カテゴリー「漫画「のだめカンタービレ」」の52件の記事

2012年2月 5日 (日)

久々のコンサート ゲッツェル/神奈川フィル、三舩優子(pf) 2/4(土)

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 名曲シリーズ オーケストラ名曲への招待 「ハ短調の慟哭」という題名のコンサート、2月4日(土)15時開演 神奈川県民ホール、家族で聴きに行ってきた。

このところ、お茶の間のテレビでBSプレミアムの特選オーケストラライブや、プレミアムシアターなどの音楽番組や、MP3プレーヤーで音楽に触れるだけになっていたので、オーケストラの生演奏を聴くのは、2008年7月27日 (日) 日本フィル夏休みコンサート2008で初サントリーホール以来となる。今年の目標(?)として、生演奏を聴くというのがあったが、まずは一つ果たせた(大げさ)という感じだ。

家族で行こうということで、身近な演奏会を探していたら、カナフィルの先週の土曜日の定期演奏会のブルッフのヴァイオリン曲のプログラムも面白そうだったけれど、あまりクラシック音楽に興味のない次男にも楽しめるようにと、「のだめ」でも使われた曲が2曲も入った今回のコンサートを選んだ。

ローソンのチケット販売機でチケットを購入したが、ブロック指定ができるようで、B席(2000円、学生は1000円)で、県民ホールの3階最後部の席が取れた。県民ホールでは聴いたことがなかったので、そんな後ろの席でしっかりと楽音が届くのだろうかと心配したが、視覚的には遠いものの、楽音はピアニシモからきちんと聴きとれ、相当満足のいく演奏会になった。

指揮者は、サッシャ・ゲッツェル。元ウィーンフィルのヴァイオリニストという経歴を持つ若手指揮者。ピアノ独奏は、三舩(みふね)優子で、曲目は、グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調、ブラームスの交響曲第1番ハ短調の三曲。メインの2曲がハ短調なので、ハ短調の慟哭と名付けたのだろうが、慟哭というのは大げさだし、曲調にもフィットしていないのでは?

以前、神奈川フィルを地元の狭い公会堂で楽しんだことはこのブログでも書いたが、本格的な大ホールで聴いたのは初めてだったし、県民ホール自体が初めてだった。これまた久しぶりの中華街で子どものリクエストによる梅蘭の「焼きそば」での食事の後、山下公園方向に出かけたのだが、うっかりマリンタワーの方に曲がってしまい、場所が分からなくなってしまった。マリンタワーの1階案内で尋ねたところ、受付の女性が親切にも地図付きで親切に教えてくれ、その後は迷わずにたどり着けた。

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県民ホールは、3階席まで階段を普通のビルのほぼ6階分ほど登らなければならなかったが、2階、3階のロビーからは山下公園を隔てて横浜港の全景が一望のもとに望める大層眺めのよい建物だった。

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山の頂上から見下ろすような3階席最後部の席だったので、オーケストラステージは40mほど前方の谷底にみえ、普段テレビ放送で音楽鑑賞をしているので、演奏者の表情を見えるのが普通と感じている身にとっては、日常生活からはかけ離れた鑑賞シチュエーションになってしまうのだが、それでも軽やかに指揮者が登場し、ロシア音楽ではおなじみの「ルスランとリュドミラ」序曲が潤いのある音響で流れ始めたときから、すーっと音楽の中に溶けいることができた。

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神奈川フィルの弦楽器群の素晴らしさはつとに噂で聴いていたが、第1曲からそれを味わうことができた。このホールの特徴か席の特徴かは分からないが、ホールトーンとして音響が伝わってはいるのだろうが、各楽器の音色や分離が明瞭で、オーディオ装置ではあまり味わえない、ヴィオラとチェロの音が明瞭に聴き分けられ、ヴィオラの音が甘く美しかったのはうれしかった。直線的なムラヴィンスキーの猛烈な音楽のイメージが染みついた曲なので、ゲッツェル指揮の「ルスラン」はそれとは違いより柔軟で美しい音楽だったし、ほとんどこの曲しか聴く機会がないのだが、グリンカの曲の作りの確かさのようなものが感じられた。

2曲目の有名なピアノ協奏曲は、生演奏経験の乏しい自分には珍しく、これまでグレゴリー・ソコロフ、ダン・タイソン(小林研一郎/モスクワ・フィル)で聴いたことのある曲。ただ、彼らの演奏は、相当手慣れたものだったが、あまり感銘した記憶がない。

その後飽きるほど、録音ではこの曲を聞いてきた。久々に生で聞くこの曲だったが、特に第1楽章のテンポが途中大きく減速があったのが気になったり(帰宅してからスコアで確認すると、第1楽章の展開部の後半?or 再現部の前半?のMaestoso Alla Marcia の部分で極端にテンポを落としたりしていた)、オケのアンサンブルがところどころ「あれっ」と思うような部分があったけれど、音響的には非常に重厚な響きが醸成されており、満足できる部分が多かった。ピアニストは、女性ということで、華奢な演奏ではないかと危惧していたのだが、冒頭の和音から堂々とした演奏で、ピアノがオケに埋没するような部分はあまりなく、ピアニスティックなパッセージの豪華さも申し分なく、演奏としては十分満足できるものだった。ただ、全体的には曲そのものの作りのせいか、先述のテンポ設定のせいなのか第2楽章をのぞいて、やけに分裂的(非論理的)な音楽に聞こえた。第3楽章の泣きの入る有名なメロディーをピアノとオケのトゥッティで奏でるクライマックスの部分など、相当ねっとりと濃厚にやってくれていたが、全体的なムードの統一性が自分には感じられなかったのかも知れない。

