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2013年1月の10件の記事

2013年1月21日 (月)

誕生日とその前日について

2006年7月13日 (木) 一日の始まりと終わり 午前と午後の境目 という記事で、年齢に関する法律のことを書いたが、「毎年、誕生日(「起算日ニ応答スル日」)の前日をもってある年齢は満了するから(本法2項、民法143条2項本文)、誕生日の前日が終了する瞬間(誕生日の午前0時00分の直前)に1歳を加えることになる。」となっている。

誕生日に関しては、「4月1日生まれは、なぜ早生まれか?」ということも不思議に思うのだが、その後、この少々不合理な区切りが、うるう年の2月29日生まれの誕生日の人を救済するための決まりであることが、分かった。

起算日に応答する日をもって年齢が満了するとすると、2月29日生まれの人は4年に1回しか年齢が満了しないという不都合なことになるため、その前日をもって(つまり2月28日をもって)満了するとすることで、その不都合を避けられるということらしい。

今日が自分の誕生日ではあるが、実際はその前日である1月20日の終了する瞬間に1歳年を取った、ということになる。

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2013年1月20日 (日)

ライナー/シカゴ響 「ツァラトストラはこう語った」  

あのバルトークが影響を受けた作品としても知られるリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトストラはこう語った」(ツァラトストラかく語りき)。

以前、手持ちの数種類のCDの聴き比べをアップしたことがあった。

このところ、テレビ放送での音楽鑑賞では、リヒャルト・シュトラウスを聴く機会が数回あった。「家庭交響曲」(2012年のデ・ワールト指揮のN響)と「アルプス交響曲」(2012年のハーディング指揮のサイトウキネンオーケストラ)。映像で見ると、膨大な管弦楽編成がよく分かる。キャッチーなライトモチーフの使用による描写と、豪放華麗なオーケストレーションだが、伝えられる内容が空虚だとは、よく言われることだ。

ハンガリー系の、ジョージ・セルやフリッツ・ライナーは、同時代の作曲家だったリヒャルト・シュトラウスを得意にした。セルは録音に慎重だったのか、審美眼(耳)が厳しかったのか、この「ツァラトストラ」「英雄の生涯」などの正規録音は無いようだが、ライナーは比較的多く録音している。

今回のLiving Stereo60 ボックスには、このほかに「英雄の生涯」「町人貴族」「ドン・キホーテ」「ドン・ファン」「家庭交響曲」「エレクトラ」と「サロメ」からの抜粋、「ばらの騎士」のワルツ(ライナー編)と結構沢山収録されている。

初期ステレオながら、あまり濁りがなく、広がり・プレゼンスにもあまり不自然さがなく、明晰な音で収録、リマスタリングされているので、聞きやすい。

冒頭のオルガンのピッチとオーケストラのピッチがぴったり合っていないように聞こえるのが気になるくらいで、上記の聴き比べのどのCDにも増して、この演奏に感銘を受けた。1950年末のアメリカの録音は、個人的にはセルを除いて、少々色眼鏡で見がちで、つい本場ヨーロッパ志向が強くなりがちなのだが、この60枚セットを聴き進めると、当時すでにこれだけ高度な演奏、録音が達成されていたのか!との感慨を禁じ得ない。


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2013年1月16日 (水)

テレビドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖 」(1/14 夜9時 フジテレビ)

以前記事で取り上げたたことのある小説がドラマ化された。

我が家ではこのドラマの番宣が放送されたのを見て、主演女優のボーイッシュな剛力彩芽と、原作のヒロインのイメージ(文庫本の表紙のイメージが刷り込まれている人が多いと思うし、本文の極端な内気さと古本に関するときのスイッチ切り替えのような雄弁さ、推理能力のギャップ)とが食い違いすぎるのではと感じていた。

大雪が治まった1/14の夜第1回が放映されて、珍しく録画ではなく、リアルタイムで視聴した。

まずはオープニングのCGによる古本屋の本棚からハードカバーの本がバサバサと落ちる映像に、「ああ、この番組の関係者には、愛書家、読書家はいないのだろう。動きがほしかったのだろうが、CGとは言え本が傷むような映像を使うなんて。本もろくに読まないようなテレビ局員がまさに生活のためにいやいや作っているのだろうな。」というイメージを持たされてしまった。世の読書家に喧嘩を売っているのだろうか?

