カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の156件の記事

2008年6月28日 (土)

生活防衛術的なディジタルテレビ放送受信

このニュースがきっかけになって、ディジタルテレビチューナーへの関心が高まっているようだ。

地上デジタル放送:支援、経済的弱者に配慮 「ばらまき」の批判も

情報通信審議会(総務相の諮問機関)の部会が11年7月の地上デジタル放送への移行をにらみ、生活保護世帯への地デジ対応チューナー給付を求める答申をまとめたのは、国主導で地デジ移行を進める以上、経済的弱者への政府の支援策も不可欠との声が高まったためだ。

 地上テレビ放送のデジタル化は、高画質・高音質の番組やデータ放送などを視聴できるようにすることや、情報を圧縮して送り、電波の利用枠に余裕を もたせるのが狙い。デジタル化で生まれた枠は、需要が急増している携帯電話や「高度道路交通システム(ITS)」などに充てられるという。

 問題はアナログ放送しか受信できないテレビを持っている人に経済的負担を強いることだ。

 総務省によると、海外ではオランダ、スウェーデン、フィンランドなどが既にアナログ放送を終了。08年から地デジ移行が進むフランス、英国では政 府が基金を創設して低所得世帯などにデジタル受信機の購入を補助する。米国はすべての地上波受信世帯に受信機購入のクーポンを支給する。

 無料配布には「デジタル受信機は本来、それぞれで用意するのが原則。予算のばらまきにつながる」との批判もあるが、総務省の部会は地デジを「国全 体の利便性向上につながる国策プロジェクト」と位置付け、生活保護世帯に限れば、異例の現物給付にも理解が得られると判断した。【川口雅浩、前川雅俊】

毎日新聞 2008年6月24日 東京朝刊

地上デジタル放送:生活保護世帯にチューナー給付 アンテナ改修も--総務省部会答申

総務省の情報通信審議会の情報通信政策部会は23日、2011年7月24日に地上アナログテレビ放送 が終了し地上デジタル放送に移行することに伴い、生活保護世帯(06年度末で約107万世帯)に地デジ対応の専用チューナー(約5000円)を現物給付す る答申をまとめた。必要があれば屋外アンテナの改修(約3万5000円)などを無償で行う。「貧困世帯でも災害情報などテレビの情報伝達機能を維持するた めには支援が必要」と判断した。総務省は09年度から3年間で対象世帯への配布や工事を行う方針だ。

 地上デジタル放送移行後は、専用チューナーがなければ現行のアナログテレビでは番組を見られない。家庭によってはアンテナの改修も必要になる。対 象となるのは、生活保護世帯のうちアナログ放送を視聴している世帯で、申請に応じて現物給付する。総務省が世帯数や必要額を精査する。予算は3年間で約 50億円から最大で約375億円となる見通し。【川口雅浩】

毎日新聞 2008年6月24日 東京朝刊

大メーカーも大手量販店ももちろん大々的な宣伝はしていないが、この記事がきっかけになって、今のアナログテレビを買い換えなくてもデジタル放送が「見られる」のだという認識が結構広まったらしい。知人の話では、近所の電気店にもそういうチューナーが普通に入手できるのかという問い合わせが増えたのだという。

そこで、大手の量販店のテレビ機器売り場をのぞいてみたところ、薄型大型画面テレビ、ブルーレイディスクレコーダーなどの最新鋭機器の華やかなディスプレーの片隅に、マスプロ、YAGI、AVOXなどのメーカーがチューナーを展示していたが、特に小売店としてもポップなどで積極的な宣伝もしておらず、マスプロのものなどカタログも置いてなかったほどだった。そこで各社のホームページを調べてみた。

専業的なメーカー
八木アンテナのチューナーのページ

マスプロのチューナーのページ

AVOX(C-MEX)のページ(チューナーはメンテ中)

しかし、価格com を見れば、多くの大手メーカーも専用チューナー(ディスクレコーダーに比べれば相当廉価)を何種類も市場に出しているようだ。

なお、パソコン用のディジタル放送チューナーも発売され始めたが、パソコン本体に相当の処理能力がないと使い物にならないらしい。これには要注意だ。

我が家ではアナログテレビの音声が接触不良か何かでテレビ本体から出なくなってしまったこともあり、この際薄型テレビに買い替えを検討しているが、実家などではまだ十分きれいに見られるブラウン管型テレビを買い換えるのももったいないので、このようなチューナーを奨めようかと考えている。(UHF放送が始まったときにもコンバーターというのがセットトップボックスとして各家庭に導入されたが、それと同じ感覚だろうか)。

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名曲探偵アマデウス 事件ファイル#10 シューマン『子どもの情景』

事件ファイル #10 シューマン「こどもの情景」 ~ピアニスト刑事(デカ)、危機一髪~ 依頼人橘(たちばな)明日香 (斉藤由貴)  職業 女優

今週初めの日曜日6月22日のBS2(アナログと表示されるようになってしまった)を録画していたものを、次男の授業参観日が午前中に終り、午後の寛ぎの時間に見始めたのだが、今度は前回の『月光』と違って冒頭部分が録画されていなかった。それで、この「事件」のプロローグが分からないまま、番組を見ることになった。

今回の演奏者も仲道郁代さん。解説も玉川大学の野本准教授の出演。

斉藤由貴と言えば、私自身はそのドラマを見ることはなかったが、確か「スケバンデカ」シリーズに出演していたのではなかっただろうか。それで、ピアニストデカというのだろうが、何しろイントロ部分を見ていないのでなんとも言いようがない。彼女は、先々週まで放映していたNHKの木曜日ドラマの『バッテリー』(原作 あさのあつこ)という少年野球ものの主人公の口うるさい母親役を演じており、その素のままで演じているような口うるさいオバサンぶりには、若かりしアイドル女優を知っているものにとっては結構驚きだった。閑話休題。

ところで、この『子どもの情景』というピアノ曲集については、このブログでもケンプ、ホロヴィッツ( )、アルゲリッチアシュケナージブレンデルなどで直接間接に取り上げたことがあったり、あの有名な『トロイメライ』が収録されており、ピアノ演奏技術的にもそれほど高度ではない曲もあり、つまみ弾きするのに一応楽譜も持っていたりして、古くからのなじみの曲集だ。オムニバスLPの『トロイメライ』は確かケンプのものだったと思う。

