カテゴリー「映画・テレビ」の93件の記事

2008年6月28日 (土)

生活防衛術的なディジタルテレビ放送受信

このニュースがきっかけになって、ディジタルテレビチューナーへの関心が高まっているようだ。

地上デジタル放送:支援、経済的弱者に配慮 「ばらまき」の批判も

情報通信審議会(総務相の諮問機関)の部会が11年7月の地上デジタル放送への移行をにらみ、生活保護世帯への地デジ対応チューナー給付を求める答申をまとめたのは、国主導で地デジ移行を進める以上、経済的弱者への政府の支援策も不可欠との声が高まったためだ。

 地上テレビ放送のデジタル化は、高画質・高音質の番組やデータ放送などを視聴できるようにすることや、情報を圧縮して送り、電波の利用枠に余裕を もたせるのが狙い。デジタル化で生まれた枠は、需要が急増している携帯電話や「高度道路交通システム(ITS)」などに充てられるという。

 問題はアナログ放送しか受信できないテレビを持っている人に経済的負担を強いることだ。

 総務省によると、海外ではオランダ、スウェーデン、フィンランドなどが既にアナログ放送を終了。08年から地デジ移行が進むフランス、英国では政 府が基金を創設して低所得世帯などにデジタル受信機の購入を補助する。米国はすべての地上波受信世帯に受信機購入のクーポンを支給する。

 無料配布には「デジタル受信機は本来、それぞれで用意するのが原則。予算のばらまきにつながる」との批判もあるが、総務省の部会は地デジを「国全 体の利便性向上につながる国策プロジェクト」と位置付け、生活保護世帯に限れば、異例の現物給付にも理解が得られると判断した。【川口雅浩、前川雅俊】

毎日新聞 2008年6月24日 東京朝刊

地上デジタル放送:生活保護世帯にチューナー給付 アンテナ改修も--総務省部会答申

総務省の情報通信審議会の情報通信政策部会は23日、2011年7月24日に地上アナログテレビ放送 が終了し地上デジタル放送に移行することに伴い、生活保護世帯(06年度末で約107万世帯)に地デジ対応の専用チューナー(約5000円)を現物給付す る答申をまとめた。必要があれば屋外アンテナの改修(約3万5000円)などを無償で行う。「貧困世帯でも災害情報などテレビの情報伝達機能を維持するた めには支援が必要」と判断した。総務省は09年度から3年間で対象世帯への配布や工事を行う方針だ。

 地上デジタル放送移行後は、専用チューナーがなければ現行のアナログテレビでは番組を見られない。家庭によってはアンテナの改修も必要になる。対 象となるのは、生活保護世帯のうちアナログ放送を視聴している世帯で、申請に応じて現物給付する。総務省が世帯数や必要額を精査する。予算は3年間で約 50億円から最大で約375億円となる見通し。【川口雅浩】

毎日新聞 2008年6月24日 東京朝刊

大メーカーも大手量販店ももちろん大々的な宣伝はしていないが、この記事がきっかけになって、今のアナログテレビを買い換えなくてもデジタル放送が「見られる」のだという認識が結構広まったらしい。知人の話では、近所の電気店にもそういうチューナーが普通に入手できるのかという問い合わせが増えたのだという。

そこで、大手の量販店のテレビ機器売り場をのぞいてみたところ、薄型大型画面テレビ、ブルーレイディスクレコーダーなどの最新鋭機器の華やかなディスプレーの片隅に、マスプロ、YAGI、AVOXなどのメーカーがチューナーを展示していたが、特に小売店としてもポップなどで積極的な宣伝もしておらず、マスプロのものなどカタログも置いてなかったほどだった。そこで各社のホームページを調べてみた。

専業的なメーカー
八木アンテナのチューナーのページ

マスプロのチューナーのページ

AVOX(C-MEX)のページ(チューナーはメンテ中)

しかし、価格com を見れば、多くの大手メーカーも専用チューナー(ディスクレコーダーに比べれば相当廉価)を何種類も市場に出しているようだ。

なお、パソコン用のディジタル放送チューナーも発売され始めたが、パソコン本体に相当の処理能力がないと使い物にならないらしい。これには要注意だ。

我が家ではアナログテレビの音声が接触不良か何かでテレビ本体から出なくなってしまったこともあり、この際薄型テレビに買い替えを検討しているが、実家などではまだ十分きれいに見られるブラウン管型テレビを買い換えるのももったいないので、このようなチューナーを奨めようかと考えている。(UHF放送が始まったときにもコンバーターというのがセットトップボックスとして各家庭に導入されたが、それと同じ感覚だろうか)。

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名曲探偵アマデウス 事件ファイル#10 シューマン『子どもの情景』

事件ファイル #10 シューマン「こどもの情景」 ~ピアニスト刑事(デカ)、危機一髪~ 依頼人橘(たちばな)明日香 (斉藤由貴)  職業 女優

今週初めの日曜日6月22日のBS2(アナログと表示されるようになってしまった)を録画していたものを、次男の授業参観日が午前中に終り、午後の寛ぎの時間に見始めたのだが、今度は前回の『月光』と違って冒頭部分が録画されていなかった。それで、この「事件」のプロローグが分からないまま、番組を見ることになった。

今回の演奏者も仲道郁代さん。解説も玉川大学の野本准教授の出演。

斉藤由貴と言えば、私自身はそのドラマを見ることはなかったが、確か「スケバンデカ」シリーズに出演していたのではなかっただろうか。それで、ピアニストデカというのだろうが、何しろイントロ部分を見ていないのでなんとも言いようがない。彼女は、先々週まで放映していたNHKの木曜日ドラマの『バッテリー』(原作 あさのあつこ)という少年野球ものの主人公の口うるさい母親役を演じており、その素のままで演じているような口うるさいオバサンぶりには、若かりしアイドル女優を知っているものにとっては結構驚きだった。閑話休題。

ところで、この『子どもの情景』というピアノ曲集については、このブログでもケンプ、ホロヴィッツ( )、アルゲリッチアシュケナージブレンデルなどで直接間接に取り上げたことがあったり、あの有名な『トロイメライ』が収録されており、ピアノ演奏技術的にもそれほど高度ではない曲もあり、つまみ弾きするのに一応楽譜も持っていたりして、古くからのなじみの曲集だ。オムニバスLPの『トロイメライ』は確かケンプのものだったと思う。

さて、番組だが、この女性刑事を演じる女優が、舞台でピアノを弾くことになったが、子どもの頃のトラウマなどが原因でピアノを弾けなくなり、天出探偵と、カノン助手の事務所に相談にやってきたということらしい。その謎を解くのは探偵の任務というよりも心理カウンセラーが適任ではないかと茶々を入れたくなったが、仲道郁代さんの模範演奏は、端正で細やかなものでなかなか素晴らしいものだった。先週の『月光』もそうだが、いわゆる「弾けている」ピアニストだと思った。

この番組の特徴であるアナリーゼ的な部分では、第1曲のシソファミレの動機(音型)が、全曲に統一感を与えているというのが第1ポイントだったようだ。演奏としては、第1曲『見知らぬ国々と人々』、第3曲『鬼ごっこ』、第4曲『おねだり』、第9曲『木馬の騎士』、第10曲『むきになって』とドラマ仕立ての中で演奏され、その後国立音大の藤本一子さんがシューマンにおけける文学と音楽の結びつき、暗示的な題名というようなことを話していた。

