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2013年1月11日 (金)

『トリスタンとイゾルデ』にはなかなか馴染めないが

現在、音盤(CD)としては、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管のものと、カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデンのものが手元にあるのだが、十分聴きこめているとは言えない。 特に後者は、クライバーの逝去時に購入したものなので、相当時間が経過している。

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Tristan_und_isolde_librettoさらにさかのぼれば、学生時代に、FM放送で年末にバイロイト音楽祭を聴いていたころからの付き合いで、「トリスタンとイゾルデ」の対訳リブレットまで購入していたので、相当の長い付き合いにはなる。

楽曲としては前奏曲と愛の死は、多くのワーグナー管弦楽名曲集にはほとんど収録されているので、馴染みになっているが、楽劇全体としてはまだじっくりと腰を落ち着けて味わったという実感が得られていない。

さて、以前にもケルト関連でこのブログで書いたかも知れないが、ワーグナー(ヴァーグナー)が題材とした神話・伝説の類は、ゲルマン神話だけではないようだ。

例の「アーサー王」伝説の源流はケルト系のものだとされているが、以前購入して冒頭を何度か読みながらなかなか読み進めなかった 井村君江の『アーサー王ロマンス』(ちくま文庫)を、最近取り出してきて再読してみた。この本にこの「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」の項目があることは知っていたが、ようやく「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」が登場する部分まで読むことができた。子どもでも読める易しい文体で書いてあるのだが、騎士や王、王女などが沢山登場するので、把握には結構苦労する。(なお、トリビアながら、トリスタンとは「悲しみ」という意味だという。あの ゲオンの言うモーツァルトのtristesse allante のトリステスと同じ語源なのだろう。)

この井村の本に詳しいが、アーサー王伝説は、本国である大ブリテン島のみならず、大陸では特にフランスでもさまざまな伝承が付加され、ドイツでも受容されたとのことで、西ヨーロッパ圏では共通的な伝説・説話になっているもののようだ。現代の西欧人がどのようにどの程度受容しているのかは知らないが、教養のあるヨーロッパ人にとってはおそらく基本的な知識ではあるのだと想像する。

自分があまり知らないだけではないかとも思うが、アーサー王伝説とワーグナーの関連については、私の父もつい近年欧米の子供向けに書かれたアーサー王伝説の翻訳本を古本で入手し読み始めてそのことに気付いたと言っているように、一般には割と意識されていなかったのかも知れない。私たちが知らなかっただけだとは多いに思いいたるふしはあるが、それでも音楽書を相当読み込んではいるので、この関連の重要性は知る人ぞ知るだったのではあるまいか、などとも自分を慰藉してみたりもする。ワーグナーの音楽がゲルマン神話をもとにして、ゲルマン民族主義を高らかに歌い上げたというような偏った知識はあっても、このヨーロッパの中世以来の有力な説話であるアーサー王伝説との関連について強調した読みものをあまり目にしたことがないように感じている。(追記:上記のオペラ対訳シリーズの冒頭の高木卓氏による解説には、このトリスタン説話がフランスのブルターニュ地方に淵源を持ち、中世のドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラスブルグが叙事詩にしたことは述べられているが、アーサー王説話の一節に入っていることは述べられていなかった。昭和38年第1刷、昭和58年第8刷。追記:ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ

Wagner_critical_biography今年は、ワーグナー、ヴェルディの生誕200年であり、日本でもワーグナーの音楽は盛んにやられるだろうが、解説書には少なからず触れてはあるものの、トリスタンとイゾルデの悲恋、パルジファルの聖杯探究が、もとはアーサー王伝説のエピソードに含まれたものであり、そのドイツ語訳されたものをワーグナーが自ら枝葉末節を整理した形で、戯曲化し、それを楽劇化したということは知っておくべきだろうと思う。これは自戒だ。