さて、番組だが、この女性刑事を演じる女優が、舞台でピアノを弾くことになったが、子どもの頃のトラウマなどが原因でピアノを弾けなくなり、天出探偵と、カノン助手の事務所に相談にやってきたということらしい。その謎を解くのは探偵の任務というよりも心理カウンセラーが適任ではないかと茶々を入れたくなったが、仲道郁代さんの模範演奏は、端正で細やかなものでなかなか素晴らしいものだった。先週の『月光』もそうだが、いわゆる「弾けている」ピアニストだと思った。

この番組の特徴であるアナリーゼ的な部分では、第1曲のシソファミレの動機(音型)が、全曲に統一感を与えているというのが第1ポイントだったようだ。演奏としては、第1曲『見知らぬ国々と人々』、第3曲『鬼ごっこ』、第4曲『おねだり』、第9曲『木馬の騎士』、第10曲『むきになって』とドラマ仕立ての中で演奏され、その後国立音大の藤本一子さんがシューマンにおけける文学と音楽の結びつき、暗示的な題名というようなことを話していた。

曲中の白眉であり、シューマンの最も知られたメロディーとされる『トロイメライ』(白昼夢と訳された:いわゆる Daydream believer に通じる)の分析が番組的な主眼で、これにより女優のトラウマが解消されたようだが、その辺が筋書き的に飛躍があったのか、よく理解できなかった。この曲は、諸井誠『名曲の条件』(中公新書)でも取り上げられていたが、その解説よりもこちらのテレビ解説の方が分かりやすく、メロディー冒頭のドの音(途中で転調するが)の長さが初めは四分音符、次が八分音符、最後が前打音(装飾音符)というように短くなっていく不規則性によりファンタジーを生んでいる巧妙な技といような解説だった(ような気がする)。

最後に、仲道郁代氏の演奏が流され、テロップで、第1曲(6度の音程 シとソ が全曲を結びつけ)、第7曲トロイメライ(白昼夢)ではヘ長調が主調だが、途中に重要なハ長調の和音が重要で印象的であること、第12曲『子どもは寝入る』、第13曲『詩人は語る』で途中カデンツァが出るが、このカデンツァで引用される音楽のことについては触れらていなかったのは、少し手抜きだろうか?それとも見落としか?

このようなミニチュアールの曲集においても仲道郁代氏の演奏が聴き応えがあったのが、収穫だった。

追記:2008/06/29

最近、シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris)のTeldec レーベル録音で、この曲集が収録されたCDを入手した。このほかにOp.82『森の情景』, Op.124『アルバムの綴り』 (Albumblatter)[全20曲]が収録されているもの。輸入盤で、録音日時、ロケーションが記されていないが、マルP, マルCが1986年とあるので、その頃の録音だと思われる。ヴィルトゥオーゾで知られるカツァリスの演奏なので少し構えた気分で聴き始めたが、技術の余裕のためもあるのだろうが、大変叙情的で透明感のある仕上がりに聴こえる部分と、ヴィルトゥオーゾの血が騒ぐのか第9曲など少々煩いほどの音響の部分が交じり合う。ただ、本来聞き逃すような声部を独自の解釈で拾い上げるようなこともしているのがちょっと面白い。

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2008年6月26日 (木)

今日6月26日が誕生日なのは

今日は長男の誕生日で、先ほど誕生祝いの夕食を食べたところだ。私達両親や祖父母、叔父たちから誕生日、クリスマスといろいろなプレゼントをもらってきた彼だが、その多くが玩具類だった。狭い家の上、男の子二人の玩具が溢れかえってしまい、まさに身の置き所がない状態。最近のプレゼントは、本にしているが、その本も新刊書だけでなく、ブックオフが身近にあるため、つい簡単に買い与えてしまいこれも本棚から溢れかえっている。わが身を振り返っても、CDと本の山がいくつも出来てしまい、辰巳渚さんのような『捨てる技術』が身に付かず、捨てたりブックオフで売ったりすることに逆に罪悪感があり、溜まる一方になっている。

今年の誕生日は、鉄道研究会に所属したのを記念して、鉄道関係の書籍を数冊プレゼントした。今はひそかな?鉄道ブームらしく、マニアでない一般人が読んでも楽しそうな本も出ており、わたし自身も楽しめそうだ。

さて、これまで知らなかったが、指揮者のクラウディオ・アバドが1933年6月26日生まれで、今日が誕生日なのだという。既に75歳になったわけだ。私が20代の頃は、マゼール、メータ、ムーティ、オザワなどと並んで、次世代のホープだったアバドだったが、ミラノ、ヴィーン、ベルリンと主要ポストを歴任しながらも、やはり先にあげた同世代の指揮者たちと同じく、かつての巨匠たちのような成熟感が感じられないままの印象を持ち続けている。ベルリン後は、大病を克服し、ルツェルンなどでも活躍するなど決して深化していないわけではないのに、こちらの音楽の受容スタイルというか固定観念がそういう枠組みを作り出しているのかも知れないが、いつまでも颯爽としたアバドのイメージがぬぐえないでいる。

アバドの音盤はあまり縁がなく、帰宅するときにそのことを考えながら頭の抽斗を探ってみたのだが、一番初めに思い出したのはあまり印象がよくなかったモーツァルトの交響曲第40番と41番(ロンドン響)だった。そのほか、何があっただろうかと、CDの山を探ってみると意外にいくつか見つかった。古い順では、ロンドン響とのペルゴレージ『スターバト・マーテル』。ハイドンの交響曲第95、101番(ヨーロッパ室内管)。トランペット協奏曲(ハーセス、CSO)。モーツァルトのピアノ協奏曲第20、21、25、27(グルダ、VPO)。 9、17番(R.ゼルキン、ロンドン響)。先に挙げたロンドン響との交響曲40、41番。Live Classic の35番(ヨーロッパ室内管)、38番(トリノRAI管)。ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ヴェーバー コンツェルトシュトックも ブレンデル, BPO, ロンドン響)。チャイコフスキーとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲(五嶋みどり、BPO)。マーラーの交響曲第4番(VPO)。ヤナーチェク『シンフォニエッタ』(ロンドン響)。『アダージョ・ヴェルディ』から『行け、わが思いよ、金色の翼に』など。プロコフィエフの古典交響曲(ヨーロッパ室内管)とピアノ協奏曲第3番(アルゲリッチ、BPOとの名盤)。ヴァイオリン協奏曲第1番(ミンツ、CSO)。バルトークのピアノ協奏曲第1、2番(ポリーニ、CSOとの名盤)。先日購入したストラヴィンスキーの『プルチネルラ』と『火の鳥』(ロンドン響)、と結構な枚数があり自分でも驚いた。(7/5追記 アバド/VPOによるブラームスのハンガリー舞曲全曲のCDもあった。)

