カテゴリー「サイエンス」の9件の記事

2009年6月 9日 (火)

地球温暖化人為説への懐疑論は低調となっているようだ

太陽活動の停滞とその影響によるミニ氷河期の訪れの可能性について、世間の関心が高まっているのは、私のような素人のブログ記事へのアクセス数が増加していることにも現われているようだ。

素人ながら、現代が地質年代の上では第四間氷期にあり、いつ氷河期に入るかわかっていないこと、いまから約6000年前に「縄文海進」という自然現象がおそらく自然の地球温暖化の結果として起こっていたということから、現代の気温の急上昇が必ずしも人為的なCO2を初めとする温室効果ガスの影響だけではないかもしれないという懐疑を持っている。「縄文海進」の原因はなんだったのかは寡聞にして知らないが、現代のような人為的な温室効果ガスの排出があったはずはないので、現在将来の資源として有望視されている海底のメタンハイドレードの大量崩壊とか、太陽活動の活発化とか、ミランコビッチサイクルとか、おそらく何らかの要因が予測されるのだろうと思う。

また、そんなわけで、現代の地球温暖化が必ずしも人為によるだけの現象ではなく、もっと大きな気候変動サイクルの中の一こまなのかも知れないということも考えられるのではないか、という懐疑が生じてくる。そこで、私は素人ながら「人為的な原因説」には懐疑的な懐疑論者になるのだろう。

太陽活動は、あまりにも巨大な自然現象であり、その前では人間の歴史など取るに足らず、ましてや生命の歴史でさえ、瞬間の輝きでしかない。カンブリア爆発と呼ばれるような生命の突発的な大発生と、その後の「大量絶滅」が何度も繰り返されている。恐竜の大量絶滅も、白亜紀末の大量絶滅であり、その後、哺乳類の時代である新生代に入り、今にいたっている。その「生命の爆発」と「大量絶滅」に太陽活動が関与していないということは否定しがたい。

それでも現在、最新のデータの積み重ねと合理的な推論の積み重ねによる学説として有力なのは、やはり人為的な原因による地球温暖化だという。そのあたりは、その主唱者である科学者の一般向けのコラムに詳しい。

温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多) 人為起源CO2温暖化説は「正しい」か?(09/02/09)

ここでは、地球物理の権威 赤祖父俊一氏やブルームテクトニクスの丸山茂徳氏、海洋研究開発機構 地球シミュレータセンター草野 完也氏、横浜国立大学環境情報研究院 自然環境と情報部門 教授 伊藤公紀氏などの懐疑論者が論破されていることになっている。

WIKIPEDIA には、地球温暖化に対する懐疑論という項目もあり、江守氏や気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)の論に立った整理がなされている。

江守氏のコラムでは、最近の太陽活動の不活発に関する 太陽活動が弱くなっている?――温暖化への影響は(09/05/27) というものも早速書かれている。

また、地球環境研究センターのQ&Aでは、「寒冷期と温暖期は定期的に繰り返しており、最近の温暖化傾向も自然のサイクルと見る方が科学的ではないのですか。また、もうすぐ次の寒冷期が来るのではありませんか。」に対して、阿部フェローが綿密に否定論を展開している

「太陽活動の変動の詳しいメカニズムはまだ明らかになっていないため、今後数十年から100年の間の太陽活動の変化による気候変動予測は困難です。しかし、 太陽活動の変化が過去2000年間に起こった程度の強弱で繰り返されると仮定するなら、その影響による気温変動幅は小さいことから、今後100年で予測さ れる人為的な温暖化を打ち消して寒冷化することは考えられません。」

マウンダー氷期のようなミニ氷河期の心配はないということらしい。

地球温暖化防止が、人為的なものだとして、現在のようなエコロジー運動によってそれが食い止められるかどうかということについても懐疑的ではあるが、それでも職場ではエコ委員をやっていたり、率先してクールビズに着替えたりしているのだから我ながら首尾一貫していないこと甚だしい。

懐疑論の親玉だったブッシュ政権とその取り巻きの経済界が政権交代で表舞台から去ったことも、世界的な懐疑論の退潮には大きく影響していることだろうと思われる。

それでも、自分は同様なシミュレーションを用いた天気予報の精度が相変わらず低いことをもってしても「人類の知見は幼い」という暴論とも言うべき持論をもっており、現在の温暖化シミュレーションにしても、何らかの重要なファクターが漏れているかも知れないという可能性はあるのではないかと、懐疑的な見方を続けていくことだろうと思う。

