カテゴリー「ミュージアム」の66件の記事

2008年6月17日 (火)

朝日新聞でも取り上げられた多摩動物公園のベビーブーム

チーター、キリン…赤ちゃん続々 東京・多摩動物公園  2008年6月17日19時3分 (田内康介) firefox2のブックマークツールフォルダを見ていたら、この記事が目に留まった。いろんなブログやYoutubeなどの動画投稿でも注目されているようだ。

今日は、赤ちゃん動物ではないが(昨日のウォンバットは高齢記録らしい)、我が家のお気に入り、サーバル(キャット)。NHKの『ダーウィンが来た』のサーバル特集で一躍注目されたが、この日はチーターが注目を浴びているのに拗ねてか?結構草むらでふて寝?をしていた。しかし、時にはムックリと起き上がり、優美な雄姿を見せてくれたのだった。

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次は、チンパンジーによる蟻塚で道具を使って餌を取るの図。

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ここでも、幼いチンパンジーたちが見られた。母チンパンジーにおんぶされて行く、子チンパンジーの図。

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追記:そう言ういえば、ちょうど、2年前の6月は、私の多摩動物公園デビューだった。2006年6月 4日 (日) 多摩動物公園を見学 このときに比べると、インドサイの飼育場、マレーバクのそれ、ウォークインバードケージ、もぐらの家などが新設、改築されていた。今回は、オオカミより奥の方のオランウータンや、ユキヒョウなどは回らずに、前回見逃した昆虫生態館やアフリカゾーンをゆっくりと見たのだった。

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2008年6月16日 (月)

多摩動物公園 ウォンバットのチューバッカ君 20数歳

次男は、以前 横浜の金沢動物園で見たウォンバットが気に入ったとのことで、この動物園のウォンバットも見に行った。ちょうどオオカミ舎の裏側がオセアニアエリアで、人気者のチューバッカ(映画『スターウォーズ』の宇宙船の操縦士の名前)君を見ることができた。なかなか顔をこちらに向けてくれずにいい写真が取れなかった。

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多摩動物公園 オオカミ王ロボとイヌガミのモロ一家

モスクワ動物園から来園したロボ(雄)とモロ(雌)の家族。成獣だけで10頭も見られた。8頭の成獣は息子、娘なわけで、少し手狭な感じだ。ここに新たに4頭ほどの子オオカミが誕生した。

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モロと今年の春生まれた幼獣が寄り添っていたが、兄弟姉妹が忙しく駆け回り落ち着かない様子。

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部分的にトリミングして拡大してみた。

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モロが離れてチビスケが一頭になった。

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真ん中の枯れ木の根元にもチビスケが一頭。

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この成獣は、飼育場の一番下部の堀の間際まで降りてきたもの。電気柵をくぐって出たものらしい。苦労してまた登っていったところ、ロボかモロか兄弟姉妹かにひどく叱られて、尻尾を巻いて逃げ回っていたのが哀れだった。

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総合系BLOGにリンクを貼らせてもらっている Wolf Wolf Wolf (koutaさん)の記事 2008年 06月 19日 今年も多摩動物公園で赤ちゃん生まれるにトラックバックさせてもらった。長男がオオカミに興味を持つようになって、こちらのブログで多摩のオオカミの赤ちゃんのことを知ることができたのだった。特にこの記事 2005年 04月 30日 多摩動物公園のヨーロッパオオカミの赤ちゃんその後の写真に魅了されたのが、多摩に行ってみるきっかけだった。

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多摩動物公園 チーターの幼子たち

ユキヒョウの赤ちゃんも生まれたということだったが、そこは場所が遠いので、昆虫館の後は、すぐ隣にあるチーターの赤ちゃんを見に行った。人気があるため、一応一列で立ち止まらないように見学くださいという係員の声掛けがあったが、余りの愛らしさに皆立ち止まってしまっていた。カメラを構えている人も多かった。それでも長蛇の列ではなく、一回見て、また列の最後尾に並べば何度でもゆっくり見ることができるほどだった。

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多摩動物公園 昆虫館の美しき蝶たち

6月15日(日)に、今度はクルマで出かけてみた。前回は電車とモノレールを乗り継いで行ったが、カーナビに頼って行くと案外すんなりと到着できた。片道30km弱で、一時間程度。駐車場は公営のものは臨時駐車場以外はないが、私営のものが周辺で客寄せしており、安いところは600円、高いところは1200円程度だった。800円のところが空いており停められたのは幸運だった。

