カテゴリー「ニュース」の123件の記事

2009年12月19日 (土)

朝日新聞土曜be デジタルテレビの調査結果で考えたこと

今日付けの朝日新聞のbe on Saturday b10 の「地デジいれてますか?」というbeモニター6522人の調査によるとまだ地デジテレビまたは受信設備を入れていない人が38%にものぼったという。我が家もまだアナログテレビを見ている。

ただ、この記事でも地デジ機器について、廉価なデジタルテレビチューナーのことは書かれていなかった。(受信設備としては、チューナー付きの普通の地デジ対応テレビ、チューナー付きのハードディスクレコーダーなどが普通に考え付くが、この廉価なチューナーのことはほとんど普通の報道には出てこない。)

以前、 2008年6月28日 (土) 生活防衛術的なディジタルテレビ放送受信 という記事を書いたことがあったが、わが実家でこの夏休みに尋ねたところ両親も弟も、地デジを見るためには地デジ対応のテレビを買わなければならないと思っていたとのことで、実は廉価なチューナーを買うだけで、今のブラウン管テレビは壊れるまで使えるんだと話したところ、驚いていたほどだったので、世間一般にはあまり知られていないようだ。 現に、beの記事では東京79歳の男性や栃木50歳の女性が、「まだ使えるアナログテレビがゴミになる」という理由で地デジへの移行を躊躇っており、否定的な意見を述べているが、チューナーのことを恐らく知らないのだろうと思うし、記事も解説もチューナーの存在をフォローしていない。

現在は、さらに多くのメーカーが廉価で性能の向上したチューナーを発売しているのにだ。価格コムの表

デジタル対応の高性能高価格テレビを製造販売するメーカーの思惑ももちろん分かるが、地デジへの移行を急ぐ総務省としては、もっとこのチューナーを宣伝すべきではないのだろうか。そちらの方が、まだ使えるブラウン管テレビを捨てて新しいテレビを買うよりも、よほど地球に優しいはずなのだ。

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2009年11月15日 (日)

2009横浜国際女子マラソンを見物した

昨年まで東京で行われていた東京国際女子マラソンが、東京マラソンとの兼ね合いで中止になり、そのレースを横浜に移管するような形で、今年から横浜国際女子マラソンが開催されることになったようで、今日11月15日日曜日に、横浜の市街地を3回周回するという日本では珍しい周回コース型で、女子の一流の招待選手も出場して行われ、天気もよかったので、子ども達と見物に出かけてきた。

スタート直前の様子(未だ招待選手たちは入場していない)

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最初の小周回、中華街東門付近のトップ集団

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駅伝、マラソンを生で見たのは初めてだったが、結構面白かった。帰宅後、ビデオ録画を見たら、この場面でカメラを構えている私と子ども達もしっかりテレビカメラに捉えられていたのには驚いた。

子どもの頃から詳しい解説付きのトップ集団の先頭争いだけをみていたのだが、トップ選手だけではなく、多くの市民ランナーも参加する大会では、黙々と時間内完走を目指して走るランナーの姿を見ることもできる。また、トップアスリートたちとは言え、贅肉がそぎ落とされていることもあり、比較的小柄で折れそうなほど細い選手達であることを実感できる。目の前をあっという間に通り過ぎるだけで、順位などはワンセグテレビならぬ、旧式のトランジスタラジオ頼みなのだが、3回大回りの周回があるということで、場所を変えながらの応援が出来、何度も選手達を応援できるのも面白かった。

結果は、上の写真に写っている黄色のユニフォームのロシアの伏兵インガ・アビトワ、ゼッケン6番が優勝。青のユニフォームのゼッケン11番嶋原清子が大健闘の2位、そして3位にはケニアの女王ゼッケン2番のキャサリン・ヌデレバが入った。

比較的平坦なコースで、風の影響がなければ好記録が期待されたのだが、これ以上ない快晴ながら、気温も上着がいらないほどの小春日和となってしまい、あまつさえ、突風のような強風が風向を定めずに吹き荒れるという天候のためか、記録的には非常に平凡なもの(2時間27分程度)に終わってしまったのは残念だったが、何と横浜としては初めての本格的なマラソン大会ということで、多勢の観客、観光客が詰め掛けて応援していたのはなかなかよかったと思う。

