カテゴリー「食」の3件の記事

2008年7月 2日 (水)

『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』 青柳いづみこ (文春新書622)

2008年2月20日第1刷、同年5月10日第2刷の比較的新しいクラシック音楽関係のエッセイ。

2006年6月 6日 (火) フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」の記事を書いたときに、青柳いづみこオフィシャルサイトの執筆&インタビュー 評論「進化するフジ子ヘミング」/「すばる」  2006年8月号を発見し、それ以来ときおり新聞記事などで目にするピアニスト・エッセイストだが、愛好まんが『のだめカンタービレ』や『神童』『ピアノの森』を題材にしたエッセイと帯にあり、手に取ってパラパラ読んでみたところ、「目の敵にされるホロヴィッツ」だの「ゼルキンとホロヴィッツのバトル」だの興味をそそってやまない小見出しが目に入り、税抜き定価730円と高いが購入したのだった。

現在、流行している音楽漫画を題材にしたのはタイムリーなのだろうが、いわゆる際物で、数年したら、訳が分からなくなってしまうことだろうと心配しつつ読み始めたが、「のだめ」の部分を除いても、ピアニスト、指揮者論として、プロフェッショナルとしての裏話的な話も書かれており、一般愛好家にはとても面白い本だった。

「目の敵にされるホロヴィッツ」の章では、日本の現役ピアニストたちの1992年時点での談話が載っているが、若林顕(あきら)氏「リヒテル。ホロヴィッツとコルトー」、横山幸雄氏「リヒテルとミケランジェリ」、清水和音氏は「アシュケナージが20世紀で一番優れたピアニストだと思う」、アンドラーシュ・シフ「アラウ」と、いわゆる作曲家の意図の尊重、楽譜への忠実とそれのアンチテーゼとしてのホロヴィッツという対立構図のようだった。プロのピアニストが言うのだから一理はあるのだろうが、ホロヴィッツのピアノ演奏は、それほど作曲家の意図に反し、楽譜に忠実でないだろうか? グールド、ポゴレリッチ、ブーニンなどホロヴィッツよりも楽譜の指示から離れたピアニストはいるわけだし、先日じっくり聞いたホロヴィッツの『クライスレリアーナ』にしても楽譜に忠実ではないだろうか、少し気になるところだった。

まあ、そのような違和感もあったにはあったが、全体としては特にピアノ音楽に関心のある人なら一読しても損はないという盛りだくさんの内容で、できれば「のだめ」のストーリーはある程度知っている方が楽しめるかも知れないという本だった。

指揮者の謎という章はあるが、掘り下げるべき内容に比べて、文章の量が短すぎたようには思った。

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2008年6月11日 (水)

先日の『題名のない音楽会』と『名曲探偵』が書けないのは

帰路によく立ち寄るスーパーマーケットに、埼玉県羽生市(はにゅうし)の東亜酒造製のウィスキー『ゴールデンホース 武州』というのが置いてあり、地ウィスキーというのも面白そうだと思って購入して、夕食後飲み始めたところ、口当たりと喉越しがよく、このところアルコール飲料と言えばビールか発泡酒だけだったので、つい気分よく飲んでしまっている。

そこで、ソロモンのベートーヴェン 後期ピアノソナタ集について雑文をものそうと思ったが、順延。

日曜日朝の『題名のない』は、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』特集。『佐渡裕の題名日記』という番組連動ブログが立ち上がっており、そこでおよそのことはわかってしまうのだが、結構面白かった。やはり指揮者にとっても、オケにとっても難曲であるということが確認できてほっとした。

『名曲探偵』は、『フィンランディア』が題材だったようだが、ビデオ録画をまだ見られずにいる。見たら少し感想を書き付けてみたい。

今、ワルター(ヴァルター)指揮コロンビア交響楽団によるブラームスの交響曲第1番を聴いている。ファーストチョイスにはふさわしくないが、この曲を結構聴いて来た耳には、演奏のできのよしあしは別にして、さすが大巨匠の指揮だという部分が聞かれて面白かった。パンフレットの解説は、門馬直美氏で「ワルターの音楽の世界~常に微笑を忘れず』というもの。

また、読んでいる本は、あの青柳いづみこさんの文春新書『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』というもの。『のだめ』、『神童』、『ピアノの森』を題材に、ピアニスト論が多岐に渡り面白い。

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2008年5月 3日 (土)

小笠原流の蕎麦の食べ方

日経BPNETがクラシック音楽など多彩な情報発信をしているのでたまに見るのだが、トレンディーネットのライフクリエイティブサイト L-Cruise という少々優雅で縁のなさそうなページに、面白そうな記事が載っていたので読んでみた。

武士の礼法で知られる小笠原流が今でも現存し、その宗家は女性で小笠原敬承斎という方らしい。その人の談話をまとめた記事が「和食を楽しむ(1) 蕎麦を品よく粋に食べる」というもの。

いわゆる小笠原流は、幕府の高家の系統の小笠原流 (弓馬術礼法小笠原教場 小笠原流礼法)と、豊前小倉藩主(明治維新後伯爵)の系統の小笠原流礼法 があるようで、なかなかややこしい。上記の和食の記事は、後者の宗家によるもののようだ。

「お蕎麦は音をたてて食べる」は間違い とのことである。

池波正太郎『男の作法』には、「そばは、二口、三口かんでからのどに入れるのが一番うまい」とあり、「クチャクチャかんで食べる」のを戒め、また「藪」のような濃いおつゆの場合にのみちょっとつけるのが美味しく、普通の薄いつゆの場合にはどっぷりつけてもよい、とある。作法としては、美味しく食べることが主眼のようで、音をたててすすることについては触れられていない。

いわゆる江戸落語では、蕎麦の食べ方は、すすりこむように、手繰るように食べるとされているようで、「時そば」などの演目を話す際には、その独特な音を立ててすすりこむ食べ方がよく知られているので、蕎麦のすすりこむ食べ方としてはその影響が結構強いのかも知れない。

ちなみに、wikipedia の 蕎麦の食べ方では、

そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、その点で世界的にも稀有な食品である。

多くの蕎麦好きは、蕎麦の香りを重要視する。新蕎麦の季節ともなれば尚のことである。そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べるのが最良である。結果として音を立てることになるが、なんら恥じることはない。

とある。特に第一段落は、ここまで言い切るのも微妙ではあるが、おおやけの場で音を立ててもいいということが常識として黙認されているのでそのような言い方もありなのかも知れない。そういえばお茶漬けなどは音が立ちやすいが、感覚的に人前で音を立てて食べるのはあまり行儀がよろしくないような気もするし。

ただ、香りを味わうためだけなら、茹でて水にさらす蕎麦切りよりも熱湯で蕎麦粉を捏ねるだけなので味も香りも濃厚な蕎麦がきという食べ方もある。

自分自身は、ざる蕎麦、盛り蕎麦などの冷たい蕎麦の場合には、自然にすすりこむので音が立つように思う。長野県の戸隠神社の中社で秋分の日に行われる蕎麦食い競争に出場したことがあるが、ぼっちと呼ばれる一口大に丸めた蕎麦をそれはそれは猛烈な勢いですすりこんだ。ただ、その食べ方だと胃に空気が溜まりやすいようで、優勝した人は、後でテレビニュースの映像で確認すると、すすりこまずに上品に「モグモグ」噛んで飲み込んでいた!

盛岡のわんこ蕎麦は、朱塗りのおわんに一口だけそばつゆ付きの蕎麦が入れられるのですすりこむというよりも飲み込む感じだった。

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