20分の休憩後の3曲目のブラームスは、これだけの名曲だが、これまで多分生では聴いたことがなかったと思う。この日の重厚な音響と、指揮者の柔軟な解釈は十分堪能できた。ゲッツェルは、しっかりと手中に収めた曲のようで、暗譜であり、指揮台もないため指揮ぶりも表現豊かに、自由闊達な音楽を作っていたように感じた(ジャンプも1回あった。次男は2回跳び上がったのを見たという)。オーケストラは、部分的なキズ(管と弦の特にピアノでのアインザッツがところどころで合わないなど)は別にして、高飛車で失礼な言い方になるが、日本の地方オーケストラでも、これだけ充実したブラームス的な音響が出せるのかとまったく感心してしまうシーンが多々あった。ただ、ベームとベルリンフィルが刷り込みとなって親しんだ曲なので、これほど流動感があってエネルギッシュな解釈・演奏となると、この曲自体のスタティックなイメージが変わってしまうほどで、その意味でも新鮮だった。フィナーレのたたみかけるような盛り上がりは、スタジオ(セッション)録音では味わえないものかも知れない。

相当湧きに湧いた聴衆だったが、アンコール演奏は無く、この日の演奏会は終了した。名曲コンサートとは言え、ここで軽いアンコール曲などがあれば竜頭蛇尾となっていたことだろうから、よかったのではなかろうか。

神奈川フィルのフル編成の演奏を初めて聴いたが、弦楽器群は確かにすばらしいと思う。木管はよいし、金管も悪くはないが、静かな出だしが弦と管とで相当不揃いになる傾向があるようだ。今回の指揮者の指揮のためかも知れないが、そのような部分がオーケストラとしては練れていないのかも知れない。

マニアの長男は相当満足したようだし、あまりクラシック音楽には関心のない次男もラフマニノフを除いては結構楽しめたと言っていた。妻も久々の音楽鑑賞は気分転換にもなったようだ。

終演後には、1階ロビーに指揮者、ピアニスト、オケの関係者が居並び、神奈川フィルの存続募金の呼びかけを行っていた。ブルーダル募金(ブルーの水玉模様のダルメシアンが横浜のシンボルマスコットにいつの間にかなっているらしい)という呼びかけの一環で、助成金を減らした当の神奈川県の関係者も、市民・聴衆に呼び掛けを行っているというのも、ひどい捩じれ現象だとは思うのだが、一聴衆として、乏しいながら募金をさせてもらった。このようなご時世であり、公的資金を減らし、自助努力は必要なのだろうが、減らした当事者の県や市はあまり表に出ない方がよいのではなかろうか?これからも数カ月おきには聴きに行こうということになったので、地元民として是非応援していきたい。

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2010年4月18日 (日)

映画『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』テレビ放映を見た

今日は朝から好天。温度もあがりようやく春到来だ。家族は用事があったりしてお出かけはなし。ちょっと駅前まで買い物に出た程度。

今朝はセキュリティーソフトのマカフィーがバージョンアップして、これまでのバージョンから相当様変わりをした。このソフトは、この前のバージョンアップ時も大きなインターフェース的な部分で変更されていたので、戸惑うことが多い。ただ、動作は少し軽くなったようだ。相変わらずメモリーの占有は多いけれど。

メモリーと言えば、昨夜はメモリ増設をしようかどうかと思い悩んだが、結局延期することにした。ブラウザとiTunesが最近の主なソフトだが、この二つを上げても、XPメンテナンスのおかげでサクサク動くようになってくれたので。

さて、パリ編の特別ドラマの続きを映画化しているということはあちらこちらのネット記事やブログで読ませてもらっていたが、ようやく昨夜、後編公開の景気付けのための前編テレビ放映を見ることができた。

原作が相当整理簡略化され、曲目なども異なっていたが、千秋真一の常任指揮者としてのマルレオケ立て直し後のコンサートがメインで感動的に描かれていた。曲目は、ウィリアムテル序曲が「1812年」序曲に。第2曲目のバッハのピアノ協奏曲第1番は、第2回目の定演だったはずで、第3曲目の『悲愴交響曲』は、ニールセンの『不滅交響曲』だったはず。このプログラミングの裏に、ミルヒーの「陰謀」が隠されているというストーリーらしい。

それでも、結構おもしろかった。まだ崩壊寸前状態のマルレオケでの『ボレロ』の迷演には驚かされた。あそこまでひどいプロのオケというのはないように思う。『魔法使いの弟子』はそれほど決壊していなかったように聞こえた。

ただ、いかんせんCMが多く挿入されて苛々させられた。無料視聴なのだから仕方ないことではあるが。

BGMでは、エルガーの『エニグマ』の『ニムロッド』が印象的だったらしく、家族もこの曲何?と興味を示していた。そこで、今夜は寝る前に、ボウルト(ボールト)/LSOの録音で。

後編の映画公開も見たいものだが、またテレビ放映かレンタルで我慢することになることだろう。

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2010年1月 9日 (土)

のだめカンタービレ #22, #23(最終巻)

ここ数年漫画、ドレマ、アニメーションと楽しませてもらった「のだめカンタービレ」の原作がとうとう最終巻を迎えた。スペシャルドラマのパリ編が2008年の正月早々の放送で、昨年末からは最終楽章ということで、クラシック音楽ファンにとっては聖地の一つであるヴィーンのムジークフェライン・グローサー・ザール(楽友協会大ホール)での現地ロケを行ったとのことで、早速映画を見に行かれた方も多いようだ。

