に満足できる充実度を示し、ことに対位法的な書法が目覚ましいフィナーレは、まさに面目躍如で、特に右からよく聞こえる第2ヴァイオリンの活躍により、音楽の立体的な構造が目に見えるように聞こえてくた。

実際、あまりの素晴らしさに、太陽系儀でさまざまな惑星が太陽を周回するようなこの音楽が、リヒャルト・シュトラウスがこのコーダについて語ったように、永遠に続いてほしいと思うほどだった。

クレンペラーは、若い頃からこの「ジュピター」を得意にしてきたという。晩年のこの録音なその素晴らしい成果の一つだと思った。

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2012年7月11日 (水)

浦賀和宏『彼女は存在しない』と『24人のビリー・ミリガン』(ダニエル・キイス)

朝刊掲載の幻冬舎文庫の全面広告の下部に浦賀和宏『彼女は存在しない』が、重版を続けていて、書店員おすすめと出ていたので、まったく知らない作家だったが最寄の書店に行ってみたら文庫本が平積みされていたので、購入して読んでみた。

少々ネタバレになるが、いわゆる多重人格障害をファクターにした叙述トリックに近いミステリー作品だった。読んでいる途中で、もしかしたら、と思ったりもしたが、仕掛けは読み解けず、大団円でのタネ明かしに、電車に乗っていて「方向感覚」が狂ったときのような居心地の悪さを感じた。その意味で作者の仕掛けに嵌まったのだろうし、その確認のために二度目のななめ読みをしてしまった。

しかし、この作者の作品は、後知恵になってしまうが、いわゆる二大禁忌とされるインセスト・タブーとカニバリズムを積極的に取り上げているらしく、不快感が非常に強いものだった。必然性のない残酷な描写もあり、その意味ではグロテスクB級ホラーよりも不快なものだ。そこまで猟奇的な背景を描かなくても、仕掛け的には成立しえたのではなかろうかと思う。

同じ多重人格障害を扱った「24人のビリー・ミリガン」も、解離性同一性障害を主張する犯罪者を主人公にしたものだが、この精神障害についての理解を深めさせてくれるものだった。この小説もずいぶん話題になりよく読まれたものなので、『彼女は存在しない』の登場人物たちが、多重人格障害にほとんど知識が無いように描かれていたのもの少々気になった。知っている人は知っているだろうし、知らない人は知らないのだろうから、そのような設定でも構わないのだが。

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2012年7月10日 (火)

梨木香歩『家守綺譚』、映画『西の魔女が死んだ』(原作梨木香歩)

2010年8月に読み、映画を見た。

『家守綺譚』は、古風な文体の幻想的な話で、夏目漱石の『夢十夜』を思い出させるような雰囲気の小説だった。

『西の魔女が死んだ』は、題名から『オズの魔法使い』のパロディかパスティースのようなものと想像していたが、西洋人の祖母の元で、孫娘が人間性と生きる希望を取り戻すといった現実性のあるメルヘンのような内容だった。八ヶ岳付近でロケされたようだが、生まれ故郷の自然が感じられる心に残る映画だった。

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2012年7月 9日 (月)

伊坂幸太郎「グラスホッパー」「終末のフール」「マリアビートル」

2010年7月に読んだ。仙台在住の作家ということだ。東北大学のOBだという。

今、朝日新聞の夕刊に新聞小説「ガソリン生活」を連載しているが、それに比べて、「グラスホッパー」、「終末のフール」、「マリアビートル」の方が面白かった。いわゆるピカレスク風のサスペンス小説とでもいうのか、現代の犯罪風俗を描くことが多いようで、その点が馴染めるまでに時間はかかる、もしくは拒絶反応を起こすかも知れない。

ただ、意外に軽みはあり、少し救いはあるストーリーだ。


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2012年7月 7日 (土)

光速超えの否定とヒッグズ粒子?の確認

2011年11月19日 (土) 光速よりも速い素粒子の再実験で、また光速超え?