LP時代は、上記のグルダとのピアノ協奏曲と、マーラーの5番の交響曲(CSO)とリュッケルトの詩による歌曲のカップリングがあった程度だ。この"5 Lieder nach Ruckert" は、交響曲の少々生硬な感じよりもゆとりがあって本当に美しい演奏で音楽だと感心した記憶が今でも強く残っている。

その活躍の多彩さに比べて、どちらかと言えば関心の薄い方の音楽家ではあるが、どうも理由は分からない。メータもムーティもマゼールも同じ程度なので、どうしてもその前までの世代の音楽家の方に関心があるからというのが最も素直な理由だろうとは思う。

今晩は、久しぶりにモーツァルトの『ジュノム』協奏曲を取り出して聴いている。

晩年のルドルフ・ゼルキンは、モーツァルトをアバド/LSOと、ベートーヴェンを小澤/BSOと録音してくれて、どれも味わい深い演奏を聴くことができる。アバドがオーケストラと作る音楽が、ゼルキンの音楽の万全なサポートであるかは分からないが、この若書きとはとても思えない『ジュノム』(昔は「わこうど」と訳されたこともあるのだそうだ)の深い音楽世界を味あわせてくれるものであることは確かだ。こうしてみると、結構協奏曲の指揮が多いのは、彼に対する自分の関心を象徴しているのかもしれない。

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2008年6月25日 (水)

ココログのデザインを変更

これまでのデザインが少々目に辛くなってきたので、思い切って横幅を「可変」というモードに変えて、フォントも小主体から中主体に変更してみた。

まだ慣れないので読みづらいような気もするが、しばらくこれで続けてみたい。

自分が中学生の頃、本好きの両親が文庫本の活字が読めなくなってしまったと嘆いていたが、自分もその年代になってしまったのだと思うと、なかなか感慨深いものがある。それでも現代は、熟年層を対象に文庫本の活字が大きくなった新装版も出ているし、このようなディジタルメディアではフォントの変更はお手の物で、例の任天堂DSのDS文学全集もフォントの調整は可能になっている。そういう意味では、技術の進歩がユニバーサルデザイン的なものを助長しているとは言えるのだろうか?

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2008年6月 2日 (月)

Sony ステレオイヤーレシーバー MDR-E10LP

○P 2005 SONY CORPORATION 780円の特価品。昨年来、使ってきたフィリップス製のステレオイヤーフォンがそろそろくたびれてきたので、またフィリップスがないかと探した見つからず、ソニーの廉価品の特価品が目についたので購入。特性は18-22kHz となっている。フィリップスよりも元気がいい印象。高音は少しざらつきがあるが、ドンシャリではなく、分解能もそれなりで中音域もマスクされずそれなりに聞きやすい。またフィリップスに比べるとホールに広がるような広がり感もある。結構満足して聴けている。

CBS/SONY FDCA306のバーンスタイン/NYPのビゼーの『カルメン』『アルルの女』の組曲を聴いているが、カラヤン/BPOのものよりも面白く聴けている。表情が少々くどいのは、御愛敬だろう。大変丁寧に音楽を作っている。クリュイタンス的な華麗さや粋な雰囲気は少ないが、音楽が多弁になっている。

ところで、今日2日午後、気象庁は「近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられる」と発表した。例年より早い梅雨入りだという。

今日の新横浜は、サッカーのワールドカップアジア3次予選で電車がひどい混雑だった。3-0でホームゲームを快勝したが、次はアウェーのオマーンで40℃の猛暑の中の戦いがあるのだという。結構険しい。

六大学の早稲田は、斎藤投手が前のシーズン、4年間すべて優勝だという大言壮語が自信過剰で苦々しく思っていたが、今シーズンはそのしっぺ返しか振るわず、明治に数シーズンぶりの優勝をさらわれた。「奢れるもの久しからず。勝って兜の緒を締めよ」だったのではあるまいか。いい薬だった。

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2008年5月25日 (日)

小復活、名曲探偵アマデウス事件ファイル#7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調

しばらく休んでいたが、少し復活した。連休明けのストレスで、心療内科で投薬をしてもらったが、それがよく効き、朝が起きれなくなってしまった。思い切ってじっくり休んだ。また、先週月曜日の吹き降りの大雨の朝、鉄筋コンクリート造りの最上階ではないのに、外壁に激しく打ち付けた雨が滲み込んだのか天井から雨漏りがしてしまい、その対応にも追われるなど、激しい波のある半月だった。そんなこんなでしばらく休養した。

土曜日と今日日曜日も雨が降っているが、吹き付ける雨ではないためか、今のところ雨漏りはしていない。工事は外壁にあるだろうと思われる隙間を埋めるものになるようで、しばらく時間がかかりそうで、この際雨漏りのあった部屋(子ども部屋)の大量のおもちゃ類を整理しようということになった。(自分のCD,書籍も収拾がつかなくなりつつあるので整理が必要なのだが。)

さて、先週の日曜日の夜の23時からの番組をビデオ録画しておいてみた。

櫻井淳子扮する銀座のクラブのママ(卯たひめの雪乃)。客の小説家に恋をした。その小説家は気まぐれで悪魔的でその心が分からない。彼がそのママの店を訪れたときそこのピアノで弾いたのがテレサ・テンの『つぐない』(窓に西日の当たる部屋は・・・)のメロディーによく似た曲。そしてその男は姿を現さなくなった。この曲に託したその男のメッセージとは? ママの恋はどうなるのか?

例外的なニ短調の曲。第1楽章は不安を感じさせるシンコペーションとアウフタクトの低音リズムが組み合わせられる。「アンサンブル・プリマベーラ」という室内楽団体?による実験(シンコペしない、する)も面白かったが、それほどの違いは感じられなかった。

オケによるシンコペとアウフタクトも第1主題部の前半だが、ピアノが独自の主題を奏する。これがこの曲の特徴。この主題について毎回登場する玉川大学の准教授、野本由紀夫氏は「ため旋律」と呼び、8度の飛躍とため息、10度の飛躍とため息のように「がんばろう、だめかも。がんばろう、だめかも」の繰り返しだと語る。なるほど。このピアノ協奏曲は、いわゆる「おきて破り」で、同時代の例のサリエリのピアノ協奏曲変ロ長調の冒頭部分が比較のために用いられたが、これがなかなか聴き応えのありそうな曲だった(ナクソスなどで聞けるだろうか?)。このような祝祭的な華やかな曲に対して、暗く、静かで、オケとピアノが違うメロディーを扱うのはデモーニシュで非常に珍しいとのこと。