そもそもドラマや映画というものは、脚本家の好みや撮影やキャストのバランスなどの都合で、原作を大幅に変更するのが常なので、おそらくこれもそうだろうと予想していたが、想像以上の改変ぶりだった。

違和感のあるキャスティングは、ヒロインだけでなく、主人公の五浦にも及んでおり、長身なのはよいとしても、柔道の有段者の大男の面影はなかった。さらにひどいのは、古書店の家族構成で、ヒロインと妹ではなく、なんと弟。一見すると線の細い少年なのだが、彼が病弱でもなければ重量のある書籍でも彼に任せれば、五浦を雇う必然性はないだろうに。さらにあり得ないことに原作ではホームレスのセドリヤの志田(高橋克実)が古書店に住み着いているという設定もあるようだ。

原作のヒロインの人物造形上欠かせない重要で、ビブリオマニアの妄執を象徴するシリアスなエピソードである脚の怪我も省かれ、さらに原作にない余計な喫茶店の登場人物たちが絡んできている。これは多少些末だが、五浦の実家も祖母が経営していた食堂ではなく、古いながらそれなりに広い鎌倉の一軒家と来ている。

原作の漱石の「それから」のエピソード自体は、それなりに消化され、整理されてはいて、ドラマ単独で見た人にはある程度の評価が得られたとは思うが、愛読者にとってはこのドラマは原作とは完全に別ものの、最近見たドラマ的にいえば「パラレルワールド」に存在する「ビブリア古書堂」で起きている物語と見るのが精神衛生上よろしいだろう。

返す刀で切ってしまうが、このように設定を切り刻まれ改変されることを了承するというのは、出版社などのしがらみはあるのだろうが、原作者に対しても残念な気持ちを抱いてしまった。

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2013年1月12日 (土)

日本航空ボーイング787のボストンでの相次ぐトラブルの不思議

2013年1月になって、アメリカのボストンから不思議な連鎖現象のようなニュースが伝わってきた。ボーイング社の最新鋭機 B787型機が、相次いでトラブルに見舞われているのだ。

一件目は、床下の電池から発火したというもの。これはGSユアサ電池のリチウムイオンバッテリーらしい。

もう一件は、燃料ポンプのバルブの不具合による燃料漏れ。

いずれも日本航空が所有する個別の機体で、ボストン空港で発生したものだったが、乗客・乗員には幸いにも被害が無かった模様。

いずれも飛行中に発生していたら大惨事につながった恐れがある。

最新鋭機に何があったのか? 充電バッテリーは、まだまだ発展途上の技術であり、過熱や発火の恐れがあるのだが、比較的安定していると思われるバルブについては、整備不良などや、ボーイングでの部品受け入れチェックなども含めて広範な原因追究が望まれる。(追記:参考記事1, 参考記事2) 

追記:
この記事をアップした後で、Yahooニュースでこの記事に気が付いた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000014-reut-bus_all

ボーイング787型機、米当局が包括調査へ

ロイター 1月12日(土)4時20分配信

ボーイング787型機、米当局が包括調査へ
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1月11日、米当局は、ボーイングの新鋭旅客機「787」 (ドリームライナー)で技術的なトラブルが相次いでいることに懸念を表明し、包括的な調査に乗り出す方針を明らかにした。写真は同型機。ワシントン州で 2007年7月撮影(2013年 ロイター/Robert Sorbo)

[ワシントン/ニューヨーク 11日 ロイター] 米当局は11日、ボーイング<BA.N>の新鋭旅客機「787」(ドリームライナー)で技術的なトラブルが相次いでいることに懸念を表明し、包括的な調査に乗り出す方針を明らかにした。

同機の飛行は安全だと強調した上で、バッテリー発火など一連のトラブルの根本的原因を特定するため、徹底した調査が必要だとした。


ラフード運輸長官は記者会見で「ボーイング787型機に関する最近の出来事をめぐり懸念の声がある」と述べ、包括調査を行う考えを示した。


米連邦航空局(FAA)は調査について、電気系統に重点を置き、設計や製造・組立工程について調べると説明した。


FAAのウエルタ長官は、787型機に対する一般市民の信頼を守りたいと表明。ラフード運輸長官は、自身が787型機で飛ぶこともためらわない考えを示した。


会見に同席したボーイング民間航空機部門のレイ・コナー最高経営責任者(CEO)は、787型機の信頼性を最大限に高めることにコミットしていると強調し、「787については全幅の信頼を置いており、顧客の信頼も得ている」と述べた。