曲中の白眉であり、シューマンの最も知られたメロディーとされる『トロイメライ』(白昼夢と訳された:いわゆる Daydream believer に通じる)の分析が番組的な主眼で、これにより女優のトラウマが解消されたようだが、その辺が筋書き的に飛躍があったのか、よく理解できなかった。この曲は、諸井誠『名曲の条件』(中公新書)でも取り上げられていたが、その解説よりもこちらのテレビ解説の方が分かりやすく、メロディー冒頭のドの音(途中で転調するが)の長さが初めは四分音符、次が八分音符、最後が前打音(装飾音符)というように短くなっていく不規則性によりファンタジーを生んでいる巧妙な技といような解説だった(ような気がする)。

最後に、仲道郁代氏の演奏が流され、テロップで、第1曲(6度の音程 シとソ が全曲を結びつけ)、第7曲トロイメライ(白昼夢)ではヘ長調が主調だが、途中に重要なハ長調の和音が重要で印象的であること、第12曲『子どもは寝入る』、第13曲『詩人は語る』で途中カデンツァが出るが、このカデンツァで引用される音楽のことについては触れらていなかったのは、少し手抜きだろうか?それとも見落としか?

このようなミニチュアールの曲集においても仲道郁代氏の演奏が聴き応えがあったのが、収穫だった。

追記:2008/06/29

最近、シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris)のTeldec レーベル録音で、この曲集が収録されたCDを入手した。このほかにOp.82『森の情景』, Op.124『アルバムの綴り』 (Albumblatter)[全20曲]が収録されているもの。輸入盤で、録音日時、ロケーションが記されていないが、マルP, マルCが1986年とあるので、その頃の録音だと思われる。ヴィルトゥオーゾで知られるカツァリスの演奏なので少し構えた気分で聴き始めたが、技術の余裕のためもあるのだろうが、大変叙情的で透明感のある仕上がりに聴こえる部分と、ヴィルトゥオーゾの血が騒ぐのか第9曲など少々煩いほどの音響の部分が交じり合う。ただ、本来聞き逃すような声部を独自の解釈で拾い上げるようなこともしているのがちょっと面白い。

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2008年6月19日 (木)

録画に失敗 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#9 ベートーヴェン『月光』ソナタ

事件ファイル #9 ベートーベン 「ピアノ・ソナタ“月光”」 ~狙われた花嫁 ~ 依頼人 曽名田 ひかる(西尾まり) 職業 OL 6月15日(日)11時過ぎに放送されたのをビデオ録画しておいて、昨日水曜日の夕食の時に見たのだが、番組のちょうど中間あたりで、なぜか録画が終了してしまっており、いつものように探偵の推理の結論までを楽しむことが叶わなかった。

ピアニストのゲストは、仲道郁代さん。最近、ベートーヴェンの演奏にも力を入れているとのことで、解説の玉川大の野本准教授がレクチャーしながら弾いてくれた演奏とはやはり格段の差があるなと、野本氏には失礼ながら思った。

この仲道氏、妻が一緒に聴きに行ったことがあるというので、思い出してみると、ピアノのソロではなく、あのフルートの工藤重典氏、チェロの林峰男氏とのトリオで当時住んでいた長野の田舎に来演して、ハイドンやヴェーバーのトリオなど珍しい曲目や、フォーレの『夢のあとに』、サン・サーンスの『白鳥』などポピュラー名曲をやってくれたのだった。仲道氏のソロの演奏を聴けたわけではなく、ピアノとしての印象があまりなかったのですっかり忘れていたのだった。

ところで、今回のピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調『月光』のアナリーゼで、興味深かったのは、冒頭楽章の分散和音が、終楽章のやはり分散和音に使われているということ、また冒頭楽章の低音部の最初の三つの音が、第二楽章の主題にも使われているということで、素材の統一が図られているという点の指摘だった。また、第1楽章と第3楽章にナポリ和音が使われており、それが非常に効果的だということだった。

ちょうど、仲道氏が、第3楽章の猛烈なピアノでの上昇主題とスフォルツァンドでの2回の和音の実演をしてくれているところで、録画が切れてしまったので、このミステリーの結末がどうなったのかは分からず、残念だったが、これまでオーケストラ曲に興味を持っていた長男が聴いてみたいというので、先日感心したブレンデルの『月光』をステレオ装置でスピーカーから流してみたところ、「へー、すごい曲だねー」と素直に感心していたので、今後の楽しみが増えた。

今晩は、いつものステレオイアフォンで、シュナーベルの全集から『月光』を聴いているが、第1楽章のサーフェースノイズが盛大なのには改めて驚いた。それに比べて、第2楽章、第3楽章はまあ聴ける音になっている。第3楽章は、シュナーベルらしい挑戦的なテンポで、非常に迫力のある音楽になっている。フレーズの長さと推進力が素晴らしい高揚感を生み出してくれる。天邪鬼のようだが、このような演奏のどこが(いい意味でもそうではない意味でも)「精神的な」演奏なのだろうか?確かに精神の高揚を伴い、高尚で真摯な姿勢の音楽だということは感じられるが、それよりももっとダイナミックで生気に溢れた音楽という趣の方が強いように思うのだが。

追記:6/21(土)夏至の日 早朝3:40

「録画に失敗」と書いたが、同じ放送を録画した方のブログ(★My Tiny Little Piano World★ 征爾とユンディの再放送)によると、当日の放送時間の変更で最後の15分間が収録できなかったらしい。BShiでは再放送(BShi 6月21日(土) 午後0:45~)があるようなのだが、BS2でも再放送を望みたいものだ。

このところずっと寝つきはよいのだが、大体4時ごろに目が覚めてしまい、その後うとうとするような睡眠が続いている。今晩は、土日が休みなので、パソコンに向かい雑文を書き付けているが、夏至祭の夜(聖ヨハネの日)というのに、梅雨の本格的な雨が降り始めた。先日入手したストコフスキーの編曲集(Transcriptions for Orchestra by Leopld Stokowski カンゼル指揮シンシナティ・ポップスによるTELARC盤)を聴いている。この中に、何とベートーヴェンの『月光』の第一楽章がオーケストレーションされたものが収録されているのだ。原曲のピアノ演奏ほど印象に残るものではないが、それなりに工夫されている。この中では、ディズニーの初代『ファンタジア』本編に未収録となったドビュッシーの『月の光』が美しい音で聴くことができ、ぼんやりとした頭に心地よい。こちらの編曲もピアノ原曲に比べるとムード音楽的になっており、冴え渡った秋の月光というよりも、朧に霞んだ月の光の風情で、これはこれで面白い。前の記事ではドビュッシー的なオーケストレーションと書いたが、豪勢な鳴り方はストコ節だろうか。なお、このCDの最後には、ストコフスキー編曲版の『禿山の一夜』も収録されている。

ちょうど今晩は夏至のイブで、『夏の夜の夢』もこの『禿山の一夜』もこのイブ(正確には、6月24日が聖ヨハネ祭で、その前夜が聖ヨハネ祭のイブということらしい)が舞台になっているらしい。

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2008年6月15日 (日)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#8『フィンランディア』

2008年5月25日 (日) 小復活 名曲探偵 7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調 に続いて、6/8(日)夜、NHK BS11(BS2アナログ)放映の事件ファイル#8 シベリウス「フィンランディア」 ~美酒は謎の味わい~  依頼人 小樽もろみ (須藤理彩) 職業 酒蔵の若女将 をようやく昨日 6/14(土)にビデオ録画を見ることができた。