おそらく、ヨーロッパの一般の人々でも、おとぎ話・説話として共通知識であるこれらの物語を念頭におきながら、ワーグナーによる「近代化」や変容の結果である楽劇を享受しているのだと思うが、そのような基本的なバックボーン無しに近代的な視点から近代人のワーグナーがあのような矛盾を抱える「神話」を創作したとみなしてしまうと、「トリスタン」や「パルジファル」は容易に鑑賞できないのではあるまいか?この部分が私にとっては躓きの石だった。

さらに、「パルジファル」の聖杯探究も、キリスト教神秘主義に関わるとされることもあるようだが、実際は西ヨーロッパにおけるキリスト教受容での特殊性(女神崇拝からの聖母マリア崇拝などや多神教的な聖人崇拝)に含まれる偶像崇拝に基づく聖遺物崇拝も思い起こされれてもよいのではなかろうか?

このような理解や方向性が正しいとは言えないけれど、自分なりに納得することで、不可思議で理解しがたい戯曲でもある「トリスタン」や「パルジファル」が、少しは鑑賞の視野に入ってくるようになってきたように感じている。

そのこと自体ある民族や国民の中では当たり前すぎてあまり表だって語られないが、日本人も当然含まれるが、諸民族・諸国民には、他の民族・国民はあまり知らない何か重要な共通神話(共同幻想のようなもの)がバックボーンとしてあるのかも知れないなどとも、考えたりした。

追記:「ローエングリン」は、パルジファル(パーシヴァル)の息子とされているので、これもゲルマン神話ではなく、アーサー王伝説につながるもののようだ。

ネットで、「アーサー王伝説 ワーグナー」で検索すると多くの情報がヒットする。

http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text3.htm

私のような「ゲルマン神話」だとの思い込みは、少々気恥ずかしいことだった。

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コメント

個人的には兄が所有していた世界昔話シリ-ズで子供の本としてこれらの話に馴染みましたが、既に子供のときからオペラも同時受容だったので中々前後があいまいです。

その詳しい背景や民俗学的な見解などは分りませんが、多くはゲルマン民族やアングロサクソンの民族の移動の神話化で、現実に東方から追われるようにドイツから更にフランスへと渡っていったメルヴィングなど末裔にとっては無関心ではいられないのは当然でしょう。

先日スペインからモルティエ支配人が電話で、「現在のバイロイトはヴァークナーが目指した劇場とは全く違うことを遣っていて、音響もそれほどではない」と、話してました。

作曲家が活躍した時代背景もあり、それを切り離しては考えられないところで、芸術としての評価を云々しても仕方ないので、創造の意志とかそうしたところで考えていくべきだということです。その証拠が、フランス人や米国人も競ってこの作曲家の楽劇に必死になるのは、創作自体が上のような良いところをついているからにほかなりません。

大きな民族の移動があり、その様々な源流があったにしても西洋文化として華の開いた近代の芽生えがあったからこその神話への回帰でもあったのでしょう。やはり誰でも少し余裕が生じるとその自らの原点に意識が向かうからなのでしょう。パルシファルの奇蹟でも汎・超キリスト教文化思想ですからね。

投稿: pfaelzerwein | 2013年1月11日 (金) 23:39

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。

ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』全曲

 イゾルデ:キルステン・フラグスタート
 トリスタン:ルートヴィヒ・ズートハウス
 ブランゲーネ:ブランシュ・シーボム
 マルケ王:ヨゼフ・グラインドル
 クルヴェナール:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
 メロート:エドガー・エヴァンス
 牧童/水夫:ルドルフ・ショック
 舵手:ロデリック・デイヴィス
 コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団(合唱指揮:ダグラス・ロビンソン)
 フィルハーモニア管弦楽団
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)

 録音時期:1952年6月10-21、23日
 録音場所:ロンドン、キングズウェイ・ホール
 録音方式:モノラル(セッション)

を対訳台本を参照しながら聴き始め、休み休みしながら、ようやく第1幕を聴き終えました。やはり、長大ですね。

投稿: 望 岳人(Mochi Takehito) | 2013年1月19日 (土) 17:34

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