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2009年6月 3日 (水)

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社 2005年9月18日発行)と新作

4月中旬だったが、何で人気作家の比較的最近発行されたハードカバーの初版本がこんなに廉いのか分からないが、とにかく最低価格で売っていたのを求めてきた。

ここ数日は、この作家の新作の上下二冊の小説が記録的な売れ方をしているというニュースが喧しいほどだ。「1Q84」という題名らしい。うっかり「IQ84」の誤植かと思ってしまうような題名で、少し驚く。

2009/06/06 追記:まだ入手もできていない「1Q84」だが、ネット情報では、題名的にはジョージ・オーウェルの「1984」のモジリらしいということが言われている。今は当たり前のように使っているネットのアクセス解析だが、実際に自分のcocologでその内容の詳細さに触れたときに、まさにこれは「1984」の世界ではないかと感じたことを書いたことがあったのを思い出した。「ココログ アクセス解析の導入で考えたこと」2006年8月 3日 (木)

1Q84というのはまた、「仕事の上では、1st Quarter,1984 1984年の第1四半期のことだよな」ともおもったりもした。とにかく入手困難なほどの売れ行きだとのこと。新型インフルエンザ予防のマスクもとうとう某ネット企業による買占めなどの噂がたったほどのブームだったが、意外にも国内感染が拡大しないことから急に売れ行きが鈍っているようで「ブーム」はあっという間に過ぎてしまったようだ。「1Q84」は果たして一時的なブームで終わるのか、それとも読み継がれるものになるのか?少々気になる噂だが、どうも作者と出版社が事前に「情報統制」を行って読者の飢餓感を煽ったらしいというようなことも伝わっているので、そのあたりが少し胡散臭さを感じてしまう。2009/06/06追記ここまで。

RSSリーダーに登録させてもらっている「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」の記事には、「村上春樹とヤナーチェク」という題名があったので、一体何事かと思い読ませてもらったところ、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』がどうやらジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏という名前入りで登場するらしい。 先日読んだ『意味がなければスイングはない』や、『海辺のカフカ』でもこの作家の音楽への強い思い入れが表現されていたが、新作でのヤナーチェクの音楽への言及はどういうものなのか興味が沸く。

さて、『東京奇譚集』だが、比較的難解な設定の登場人物設定や奇想天外というか常軌を逸した展開についていけずにあまり楽しめていない村上春樹の作品にしては、短編集ということもあり、それほど混乱することなく何作かの短編を楽しむことができた。『偶然の旅人』『ハナレイ・ベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓のかたちをした石』『品川猿』の五編の短編。

奇妙なようだが、本当にあった話という体験談であるという自己規定的な文章が第一作の冒頭に書かれている。普通の前書きというわけではない。その意味では、短編集というよりも、一種のテーマをもった連作集と呼んだ方がいいのかも知れない。

村上春樹は、世界的に多くの読者を持つ現代日本きっての作家であり、先日の「エルサレム賞」でのイスラエル政権への痛烈な講演は、勇気をもった文学者として高く評価された。 ただ、彼の作品をすべて読んだわけでもなく、好みの作家かと聞かれるとそうとはとても言えないが、関心を持っているという程度の小説家なので、えらそうなことは言えないが、彼の音楽に関するエッセイはとても面白いので、先の『意味がなければ・・・』の続編のようなものがあれば読んでみたい。(『意味がなければ・・・』では、ジョージ・セルとルドルフ・ゼルキンのヴィーンでの少年の頃の修業時代のことに触れているくらいなので、ジョージ・セルが好みなのか、『1Q84』を読んでみなければ分からないが。)

p.s.
ところで、今日はやけにこのブログへのアクセスが多いので、アクセス解析で調べてみたところ、『ミニ氷河期」というキーワードで検索して、2006年ごろに書いた記事にアクセスしてくださる方が多いようだ。

2006年2月 7日 (火) ミニ氷河期(小氷河期)が到来するのだろうか?

