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カテゴリー「Bartok」の18件の記事

2010年7月17日 (土)

デジタルオーディオプレーヤーHMP-X904 (日立リビングサプライ)

携帯電話のオーディオプレーヤー機能は別として、我が家としては初のデジタル音楽プレーヤーが長男が最近まで所属していた会からの記念品としてプレゼントされて入り込んできた。

このような携帯デジタル音楽プレーヤーとしては、アップルのアイポッドがあまりにもポピュラーで、その他ソニーも対抗機種を発売している程度の認識しかなかったが、日立でもこの系列の製品を作っているのを初めて知った。

公式サイト によれば、X934という機種が現役で、このX904は既に生産終了品とのことだ。

価格.com情報 によれば、非常に廉価なデジタルプレーヤーの仲間らしい。

包装箱をためつすがめつしてみたが、生産国の表示がないようだが、さすがの日立グループで、内部の梱包や説明書などは整然としている。(ネットで検索すると、生産国はどうやら中国のようだ。)

さて、肝心要の音質や操作性だが、オープン価格の廉価品ということもあるのだろうが、付属の(ステレオ)イヤホンで聴く限りは非常にチープで貧相な音しかしない。弦楽器の音は特別なイコライジングをかけたような金属的な音がするほどだ。イヤホン自体外観は丁寧に製造されているのだが、廉価なプレーヤーの付属品なので恐らく非常に廉いものなのだろう。

これを廉価とは言え音質的には悪くないソニーのMDR-E10LP に交換して聴いてみると、弦楽器の音の変質は無くなり、フルオーケストラでもそれなりに聴ける音質になった。

マニュアルによるとWindows Media Player (WMP)との同期が第一推奨だが、iTunesで取り込んだmp3をフォルダごとUSB接続したプレーヤーにコピーアンドペーストしてやることもできる。WMPは使っていないので、後者の方法で、長男のリクエストでチャイコフスキーの交響曲、協奏曲、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ独奏曲などを聴けるようにした。

価格.comのレビューやクチコミなどで指摘されているバックグラウンドノイズ(ジーという音)は気にならない。

比較的録音の新しいアシュケナージの「四季」に収録の「瞑想」Op.72-5のフォルテでも音割れはなく微妙な残響やペダルでのピアノの響きも聞き取れる。結構相性がいいかも知れない。

レヴァインとヴィーンフィルによる三大バレエでも、弦のトレモロの粒立ちもしっかりしているし、フォルテッシモでも混濁は少ないようだ。

私がPCでiTunesで聴く音よりは良いようだ^^; (こう書くとどんな貧相な音質で聴いているのかとからかわれそうだが、ソリッドステートプレーヤーはファンの風切り音やディスクの回転音が無く、DC電源であることも結構アドバンテージがあるようだ)

操作性的には、iTunes用の曲名、演奏者情報がID3タグに書き込まれているのだが、英語表記で詳細に入力しているので、小さいディスプレーでは読み取りにくいのが玉に瑕だ。それでも情報はこんなふうにきちんと表示してくれる。

Tchaikovsky: Symphony No.5 in E minor, Op.64 - 1. Andante - Allegro con anima

4GBものフラッシュメモリー搭載なので、192kbpsのビットレートで、約720曲(3分/曲として36時間)もの曲の取り込みが可能だが、少々小ディスプレーのため曲の検索がまだるっこしいのも気になるところだ。しかし、PCのフォルダの階層構造と考えて慣れればそう分かりにくくも無い。

この程度の廉価プレーヤーでも、結構聴けると分かったのは収穫だった。長男は結構楽しんでくれることだろう。

ただ、思えば 2005年2月24日 (木) バルトークとiPodとSACD のとんがっていたスタンスからは遠くへ来てしまったものだ。

2009年11月18日 (水)

ブルックナーの初期交響曲 第0番、第1番、第2番(インバル指揮フランクフルト放送響)

今晩は、少し夜更かしをしている。

先日も書いたが、ウォーキングに凝り始めてからは、パソコンに触ることや、本を読むこと以外にも音楽を聴くことも少なくなった。ある時期は、ほぼ毎日のようにiTunesに取り込んでは、イアフォンで音楽を聴きながら寝入るというようなことをしていたのだが、未だ相当取り込み残しがありながら、結構長い期間ほったらかしになっている。