最終巻の後付を見ると、2009年11月27日第1刷発行とあるので、すでに1ヶ月以上経過してしまっているし、#22のほうは、2009年8月10日第1刷発行。

この年末に風邪で休養しているときに、全巻取り出してきて全23巻を通読してみた。カテゴリーに、漫画「のだめカンタービレ」などと年甲斐もなく作成しているので、ラスト2巻の感想を簡単にメモしておきたい。

第22巻は、2008年9月 4日 (木) のだめカンタービレ#21 での序奏的な部分に始まり、最終楽章のクライマックスが奏でられたという印象だ。既に発刊後相当経過しているので、ネタバレ的に書くと、#21のラストで暗示されたシュトレーゼマン(のだめには相変わらず「ミルヒー」)との共演が実現し、いきなりの世界デビューとなる。曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。このあたりの描写は、二ノ宮知子の真骨頂で、音楽が聞こえてくるし、音楽を聴きたくなる。この描写で連想したのは、アルゲリッチならぬ、ツィメルマンの弾き振りの有名なロマンチックな解釈のオーケストラが聴ける録音だった。(参考記事の中でちょこっとこの録音に触れている。) 最近聴いた中では、1994年録音のオリ・ムストネンのピアノとブロムシュテット指揮サンフランシスコ響のもの(DPM、こちらに的確な寸評記事あり)が、絶滅危惧種的なロマン派ではなく、新しいユニークなショパンを聴かせてくれていたが、のだめとミルヒーはこの路線ではないだろう。

鮮烈なデビューに世界中は大騒動、このところ体調が優れなかったミルヒーものだめのピアノに刺激されすっかり元気を取り戻したのだが、のだめはこのミルヒーとの共演で力を出しつくし、雲隠れ。しかし、のだめをパリに呼んでくれて指導中のオクレール教授がのだめの突然の休学、デビューにも関らずのだめを見捨てていないようなのが救いか。のだめのエジプト行きは、マーラーの交響曲第2番「復活」に掛けた「蘇り」への暗示だろうか?また、真一と父のピアニスト雅之との再開は?

そして、第23巻が最終楽章。のだめは、復活できるのか。

まだ、この巻は発売されてからあまり間がないので、ネタバレは自粛。これだけの長編だったが、フィナーレとしては、ベートーヴェン的なコーダの主和音の強調ではなく、ゴルトベルク変奏曲のように、最初のテーマや途中にエピソードが再現されたような形で、比較的あっさり終わり、余韻を残してくれた。私としては、それほど不満がない。あのエピソードも、このエピソードも膨らませれば・・・という希望はあったが、オクレール先生にも、ニナ・ルッツにも認められたので、・・・という風に、想像の余地がある終わり方もいいのではなかろうか?

なお、映画の公開に併せて、1月15日(00:45)からはフジ系の深夜アニメ「NOITAMINA」で、のだめカンタービレ フィナーレ が放映されるという。映画も見たいが、こちらで我慢か?

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2008年12月10日 (水)

マリアン・アンダーソン 黒人霊歌集

アメリカの生んだアルト(コントラルト)歌手、マリアン・アンダーソンの名前を初めて知ったのは、高校の英語のリーダー(Reader)のText所収のアンダーソンに関する小伝だったと思う。もう記憶はあいまいになっているが、確かトスカニーニの名前も登場した。Contraltoという女声では最も低い音域からソプラノ並みの高い声域まで数オクターブに渡るムラのない美声が特徴だったというようなことが高校生向けの英語で書かれていたような気がする。

昨夜、12月になったというので、クリスマスに縁のあるCDを棚から居間に持って来て少し聴いたのだが、それをきっかけにこども達に『黒人霊歌』のことを少し話した。

『黒人霊歌』は、コーラス団体に入って歌っているときに、"Swing low, sweet chariot"や"Deep river" ,"Sometimes I feel like a motherless child" ,"Nobody knows the trouble I see" , "Joshua Fit The Battle Of Jericho" など、定期演奏会で歌ったことがある(少しうろ覚えだが)。そのときには、ロバート・ショー合唱団ロジェー・ワーグナー合唱団(Roger Wagner Chorale) の『黒人霊歌集』のCD(確かEMIのSeraphimレーベルの廉価盤)を持っていて、合唱団の仲間と回し聴きをして楽しんだものだった。誰かに貸したまま、そのまま行方不明になっている。今では廃盤のセラフィム盤(現在では全く同じものではないが黒人霊歌集の国内盤が入手可能)は10曲以上収録された結構素晴らしい録音のもので、その当時乗っていたホンダシビックフェリオに取り付けたアルパインのカーステレオでよく聴いたりしたが、合唱団の団長もいい録音だと感激してくれたものだった。(同じ Rで始まるUSAの合唱指揮者なので、ついつい間違えてしまう。Robert Shaw の方は、トスカニーニの第九での合唱指揮者も務めており、後にオーケストラも指揮した人だった。)

さて、このマリアン・アンダーソンの Spirituals (以前の言い方では Negro Spirituals と差別的なニュアンスのある表現をしたものだった。先に取り上げたドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』も今ではほとんど忘れられているがかつてはなんと"Nigger"という今では考えられないようなニックネームを付けられていた時代もあった。)だが、マリアン・アンダーソンを本格的に聴くのは、このCDが初めて。1936年から1952年に掛けてのピアノ伴奏による独唱曲として歌われているもので、もちろんすべてモノーラルだが、当時のRCAの技術の高さか、それともリマスタリングが成功したのか、1950年代の録音ではほとんどスクラッチノイズもなく、深深としたマリアン・アンダーソンの歌唱をストレスなく味わうことができる。