という報道があったが、その後、実験装置の光通信コネクタ?に不備が確認されてだかして、光速を超えたという結果が否定された。

ニュートリノ:「光速超えたは誤り」 名大など正式撤回 毎日新聞 2012年06月08日 10時48分(最終更新 06月08日 15時22分)

素粒子ニュートリノの速さが光を超えたとする実験結果について、この結果を公表した名古屋大などの国際共同実験「OPERA」チームが8日、京都市 で開催中の「ニュートリノ・宇宙物理国際会議」で「誤りだった」との検証結果を報告した。昨年秋の公表以来、アインシュタインの相対性理論を覆すとして話 題を呼んだが、約8カ月で撤回された。                        

 OPERAチームによると、速度の計測に使った全地球測位システム(GPS)とコンピューターをつなぐ 光ファイバーケーブルの接続が緩んでいるのが公表後に判明。この影響でニュートリノが実際より速く測定されたとみて5月に2週間の検証実験を実施した。そ の結果、ニュートリノが光速を超える結果は得られなかったという。同日記者会見した小松雅宏・名古屋大准教授は「(超光速の結果は)ケーブルの緩みが原 因」との見解を示した。

 この日、欧米など他の3チームも検証結果を報告。いずれもニュートリノと光の速度に明確な差はなかったとした。

今週、予言されていてまだ実在が確認できなかったヒッグス粒子らしき粒子が発見されたという。CERNの大型加速器による実験の成果だという。
スティーヴン・ホーキングは、ヒッグズ粒子が見つからないことに100ドル賭けていたという。それほど確認が困難だということなのだろう。今回の巨大加速装置と2000人を超える世界中の科学者の英知を集めた検証による成果らしいが、上記の「光速超え」のようなアリの穴が無いとも言い切れない。

2011年10月21日 (金) 村山斉『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)

まだ解明されていない暗黒物質、暗黒エネルギーの解明に役立つのだろうか?

ところで、このCERNは、数年前の小説(「ダ・ヴィンチ・コード」(The Da Vinci Code)のダン・ブラウン)と映画「天使と悪魔」(Angels & Demons)でも登場したり、暗黒物質は、ファンタジー小説の『黄金の羅針盤』(フィリップ・プルマン著、その英語原題はHis Dark Materials)にも登場する概念だった。

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2012年7月 6日 (金)

司馬遼太郎『菜の花の沖』

2011年2月に読んだ本。

それまで、
大黒屋幸太夫(光太夫)

江戸後期の漁師。屋号大黒屋。伊勢の人。天明二年アムチトカ島に漂着。ロシアの女帝エカテリーナ二世に謁見。帰国後、幕府にロシアの事情を報告した。記録書に「北槎聞略」「漂民御覧之記」。(一七五一~一八二八)

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

と混同していたのだが、こちらは高田屋嘉兵衛

幕末の海運業者。淡路の人。幕府から蝦夷地御用船の建造と、通商を命ぜられ、富を築く。文化九年、クナシリ沖でロシア船に抑留され、わが国に抑留中のロシアの航海家ゴロブニンと交換、釈放される。のち、両国の融和のためにつくした。(一七六九~一八二七)

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

の事績を少年時代から追った長編小説だった。

先日、ロシアのメドベージェフ首相が国後島を訪問して、強硬な態度で四島返還を否定しながら、同時に外相が交渉の余地を覗かせるという二枚腰(舌)外交でのメッセージを送ってきたのをニュースで見て、この『菜の花の沖』を思い出した。

フィクションも交じっているのだろうが、いわゆる庶民を主人公にした大長編は司馬遼太郎には珍しいように思った。

衛星国だったモンゴルも、ロシアの軛を離れて、自主的に動き出した今、当時の司馬遼太郎の懸念であった「モンゴルがどうにかならないうちは」というのは相当払拭されたはずなので、実効性のある外交交渉を行ってもらいたいものだ。

『ミレニアム』や『マスター・キートン』といったフィクションだけでなく、旧ソ連、東欧諸国の庶民の暮らしはまだ貧しく、旧西側への憧れは強いとも聞く。何か打つ手はあるはずだ。

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2012年7月 5日 (木)

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、第2番、第3番 ギレリス、マゼール/NPO

ギレリスのEMIボックスに収録されていたチャイコフスキーのピアノ協奏曲全集を聴いた。1970年代の録音で、マゼール指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(フィルハーモニア管が創立者のレッグが手を引いたため解散を余儀なくされ、自主団体として活動をしていた時期の名称)との共演。

有名な1番も含めて初めて聴く録音で、中でも2番、3番は作品の存在は知っていたが作品そのものを正対して聴くのはおそらく初めてだと思う。2番、3番にもこれまで興味はあり、ポストニコワとロジェストヴェンスキーの全集を聴いてみたいと思っていたのだが、これまで入手はできていなかった。特に3番は未完に終わった交響曲第7番の素材が用いられた(ブラームスのピアノ協奏曲と交響曲との関係と似ている)とのことで、そこにも興味があった。