BS Hivision では、既に#9「ベートーヴェンの月光」(6/15今夜BS2で放送されるが)が放映されており、#10「子どもの情景」、#11「幻想交響曲」、#12「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」の放映予定が出ている。NHKが現在のBSアナログを導入したときと同様、早く新しい方式で見なさいとでも言うような強引な視聴者誘導が垣間見られて少々鼻白んでしまう。

さて、シベリウスの『フィンランディア』。オーケストラリスニングの入門曲でもあり、コンサートのアンコールなどの定番でもあり、また合唱曲としても知られ、これまでほとんど分析的な聴き方をして来なかった。おぼろげに、帝政ロシアの圧迫への反抗を音楽で描き、フィンランド独立への気運を高めた曲だという程度の知識しかなかった。

この番組では、その辺りのことも要領よく解説してくれていて、今回も結構ためになった。フィンランドに当たるのが、老舗酒造。近所に大規模醸造工場を建てた大手酒造メーカーが帝政ロシアという図式らしい。若くして蔵元を次いだ女将が、生き残りのため伝統的な手造りを廃止し、合理化・効率化を図ろうとしたところ、古くから酒蔵を支えてきた杜氏の「ゲン」さんが、「フィンランディアを聞いてほしい」とのメッセージを残して失踪したというのが、相談内容だった。

フィンランドは、隣国スウェーデンとロシアの両方から圧迫され、何とスウェーデンからは1155-1809年まで支配を受け、1809-1915までをロシアに支配され、ようやく1917年に独立したのだという。(なお、ベルグルンド盤の交響曲全集のパンフレット(菅野浩和氏)によるとシベリウス一家も、第一言語はスウェーデン語で、シベリウス自身教育はスウェーデン語で受けたのだという。)

『フィンランディア』は、まさにフィンランドという祖国への讃歌であるが、主部のフィンランド民謡風のメロディーに至るまでの激しい序奏的な部分のモチーフは、いくつかに分析されているのだという。これがこの番組の主眼だった。解説は、シベリウスの専門家である指揮者新田ユリ氏。

冒頭の低音域(ホルン、トロンボーン、チューバ)での下降音型が「苦難のモチーフ」と呼ばれ、その強弱法に特徴があるのだという。音程が下の方の音を強調することにより、逆のデクレッシェンドよりも「苦難」の意味が強まるということらしい。(日本フィルの団員が分奏実験をしてくれていた。)。それに続く「闘争の呼びかけのモチーフ」は、トランペットにより吹かれるが、その最初に休符を入れることによりエネルギーを蓄えているという感じが出るのだという。なるほど、この辺りの特徴的な部分にはそういう意味があったのかと得心。

そして、曲調が明るくなり、4拍子の楽譜の上で、5拍子のモチーフが繰り返されるのが「勝利に向かうモチーフ」。5拍子を入れることでズレを生じさせながら、最小公倍数で拍の頭があった瞬間に聞くものの気持ちをいやが上にも高揚させるという仕掛が見えるとのこと。これもなるほどだ。

また、主要メロディーが木管で歌われるが、それを弦楽器のトレモロが取り囲む。このトレモロのあるなしをまた、日本フィルの分奏で実験。若い女性オーボエ奏者だった。トレモロは、どうやらシベリウスの愛する自然を連想させる音であり、響きの奥行きを広げる手法でもあるのだという。風が吹く、風がやむ。自然の息吹の質感の違いなどが表現されているようだという。「作曲に必要なのは、ピアノではなく、しずけさと自然」。

探偵は、ここに「ゲン」さんのメッセージを読み取る。個性的な手造りの酒は、自然によってゆっくる醸し出される。シベリウスのオーケストレーションも楽器群が金管、木管、弦というように音楽をりれーしながら最後にまとまる。

「ゲンさん」がむっつり、さっぱりした人柄から、この有名なメロディーが、フィンランド語の促音便(「っ」で詰まる音)の多さを意識したものだということが語られる。有名な人名でも「ライッコネン、ハッキネン」など。樹の会という男声アマチュア合唱団により、フィンランド語の歌詞の付けられたこのメロディーが無伴奏合唱で歌われるが、リズム的に促音的になる休符の部分などなるほどという感じだった。

「祖国フィンランドへの徹底的な拘りがかえって普遍性をもたらした」というのがゲンさんの最終的なメッセージということで、個性の強い手造りの日本酒は、フィンランド人杜氏である「ゲン・ハッキネン」の手でこれからも作り続けられることになったとさ。

演奏は、デュトア指揮のNHK交響楽団。どのようなコンサートのプログラムの一部として演奏されたのか分からなかったが、手抜きなしに相当気合の入った演奏だった。

放送後、長男とカラヤン/BPO、ベルグルンド/ヘルシンキフィルのCDを聴き比べた。豪華なカラヤン、細身だが清涼感があり慎ましやかなベルグルンドという感じだった。

BS2での放送は、今晩『月光』がテーマ。また楽しみだ。


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2008年6月11日 (水)

先日の『題名のない音楽会』と『名曲探偵』が書けないのは

帰路によく立ち寄るスーパーマーケットに、埼玉県羽生市(はにゅうし)の東亜酒造製のウィスキー『ゴールデンホース 武州』というのが置いてあり、地ウィスキーというのも面白そうだと思って購入して、夕食後飲み始めたところ、口当たりと喉越しがよく、このところアルコール飲料と言えばビールか発泡酒だけだったので、つい気分よく飲んでしまっている。

そこで、ソロモンのベートーヴェン 後期ピアノソナタ集について雑文をものそうと思ったが、順延。

日曜日朝の『題名のない』は、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』特集。『佐渡裕の題名日記』という番組連動ブログが立ち上がっており、そこでおよそのことはわかってしまうのだが、結構面白かった。やはり指揮者にとっても、オケにとっても難曲であるということが確認できてほっとした。

『名曲探偵』は、『フィンランディア』が題材だったようだが、ビデオ録画をまだ見られずにいる。見たら少し感想を書き付けてみたい。

今、ワルター(ヴァルター)指揮コロンビア交響楽団によるブラームスの交響曲第1番を聴いている。ファーストチョイスにはふさわしくないが、この曲を結構聴いて来た耳には、演奏のできのよしあしは別にして、さすが大巨匠の指揮だという部分が聞かれて面白かった。パンフレットの解説は、門馬直美氏で「ワルターの音楽の世界~常に微笑を忘れず』というもの。

また、読んでいる本は、あの青柳いづみこさんの文春新書『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』というもの。『のだめ』、『神童』、『ピアノの森』を題材に、ピアニスト論が多岐に渡り面白い。

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2008年6月 3日 (火)

泣けた映画『蝉しぐれ』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

『蝉しぐれ』は、テレビ放映。雨の土曜日、正午ごろにテレビをつけたら始まっており、食事をしながら見て、とうとう最後まで見入ってしまった。原作もテレビドラマも楽しませてもらったが、映画は話題作だとは知っていながら見る機会がなかった。印象に残ったのは、主人公の子ども時代がテレビドラマと同じ役者(青年役者)だったようだったのと、欅御殿での刃傷沙汰の血飛沫のすさまじさ。最後の場面で、泣けた。

『続・三丁目の夕日』は、DVDを借りてきてみた。配役は第1作とまったく同じ。新たな登場人物は、鈴木オートの一平のハトコのミカという女の子ぐらいか。昭和30年代の風景や乗り物が綿密に再現されており、特に今は高速道路の高架道路で覆われてしまった日本橋の当時の風景が映し出されたのには驚いた。茶川先生とヒロミ、そして淳之介の三人のハッピーエンドに泣けた。