ただ、最近はゴミ問題や選手に危険?ということで、応援の小旗は用いられず、代わりにネックウォーマーが主催新聞社から配られていたが、応援小物としては少し疑問だった。

横浜のマラソン大会と言えば、日産スタジアム(横浜国際競技場)に立派なマラソンゲートもあり、新横浜近辺も使ってのコース設定ができないものかとは思うが、この関東南部の膨張した巨大人口を擁する都市は、比較的平坦部が少なく、丘と谷が織り成すヤチ(ヤツ)地形の高低差のために、あまり適当なロングコースが取れないのかも知れない。むしろ、相模平野の方面の方が平坦部も多く、マラソンには適しているのではなかろうか?

 

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2009年11月11日 (水)

ブログを更新しなくなったこと

この数ヶ月、ブログ更新をめっきりやらなくなった。

一つには、Yahooの知恵袋というものを知り、そのクラシック音楽の質問に回答するのが面白くなり、6月から9月くらいにかけてすっかりハマったこともあったが、こちらも10月後半から飽きてしまって遠ざかっているので、ネットでのコミュニケーションに飽きてしまったということもある。

また、もう一つには、メタボリックシンドロームという少々基準があいまいながら、健康診断の各種指標を見るとやはり無視できない過剰な体重を食事と運動によって減らしていくのに「凝って」おり、そちらが面白く、また運動疲れで夜更かしも減ったため、パソコンに向かう時間が減ったこともある。

この間、母方の従姉の夫君が、10月25日(日曜日)の朝日新聞のオピニオン(耕論)日本農業を強くする で、記者の取材を受けて顔写真入りで大きく登場したというようなこともあり、実家に伝えたりもした。

さて、運動といっても、メタボ対策で少し流行になっているウォーキングというもので、通勤の往復に、一駅手前の駅で乗り降りして、片道約2kmずつ歩行時間を増やし、また仕事の昼休みに、近所の巨大スタジアムの周囲を往復を含めて約3km歩くようにして、以前に比べて一日約7kmは確実にエクササイズに相当する歩行を増やした。また、土曜、日曜日にも近所の堤防道路や森林公園をつとめて歩くようにしている。そのためにOMRONの Walking Styleという1週間のメモリ付きの歩数計、スーパーがシューズメーカーと共同開発したという廉価なウォーキングシューズ(黒の合成皮革なので通勤にも使える)を買い求めたりもした。

その効果もあり、臀部と脚部はスラックスがゆるくなるほどにスリムになった。だが、腹回りが思ったよりも減らない。少しきつくなっていたスーツの腹部がすんなりと前ボタンが留まるようになったことで、確実に腹囲も減ってはいるのだが、85cmを下回るまでにはいたっていない。体重は昨年の今の時期に比べて8kgは確実に減ったのだが。まだ、職場の人間ドックの呼び出しが来ないので、他の数値がどうなっているのかが気になるところだ。

ブログから遠ざかっている時期、あまり本も読めなかったが、故・加藤周一の「羊の歌」「続・羊の歌」を読み直し、ちくま文庫から出ている「日本文学史序説 上、下」に取り掛かったが、これが面白い。文学史とはいいながら、思想史、宗教史、文化史でもあり、虫食い状態で蓄えられている知識が、世界的な広い視野から整理し直されるような快感がある。

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2009年9月29日 (火)

アリシア・デ・ラローチャを偲んで シューマンのピアノ協奏曲を聴く

スペイン生まれの名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャが亡くなったというニュースが先日の新聞の訃報欄に載っていた。享年86歳だったとのこと。

アルベニスなどのスペイン物以外に、なぜか縁があったのは、彼女のシューマン。「謝肉祭」(カルナバル)のCDを初めて買ったのは、彼女の演奏だった。また、DPMには、デュトア指揮のロイアル・フィルがバックを務めたピアノ協奏曲が収録され、その録音のことそそれまで知らなかったので、興味深く聴いた。

彼女はモーツァルトの演奏でもよく知られていたが、アルベニスなどの難曲をバリバリ弾く力も持ち、シューマンもよく手中に収まった音楽になっており、エキセントリックなところの多いシューマンの音楽だが、彼女の演奏では安心して聴ける感が強く持てた。ピアノ協奏曲も衒いのない誠実な演奏で、音も美しく、もしかしたらクララ・シューマンが弾いた演奏はこのようなものではなかったかと連想が働くような幸福な雰囲気の音楽になっている。