まず作品として多くの異演盤で聴きなれた第1番だが、このCDでのギレリスのピアノは非常に雄弁で、少々攻撃的だと感じるほどの力強く荒々しいピアノ演奏を聴くことができる。この曲は演奏によっては、形式がはっきりせず、不必要に長過ぎ、また分裂した印象を持つこともあるが、このギレリス、マゼールの共演では、古典的な3楽章の協奏曲としての形式感が浮き彫りになった感がある。そこには有り余るほどのピアノ演奏技巧を以てしてのギレリスの挑戦的なテンポ設定が要因としてあるのではなかろうか。その一方では、抒情的な部分、ピアノの弱音が煌めくような部分ではその表現の幅広さも聞き取れる。

意外にも名曲名盤選などにはリストアップされることのない録音のようだが、アルゲリッチやリヒテルなどの「定番」的な評判を持つディスクに伍して、勝るとも劣るものではないように感じた。ただ、演奏の出来としては、マゼールとギレリスとの意思疎通が完全に図られていないように感じる齟齬も聞き取れ、そのあたりが惜しい。とは言え、一方ではそのような競い合いも興味深い。(リヒテル、カラヤン盤は両者の張り合いがよく指摘されるが、長年聴いてきても、指摘されるほど競い合っているようには聞こえないのだが。)

第2番ト長調は、第1番の人気に比べて、不当なほど無視されている作品のようだ。シロティ(ジロティ)によるカットが行われた版による演奏。(最近は、復元されたオリジナルによる演奏もあるようだ。)http://blog.goo.ne.jp/florian2896/e/9ad58eb0e6cc618e82851e89a8bbf570

別にこの曲が気に入って、その再評価に尽力しようという気持ちではないのだが、ざっと聴いてみての印象では、一般リスナーにとっても退屈な曲ではない。ピアニストにとってはどうなのだろうか?ピアニスティックな演奏効果が上がるパッセージなどもあるし、美しいメロディーもところどころで聴くことができる。主調は、ト長調なので、そのあっけらかんとした明るさが不人気の原因なのかとも勘ぐってしまうが。

http://blogs.yahoo.co.jp/jinichi3560/1505874.html

http://ameblo.jp/anator/entry-10200059197.html

第3番は、作曲途中で放棄された「変ホ長調」交響曲(のちに補筆完成され、第7交響曲「人生」という名前で呼ばれることがある)の素材を生かすために作曲された特殊な経緯と形式の協奏曲。これはユニークな形式の曲なので、また別に書いてみたい。

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2012年7月 4日 (水)

テレマン の作品目録

クラシックデータ資料館 はとてもよくまとまったページで、その作曲家別の作品目録は(ウムラウトやアクサンなどが使われていないという欠点はあるが)とても使いやすい。

ところが、多作家のテレマンの作品目録が掲載されていない。

調べたところ、フランス語の目録で TWV という BWVと同じようなカタログを作成しているのが、見つかった。 Georg Philip Telemann

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2012年7月 3日 (火)

最近のNHK報道に感じたいくつかの違和感

最近のNHKのニュース番組になぜか違和感があるため、真摯に「皆さんのNHK」に受信料を支払っているものとして、辛口の批判を。

AKB48の総選挙のニュース。

辣腕プロデューサーによるアイドルユニット(おニャン子と同じ)の活動の比較的初期からなぜかNHKが紅白歌合戦に出場させるなど肩入れしていたのは知っていたが、定時ニュースの中でわざわざ大々的に報道するほどのことだろうか?節度のようなものはないのだろうか?

レバ刺しの提供禁止のニュース、報道。

クローズアップ現代でも特集を組んだようだが、これも定時ニュースでこれでもかと報道している。日本人の伝統食という観点から、万葉集に出ているという「生肝」というもののことも、どこからか探し出してきて禁止への反対材料として補強までしている。さらに、どのように処理した生レバーを安全に食べられるかという実験や研究まで報道している。いったい誰が放射線や塩素で殺菌された食品を食べたいというのだろうか?そんなことを研究している大学教授もいることまで紹介していたが、それはそれとして、報道すべきことか?

新聞各紙も、これを食中毒問題としてとらえず、趣味嗜好の問題のように情緒的、欺瞞的に報道しているように感じる。

東京新聞の社説 : http://megalodon.jp/2012-0701-0723-32/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012063002000150.html

いったい、この筆者は真剣にこれを書いているのか。単なる冗談なのだろうか?原発事故とその対応についてまともな議論をしていた東京新聞という印象だったが、何か軸がずれてしまっているのか?おかみのやることだから批判のための批判か?