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2008年6月 1日 (日)

題名のない音楽会 第3回 指揮者に挑戦大会その2

先日、2008年5月25日 (日) 指揮者のテンポ保持の難しさという記事を書いたが、今週はその続きが放映された。日曜日朝9時は、子どもが楽しみにしている『ゲゲゲの鬼太郎』の時間なので、『題名のない音楽会』はこのところずっと見ていなかったのだが、『徹子の部屋』に佐渡裕が登場してその番組の司会を引き受けたと言っていたので、一度見てみるかとビデオ録画をしてみたところ面白い番組だった。そして今週もビデオ録画したのを鬼太郎終了後すぐに見てみた。

先週見て巧いと思ったのは、伊福部昭のオーケストラ曲(変拍子だったと思う)を指揮したオペラもやっているという30-40代の男性の指揮だった。小学生はなかなかだったが、サッカーとピアノ、作曲をやっている万能中学生のは少し身体が動きすぎて分かりにくい指揮だった。白衣の薬品研究者の女性の指揮は『禿山の一夜』でユニークなものだったが、結構音楽を知っている人ではないかと思った。ブラームスの第2番のフィナーレを熱狂的に終わらせたのは気持ちがいいだろうと思った。

今週は、ルー大柴のゲスト出演も面白かった。オーケストラが素人指揮によくついて行っているのには感心する。ルーのゆっくりおとなしい『新世界』フィナーレの冒頭を指揮にきちんと反応して演奏していた。こういうのがすごく面白い。グランプリをとった75歳後期高齢者を自称する音楽歴の長い愛好家の老人による『田園』の嵐から感謝の歌へのつなぎとフィナーレは、8分の6拍子の弾むようなリズムには欠けていたが、不思議な感動を誘うものだった。ゲストの青島氏が「オケは指揮者の辿ってきた歴史に反応して音楽を作る」というような感想を述べ(隣の席の岩村氏という若い指揮者が少々「オイオイ」という顔をしていたのが面白かった)ていたが、まさに人間性を感じさせるものだった。中学生女子のベト7の第1楽章主部も躍動感よりも第1主題冒頭の初めは処女のごとく淑やかな表現と確保(繰り返し)での脱兎のごとし(飛翔感)の対比は面白く、高校ブラバンのトロンボーン兼指揮者のブラームスの第4番フィナーレは、こういう音を目前で響かせられたら何ともいえない感激だろうと思わせてくれた。宇宙開発事業団の人のチャイコフスキーの4番の第1楽章の終結部も、場面展開の部分で思わぬパートの強調などがありユニークで面白かった(ゲストの宮本氏が難しい部分でしたがよくこなしましたねと言っていた。番組後、手持ちのムラヴィンスキー/レニングラードpo、セル/LSO、カラヤン/BPO、小澤/BPOで聴いてみたが、こういう劇的な場面転換とクライマックスへ緊張感の高め方、クライマックスでの解放はカラヤンの指揮はさすがに巧みだった。)

素人によるこういう個性的な指揮(たった一分だが)を目にし耳にすると、普通のプロフェッショナルな人たち(上記の大指揮者たちでも)の作り出す音楽が楽譜と伝統と権威の縛りに囚われ過ぎているのではないかという危惧が頭をかすめる。個性的でありさえすればいいというのではなく、作曲者の意思の尊重、楽譜の尊重など基本的に誠実な姿勢がプロの解釈者、演奏家として必須条件だとは思いつつも、標準的な音楽解釈が録音などにより流布し、指揮者もオケもそれをなぞるかのような演奏が現代では比較的多いように思う。また、原典尊重主義がピリオドアプローチの基本理念だろうが、その時代時代の標準的な演奏解釈での演奏は、よほどの機会に恵まれないと感動には結びつかない。とはいえ、これもまた音楽=感動というのは、音楽史的には比較的短い期間の流行なのかも知れないのだが。

逆にプロオケの表現力、追随力がこれほどあるというのは、新たな発見で大変面白かった。

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2008年5月27日 (火)

アニメ映画『アズールとアスマール』(ミシェル・オスロ監督)

一休している間に見た映画の話。

2007年?日本公開されたばかりのフランスのアニメーションのようで、DVDを妻が借りてきた。借りてきた本人も子ども達も、また私も内容をまったく知らず、またアニメーションのオープニングが子ども向けのいわゆる「つかみ」要素の少ないものだったため、妻は居眠り、子ども達は不平たらたらだった。

どうやら、ジブリミュージアムによる海外アニメの紹介シリーズの一本のようだ。

見ているうちに、非常に質の高い色彩表現に驚かされ、またアラブ風のエキゾチシズムにも魅了されていく。絵柄は、ヨーロッパのタペストリーを彷彿とさせる様式的な要素が強い。

子ども達も私も次第に引き込まれ、次第に物語は高潮していき、最後は予定調和的な大団円にいたり、カタルシスを得られた。

一言では言い切れないが、敢えてテーマを示せば、ヨーロッパとアラブ(北アフリカ)文化の対立と融合を寓話として描いたものだろう。

フランスと言えば、旧植民地の北アフリカや、中央アフリカから多くの移民が移住して来ているが、自らが招いたことであるのに、狭量な愛国主義者たちによる差別、宗教弾圧(ベールの禁止)の様相とそれに対する反発(暴動)が近年続いている。この映画はそれらに対するフランス内部からの意思表示の一つなのかも知れないとも思った。

特典映像では、一時期テレビCMもやっていたらしく、CFも収録されていたが、これまでまったく知らなかった。「キリクと魔女」という作品もこのオスロという監督の作品だといい、この名前は聞いたことがあったのだが、世界は広いと思った。日本的なアニメーションとは対極的で、その日本的なアニメーションの総本山のジブリがこれをリリースしているのもまた懐が広い。なお、アラブの小公女(リトルプリンセス)が登場するが、この日本語吹き替えがイメージ通りで、特典映像でオスロ監督も誉めていた。

追記:記事を書いた後で、ネットを検索したら、非常によくまとまっており、また私の感じ方に近い意見を発見した。『超映画批評』というページ 『アズールとアスマール』95点

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2008年5月25日 (日)

小復活、名曲探偵アマデウス事件ファイル#7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調

しばらく休んでいたが、少し復活した。連休明けのストレスで、心療内科で投薬をしてもらったが、それがよく効き、朝が起きれなくなってしまった。思い切ってじっくり休んだ。また、先週月曜日の吹き降りの大雨の朝、鉄筋コンクリート造りの最上階ではないのに、外壁に激しく打ち付けた雨が滲み込んだのか天井から雨漏りがしてしまい、その対応にも追われるなど、激しい波のある半月だった。そんなこんなでしばらく休養した。

土曜日と今日日曜日も雨が降っているが、吹き付ける雨ではないためか、今のところ雨漏りはしていない。工事は外壁にあるだろうと思われる隙間を埋めるものになるようで、しばらく時間がかかりそうで、この際雨漏りのあった部屋(子ども部屋)の大量のおもちゃ類を整理しようということになった。(自分のCD,書籍も収拾がつかなくなりつつあるので整理が必要なのだが。)

さて、先週の日曜日の夜の23時からの番組をビデオ録画しておいてみた。

櫻井淳子扮する銀座のクラブのママ(卯たひめの雪乃)。客の小説家に恋をした。その小説家は気まぐれで悪魔的でその心が分からない。彼がそのママの店を訪れたときそこのピアノで弾いたのがテレサ・テンの『つぐない』(窓に西日の当たる部屋は・・・)のメロディーによく似た曲。そしてその男は姿を現さなくなった。この曲に託したその男のメッセージとは? ママの恋はどうなるのか?