前回2006年に訪れたときには、開園時間の関係で見られなかった昆虫生態館に初めて入ってみたが、大変広大なドーム状の飼育施設で、多くの蝶がまさに乱舞しており、圧巻だった。

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2008年6月 8日 (日)

相模川ふれあい科学館バックヤード見学

最近、家の小水槽(フィルター付き)で、近所の小川で採集してきたハゼの仲間ヨシノボリを飼っている次男が、淡水魚の水族館として充実している相模川のふれあい科学館に行ってみたいというので、昼過ぎに出かけてみた。もう何度も訪れており、これで4、5回目だと思う。

ちょうど2時頃に到着して受付で入場券を購入(大人300円、小中生100円)すると、館内放送で、2時半から裏側探検ツアーを募集します。先着順と聴こえてきたので、早速並ぶと、4番目から6番目の券をゲットできた。 飼育員(学芸員)の若い女性がツアコンで、案内してくれた。注意は、三つ。1.勝手に器具や機械に触らない。2.大人でも迷子にならない。3.フラッシュ撮影は厳禁(これはこのバックヤード見学だけではなく、世界のどこの水族館の水槽撮影でも同じく厳禁。魚の目はフラッシュのような強い光にさらされるようには作られていないため失明やパニックになる危険があるため。以下の写真はASA500に調整してノーフラッシュで何とか撮影したもの。)

これがまず水族館の裏側の一つで、療養中のものや展示待ちのものが飼育されている部屋。

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次に、この水族館名物の相模川の上流域から河口までを40mの長い水槽で展示した巨大展示の裏側に案内されて、水槽越しに普通のお客さんお姿を見、また餌やりも体験させてもらった。(いい写真がないので写真は割愛。)その後、その地下にあるろ過装置がずらりと並んでいる壮観。内部には砂が入っており、バクテリアが水の汚れを分解するのだという。ただし、定期的な掃除は必要とのこと。どこの水族館でもこれが命綱のようだ。

なお、魚への餌やりは一日一回でよいそうだ。あまり与えすぎるのはよくないらしい。

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バックステージ見物は、30分ほどで終り。こういう企画には初めて参加したが、結構面白いものだった。

さて、下の写真は、一般展示のカミツキガメが背伸びをしているポーズ。まるでガメラのようだった。

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(追記:ガメラ医師様にこのガメラ写真を紹介いただいたので、もう一枚追加)

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下の写真は、川崎市で捕獲されたオオサンショウウオで、正式にこの水族館の所属となったのだという。

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下の写真は、水族館から出て散策した水郷田名の烏山用水に咲いていたアヤメ。水路には大きな鯉が活発に泳いでいた。

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2008年4月29日 (火)

レオナルドのヴェッキオ宮殿の壁画が発見!?

日本テレビ 2008/4/29 19:00-20:54  

ダイワハウススペシャル 天才ダ・ヴィンチ 伝説の巨大壁画発見!

 フィレンツェのヴェッキオ宮殿の広間に描かれた後、失敗作として放棄されたと伝えられたレオナルドの『アンギアリの戦い』が隠されているのが発見されたらしい。アメリカのカリフォルニア大学のサンディエゴ校の工学博士でフィレンツェ出身のマウリツィオ・セラチーニによるとのこと。あの「画家伝」のヴァザーリが隠したらしい(ヴァザーリのフィレンツェの他の教会でもマザッチオの祭壇画を保存のためか?隠したらしい)。

ただ、またニッテレなので眉唾も必要かもしれない。例のたけしとアイルワースのモナリザを制作放映したのも日本テレビだったので。

BGMでは、レスピーギのローマの松や泉、メンデルスゾーンの『イタリア』などが用いられているが、これも何だかな。レスピーギなら「古風な舞曲」ではなかろうか?

追記:その後、ネットで検索してみると、例のNHK地球ドラマチックで2006年に既にセラチーニによる『アンギアリの戦い』の捜索が海外ドキュメンタリーとして放映されていたのに気が付いた。たけしの『もう一つのモナリザ』でもそうだったが、またもやニッテレによる「新発見」ものは、過去にマスコミが取り上げたもの(モナリザではニッテレが過去に取り上げたものだった!)のいわゆる「焼き直し」だった!? 