冥福を祈りたい。

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2009年6月28日 (日)

浅田真央選手のフリースケーティングの曲が決まる ラフマニノフ 前奏曲作品3の2(『鐘』)

音盤を持っていないので、Rachmaninov Prelude Op.3 No.2 を検索ワードとして、YouTubeで探したら、

Gilels plays Rachmaninoff Op. 3 No. 2 In C Sharp Minor 
http://www.youtube.com/watch?v=EtuMVBLEWJU 

という凄い演奏が見つかった。

作曲者自身の 

http://www.youtube.com/watch?v=5xZty8z9pTw 

http://www.youtube.com/watch?v=8z7Y0J3hIFU&NR=1

も登録されており、いまやYouTubeがクラシック音楽の演奏を手っ取り早く聴く手段になったことを実感した次第。

ただ、著作権上の問題はないかと心配になるような、比較的新しい音源もあるようで、少し気になった。

ニュースで、浅田真央選手の来るシーズンのSPが昨年のFSで使った『仮面舞踏会』で、FSがこのラフマニノフの前奏曲第1番とされる作品3の2の嬰ハ短調の陰鬱な雰囲気の『鐘』をイメージさせる曲だということを知り驚いた。

ラフマニノフには、2007年9月10日 (月) ラフマニノフ 『鐘』 アシュケナージ/ACO で記事にした、合唱とオーケストラのための組曲もあり、指揮者がアシュケナージなものだから、検索ワードでこの記事を見てくださった方も多かったようで、混乱があったようなので、この記事をアップすることにした。(自己トラックバックを送ってみた)

この前奏曲は、ラフマニノフ初期の作品であり、存命時の最大のヒット曲だったというが、あまりの人気の凄さに彼自身がこれに縛られることを嫌ったほどだったというエピソードもあるそうだ。少し暗鬱な響きすぎて、浅田真央の華麗でダイナミックな演技にフィットしないのではないかという危惧があるが、ロシアでタラソワコーチの元、ロシア的な情感をたっぷりと吸収して、来るシーズンに備えてもらいたいものだ。

ここしばらくは、登録ブログの訪問は続けていたが、別のことで少々多忙で、なかなかブログの更新ができなかった。

昨日は、夏至を数日過ぎただけの太陽がたかだかと中天に昇り、猛烈な暑さの一日だったが、今日は一転して曇りから雨脚は細いが、結構稠密な雨の天気になってしまった。

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2009年6月15日 (月)

中村紘子『コンクールでお会いしましょう』(中央公論社)とヴァン・クライバーン・コンクール

アメリカのヴァン・クライバーン・コンクールで、辻井伸行さん(20)が1位となった先週のニュースは、彼が生まれながらの全盲というハンディキャップを背負っていることもあり、大々的に報じられ、帰国後の公演やコンクール前に録音されたCDも大変なセールを記録しているという。

ヴァン・クライバーンといえば、冷戦時代のソ連で開催された第1回チャイコフスキーコンクールを何と仮想敵国人でありながら(またはそれゆえに)圧倒的な好評で優勝し、その凱旋はアメリカン・ヒーローそのもので、彼の録音したチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲は(現在も現役盤として立派に通用する水準だが)、当時のアメリカで大々的なベストセラーとなった。

我が家にはそのヴァン・クライバーンが、いわゆるショーマンではないピアニストとして脱皮しようと試みた頃の、ベートーヴェンのいわゆる三大ピアノソナタのLPがあり、私にとっては、これがこれらの曲への入門音盤となったということでも恩を感じているピアニストである。このLPのジャケット写真を以前このブログで紹介したことがあるが、そのまさにプロフィール(横顔)を見ても、彼がそのような華やかな栄誉や過大な期待を背負うようなギラギラとしてタフな野心家ではない雰囲気が窺がわれる。一夜明ければ有名人そのままに、その後彼は厳しい批評にさらされ、彼は心身の調子を崩し、ピアニストとしては大成しないまま引退し、その後、ヴァン・クライバーンの名を冠したコンクールの名誉主催者としての地位にあるといい、先日の辻井氏の1位のときにも、暖かいコメントを寄せている。