このところで、少し真剣に音楽を聴いたと言えるのは、ズービン・メータとヴィーン・フィルの来日公演がNHKで放送され、すっかり音楽マニアになった長男と一緒に、そのビデオ録画を見たときくらいだ。ヴィーン・フィルにも女性リーダー(コンサートミストレス)が誕生したようで、一曲目のバルトークのオーケストラのための協奏曲は、その女性がコンミスを務めたものだった。メータとVPOがバルトークをやるというのは、非常に珍しいものだと思うが、アメリカで作曲されたこともあり、これまでアメリカのオーケストラによる録音を数多く聴いてきた耳にとっては、ヴィーン・フィルのオケコンは、とてもユニークに聞こえた。個々のソロ奏者は巧いことは巧いのだが、ブラスセクションは独特の音色が少し違和感を感じさせたし、終楽章などは、少しアンサンブルの緩さも感じたりしたが、総じて面白い演奏だった。続くベートーヴェンの第7交響曲は、まさに堂に入った演奏で、それより前にやはりテレビ放送で聞いたプレトニョフ指揮のロシアのオーケストラのユニーク過ぎる演奏とはまったく違っていた。

Bruckner_sym_0_inbal
  さて、そんな乏しい音楽生活だが、本当に久しぶりにCDを購入したのが、ブルックナーの第0番(1869 Ed. Leopold Nowak [1968])、第1番(1877 Linz version with revisions - Ed. Leopold Nowak [1953])、第2番(1877 First Critical Edition - Second printing. Ed. Leopold Nowak [1965])というあまり演奏されない曲。第0番は、今年の春だったか下野竜也指揮の大阪フィルのCDを近所のCD店の閉店セールで何と90%オフで購入していたので、以前に聴いたことがあったが、第1番と第2番の音盤はこれが初めて。

インバル指揮のフランクフルト放送交響楽団によるブルックナーは、テルデックへの録音で、用いた楽譜のバージョンの多くが初版かそれに近いものということで、特徴があり、話題になったものということは知っていたが、聴いてみると、大変鮮明で輝かしい響きを聴くことができ、とても面白かった。

Bruckner_sym_1_inbal
第1番も第2番も初めて聴く曲とは言え、ブルックナー独特の金太郎飴的な形式で作曲されているので、形式的な把握に苦労することはなく、音楽の素材の清新さに相当感激した。ブルックナーはともすれば、相当野暮ったい音楽に聞こえることもあるが、インバルの指揮・解釈の賜物か、特に第2楽章の緩徐楽章は、第3番以降の傑作群に比べると、完成度では劣っているのかも知れないが、ナイーブな魅力があり、とても美しいものだと感じた。

まだまだ聞き込めてはいないが、作曲家の比較的初期の作品、チャイコフスキーやドヴォルザークなどの交響曲の初期作はあまり聴いたことがないので、同様に楽しめるかも知れないというような予感がする。

Bruckner_sym_2_inbal

2009年6月11日 (木)

コレルリの合奏協奏曲集作品6全12曲 ピノック/イングリッシュ・コンサート

Corelli_concerti_grossi_pinnock


トレバー・ピノック指揮(チェンバロ)、イングリッシュ・コンサート 1987年、1988年録音

久しぶりのディスク音楽記事。iTunesへのデータ取り込みが毎日の音楽生活の多くを占めていて、ゆっくり鑑賞することがないのが原因。以前は、購入して聴いたばかりのCDの感想を書き留めておこうとか、以前からの愛聴盤の紹介をしようとか、同曲異演の楽しみを語ろうとか言う動機で書くことが多かったが、最近は記録と整理が主目的になっているようで、少し本末転倒気味。

さて、バロック時代の器楽、コンチェルト・グロッソの創始者として名高いアルカンジェロ・コレルリ(1653-1713)のコンチェルティ・グロッシ(複数形は、最後のOがIに変化)作品6、全12曲の録音。

第8番ト短調が、「クリスマス・コンチェルト」として有名だが、作曲者が高名な割りにその他の曲をディスクで聴くのは初めて。非常に廉価で入手できたので、あいも変わらず、iTunesに取り込んで聴き始めた。

演奏は、1980年代のピリオド楽器によるバロック時代の楽曲演奏で大活躍したトレヴァー・ピノックとイングリッシュ・コンサートによるもの。何しろ、小学館のバッハ全集(Archivとの共同企画)の第14巻協奏曲、管弦楽曲のほとんどが彼らの演奏だったのだから、その凄さをおしてしるべしというところだろう。