『ダビンチ捜査官~消えた名画を追え!~』 2007年11月17日(土) 10:00~10:45

原題:The Da Vinci Detective
制作:Darlow Smithson Productions

とは言え、このような番組はついつい見てしまうのだから、私も懲りない。ただ、この番組で「新たに」新発見とは言っていなかったようだし、CGにより有名なルーベンスの模写の周囲の絵までも再現して、いわゆる完成版を復元して見せたのはこの番組の手柄なのだろうか?

ちなみにアンギアーリの闘い(La Battaglia di Anghiari, Battaglia d'Anghiari)の Anghiari の場所はGoogle mapで、Italy Anghiari で検索すると表示される。フィレンツェの東南東約65kmの地。ミラノからは300kmもある!

参考ページをいくつか探してみたら結構あった。

イタリア語:http://www.artive.arti.beniculturali.it/Disegni/Battaglia%20d'Anghiari/Frame%20Anghiari.htm

http://www.anghiari.it/italiano/s0/da4.htm

wikipedia イタリア語

イタリア Nazione紙のサイトの記事 セラチーニのことが特集されている?2008年3月3日のものなのでまだ新しい。 La ricerca della 'Battaglia di Anghiari' raccontata in un documentario

英語: wikipedia 英語 セラチーニのことも記述されている( Possible recovery)

日本語: 不埒な天国 (フィレンツェ市在住の日本人の方らしい)

2005年06月23日 失われたダ・ヴィンチのフレスコ画を探す鍵

2007/10/30 数字で見るイタリアの常識・非常識 vol.226

2008年04月29日 TV「ダビンチ巨大壁画を今夜発見」 

 今回の「発見」も2005年頃にも日本でも報道されていたらしい。

YouTube: Il mistero della Battaglia di Anghiari (2007) 短編ドキュメンタリー

p.s. フィレンツェは、新婚旅行のローマからのオプションの日帰りツアーだったが、ミケランジェロ広場、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ、シニョーリア広場、このヴェッキオ宮殿、アカデミア美術館、サンタ・クローチェ教会、そして駆け足で回ったウフィッツィ美術館をみて回ることができた。アメリカ人の団体客と、日本人の女子学生たち、それに我々夫婦という構成のバスツアーで、ガイドさんは日本にも滞在したこともあり、長野オリンピックの前だったが長野のことも知っていた若い女性だった。英語、日本語、イタリア語を駆使して案内してくれた。当時はフィレンツェに関する予備知識がほとんどなかったので、帰国後様々なフィレンツェ関係の本を読み漁った。塩野七生『わが友マキアベリ』が面白かったし、和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』も面白かった。実際に自分が体験した風景を思い浮かべながらそのような書籍を読むのは非常に面白いものだった。

なお、先日関口知宏のファーストジャパニーズ(FJ)という番組で日本人カバン職人がフィレンツェで独立して工房を開いたことを特集していたが、フィレンツェの裏町の石畳の風景が懐かしかった。

P.S. 「弐代目・青い日記帳

にトラックバックさせてもらった。本館の BLUE HEAVEN も凄い美術サイトだ。

追記:2008/05/03
 他の番組の関係で全部見れなかったため、ビデオ録画をしておいたが、ようやく今日の憲法記念日の休日に見ることができた。最初の方のモナリザの眉毛の復元は結構面白かった。これが最新の映像技術による発見。眉毛があるのとないのとではまったく印象が違う。ずっと若々しく見えた。これは何しろ、ラファエロの白黒の模写には眉毛があり、またいわゆるラファエロの円柱があるのだからそれなりの蓋然性はあるのだろう。色調の明度についての復元も面白い。例のアイルワースのモナリザには眉毛がなかったように見えるが、ルーヴルのモナリザに眉毛の跡があるというのが面白い。

次に、「最後の晩餐」に隠された音符について。これは,WIKIPEDIAの英語版からのリンクで、この番組で紹介された音楽家についての記事を読むことができ、その音楽家がREQUIEMのようだと言う音楽も聴くことができる(英語版)。ただ、手とパンに音符を当てはめるというのはあくまでもそのように読むこともできるという解釈の可能性の類で、偶然、左から音符を読むをそれらしい音楽に聞こえるというだけで、(これが音符だとして)和声的な書法と三拍子という見方は、15世紀末から16世紀初めに活躍したジョスカン・デプレなどの音楽の様式とは違うのではないかと思わせられた。なおその「曲調」からRequiem らしいというのもあまりにも「ロマンチック」な見方ではなかろうか?