最近になって太陽活動が停滞期になっているということが言われ始めたが、この2006年当時、このロシアの天文学者は既に予想していたということになるのかも知れない。

科学も当たるも八卦あたらぬも八卦的な部分が多かれ少なかれあるので、この停滞期がいつまた活発期に遷るかどうかは誰にも分からない。ただ、過去の観測から読み取れる太陽活動のリズムの低迷期がちょうど今頃だとしてもそのサイクルに矛盾しなということだけで、これこそ人為の及ぶところではない。

達観しているようだが、実はとても懸念しているので、以前からこのようなことに関心があるというだけなのだが。

音楽評論家の黒田恭一氏が逝去されたという。音楽雑誌を読み始め、FM放送を聴き始めてから存じ上げていたが、70歳を少し越したばかりで亡くなられたという。非常にソフトで、少しひらがなが多すぎるほどの評論を書く方で、ソフトながらぶれない芯も持っていたようで、当時アンチカラヤンが多かった評論界の中では珍しくカラヤンへの賛辞を隠さなかったのが、強く印象に残っている。御冥福を祈りたい。

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2009年6月 1日 (月)

天才はどこかに隠れている?

16歳イラク移民少年、数学の歴史的難問解く=ベルヌーイ数を説明―スウェーデン

ストックホルム28日AFP=時事】スウェーデンに住む16歳のイラクからの移民の少年が、数学専門家を300年以上にわたって悩ませてきた難問を解いたと、スウェーデンのメディアが28日報じた。  ダーゲンス・ニュヘテル紙によると、この少年は6年前にスウェーデンに移民したモハメド・アルトゥマイミ君で、17世紀のスイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイにちなんで名付けられた「ベルヌーイ数」を説明、単純化する公式をわずか4カ月で発見した。  アルトゥマイミ君が通う中部ファルンの高校教師たちは最初、この成果を信じられなかったという。そこで同君はスウェーデン最高の研究機関の1つ、ウプサラ大学の教授陣と連絡を取り、自らの成果を検証するよう頼んだ。  アルトゥマイミ君のノートを精査した教授陣は、その成果が実際に正しいことを確認し、ウプサラ大に同君を招請した。  しかし、アルトゥマイミ君としては、現時点では学校での勉学に集中し、今年のサマークラスで高等数学と物理学を取るつもりだという。同君は地元紙に「物理学か数学の研究者になりたい。これらの科目が本当に好きなんです。でも英語や社会科学ももっと勉強しなくては」と話している。 〔AFP=時事〕(2009/05/29-01:14)

この少年がイラク戦争がきっかけかどうかは分からないが、スウェーデンに移民することがなく、イラクに留まりつづけていたなら、この歴史的難問はこれから数世紀も未解決だったかもしれないと思うと、運命の不思議を感じる。

ちなみに、ベルヌーイ数をWIKIPEDIAで調べてみたが、チンプンカンプンだった。

続報:2009/06/01 残念ながら、この少年が発見した解法は、既に数学界では既知のものだったということが分かったらしい。 この件で、ニュースを検索していたところ、Gigazineというページにフォロー記事が掲載されていた。 ウプサラ大学でもこの件について、公式見解を出したようだ。
2009-05-29 Swedish and international media have recently reported that a 16-year old Swede has presented the solution to the Bernoulli numbers. This is not correct. The solution was previously known to the mathematical community.
Google News でも すでに4日前に報じられていたようだ。
Iraqi teen tackles maths puzzle, but not the first: university 4 days ago STOCKHOLM (AFP) — A 16-year-old Iraqi immigrant, who figured out a solution to a complex maths puzzle, was not the first person to come up with a successful formula, Sweden's Uppsala University said in a statement Thursday. Swedish media, including the website of the Dagens Nyheter daily, reported Thursday that Mohamed Altoumaimi had found a formula to explain and simplify the so-called Bernoulli numbers, a sequence of calculations named after the 17th century Swiss mathematician Jacob Bernoulli. The Falu Kuriren newspaper, which ran the original story, said Altoumaimi was the first person to crack the puzzle and had enlisted the help of a senior lecturer at Uppsala University to check his formula. But a statement published on the university's website said the reports were inaccurate. "Senior lecturer Jan-Aake Lindhal verified the formula, but added that although correct, it was well known and readily available in several databases," the statement said. The Falu Kuriren also reported Altoumaimi had been offered a place at Uppsala once he finishes high school, but the institution denied this was the case. "The student... has not been admitted to Uppsala University," the statement said. Altoumaimi, who came to Sweden six years ago, is currently at high school in Falun, central Sweden and plans to take summer classes in advanced mathematics and physics this year.
まあ、それでもこの少年が、既知の解法とは言え、自力でそこまで行き着いたとしたら、素晴らしいことではある。