コレルリの合奏協奏曲は、いわゆるコンチェルティーノ(独奏群ヴァイオリンとチェロ)とリピエーノ(伴奏群)の協奏形式の嚆矢だが、全12曲は様々なスタイルをとっているようだ。

楽章数も、第1番ニ長:7, 第2番ヘ長:4、第3番ハ短:5、第4番ニ長:4、第5番変ロ長:4、第6番ヘ長:5、第7番ニ長:5、第8番ト短(クリスマス協奏曲):6、第9番ヘ長:6(舞曲名のついた組曲風の構成)、第10番ハ長:6(第9と同じ)、第11番変ロ長:6(同前)、第12番ヘ長:5(同前)、というように4楽章から7楽章で、急緩急、緩急緩という順序も一定ではない。

(64トラック、2.1時間)

その意味で、もう少し後世のヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハの協奏曲の次第に確立されていった3楽章のスタイルよりも多彩と言えるかも知れない。

まだ一曲一曲楽しんでいる段階だが、楽想的には、演奏スタイルも大きく寄与しているのだと感じるが、古くさいイメージを覚えることなく、むしろ新鮮な面白さを感じることが多い。ただ、必ずしも「個性的」な楽想とばかりとは言えず、単調さも感じることも否めない。それでも、このような音楽を聴くにつれ、音楽王国だったイタリアという「反音楽史」の主張もうなづける。

コレルリより少し後輩のヴィヴァルディが確立した独奏楽器と合奏による独奏協奏曲の成立の方が、協奏という意味では自然に成立するものような気がするのだが、音楽史も、複旋律による対位法から単旋律と和声へと考えようによっては単純化されてきた歴史があるので、必ずしも単純から複雑へという流れが自然というわけではないのかも知れない。Mた、J.S.バッハは、独奏楽器と合奏によるチェンバロ協奏曲を多く作曲しながらい、ブランデンブルク協奏曲では、多彩なコンチェルティーノとリピエーノによる合奏協奏曲の最後の輝きを現出させた。もちろんヘンデルの作品3と作品6も忘れることはできない。

以前取り上げたショーソンのコンセールは、ピアノとヴァイオリンのデュオがコンチェルティーノで弦楽四重奏曲がリピエーノとして書かれているもので、先祖 帰りではないが、この合奏協奏曲の形式を参考にしたものだろう(が演奏効果的にはコンチェルティーノとリピエノーノ対比はあまり明瞭ではない)し、古典派やロマン派の協奏交響曲(モーツァルト、ハイドンなど)、複数楽器のための協奏曲(ブラームスなど)も基本的な基本思考は別なのだろうが、外形 的には独奏群と合奏群の協奏と対立とが構成要素になっている点は共通のようだ。近代で最もこのアイデアを巧く取り入れた有名曲は、バルトークの管弦楽のた めの協奏曲だろうか。

2009年2月 1日 (日)

今日のリッピングは主にバルトーク

iTunes 8 の スマートプレイリストは大変便利で、自分が以前から実現したかった作曲家、ジャンル、演奏者、録音年などの情報を検索キーにして、自動的にリストを作成してくれるので、大変面白くてはまってしまっている。

今日は、金曜日から土曜日の朝に掛けての暴風雨もおさまり、朝から雲ひとつない天気だった。南の窓を開けると、今日から2月で立春も2月4日と間近なこともあり、春風のような暖かさだったが、北の窓を開けると一転して身を切るような強風が吹いており、同じ建物の南北で季節の差ができているようで驚いた。

長男のスキー合宿に備えて、先日の帰省の折に、雪国ならではの量販店の品揃えに助けられて非常にリーズナブルなスキーウェア一式を購入できたので、市内にある人工スキー場に出かけようかという話も出ていたが、朝からどうものんびりしてしまい、結局室内で一日過ごしてしまった。そんなわけで、私はリッピングに勤しんだ。

バルトークでは、ミシェル・ベロフの1970年代のEMIへの録音のピアノ曲集。バルトーク自作自演のコントラスツやラプソディ1番、ヴァイオリンソナタ2番。委嘱者クーセヴィツキーの指揮によるオケコン。ジュリアード四重奏団の2回目の録音(初のステレオ)で、4番が1枚目と2枚目のCDに分けて収録されたCDを巧くつながるように、番号順にリッピングしたりして過ごした。久々に4番の弦楽四重奏曲を通して聴いたが、すごい緊張感と解放感(カタルシス)のある曲だと思った。また、アルゲリッチとコワセヴィッチによる2台のピアノと打楽器のソナタもリッピングして聴いたが、こちらもすごい。ライナーの『弦チェレ』も恐るべき演奏だということを再認識した。ブロンフマンとサロネンのピアノ協奏曲も改めて聴きなおしている。

