カテゴリー「音楽」の218件の記事

2008年6月30日 (月)

DHM50-6,7 J.S.バッハ ロ短調ミサ曲 

トーマス・ヘンゲルブロック  Thomas Hengelbrock 指揮
 フライブルク・バロック管弦楽団 Freiburger Barockorchester
  バルタザール・ノイマン合唱団 Balthasar -Neumann-Chor
   HMVの紹介ページによれば、〔1996年10月録音〕 原盤:05472773802

6月の最終日、これまで何度も寝入りばなには聴いていてその美しさに陶然としながら寝入った(寝付きだけはいいのだが、3時から4時に目覚めてしまうのが悩みのタネ)この録音にしっかり向き合って聴いてみることにした。(「6月の6番は」)

もちろん比較の対象は、相当以前確か1990年代に購入して、何度も聴いた2006年10月 6日 (金) J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによる演奏。

このヘンゲルブロックという指揮者やフライブルク・バロック管弦楽団、バルタザール・ノイマン合唱団という名前は、Wein, Weib und Gesang(pfaelzerweinさん)のブログで見かけ、ドイツの比較的ローカルな演奏団体なのかな、などと井の中の蛙式の不遜なことを思っていたのが恥ずかしくなるような優れた演奏団体のようだ。

ブリュッヘンのバッハも非常に真摯なものであり、18世紀オーケストラの技量やソリストたち(アルトのカウンターテナーが少し異質だが)は優れた演奏なのだが、このヘンゲルブロックたちの演奏の醸し出す音響の柔和さ、品格の高さ、そして全曲にわたるまとまりのよさは、またブリュッヘンたちの演奏にない多くの魅力を教えてくれるものだと感じた。

このDHM50には、ヘンゲルブロックとバルタザール・ノイマン合唱団は、このロ短調ミサと、DISC1のドゥランテ、アストルガ、ペルゴレージの宗教曲だけの収録(フライブルク・バロック・オーケストラは他にも数枚の録音が収められているが)のようだが、十分その真価を顕してしいるように思う。

コーラス、オーケストラにしてもいわゆる巧さをヘンゲルブロック盤には強く感じないのだが、響きが非常に心地よく、聴きながら集中力が高まっていくような錯覚に襲われるような気もしないではない。

ちなみに、エクセル表でブリュッヘン盤とヘンゲルブロック盤のパンフレット表示のタイミングを並べてみた。全体的に大きな差はないと言えるが、一貫して躍動的な要素が感じられるブリュッヘンに比べて、ヘンゲルブロックは柔と剛の切り替えが鮮やかで、遅い部分はいわゆる「ロマンティック」なほどであるが、速い部分は新古典主義的なキビキビとした引き締まった音楽になっているように聴こえる。これで全体の統一感がそがれないというのも不思議ではある。

  ブリュッヘン ヘンゲルブロック
Kyrie
Kyrie eleison 8:53 11:32
Christe eleison 5:08 4:46
Kyrie eleison 3:50 4:17
  17:51 20:35
Gloria
Gloria in excelsis Deo 1:40 1:37
Et in terra pax 4:56 4:38
Laudamus te 4:23 4:13
Gratias agimus tibi 1:40 3:11
Domine Deus 5:44 5:24
Qui tollis peccata mundi 2:59 3:12
Qui sedes ad dexteram Patris 4:32 5:11
Quoniam tu solus sanctus 4:13 4:37
Cum Sancto Spiritu 3:51 3:36
  33:58 35:39
Credo
Credo in unum Deum 2:00 1:45
Patrem omnipotentem 1:44 1:48
Et in unum Dominum 4:28 4:29
Et incarnatus est 3:05 3:04
Crucifixus 2:58 3:48
Et resurrexit 3:41 3:34
Et in Spiritum Sanctum 5:06 5:02
Confiteor unum baptisma 3:02 3:42
Et expecto resurrectionem 3:36 1:58
  29:40 29:10
Sanctus
Sanctus 4:11 5:17
Osanna in excelsis 2:23 2:20
Benedictus 3:59 4:28
Osanna in excelsis 2:20 2:22
  12:53 14:27
Agnus Dei
Agnus Dei 5:06 5:41
Dona nobis pacem 2:57 3:30
  8:03 9:11
  1:42:25 1:49:02

追記:2008/07/01 現在、FireFox3でこのブログを作成し、表示を確認しているのだが、Internet Explorer 6.0で昨日作ったこの記事を確認したところ、テキストの部分と表の部分の間が非常に大きく開いてしまっていた。そこで、一端IE6.0を立ち上げて、そこでエクセル表の貼り付けを行ったところ、表の体裁(文字の中央揃えなど)は少し崩れたが、Firefox3でみてもIE6.0で見ても同じように見えるようになった。やはり、エクセルとIE, Firefoxでは少し相性の違いがあるようだ。

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2008年6月28日 (土)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#10 シューマン『子どもの情景』

事件ファイル #10 シューマン「こどもの情景」 ~ピアニスト刑事(デカ)、危機一髪~ 依頼人橘(たちばな)明日香 (斉藤由貴)  職業 女優

今週初めの日曜日6月22日のBS2(アナログと表示されるようになってしまった)を録画していたものを、次男の授業参観日が午前中に終り、午後の寛ぎの時間に見始めたのだが、今度は前回の『月光』と違って冒頭部分が録画されていなかった。それで、この「事件」のプロローグが分からないまま、番組を見ることになった。

今回の演奏者も仲道郁代さん。解説も玉川大学の野本准教授の出演。

斉藤由貴と言えば、私自身はそのドラマを見ることはなかったが、確か「スケバンデカ」シリーズに出演していたのではなかっただろうか。それで、ピアニストデカというのだろうが、何しろイントロ部分を見ていないのでなんとも言いようがない。彼女は、先々週まで放映していたNHKの木曜日ドラマの『バッテリー』(原作 あさのあつこ)という少年野球ものの主人公の口うるさい母親役を演じており、その素のままで演じているような口うるさいオバサンぶりには、若かりしアイドル女優を知っているものにとっては結構驚きだった。閑話休題。