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2009年4月30日 (木)

『イヴの七人の娘たち』 (ブライアン・サイクス著)

大野晶子訳、ソニー・マガジンズ刊。2001年11月10日 初版第1刷。

ミトコンドリア・イヴ。

現代ヨーロッパ在住の人々の七人の母系先祖。

現代日本在住の人々には九人の母系先祖がいるという。

同じ著者の『アダムの呪い』をずい分以前に読んだことがあったが、その前に出版されて話題になっていたもので、長いこと読みたいと思っていたものがようやくブックオフで入手できた。

当時話題になり、女優の天海祐希が共通のミトコンドリア遺伝子を持つ女性を中国、シベリアに訪ねるという番組をみて面白かった記憶がある。

ただ、読了後、WIKIPEDIA での「ミトコンドリア・イヴ」の解説を読むと少し理解が混乱するようなところが出てくる。

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2009年2月25日 (水)

長野県川上村から宇宙飛行士誕生

帰宅後、NHKのテレビニュースを見ていたら、JAXAの新宇宙飛行士が公募約900名の中から二人決まり、内一人は自衛隊の現役ジェット機パイロットで、出身が何と長野県南佐久郡の川上村だと放送された。油井亀美也(ゆいきみや)さん(39)という男性で、出身の小学校の授業風景が映され、男性の先生が生徒達に、「君たちの先輩が宇宙飛行士に選ばれました」と語りかけて、児童たちが目を輝かせていた。

このブログでも書いたかも知れないが、私の母の生まれ故郷であり、私も母の里帰り出産でこの村で生まれた。先日は、従姉の子がインターハイ、国体に出場して優勝したり、数年前のトリノ五輪には中島選手が多分村初のオリンピック選手として出場したりで、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』では甲州街道から秩父方面に千曲川を遡った僻遠の村と紹介され、戦後は落葉松の苗木栽培、その後レタスなどの夏場の野菜栽培で名を知られるようになった村だが、スポーツ、科学技術の面でも芽が出てきたようで、少なからぬ関係のあるものとしては大変誇らしい気持ちだ。

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2008年10月 8日 (水)

ノーベル賞

2008年のノーベル物理学賞に素粒子研究の分野で業績を挙げた日本人科学者米シカゴ大名誉教授で大阪市立大名誉教授の南部陽一郎氏(87)と高エネル ギー加速器研究機構(茨城県つくば市)名誉教授の小林誠氏(64)と京都大名誉教授で京都産業大理学部教授の益川敏英氏(68)の三人同時受賞のニュースに続いて、海洋生物学者が何と化学賞を受賞した。米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩(おさむ)さん(80)という方で、水母(くらげ)の研究の過程で、緑色発光たんぱく質の分離し、その構造の解明に成功したのだという。この緑色発光たんぱく質が、生命科学の分野で分子にくっつけと行動を追跡する「道具」として広く使われているのだという。

比較的若い二人は日本在住だが、高齢の南部氏と下村氏は米国在住。殊に南部氏は40年以上前の業績に対する賞の授与で、この30年ほど毎年候補に挙げられており、日本では既に文化勲章も受章している学界では著名な学者だったようだ。

日本人同時受賞は喜ばしいことだが、そのような顕著な業績を挙げながら特に南部氏の場合、87歳という高齢まで長生きしなければ授与の栄に浴せなかったというのは、選考が少し恣意的なのではないかと思ってしまった。顕著な業績を挙げた人物が同時多発的に数多くいるのなら、それらの学者には一律に賞を授与すべきではなかろうか?そうすれば賞の権威が失われるというのだろうが、現在の年に数人という選考数ではあまりにも数が少ないように思われる。それこそ、ノーベル財団が選考しないような優れた業績の人物を他の財団が積極的に素早く顕彰するようなライヴァル的な賞の存在が必要なようにも思う。