第2楽章(の主部)は、親しみやすくおだやか。安堵と調和の世界。高音の旋律と低音の伴奏がちょうどソプラノとテノールの女声と男声による二重唱のよう。よりそってデュエットをしているかのようだ。この楽章は Romance (英語ではロマンスだが、ロマンツェと読む)という名前。

BGMがジュノムに切り替わり、モーツァルトのピアノ協奏曲論(音楽通もそうでない人も楽しめるのがピアノ協奏曲の極意)が紹介、フォルテピアノの開発も大きな影響。ベートヴェンはカデンツァを作曲し愛奏、ブラームスもこの曲を愛奏したことが紹介される。

また、ママが登場。「彼がお店に現われたが、私のことを無視して冷たくする」。まさに第3楽章の冒頭の追い立てられ不安に突き落とされたまま走り続けるよう。「告白に対する拒絶」。属九の和音(最も激しい不協和音)も用いられている。しかし、第1楽章のピアノ主題が、それに続いて現われる。一種のバリエーション。モーツァルト国際コンクール優勝の菊池洋子によれば、第3楽章の主題は、第1楽章のそれに比べてより前向きな感じを受けるとのこと。「希望や救い」がある。そしてピアノとオケが会話を始める。両者の関係に前向きの変化が始まったことを示唆するかのよう。第1楽章:不安。第2楽章:安堵、第3楽章不安を秘めながら希望への光を見せるという図式。

筧(アマデウス)探偵「どんなに悪魔的な人だとしても、これが彼からの精一杯の気持ち」「彼はあなたを想っている。美しいメロディーこそが彼の気持ち」

第3楽章の演奏。指揮はデュトワ。ピアノは、ピョートル・アンデルジェフスキという東欧系の若手男性ピアニスト。第1カデンツァは自作?(ベートーヴェンのではないようだが。)再現部でピアノのメロディー(第1主題)をオケが引き継ぎ、第2カデンツァ。最後は、ニ長調に転調して祝祭的な雰囲気で華やかに終結。

以上のように結構勉強になった。第1楽章のピアノだけに現れるアイガングと呼ばれるメロディーが『つぐない』に似ているというのは新発見で驚いた。またこれが第3楽章の主要主題として変奏されて登場するというのも、解説書には出ていたかどうか覚えていないが、なるほどと思った。そして、その主題がオーケストラでも奏でられる。第2楽章の穏やかなメロディーは、女声と男声の二重唱のようということも。

この番組だけを見れば、なるほど巧くできているという風に感じる。

が、この後、久しぶりにハイドシェックとヴァンデルノートの盤でいざ全曲を聴きなおしてみると、第1楽章にしても第2主題はピアノとオケの対話になっている。第2楽章のロマンツェ(モーツァルトは、この形式名を「グラン・パルティータ」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でも用いておりやはり穏やかな主部と不安げで急速なテンポの中間部で構成しているのが見られる)の中間部の同じ速度ながら突然テンポが上がり非常に焦燥感のある非常に不安げな音楽に転換することを、この番組のストーリーは敢えて省いている。というように、この番組の不満な部分も次第に表れてきた。

これまで『ゴルトベルク』はそれなりに全曲を扱っていたが、『悲愴』は、第1、第4楽章のみ。『死と乙女』は第1、2楽章のみ。『前奏曲集』も数曲のみ。そして『ピアノ協奏曲』は、一応全楽章だが、ストーリーにこじつけるため(あわせるため)に部分的に敢えて省略したところがある。新たな啓示はあるのだが、この番組のストーリーがその曲全体を十分に説明しつくしたとは言えないところに注意をする必要があるように思った。(十分条件と必要条件という言葉で説明したいが巧くいかない)

なお、この第20番とそれに続く対照的な第21番の協奏曲と、有名なシンフォニー第40番と第41番との不思議な関係については、ずっと以前自分のホームーページに冗談のような対話編を書いてみたことがある。なかなかの着想だと自分では思うのだが。題して「モーツァルトの隠し絵」。

事件ファイルの#1(ボレロ)、#2(ブラームスの第4交響曲)は、見逃したが、これで#7まで見たことになる。今晩のBS2は、シューベルトの再放送。また来週はチャイコフスキーの再放送で、次回新作はシベリウス「フィンランディア」、続いてベートーヴェンの「月光」、シューマンの「子どもの情景」と続くらしい。

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2008年5月19日 (月)

一休み

しばらくブログを休む所存。充電後、再開予定。

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2008年5月 3日 (土)

小笠原流の蕎麦の食べ方

日経BPNETがクラシック音楽など多彩な情報発信をしているのでたまに見るのだが、トレンディーネットのライフクリエイティブサイト L-Cruise という少々優雅で縁のなさそうなページに、面白そうな記事が載っていたので読んでみた。

武士の礼法で知られる小笠原流が今でも現存し、その宗家は女性で小笠原敬承斎という方らしい。その人の談話をまとめた記事が「和食を楽しむ(1) 蕎麦を品よく粋に食べる」というもの。

いわゆる小笠原流は、幕府の高家の系統の小笠原流 (弓馬術礼法小笠原教場 小笠原流礼法)と、豊前小倉藩主(明治維新後伯爵)の系統の小笠原流礼法 があるようで、なかなかややこしい。上記の和食の記事は、後者の宗家によるもののようだ。

「お蕎麦は音をたてて食べる」は間違い とのことである。

池波正太郎『男の作法』には、「そばは、二口、三口かんでからのどに入れるのが一番うまい」とあり、「クチャクチャかんで食べる」のを戒め、また「藪」のような濃いおつゆの場合にのみちょっとつけるのが美味しく、普通の薄いつゆの場合にはどっぷりつけてもよい、とある。作法としては、美味しく食べることが主眼のようで、音をたててすすることについては触れられていない。

いわゆる江戸落語では、蕎麦の食べ方は、すすりこむように、手繰るように食べるとされているようで、「時そば」などの演目を話す際には、その独特な音を立ててすすりこむ食べ方がよく知られているので、蕎麦のすすりこむ食べ方としてはその影響が結構強いのかも知れない。

ちなみに、wikipedia の 蕎麦の食べ方では、

そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、その点で世界的にも稀有な食品である。

多くの蕎麦好きは、蕎麦の香りを重要視する。新蕎麦の季節ともなれば尚のことである。そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べるのが最良である。結果として音を立てることになるが、なんら恥じることはない。