ところで、この『子どもの情景』というピアノ曲集については、このブログでもケンプ、ホロヴィッツ( )、アルゲリッチアシュケナージブレンデルなどで直接間接に取り上げたことがあったり、あの有名な『トロイメライ』が収録されており、ピアノ演奏技術的にもそれほど高度ではない曲もあり、つまみ弾きするのに一応楽譜も持っていたりして、古くからのなじみの曲集だ。オムニバスLPの『トロイメライ』は確かケンプのものだったと思う。

さて、番組だが、この女性刑事を演じる女優が、舞台でピアノを弾くことになったが、子どもの頃のトラウマなどが原因でピアノを弾けなくなり、天出探偵と、カノン助手の事務所に相談にやってきたということらしい。その謎を解くのは探偵の任務というよりも心理カウンセラーが適任ではないかと茶々を入れたくなったが、仲道郁代さんの模範演奏は、端正で細やかなものでなかなか素晴らしいものだった。先週の『月光』もそうだが、いわゆる「弾けている」ピアニストだと思った。

この番組の特徴であるアナリーゼ的な部分では、第1曲のシソファミレの動機(音型)が、全曲に統一感を与えているというのが第1ポイントだったようだ。演奏としては、第1曲『見知らぬ国々と人々』、第3曲『鬼ごっこ』、第4曲『おねだり』、第9曲『木馬の騎士』、第10曲『むきになって』とドラマ仕立ての中で演奏され、その後国立音大の藤本一子さんがシューマンにおけける文学と音楽の結びつき、暗示的な題名というようなことを話していた。

曲中の白眉であり、シューマンの最も知られたメロディーとされる『トロイメライ』(白昼夢と訳された:いわゆる Daydream believer に通じる)の分析が番組的な主眼で、これにより女優のトラウマが解消されたようだが、その辺が筋書き的に飛躍があったのか、よく理解できなかった。この曲は、諸井誠『名曲の条件』(中公新書)でも取り上げられていたが、その解説よりもこちらのテレビ解説の方が分かりやすく、メロディー冒頭のドの音(途中で転調するが)の長さが初めは四分音符、次が八分音符、最後が前打音(装飾音符)というように短くなっていく不規則性によりファンタジーを生んでいる巧妙な技といような解説だった(ような気がする)。

最後に、仲道郁代氏の演奏が流され、テロップで、第1曲(6度の音程 シとソ が全曲を結びつけ)、第7曲トロイメライ(白昼夢)ではヘ長調が主調だが、途中に重要なハ長調の和音が重要で印象的であること、第12曲『子どもは寝入る』、第13曲『詩人は語る』で途中カデンツァが出るが、このカデンツァで引用される音楽のことについては触れらていなかったのは、少し手抜きだろうか?それとも見落としか?

このようなミニチュアールの曲集においても仲道郁代氏の演奏が聴き応えがあったのが、収穫だった。

追記:2008/06/29

最近、シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris)のTeldec レーベル録音で、この曲集が収録されたCDを入手した。このほかにOp.82『森の情景』, Op.124『アルバムの綴り』 (Albumblatter)[全20曲]が収録されているもの。輸入盤で、録音日時、ロケーションが記されていないが、マルP, マルCが1986年とあるので、その頃の録音だと思われる。ヴィルトゥオーゾで知られるカツァリスの演奏なので少し構えた気分で聴き始めたが、技術の余裕のためもあるのだろうが、大変叙情的で透明感のある仕上がりに聴こえる部分と、ヴィルトゥオーゾの血が騒ぐのか第9曲など少々煩いほどの音響の部分が交じり合う。ただ、本来聞き逃すような声部を独自の解釈で拾い上げるようなこともしているのがちょっと面白い。

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2008年6月26日 (木)

今日6月26日が誕生日なのは

今日は長男の誕生日で、先ほど誕生祝いの夕食を食べたところだ。私達両親や祖父母、叔父たちから誕生日、クリスマスといろいろなプレゼントをもらってきた彼だが、その多くが玩具類だった。狭い家の上、男の子二人の玩具が溢れかえってしまい、まさに身の置き所がない状態。最近のプレゼントは、本にしているが、その本も新刊書だけでなく、ブックオフが身近にあるため、つい簡単に買い与えてしまいこれも本棚から溢れかえっている。わが身を振り返っても、CDと本の山がいくつも出来てしまい、辰巳渚さんのような『捨てる技術』が身に付かず、捨てたりブックオフで売ったりすることに逆に罪悪感があり、溜まる一方になっている。

今年の誕生日は、鉄道研究会に所属したのを記念して、鉄道関係の書籍を数冊プレゼントした。今はひそかな?鉄道ブームらしく、マニアでない一般人が読んでも楽しそうな本も出ており、わたし自身も楽しめそうだ。

さて、これまで知らなかったが、指揮者のクラウディオ・アバドが1933年6月26日生まれで、今日が誕生日なのだという。既に75歳になったわけだ。私が20代の頃は、マゼール、メータ、ムーティ、オザワなどと並んで、次世代のホープだったアバドだったが、ミラノ、ヴィーン、ベルリンと主要ポストを歴任しながらも、やはり先にあげた同世代の指揮者たちと同じく、かつての巨匠たちのような成熟感が感じられないままの印象を持ち続けている。ベルリン後は、大病を克服し、ルツェルンなどでも活躍するなど決して深化していないわけではないのに、こちらの音楽の受容スタイルというか固定観念がそういう枠組みを作り出しているのかも知れないが、いつまでも颯爽としたアバドのイメージがぬぐえないでいる。