これまでの科学史において、ノーベル賞は世界最高の科学賞ではあったとは思うが、世界的に同時進行的な研究でのタッチの差での論文発表とか(利根川進氏の著書に自ら書かれていた)、今回のような既にその世界では古典的な理論になっているような業績に対して、遅きに失したような授与だとか、なんとなくトンチンカンのような違和感を覚えている。

ノーベル経済学賞にしても、近年の受賞者達が金儲けに走って、世界の実体経済を病気にしたような気もするし、アル・ゴアの平和賞にしても最近のゴシップで相当味噌をつけているように思う。

ダイナマイト発明の罪滅ぼしとしてのノーベル賞だが、相当迷走気味なのではなかろうか?

P.S.小林、益川氏の ノーベル物理学賞にイタリア物理学界が猛反発というニュースがYAHOOニュース(スポーツ報知)に出ていた。他の一般紙には記事がないようだ。ニコラ・カビボ・ローマ大学教授が、小林益川理論の10年前にその基礎となる理論を発表しており、カビボ・小林・益川理論とも呼ばれることもあり、先駆者の偉業が無視されたことにイタリアでは反発が起きているらしい。同じ年には3人しか受賞できない規則があり、これまでも、同様のトラブルは起きていたらしい。


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2008年9月17日 (水)

この夏 太陽黒点が消えた! 地球寒冷化と太陽黒点  

太陽黒点が消えた! 松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」:日経パソコン オンライン

という記事を読んだ。

私のブログでも、地球温暖化の情報にもおびえながら、温室効果ガスによる温暖化と並行して、地球の活動、太陽の活動に伴う温暖化と寒冷化のサイクルについてもありうる話しだと思って、ときどき取り上げている。

以前のミランコヴィッチ仮説の実証だとか、第四間氷期だとか、温室効果ガス論議が原発推進派によるキャンペーンかも知れないとかの話がそれらだが、ここに来て興味深い解説記事を発見した。それが表題の記事だ。

黒点によって太陽の活動がどの程度活発かを知ることができる。太陽が活発に活動している時期は、多数の黒点が出現するし、逆にそうでもない時期には、黒点が減少する。

というのがこの観測から得られる眼目であり

太陽の活動は約11年周期で変動している。この前の極大期は2001年〜2002年だった。つまり現在は2012年〜2013年の極大期に向けて黒点が増え始める時期のはずなのだが、なぜか増えずに黒点が消えてしまったのである。2006年〜2007年の極小期にもわずかながら黒点は出現していたのに、今はそれよりも太陽活動が不活発になってしまっているのだ。

ここが非常に懸念される部分だ。これまでの研究から分かったのは

「太陽活動が不活発になると、地球は寒冷化する」ということだった。過去、何回も太陽活動の極小期が存在していることが知られている。もっとも有名な例は、マウンダー極小期というものだ。

そして、

もしも、このまま太陽活動が回復せずに、マウンダー極小期のような状態に入るとしたら、今後地球の気候は温暖かではなく寒冷化することになるかも知れない。  昨今、地球温暖化についてマスメディアでも色々な報道がなされている。が、実際問題として地球温暖化と地球寒冷化を比べると、寒冷化のほうがはるかに深 刻で恐ろしい。なぜなら、前にも述べたように、地球寒冷化は世界の食料生産に直接的な打撃を与えるからだ。

ということが現実にありうるということになる。

人類の知見は、その生物的な活動期間の短さにもあるのだろうが、基本的なところでは非常に幼いものだ、と偉そうに書いたことがある。

現在全世界官民一体となって温暖化防止に突っ走っているが、寒冷化対策について、人知をもっとつぎ込むべきではなかろうか? 近年のスペクタクル映画でも地球寒冷化を取り上げたものも少しずつ増えているのはそれに対するアンチテーゼだろうか。

一市井人の平凡な感想ではあるが、興味のある方は寒冷化について意識をしてもらいたいものだと思う。 何しろ、数千年前、それこそ自然による温暖化による縄文海進という関東平野が海の底だった時代にも、我々の先祖は生き残っていたという事実があるのだから。