また、787型機の安全性をめぐる諸問題は生産の外注や急速な生産拡大が原因ではないとの見方を示した。


787型機をめぐっては、米ボストン・ローガン国際空港で7日朝方、駐機していた日本航空<9201.T>の同型機でバッテリー火災が発生し、装置格納部が大きく損傷した問題について、米国家運輸安全委員会(NTSB)が別途調査を行っている。


11日には全日本空輸(ANA)<9202.T>が、羽田空港から松山空港に向かっていた787型機で操縦室の窓ガラスにクモの巣状のひびが入るトラブルがあったほか、宮崎空港に到着した同型機で左エンジン付近からのオイル漏れが確認されたことを明らかにした。


787はボーイングの最新鋭機で、新素材を使った機体軽量化により燃費性能の2割向上が可能だ。現時点で航空各社が787の調達を見直す動きは出ていない が、米当局による包括調査によって設計変更などが必要になれば、同機の開発遅延やコスト拡大に悩まされてきたボーイングにとっては大きな痛手となる。


11日午後の米国株式市場でボーイング株は一時3.2%下落した。

 

 

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2013年1月11日 (金)

『トリスタンとイゾルデ』にはなかなか馴染めないが

現在、音盤(CD)としては、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管のものと、カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデンのものが手元にあるのだが、十分聴きこめているとは言えない。 特に後者は、クライバーの逝去時に購入したものなので、相当時間が経過している。

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Tristan_und_isolde_librettoさらにさかのぼれば、学生時代に、FM放送で年末にバイロイト音楽祭を聴いていたころからの付き合いで、「トリスタンとイゾルデ」の対訳リブレットまで購入していたので、相当の長い付き合いにはなる。

楽曲としては前奏曲と愛の死は、多くのワーグナー管弦楽名曲集にはほとんど収録されているので、馴染みになっているが、楽劇全体としてはまだじっくりと腰を落ち着けて味わったという実感が得られていない。

さて、以前にもケルト関連でこのブログで書いたかも知れないが、ワーグナー(ヴァーグナー)が題材とした神話・伝説の類は、ゲルマン神話だけではないようだ。

例の「アーサー王」伝説の源流はケルト系のものだとされているが、以前購入して冒頭を何度か読みながらなかなか読み進めなかった 井村君江の『アーサー王ロマンス』(ちくま文庫)を、最近取り出してきて再読してみた。この本にこの「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」の項目があることは知っていたが、ようやく「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」が登場する部分まで読むことができた。子どもでも読める易しい文体で書いてあるのだが、騎士や王、王女などが沢山登場するので、把握には結構苦労する。(なお、トリビアながら、トリスタンとは「悲しみ」という意味だという。あの ゲオンの言うモーツァルトのtristesse allante のトリステスと同じ語源なのだろう。)

この井村の本に詳しいが、アーサー王伝説は、本国である大ブリテン島のみならず、大陸では特にフランスでもさまざまな伝承が付加され、ドイツでも受容されたとのことで、西ヨーロッパ圏では共通的な伝説・説話になっているもののようだ。現代の西欧人がどのようにどの程度受容しているのかは知らないが、教養のあるヨーロッパ人にとってはおそらく基本的な知識ではあるのだと想像する。

自分があまり知らないだけではないかとも思うが、アーサー王伝説とワーグナーの関連については、私の父もつい近年欧米の子供向けに書かれたアーサー王伝説の翻訳本を古本で入手し読み始めてそのことに気付いたと言っているように、一般には割と意識されていなかったのかも知れない。私たちが知らなかっただけだとは多いに思いいたるふしはあるが、それでも音楽書を相当読み込んではいるので、この関連の重要性は知る人ぞ知るだったのではあるまいか、などとも自分を慰藉してみたりもする。ワーグナーの音楽がゲルマン神話をもとにして、ゲルマン民族主義を高らかに歌い上げたというような偏った知識はあっても、このヨーロッパの中世以来の有力な説話であるアーサー王伝説との関連について強調した読みものをあまり目にしたことがないように感じている。(追記:上記のオペラ対訳シリーズの冒頭の高木卓氏による解説には、このトリスタン説話がフランスのブルターニュ地方に淵源を持ち、中世のドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラスブルグが叙事詩にしたことは述べられているが、アーサー王説話の一節に入っていることは述べられていなかった。昭和38年第1刷、昭和58年第8刷。追記:ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ

Wagner_critical_biography今年は、ワーグナー、ヴェルディの生誕200年であり、日本でもワーグナーの音楽は盛んにやられるだろうが、解説書には少なからず触れてはあるものの、トリスタンとイゾルデの悲恋、パルジファルの聖杯探究が、もとはアーサー王伝説のエピソードに含まれたものであり、そのドイツ語訳されたものをワーグナーが自ら枝葉末節を整理した形で、戯曲化し、それを楽劇化したということは知っておくべきだろうと思う。これは自戒だ。

おそらく、ヨーロッパの一般の人々でも、おとぎ話・説話として共通知識であるこれらの物語を念頭におきながら、ワーグナーによる「近代化」や変容の結果である楽劇を享受しているのだと思うが、そのような基本的なバックボーン無しに近代的な視点から近代人のワーグナーがあのような矛盾を抱える「神話」を創作したとみなしてしまうと、「トリスタン」や「パルジファル」は容易に鑑賞できないのではあるまいか?この部分が私にとっては躓きの石だった。

さらに、「パルジファル」の聖杯探究も、キリスト教神秘主義に関わるとされることもあるようだが、実際は西ヨーロッパにおけるキリスト教受容での特殊性(女神崇拝からの聖母マリア崇拝などや多神教的な聖人崇拝)に含まれる偶像崇拝に基づく聖遺物崇拝も思い起こされれてもよいのではなかろうか?

このような理解や方向性が正しいとは言えないけれど、自分なりに納得することで、不可思議で理解しがたい戯曲でもある「トリスタン」や「パルジファル」が、少しは鑑賞の視野に入ってくるようになってきたように感じている。

そのこと自体ある民族や国民の中では当たり前すぎてあまり表だって語られないが、日本人も当然含まれるが、諸民族・諸国民には、他の民族・国民はあまり知らない何か重要な共通神話(共同幻想のようなもの)がバックボーンとしてあるのかも知れないなどとも、考えたりした。

追記:「ローエングリン」は、パルジファル(パーシヴァル)の息子とされているので、これもゲルマン神話ではなく、アーサー王伝説につながるもののようだ。

ネットで、「アーサー王伝説 ワーグナー」で検索すると多くの情報がヒットする。

http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text3.htm

私のような「ゲルマン神話」だとの思い込みは、少々気恥ずかしいことだった。

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2013年1月 5日 (土)

懐かしの NIFTY-Serve と ミドルトン・ヴェリー・レア

昨年末に ニフティ、パソ通ユーザーコミュニティ「NIFTY-Serve」に新機能 という記事を発見し、懐かしの NIFTY-Serve にアクセスしてみた。当時は、富士通のワープロ OASYSにモデムを繋いで、アクセスしたものだった。FCLA というクラシック音楽フォーラムが主な参加場所だったが、旅行フォーラムのアイランドの部屋などで出張時の情報収集などをしたこともある。

アイルランドと言えば、1999年にアイルンドに出張したおりにお土産に買ってきたミドルトンのヴェリー・レアなるアイリッシュ・ウィスキーの名品(箱入りで、ボトルナンバー入り)がまだ少し瓶の底に残っており、ここ5年ほど開けていなかった。このところ職場の宴会以外にはアルコールを飲むことは無くなったのだが、Nifty-Serveがきっかけというわけではないが、ミドルトンを年末に久々に取り出してみたところ、キャップのコルクが劣化してしまっており、やむを得ずコルクを取り除いて全部飲み終えた。妻も以前からウィスキーは飲まないのだが、水割りにして全部飲み切った。まろやかで優しい味だった。

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2013年1月 4日 (金)

年末に届いた "LIVING STEREO 60 CD COLLECTION"

2010年に発売され人気だった表題のボックスセット(アメリカ版)は、完売になっていたが、ヨーロッパ版が再発されたということをHMVで知り、昨年年末に注文しておいたのだが、数日で届いた。旧RCA(ビクター)の初期のステレオ録音の集成で、現在はソニーミュージックの一レーベルとなっていて、そこからの発売になっている。ミュンシュ/ボストン響、ライナー/シカゴ響、ハイフェッツ、ルービンシュタイン、ヴァン・クライバーンなどが主要演奏家で、まさに米国の黄金時代を象徴する録音群だと思う。彼らの人気レパートリーが主だが、意外にもラインスドルフによるイタリア・オペラのラ・ボエーム、マダム・バタフライ、トゥーランドット、それにプレヴィターリという指揮者のラ・トラヴィアータ(椿姫)が含まれていてこれが60枚の内の8枚を占めている。(と書いたが、当時のアメリカ出身の人気歌手、レオンタイン・プライス、アンナ・モッフォ、テノールのリチャード・タッカーなどの出演のためRCAがローマに進出して録音したもののようだ。メトではなくローマで1950年代、60年代に録音したところに時代を感じる。なお、トゥーランドットは、ニルソン、テバルディ、ビョルリンクなど凄い顔ぶれの歌手揃い。)