なお、このマリアン・アンダーソンの甥にあたるのが、日本でも活躍したアメリカの黒人指揮者 ジェームズ・デプリーストであるということは、このCDで初めて知った。のだめファンには、あのルー・マルレ・オーケストラの音楽監督で、シュトレーゼマンの唯一の指揮者の親友であり、唯一の実名登場人物で、作中では「デプさん」と呼ばれている。

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2008年12月 3日 (水)

シューベルト ピアノソナタ 第16番イ短調 D845 ルプー DPM44

このところ音楽は、DECCA PIANO MASTERWORKS(DPM)ばかり聴いている。昨夜は、ラドゥ・ルプーのピアノで、シューベルトの ピアノソナタ第16番イ短調 を聴いた。

1979年1月録音ということだが、私が苦手とするデッカ的な滲みのある音色はあまり気にならず、聴くことができた。

このソナタは、漫画「のだめカンタービレ」ファンにはおなじみの曲で、それまで幼稚園の先生を夢見ていた主人公のだめが、一念発起してコンクールに挑戦したときに弾いた曲だ。この曲を弾いたのだめは、すっかりコンクールの聴衆を魅了し、審査員たち、特に後に師匠となるオクレール教授の注意を引くきっかけにもなった。

シューベルトのソナタは、のだめではないが、ベートーヴェンなどに比べてなかなかとっつきにくく、ブレンデルの録音で馴染んだ最後のソナタ第21番と、リヒテルの東京ライヴの第13番イ長調が比較的親しく、そのほか「海辺のカフカ」の第17番ニ長調 を少し興味を持って聴いた程度。後期三大ソナタの第19番、第20番もケンプのCDで聴いたが未だピンとこない。

この第16番イ短調のソナタも「のだめ」のアニメで第一楽章冒頭が使われたが、いかにもシューベルト的な少し野暮ったいような飄々としたメロディーで始まるソナタは、モーツァルト、ベートーヴェン的な構成的・論理的なソナタ書法とは相当異なる類の音楽という趣きで、一種不思議な魅力のあるものだった。

今回、このDPMの44枚目にたまたま収録されていたので、じっくり聴く機会を得た。2度ほど通して聴いてから、IMSLPを検索すると、この曲の楽譜も収録されており、PDFでダウンロードして参照しながら聴いてみた。アナリーゼは適当だが、一応メモとして。

第1楽章 Moderato イ短調 2分の2拍子。12:28 ユニゾンで奏でられる不思議な雰囲気なメロディアスな主題がこの不可思議な情緒の楽章のテーマとなっており、第2主題の八分音符のリズミカルな主題と組み合わされ、ソナタ形式を形づくっているが、テンポがモデラートということもあり、既にモーツァルト、ベートーヴェン的な推進力や疾走感のある方向性が明確な音楽ではなくなっている。誠に不思議な音楽だ。

第2楽章 Andante, poco mosso ハ長調 8分の3拍子。11:56 第1楽章のとらえどころのない情緒の音楽と比較すると、古典的で、ベートーヴェンの後期のソナタの一楽章といわれても違和感のないように聞こえるが、唐突な転調がシューベルトらしい。第3変奏のハ短調に聴かれる悲劇的な感情と第4変奏の変イ長調(フラット4つ)の流麗なパッセージはシューベルト的だ。第5変奏はハ長調に戻って狩のホルン的な五度が聴かれる三連符の連続による変奏。ここまでで24分ほどになる大ソナタだ。

第3楽章は、Scherzo(Allegro-vivace) - Trio(un poco piu lento) ハ長調 4分の3拍子。7:15 イ短調とハ長調を行き来する不安定な雰囲気のスケルツォ主部。その後転調の多い、展開的な部分が長く続き、途中イ長調まで転調する。トリオはヘ長調で穏やかな雰囲気になる。動機的にはスケルツォ主部をひきずっているが、転調が多く不安定なスケルツォとの対象がなかなか印象的だ。

第4楽章 Rondo Allegro vivace イ短調 4分の2拍子。5:02 これもとらえどころがない感じのロンド。ひそやかなロンド主題で開始する。リズム的には、一定な拍節ではなく、変化をつけた工夫が凝らされている。相当劇的な表情も見せたり、ころっと表情が変わったり、モーツァルト以上に情緒の転換が激しい感じの音楽だ。全体では35分を越えている。コンクールでのだめが全曲演奏したとすると、長すぎるのではなかろうか?

単に聞き流してしまうと、不思議な曲というだけで印象にそれほど残らないかも知れないが、これも「のだめ」の千秋の台詞ではないが、「きちんと曲に向き合って」「聴く」ことによって、少しはこの曲、作曲家の言いたいことも分かるのかも知れない。

曲の成立事情や、作曲当時のシューベルトについてはよく知らないが、ピアノの腕前があまり達者ではなかった(といっても大ピアニスト揃いの大作曲家たちに比べてだろうが)と言われるシューベルトは、誰による演奏を目当てにこれら一連の大ソナタを書いたものだろう?