とある。特に第一段落は、ここまで言い切るのも微妙ではあるが、おおやけの場で音を立ててもいいということが常識として黙認されているのでそのような言い方もありなのかも知れない。そういえばお茶漬けなどは音が立ちやすいが、感覚的に人前で音を立てて食べるのはあまり行儀がよろしくないような気もするし。

ただ、香りを味わうためだけなら、茹でて水にさらす蕎麦切りよりも熱湯で蕎麦粉を捏ねるだけなので味も香りも濃厚な蕎麦がきという食べ方もある。

自分自身は、ざる蕎麦、盛り蕎麦などの冷たい蕎麦の場合には、自然にすすりこむので音が立つように思う。長野県の戸隠神社の中社で秋分の日に行われる蕎麦食い競争に出場したことがあるが、ぼっちと呼ばれる一口大に丸めた蕎麦をそれはそれは猛烈な勢いですすりこんだ。ただ、その食べ方だと胃に空気が溜まりやすいようで、優勝した人は、後でテレビニュースの映像で確認すると、すすりこまずに上品に「モグモグ」噛んで飲み込んでいた!

盛岡のわんこ蕎麦は、朱塗りのおわんに一口だけそばつゆ付きの蕎麦が入れられるのですすりこむというよりも飲み込む感じだった。

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2008年4月27日 (日)

北京オリンピック聖火リレー 長野

昨日の土曜日に行われた聖火リレーは、1998年の長野オリンピック冬季大会を顕彰して行われたものだろう。これまでアジアで行われたオリンピックは、東京、札幌、ソウル、長野の4箇所しかないのだから、北京市としても最も最近に行われたアジアのオリンピック開催都市としての長野を選んだのだろうと思う。

長野大会は、政治問題こそなかったものの、バブル経済に踊った金満日本が金で買ったオリンピックとしてそれ以降のソルトレークシティーオリンピックなどでIOCの金銭的なダーティーさが暴かれるきっかけになった大会で、その意味で世界の拝金主義を象徴するかのようなものだったが、今度の北京大会は、膨大な人口を抱える多民族国家を一党が独裁する国で行われるという点で、今後の世界情勢を占うような大会であるとも言えるのかも知れない。冷戦終結後の世界は、宗教間、民族間の紛争が激化しており、また情報化IT化によって、情報が一瞬の間に世界を駆け巡るものになっており、中国はある意味でその象徴のようなものだからだ。

昨日の聖火リレーは、UKやフランス、アメリカなどの西側諸国のリレーに比べて、中国人の「留学生」の愛国心の圧倒的なディスプレーの場となったこともあり、チベット支持派との小規模な小競り合いや、妨害はあったものの、日本の警察の威信をかけた警備もあって、大混乱にはならずに終了した。表面的には、それなりの成功だったのだろうが、テレビでところどころ生中継されたり、ニュースで何回も流された画像により、日本人にとって結構ぬぐいがたい影響があったのではないかと思う。

それは、中国人の「留学生」たちが組織的に行った、五星紅旗(五黄星旗とも俗に呼ばれる?)を振り回しての沿道での愛国的な活動が非常に奇異に感じたことだ。Free Tibet を叫ぶチベット支持派もチベットの旗を振ってそれに抗議していたが、東アジアにおける政治対立が、鄙びて平和な仏都のお膝元で繰り広げられるのは、もやもやした反発心や違和感を植えつけられたような気がしてならない。

日本に留学してきた中国人「留学生」たちは、江沢民時代の愛国教育(反日教育)にも拘わらず、敢えて日本を留学場所に選んだ親日派の学生なのだろうが、彼らの聖火を守りオリンピックを成功させようというパフォーマンスは、決して多くの日本人の共感を誘わず、却って反感を買ったような気がする。


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2008年4月19日 (土)

Mozillaより「フォクすけ」来たる

2008年3月 1日 (土) Firefox 2 の使用感はなかなか という記事 を書き、Firefox2を導入して使い始めたが、その後安定動作して大変使い勝手がよい。No Scriptという Javascriptを制御できるアドオンも付け足してみているが、BlogでもJavascript を結構使っているのがよく分かる。

さて、使い始めてFirefoxの使い方などを調べていると「フォクすけ」というFifefox のマスコットキャラクターのぬいぐるみプレゼントキャンペーンが行われており、結構ぬいぐるみが好きな我が家なので、ものは試しに応募してみた。

忘れていたことろ、Mozillaからメールが届き、当選しましたという。それも忘れていたところ、今週「有限責任中間法人」Mozilla Japan からヤマト宅急便で少し小さめの荷物が届いており、開いたところフォクすけのぬいぐるみだった。キャラクターシールも同封されていた。Mozilla Japanさん、どうもありがとう。

P4190017 フォクすけ正面の図。普通に可愛いが...






P4190018 フォクすけ側面の図。Fire の尻尾に驚かされる!

 

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2008年4月13日 (日)

『NHK その時歴史が動いた』でのモーツァルトの『魔笛』

第321回 音楽の市民革命 〜神童モーツァルトの苦悩〜

本放送  平成20年4月9日 (水) 22:00〜22:43 総合
全国 再放送 平成20年4月15日(火) 3:30〜4:13 総合(近畿ブロックのぞく)
平成20年4月15日(火) 16:05〜16:48 総合・全国
平成20年4月19日(土) 10:05〜10:48 総合・近畿ブロック(神戸・奈良のぞく)

本放送をヴィデオ録画しておいたこの番組を今日鑑賞した。このシリーズは、ある歴史的な出来事まであと何日というのが番組の作り方で、それに向けて歴史的な出来事がどのように推移していったかを説明するようなプログラムになっている。(梅干博士樋口清之氏の『逆・日本史』と同じ発想だ。)

この番組は、『魔笛』の初演日1791年9月30日までに、モーツァルトが貴族達とどのように戦い、ついには市民階級向けのオペラである『魔笛』をどのように作り上げ、それがどのように市民の間で大人気を得たかというストーリーだった。

その前史として、『フィガロの結婚』がモーツァルトの貴族からのそれまでの差別・抑圧の鬱憤晴らしのために作曲され、貴族の鼻を明かし、溜飲を下げたということが語られていた。確かにモーツァルトは、この番組で「ザルツブルクの領主である伯爵」と紹介されたヒエロニムス・コロレドと対立して独立しはしたが、そのことによってヴィーンでコロレドの仲間の貴族たちから音楽活動を邪魔されたということはあったのだろうか?むしろ、そのようなフリーランスの音楽家自体当時のヴィーンでは相手にされなかったのが当然だったように思う。