このシリーズは、ステレオ録音最初期の録音なのだが、リマスタリングが成功しているのか、聴き慣れたライナーの「オケコン」「弦チェレ」も1980年代発売の日本製の同じ音源のCDよりも相当音質が改善され、セルの録音に比べて粗さを感じていたライナーのそれが、今回のCDでは勝るとも劣らぬ緻密な音楽・演奏に聞こえるようになっているので、全体的に聴きやすくなったのは確かだろう。

すでに60年も前の録音だが、レコード録音できる音楽家がスーパー音楽家だった時代の労力と資金がたっぷり掛けられた時代の録音でもある。これはお買い得だと思う。

余談だが、この60枚の並び順には、どのような規則性があるのだろうか?少し考えたが分からない。

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2013年1月 3日 (木)

電子書籍リーダー Lideo をしばらく使ってみて

2012年の年末に購入した電子書籍リーダーLideo。

青空文庫でのPCでの読書、任天堂DSの青空文庫ベースの日本文学全集ソフトによる読書で、電子書籍には多少慣れてはいたが、昨年2012年にはスマートフォンやタブレット型コンピュータなどの普及もあって、日本でも一気に電子書籍の配信が増え、最新刊が電子書籍でも容易に入手できるようになった。(パブリックドメインについてはこちらも。)

ただし、日本ではアメリカなどとは違い、電子書籍の価格が、印刷本より廉価にすることができないらしく、まずはそれが普及の妨げになるような気がする。印刷、製本、流通、在庫経費が大幅に削減できるのだから、従来の印刷本よりも廉価でしかるべきだが、その辺りが議論になっていないような感触だ。

また、現在印刷本で読み飽きた本はブックオフなどに売り、また多くの書籍がそのような中古店で格安で入手できるようになっているが、電子書籍の場合には、Digital Rights Management(DRM)により、簡単にコピーはできず、また他の端末での利用もDRMによって制限されていることもあり、現状では読み終えた本で不要になったものでも、再利用の道は閉ざされているので、その点から言っても、その分を廉価にすべきではないかとも思う。

まだ、Lideo によって Bookliveサービスからの有料の書籍購入は行っておらず、これまで無料の医療コミック「ブラックジャックによろしく」13巻と、青空文庫収録の文学の名作をダウンロードして読んでいる段階。さすがに、ゲーム機のDSに比べると、白黒電子ペーパーは視認性はよろしいし、活字も綺麗だ。軽量で片手持ちも楽々。電池の持ちも不満はあまりない。ただし、タッチパネルとしての応答性はあまりよろしくなく、また誤応答もあり、少々いらつくことがある。文字の大きさも本文は数種類選べるが、本棚や書店などの項目での文字の大きさ変更には対応していないのも不便だ。

書店での書籍の検索は、この専用端末の Lideoでは、前述の応答性の問題もあり、実際検索するのが非常にわずらわしい。BookliveのPCサービスで、検索するのはPCの迅速の応答性もあり比較的容易であり、本棚を複数端末で同期化することで、補うことはできるのだが、Lideo単独で使うことが想定されている中高年層には、検索の不便さは大きなデメリットだと思われる。

書店の品ぞろえだが、日本文学では青空文庫があるので、近代文学の古典を読むには不自由しないが、翻訳ものについてはまだまだ無料が少ないし、岩波や新潮なども翻訳文学についてはまだ品揃えが充実していないようだ。

端末自体廉かったし、無料作品も楽しめるので、買い物としてはそれほど悪いものではなかったと思っているが、果たして爆発的な普及が期待できるかとなれば、やはり新刊書の値段の問題が解決されるべきだろう。