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2008年11月21日 (金)

小菅優 リスト『超絶技巧練習曲』全曲

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 『超絶技巧練習曲集』全曲

第1曲:〈前奏曲〉 ハ長調 0:51
第2曲:イ短調 2:07
第3曲:〈風景〉 ヘ長調  4:35
第4曲:〈マゼッパ〉 ニ短調  7:13
第5曲:〈鬼火〉 変ロ長調 3:48
第6曲:〈幻影〉 ト短調  5:17
第7曲:〈英雄〉 変ホ長調  4:48
第8曲:〈狩り〉 ハ短調  5:02
第9曲:〈回想〉 変イ長調  9:57
第10曲:へ短調  4:31
第11曲:〈夕べの調べ〉 変ニ長調  9:43
第12曲:〈雪あらし〉 変ロ短調 5:31

 小菅優(ピアノ) 
<2002年8月3日-6日 ブラウンシュヴァイク シュタットハレでの収録>

アリス=沙良・オットのDG専属契約による第一弾のCDがこの『超絶技巧練習曲全曲』(20歳か19歳の時の録音)ということを聞き、小菅優のリストの『超絶技巧』を聞きなおしてみた。小菅19歳の時の録音。

この小菅のCDの入手前には、エフゲニー・キーシンによる選集 No.5,8,10,11,12を聴いていたが、よくピアノが鳴り響いた超絶技巧の展覧会という印象しか持てないでいた。つまり、従来からのよくあるリスト像のイメージは変わらなかった(2006年の記事)。

さらに、小菅の録音を聴くようになって、改めてキーシンの録音のヴィルトゥオーゾ振りが強く感じられ、曲そのものを味わうようりもキーシンの技巧を味わうものになっているのではないかと思えてきた。第8番の『狩り』を聴き比べると、キーシンの無造作にこの難曲を弾きこなす豪腕の冴えが聴けるのだが、曲そのものを味わうには小菅の方に分があるように思う。(キーシンのタイミング: No.5 3:14/ No.8 4:42/ No.10 4:51/ No.11 9:03 / No.12 4:50) 19歳の小菅の方が、曲を解釈し、演奏の上で設計をしているように感じられる。それに比べて、キーシン(1995年の録音なので、24歳の時だが)は、少し楽天的かも知れない。

なお、第12番は、キーシン盤では 原題の "Chasse-neige" を「雪かき」と訳している。これについて調べてみたところ、仏日翻訳では、『除雪(装置)』と表示され、neigeは雪で、Chasse だけだと狩猟と翻訳された。要するに 英語の snowploughのことで、道具としての『雪かき』のことらしい。むしろこれが、なぜ『雪あらし』と訳されるのか。想像では、粉雪を「雪かき」で片付けるように激しく吹く風(嵐)ということから『雪あらし』なのだろう。相当の意訳ではなかろうか?

さて、フジコ・ヘミング(日瑞ハーフ)のリストは非常に独特なものだが、日独ハーフのオットといい、小菅(少女の頃からヨーロッパで勉強)といい、これら日系女性ピアニストのリストへの傾倒には一種独特のものがあるように感じる(元々小菅は最初はショパンのエチュードで注目されたのだが)。

オットの演奏も、部分的に上記のリンクで聴くことができるが、指捌きは達者なものだし、ピアニシモからフォルティシモまでの幅広さも、曲を自分のものとして表現する能力にももちろん長けているようだ。つまみ聴きだけだが、キーシンや小菅の演奏に比べると、よりレガート重視で流れのよい演奏をするという印象を受ける。曲を通して聴いてみないと分からないが。演奏風景(ラ・カンパネラ)を見ると、アンコールだと思うが、非常に豪快な演奏を披露している。ディスクのものとは印象が異なる。なお、オットのホームページを見ると、既に2005年頃から日本での公演を行っているようだし、ヴァイオリニストのアラベラ=美歩・シュタインンバッハーにしてもやはり日本にも何度も来ているようで、日系人だけあり、日本へのプロモーションも盛んに行っているようだ。

さて、小菅の演奏は、全曲演奏としてよく考えられたもののようで、一曲一曲を比べると、必ずしも圧倒的な技の冴えや強烈さでは、特にキーシンには聴き劣りするものの、前述の通り、曲を把握し味わうためには非常に優れた演奏だと感じる。

五島みどりのパガニーニの『カプリース』全曲録音もそうだが、小菅のこの全曲も、現代の日本女性の少しアッケラカンとして凄さを象徴するかのようだ。

追記:2008/11/22  カテゴリーに「のだめ」を加えていて、そのことに触れるのをうっかり忘れていた。この『超絶技巧練習曲』は、マラドーナコンクールで演奏したり、後にライヴァルとなる孫ルイによるこの曲集の演奏に影響されて、パリ音楽院で指導教授のオクレール氏の前で初めて演奏を披露したときに「ベーベ(赤ちゃん)」と呼ばれるきっかけになった曲で、結構重要な役割を果たしている。「のだめ」の技術的な超絶性を印象付けるものとなっているようだ。 

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2008年10月18日 (土)

さそうあきら『神童』(双葉文庫 全3巻)

音楽漫画というといまや『のだめカンタービレ』の独壇場になってしまっているが、昨年実写版の映画(主演 成海璃子)が公開された『神童』(1997年から1998年雑誌連載)は、漫画としては比較的短編で、ピアノに特化してはいるが、音楽の扱い方については一歩先を行っているように思う。

以前、漫画喫茶が今ほど格差社会の象徴ではなかった頃、勤務先の隣のビルにあった漫画喫茶で、『ピアノの森』などと一緒に読んだことはあったのだが、ブックオフで文庫本が全巻揃って並んでいたので、購入して一気読みした。

結末は、非常にショッキングかつ感動的で、これは読んだことがなかったようだ。

巻末には、各話に関係した曲をBGMとして紹介しており、ドビュシシーの『映像』第2集第3曲『金色の魚』、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(フランソワ)、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(ゼルキン、アバド/LSO)を聴いた。モシュコフスキーやメシアン、ショスタコーヴィチなど結構マニアックな曲も取り上げられていた。プロコフィエフの第7ソナタ「戦争」(ポリーニ)も久しぶりに聴いたら、意外におもしろかった。