アバドの音盤はあまり縁がなく、帰宅するときにそのことを考えながら頭の抽斗を探ってみたのだが、一番初めに思い出したのはあまり印象がよくなかったモーツァルトの交響曲第40番と41番(ロンドン響)だった。そのほか、何があっただろうかと、CDの山を探ってみると意外にいくつか見つかった。古い順では、ロンドン響とのペルゴレージ『スターバト・マーテル』。ハイドンの交響曲第95、101番(ヨーロッパ室内管)。トランペット協奏曲(ハーセス、CSO)。モーツァルトのピアノ協奏曲第20、21、25、27(グルダ、VPO)。 9、17番(R.ゼルキン、ロンドン響)。先に挙げたロンドン響との交響曲40、41番。Live Classic の35番(ヨーロッパ室内管)、38番(トリノRAI管)。ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ヴェーバー コンツェルトシュトックも ブレンデル, BPO, ロンドン響)。チャイコフスキーとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲(五嶋みどり、BPO)。マーラーの交響曲第4番(VPO)。ヤナーチェク『シンフォニエッタ』(ロンドン響)。『アダージョ・ヴェルディ』から『行け、わが思いよ、金色の翼に』など。プロコフィエフの古典交響曲(ヨーロッパ室内管)とピアノ協奏曲第3番(アルゲリッチ、BPOとの名盤)。ヴァイオリン協奏曲第1番(ミンツ、CSO)。バルトークのピアノ協奏曲第1、2番(ポリーニ、CSOとの名盤)。先日購入したストラヴィンスキーの『プルチネルラ』と『火の鳥』(ロンドン響)、と結構な枚数があり自分でも驚いた。(7/5追記 アバド/VPOによるブラームスのハンガリー舞曲全曲のCDもあった。)

LP時代は、上記のグルダとのピアノ協奏曲と、マーラーの5番の交響曲(CSO)とリュッケルトの詩による歌曲のカップリングがあった程度だ。この"5 Lieder nach Ruckert" は、交響曲の少々生硬な感じよりもゆとりがあって本当に美しい演奏で音楽だと感心した記憶が今でも強く残っている。

その活躍の多彩さに比べて、どちらかと言えば関心の薄い方の音楽家ではあるが、どうも理由は分からない。メータもムーティもマゼールも同じ程度なので、どうしてもその前までの世代の音楽家の方に関心があるからというのが最も素直な理由だろうとは思う。

今晩は、久しぶりにモーツァルトの『ジュノム』協奏曲を取り出して聴いている。

晩年のルドルフ・ゼルキンは、モーツァルトをアバド/LSOと、ベートーヴェンを小澤/BSOと録音してくれて、どれも味わい深い演奏を聴くことができる。アバドがオーケストラと作る音楽が、ゼルキンの音楽の万全なサポートであるかは分からないが、この若書きとはとても思えない『ジュノム』(昔は「わこうど」と訳されたこともあるのだそうだ)の深い音楽世界を味あわせてくれるものであることは確かだ。こうしてみると、結構協奏曲の指揮が多いのは、彼に対する自分の関心を象徴しているのかもしれない。

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2008年6月19日 (木)

録画に失敗 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#9 ベートーヴェン『月光』ソナタ

事件ファイル #9 ベートーベン 「ピアノ・ソナタ“月光”」 ~狙われた花嫁 ~ 依頼人 曽名田 ひかる(西尾まり) 職業 OL 6月15日(日)11時過ぎに放送されたのをビデオ録画しておいて、昨日水曜日の夕食の時に見たのだが、番組のちょうど中間あたりで、なぜか録画が終了してしまっており、いつものように探偵の推理の結論までを楽しむことが叶わなかった。

ピアニストのゲストは、仲道郁代さん。最近、ベートーヴェンの演奏にも力を入れているとのことで、解説の玉川大の野本准教授がレクチャーしながら弾いてくれた演奏とはやはり格段の差があるなと、野本氏には失礼ながら思った。

この仲道氏、妻が一緒に聴きに行ったことがあるというので、思い出してみると、ピアノのソロではなく、あのフルートの工藤重典氏、チェロの林峰男氏とのトリオで当時住んでいた長野の田舎に来演して、ハイドンやヴェーバーのトリオなど珍しい曲目や、フォーレの『夢のあとに』、サン・サーンスの『白鳥』などポピュラー名曲をやってくれたのだった。仲道氏のソロの演奏を聴けたわけではなく、ピアノとしての印象があまりなかったのですっかり忘れていたのだった。

ところで、今回のピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調『月光』のアナリーゼで、興味深かったのは、冒頭楽章の分散和音が、終楽章のやはり分散和音に使われているということ、また冒頭楽章の低音部の最初の三つの音が、第二楽章の主題にも使われているということで、素材の統一が図られているという点の指摘だった。また、第1楽章と第3楽章にナポリ和音が使われており、それが非常に効果的だということだった。

ちょうど、仲道氏が、第3楽章の猛烈なピアノでの上昇主題とスフォルツァンドでの2回の和音の実演をしてくれているところで、録画が切れてしまったので、このミステリーの結末がどうなったのかは分からず、残念だったが、これまでオーケストラ曲に興味を持っていた長男が聴いてみたいというので、先日感心したブレンデルの『月光』をステレオ装置でスピーカーから流してみたところ、「へー、すごい曲だねー」と素直に感心していたので、今後の楽しみが増えた。

今晩は、いつものステレオイアフォンで、シュナーベルの全集から『月光』を聴いているが、第1楽章のサーフェースノイズが盛大なのには改めて驚いた。それに比べて、第2楽章、第3楽章はまあ聴ける音になっている。第3楽章は、シュナーベルらしい挑戦的なテンポで、非常に迫力のある音楽になっている。フレーズの長さと推進力が素晴らしい高揚感を生み出してくれる。天邪鬼のようだが、このような演奏のどこが(いい意味でもそうではない意味でも)「精神的な」演奏なのだろうか?確かに精神の高揚を伴い、高尚で真摯な姿勢の音楽だということは感じられるが、それよりももっとダイナミックで生気に溢れた音楽という趣の方が強いように思うのだが。

追記:6/21(土)夏至の日 早朝3:40

「録画に失敗」と書いたが、同じ放送を録画した方のブログ(★My Tiny Little Piano World★ 征爾とユンディの再放送)によると、当日の放送時間の変更で最後の15分間が収録できなかったらしい。BShiでは再放送(BShi 6月21日(土) 午後0:45~)があるようなのだが、BS2でも再放送を望みたいものだ。