他に、パレストリーナのミサ曲集(プロ・カンティオーネ・アンティクア)や、アダム・フィッシャーのハイドン交響曲全集の取り込みも開始したが、まったく眠らせておいた音盤の多いのには我ながら呆れるし、こうして整理しておくと、つまみ聴きは多くなるが、私のスタイルのようなリスナーには相当利便性が高まるようだ。

2009年1月12日 (月)

パソコンでのリッピングの音質の変化、のようなもの

mp3に変換したデータは、原理的には圧縮データなので音質は劣化しているはずだ。しかし、ノートパソコンのイアフォンジャックからステレオイアフォンで実際に聴いてみると耳あたりがよくなり、いつもの古いポータブルCDプレーヤーで聴くよりも特に解像度が向上しているように感じるのが不思議だ。

音の鮮度というようなものは失われている感じで、少しベールが掛かったというか大人しい感じの音になっているのは否めないけれど、mp3の音質劣化ということが先入観としてあったので、結構意外だった。

これは、パソコン付属のDVD/CDドライブの読み取り精度が携帯CDプレーヤーや旧式の据え置きCDプレーヤーなどよりも優れているという要因もあるだろうし、また読み取り時のエラー補正もよく効くだろうし、また再生時にはHDDからのデータ読み出しになるため、通常のCDプレーヤーでの再生時よりも欠落する情報が少ないだろうことなどからもたらされるのかも知れないと思った。

以前、生意気にも「バルトークの耳の良さと、20kHz以上の高域音波をばっさり切り捨てるディジタル音楽再生、SACDのこと」を記事にしたことがあったが、圧縮音楽情報も実際に体験してみると、まったく捨てたものではないと、論より証拠で、驚いてしまった。

思い返せば、これは我が家の据え置きCDプレーヤ系の特徴かプリメインアンプのそれかはよく分からないが、最近はとんと使わなくなったカセットデッキにCDをダビングした方が、聞きやすい音質になったということが以前はよくあった。このあたりは、どのような理屈なのだろうか?

なお、昨日は、クルト・ザンデルリング指揮フィルハーモニア管によるベートーヴェンの交響曲全集をiTunesでデータ化した。リンクした自己記事でも触れたように、第1交響曲の扱いがとてもひどい詰め込み方になっているもので、とても安心して聴ける代物ではなかった。これをきちんと楽章順に整理してデータ化することにより、不愉快な思いをせずに聴けるようになった。narkejpさんのクーベリックのドヴォルザーク交響曲全集の記事と同じようにHDDへのコピーにはこのような利点もあることが実感できた。

据え置き型のHDDプレーヤーについては、以前調べたことがあったが、今はどうなっているのだろうか?(参考記事

2008年9月19日 (金)

『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(伊東信宏著 中公新書1370)

以前から読みたかったこの本をようやく8月末に「書店で」購入でき、先日読了した。

USAに移住する前に訪米した折にシゲティとワシントンの国立図書館でデュオリサイタルを開き、その時の録音が現在CD化されて、ブダペスト音楽院のピアノ科教授バルトーク・Bのピアノの腕前を聴くことが出来るわけだが、コダーイ・Zとともに東欧の民謡研究を行ったということは彼の小伝にも必ず登場する話とはいえ、その詳細はほとんど知ることがなかった。この新書は、知っているようで知らない「民謡研究学者」としての面からバルトークの生涯に焦点を当てた本で、この書籍は吉田秀和賞を受賞しているという。

新書ということで、一般向けの記述であり紙数は限られているが大変中身の濃い本だった。オーストリア・ハンガリー二重帝国下でのバルトーク達の日常生活では、彼らはチェコのスメタナがそうだっように一般的にはドイツ語が使用され、バルトークが受けた音楽教育も、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが主だったのだという。(モーツァルト、シューベルトは少し軽視されていたらしい)。

その中で、民族意識、ナショナリズムに目覚めながら、さてハンガリーの音楽とは何かと求めたのが、民謡を研究するきっかけだったようだ。というのも、いわゆるハンガリー風、東欧風は平行5度の使用や、五音音階の使用によって、「それらしい」風を漂わせたいわゆるお土産品的な音楽が多く、真性な民族音楽というものが見出しがたく、またリストやブラームスのハンガリー風の音楽も都会化したジプシー音楽(ロマの音楽)が主要素であり、それに対してバルトークは極度に批判的だったという。