レバ刺し愛好者がニュース・報道関係者に多いのか、それともニュースデスクとかのニュースの方向性や題材を決定する権限を持つ人物たちがそのような嗜好を持っているのか? 奈良時代以降、「生肝」という食品が延々と伝統的に食されていて、それが国民食として生存に欠かせないような料理とか、ある特定の地域で長い間地域の伝統食として食べられてきたのなら話は別だが、いったい今のレバ刺しがいつから一般的に食べられるようになったのかという重要な事実関係を示さなければ、単なる情緒的な偏向報道にしかならない。江戸時代300年間を通じて、豚や猪は食べても、牛を食べることはよほどの飢饉でもなければほとんどなかったのではないか?仏教の禁忌に触れざるを得なかったとして、食べたとしても、煮炊きしてからだろう。

これは憶測だが、業界のようなところから圧力が加わっているのだろうか?この問題の発端となった昨年のユッケ食中毒事件の時も、比較的身近な生活圏にある店でも起きたので、通常ならその店も即座に営業停止になるだろうと思ってみていたら、保健所も営業停止措置は出さなかった。通常の食中毒のように原因系である細菌が特定されなかったということも考えられるのだが、もしそうでなければ相当のの利権、圧力があるのだろうと邪推してしまう。さすがに魚の刺身が食中毒を理由に禁止になったら驚きだが、そこまでのものではないだろう。(生肉食と言えば、馬刺しは熊本や長野、青森などで食べられるているが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%88%BA%E3%81%97

参考Web情報:

◆美味しんぼの原作者雁屋哲氏のブログ記事 「レバ刺しは危険だそうです」2008-8-26

http://kariyatetsu.com/blog/701.php

4年前のブログだが、内容はまとも。ただ「素人考え」と言っているのが、痛い。多くの人が食の権威だと思っているだろうに。

◆新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20120702

コメント欄が活況を呈している。

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また、NHKのニュースでは日常生活系のコネタ系の報道も気になる。

便利グッズなど特定のメーカーの商品だろうに、そんなものを朝のニュースコーナーで流す神経が分からない。いつからテレビ販売まで始めたのか?視聴者からの問い合わせで対応しているのなら、テレビ直販とあまり変わらない。これも、利権か?李下に冠を正さずではないのか?

Youtube、ニコ動などの紹介コーナーも疑問だ。

ワイドショーではあるまいに、看板アナウンサーたちが、定時ニュース内で動画を見て「奇声を挙げている」のは、どうみても違和感がある。

こんなことを思っているのは、少数なのかも知れないが、どうも気になって書かずにはいられなかった。

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2012年7月 2日 (月)

スヴェトラーノフの芸術 20枚組ボックス (マンフレッド交響曲をきっかけとして)

長男の誕生日プレゼントのために彼がほしいと言っていたチャイコフスキーのマンフレッド交響曲を探していて、スヴェトラーノフの日本でのライヴ録音が目についたので買おうと思い注文した。

http://www.hmv.co.jp/news/article/1205240027/

http://www.hmv.co.jp/product/detail/5066302

ところが、その後、同じスヴェトラーノフのニュースで

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3907812

http://www.hmv.co.jp/news/article/1206120065/

を見つけたので、前の注文がまだ発売前だったこともあり取り消して、こちらにした。

ものすごいボリュームだ。20枚組。

(発売日 : 2010年09月23日 オンライン会員特価(税込) : ¥7,490)

念願の「マンフレッド交響曲」のほかに、交響曲第1番、第2番。エルガーの第2番などが含まれていて相当満悦のようだった。

スヴェトラーノフの録音は、これまで例の爆演とされるレスピーギのローマ三部作以外ほとんどディスクで聴いたことがなかったまとめて聴くことができることになり、いろいろなものが含まれているので、少しずつ聴き始めた。