ヴァン・クライバーンとチャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールそのものについて、さすがの筆致で書かれているのが、表題の中村紘子女史による『コンクールでお会いしましょう ---名演奏に飽きた時代の原点』だが、ここで、ヴァン・クライバーン・コンクールについて、その優勝者達が、その後のリーズ国際で優勝したあのラド・ルプー以外に世界的ピアニストとして大成した人がいないという不可思議な事実を記している(単行本 P.85)。この優勝者に与えられる法外なリサイタル契約が、せっかくのその才能を早い段階ですりつぶしてしまうのではないかというような趣旨のことが書かれていた。特に、あのカーネギー・ホールでのリサイタルが鬼門だという。

だから、辻井氏の優勝(1位)には快挙だとは思いながらも、素直に喜べない部分がある。既に、日本のマスコミやプロダクションは、中村紘子女史という大御所が書いたこのような基本的な情報を棚上げにして、辻井氏の才能を消費しようとしているかのように感じて、少しうそ寒い感じがする。

コンクール出身者としては、ポリーニにしろ、ツィメルマンにしろ、ショパンコンクールでの優勝は、演奏家人生の入り口に立っただけだということを自覚してか、それからさらに研鑽を積んだ上で、改めて世に出たという実例もある。是非、賢明な諸氏は、音楽コンクールの優勝は、オリンピックや世界選手権の金メダルが象徴する世界のその時点でのトップということとは違い、たまたまそのコンクールに参加したプロ演奏家志望の演奏者の中で1位になったに過ぎないということをもっと知るべきだ(ほとんど中村女史の受け売りだが)。

盲目の鍵盤楽器奏者としては、高名なチェンバリストであり、オルガニストだったヘルムート・ヴァルヒャの存在を忘れることはできない。また、日本のピアノ界でもヴァン・クライバーン・コンクールよりもさらに権威のあるコンクール、ロン・ティボーで2位を獲得した梯剛之(かけはし たけし)氏や、ヴァイオリニストでは、和波孝禧(わなみ たかよし)氏など、障害をものともせずに活躍している演奏家もいる。

祝福の輪が広がることは結構なことだが、まだ20歳の学生でもあり、じっくりとレパートリーを広げるだけの研鑽の時間がもてるように周囲が配慮してあげて、稀有とされる才能が消費されるのは避けてもらいたいものだと思う。

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2009年6月10日 (水)

太り気味の方が長生き?

この記事、2009年3月 2日 (月) メタボリックシンドロームの基準は適正なのだろうか?も読売新聞のものだったが、YAHOOニュースを見ていたら、今度も同じ読売新聞記事で、『やっぱり「ちょい太」、やせ形より7年長生き…厚労省調査 6月10日14時32分配信 読売新聞』という、世間の常識を覆すようなニュースが出ていた。

「やっぱり」という副詞は記者の実感なのだろうか、おそらくちょい太体型の記者なのだろうと思わず想像してしまった。  

最も短命なのはやせた人で、太り気味の人より6~7歳早く死ぬという、衝撃的な結果になった。「メタボ」対策が世の中を席巻する中、行きすぎたダイエットにも警鐘を鳴らすものといえそうだ。

とあり、この調査結果は多いに議論されるべきものだろうと思う。ちなみに太り気味は、BMIが25以上、30未満で、身長170cmの場合には72kg以上86.7kg未満が相当するという。

ただ、

体格と寿命の因果関係は、はっきり分かっていない。このため、太り気味の人が長命という今回の結果について、研究を担当した東北大の栗山進一准教授は「無理に太れば寿命が延びるというものではない」とくぎを刺す。

とのことで、因果関係が分からないということに逆に驚く。恐らく、痩せ型、太り型は生活習慣も要因の一つだが、同じ食事をしても太らない人、太る人が分かれるように遺伝的な要因が大きいものだと思う。私の知り合いの食べても太らない人には、体温が非常に高く、活動的だが、疲れやすいという体質を持っている人もいる。