P.S. 暫くデプレッション状態で、休んでいたが、また雑感を書き付けたいと思う。 なお、9月11日になって突然黒点が12個も出現したという。

太陽風が人間に与える影響というようなオカルトめいた話しとしては、これにより生命活動(身体、精神)にも影響があるかも知れないという予測をする人もいるほど。

まったく一筋縄ではいかない「大」自然、大宇宙現象だ。 太陽黒点観測は、屈折式望遠鏡の投影法で中学校時代によく観測した。黒点の色の黒い部分、薄い部分など結構鮮明に観察することができ、スケッチをしたことを思い出す。

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2008年8月 7日 (木)

猛暑と電気量、レジ袋

今朝はあまりの暑さに上半身のシャツが汗だくになり4時ごろ目が覚めた。シャツを着替え、冷たい麦茶を飲み、寝ようとしたが頭の芯が重いようで、この状態では眠気があっても寝入れないとあきらめて、起床してしまった。

新聞受けから朝刊を取り出すと、一面に昨日北京オリンピックの開会式前にいくつか行われる競技のうち、日本の女子サッカーの試合結果が出ていた。これは昨夕生中継で見たもので、2点リードされたのを追いついて何とか引き分けに持ち込めたのだからよしとすべきだと昨日は思ったが、実況を見ていなかったニュージーランドの得点シーンは、どうも女性主審の不可解な判定が原因だったような選手談話が載っていて少し鼻白んだ。日韓共催のワールドカップサッカーでも、審判の不可思議・未熟な判定が勝敗を分けたが、サッカーでの主審の質はどうも向上していないようだ。

新聞受けには、電気量の明細と請求金額のシートも入っていた。少し懸念はしていたがやはりというか、前月に比べても昨年に比べても、2倍近い電気を使っていた。これには、毎晩二つの部屋でクーラーを掛けて寝ざるを得ないのが影響しているのは歴然だ。昨年は一つの部屋だけだったが、子どもが成長したこともあり、二部屋で寝るようになったので仕方がないが、少しクーラーの使い方をより省エネになるよう工夫しなくてはならない。

さて、環境にやさしいということで、スーパーマーケットのレジ袋というポリ袋が有料化されたり、マイバッグに変えたりという動きが始まって相当経過し、マイバッグを使うことが結構多くなってきたが、実はこのレジ袋の減量が、このようなポリ袋の消費量の減少にはつながっていないということが先日のNHKのニュース(経済番組?)でもちらっと触れられていた。

新聞の書籍の広告欄に、現在のエコロジー活動の多くはまやかしであるという警鐘本が相当売れていて、その内容の一つにこのレジ袋問題が紹介されていたのを一月ほど前に目にして、何かお騒がせの一種かと思っていたが、どうやらこれが単なるお騒がせではないかも知れない。

つまり、レジ袋はそのまま捨てられることは少なく、家庭ではゴミ袋替わりに使われることが多く、その分新品のゴミ専用袋を買う必要はなかったが、レジ袋が減ったため、今度は新品のゴミ専用袋を買わざるを得なくなり、結局は元の木阿弥状態だということらしい。(この情報のソースについてはもっと詳しく調べる必要はあるが。「市民のための環境学」でのそれへの反論もあるし、武田氏という前述の著者の説明もある。)

そういえば、週刊朝日のスクープなのか分からないが、ゴア前副大統領の原発利権問題がでかでかと見出しを飾っていた。『不都合な真実』は、その時点ではそうでなかったとそても結果論的にみれば原発建設を推進するためのキャンペーン映画だったかも知れないということらしい。環境保護の象徴のような人物が、実はエコロジカルな生活をしているどころか豪邸に住み大量のエネルギーを「浪費」する生活を送っていたことは「アル・ゴアの不都合な真実」と結構以前に揶揄されていたが、このレポートが指摘するようなことがあるとすると、エコロジー活動の裏というものをいつもその発言をする人物の利権がらみで冷静に見て行かざるを得ないことになる。その意味で、少しショッキングな見出しだった。(参考:アル・ゴア「不都合な真実」と「原発利権」

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2008年5月 3日 (土)

『物理が苦手になる前に』(竹内淳 岩波ジュニア新書)

高校になって習った物理の授業は、非常に無味乾燥だった。中学までは理科少年でもあり、また伝記が好きで科学者の伝記などをよく読んでおり、原子物理学などにも興味を持っていたのだが、そのような想像をしていた物理と高校物理はまったく違っており、むしろ化学の方が周期表などで元素を扱っており面白かった。『相対性理論』の一般向けの解説書などは、それなりの興味を持ってその後も読んだりはしたが、いわゆる「物理」からはすっかり離れてしまっていた。

