テレビドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖 」(1/14 夜9時 フジテレビ)
以前記事で取り上げたたことのある小説がドラマ化された。
我が家ではこのドラマの番宣が放送されたのを見て、主演女優のボーイッシュな剛力彩芽と、原作のヒロインのイメージ(文庫本の表紙のイメージが刷り込まれている人が多いと思うし、本文の極端な内気さと古本に関するときのスイッチ切り替えのような雄弁さ、推理能力のギャップ)とが食い違いすぎるのではと感じていた。
大雪が治まった1/14の夜第1回が放映されて、珍しく録画ではなく、リアルタイムで視聴した。
まずはオープニングのCGによる古本屋の本棚からハードカバーの本がバサバサと落ちる映像に、「ああ、この番組の関係者には、愛書家、読書家はいないのだろう。動きがほしかったのだろうが、CGとは言え本が傷むような映像を使うなんて。本もろくに読まないようなテレビ局員がまさに生活のためにいやいや作っているのだろうな。」というイメージを持たされてしまった。世の読書家に喧嘩を売っているのだろうか?
そもそもドラマや映画というものは、脚本家の好みや撮影やキャストのバランスなどの都合で、原作を大幅に変更するのが常なので、おそらくこれもそうだろうと予想していたが、想像以上の改変ぶりだった。
違和感のあるキャスティングは、ヒロインだけでなく、主人公の五浦にも及んでおり、長身なのはよいとしても、柔道の有段者の大男の面影はなかった。さらにひどいのは、古書店の家族構成で、ヒロインと妹ではなく、なんと弟。一見すると線の細い少年なのだが、彼が病弱でもなければ重量のある書籍でも彼に任せれば、五浦を雇う必然性はないだろうに。さらにあり得ないことに原作ではホームレスのセドリヤの志田(高橋克実)が古書店に住み着いているという設定もあるようだ。
原作のヒロインの人物造形上欠かせない重要で、ビブリオマニアの妄執を象徴するシリアスなエピソードである脚の怪我も省かれ、さらに原作にない余計な喫茶店の登場人物たちが絡んできている。これは多少些末だが、五浦の実家も祖母が経営していた食堂ではなく、古いながらそれなりに広い鎌倉の一軒家と来ている。
原作の漱石の「それから」のエピソード自体は、それなりに消化され、整理されてはいて、ドラマ単独で見た人にはある程度の評価が得られたとは思うが、愛読者にとってはこのドラマは原作とは完全に別ものの、最近見たドラマ的にいえば「パラレルワールド」に存在する「ビブリア古書堂」で起きている物語と見るのが精神衛生上よろしいだろう。
返す刀で切ってしまうが、このように設定を切り刻まれ改変されることを了承するというのは、出版社などのしがらみはあるのだろうが、原作者に対しても残念な気持ちを抱いてしまった。
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