面白いエピソードとしては、ラヴェルがヴァイオリンとピアノ(後にオーケストラ)によるリスト風の『ツィガーヌ』を作曲したのに対して、バルトークがその後、ラプソディー第1番、第2番という「リスト的」なハンガリー狂詩曲のモデルに従ったかのような曲を作曲したことだ。

なお、バルトークとコダーイによるヒガシヨーロッパ(及び北アフリカ)の民族音楽の研究は、分類上の困難や、分類の恣意性(非科学性)などがつきまとい、膨大な民謡と歌詞の集積にも関らず、必ずしも学問的に体系だった業績にはなっておらず、音楽的にはそれほど高い評価を得られていないというのはこの本を読んでの印象なのだが、体系的にはそうだとしても、蒐集家、マニアとしてのバルトークの克明な記譜を見ると鳥肌が立つほどの驚きが感じられる。学問体系としては完熟しなかったのかも知れないが、バルトークの音楽には民族的、民俗的な素材が再び命を授かったかのように、そのシンメトリーや鏡像的な音楽構成の中で生き生きと活動しているというのが、素人である私なりのこの本を読んでの結論だろうか。

その他、面白いエピソードとしては、p.179 に日本の言語学者である徳永康元氏がブダペストに1940年代に留学しており、その従弟である柴田南雄氏に徳永氏が買い求めたバルトークの楽譜を送り、それを元にして柴田氏がバルトークの作品の詳細な分析を書いたというのがあった。音楽之友社の名曲解説全集のバルートークの弦楽四重奏曲などは柴田氏の解説だが、非常に簡潔なものなので、どこかでその有名な詳細な分析を読んで見たいものだと思わされた。

2008年7月31日 (木)

ベニー・グッドマンとブダペストQ、シゲティ、バルトーク、トスカニーニ

Goodman_bartok_szigeti_toscanini 昨夜は、職場の暑気払いで少々ビールの量が過ぎて、帰宅後、ヘルベルト・ケーゲルの『展覧会の絵』を聴き、相当ユニークな演奏だと思いながらうたた寝をしてしまい、目が覚めたら夜中の1時半で、結局ブログ記事も、いただいたコメントへの返事も書けずに終わってしまった。

今日は久しぶりに、音楽を聴き、ブログを読み、書いていられる。

帰途、その道を通るときには必ず立ち寄るブックオフがあり、そこのクラシック音楽のCDの品揃いはあまりよくないのだが、たまにあれっという珍盤があり、今日もそこで、表題の演奏者たちによる珍しいヒストリカル録音のCDが廉価で入手できた。

モーツァルトのクラリネット五重奏曲 1938年録音 グッドマンのクラリネット ブダペスト弦楽四重奏団(ヨーゼフ・ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、ボリス・クロイト、ミッシャ・シュナイダー)によるもの。ブダペストQは、ノイエ・ザッハリヒカイトの影響か、非常にすっきりした解釈。グッドマンは崩すこともなく巧い。

2曲目は、バルトークがグッドマンに献呈したあの「コントラスツ」を、その当人グッドマンと、ヨーゼフ・シゲティ、ベーラ・バルトークが演奏したもの。1940年録音。比較的マイルドな解釈。

そして、3曲目は、トスカニーニとNBC響が アール・ワイルド Earl Wild というピアニストと珍しく?ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを演奏したもの。クラリネットパートにグッドマンが参加という形なのだろうか。1942年のライブ録音。このコンビによる強烈なスフォルツァンド(アクセント)のついた演奏なのだが、比較的に残響が多めに取られているため、音の鮮度はあまりないが、結構聞きやすい音楽になっている。演奏としてのメリハリは、これまでいくつか聴いたものの中で随一の録音だ。

CEDAR CD48047 という型番のCDで、すべて英語表記なので、おそらくUSA製だと思うが、いずれも聴き応えのある録音だった。

追記:検索をすると、ナクソスのミュージックライブラリでは、第1曲目を聴くことができるようだ。同じく2曲目も「バルトーク・アト・ザ・ピアノ」という組み物の中で聴ける。また、第3曲目もNMLには入っていないようだが、ネット上ではPDとして聴けるようだ。

2008年7月19日 (土)