一気に読ませる力がある。耳から入る音以外の「振動」としての音について考えさせられる物語だった。

追記:書こうと思って忘れていたが、第一巻 主人公、主要登場人物のうちの何人かの苗字が、JR横浜線の駅名に一致することに読みながら気が付いた。主人公は「成瀬」うた。副主人公は、「菊名」和音。菊名のライヴァル八王子。憧れの女性 相原。成瀬うたの野球チームのサードの強打者 長津田。(横浜線ではないが、小田急線の駅名 愛甲石田駅の愛甲。第二巻以降では、そのような法則性はないようだが。

2008/10/19追記 : 2008年7月 2日 (水) 『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』 青柳いづみこ (文春新書622)を読み直した。『のだめ』のほかに、『ピアノの森』とこの『神童』も題材にしていたエッセイだ。読み直してみて、特に最後の方の、職業としてのピアニスト、音楽家の厳しさに触れた部分などを読むと、気軽に音楽を聴いて、好き勝手に感想をこのようのブログなどに書き付けていることが申し訳なくなるような感じだった。

過去の名演奏のディジタルデータ化された記録が膨大になり過ぎてしまったこともあり、同時代を生き、演奏することによって生活している多くの演奏家のことをつい忘れがちになることに思いを至らせられた。温故知新だけではいけないのではないか?温故だけに偏って、知新を心がけていないのではないか?

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2008年9月 4日 (木)

のだめカンタービレ#21

フジテレビの深夜アニメ枠のノイタミナ(ANIMATIONを逆から読んだもの。MOZART が自分のことを TRAZOM と逆読みで遊んだアナグラムと同じ発想)で、10月にアニメ「のだめカンタービレ」の続編(パリ編)をやるらしい。

ところで、CANTABILE という言葉だが、つい カンタビーレと言ってしまいがちになる。イタリア語では、後ろから第2音節に長音がくるのではなかったろうか?などと少しごねてみても、カンタービレが正しいようだ。さて、以下は少しネタバレ気味。

#21巻は、ラヴェルのピアノ協奏曲がストーリー上重要な扱いを受けている。ルイと千秋の共演により、「のだめ」のようだと皆から言われるこのピアノ協奏曲が演奏され、大絶賛を受け、のだめは相当深刻なショックを受けたようだ。

既に晩年の様相を呈しているシュトレーゼマンだが、のだめに頼られてまた復活の兆しが見える。メフィストフェーレスにたとえられるシュトレーゼマン。ファウストのだめはいったいどこへ行こうとするのか? 巨匠との共演はどのような反響を呼ぶのだろうか? 千秋との仲は?  オクレール先生がいよいよゴーサインを出そうとしていたコンクールへの参加は?

という感じで、結構シリアスな場面も出てきたが、音楽的には、主題提示のような、経過句のようなストーリーで、展開が待ち望まれるという感じだ。

音楽は、そのラヴェルの「ピアノ協奏曲」モーツァルト「パリ」交響曲、前巻でも重要な曲だったベートーヴェンの第31番のピアノソナタ、ガーシュインの「アイ・ガット・リズム」、ドビュッシーの「きらきらした曲」(楽譜の絵が書かれているが字が読めない)、黛敏郎の「舞楽」ムソルグスキーラヴェル編曲)の『展覧会の絵』。メフィストフェレスとファウストが登場するオペラはグノー作曲のものだろうか?ベルリオーズの『ファウストの劫罰』ではないとは思うが、ボーイトの『メフィストフェーレ』の可能性はある。そして、のだめがシュトレーゼマンと共演する曲は?

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2008年7月27日 (日)

日本フィル夏休みコンサート2008で初サントリーホール

相当以前に過ぎてしまった父の日だが、その頃「父ちゃんは君たちをいろんなところに連れていってあげてるけど、こちらに引っ越してきて自分の好きな音楽のコンサートにはあまり行けていないんだ。あの有名なサントリーホールでもコンサートを聴いたことがないんだ」とか何かの拍子にぼやいたことがあり、それを覚えていた妻が一応父の日のプレゼントとして、子どもと一緒に行けるサントリーホールということで、今回の日本フィルの夏休みコンサートのチケットを家族分手配してくれていた。

そのコンサートが今日午前中の11時からサントリーホールで行われ、東横線から地下鉄南北線に乗り継いだら意外なほど短時間で、一種の「聖地」サントリーホールに着いてしまってちょっと驚いた。南北線の六本木一丁目駅では、この夏休みコンサートに行く親子連れらしい人々の姿が多かった。

駅の3番出口から約5分でカラヤン広場を通り、サントリーホールへ着く。アークヒルズ界隈も六本木再開発の最初の頃のプロジェクトだったはずで、そのせいかリニューアル工事がここかしこで行われていた。

ホールそのものはアークヒルズのビル地区の中にすっぽり と収まっているため、音楽芸術の殿堂という崇高さのようなオーラはまったくない。ローカルな比較になるが、長野県の須坂市のメセナホールという文化会館などは、低い丘の上に立っているが、建物正面のデザインなど、なかなか素晴らしいもので、地方都市には贅沢なほどの建物になっており、当時そこに住んでいたおりには、よくコンサートにも出かけ、また所属合唱団の定期演奏会や、合唱コンクールも開かれたり、自分の庭のようなホールだったので、そことの比較になるが、外観やホワイエ(ロビー)などは、あの地方ホールも、また長野県の文化会館もそれなりの豪華さだった。閑話休題。