また、貴族達が使っていたイタリア語で書かれたオペラという指摘があったが、オペラはイタリアが本場で、ヴィーンはその影響下にあったがゆえにイタリア語が用いられたので、モーツァルトはイタリア語オペラをいやいや書いたというようなコメントは、まったく事実無根のように思う。作品解釈の要点だが『フィガロの結婚』の最終場での伯爵の謝罪は、貴族が恥をかかされて面目丸つぶれというものではなく、心からの謝罪ではなかったのではないかとも思うし。ただ、1789年のフランス革命に対するモーツァルトの反応として、近年発見された『賢者の石』という市民向けの合作歌芝居のことを紹介していたのは面白かったが、モーツァルトが果たして市民革命への賛同者だったかどうかは分からない。

モーツァルトは、職や収入を得るために、レオポルト二世逝去後の後継者の『戴冠式』に自費で駆けつけ、そこで『戴冠式』コンチェルトを演奏するなど自分の生活のためには、いわゆる革命家的な一途な反抗活動は当然のようにせずに、いろいろな伝手を頼り、また宮廷でも年棒こそ多くはなかったが、モーツァルトを宮廷作曲家として遇している。

このような突っ込みどころが多く、また、市民革命のためのオペラというような少々古臭い(マルキシズムのような)教条主義的な見方だなと思いながらそれでも最後まで見たが、この番組の監修者は特にクレジットされていなかったようで、NHKのプロデューサーやディレクターの作品のようだ。礒山雅氏や高橋英郎氏も登場して部分的に意見を述べていたが、果たして彼らの意見がこの番組の趣旨に沿ったものなのかは少々疑問符が付く。

ホームページでは、多くの批判が届いたのか、数多くのQ&Aが連ねられているが、どうもこの番組の作りは、少々やっつけ仕事的だったのではないかと思う。分かりやすい啓蒙的な図式を提示するのもいいが、自分の関心が少々強い音楽がこのレベルだとすると、他の分野でも同じような大雑把な番組作りしかしていないのではないかと猜疑心がわいてしまう。

P.S. オペラ座の書庫 その時歴史が動いた 『モーツァルト』  が、この番組の特徴を鋭く指摘されているのを読みトラックバックさせてもらった。  

 この番組って「主観的」なんだと思います。・・・・・ドキュメンタリーを謳った番組で、このツクリはどうなのかな? と思います。

参考記事:

2008年1月21日 (月) 西本晃二『モーツァルトはオペラ 歌芝居としての魅力をさぐる』

2007年11月17日 (土) 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか?

2007年11月16日 (金)『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

2007年11月11日 (日) モーツァルト―音楽における天才の役割 (中公新書)

2006年11月 2日 (木) モーツァルト 『魔笛』 スイトナー盤

2005年11月28日 (月) 「フィガロの結婚」ベーム(1956)

2005年5月25日 (水) 映画「ドン・ジョヴァンニ」(監督 ロージー、指揮 マゼール)のDVD

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2008年4月 6日 (日)

日本の鯨肉食は戦後の一時期に急増した

新聞を既に回収袋に入れてしまったので、いつの日付けのものだったか分からなくなってしまったが、珍しく新聞社らしい記事が読めたので印象に残ったのが、タイトルのような事実の指摘記事だった。3月末の朝日新聞だったと思う。

その記事を探して検索してみたが、そのままの記事はヒットせず、朝日新聞の社説と、週刊朝日の書評記事が見つかった。どうやら、朝日新聞社として昨今の調査捕鯨問題に対するオピニオンが基礎になっているらしい。

どちらの論も無理がある 捕鯨論争(社説) (朝日新聞東京本社発行 5月19日付朝刊)
これはいつの年のものか明記されていないが、下関市でのIWC総会をきっかけに書かれたものだということが、検索して分かった。この社説と、以下の書評記事、そして最近の2008年3月ごろの記事は、ほぼ一貫している。

 捕鯨は日本の食文化だという声も強い。だが、沿岸地域のなかに昔からあった捕鯨・鯨食の伝統と、食糧難をきっかけに国民全体が鯨肉を食べるようになった戦後の経験は、区別して論じるべきだろう。

書評記事はこれ:捕鯨問題の歴史社会学 [著]渡邊洋之 2007年の記事だが、今回の3月の記事と主旨は同じだ。

 だが、本当に捕鯨と鯨肉食は日本人の伝統的な文化なのだろうか。日本人はいつごろから鯨を食べるようになったのだろうか。渡邊洋之『捕鯨問題の歴史社会学』は、この問題を研究した学術論文である。

 結論からいうと、捕鯨も鯨肉食も近代になって普及したものだ。明治になって爆薬を装填したモリを打ちこむノルウェー式捕鯨が導入され、捕鯨会社が いくつかできた。ただし、砲手はノルウェー人、作業員の多くは朝鮮人。これによって捕鯨が盛んになり、鯨肉も一般に食べられるようになった。それまでは網 による捕鯨が一部の沿岸で行われていただけ。

 捕鯨に対する感情はさまざまだったようだ。たしかに鯨を捕って食べる地方もあったけれども、鯨を神様に見立てて捕鯨をタブー視する地方もあった。

 明治時代には捕鯨に反対する動きが各地であった。本書には青森県で起きた捕鯨会社事業場の焼き打ち事件が紹介されている。死者・重軽傷者まで出したというから大事件だ。誰もが鯨肉を喜んで食べていたわけではない。

2008年3月ごろの記事はこれをもう少しまとめ、シーシェパードの船長への電話インタビュー(徹底的な菜食主義者ということが明らかになった)も含まれていたが、グラフなどで戦後の一時期だけ鯨肉消費があがり、その後商業捕鯨が原則禁止になったことで、鯨肉が給食や家庭から姿を消したことを書いていた。日本の伝統食文化であるというのは、どうやら感傷的な思い込みの面もあるようだ。

C.W.ニコルの『勇魚(いさな』は素晴らしい小説だったが、このような伝統的沿岸捕鯨は一部だけだったのだという。そして、最終段落の事件は、実際に八戸市で起きたものだったことが記事では書かれていた。

その意味では、久しぶりによい新発見の記事だと思ったが、2002年頃から主張は一貫していたわけだ。

私は、上記の『勇魚』や、『美味しんぼ』の影響で日本の伝統的な沿岸捕鯨と、戦後の食糧難対策としてのノルウェー式捕鯨による鯨肉摂取とを混同していたようだ。

伝統とは言え、和歌山太地の伝統と、鯨を神と崇める青森八戸の伝統のような対立するものがあり、また文楽人形のゼンマイにも鯨のヒゲが重要だったという『美味しんぼ』の指摘も重要だが、それはやはり近代的な商業捕鯨と分けて考えるべきだろうと思う。