小澤征爾のEMI録音選集 BOX SEIJI OZAWA conducts・・・

ようやく、関東、甲信越地方も「梅雨明け」宣言が出た。朝から日差しが強烈で、35℃以上を猛暑日と言うらしいが、山梨県の甲府の近くでは体温を上回る37℃を越す気温を記録したという。確実に夏は暑くなっているようだ。ただ、梅雨明けというのに蝉の声が、前の寺の巨木の森から聞こえてこないのが、少し気にかかる。

Seiji_ozawa_emi_7cdsこれまで小澤征爾の録音は、もっぱらフィリップス、ドイツ・グラモフォン(テラーク、RCAも数枚)で聴いて来て、音盤で持っているEMI録音は、LPのパリ管弦楽団とのストラヴィンスキー『火の鳥』全曲だけだったと思う。このLPは、CDへの切り替え期の直前に購入したこともあり、いい演奏、録音だとは思いながらあまりじっくり聴けないままでいた。

先日、生活圏に数軒あるブックオフの内、時々クラシック音楽関係のいいCDが売られている店を久しぶりに覗いてみたところ、 "SEIJI OZAWA conducts・・・" という 数年前、HMVの店頭かどこかで見かけたDisky 社発売のEMI録音のオムニバス的な選集7枚組みが売られており、以前から聴きたかった初期のシカゴ響との録音などが含まれていたので、購入して聴き始めた。

(残念ながら一枚目の最後の部分の音飛びがどうしても直らずに落ち込んだが、)若き日の小澤征爾の指揮はEMI録音と今回のリマスタリングの所為もあるのだろうが、結構解像度が高く、いわゆる中心メロディー偏重に聞こえ、副次的な声部がおろそかに聴こえるような傾向の最近の指揮とは違い、対旋律や副次的なモチーフなども立体的に演奏され、それに加えてキビキビとした若々しいリズムと、本当に繊細な魅力を持つメロディーの歌わせ方、豊富な色彩感のあるオーケストラの演奏など、大変魅力のある演奏が多く、驚かされた。

シカゴのラヴィニア音楽祭への抜擢は小澤征爾の演奏史の中では、それほど大きく取り上げられないように感じるが、何しろあのフリッツ・ライナーの鍛え上げたシカゴ交響楽団をそれこそ新鮮な感性で指揮したバルトークのオケコンや、ものすごく繊細な魅力に溢れた『シェエラザード』など、立派な演奏・録音として、他の「名盤」とされるものに十分に伍すだけの力があるのではないかと感じた。これなら、時代の寵児として世界中で引っ張りだこになったのも無理はないと思わせるだけの魅力に溢れていた。

小澤征爾専門のHPは意外にもあまり見かけないのだが、昨日R.ゼルキンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の記事を書き、それへいただいたコメントに対する返事を書いているときに偶然、このディスコグラフィーを発見することができた。

Seiji_ozawa_emi_list 世界のメジャーレーベルでは、最初RCA録音が多かった、1969年ごろからシカゴ響を指揮した録音がEMIで発売され始めている。1970年代は、DGとPhilips が主だが、1980年代になってフランス国立やベルリンフィルなどとまたEMIにも録音をしており、これらの録音はこれまでほとんど聴いたことがなかったものだった。

特に上記で触れたバルトークの「オケ・コン」とリムスキー=コルサコフ『シェエラザード』は、特筆すべき演奏だと感じた。いずれ、詳しく感想を書いて見たいが、こういうことで、小澤征爾の演奏史の中でも非常に魅力的な時代として1960年代末を忘れることはできないと感じるようになった次第だ。

HMVのサイトによると現在このボックスセットは廃盤だというが、このほかにも1960年代にCSOと入れた『春の祭典』『展覧会の絵』、チャイコフスキーの5番、いわゆる『運命』『未完成』にも興味がある。

追記:2009/6/16 同じボックスセットのシンフォニエッタ、オケコン、ガランタ組曲などを取り上げられgeezenstacの森 小沢征爾のシンフォニエッタ にコメント、トラックバックさせてもらった。せっかく『1Q84』で取り上げられたのに、小澤氏本人が若い頃の録音ということであまり再発を望んでいないのだろうか。

2006年10月15日 (日)

バルトーク 弦楽四重奏曲 第4番 Sz.91 ハンガリーSQ, ABQ,ジュリアードSQ

バルトーク・ベーラ(1881-1945) 弦楽四重奏曲 第4番 Sz.91(1928)

Bartok_sq_hungary ハンガリー弦楽四重奏団 (セーケイ、クットナー、コロマゼイ、マジャール) 