このところずっと寝つきはよいのだが、大体4時ごろに目が覚めてしまい、その後うとうとするような睡眠が続いている。今晩は、土日が休みなので、パソコンに向かい雑文を書き付けているが、夏至祭の夜(聖ヨハネの日)というのに、梅雨の本格的な雨が降り始めた。先日入手したストコフスキーの編曲集(Transcriptions for Orchestra by Leopld Stokowski カンゼル指揮シンシナティ・ポップスによるTELARC盤)を聴いている。この中に、何とベートーヴェンの『月光』の第一楽章がオーケストレーションされたものが収録されているのだ。原曲のピアノ演奏ほど印象に残るものではないが、それなりに工夫されている。この中では、ディズニーの初代『ファンタジア』本編に未収録となったドビュッシーの『月の光』が美しい音で聴くことができ、ぼんやりとした頭に心地よい。こちらの編曲もピアノ原曲に比べるとムード音楽的になっており、冴え渡った秋の月光というよりも、朧に霞んだ月の光の風情で、これはこれで面白い。前の記事ではドビュッシー的なオーケストレーションと書いたが、豪勢な鳴り方はストコ節だろうか。なお、このCDの最後には、ストコフスキー編曲版の『禿山の一夜』も収録されている。

ちょうど今晩は夏至のイブで、『夏の夜の夢』もこの『禿山の一夜』もこのイブ(正確には、6月24日が聖ヨハネ祭で、その前夜が聖ヨハネ祭のイブということらしい)が舞台になっているらしい。

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2008年6月17日 (火)

6月の6番は

1月から、その月の数字に関係する曲の聴き比べなどをやっている。

6番で一番初めに思い浮かぶのは、やはりベートーヴェンの交響曲第6番『田園』だろうか。チャイコフスキーの『悲愴交響曲』も6番だし、マーラーの『悲劇的』と呼ばれる交響曲も6番。また、相変わらず、バッハの器楽曲集では、ブランデンブルク、ソロ・ヴァイオリン、ソロ・チェロ、パルティータ、フランス組曲、イギリス組曲など6曲セットのものが多いので6番はいくつもあるようだし。6曲は、どういう歴史的な経緯があるのかセットと考えられていて、ハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも6曲を1セットとして出版したり献呈したりしたことがあったようだ。

マジカルナンバー7というが、ヨーロッパでは12をダースとして一単位にし、その半分6もひとくくりにするための有用な数だったのだろうか。時計の文字盤は12と6が天辺と一番下に記されているし。

それほど親しい曲ではないが、シューベルトにも、ブルックナーにもドヴォルザークにもシベリウスにもショスタコーヴィチにも第6交響曲がある。バルトークの弦楽四重奏曲は、第6番が最後の作品だ。

ここでは、まったく想定外だったが、DHM50枚組みのDISC6 が バッハのロ短調ミサ曲の1枚目にあたるので、このトーマス・ヘンゲルブロック指揮フライブルク・バロック・オーケストラ、バルタザール=ノイマン合唱団による録音と、以前ここでも取り上げたブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラの録音の聴き比べを楽しんでみようかと思っている。

ヘンゲルブロック、フライブルクのバロックオーケストラという名前はほとんど親しくないが、以前、"Wein, Weib und Gesang" ブログの記事で目にしたのを思い出した。生演奏で、モーツァルトの『レクィエム』とヘンデルの『メサイア』を聴かれた記事だが、このロ短調ミサの美しい演奏から想像して素晴らしい聞き物だったことだろうと思う。 

聴き比べは別記事で。

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2008年6月15日 (日)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#8『フィンランディア』

2008年5月25日 (日) 小復活 名曲探偵 7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調 に続いて、6/8(日)夜、NHK BS11(BS2アナログ)放映の事件ファイル#8 シベリウス「フィンランディア」 ~美酒は謎の味わい~  依頼人 小樽もろみ (須藤理彩) 職業 酒蔵の若女将 をようやく昨日 6/14(土)にビデオ録画を見ることができた。

BS Hivision では、既に#9「ベートーヴェンの月光」(6/15今夜BS2で放送されるが)が放映されており、#10「子どもの情景」、#11「幻想交響曲」、#12「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」の放映予定が出ている。NHKが現在のBSアナログを導入したときと同様、早く新しい方式で見なさいとでも言うような強引な視聴者誘導が垣間見られて少々鼻白んでしまう。

さて、シベリウスの『フィンランディア』。オーケストラリスニングの入門曲でもあり、コンサートのアンコールなどの定番でもあり、また合唱曲としても知られ、これまでほとんど分析的な聴き方をして来なかった。おぼろげに、帝政ロシアの圧迫への反抗を音楽で描き、フィンランド独立への気運を高めた曲だという程度の知識しかなかった。

この番組では、その辺りのことも要領よく解説してくれていて、今回も結構ためになった。フィンランドに当たるのが、老舗酒造。近所に大規模醸造工場を建てた大手酒造メーカーが帝政ロシアという図式らしい。若くして蔵元を次いだ女将が、生き残りのため伝統的な手造りを廃止し、合理化・効率化を図ろうとしたところ、古くから酒蔵を支えてきた杜氏の「ゲン」さんが、「フィンランディアを聞いてほしい」とのメッセージを残して失踪したというのが、相談内容だった。

フィンランドは、隣国スウェーデンとロシアの両方から圧迫され、何とスウェーデンからは1155-1809年まで支配を受け、1809-1915までをロシアに支配され、ようやく1917年に独立したのだという。(なお、ベルグルンド盤の交響曲全集のパンフレット(菅野浩和氏)によるとシベリウス一家も、第一言語はスウェーデン語で、シベリウス自身教育はスウェーデン語で受けたのだという。)

『フィンランディア』は、まさにフィンランドという祖国への讃歌であるが、主部のフィンランド民謡風のメロディーに至るまでの激しい序奏的な部分のモチーフは、いくつかに分析されているのだという。これがこの番組の主眼だった。解説は、シベリウスの専門家である指揮者新田ユリ氏。

冒頭の低音域(ホルン、トロンボーン、チューバ)での下降音型が「苦難のモチーフ」と呼ばれ、その強弱法に特徴があるのだという。音程が下の方の音を強調することにより、逆のデクレッシェンドよりも「苦難」の意味が強まるということらしい。(日本フィルの団員が分奏実験をしてくれていた。)。それに続く「闘争の呼びかけのモチーフ」は、トランペットにより吹かれるが、その最初に休符を入れることによりエネルギーを蓄えているという感じが出るのだという。なるほど、この辺りの特徴的な部分にはそういう意味があったのかと得心。