P7270012_3家族連れで賑わうカラヤン広場で、10時半の開場の仕掛けオルゴール(オルガン)が鳴り出して人々がホールに吸い込まれていき、その後を追って我々も中に入る。ホールに入るとさすがにそこは、テレビなどでも見慣れた正面に豪華なパイプオルガンとシャンデリアのある巨大なサントリーホールの空間だった。

今回は、「のだめ」で取り上げられた「ラプソディー・イン・ブルー」を指揮者弾き振りで演奏するため、若手の沼尻竜典(ぬまじり・りゅうすけ)と渡邊一正(わたなべ・かずまさ)が指揮者として起用されており、今回のサントリーホールの午前11時と午後2時の2回で7月19日からの沼尻氏の指揮は終了、その後7月29日から8月2日は渡邊氏の番になるということで、夏休みコンサートとは言えなかなかのハードスケジュールのようだ。

曲目は、第1部がモーツァルト『フィガロの結婚』序曲。颯爽と登場した沼尻氏は、快調なテンポでモーツァルトを指揮する。初めて聴くサントリーホールのナマの響きだが、舞台に向かって左側の1階平土間の一番後ろの方で、少々音が遠く、残響の多さに慣れるまではなかなか音楽に集中できなかったが、各パートの音も分離して聴き取れるようになってきた。次は、「G線上のアリア」。チェンバロなしの弦楽合奏のみの演奏でリピートも省略されていたが、弦の響きの溶け合いが美しかった。解説と歌として江原陽子という歌手が登場し、「G線」のことを指揮者に質問し、実際にコンサートミストレス江口有香さんが、めったに聴くことができないヴィルヘルミ編曲のG線のみで弾くこのアリアの冒頭部分を弾いてくれたが、ヴァイオリンとは思えないほどの低い音で聴くこのアリアはなかなか聴き物だった。次は楽器紹介をしながら、チャイコフスキーの『白鳥の湖』の『4羽の白鳥の踊り』とハチャトリアン『剣の舞』。フルート、オーボエもなかなかよかった。『剣の舞』は、さすがにアピール力の強い曲で、終演後子どもも妻も凄い迫力だったと言っていたが、会場の残響の関係もあったのか(千葉県文化会館、府中の森芸術劇場、横浜みなとみらいホール、ミューザ川崎シンフォニーホール、大宮ソニックシティの順で、今日がサントリーホール初日)、活躍する打楽器群とその他のパートがほんの少しだけずれているように聴こえたように思った。演奏を始めてしまえば途中で修正が聴くような曲ではないし、あれだけのテンポで駆け抜けるのは結構難しいのだろう。

次は、指揮者弾き振りの『ラプソディー・イン・ブルー』。なお司会者が「日本フィル夏休みコンサート2008ハイライト版です」と紹介したが、全曲ではなく、途中の部分を巧妙にカットしていたが、聴きなれている長男などは、後で「省略があったね」と言っていたので、できれば全曲を聞いてみたかった。演奏は、沼尻氏のピアノも堂に入ったもので、ピアノの響きも美しく、オーケストラともども熱の入ったいい演奏だった。クラリネットのアドリブ風トリルから始まって、途中金管楽器がミュートを使ったりしての特殊な音響を出す部分など会場も沸いていた(ように記憶しているが)。カデンツァでは、沼尻氏はイロイロな曲のサビの部分を演奏していていて、なかなか芸達者だと思ったが残念ながらどんな曲だったか短期記憶が弱まっており思い出せないのが残念。

この後、オーケストラ演奏にのって、会場のみんなで歌を歌う(このようのコンサートでは定番の)コーナーが設けられ、「誰にだってお誕生日」「大きな古時計」「さんぽ」が歌われた。合唱から遠ざかって相当経つのでしばらく大きな声で歌ったことがなかったが、なかなか気持ちよく歌えた。

休憩を挟んでの第2部は、ムソルグスキー=ラヴェル編曲の組曲『展覧会の絵』。この曲は、コンサートでナマで聴いたのは初めてで、また単に子ども向けとも言えず期待して、昨日などは、オーマンディ(CBS)盤やジュリーニ/CSO盤(ハーセスのトランペット!)を、長男と聴き比べて楽しんだのだが、やはり生演奏の迫力は素晴らしかった。

生演奏も、数多く聴けば、もっと冷静な聴き方ができるのだろうが(ただ、それが必ずしも音楽を楽しむためによいことかどうかは別だが)、ホール全体に広がる金管や打楽器の音の迫力に圧倒されることが多く、いわゆる音楽の情報量よりも、感覚的な喜びの方がまず多くなる傾向があるように思うのだが、今回の『展覧会の絵』は、子どもを飽きさせないという多少の演出(絵のない巨大な額縁)や、黒子の持って出てくる巨大な曲名紹介でもそれほど興をそがれずに、音楽そのものを結構楽しめた演奏になっていた。

以前にも書いたが、高校時代オーマンンディ盤によって十分に親しみ、細部まで覚えきったような感じの曲だが、ここ10数年は離れていた曲だった。個性的で描写的な音楽の集合である組曲で、面白い曲揃いで、気軽に聴ける曲ではあるのだが、音楽にもっと別の充足感を求めるようになると次第に敬遠しがちになってきていた曲だった。数年前に手持ちのCDの聴き比べのような記事を書いたことがあったが、表面的な印象を書いただけで、それほどつっこんだコメントは書かなかった。私が高校のときにはまった『展覧会の絵』だが、子ども達は意外にこの曲への食いつきが悪く、今回のコンサートで魅力に開眼するかも楽しみだった。