追記:ネットでの物品購入はCDなどでは抵抗感がなくなっており、ほぼ日常的なものになっているが、ダウンロード購入では他で入手不可能のソフトウェア(DiXim Digtal TV)の経験はあるが、これまでiTunesでの音源のダウンロード購入もしたことがない。物理的な有体物であるLPやCD、書籍への馴染みが非常に強いので、デジタルデータの再生という意味では根本的に違いのない音源データダウンロード購入には抵抗感が残り、そこは文字データ、書籍の面でも同様な感覚がある。著作作品へのクレジット・ライン(本来は、提供者の名前のことだが、著作者、演奏者のことも含むとした場合)が、改竄されることもありうるデジタルデータへのかすかな不信感もその底にはあるようにも自己分析すると考えてしまうのかも知れない。無形物への不信感とでも言うのだろうか。文字の場合、有体物である書籍なら、落丁などがあればすぐに気づくこともあるだろうが、デジタルデータの場合は、その保証(クレジット)がまだまだ不安である。著作者の意図とは別に、仮に何者かによる意図的な改竄がなされていても、新刊書であれば、テキスト比較も不可能ということもあり、著作者でも容易には発見しにくいということもあるだろう。著作者、著作権者がオリジナルデータをメートル原器のように保有して、流通したデータとの差異をチェックするシステムでも確立されない限り。

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追記:

LIDEOで検索して、興味をもった記事:

「日の丸」電書端末Lideoに勝機はあるか? 2012年12月27日

端末に関する懸念として取り上げたいのが、電池に関して消費をセーブするECOモードに設定しているにもかかわらず、消費が早いように思われることだ。頻繁に使用している場合、数日しか持たない。他の電子ペーパー端末と比較しても、これは非常に早い。使い続けるうちに電池が劣化してきたら、充電器を持ち歩くようなことになるのではないかと思うと、非常に不安ではある。

 ⇒ 書きもらしていたが、同感。スペックでは結構保つと書かれていたのだ。

ストアの第一印象も「詰め込み過ぎ」といっていい。8つのコンテンツがタイル式に並んで表示されるが、書名が途中で切れてしまうなど、視認性が悪い。また「書店」では文字サイズも変更できない(文字サイズの変更はあくまで電子書籍ファイルへの操作であり、端末オぺレーション上での説明やタイトル文字の拡大縮小はできない)。これではターゲットである「多読のシニア層」が読みたい本にたどり着けるのか心配である。これならば紙の本のほうが早い、ということになっては本末転倒だろう。

 ⇒ 同趣旨のことを感じた。

他にも2013年1月31日までの期間限定で福井新聞の自動配信コンテンツがプリセットされているのだが、東京に住んでいる僕がどうして地方新聞を読みたがると思うのか。

 ⇒ これは反対のことを思った。読む読まないは選択できるのだからここまで言う必要はないだろう。東京中心主義である。私などは興味本位で読んでみてむしろ縁のない福井への関心が高まった。

別の記事:

http://smhn.info/201212-lideo-is-not-good-ebook-reader-deigiboo

http://smhn.info/201212-lideo-is-not-good-ebook-reader-deigibook010

この記事は、検索すると多くヒットするので影響力が強いようだが、あまり公平な記事ではない。むしろ反感をあおるような「アンチマーケティング」を感じさせる。

冒頭の利用規約(契約書)からして、わざわざ書く問題だろうか?ここからして、相当バイアスがかかったものだ。この記事の筆者は「デジモノ」好きのようだが、Wi-Fi環境が容易に構築できないで「箱から出してすぐ使える」ことを望むようなユーザー(中高年の読書家)がいるという目線が不足しているように思う。

リーダーの比較記事:http://ddnavi.com/serial/107452/

6インチアンドロイドタブレットとの比較記事:http://blogos.com/article/53228/?axis=b:13305

日経の特集記事: 紙より本当に魅力的? 電子書籍「10の疑問」  2012/12/12 7:00

Kindle関係記事:http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47756170X21C12A0000000/

amazon kindle への感想記事:http://blog.livedoor.jp/gurgur717/archives/51395816.html

WallStreetJounal記事:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130107-00000121-wsj-bus_all

電子書籍リーダー時代はもう終わってしまったのか
ウォール・ストリート・ジャーナル 1月7日(月)11時42分配信
電子書籍を読むための専用端末、電子書籍リーダーはここ5~6年の間、話題の的だった。しかし、タブレット型端末の小型化が進み、廉価版が発売されるようになった今、ネット通販大手アマゾンの「キンドル」や米書店大手バーンズ・アンド・ノーブルの「ヌック」などの読むことにしか使えない端末の運命が問われている。

市場調査会社IDCによると、2012年の電子書籍リーダーの世界出荷台数は推計1990万台となり、前年の2770万台から28%減少した。これに対して、2012年のタブレット端末の出荷台数は推計1億2230万台に上った。