例外的なニ短調の曲。第1楽章は不安を感じさせるシンコペーションとアウフタクトの低音リズムが組み合わせられる。「アンサンブル・プリマベーラ」という室内楽団体?による実験(シンコペしない、する)も面白かったが、それほどの違いは感じられなかった。

オケによるシンコペとアウフタクトも第1主題部の前半だが、ピアノが独自の主題を奏する。これがこの曲の特徴。この主題について毎回登場する玉川大学の准教授、野本由紀夫氏は「ため旋律」と呼び、8度の飛躍とため息、10度の飛躍とため息のように「がんばろう、だめかも。がんばろう、だめかも」の繰り返しだと語る。なるほど。このピアノ協奏曲は、いわゆる「おきて破り」で、同時代の例のサリエリのピアノ協奏曲変ロ長調の冒頭部分が比較のために用いられたが、これがなかなか聴き応えのありそうな曲だった(ナクソスなどで聞けるだろうか?)。このような祝祭的な華やかな曲に対して、暗く、静かで、オケとピアノが違うメロディーを扱うのはデモーニシュで非常に珍しいとのこと。

第2楽章(の主部)は、親しみやすくおだやか。安堵と調和の世界。高音の旋律と低音の伴奏がちょうどソプラノとテノールの女声と男声による二重唱のよう。よりそってデュエットをしているかのようだ。この楽章は Romance (英語ではロマンスだが、ロマンツェと読む)という名前。

BGMがジュノムに切り替わり、モーツァルトのピアノ協奏曲論(音楽通もそうでない人も楽しめるのがピアノ協奏曲の極意)が紹介、フォルテピアノの開発も大きな影響。ベートヴェンはカデンツァを作曲し愛奏、ブラームスもこの曲を愛奏したことが紹介される。

また、ママが登場。「彼がお店に現われたが、私のことを無視して冷たくする」。まさに第3楽章の冒頭の追い立てられ不安に突き落とされたまま走り続けるよう。「告白に対する拒絶」。属九の和音(最も激しい不協和音)も用いられている。しかし、第1楽章のピアノ主題が、それに続いて現われる。一種のバリエーション。モーツァルト国際コンクール優勝の菊池洋子によれば、第3楽章の主題は、第1楽章のそれに比べてより前向きな感じを受けるとのこと。「希望や救い」がある。そしてピアノとオケが会話を始める。両者の関係に前向きの変化が始まったことを示唆するかのよう。第1楽章:不安。第2楽章:安堵、第3楽章不安を秘めながら希望への光を見せるという図式。

筧(アマデウス)探偵「どんなに悪魔的な人だとしても、これが彼からの精一杯の気持ち」「彼はあなたを想っている。美しいメロディーこそが彼の気持ち」

第3楽章の演奏。指揮はデュトワ。ピアノは、ピョートル・アンデルジェフスキという東欧系の若手男性ピアニスト。第1カデンツァは自作?(ベートーヴェンのではないようだが。)再現部でピアノのメロディー(第1主題)をオケが引き継ぎ、第2カデンツァ。最後は、ニ長調に転調して祝祭的な雰囲気で華やかに終結。

以上のように結構勉強になった。第1楽章のピアノだけに現れるアイガングと呼ばれるメロディーが『つぐない』に似ているというのは新発見で驚いた。またこれが第3楽章の主要主題として変奏されて登場するというのも、解説書には出ていたかどうか覚えていないが、なるほどと思った。そして、その主題がオーケストラでも奏でられる。第2楽章の穏やかなメロディーは、女声と男声の二重唱のようということも。

この番組だけを見れば、なるほど巧くできているという風に感じる。

が、この後、久しぶりにハイドシェックとヴァンデルノートの盤でいざ全曲を聴きなおしてみると、第1楽章にしても第2主題はピアノとオケの対話になっている。第2楽章のロマンツェ(モーツァルトは、この形式名を「グラン・パルティータ」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でも用いておりやはり穏やかな主部と不安げで急速なテンポの中間部で構成しているのが見られる)の中間部の同じ速度ながら突然テンポが上がり非常に焦燥感のある非常に不安げな音楽に転換することを、この番組のストーリーは敢えて省いている。というように、この番組の不満な部分も次第に表れてきた。

これまで『ゴルトベルク』はそれなりに全曲を扱っていたが、『悲愴』は、第1、第4楽章のみ。『死と乙女』は第1、2楽章のみ。『前奏曲集』も数曲のみ。そして『ピアノ協奏曲』は、一応全楽章だが、ストーリーにこじつけるため(あわせるため)に部分的に敢えて省略したところがある。新たな啓示はあるのだが、この番組のストーリーがその曲全体を十分に説明しつくしたとは言えないところに注意をする必要があるように思った。(十分条件と必要条件という言葉で説明したいが巧くいかない)

なお、この第20番とそれに続く対照的な第21番の協奏曲と、有名なシンフォニー第40番と第41番との不思議な関係については、ずっと以前自分のホームーページに冗談のような対話編を書いてみたことがある。なかなかの着想だと自分では思うのだが。題して「モーツァルトの隠し絵」。

事件ファイルの#1(ボレロ)、#2(ブラームスの第4交響曲)は、見逃したが、これで#7まで見たことになる。今晩のBS2は、シューベルトの再放送。また来週はチャイコフスキーの再放送で、次回新作はシベリウス「フィンランディア」、続いてベートーヴェンの「月光」、シューマンの「子どもの情景」と続くらしい。

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2008年5月12日 (月)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#6 ドビュッシー『前奏曲集第1巻』

フランス料理のシェフ 飛石蔵人 (トビシ、クロウド !)の相談。

ピアノは、ドビュッシーの全ピアノ作品を日本人で初めて演奏した中井正子というピアニストの演奏。解説は、ピアニスター?Hiroshi。

つぶれかけのレストランに、フランス修業時代の師匠からメッセージ。帆、亜麻色の髪の乙女、音と香りは夕暮れの大気に漂う。沈める寺。

前菜: 帆 ふわふわした響きは、全音音階のため。ピアニスターヒロシが、童謡『蝶々』『ロンドン橋』を全音音階で弾いてみる。面白い。有名な全音音階の例:鉄腕アトムのイントロ。ドビュッシー「不毛な伝統から音楽を解き放ってやりたい」

スープ:亜麻色の髪の乙女。変ト長調だが、いわゆるヨナ抜きの五音音階。スコットランド民謡などの影響。小舟にてがBGM。1889年のパリ万博でのインドネシア、ジャワ島のガムラン音楽。あらゆるニュアンスがこの音楽にはある(ドビュッシー)。料理にも引き算が必要。

メインディッシュ:音と香りは夕暮れの大気に漂う。

中井正子の解説。イ長調にロ音のフラットでスパイス。属七の和音の連続による色彩感。五感を研ぎ澄ませ。

すべてを鐘の音の如くピアノで響かせる。

「沈める寺」 不完全な和音、完全な和音、ペダルを踏んで低音部を響かせ、沈む様を描く。
すべての味を響かせるやる気、情熱を取り戻し、フレンチレストランはその後三ツ星にランクされた、とさ。