欧米の側も特にエイハブ船長の『白鯨』や、米国の捕鯨船への薪炭・水供給要請がアメリカによる開国要求の背景の一つであったように、鯨油の取得が一時期欧米による鯨資源の浪費だった時代もあったことをよく肝に銘じておくべきだと思う。

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2008年4月 5日 (土)

「にがり」の続きと鶴見の「よねまんじゅう」など

昨日は、テレビニュースか何かで、厚生労働省とにがりの規制の件を扱ったのだろうか、朝から、「厚生労働省、にがり」の記事へアクセスを大分していただいた。あまり参考になる情報でなくて恐縮だ。それで改めて自分でもネットで調べてみたのだが、民主党代議士に対して厚生労働省のお役人が約束したという4月1日に出されるはずの大臣告示も厚生労働省のホームページの新着情報にもどこにも載っていないようで、非常に不可解な状況になっている。極端なことを言えば、一種の「政治、行政の闇」状態だ。

厚生労働省は、旧厚生省と旧労働省が合併した省だが、今回ホームページをざっとみて思うに、業務範囲が広範囲で、また国民生活に深く関わる部分が大きく、一つの省では扱い切れないのではないかと思った。これが社会保険庁問題や医療行政、最近の後期高齢者医療保険制度など多くの問題を処理しきれない元凶の一つではあるまいか。

さて、今日は、長男の中学校入学式で、鶴見区の方に出かけてきた。小規模校だが、入学式は、大変盛大に行われ、私立の入学式をこれまで経験したことがなかったので、非常に興味深いものがあった。

最近、また少々音楽から離れてしまっていてまとめた記事は書けないでいるが、先日はクルマのカーナビ搭載のMP3プレーヤーのディスクに保存してあるグルダの『アンコール』の中のショパンのワルツ第14番ホ短調(遺作)を聴き非常に感銘を受けた。非常に生命力に溢れて輝かしいワルツが演奏されており、グルダのきらめくような才能を実感できた。特に左手が雄弁で、リパッティの有名な演奏のような繊細さはないが、ピアニスティックな魅力を十分に味わうことができた。

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2008年3月31日 (月)

2007年度が終わる

この土曜日は、いい天気だったが、日曜日にも天気が続くだろうと思って、回転寿司スシローを家族で食べに出かけ、帰りにスーパーで6本セットのビールを買ってきて、帰宅後たまには昼酒もいいかと飲み始めたら、すっかり寛いでしまい、ブログの更新も怠ってしまった。

よく日曜日は、肌寒い日で、花見に出かけようかどうしようか迷っているうちにどんどん曇り空で寒くなり、コタツでビールを飲み始めてしまった。それでも子ども達も暇そうにしているので、この日が開通日の市営地下鉄の新線を見物かたがた乗車に行ってみた。非常に背の低い車体で、狭苦しいが市の北部の公共交通の空白地帯を埋める効果はあるようだ。帰宅後、ごろごろしていてこのブログも俳句ブログも更新しなかった。

さて、この3月31日で日本国の会計年度が終わる。通常の学校の学年度(というのだろうか)も終り、多くの会社の会計年度も終わる。4月1日のApril fool の日から新年度の開始だ。

4月1日生まれの人は、3月31日の24時ちょうどに、一歳年を取るので、4月1日が誕生日の児童は4月1日までに満6歳となるため児童を保護者は小学校に入学させなければならない義務が生じるわけだ。

欧米では、学校の年度は、6月に終り9月に始まるケースが多いようだし、会計年度は12月に終り、1月から始まることが多いようだ。日本のように、学校年度と会計年度は4月からとなっているのは、どのような由来があるものだろうか?最近では、4月始まりの手帳も増えてきたようだが、一般の会計年度で仕事をしていると絶対こちらの方が便利だと思うのだが、未だに書店販売や、企業の手帳は1月始まりが多いようだ。

どうも1月と4月のダブルスタンダードのようなものを巧く使いこなせていないなというのが、実感だ。



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2008年3月28日 (金)

厚生労働省の勇み足 にがり規制とその解除

十島のにがりピンチ 来月から出荷停止も (03/24 07:26) 南日本新聞 という報道が最近されていたが、3/26のテレビのニュースで、厚生労働省がにがりの規制施行5日前に規制を撤回したということを聞き、最近のお役所らしいと呆れてしまった。

新聞では、朝日新聞が天声人語で結構遠慮がちに伝統的な豆腐が食べられなくなるという意見を述べている程度でその及び腰はなぜかと思っていたが、このあほらしい規制が突然中止されたらしい。

規制の中止については、厚生労働省のサイトを見にいっても出ていないし、ニュースを検索してもTBSのはリンクが切れていて確認できないが、3/26のニュースでこれを知り我が家では、厚生労働省の行政のお粗末さ(医療行政、食品行政)の最近のお粗末さへの憤りで満ちてしまったほどだ。 

規制については、このサイトが詳しい。 国産自然海塩協議会という会のサイト。

また、塩の情報室というサイトも。

これが、その法令の通知らしい(pdfファイル)。 粗製海水塩化マグネシウムというのが厚生労働省流のにがりの別名だという。

TBSのリンク切れのGoogleニュース検索

厚労省、にがり業者への規制見直しへ
TBS - 2008年3月19日
厚生労働省は19日、にがり業者への規制の見直しをすすめることを明らかにしました。 厚労省は去年3月、「食品・添加物などの規格基準」を改正、豆腐を作る際 ...

厚労省、規格基準から「にがり」除外
TBS - 23時間前(2008/3/27 21:34時点)
国の規制強化によって、豆腐を作る際に使われるにがりの製造業者の廃業が相次いでいる問題で、厚生労働省は、にがりについて規制からはずすことを決めました。 ...


このニュース以外、他のマスコミが沈黙しているのはなぜだろうか?

wikipedia にがり には「規制直前の3月26日、厚生労働省はにがりを規制除外する方針だが、現場では混乱が生じている。」とある。

この社民党の衆議院議員のblogでは、規制除外については、ある衆議院議員の質問によってこのような規制除外の動きになったとされているが、マスコミはこの問題をどうも等閑視していたのではないのだろうか? 一野党の議員が動いただけで、簡単に規制が覆るというのはことの是非は別にして、これまたあまりにも異常だ。いったい行政府はどうなっているんだ?