調査会社HISアイサプライの集計はこれとは異なるものの、同じような傾向を示している。同社の推計では、専用の電子書籍リーダーの出荷台数は2011年にピークに達しており、2012年は前年比36%減の1490万台だった。同社は出荷台数が2015年までに780万台にまで落ち込むと予想している。  問題の一つは、電子書籍リーダーを購入したユーザーの一部が早く次の端末を買いたい、とは特に思っていないことだ。薬物乱用カウンセラーとして働くオハイオ州ストウ在住のジュリー・カーティスさんはもっぱら、2年前に買ったキンドルを使っているという。カーティスさんは「ちゃんと動くし、新しいものを買う理由がない。最新版を買う気になっていたら、キンドルファイアのようなタブレット型端末を選んでいたと思う」と話した。

2007年に流行り出したとき、電子書籍リーダーは画期的な商品に見えた。1台の端末に数百冊もの本を収納して読むことができる上、重さは大抵のハードカバーの本よりも軽く、大したスペースもとらない。しかも、電子書籍は紙の本より安いのだ。  その後、電子書籍リーダーのデザインが改良され、見た目も読みやすさも向上した。軽量化が進み、ページをめくる速度も上がり、さらに多くの本が収納できるようになった。無線通信機能が搭載され、ユーザーがいつ、どこにいても小説や雑誌、新聞をダウンロードできるようになった。今では、暗い所でも本が読める機能も搭載されている。

「電子書籍リーダーの真のイノベーションとは、コンピューターを使わずにワイヤレスで本が買える利便性を消費者に与えたことだ」と指摘するのは調査会社フォレスター・リサーチのアナリスト、サラ・ロットマン・エップス氏だ。「まさに消費者の自分の手の上にオンラインショップをもたらしたという意味で、電子書籍リーダーは『事件』だった」とエップス氏は話している。

しかし、消費者の好みも技術も変化した。人が本を読むのをやめたわけではない。世論調査機関ピュー・リサーチ・センターの最近の報告書によると、電子書籍リーダーではなくタブレット型端末で電子書籍を読む人がますます増える可能性が高くなっている。同社の調査では、電子書籍を読んだことのある米国人の割合は2011年には16%だったが、2012年には23%にまで上昇した。  廉価版のタブレット型端末は高機能の電子書籍リーダーとしてだけではなく、インターネットブラウザーやゲーム機、カメラとして使うこともできる。IDCのタブレット担当のリサーチ・ディレクター、トム・メイネリ氏は「ほとんどの消費者にとっては、さまざまな使い方ができるタブレット型端末のほうが都合がよく、タブレット型端末が消費者にとって買う気になる価格になったときはなおさらだ」と話す。メイネリ氏は「電子書籍リーダーは最終的には隙間商品になるだろう」と話している。

専用の電子書籍リーダーが敬遠される原因の一つは性能が限られていることにある。電子書籍リーダーにはモノクロ表示のスクリーンと基本的なインターネットの検索機能が搭載されているだけのことが多い。一方、アップルの「iPad(アイパッド)」やアマゾンの「キンドルファイア」、グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載した端末などのタブレット型端末はカラー表示で、インターネット検索機能にも制限がない。

タブレット型端末は価格差も縮小し、消費者にとってさらに魅力的になった。例えば、グーグルはタブレット型端末「Nexus(ネクサス)7」をたった199ドル(約1万7300円)で販売しているし、アマゾンは「キンドルファイア」シリーズで159ドルのモデルを発売した。これはアマゾンの電子書籍リーダー「キンドル」の最も価格が高いモデルより20ドル安い。また、最近のiPad Mini(アイパッド・ミニ)の登場で、アップルのタブレット型端末の入口価格はiPadの499ドルから329ドルに下がっている。  全てのタブレット型端末が消費者に受け入れられているわけではない。あるデータによると、マイクロソフトのOS「ウィンドウズ8」を搭載したタブレット型端末は出足が鈍い。

市場調査会社NPDグループによると、ウィンドウズ搭載のノート型パソコンとタブレット型端末の売上げは昨年10月21日から12月8日までの期間で前年同期比13%減となった。同社が調査したウィンド ウズ8搭載のタブレット型端末の売上げは取るに足りない程度だったという(同社はマイクロソフトが発売したキーボード付きタブレット型端末「サーフェス」の売上高の追跡調査は行っていない)。