〔1961年6月,9月、ハノーファー、ベートーヴェンザール〕 

Allegro 6:02/ Prestissimo, con sordino 2:59/ Non troppo lent 5:40/ Allegretto pizzicato 2:46/ Allegro molto 5:41


Bartok_sq_julliard1963 ジュリアード弦楽四重奏団 (マン、コーエン、ヒリヤー、アダム)

〔1963年5月15日、16日〕

5:47/2:47/5:44/2:55/5:25


Bartok_sq_albanbergqアルバン・ベルク四重奏団(ピヒラー、シュルツ、カクシュカ、エルベン)

〔1983年-1986年、セオン、エヴァンゲリスト教会〕 

5:59/2:50/5:20/2:54/5:34


バルトークの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の後継であり、傑作揃いだという話をよく目にしたものだった。学生時代にエアチェックを盛んにしていたときにたまたま録音したのは、ブランディス四重奏団による第6番だったと思う。同じバルトークでも「オケコン(管弦楽のための協奏曲)」には早くから親しんでいたのだが、当時弦楽四重奏曲ではベートーヴェンのラズモフスキー第1番(「第7番」)や七楽章の第14番にはぞっこんだったが、バルトークとなると歯がたたず、ずーっと(聴く上での)難曲の地位はゆらがなかった。

どんなきっかけかは忘れたが、バルトークの6曲の弦楽四重奏曲を初めて聴いたのは、ようやく2000年の秋だった。ちょうどCDプレーヤーを持ち歩いていたので、早速喫茶店でCDを開封して聴き始めたのだが、まったく耳に入って来ないのには閉口した。あまりに異質な音楽なので自分が何を聞いているのか、頭が理解できないのだ。その後、上記リンクのホームページにも書いたが、図書館でスコアを追いながらタカーチュQのCDを聴いたり、廉価盤のABQ、ジュリアードSQと購入して様々なアプローチを試み、聞き比べる内に次第にこの第4番が耳なじみになってきた。無調に近いと言われ、リズムも複雑で覚えにくい音楽ではあるが、それでも第4番などは、第1楽章に執拗なモチーフの繰り返しがあるので、そのモチーフを耳が自然に記憶したりしてきたし、第5楽章のバルトーク的な疾走感のある猛烈な音楽に共感を覚えたりもしてきた。

ハンガリー弦楽四重奏団のゾルタン・セーケイは、バルトークにヴァイオリン協奏曲第2番を委嘱したこともある名ヴァイオリニストで、この四重奏団員全員がハンガリー出身でバルトークの音楽への共感は非常に強くこれらの曲集の十字軍的な位置にいた団体のようだ。たまたま店頭で見つけて初めはこのCDから入門したが、その後特にジュリアードSQの録音を聴いてからは、このハンガリーSQの音程が少し甘いのではないかと感じられるようになった。初めの頃分かりにくいと感じたのはその辺りも関係しているのかも知れない。それでもジュリアード、ABQと聴いてきて、またハンガリーSQに戻ると、味のある演奏だという感想を持つ。

ハンガリーSQの次に聴いたのはABQ。これはレコードアカデミー賞を受賞するなど、一時期はバルトークと言えばまず第一に指を屈すべき録音として知られていた。それほど有名な録音だったが、FM放送などでも耳にした記憶がなく、このCDを買って聴いたのが初めてだった。これは、粗いほどの迫力を持つハンガリーとジュリアードに比べて、響きが豊かで微妙な音色の差異がはっきり聞き取れ、また各奏者とアンサンブルとしての技量も高度だということもあるのだろうが、不協和音も決して濁ってはおらず美しいバルトークになっている。もちろん音楽の性質上、アグレッシブで孤高な本質は変わらないのだが、色彩が感じられる音楽になっている。
 ABQは、学生の時に来日公演(仙台)を聴くことができた弦楽四重奏団で、この録音のメンバーはそのときのメンバーであり、非常に親近感がある。惜しくも近年ヴィオラのカクシュカ氏が逝去されてしまったが、宮城県の古い県民文化会館での演奏を今でも思い出す。

Bartok_sq_julliard_1963_cd最後に聞いたのは、ジュリアードSQの2回目の録音。ジュリアードSQの精密な表現により、バルトークの弦楽四重奏曲の本格的な演奏が始まったとも言われるほどで、音程やリズムなど今聴いてもビシっと決まっているようだ。この録音を聴いてから、バルトークの音楽の構造、形式のようなものがおぼろげながら分かって来たように思う。ヴェーグやケラー、エマーソン、近年のハーゲンなどの録音を聴いていないのだが、バルトーク演奏史上期を画すという意味で画期的な演奏だったという評もうなずけるものがある。なお、ジュリアードのCDは、Sony Franceが初CD化したもののようだ。なお、CDそのものは、CD番号は入っているが、曲目、演奏者情報がまったく記載されていない非常に珍しいものだ。