同じ研究で、医療費の負担は太っているほど重くなることも分かった。肥満の人が40歳以降にかかる医療費の総額は男性が平均1521万円、女性が同 1860万円。どちらもやせた人の1・3倍かかっていたという。太っていると、生活習慣病などで治療が長期にわたる例が多く、高額な医療費がかかる脳卒中 などを発症する頻度も高い可能性があるという。

とあるのは、注目すべきで、本来健康的な余命がどのくらいあるかが重要であり、単なる寿命としか書かれていないのがもったいないところだと思う。(健康的か否かの尺度の問題かも知れないが)

ただ、これも厚生労働省の研究だという。以前の記事の通り、まだ厚生労働省の指導によるメタボリックシンドロームの抑制のための体重、腹囲の調整指導を健康保険組合から受けており、半年前よりも2kgほど減量できたが、まだ「太り気味」の範疇に入っている。

メタボリックシンドローム抑制が、結局は、医療費の削減を目的としており、決して健康余命を長くしようなどということを謳っていないのだから、この研究結果もその期待を裏切っていないとも言える。

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2009年6月 9日 (火)

地球温暖化人為説への懐疑論は低調となっているようだ

太陽活動の停滞とその影響によるミニ氷河期の訪れの可能性について、世間の関心が高まっているのは、私のような素人のブログ記事へのアクセス数が増加していることにも現われているようだ。

素人ながら、現代が地質年代の上では第四間氷期にあり、いつ氷河期に入るかわかっていないこと、いまから約6000年前に「縄文海進」という自然現象がおそらく自然の地球温暖化の結果として起こっていたということから、現代の気温の急上昇が必ずしも人為的なCO2を初めとする温室効果ガスの影響だけではないかもしれないという懐疑を持っている。「縄文海進」の原因はなんだったのかは寡聞にして知らないが、現代のような人為的な温室効果ガスの排出があったはずはないので、現在将来の資源として有望視されている海底のメタンハイドレードの大量崩壊とか、太陽活動の活発化とか、ミランコビッチサイクルとか、おそらく何らかの要因が予測されるのだろうと思う。

また、そんなわけで、現代の地球温暖化が必ずしも人為によるだけの現象ではなく、もっと大きな気候変動サイクルの中の一こまなのかも知れないということも考えられるのではないか、という懐疑が生じてくる。そこで、私は素人ながら「人為的な原因説」には懐疑的な懐疑論者になるのだろう。

太陽活動は、あまりにも巨大な自然現象であり、その前では人間の歴史など取るに足らず、ましてや生命の歴史でさえ、瞬間の輝きでしかない。カンブリア爆発と呼ばれるような生命の突発的な大発生と、その後の「大量絶滅」が何度も繰り返されている。恐竜の大量絶滅も、白亜紀末の大量絶滅であり、その後、哺乳類の時代である新生代に入り、今にいたっている。その「生命の爆発」と「大量絶滅」に太陽活動が関与していないということは否定しがたい。

それでも現在、最新のデータの積み重ねと合理的な推論の積み重ねによる学説として有力なのは、やはり人為的な原因による地球温暖化だという。そのあたりは、その主唱者である科学者の一般向けのコラムに詳しい。

温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多) 人為起源CO2温暖化説は「正しい」か?(09/02/09)

ここでは、地球物理の権威 赤祖父俊一氏やブルームテクトニクスの丸山茂徳氏、海洋研究開発機構 地球シミュレータセンター草野 完也氏、横浜国立大学環境情報研究院 自然環境と情報部門 教授 伊藤公紀氏などの懐疑論者が論破されていることになっている。

WIKIPEDIA には、地球温暖化に対する懐疑論という項目もあり、江守氏や気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)の論に立った整理がなされている。

江守氏のコラムでは、最近の太陽活動の不活発に関する 太陽活動が弱くなっている?――温暖化への影響は(09/05/27) というものも早速書かれている。

また、地球環境研究センターのQ&Aでは、「寒冷期と温暖期は定期的に繰り返しており、最近の温暖化傾向も自然のサイクルと見る方が科学的ではないのですか。また、もうすぐ次の寒冷期が来るのではありませんか。」に対して、阿部フェローが綿密に否定論を展開している

「太陽活動の変動の詳しいメカニズムはまだ明らかになっていないため、今後数十年から100年の間の太陽活動の変化による気候変動予測は困難です。しかし、 太陽活動の変化が過去2000年間に起こった程度の強弱で繰り返されると仮定するなら、その影響による気温変動幅は小さいことから、今後100年で予測さ れる人為的な温暖化を打ち消して寒冷化することは考えられません。」