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2008年3月27日 (木)

臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』

3/25から3/26にかけてココログ(フリー以外)がメンテナンスに入っていたため、投稿はフリーのサブブログの方にしたが、そのときに書いた中公新書を早くも読み終えた。

実に面白い本だった。1992年に初版というのだが、これまで背表紙も見た記憶がないので、逆に驚いている。ネットを検索すると、結構この本の感想や書評が見つかるので、それなりに有名な本ではあるようだ。

コーヒーの歴史が人類史の中でも比較的新しく、イスラム神秘主義が生みの親だとは知らなかった。それが、ヨーロッパでは修道院で意識を覚醒し、欲望を沈静させるということで、尊重されたという経緯があるようだ。そして、これがイギリスではコーヒーハウスにより有名なロイズの保険を生み出し、一方でその欲望沈静化作用を言い立てられた結果イギリスではコーヒーは廃れ紅茶が飲まれるようになったとか、フランスではカフェがフランス革命のゆりかごとなったり、ドイツでは市民革命の鬼子ファシズムを生んだりと、またその背景に西インド諸島、東アフリカでの植民地と黒人奴隷労働があるなど、コーヒーというカフェイン嗜好飲料がとてつもない働きを近代史の上で残しているということが読み物として面白く語られていた。副題の『近代市民社会の黒い血液』というのは、言い得て妙だと思った。

またイギリス人の支配、ドイツ人による官僚による匿名性の支配という図式(p.188前後)の提示は非常に面白いものがあった。

近著で、『パンとワインを巡り 神話が巡る』というのも出ているようだ。こちらにも興味がある。

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2008年3月19日 (水)

今日も風邪気味

3/18は、何とか仕事には行ってきた。帰宅して、食事を摂ったらまた具合が悪くなってきた。テレビでは、『でぶや』が最終回を迎えた。ホンジャマカの石ちゃんこと石塚とパパイヤ鈴木のコンビによる食べ物番組で、深夜放送の時代からときどき楽しんで来たが、とうとうこれで終りだという。でぶキャラの社会進出に果たした役割は大きいかも知れない!?

ところで、チベット暴動問題は非常に懸念されるところだが、全人代を標的に、それより前に新疆ウイグル自治区でも航空機テロ未遂があったのだという。民族・宗教対立が20世紀末から21世紀初頭の国際政治のキーワードだが、多民族大陸国家の中国でも北京オリンピックでの世界の注目をきっかけにして、外部アピールの意味も込めてそのような対立が表面化しているように思われる。

同じ多民族大陸国家であるロシアもチェチェン問題などではムスリム独立派を暴力で抑え込むという同様の対応をしながら、それほど西側からの非難は強くはなかったと記憶するが、潜在力ではスーパーパワーである黄色人国家の中国は、その比較からすると欧米側からの非難が強いのではないか?ビョークとかいう歌手がチベット問題を上海で取り上げたらしいが、欧米内でのそのような問題を取り上げることはないのだろうか?他人の粗はよく見えるが、自分の頭の上の蝿をまず追うのが先決ではないのか?かといって、中国内の少数民族の漢民族化による弾圧・強制が正当化されるものではないのだが。

音楽は今日も休みだが、ブックオフの年度末の書籍半額セールで、俵孝太郎『新・気軽にCDを楽しもう』(1993年)、宮本文昭『疾風怒涛のクラシック案内』(2007年)、樋口裕一『笑えるクラシック』(2007年)、相倉久人『ジャズの歴史』(2007年)という音楽関係の書籍を入手。政治評論家の俵孝太郎氏は、音楽愛好家だということは知っていたが、こんな本を書いていたとは知らなかった。

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2008年3月18日 (火)

少々風邪気味

先日来胃腸の調子がどうもよくなかったのだが、どうやら風邪を引いたせいだったらしく、3/17(月)の時点では、微熱があり身体が気だるい。

円高、原油高、チベット問題など心配ごとが多いけれど、今日は記事の作成は小休止。

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2008年3月16日 (日)

グアテマラコーヒーの香り

グアテマラ Guatemalaという国にはあまり馴染みがないが、2008年2月11日 (月) 最近の新聞記事から 「コーヒーの香り」とDVDの寿命で、ブルーマウンテンと並んで香りのリラックス効果が高い銘柄としてグアテマラが挙げられており、興味を持った。

そこで、帰宅時に最寄のコーヒー店に立ち寄り、グアテマラを探したところ、ブラジルなどの通常品と同じ程度の値段で売られており、早速買い求めた。ブルーマウンテンは、ハワイアン・コナと並ぶ高価さで、その5倍程度の値段だったので、ちょっと手が出ない。

早速、帰宅後ミルで挽いてみると、挽くときの香りからしてまずいい。少し甘みがある香りがするので、挽くだけでリラックス効果があるようだ。

いつも通りにドリップして飲んでみると、液体としてのコーヒーの香りも、味もマイルドで飲みやすい。これまで、モカ、ブラジル、キリマンジャロ、マンデリン、ジャマイカなどいろいろ試しながら楽しんで飲んできたが、このグアテマラはその中でも気に入った。

それを飲みつくした後、同じ店に立ち寄ったところ、普通のグアテマラの約2倍の値段で、グアテマラ・サンタバーバラという銘柄が売られていたので、購入。早速飲んでみたところ、通常のグアテマラとは結構性格が違うように感じた。香りも独特の甘さはないが、ドリップ後のコーヒーは、雑味がなく、非常にすっきりした味のようだ。むしろコクが無さ過ぎるようにも感じる。これはこれで、悪くはない。調べてみたところ、私の感じた印象とは違うが、結構高品質な銘柄のようだ。味や香りの比較表もあった。

前回のグアテマラは、一般品だと思うが、グアテマラコーヒーといっても農園ごとに非常に細かいようだ。

コーヒーの世界も奥深い!

ただ、最近、さすがに手で引くスローライフのコーヒー生活も時々面倒くさくなってきた。最近のコーヒーメーカーは、ステンレスポット(魔法瓶)が主流らしく、電気代もあまりかからないとの記事を読んだ。電動ミルと一緒に購入を考えてもいいかも知れない。

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2008年3月15日 (土)

amazonのウィッシュリスト(ほしい物リスト)からの個人情報「流出」

私もアフィリエイトに参加し、レビューをしたり、問題のwishlistに参加したり、また書籍を買ったりしていたネット販売の大手amazon の wishlist (欲しい物リス