ブラームスの交響曲が第1番から第4番まで収録されていたので、興味がそそられて聞いてみた。一般的なイメージでは、スヴェトラーノフは、猛烈な表現をする指揮者として知られており、ドイツものの評判を聞いたことなどなく、さてどんな演奏だろうかという好奇心から聴いてみた。意外だが、このブラームスは悪くない。否、それどころか、テンポ設定や動かし方はザッハリヒだが、響きや強弱表現が濃厚にロマンティックであり、聴きごたえがある。弦楽器が身を乗り出すようにして濃厚に歌い上げる部分など、心ならずもジーンと来てしまい、実は精緻で禁欲的な演奏よりも、このような浪花節的で熱気をはらむ演奏が、今の自分のツボにはまるのかも知れないなどと思ってしまった。ただ、濃厚なだけではなく、よく訓練された弦楽器群がしっかりと付随的な楽想も演奏していたりして、緻密な部分でも楽しめる。いうなれば、ほどよいロマンティシズムというものだろうか。ソ連時代の演奏は、つい色眼鏡で見がち(聞きがち)だが、そのような偏見を持つのは損だということを教えてくれる好演だった。

チャイコフスキーでは、これまで馴染みのなかった第1番から第3番、マンフレッド交響曲は、聴き慣れれば結構楽しめる。マンフレッドの第3楽章は、短いフレーズの共通点だが、ビートルズの「ノルウェイの森」によく似たメロディーが印象的なものだった。第5番は、ジョン・デンバーの「緑の風のアニー」に似ているし、さすがメロディスト チャイコフスキーということだろうか!

参考:スヴェトラーノフのページ http://www.svetlanov.net/

http://homepage3.nifty.com/utagi-jetter/starthp/subpage06.html

http://ameblo.jp/shakushinryo/entry-11161770589.html

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2012年7月 1日 (日)

朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書ヴィジュアル版)とヴァン・スヴィーテン男爵

コミック『ギャラリー・フェイク』に影響されたような素人美術好きで、このブログでも時折美術関係の拙い記事を書いたりしており、フェフメールという画家についても何件かエントリーしている。

このブログでも書いたように
フェルメールの一番の人気作オランダ・マウリッツハイス美術館所蔵の『真珠の耳飾りの少女』(Girl with a Pearl Earring,  青いターバンの少女)
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傑作と言われているベルリン国立絵画館の『真珠の首飾り』(Woman with a Pearl Necklace 真珠の首飾りの婦人/少女)
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今東京上野に来日中だ。

今日の朝日新聞の天声人語子は、朝日新聞協賛らしく、人気作『耳飾りの少女』の来日を1974年のモナリザの来日と並べて書いているが、贔屓の引き倒しにならなければいいと思う。耳飾りの少女は、1984年、2000年に続きこれが3回目の来日なのだから。(他の作品の来日履歴

さて、耳飾りの少女の来日にちなみBSフジの『真珠の耳飾りの少女』の特集番組を録画しておいたのを土曜日に見たが、その時にワシントンのナショナルギャラリーの『天秤を持つ女』 Woman Holding a Balance の美しい女性像が気になり、以前タイトルの本を買っていたのを思い出して引っ張りだして読み直した。2006年9月発行の本で、11月の第4刷を購入しているので、ちょうどその頃購入したはずだが、あまり精読していなかったようだ。
Hoding_a_balance
今回読み直してみてこの本の69ページにそのときには気が付かなかった意外な記述があるのに気が付いた。ヴィーンの美術史美術館所蔵の『絵画芸術』(The Art of Painting)の来歴だ。
Art_of_painting
この作品は、ヒトラーが所有し、オーストリアの岩塩鉱山に隠匿していたことでも知られるのだが、「18世紀のはじめにはウィーンのゲラルト・ファン・スウィテン男爵のもとにあり、それが息子のゴットフリート・ファン・スウィテンに渡ったことも確認されている。そして、1813年、ヨハン・ルドルフ・ツェルニン伯爵がデ・ホーホの絵として購入した。」と書かれていた。

年代・地名・地位的に見てもこのゴットフリート・ファン・スウィテンが、音楽史的にはモーツァルトやベートーヴェンのパトロンであり、ヘンデルや当時ほとんど忘れ去られていた大バッハのコレクター・愛好者として知られるゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵 Gottfried van Swieten(1733-1803) と同一人物であろうと思い調べてみたら、英文Wikipediaに

Van Swieten owned a Vermeer, the famous "Art of Painting", which he inherited from his father. At the time it was not known that the painting was by Vermeer.

というまさにそのものずばりの記述があった。

音楽史と美術史は、並行的には動いてはいるのだが、愛好家や評論家という点ではあまりクロスすることが無いように感じている。この例とて、父親のスヴィーテン男爵が入手したものを子のゴットフリートが相続したのだろうから、音楽愛好家と美術愛好家の接点というにはあまり適したものではなかろうが、それでも少し珍しいように感じて記事にしてみた。

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