マウンダー氷期のようなミニ氷河期の心配はないということらしい。

地球温暖化防止が、人為的なものだとして、現在のようなエコロジー運動によってそれが食い止められるかどうかということについても懐疑的ではあるが、それでも職場ではエコ委員をやっていたり、率先してクールビズに着替えたりしているのだから我ながら首尾一貫していないこと甚だしい。

懐疑論の親玉だったブッシュ政権とその取り巻きの経済界が政権交代で表舞台から去ったことも、世界的な懐疑論の退潮には大きく影響していることだろうと思われる。

それでも、自分は同様なシミュレーションを用いた天気予報の精度が相変わらず低いことをもってしても「人類の知見は幼い」という暴論とも言うべき持論をもっており、現在の温暖化シミュレーションにしても、何らかの重要なファクターが漏れているかも知れないという可能性はあるのではないかと、懐疑的な見方を続けていくことだろうと思う。

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2009年6月 8日 (月)

夕刊連載小説『親子三代、犬一匹』252回で完了

朝日新聞夕刊に連載されていた 藤野千夜:作、風忍:え のほのぼのとした家族小説が今日最終回を迎えた。

取り立てて劇的な筋書きもなく、比較的平凡な家庭(著者がモデル?)の日常風景を描写した小説だったので、我が家では私だけが結構楽しんでいたのだが、妻は途中で読むのをやめ、子ども達は読んでいなかった。

中高一貫の名門男子学校を受験する少年、マルチーズ?の犬を「猫可愛がり」する高校生の姉、絵本(童話?)作家の母、その亡夫の母と亡夫の弟が一家。

そこに少年の初恋や、中学受験、義理の弟と義理の姉の若い頃?からの微妙な関係などなど、そこそこ興味をそそられる設定がからみ、さらにそこに一家の中心は自分だと思い込んでいるような小型犬が君臨し、姉がそれを溺愛するという図がいつも伴ってくる。

少年、少女向けでもなく、かといってペット小説でもなく、ファミリー小説とでも言うジャンルに強いて入るものだろうか。

犬の病気とか、突発的な出来事とか、劇的なストーリーにいつ転換するのかという少々サスペンスのような雰囲気も漂ったが、トビ丸という愛犬がすやすやと「寝たふり」をする描写であっさりと終わってしまった。

p.s. 朝刊の小説は、例の『徒然王子』の後で、正統的な時代小説『麗しき花実』(乙川優三郎:作、中一弥:画、村田篤美:題字)が既に111回を迎えている。酒井抱一と同時代の女流の蒔絵師理野という女性の蒔絵への傾倒を、おそらく専門的な知識を基に、当時の蒔絵界、絵画界の様子などを交えながら、綿密に描いた時代物で、毎日楽しみに読んでいる。

さかい‐ほういつ(さかゐハウイツ)【酒井抱一】 江戸後期の画家。本名、忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠似(ただざね)の弟として江戸に生まれた。仏門に入ったが、すぐに隠退し、江戸根岸に雨華庵をいとなみ、書画俳諧に風流三昧の生活を送った。絵は、狩野派、沈南蘋(しんなんぴん)派、浮世絵などを学んだが、のち、光琳に傾倒し、独自の画風を開いた。代表作「夏秋草図屏風」。(一七六一~一八二八)Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

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2009年6月 3日 (水)

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社 2005年9月18日発行)と新作

4月中旬だったが、何で人気作家の比較的最近発行されたハードカバーの初版本がこんなに廉いのか分からないが、とにかく最低価格で売っていたのを求めてきた。

ここ数日は、この作家の新作の上下二冊の小説が記録的な売れ方をしているというニュースが喧しいほどだ。「1Q84」という題名らしい。うっかり「IQ84」の誤植かと思ってしまうような題名で、少し驚く。

2009/06/06 追記:まだ入手もできていない「1Q84」だが、ネット情報では、題名的にはジョージ・オーウェルの「1984」のモジリらしいということが言われている。今は当たり前のように使っているネットのアクセス解析だが、実際に自分のcocologでその内容の詳細さに触れたときに、まさにこれは「1984」の世界ではないかと感じたことを書いたことがあったのを思い出した。「ココログ アクセス解析の導入で考えたこと」2006年8月 3日 (木)

