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2015年9月の3件の記事

2015年9月27日 (日)

丸山コーヒーと中秋の名月

今日は、中秋の名月。

(後記:この日がスーパームーンだと思い込んでいたが、翌日の9/28がスーパームーンだったとのこと、地球の別の地域では皆既月食も見られたらしい。9/28は旧暦8/15だが、月齢は14程度であり、翌日が月齢15にもっとも近かったらしい。)

弟からのお中元の丸山珈琲を楽しむ。雑味はなく、多彩な味わい。中秋にふさわしい。

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(後記)

写真の月の周囲はコンパクトデジカメの「いたずら」だと思われる。

ハレーションではないが、なんというのだろう? 

肉眼では虹色の輪は見えなかったのでの「月暈」ではないだろうし、「光冠」「光環」という現象とも違うと思う。

よくわからないがレンズの色収差というものだろうか。

更に調べると、「ブロッケン現象(ブロッケンの妖怪)」のページがあり、

右の写真は カメラとは別のレンズに息を吹きかけて薄く曇らせ、反射した光源と周辺を撮影したものです。ミー散乱は起こっていますが、 これはブロッケン現象にはなっていません。 次のセクションで述べる光冠(光環)になってしまいます。

と書かれている部分に該当するのだろうか。

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ピント無限大で、ISO感度を400程度にし、シャッター半押しであらかじめ室内の天井灯などの明るい部分に、シャッタースピード、絞り等の露出を固定して、満月の明るさに負けない状態にしてから、満月を撮影すると、虹色の輪は映らなかった(別途アップ予定)。

参考:このブログの満月などの撮影の記事

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これとは関係が無いが、このブログに書いた記事で、夜の列車内の窓ガラスが梅雨時や冬の雨の時に結露で曇ったとき、それを通して、列車外の街灯などの光源を見ると、光が放射状に見えることがあり、またぼんやりと光輪をまとっているようにも見えたりもすることがあるが、なぜか思い出した。

http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2010/01/post-6b98.html

参考情報:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1077158185

Q:夜の街で光(街灯や車のライトやイルミネーションなど)を見ると光源から線がたくさん出ているように見えるのは一体何ですか?

A:眼球表面の僅かな凹凸涙による凹凸汚れによる凹凸による乱反射、眼鏡を掛けていればレンズの汚れ曇りによる乱反射で放射状に光のすじとして見えます。

http://fchem.4rm.jp/log/rika/1812.html

光条(光芒)

http://www.yakei-photo.jp/satsuei/chapter-05/contents-037.html

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2015年9月25日 (金)

ジョージ・R・R・マーティン「氷と炎の歌」シリーズ

昨年末、家にあったジョージ・レイモンド・リチャード・マーティン著、岡部宏之訳の「七王国の玉座」のハードカバー上下を手にとってみた。妻が入手したものだが、表紙イラストはヤングアダルト的で少々おどろおどろしい派手なもので、まずはあまり食指が動かなかった。さらに一頁が上下二段に分割してあり、相当小さいポイントの活字がビッシリ埋まっており、遠視(老眼)にはとても読みにくいこともあった。

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或る日手にとってみて読み始めたが、イントロダクションも、掴みがパッとしない始まりだった。ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」ほどちんぷんかんぷんではなかったが。ただ、その後しばらく読み続けようという気にはならなかった。

その後、この大河小説を読むようになったのだが、本格的に読み始める前に、一昨年のBSで米国テレビドラマの「ゲーム・オブ・スローンズ」の無料放送の第1、2話を見る機会があった。その頃はまったく知らないストーリーだったのだが、妻は以前からこのシリーズを読み進めていたので、録画を頼まれた。それを或る日何の気なしに見たところ、ヴァイオレンス&セックスが満載で、そうとうエグイ外国ファンタジーだが、多彩さな群像劇でもあり、その続きを見てみたいと思わせるものではあった。その意味では映像から入門したようなものだ。

それから家にあった上記のハードカバーを改めて読み始めたのだが、再読を開始した時には、この本が上記ドラマの原作だとは知らなかった。読み進めるにつれて、その関係に気づき、妻に尋ねたところ、まさにその通りだという。

未だ、シリーズが完成されていないが、現在日本語訳は米国で出版されたものは全部訳されて出版されており、第3部からは初めてデジタルブックを購入して、半年以上かけて、日本語訳を読み通した。

  1. A Game of Thrones 『七王国の玉座』
  2. A Clash of Kings 『王狼たちの戦旗』
  3. A Storm of Swords 『剣嵐の大地』
  4. A Feast for Crows 『乱鴉の饗宴』
  5. A Dance with Dragons 『竜との舞踏』
  6. The Winds of Winter 『冬の狂風』(未完)
  7. A Dream of Spring (未完)

欧州と中近東、アフリカ北部を舞台にした中世的な混沌の世界とは、ドラマ「大聖堂」でも描かれたが、洋の東西を問わずこのようなものだったのではないかと思わせる、残酷苛烈な描写も多く、また(ネタバレではあるが)勧善懲悪や復讐劇は完全に捨て去れれているため、感情移入できるような人物が、ストーリー(出来事、歴史)の進展により、あっさりと舞台を去ることも多い。逆に、反感を覚えるような登場人物が長々と居残り続けることもあるし、次第に人物観が読み進めるにしたがって変わってくるようなこともある。

イギリスらしき島が主要舞台ではあるが、設定上はグレートブリテンよりもよほど大きく、規模は西ヨーロッパほどの南北の規模を持つ巨大な島が七王国の舞台で、その西にそれより大きい大陸が広がっている(らしい)世界である。南にはアフリカ大陸的な大陸は想定されていない。