バルトークの弦楽四重奏曲は、親しめるようになった今でも決して聞きやすい音楽ではない。特にこの第4番は、バルトーク中期の傑作で、無調に近い調性。鏡像的な対称形式 ABCBA。特に第1楽章のモチーフが躍動的なリズムの第5楽章で効果的に再帰するのは印象的。第2楽章は、猛烈なテンポのスケルツォ的な音楽。第3楽章は、いわゆる夜の音楽。民謡的なモノローグが印象的。ここではハンガリーSQがいい味を出している。第4楽章は、チャイコフスキーの交響曲第4番と同様全曲ピチカートによる音楽だが、バルトークピチカートが効果的に用いられている。そして終曲はバルトーク的に疾走する曲。

漫然とは聴けず、猛烈な集中力と体力を要する曲だ。付き合いにくい存在だが、じっくり辛抱すれば音楽的に得るものがあるというところだろう。以前、前日に記事をアップしたヴァーグナーの『ニーベルングの指環』を聞いたあとで久しぶりにバルトークを聞いたところ、「ヴァーグナー以前と以後、ヴァーグナーの克服」というものが分かったような気がしたのも収穫のひとつだった。

*関連記事 2003年11月12日 第3番

2006年7月15日 (土)

バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 チョン(Vn) ショルティ/LPO

Chung_bartok_stravinskyバルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112(1937/8)
ストラヴィンスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調(1931)
チョン・キョンファ(Vn) ショルティ/ロンドン・フィル (バルトーク) 〔1976〕
              プレヴィン/ロンドン交響楽団(ストラヴィンスキー) 〔1972〕

このバルトークの傑作と評されるヴァイオリン協奏曲第2番は、これまでNaxos盤(ハンガリー生まれの名ヴァイオリニストのジョルジ・パウクのヴァイオリン、ショパコンの指揮者とオケであるアントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団 カトヴィツ、第1番と第2番を収録)を入手して何度となくトライした曲だったが、他のバルトークの難曲たちと同様、難攻不落を誇っていた。トライしてもはね付けられることが多く、どうにもなじめないでいた。(この演奏のほかに、五嶋ミドリとメータ盤も聞いたことがあったが、こちらもなじめずにいた。)

ところが、このチョンとショルティによるこのCDが入手でき、それほど期待せずに聞いてみたところ、パウク盤よりもなぜか耳に入りやすく、なぜかずっと理解しやすく感じた。理解できるからと言ってこちらが名演で、あちらが名演ではないとは言えないのだし、どこが違うと要領よく文章化するのは困難なのだが、なるほどと思った指摘は、パウクはなるほど名手だがソリストとしての身振り手振り(表現力の大きさ)がそれほどある方ではないので、大向こうを唸らせるようなアピール力があまりないというものだった。そういう点で聴いてみれば、チョンのヴァイオリンは、ソリストとして生まれてきたと言えるほど集中力が高く激しいものだし、ショルティの指揮するロンドンフィルは、バルトークを得意とするショルティだけあり、ヴィトのオケよりも明瞭であいまいさが少ないように聞こえる。

このCDの記事をいつかアップしようと思っていたところ、blog「音に巡る思い」のエントリーを読ませていただき、ようやく記事にすることができた。

バルトークの難解な曲たちは、弦楽四重奏曲でもようやくその複雑なリズムと独特なメロディ、不協和音になれて、ところどころのパートを諳んじられるようになるほど聞き込むと、突然魅力を現してくれるようなところがある。そういう意味で、協奏曲という分野は大勢の聴衆向けのアピールをする曲種でもあり、この曲も盟友セーケイからの委嘱によって作曲されたものだから、セーケイのヴァイオリニストとしての実力を示すものだろうとは思うが、一度聴いた程度ではまったくなじむことができなかった。(今でもピアノ協奏曲の第1番、第2番にはなじめないでいるのだが)

なお、相互リンクをいただいている「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」のシャハム ブーレズ盤の記事は、この曲の見事な解説記事になっていて参考にさせてもらっている。

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金環日食 2012年5月21日

  • 2012-05-21 07:42:31
    2012年5月21日撮影 神奈川県