その後、サムソン・フランソワの『前奏曲集』を聴いた。ベロフやミケランジェリに比べて、味付けが濃厚で面白かった。

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2008年5月 6日 (火)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#5 シューベルトの弦楽四重奏曲『死とおとめ』

日曜日の深夜11時半から放送のものをビデオ録画しておいて5月5日の月曜日に鑑賞した。

5月4日の日曜日は、ちょうど「藤子F不二夫」特集をやっていて、その大ファンの長男が是非行きたいといっていた杉並アニメーションミュージアムを見学に行ってきた。中央線の荻窪駅で下車し、北口を出て、青梅街道に沿って西へ約1.5kmほど歩いて、荻窪警察署の信号を左に折れると杉並会館という区立の会館があり、その3階にこのミュージアムがある。入場料は無料。http://www.sam.or.jp/ 展示品を見たり、アフレコを体験したり、トレースで絵を描いたり、DVD室で好きなアニメを見たり、映写室で藤子F不二夫の作品(チン・プイ)を見たりして半日ほど楽しめた。

翌5月5日は、天気もよくなく、一日家で過ごし、子ども達は休み中の宿題を全部終わらせたが、ちょうどお昼ごろ、事件ファイル#5を楽しんだ。

題材は、『死とおとめ』の第1楽章と第2楽章。第1楽章では、わずかの小節数の間に、何と6回も転調をしているということがこの音楽の特徴として指摘されていた。また、有名な歌曲『死と乙女』の冒頭の葬送行進曲的な音楽をテーマにした変奏曲だが、短調の部分から急に長調に転調するときの「属9の和音」?の使い方の素晴らしさが指摘されていた。通常、短調から長調に転調するときに使われるこの和音は、フォルテやアクセントなどで強調されるのだが、シューベルトは、ここでデクレッシェンドの後に大変ひっそりと奏でるように指定してあるということが、玉川大学の准教授(先日の悲愴でも登場)が語っていた。

この曲を書き始めた頃のシューベルトは、不治の病梅毒に自分が冒されたことを意識しており、体調も悪かった。絶望的な気分で作曲を始めたが、次第に死と正面から向き合い、それを受け入れるようになっていったというようなストーリーだった。

この曲は、これまで非常に不吉な音楽として捉えていたのだが、今回のような「前向き」の捉え方ができるというのはこじつけとも思えず、参考になった。

女性三人、男性一人(チェロ)の古典四重奏団という団体が演奏を担当したが、なかなか巧い演奏だった。

ディスクでは、非常にスケールの大きいように聴こえてしまい苦手だったアルバン・ベルク四重奏団のものと、「シューベルティアーデ」のセットで、往古の名盤のブッシュ四重奏団のものを持っているがこれまであまり熱心に聴いていなかった。少し前向きに聴いてみよう。

5月6日(火)連休最終日は、久しぶりの好天に恵まれ、湿度も非常に低く爽やかな初夏の一日だった。大山詣でをしてきて、リフレッシュでき、体調は非常に快調だ。

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2008年4月29日 (火)

レオナルドのヴェッキオ宮殿の壁画が発見!?

日本テレビ 2008/4/29 19:00-20:54  

ダイワハウススペシャル 天才ダ・ヴィンチ 伝説の巨大壁画発見!

 フィレンツェのヴェッキオ宮殿の広間に描かれた後、失敗作として放棄されたと伝えられたレオナルドの『アンギアリの戦い』が隠されているのが発見されたらしい。アメリカのカリフォルニア大学のサンディエゴ校の工学博士でフィレンツェ出身のマウリツィオ・セラチーニによるとのこと。あの「画家伝」のヴァザーリが隠したらしい(ヴァザーリのフィレンツェの他の教会でもマザッチオの祭壇画を保存のためか?隠したらしい)。

ただ、またニッテレなので眉唾も必要かもしれない。例のたけしとアイルワースのモナリザを制作放映したのも日本テレビだったので。

BGMでは、レスピーギのローマの松や泉、メンデルスゾーンの『イタリア』などが用いられているが、これも何だかな。レスピーギなら「古風な舞曲」ではなかろうか?

追記:その後、ネットで検索してみると、例のNHK地球ドラマチックで2006年に既にセラチーニによる『アンギアリの戦い』の捜索が海外ドキュメンタリーとして放映されていたのに気が付いた。たけしの『もう一つのモナリザ』でもそうだったが、またもやニッテレによる「新発見」ものは、過去にマスコミが取り上げたもの(モナリザではニッテレが過去に取り上げたものだった!)のいわゆる「焼き直し」だった!? 

『ダビンチ捜査官~消えた名画を追え!~』 2007年11月17日(土) 10:00~10:45

原題:The Da Vinci Detective
制作:Darlow Smithson Productions

とは言え、このような番組はついつい見てしまうのだから、私も懲りない。ただ、この番組で「新たに」新発見とは言っていなかったようだし、CGにより有名なルーベンスの模写の周囲の絵までも再現して、いわゆる完成版を復元して見せたのはこの番組の手柄なのだろうか?

ちなみにアンギアーリの闘い(La Battaglia di Anghiari, Battaglia d'Anghiari)の Anghiari の場所はGoogle mapで、Italy Anghiari で検索すると表示される。フィレンツェの東南東約65kmの地。ミラノからは300kmもある!

参考ページをいくつか探してみたら結構あった。

イタリア語:http://www.artive.arti.beniculturali.it/Disegni/Battaglia%20d'Anghiari/Frame%20Anghiari.htm

http://www.anghiari.it/italiano/s0/da4.htm

wikipedia イタリア語

イタリア Nazione紙のサイトの記事 セラチーニのことが特集されている?2008年3月3日のものなのでまだ新しい。 La ricerca della 'Battaglia di Anghiari' raccontata in un documentario

英語: wikipedia 英語 セラチーニのことも記述されている( Possible recovery)

日本語: 不埒な天国 (フィレンツェ市在住の日本人の方らしい)

2005年06月23日 失われたダ・ヴィンチのフレスコ画を探す鍵

2007/10/30 数字で見るイタリアの常識・非常識 vol.226

2008年04月29日 TV「ダビンチ巨大壁画を今夜発見」 

 今回の「発見」も2005年頃にも日本でも報道されていたらしい。

YouTube: Il mistero della Battaglia di Anghiari (2007) 短編ドキュメンタリー

p.s. フィレンツェは、新婚旅行のローマからのオプションの日帰りツアーだったが、ミケランジェロ広場、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ、シニョーリア広場、このヴェッキオ宮殿、アカデミア美術館、サンタ・クローチェ教会、そして駆け足で回ったウフィッツィ美術館をみて回ることができた。アメリカ人の団体客と、日本人の女子学生たち、それに我々夫婦という構成のバスツアーで、ガイドさんは日本にも滞在したこともあり、長野オリンピックの前だったが長野のことも知っていた若い女性だった。英語、日本語、イタリア語を駆使して案内してくれた。当時はフィレンツェに関する予備知識がほとんどなかったので、帰国後様々なフィレンツェ関係の本を読み漁った。塩野七生『わが友マキアベリ』が面白かったし、和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』も面白かった。実際に自分が体験した風景を思い浮かべながらそのような書籍を読むのは非常に面白いものだった。

なお、先日関口知宏のファーストジャパニーズ(FJ)という番組で日本人カバン職人がフィレンツェで独立して工房を開いたことを特集していたが、フィレンツェの裏町の石畳の風景が懐かしかった。