そして、曲調が明るくなり、4拍子の楽譜の上で、5拍子のモチーフが繰り返されるのが「勝利に向かうモチーフ」。5拍子を入れることでズレを生じさせながら、最小公倍数で拍の頭があった瞬間に聞くものの気持ちをいやが上にも高揚させるという仕掛が見えるとのこと。これもなるほどだ。

また、主要メロディーが木管で歌われるが、それを弦楽器のトレモロが取り囲む。このトレモロのあるなしをまた、日本フィルの分奏で実験。若い女性オーボエ奏者だった。トレモロは、どうやらシベリウスの愛する自然を連想させる音であり、響きの奥行きを広げる手法でもあるのだという。風が吹く、風がやむ。自然の息吹の質感の違いなどが表現されているようだという。「作曲に必要なのは、ピアノではなく、しずけさと自然」。

探偵は、ここに「ゲン」さんのメッセージを読み取る。個性的な手造りの酒は、自然によってゆっくる醸し出される。シベリウスのオーケストレーションも楽器群が金管、木管、弦というように音楽をりれーしながら最後にまとまる。

「ゲンさん」がむっつり、さっぱりした人柄から、この有名なメロディーが、フィンランド語の促音便(「っ」で詰まる音)の多さを意識したものだということが語られる。有名な人名でも「ライッコネン、ハッキネン」など。樹の会という男声アマチュア合唱団により、フィンランド語の歌詞の付けられたこのメロディーが無伴奏合唱で歌われるが、リズム的に促音的になる休符の部分などなるほどという感じだった。

「祖国フィンランドへの徹底的な拘りがかえって普遍性をもたらした」というのがゲンさんの最終的なメッセージということで、個性の強い手造りの日本酒は、フィンランド人杜氏である「ゲン・ハッキネン」の手でこれからも作り続けられることになったとさ。

演奏は、デュトア指揮のNHK交響楽団。どのようなコンサートのプログラムの一部として演奏されたのか分からなかったが、手抜きなしに相当気合の入った演奏だった。

放送後、長男とカラヤン/BPO、ベルグルンド/ヘルシンキフィルのCDを聴き比べた。豪華なカラヤン、細身だが清涼感があり慎ましやかなベルグルンドという感じだった。

BS2での放送は、今晩『月光』がテーマ。また楽しみだ。


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2008年6月14日 (土)

ドイツ・ハルモニア・ムンディ50周年記念 50枚セットを買ってしまった

DHM と略すらしいが、SONY/BMG傘下に入ったこともあるのか、50周年記念で膨大な録音が超廉価で発売された。

初回があっと言う間に完売したという話題をいくつかのブログ記事で拝見していて残念に思っていたが、再発売が決定したという話を聞き、またもや久々に禁を破って6/10の早朝HMVに注文を入れたところ、6/13の午後には佐川急便で38*38*22という巨大なダンボールに入って届けられた。中にはクッション類はまったくなく、同時注文の2枚のCDと一緒にラップでくるまれて、それがその大きなダンボール箱の底面に軽く接着された状態で届いた。環境への負荷低減のため発泡スチロールのクッション材の使用を減らすためかと想像したが、底面の補強という点では心配の残る梱包形態だった。ただ、中のCDにはまったく異状なく、傷や凹みもなかった。英語版の表記を写すと "Deutsche Harmonia Mundi 50th Anniversary Edition"  50CDs FROM THE LEGENDARY BAROQUE AND ANCIENT MUSC LABEL とある。HMVの紹介ページはこれ

これまで ハルモニア・ムンディの名前は知ってはいたが、音盤としてはLPもCDも一枚ももっていなかった。これまで聴きたいと思っても聞けずにいたマショーやビーバー、フレスコバルディなどの作品も聞けるし、バッハの曲でもソロ・チェロ組曲やロ短調ミサ、モンテヴェルディの『ヴェスペレ』などの手持ちの音盤の同曲異演盤も聞けるのでと思い、購入に踏みきった。

何から聞いてみようか迷ったが、 【モンテヴェルディ:『聖母マリアの夕べの祈り』(全曲) コンラート・ユングヘーネル(指揮&リュート) カントゥス・ケルン コンチェルト・パラティーノ】は、ガーディナーの録音で何度も聞いている曲なので、聴き比べてみようと聴き始めたところ、ガーディナーの録音が華麗で少し饒舌過ぎると聴こえるほど、まろやかで滑らかな美しさの演奏が聴けて驚いた。DHM自体、その筋では十分有名なレーベルで、私が知らないだけなのだが、このような演奏、録音を聴いてみると、「(当然のことながら)まだまだ世の中は広いものだ」と、陳腐な感想が生まれてきた。

膨大な音盤を蒐集して、未聴状態で放置することをチョモランマにひっかけてミチョランマと言うらしい(座布団数枚もの!)が、この50枚組みのCDは、多彩なラインナップということもあり、多分ミチョランマ登録されることはない!と、自分で決意する次第だ。



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2008年6月11日 (水)

先日の『題名のない音楽会』と『名曲探偵』が書けないのは

帰路によく立ち寄るスーパーマーケットに、埼玉県羽生市(はにゅうし)の東亜酒造製のウィスキー『ゴールデンホース 武州』というのが置いてあり、地ウィスキーというのも面白そうだと思って購入して、夕食後飲み始めたところ、口当たりと喉越しがよく、このところアルコール飲料と言えばビールか発泡酒だけだったので、つい気分よく飲んでしまっている。

そこで、ソロモンのベートーヴェン 後期ピアノソナタ集について雑文をものそうと思ったが、順延。

日曜日朝の『題名のない』は、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』特集。『佐渡裕の題名日記』という番組連動ブログが立ち上がっており、そこでおよそのことはわかってしまうのだが、結構面白かった。やはり指揮者にとっても、オケにとっても難曲であるということが確認できてほっとした。

『名曲探偵』は、『フィンランディア』が題材だったようだが、ビデオ録画をまだ見られずにいる。見たら少し感想を書き付けてみたい。

今、ワルター(ヴァルター)指揮コロンビア交響楽団によるブラームスの交響曲第1番を聴いている。ファーストチョイスにはふさわしくないが、この曲を結構聴いて来た耳には、演奏のできのよしあしは別にして、さすが大巨匠の指揮だという部分が聞かれて面白かった。パンフレットの解説は、門馬直美氏で「ワルターの音楽の世界~常に微笑を忘れず』というもの。