バーンズ・アンド・ノーブルは3日、電子書籍部門「ヌック」の12月29日までの9週間のホリデーシーズンの売上高が前年同期比13%減の3億1100万ドルとなったと発表した。「ヌック」部門には電子書籍リーダーとタブレット型端末の両方、さらにデジタルコンテンツ、付属品が含まれている。同社は個別の端末の売上高の詳細については明らかにしなかった。  こうした傾向があるにもかかわらず、電子書籍リーダーには利点もある。まず、ほとんどのタブレット型端末よりも軽い。さらに、バッテリーの駆動時間が向上している。バーンズ・アンド・ノーブルによると、同社の「ヌック」シリーズで最も安い「シンプル・タッチ」はバッテリーを一度充電すると、最高2カ月間利用できるという。これに対して、タブレット型端末「ヌックHD」は一度の充電で利用できる時間は約10時間だ。

さらに、電子書籍リーダーには大幅な改良が加えられ、タッチスクリーン技術や自発光型ディスプレイが採用されるなどしている。市場調査会社カレント・アナリシスのアナリスト、アビ・グリーンガート氏は「電子書籍リーダーは2年前と比較しても劇的に向上している」と述べた。

その上、電子書籍リーダーの価格は急落している。「キンドル」シリーズで広告が表示されるモデルは69ドルで買うことができる。

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2013年1月 2日 (水)

エイドリアン・ボウルトのドイツ音楽録音集 From Bach to Wagner

昨年11月、最寄の中古品店で、ブラームスの「セレナード第1、2番」のCDを購入した。指揮者は、サー・エイドリアン・ボウルト(一般的にはボールト)。ネットで検索してみたら、2006年に、リンクさせてもらっているBlogoutさんが取り上げられたCD の記事が見つかり、その記事に私がコメントさせてもらっていたのだった。

この2曲のセレナードは、中高生の頃にアバドの指揮のものをラジオで聴いたことがあったはずだが、あまり印象に残らない曲だった。

今回、改めて聴いてみたら、何ともしみじみとしたいい曲ではないか。

同時に収録されているアルト・ラプソディー、悲劇的序曲、大学祝典序曲、ハイドンの主題による変奏曲も、ボウルトの指揮する演奏がブラームスにしては何とも風通しのよい音楽で気に入った。

ボウルトは、ホルストの「惑星」の初演で知られる指揮者だが、上記のBlogoutさんの記事へのコメントでも自分で書いたように、ドイツに留学してニキシュなどの薫陶を受けたこともあり、特にブラームスの音楽の指揮は格別のものとされていたということを読んだことがあった。

このセレナーデ2曲を聴いてみて、ボウルトのブラームスが俄然聴いてみたくなり、調べたら表題のボックス ( Sir Adrian Boult From Bach to Wagner) が発売されているのを見つけた。HMVに注文したところ、お取り寄せになってしまいなかなか配達されないので、amazonを見たらさらに廉価で在庫ありというので、HMVがキャンセル可能だったのでキャンセルして amazonに注文したところすぐ発送され、12月中旬に届いた。

期待にたがわず、これはなかなか素晴らしい。

1972年録音のロンドン・フィルとのバッハのブランデンブルク協奏曲。あのデイヴィッド・マンロウがリコーダーで、2番と4番に加わっているのだが、すでに当時としても時代錯誤的とも言いうる滑らかな演奏を聴くことができる。これがまた私には実にしっくりくる演奏だ。カラヤンほど現代オーケストラの美感を前面に押し出すのではなく、当時主流のカール・リヒターの禁欲的な演奏とも異なる、愉悦感と品格を兼ね備えた演奏。社交的な音楽として協奏曲を捉えた演奏とも言えるだろう。その点、昨今のピリオドアプローチに通じるものがあるのだが、攻撃性は無く、温かさと品格が感じられるのが、なかなかのものだ。(以下随時書き足す予定です。)

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2013年1月 1日 (火)

新年の言祝ぎ

明けましておめでとうございます。

◆年賀状の写真 京都 鹿苑寺 金閣 (次男 修学旅行での撮影)

「安民沢(池)の中央にある島に、家運を盛んにしてくれる弁財天の使いである白蛇の塚があります。」とのことで、それにちなんだ画像です。金閣の写真が届いて驚かれた皆様、ご理解賜りたく。

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◆初日に照らされた真白き富士の嶺 

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◆初詣の神社(杉山神社)の天神社の梅の蕾。マイ定点観測地点だが、今年は蕾はまだ固いようだ。
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本年もよろしくお願いします。

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