P.S. 「弐代目・青い日記帳

にトラックバックさせてもらった。本館の BLUE HEAVEN も凄い美術サイトだ。

追記:2008/05/03
 他の番組の関係で全部見れなかったため、ビデオ録画をしておいたが、ようやく今日の憲法記念日の休日に見ることができた。最初の方のモナリザの眉毛の復元は結構面白かった。これが最新の映像技術による発見。眉毛があるのとないのとではまったく印象が違う。ずっと若々しく見えた。これは何しろ、ラファエロの白黒の模写には眉毛があり、またいわゆるラファエロの円柱があるのだからそれなりの蓋然性はあるのだろう。色調の明度についての復元も面白い。例のアイルワースのモナリザには眉毛がなかったように見えるが、ルーヴルのモナリザに眉毛の跡があるというのが面白い。

次に、「最後の晩餐」に隠された音符について。これは,WIKIPEDIAの英語版からのリンクで、この番組で紹介された音楽家についての記事を読むことができ、その音楽家がREQUIEMのようだと言う音楽も聴くことができる(英語版)。ただ、手とパンに音符を当てはめるというのはあくまでもそのように読むこともできるという解釈の可能性の類で、偶然、左から音符を読むをそれらしい音楽に聞こえるというだけで、(これが音符だとして)和声的な書法と三拍子という見方は、15世紀末から16世紀初めに活躍したジョスカン・デプレなどの音楽の様式とは違うのではないかと思わせられた。なおその「曲調」からRequiem らしいというのもあまりにも「ロマンチック」な見方ではなかろうか?

暗号の「求めよ、されば与えられん」の発見は、画期的だったが、Masaccio の サンタ・マリア・ノヴェラ教会の三位一体の壁画がヴァザーリによって「なぜか?」隠されており、その隠し方がちょうど500人広間の壁画の隠し方と似ているということ。2008年の7月、8月には、電子的・原子的な透視のような手法で、現在のヴァザーリの壁画の裏にあると想定されている「アンギアリの戦い」が「見える」かも知れないという。復元については、各地に残るデッサンや下絵の原画(オックスフォードの Ashmolean Museum アシュモレアン美術館所蔵には驚かされた)そして日本にあるという彩色付きの模写から、それらしいものが提示されなかなか面白かった。

番組の作り方が日テレのこの種の番組的にチープだったが、「啓蒙的」な番組としては、私のような興味だけはある素人にはそれなりに面白かった。

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名曲探偵アマデウス 事件ファイル#4 チャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』

前回の『ゴルトベルク』に続いて、今回はチャイコフスキーの交響曲第6番 『悲愴』だった。

今回の探偵事務所に相談に来たのは根岸季衣が扮する未亡人。夫が遺した本格的なフルスコアがチャイコフスキーの交響曲第6番。その表紙に「君に贈る」というように書かれており、スコア内部には多くの書き込みが・・・。これは一体誰に向けたどんな意味のメッセージなのか、というのが話しの発端だった。

筧利夫が演じる天出臼夫(あまで うすお)という指揮者兼探偵が、助手の響カノン(黒川 芽以という女性シンガーらしい)とその謎を解き明かす。

夕食後、日曜日の夜11時から11時45分に放送されたもののビデオを家族で見たのだが、さすがにこの曲は最近あまり聴いていないこともあり、子ども達は ほとんど初めて聴いたと言っていたが、それでもチャイコフスキーのバレエ音楽に似た部分もあるね、などと言って興味をもったようだった。いわゆるニック ネーム付きの交響曲で広く知られた名曲でもあり、私も中学生の頃からカラヤンとベルリンフィルの1960年代の録音のLPをそれこそ擦り切れるほど聴いて 親しんだものだが、ある時期からほとんど聴かなくなってしまった。いわゆる縁起を担いでというような消極的な気分も少しはある。

今回の演奏は、渡邊一正指揮のNHK交響楽団。どこかのスタジオでの収録らしいが、コンマスは、マロ殿だった。ファゴットのppppppも実際に演奏したり、第四楽章の冒頭の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを分奏させてみたりと、結構番組に協力的だった。

専門家としては、玉川大学の准教授が出演。チャイコフスキーに詳しい人らしい。大学の電子ピアノ(笑)を弾きながら、解説していた。特に有名な名旋律として知られる第1楽章の第2主題は、曲中3回姿を変えて現れるが、そのときどきで付けられている和音が異なり、第1回目では確か減九の和音が使われているのが、特徴的というようなことを説明していた。

今回の番組でも自身の指揮による初演のわずか9日後にチャイコフスキーが急死してしまったことは述べられていてその悲劇的な死との絡みでも「悲哀」を表したものと考えられがちだが、実はということで、自筆譜のフランス語の表題「Pathetique」から日本語でも『悲愴』と訳されているが、ロシア語の表題 パテティチェスカヤの訳語には、直接「悲哀、悲しみ」という訳はなく、いわゆるギリシア語のパトスの訳にあたる「(元来は揺り動かされた心の状態をさす)知性に対して、一時的で感情的な精神。激情。情熱。情念。」(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988より)の訳語に当たるものしかないとされるというような説明がなされていた。

しかし、この説明は、語源であるギリシア語のpathos に遡り、そこから派生したヨーロッパの各国語ということを考える必要があり、露和辞典の記述に『悲しみ』がないことで、それがその言葉にその意味がないと考えるのは早計だと思える。英語のpathetic の語源として、「後ラテン語←ギリシャ語 pathetikos (pachein苦しむ+-ikos -ic=苦しみやすい→同情心をもちやすい)Progressive English-Japanese Dictionary, Third edition ゥ Shogakukan 1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典  第3版  ゥ小学館 1980,1987,1998 とあり、pachein = suffering 苦しみ が語源であるからだ。フランス語にしても、英語にしても、ロシア語にしても、日常的な用法は別として、芸術的・文学的な用法ではこの原義が失われることはないだろうと思う。一時期、パテティチェスカヤにこだわって『悲愴』と訳すのは誤りだという主張もあったようだが、逆に考え直す必要があるのではないか、とテレビを見ながら思った。参考になるのが、このページの解説だ。

パトス pathos
〈受動的状態〉〈感情〉〈情念〉などを表すギリシア語。英語ではペーソス。人間精神の能動的・習慣的・理性的契機としてのエートスやロゴスに対比されるとともに,実体に対する属性,さらには激情や苦悩,受苦,受難などの意でも用いられるようになった。

平凡社世界大百科事典

番組は、この曲の第1楽章と、第4楽章を取り上げ、第2、3楽章は割愛されたのは残念だったが、番組の時間的制約からは仕方がないとは言え、この曲の解説としては十全のものではなかったのが、少々残念だった。

ディスクで以前記事にしたのは、ジュリーニとロスフィル、マルティノンとヴィーンフィル程度だが、名盤とされるムラヴィンスキーとレニングラードフィルのDG盤、カラヤンとベルリンフィルの70年代録音、小澤征爾とパリ管のものが今手元にあり、久しぶりに聴いてみたいと思った。

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2008年4月22日 (火)

NHKBS11 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#3 『バッハの魔法を解け』(ゴルトベルク変奏曲)

先日、NHKの『その時歴史が動いた』でのモーツァルトの取り上げ方に苦言を呈したが、日曜日の夜11時から NHKの衛星放送第2(BS11)で放送された『名曲探偵』は、なかなかよく出来た内容だった。題材は、J.S.バッハのGoldberg変奏曲。ゴールトベルクと英語、独語チャンポンの名称で語られていたが、これは日本の楽曲名でこのおかしな表記が通例になっているからやむを得ないとも言えよう。