また、読んでいる本は、あの青柳いづみこさんの文春新書『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』というもの。『のだめ』、『神童』、『ピアノの森』を題材に、ピアニスト論が多岐に渡り面白い。

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2008年6月 1日 (日)

題名のない音楽会 第3回 指揮者に挑戦大会その2

先日、2008年5月25日 (日) 指揮者のテンポ保持の難しさという記事を書いたが、今週はその続きが放映された。日曜日朝9時は、子どもが楽しみにしている『ゲゲゲの鬼太郎』の時間なので、『題名のない音楽会』はこのところずっと見ていなかったのだが、『徹子の部屋』に佐渡裕が登場してその番組の司会を引き受けたと言っていたので、一度見てみるかとビデオ録画をしてみたところ面白い番組だった。そして今週もビデオ録画したのを鬼太郎終了後すぐに見てみた。

先週見て巧いと思ったのは、伊福部昭のオーケストラ曲(変拍子だったと思う)を指揮したオペラもやっているという30-40代の男性の指揮だった。小学生はなかなかだったが、サッカーとピアノ、作曲をやっている万能中学生のは少し身体が動きすぎて分かりにくい指揮だった。白衣の薬品研究者の女性の指揮は『禿山の一夜』でユニークなものだったが、結構音楽を知っている人ではないかと思った。ブラームスの第2番のフィナーレを熱狂的に終わらせたのは気持ちがいいだろうと思った。

今週は、ルー大柴のゲスト出演も面白かった。オーケストラが素人指揮によくついて行っているのには感心する。ルーのゆっくりおとなしい『新世界』フィナーレの冒頭を指揮にきちんと反応して演奏していた。こういうのがすごく面白い。グランプリをとった75歳後期高齢者を自称する音楽歴の長い愛好家の老人による『田園』の嵐から感謝の歌へのつなぎとフィナーレは、8分の6拍子の弾むようなリズムには欠けていたが、不思議な感動を誘うものだった。ゲストの青島氏が「オケは指揮者の辿ってきた歴史に反応して音楽を作る」というような感想を述べ(隣の席の岩村氏という若い指揮者が少々「オイオイ」という顔をしていたのが面白かった)ていたが、まさに人間性を感じさせるものだった。中学生女子のベト7の第1楽章主部も躍動感よりも第1主題冒頭の初めは処女のごとく淑やかな表現と確保(繰り返し)での脱兎のごとし(飛翔感)の対比は面白く、高校ブラバンのトロンボーン兼指揮者のブラームスの第4番フィナーレは、こういう音を目前で響かせられたら何ともいえない感激だろうと思わせてくれた。宇宙開発事業団の人のチャイコフスキーの4番の第1楽章の終結部も、場面展開の部分で思わぬパートの強調などがありユニークで面白かった(ゲストの宮本氏が難しい部分でしたがよくこなしましたねと言っていた。番組後、手持ちのムラヴィンスキー/レニングラードpo、セル/LSO、カラヤン/BPO、小澤/BPOで聴いてみたが、こういう劇的な場面転換とクライマックスへ緊張感の高め方、クライマックスでの解放はカラヤンの指揮はさすがに巧みだった。)

素人によるこういう個性的な指揮(たった一分だが)を目にし耳にすると、普通のプロフェッショナルな人たち(上記の大指揮者たちでも)の作り出す音楽が楽譜と伝統と権威の縛りに囚われ過ぎているのではないかという危惧が頭をかすめる。個性的でありさえすればいいというのではなく、作曲者の意思の尊重、楽譜の尊重など基本的に誠実な姿勢がプロの解釈者、演奏家として必須条件だとは思いつつも、標準的な音楽解釈が録音などにより流布し、指揮者もオケもそれをなぞるかのような演奏が現代では比較的多いように思う。また、原典尊重主義がピリオドアプローチの基本理念だろうが、その時代時代の標準的な演奏解釈での演奏は、よほどの機会に恵まれないと感動には結びつかない。とはいえ、これもまた音楽=感動というのは、音楽史的には比較的短い期間の流行なのかも知れないのだが。

逆にプロオケの表現力、追随力がこれほどあるというのは、新たな発見で大変面白かった。

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2008年5月28日 (水)

小澤征爾 武満徹 『音楽』(新潮文庫)

先日の新聞の広告を見たら、2008年のサイトウキネンフェスティバルのオペラは、ヤナーチェクの『利口な女狐の物語』を取り上げるのだという。以前にも確かヤナーチェクを取り上げたことがあったので、小澤征爾は結構ヤナーチェクのオペラが好きなのかも知れない。ただ、小澤氏は椎間板ヘルニアのため現在休養中だということで、水戸室内管弦楽団の定期公演に代演を立てるという新聞記事を読んだ。是非夏までには治癒して欲しい。公演を見るのは無理だろうが、是非舞台を映像に記録して後日市販して欲しい。

さて、この文庫だが、オリジナルは昭和56年(1981年)刊行されたもので、既に27年も経ってしまった。しかし、自分が未だ若い頃のものなので、なんとなくつい昨日のような気もする。いわゆる同時代という感じだ。武満徹も勿論元気だった頃、もう長野県の御代田町に居を構えていたのだろうか?