沼尻/日本フィルの『展覧会の絵』は、結構見事な演奏だった。トランペットソロは、プログラム掲載の首席の星野さんだろうか、一曲目のプロムナードのソロは、ハーセス顔負けの素晴らしい音だった。「こびと」の打楽器、「古城」のサキソフォーン、「チュイルリー」のアンサンブル、「ブィドロ」の重々しいチューバソロも見事。ナマでは結構粗が出るのではと心配した「殻をつけたひよこの踊り」とアンサンブルが難しそうな「リモージュの市場」も颯爽とこなし、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」でもミュート付きトランペットが疲れることなく甲高い声でしゃべっていた。「カタコンブ」は、ひっそりとした足取りで地下墓地を歩む姿の部分が緊張感があり、「ババ・ヤーガ」では、迫力満点の魔女の姿が描かれていた。「キエフの大門」は、さすがにいつも聴いているステレオイアフォンや、大きな音を出すのは控えざるを得ないステレオセットでは聴けない大音響を聴けカタルシスを得ることができた。この曲など、指揮台で指揮できれば、爽快な曲だろうといつも思っているが、つい手が動いてしまい、子どもに後から注意されたほどだった。

アンコールは、恒例の「ラデツキーマーチ」で、手拍子の演出もたくみに、子ども向けとは言え長丁場を無事聴き終えることができてほっとした。

なお、この午前の部か午後の部は、NHKBS11が収録することになっているとパンフレットにも書かれており、それらしいテレビカメラが二階席の両側で撮影していたようだった。オーケストラがフォルテの部分で、カメラマンたちがヘッドセットを使ってディレクター?と会話しているような声が耳に入ってきたのはいただけなかった。妻もその声には気がついたようで、誰かがラジオでもうっかりスイッチを入れたのかと思ったなどと言っていたので、結構大きい音だったのだろう。テレビ放映は楽しみだが、テレビのスタッフは少々注意不足ではなかったのではあるまいか?

まあ、こうして初のサントリーホール詣でも無事終わって、いつもは子どものための外出が多いが、自分も満足できる外出もやはり精神衛生上必要だと思った次第だ。とはいえ、比較的廉価なこのコンサートでも、そうおいそれとは来れないし、ましてや外来演奏家など最近の経済事情では相当難しいこともあり、高価なコンサートでなくてもいいから、それ用に貯金でもして、数ヶ月に一度くらいはナマの演奏を聴きに行きたいものだと思う。

追記:2008/10/09

日本フィルのホームページを見てみたところ、NHKBS11の収録ではなく、BSデジタル11という放送局の収録だったとのことだ。

番組名:BS11スペシャル「日本フィル ファミリーコンサート2008~音の展覧会~」
放送日(予定):2008年11月2日(日)14時~16時30分
■BS11の試聴方法はこちら

NHK衛星第2(アナログ)がBS11とも新聞のテレビ欄に書かれていたりするので、勘違いしてしまっていた。無料放送だというが、ディジタルチューナーがないので、今のところ見れない。残念。

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2008年7月 2日 (水)

『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』 青柳いづみこ (文春新書622)

2008年2月20日第1刷、同年5月10日第2刷の比較的新しいクラシック音楽関係のエッセイ。

2006年6月 6日 (火) フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」の記事を書いたときに、青柳いづみこオフィシャルサイトの執筆&インタビュー 評論「進化するフジ子ヘミング」/「すばる」  2006年8月号を発見し、それ以来ときおり新聞記事などで目にするピアニスト・エッセイストだが、愛好まんが『のだめカンタービレ』や『神童』『ピアノの森』を題材にしたエッセイと帯にあり、手に取ってパラパラ読んでみたところ、「目の敵にされるホロヴィッツ」だの「ゼルキンとホロヴィッツのバトル」だの興味をそそってやまない小見出しが目に入り、税抜き定価730円と高いが購入したのだった。

現在、流行している音楽漫画を題材にしたのはタイムリーなのだろうが、いわゆる際物で、数年したら、訳が分からなくなってしまうことだろうと心配しつつ読み始めたが、「のだめ」の部分を除いても、ピアニスト、指揮者論として、プロフェッショナルとしての裏話的な話も書かれており、一般愛好家にはとても面白い本だった。

「目の敵にされるホロヴィッツ」の章では、日本の現役ピアニストたちの1992年時点での談話が載っているが、若林顕(あきら)氏「リヒテル。ホロヴィッツとコルトー」、横山幸雄氏「リヒテルとミケランジェリ」、清水和音氏は「アシュケナージが20世紀で一番優れたピアニストだと思う」、アンドラーシュ・シフ「アラウ」と、いわゆる作曲家の意図の尊重、楽譜への忠実とそれのアンチテーゼとしてのホロヴィッツという対立構図のようだった。プロのピアニストが言うのだから一理はあるのだろうが、ホロヴィッツのピアノ演奏は、それほど作曲家の意図に反し、楽譜に忠実でないだろうか? グールド、ポゴレリッチ、ブーニンなどホロヴィッツよりも楽譜の指示から離れたピアニストはいるわけだし、先日じっくり聞いたホロヴィッツの『クライスレリアーナ』にしても楽譜に忠実ではないだろうか、少し気になるところだった。

まあ、そのような違和感もあったにはあったが、全体としては特にピアノ音楽に関心のある人なら一読しても損はないという盛りだくさんの内容で、できれば「のだめ」のストーリーはある程度知っている方が楽しめるかも知れないという本だった。

指揮者の謎という章はあるが、掘り下げるべき内容に比べて、文章の量が短すぎたようには思った。

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