NHK クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス 第3回。ちなみに第1、2回は見逃した。)

さて、探偵ドラマとしては少々チープな舞台設定ながら、演奏は豪華だった。熊本マリがゴルトベルク変奏曲をこの番組のために、レクチャー的に弾いてくれたのだった。モンポウの演奏で知られる美人ピアニストだが、このゴルトベルクについても日本の女性ピアニストとして全曲録音を行ったのは彼女が初めてだったという。それだけのことはあり、非常に掌中に納まった感じで、自由自在という感じの演奏だった。

番組も、このバッハの名曲の構造を分かりやすく説き起こし、冒頭と最後に主題(低音部が主題だが)となるアリアを配し、その間を30曲の変奏でつないでおり、その第1変奏から始まる1+3nの数列のグループ、第2変奏の2+3nのグループ、第3変奏の3+3nのグループが、それぞれ舞曲などの性格的な音楽、次第に複雑化するトッカータのような技巧的な音楽、1度のカノンから始まり2度、3度と次第に主題と応答の度数が増えていく超絶的な作曲技巧のグループに分けられていることを要領よく説明してくれていた。特に熊本マリによるカノンの解説は分かりやすかった。また、アリア主題のトリルの意味を実演で比較してくれたのも得がたい内容だった。

また、この曲には欠かせないグレン・グールドの初期の録音と晩年の録音についても触れていた。

まともに作ろうと思えば、このような正攻法でも音楽的な興味を逸らさない番組もできるのにと、あの「その時」と比較して感じたものだった。ヴィデオ録画を子ども達とも一緒に見たのだが、比較的とっつきにくいこの曲を子ども達も興味を持ったようだった。

なお、宇宙物理学者?の方が、このゴルトベルクには宇宙的なフラクタル性を感じると言っていたが、バッハの超精密な音楽作りには、物理学徒を引き付ける誘引力があるのかも知れない。ゲーデル・エッシャー・バッハではないが、エッシャーの騙し絵も紹介されていた。

P.S. 小説家の島田雅彦が登場したが、印象に残らなかった。というよりも、このストーリーへの登場の必然性が感じられなかった。とは言え、30曲の変奏というのは、月齢に関係するのかも知れない。ミサ曲ロ短調などの象徴的な数字などとにかく、バッハは数字に強かったらしいから。

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2008年4月13日 (日)

『NHK その時歴史が動いた』でのモーツァルトの『魔笛』

第321回 音楽の市民革命 〜神童モーツァルトの苦悩〜

本放送  平成20年4月9日 (水) 22:00〜22:43 総合
全国 再放送 平成20年4月15日(火) 3:30〜4:13 総合(近畿ブロックのぞく)
平成20年4月15日(火) 16:05〜16:48 総合・全国
平成20年4月19日(土) 10:05〜10:48 総合・近畿ブロック(神戸・奈良のぞく)

本放送をヴィデオ録画しておいたこの番組を今日鑑賞した。このシリーズは、ある歴史的な出来事まであと何日というのが番組の作り方で、それに向けて歴史的な出来事がどのように推移していったかを説明するようなプログラムになっている。(梅干博士樋口清之氏の『逆・日本史』と同じ発想だ。)

この番組は、『魔笛』の初演日1791年9月30日までに、モーツァルトが貴族達とどのように戦い、ついには市民階級向けのオペラである『魔笛』をどのように作り上げ、それがどのように市民の間で大人気を得たかというストーリーだった。

その前史として、『フィガロの結婚』がモーツァルトの貴族からのそれまでの差別・抑圧の鬱憤晴らしのために作曲され、貴族の鼻を明かし、溜飲を下げたということが語られていた。確かにモーツァルトは、この番組で「ザルツブルクの領主である伯爵」と紹介されたヒエロニムス・コロレドと対立して独立しはしたが、そのことによってヴィーンでコロレドの仲間の貴族たちから音楽活動を邪魔されたということはあったのだろうか?むしろ、そのようなフリーランスの音楽家自体当時のヴィーンでは相手にされなかったのが当然だったように思う。

また、貴族達が使っていたイタリア語で書かれたオペラという指摘があったが、オペラはイタリアが本場で、ヴィーンはその影響下にあったがゆえにイタリア語が用いられたので、モーツァルトはイタリア語オペラをいやいや書いたというようなコメントは、まったく事実無根のように思う。作品解釈の要点だが『フィガロの結婚』の最終場での伯爵の謝罪は、貴族が恥をかかされて面目丸つぶれというものではなく、心からの謝罪ではなかったのではないかとも思うし。ただ、1789年のフランス革命に対するモーツァルトの反応として、近年発見された『賢者の石』という市民向けの合作歌芝居のことを紹介していたのは面白かったが、モーツァルトが果たして市民革命への賛同者だったかどうかは分からない。

モーツァルトは、職や収入を得るために、レオポルト二世逝去後の後継者の『戴冠式』に自費で駆けつけ、そこで『戴冠式』コンチェルトを演奏するなど自分の生活のためには、いわゆる革命家的な一途な反抗活動は当然のようにせずに、いろいろな伝手を頼り、また宮廷でも年棒こそ多くはなかったが、モーツァルトを宮廷作曲家として遇している。

このような突っ込みどころが多く、また、市民革命のためのオペラというような少々古臭い(マルキシズムのような)教条主義的な見方だなと思いながらそれでも最後まで見たが、この番組の監修者は特にクレジットされていなかったようで、NHKのプロデューサーやディレクターの作品のようだ。礒山雅氏や高橋英郎氏も登場して部分的に意見を述べていたが、果たして彼らの意見がこの番組の趣旨に沿ったものなのかは少々疑問符が付く。

ホームページでは、多くの批判が届いたのか、数多くのQ&Aが連ねられているが、どうもこの番組の作りは、少々やっつけ仕事的だったのではないかと思う。分かりやすい啓蒙的な図式を提示するのもいいが、自分の関心が少々強い音楽がこのレベルだとすると、他の分野でも同じような大雑把な番組作りしかしていないのではないかと猜疑心がわいてしまう。

P.S. オペラ座の書庫 その時歴史が動いた 『モーツァルト』  が、この番組の特徴を鋭く指摘されているのを読みトラックバックさせてもらった。  

 この番組って「主観的」なんだと思います。・・・・・ドキュメンタリーを謳った番組で、このツクリはどうなのかな? と思います。

参考記事:

2008年1月21日 (月) 西本晃二『モーツァルトはオペラ 歌芝居としての魅力をさぐる』

2007年11月17日 (土) 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか?

2007年11月16日 (金)『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

2007年11月11日 (日) モーツァルト―音楽における天才の役割 (中公新書)

2006年11月 2日 (木) モーツァルト 『魔笛』 スイトナー盤

2005年11月28日 (月) 「フィガロの結婚」ベーム(1956)

2005年5月25日 (水) 映画「ドン・ジョヴァンニ」(監督 ロージー、指揮 マゼール)のDVD

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2008年3月25日 (火)

大河ドラマ『篤姫』も面白い

日経の回し者ではないが、日経トレンディネットという サイトも結構面白い。

大河ドラマ『篤姫』の快進撃はこれからも続く! そう断言できる根拠とは? 2008年3月22日
という記事は、なるほどと思わせる予想記事にな