同じく対談集で大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した後に、小澤征爾と対談した『同じ年に生まれて』もそれなりに面白かったが、この『音楽』も面白かった。ただ、あまり深みが感じられない。昔、ああだった、こうだったという回顧談が多いように思う。もっと武満の発言を読んでみたかったが、どうも小澤のペースの対談のようだ。ざっくばらんで物怖じしない人柄のようなので、無理からぬところはあると思うが。それでも、武満が「岩城宏之の指揮がよかった」というところでは、小澤が相槌を打たないところなど、結構なるほどと思うところもある。

ちょうど中国が四人組の追放の前後で、武満が訪中、小澤が単身訪中し北京のオーケストラでブラームスを振り、その後ボストン響を引き連れて訪中という頃に当たっており、その意味で、その時代の記録としては結構面白い。

最近、中国出身のユンディ・リとラヴェルのピアノ協奏曲で共演したCDが出たり、ランランとは以前から共演していたりで、中国出身の音楽家の出現を当時から予想していたが、それが実現したのは喜びだろうと思う。

ただ、日本の音楽界についての言及は、何回かの対談を合わせたものだけあり、多少自己矛盾しているような発言も見受けられ、そのことが結構アンビバレントな感情を窺わせるようにも思う。

20世紀の日本を代表する稀代の音楽家同士の対談で、それなりに貴重なものだが、やはり深みという点で物足りなさを覚えてしまうのが、残念だ。

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2008年5月25日 (日)

小復活、名曲探偵アマデウス事件ファイル#7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調

しばらく休んでいたが、少し復活した。連休明けのストレスで、心療内科で投薬をしてもらったが、それがよく効き、朝が起きれなくなってしまった。思い切ってじっくり休んだ。また、先週月曜日の吹き降りの大雨の朝、鉄筋コンクリート造りの最上階ではないのに、外壁に激しく打ち付けた雨が滲み込んだのか天井から雨漏りがしてしまい、その対応にも追われるなど、激しい波のある半月だった。そんなこんなでしばらく休養した。

土曜日と今日日曜日も雨が降っているが、吹き付ける雨ではないためか、今のところ雨漏りはしていない。工事は外壁にあるだろうと思われる隙間を埋めるものになるようで、しばらく時間がかかりそうで、この際雨漏りのあった部屋(子ども部屋)の大量のおもちゃ類を整理しようということになった。(自分のCD,書籍も収拾がつかなくなりつつあるので整理が必要なのだが。)

さて、先週の日曜日の夜の23時からの番組をビデオ録画しておいてみた。

櫻井淳子扮する銀座のクラブのママ(卯たひめの雪乃)。客の小説家に恋をした。その小説家は気まぐれで悪魔的でその心が分からない。彼がそのママの店を訪れたときそこのピアノで弾いたのがテレサ・テンの『つぐない』(窓に西日の当たる部屋は・・・)のメロディーによく似た曲。そしてその男は姿を現さなくなった。この曲に託したその男のメッセージとは? ママの恋はどうなるのか?

例外的なニ短調の曲。第1楽章は不安を感じさせるシンコペーションとアウフタクトの低音リズムが組み合わせられる。「アンサンブル・プリマベーラ」という室内楽団体?による実験(シンコペしない、する)も面白かったが、それほどの違いは感じられなかった。

オケによるシンコペとアウフタクトも第1主題部の前半だが、ピアノが独自の主題を奏する。これがこの曲の特徴。この主題について毎回登場する玉川大学の准教授、野本由紀夫氏は「ため旋律」と呼び、8度の飛躍とため息、10度の飛躍とため息のように「がんばろう、だめかも。がんばろう、だめかも」の繰り返しだと語る。なるほど。このピアノ協奏曲は、いわゆる「おきて破り」で、同時代の例のサリエリのピアノ協奏曲変ロ長調の冒頭部分が比較のために用いられたが、これがなかなか聴き応えのありそうな曲だった(ナクソスなどで聞けるだろうか?)。このような祝祭的な華やかな曲に対して、暗く、静かで、オケとピアノが違うメロディーを扱うのはデモーニシュで非常に珍しいとのこと。

第2楽章(の主部)は、親しみやすくおだやか。安堵と調和の世界。高音の旋律と低音の伴奏がちょうどソプラノとテノールの女声と男声による二重唱のよう。よりそってデュエットをしているかのようだ。この楽章は Romance (英語ではロマンスだが、ロマンツェと読む)という名前。

BGMがジュノムに切り替わり、モーツァルトのピアノ協奏曲論(音楽通もそうでない人も楽しめるのがピアノ協奏曲の極意)が紹介、フォルテピアノの開発も大きな影響。ベートヴェンはカデンツァを作曲し愛奏、ブラームスもこの曲を愛奏したことが紹介される。

また、ママが登場。「彼がお店に現われたが、私のことを無視して冷たくする」。まさに第3楽章の冒頭の追い立てられ不安に突き落とされたまま走り続けるよう。「告白に対する拒絶」。属九の和音(最も激しい不協和音)も用いられている。しかし、第1楽章のピアノ主題が、それに続いて現われる。一種のバリエーション。モーツァルト国際コンクール優勝の菊池洋子によれば、第3楽章の主題は、第1楽章のそれに比べてより前向きな感じを受けるとのこと。「希望や救い」がある。そしてピアノとオケが会話を始める。両者の関係に前向きの変化が始まったことを示唆するかのよう。第1楽章:不安。第2楽章:安堵、第3楽章不安を秘めながら希望への光を見せるという図式。

筧(アマデウス)探偵「どんなに悪魔的な人だとしても、これが彼からの精一杯の気持ち」「彼はあなたを想っている。美しいメロディーこそが彼の気持ち」

第3楽章の演奏。指揮はデュトワ。ピアノは、ピョートル・アンデルジェフスキという東欧系の若手男性ピアニスト。第1カデンツァは自作?(ベートーヴェンのではないようだが。)再現部でピアノのメロディー(第1主題)をオケが引き継ぎ、第2カデンツァ。最後は、ニ長調に転調して祝祭的な雰囲気で華やかに終結。

以上のように結構勉強になった。第1楽章のピアノだけに現れるアイガングと呼ばれるメロディーが『つぐない』に似ているというのは新発見で驚いた。またこれが第3楽章の主要主題として変奏されて登場するというのも、解説書には出ていたかどうか覚えていないが、なるほどと思った。そして、その主題がオーケストラでも奏でられる。第2楽章の穏やかなメロディーは、女声と男声の二重唱のようということも。

この番組だけを見れば、なるほど巧くできているという風に感じる。

が、この後、久しぶりにハイドシェックとヴァンデルノートの盤でいざ全曲を聴きなおしてみると、第1楽章にしても第2主題はピアノとオケの対話になっている。第2楽章のロマンツェ(モーツァルトは、この形式名を「グラン・パルティータ」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でも用いておりやはり穏やかな主部と不安げで急速なテンポの中間部で構成しているのが見られる)の中間部の同じ速度ながら突然テンポが上がり非常に焦燥感のある非常に不安げな音楽に転換することを、この番組のストーリーは敢えて省いている。というように、この番組の不満な部分も次第に表れてきた。