ドラゴンが存在した世界であり、また季節の廻りは現実の地球世界とは異なり、さらに北方からは人類以外と思われる何者かによる脅威が迫る。超自然的な現象は描かれるが、「ロード・オブ・ザ・リングズ」とは異なり、魔術の存在は相当不確かだが、何らかの超自然力による殺人や死者の復活などが描かれるし、巨人も存在する。

他の名作と呼ばれるファンタジーが持っていたいわゆる道徳的、倫理的な枠組みは敢えて捨て去られており、その意味で非常に「現実的」で、リアリスティックなファンタジーとなっている。弱者は滅び、強者が生き残る、まさに弱肉強食の世界が繰り広げられる。

その意味で、最初見たり読んだりしたときは、より強い刺激を求める現代社会がこのようなファンタジーを要請し生み出したのかとも思ったものだが、よりリアルな古代社会、中世社会を描こうとすると、ある程度はこのような混沌と非倫理的、猥雑なものであり、その意味で人間の強さ、弱さが非情に描かれているのかも知れないと思う。

作者は、特別な話法を用いて、膨大な登場人物と広大な世界のストーリーを紡いでいく。この話法に慣れないうちは違和感があるが、慣れてしまうと、神の視点ではないこの話法は、とても合理的で素晴らしいと思うようになってきた。

趣味に合わない向きも多いとは思うが、興味があればWIKIPEDIAなどで調べてみてはいかがだろうか?

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2015年9月24日 (木)

いただいた栗を栗菓子にして食べた

妻が近所の知り合いから栗を沢山いただいた。ざっと数えて100個ほどはあっただろうか。すべて毬(いが)から外し、洗ってきれいにしたものをいただいたのでありがたかった。

栗は子どもの頃食べた生栗が美味しかった記憶もあるが、料理にはなかなか手間がかかる果実ではある。今回は外していただいたのだが、まずは硬い毬から取り外し、手ごわい外皮を外し、さらに剥きにくい渋皮を剥いて、初めて薄黄色の食用になる実の部分が現れる。それぞれ刃物が必要なので、慎重に扱わないと思わぬ怪我をすることがある。

今回は妻が虫出しのためしばらく水に漬けておいた後、茹で栗にした。特に目当てはなく、半分に割ってスプーンでほじって食べればいいと思っていたようだ。

食のジャンルのたびに登場するテレビの「ケンミンショー」だが、今回はこの番組ではなく、久しぶりに「アド街ック天国」をちょうど見たことで、茹で栗の「加工」法のヒントを得た。

このテレビ東京の名物番組だた、放送1000回を記念した後、司会の愛川欽哉氏が逝去し、その後この番組を見なくなっていた。今回は、新聞のテレビ欄でたまたま長野県上高井郡小布施町が特集されるというので、放送を録画しながら楽しんだ。

葛飾北斎と栗の里と知られる小布施町の特集なので、予想通りその二つがメインだったが、地元の人の栗の食べ方が紹介される場面があった。茹で栗を簡単に裏ごしして、布巾で絞って食べるという栗の茶巾絞りが紹介された料理で、特に砂糖を加えることなく、小布施栗のよさをそのまま味わう素朴なお菓子のようだった。

これを参考にして、5連休の4日目9/22の夕食後に、茹で栗の加工を始め、ほんの1、2時間で以下の菓子を作ってみた。

【栗の茶巾しぼり】

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①100個ほどの茹で栗を包丁で慎重に二つ割にして、スプーンで中身を穿(ほじく)り出す。

②そのままで食べても栗の味わいが美味しいが、少し砂糖を加えて、すりこぎ棒で潰す。

③それをラップに適量とり、茶巾絞り状に絞ると、意外に崩れずに軽くまとまった。食べてみるととてもおいしい。

④テレビ録画を見直すと、金笊で簡単に裏ごししてそれを茶巾で絞っていたので、妻に裏ごし器とゴムベラを出してもらい、初めて裏ごしなるものをやってみた。大根おろしとは違い漉すための繊維の裏側に茹で栗の湿った粉末が付くので、それをボールに慎重に取りながら、絵結構な時間をかけて裏ごしの栗を作る。

⑤ラップでまとめるのは妻に任せたが、しっかり絞っても硬くはならず、開いて食べると崩れはせず、口に入れるとホロホロと口中で崩れる、上品なお菓子ができあがった。あとはそれを緑茶などと一緒に味わう。

【栗餡】

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①上記②を適量小鍋に移し、少量の水と、適当な砂糖を加え、弱火で焦げ付かないように煮詰める。

②冷めたら出来上がりなので、あとはそれを緑茶などと一緒に味わう。

下拵えは大変だったが、そのあとは意外にも簡単に栗菓子の原型的なものを作り、楽しむことができた。

小布施の栗菓子は、信州土産の王様のような地位を築き、比較的高価ながら食べる機会はこれまで多かった。栗羊羹、栗かのこ(すべて栗と栗餡の金団)、栗らくがん(これには栗は入っていないらしいが)、栗おこわ、栗味のソフトクリームなど。

ビギナーズラックなので自画自賛しても仕方はないが、収穫されたばかりの地元の栗で作る素朴な菓子は、それら銘菓にも増してとてもおいしいものだった。特に栗餡は、裏ごしをしないままだったので、栗のかけらの大きさが不揃いのままでもあり、それがかえって野趣を感じさせ、また食感も楽しく、まさに砂糖以外には混じりけのない栗を十分楽しめたのだった。

一昨年だったか、ブルーベリージャム作りも意外に簡単で美味しかったのだが、身近な食材を自分で料理するというのは、すごく楽しいものだ。

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