これもたまたまブックオフで見つけたのだが、カバーの裏側に「物理という科目や数式へのアレルギーをとりのぞき、教科書だけでは絶対に味わえない物理学の魅力的な世界に誘います」とあり、この本の出版時は早稲田大学の理工学部の応用物理学科の助教授の著者が前書きで「高校二年でこの科目に出会ったときに大嫌いになりかけた。責任転嫁をするつもりではないが、ある程度努力しても分からないというのならそれは教科書や教育方法などのどこかにも相応の責任があるはずだ」と共感を覚える本音が書かれていて、読んでみようと思った。

力 F , 質量m, 加速度 a とすると F=ma の式が成り立つ などと言われてもチンプンカンプンで、複雑な現象をなぜそんな単純な式で一律に表現ができるのかという疑問が湧いてしまうのだが、それを超短詩型の俳句の背後に広がる深遠広大な世界や、野球のピッチャーの投げるボールのスピード、F1カーのスピードなどから速度、加速度と説明していき、微分、積分までうまく説明している。私には慣性の法則(惰性)は、躓きの石ではなかったが、加速度がなぜ重要視されるのかが、高校時代にはよく理解できていなかったようだ。自然落下運動の重力加速度 g についても 9.8m/秒の2乗 という数値について記憶が戻ってきた。 

ただ、慣性の法則が理解されるようになったのは、6世紀の疑問の提示から17世紀のガリレオまで約1000年かかったという記述は、科学史の結果だけを教育しようとしている現代の教育の欠陥をあぶりだしているように思えた。

同じことがp.81には、「慣性の法則、力=質量×加速度、作用反作用」をニュートンの運動の第一法則、第ニ法則、第三法則と言い、ニュートン力学の真髄はこれで終りだが、これを高校では2、3時間で学んでしまう。しかし、人類が最初に手がかりをつかんでからこの法則性を浮かび上がらせるまで優に十世紀以上を要したとされているのも面白い。

ただ、 F=ma については、力(物理力とされる)が、質量と加速度との両方に比例関係にあることはなんとなく分かるが、なぜその二つの要素を掛け合わせる式になるのかはよく分からない。どうもこの辺がごまかされたような気になってしまうのだ。そして、それらの数式を数学的に組み合わせて式を整理して結論を導き出すやり方には、さらに論理の飛躍があるような気がしてごまかされているような感覚がさらにする。

作用、反作用については、実感からは分かる。衝突の物理も、自動車事故から野球のボールをバットで打つときの衝突、ラグビーやサッカーのフィジカルコンタクトなど興味深い題材を使っている。

8のコペルニクス的転回については、以前小学生が地動説を理解していないということが大々的に報じられたときに自分でも記事にしたのとほぼ同じ趣旨のことがより分かりやすく整理された形で書かれており我が意を得たりという感じだった。

9ニュートンのりんご 10神のジグソーパズル についても要領よくまとめられており、この辺の宗教史、科学史の部分がより面白い部分だ。運動方程式を使えばあらゆる力学的な運動が予見できるという信念がその後の技術発展を支え、そして、電磁気学、相対性理論、量子力学についても触れられている。

私自身も、責任転嫁になってしまうが、先日の三角関数の余弦定理にしても、これらのニュートン力学の三つの法則にしても、文系的な人間には背景にある数学史、科学史の説明が授業のリードなどにあればもっと興味を持てただろうと思う。ともあれ、面白い本だった。三日坊主ではないが、すぐに忘れてしまってあいまいになってしまうのだが。

p.s. この本の著者は、現在早稲田大学の教授であり、講談社ブルーバックスの『高校数学で分かる』シリーズで評価の高い教育者でもあるようだ。教育者と言えば、哲学者ヴィトゲンシュタイン(ウィトゲンシュタイン)の小学校教師時代のエピソードは非常に示唆的だ。また、物理学、数学と言えば、半可通的な言い訳になるが、カール・ポパーの反証可能性のことを思い出してしまう。大学時代の友人がポパーを信奉していたのを思い出す。彼は数学教師の息子だった。


 

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