これまで『ゴルトベルク』はそれなりに全曲を扱っていたが、『悲愴』は、第1、第4楽章のみ。『死と乙女』は第1、2楽章のみ。『前奏曲集』も数曲のみ。そして『ピアノ協奏曲』は、一応全楽章だが、ストーリーにこじつけるため(あわせるため)に部分的に敢えて省略したところがある。新たな啓示はあるのだが、この番組のストーリーがその曲全体を十分に説明しつくしたとは言えないところに注意をする必要があるように思った。(十分条件と必要条件という言葉で説明したいが巧くいかない)

なお、この第20番とそれに続く対照的な第21番の協奏曲と、有名なシンフォニー第40番と第41番との不思議な関係については、ずっと以前自分のホームーページに冗談のような対話編を書いてみたことがある。なかなかの着想だと自分では思うのだが。題して「モーツァルトの隠し絵」。

事件ファイルの#1(ボレロ)、#2(ブラームスの第4交響曲)は、見逃したが、これで#7まで見たことになる。今晩のBS2は、シューベルトの再放送。また来週はチャイコフスキーの再放送で、次回新作はシベリウス「フィンランディア」、続いてベートーヴェンの「月光」、シューマンの「子どもの情景」と続くらしい。

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2008年5月12日 (月)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#6 ドビュッシー『前奏曲集第1巻』

フランス料理のシェフ 飛石蔵人 (トビシ、クロウド !)の相談。

ピアノは、ドビュッシーの全ピアノ作品を日本人で初めて演奏した中井正子というピアニストの演奏。解説は、ピアニスター?Hiroshi。

つぶれかけのレストランに、フランス修業時代の師匠からメッセージ。帆、亜麻色の髪の乙女、音と香りは夕暮れの大気に漂う。沈める寺。

前菜: 帆 ふわふわした響きは、全音音階のため。ピアニスターヒロシが、童謡『蝶々』『ロンドン橋』を全音音階で弾いてみる。面白い。有名な全音音階の例:鉄腕アトムのイントロ。ドビュッシー「不毛な伝統から音楽を解き放ってやりたい」

スープ:亜麻色の髪の乙女。変ト長調だが、いわゆるヨナ抜きの五音音階。スコットランド民謡などの影響。小舟にてがBGM。1889年のパリ万博でのインドネシア、ジャワ島のガムラン音楽。あらゆるニュアンスがこの音楽にはある(ドビュッシー)。料理にも引き算が必要。

メインディッシュ:音と香りは夕暮れの大気に漂う。

中井正子の解説。イ長調にロ音のフラットでスパイス。属七の和音の連続による色彩感。五感を研ぎ澄ませ。

すべてを鐘の音の如くピアノで響かせる。

「沈める寺」 不完全な和音、完全な和音、ペダルを踏んで低音部を響かせ、沈む様を描く。
すべての味を響かせるやる気、情熱を取り戻し、フレンチレストランはその後三ツ星にランクされた、とさ。

その後、サムソン・フランソワの『前奏曲集』を聴いた。ベロフやミケランジェリに比べて、味付けが濃厚で面白かった。

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2008年5月 6日 (火)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#5 シューベルトの弦楽四重奏曲『死とおとめ』

日曜日の深夜11時半から放送のものをビデオ録画しておいて5月5日の月曜日に鑑賞した。

5月4日の日曜日は、ちょうど「藤子F不二夫」特集をやっていて、その大ファンの長男が是非行きたいといっていた杉並アニメーションミュージアムを見学に行ってきた。中央線の荻窪駅で下車し、北口を出て、青梅街道に沿って西へ約1.5kmほど歩いて、荻窪警察署の信号を左に折れると杉並会館という区立の会館があり、その3階にこのミュージアムがある。入場料は無料。http://www.sam.or.jp/ 展示品を見たり、アフレコを体験したり、トレースで絵を描いたり、DVD室で好きなアニメを見たり、映写室で藤子F不二夫の作品(チン・プイ)を見たりして半日ほど楽しめた。

翌5月5日は、天気もよくなく、一日家で過ごし、子ども達は休み中の宿題を全部終わらせたが、ちょうどお昼ごろ、事件ファイル#5を楽しんだ。

題材は、『死とおとめ』の第1楽章と第2楽章。第1楽章では、わずかの小節数の間に、何と6回も転調をしているということがこの音楽の特徴として指摘されていた。また、有名な歌曲『死と乙女』の冒頭の葬送行進曲的な音楽をテーマにした変奏曲だが、短調の部分から急に長調に転調するときの「属9の和音」?の使い方の素晴らしさが指摘されていた。通常、短調から長調に転調するときに使われるこの和音は、フォルテやアクセントなどで強調されるのだが、シューベルトは、ここでデクレッシェンドの後に大変ひっそりと奏でるように指定してあるということが、玉川大学の准教授(先日の悲愴でも登場)が語っていた。

この曲を書き始めた頃のシューベルトは、不治の病梅毒に自分が冒されたことを意識しており、体調も悪かった。絶望的な気分で作曲を始めたが、次第に死と正面から向き合い、それを受け入れるようになっていったというようなストーリーだった。

この曲は、これまで非常に不吉な音楽として捉えていたのだが、今回のような「前向き」の捉え方ができるというのはこじつけとも思えず、参考になった。

女性三人、男性一人(チェロ)の古典四重奏団という団体が演奏を担当したが、なかなか巧い演奏だった。

ディスクでは、非常にスケールの大きいように聴こえてしまい苦手だったアルバン・ベルク四重奏団のものと、「シューベルティアーデ」のセットで、往古の名盤のブッシュ四重奏団のものを持っているがこれまであまり熱心に聴いていなかった。少し前向きに聴いてみよう。

5月6日(火)連休最終日は、久しぶりの好天に恵まれ、湿度も非常に低く爽やかな初夏の一日だった。大山詣でをしてきて、リフレッシュでき、体調は非常に快調だ。

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