1Q84というのはまた、「仕事の上では、1st Quarter,1984 1984年の第1四半期のことだよな」ともおもったりもした。とにかく入手困難なほどの売れ行きだとのこと。新型インフルエンザ予防のマスクもとうとう某ネット企業による買占めなどの噂がたったほどのブームだったが、意外にも国内感染が拡大しないことから急に売れ行きが鈍っているようで「ブーム」はあっという間に過ぎてしまったようだ。「1Q84」は果たして一時的なブームで終わるのか、それとも読み継がれるものになるのか?少々気になる噂だが、どうも作者と出版社が事前に「情報統制」を行って読者の飢餓感を煽ったらしいというようなことも伝わっているので、そのあたりが少し胡散臭さを感じてしまう。2009/06/06追記ここまで。

RSSリーダーに登録させてもらっている「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」の記事には、「村上春樹とヤナーチェク」という題名があったので、一体何事かと思い読ませてもらったところ、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』がどうやらジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏という名前入りで登場するらしい。 先日読んだ『意味がなければスイングはない』や、『海辺のカフカ』でもこの作家の音楽への強い思い入れが表現されていたが、新作でのヤナーチェクの音楽への言及はどういうものなのか興味が沸く。

さて、『東京奇譚集』だが、比較的難解な設定の登場人物設定や奇想天外というか常軌を逸した展開についていけずにあまり楽しめていない村上春樹の作品にしては、短編集ということもあり、それほど混乱することなく何作かの短編を楽しむことができた。『偶然の旅人』『ハナレイ・ベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓のかたちをした石』『品川猿』の五編の短編。

奇妙なようだが、本当にあった話という体験談であるという自己規定的な文章が第一作の冒頭に書かれている。普通の前書きというわけではない。その意味では、短編集というよりも、一種のテーマをもった連作集と呼んだ方がいいのかも知れない。

村上春樹は、世界的に多くの読者を持つ現代日本きっての作家であり、先日の「エルサレム賞」でのイスラエル政権への痛烈な講演は、勇気をもった文学者として高く評価された。 ただ、彼の作品をすべて読んだわけでもなく、好みの作家かと聞かれるとそうとはとても言えないが、関心を持っているという程度の小説家なので、えらそうなことは言えないが、彼の音楽に関するエッセイはとても面白いので、先の『意味がなければ・・・』の続編のようなものがあれば読んでみたい。(『意味がなければ・・・』では、ジョージ・セルとルドルフ・ゼルキンのヴィーンでの少年の頃の修業時代のことに触れているくらいなので、ジョージ・セルが好みなのか、『1Q84』を読んでみなければ分からないが。)

p.s.
ところで、今日はやけにこのブログへのアクセスが多いので、アクセス解析で調べてみたところ、『ミニ氷河期」というキーワードで検索して、2006年ごろに書いた記事にアクセスしてくださる方が多いようだ。

2006年2月 7日 (火) ミニ氷河期(小氷河期)が到来するのだろうか?

最近になって太陽活動が停滞期になっているということが言われ始めたが、この2006年当時、このロシアの天文学者は既に予想していたということになるのかも知れない。

科学も当たるも八卦あたらぬも八卦的な部分が多かれ少なかれあるので、この停滞期がいつまた活発期に遷るかどうかは誰にも分からない。ただ、過去の観測から読み取れる太陽活動のリズムの低迷期がちょうど今頃だとしてもそのサイクルに矛盾しなということだけで、これこそ人為の及ぶところではない。

達観しているようだが、実はとても懸念しているので、以前からこのようなことに関心があるというだけなのだが。

音楽評論家の黒田恭一氏が逝去されたという。音楽雑誌を読み始め、FM放送を聴き始めてから存じ上げていたが、70歳を少し越したばかりで亡くなられたという。非常にソフトで、少しひらがなが多すぎるほどの評論を書く方で、ソフトながらぶれない芯も持っていたようで、当時アンチカラヤンが多かった評論界の中では珍しくカラヤンへの賛辞を隠さなかったのが、強く印象に残っている。御冥福を祈りたい。

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