暗号の「求めよ、されば与えられん」の発見は、画期的だったが、Masaccio の サンタ・マリア・ノヴェラ教会の三位一体の壁画がヴァザーリによって「なぜか?」隠されており、その隠し方がちょうど500人広間の壁画の隠し方と似ているということ。2008年の7月、8月には、電子的・原子的な透視のような手法で、現在のヴァザーリの壁画の裏にあると想定されている「アンギアリの戦い」が「見える」かも知れないという。復元については、各地に残るデッサンや下絵の原画(オックスフォードの Ashmolean Museum アシュモレアン美術館所蔵には驚かされた)そして日本にあるという彩色付きの模写から、それらしいものが提示されなかなか面白かった。

番組の作り方が日テレのこの種の番組的にチープだったが、「啓蒙的」な番組としては、私のような興味だけはある素人にはそれなりに面白かった。

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2008年3月12日 (水)

水平線までの距離は意外に短い

ショパンは小休止。

この前の日曜日、お台場の建造物の中でも最も古い歴史をもつという「船の科学館」に家族で出かけてきた 。

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横浜のみなとみらい地区にもマリタイムミュージアムという船関係の博物館があり、船の歴史や船舶模型、港湾や貿易などでは同様の展 示があるので内容的にはそれほど目新しさは感じなかったけれど、全体としては規模が大きく展示内容も 豊富だった。なかでも造船関係の展示が巨大な展示スペースを利用しており、結構充実していた。

さて、通常展示の最後の方に船や海に関する三択問題を答えるQ&Aクイズの立派な小ホール 風のコーナーがあり、いくつかの問題に参加してみたら、その中に船のブリッジ(マスト?)から見える水平線までの距離はどのくら いでしょうという問題が出た。選択肢はは12km、25km、50kmというものだった。私 は勘で12kmを選び、一緒に参加した次男も適当に25kmを選んだ。このときの答えは12kmが 正しく、その後の解説で平方根と視線の高さを用いた水平線までの距離の公式が示された。結構 単純な式だったので、意外に思った。

そこで、帰宅後、ネットで地球の大きさ、水平線までの距離などで検索したところ、中学校程度の 数学(三平方の定理)を使えば比較的簡単に近似値を計算できることが分かった。 なるほど、そういうことなのかという意味では、ユーレカである。(地球の科学 地球の形と大きさ)。これまでの数学の授業でそのような興味深い問題にあたったことがなかったので。以前も書いたが私はこのような実用数学(道具としての数学)が好きなようで、もっとそちらの方面から勉強をすればよかったように思う。

さて、水平線までの距離をx(km)、視線の高さをh(km)、地球を完全な球体としたときの地球の半 径をR(km)とすると、xの二乗とRの二乗の和は(R+h)の二乗に等しくなり、これを整理すると x=SQRT(2Rh+h^2) となる。(エクセルでSQRTは平方根、^2は二乗をしめす。)

Rの約6,400km に比べて一般的にhは非常に小 さいので、これを無視してより簡単な式にすると x=SQRT(2Rh)となる。地球の北極と南極を結ぶ周囲の長さは、40,000kmなので、Rは、約6,366kmとなる。地上で最も高い場 所、エヴェレストの頂上でも8,848mで約9kmなので、6,366kmに比べるといかに小さいかということらしい。(実際に計算で生じる差も富士山で30m程度、エヴェレストで100m程度である。)

これをエクセルの数式として入力して簡単に計算できるようにしてみると、海面からの高さ12m程度で、水平線 までの距離が12kmになった。 このエクセルシートを使っていろいろな高さからの距離を計算してみた。視点が海抜1.7mの人は4.7km先しか見えない。つまり海岸の波打ち際に立って水平線を見るとほんの5km先が水平線ということだ。また、横浜のランドマークタワーの展望台 は海抜273mということで、そこに視点があるとすると約47km先が見える。(トウキョウタワーの特別展望台も、標高23m+高さ250mなので海抜としてはちょうど273mになるらしい。)

なお、水平線までの距離をx(m)、視線の高さをh(m)、地球を完全な球体としたときの地球の半 径をR(m)と、単位をmでそろえると、x=3569*SQRT(h)となる。つまり1mの視点では3,569mとなり、100mなら35,690mとなる。

富士山の 山頂3,776mから見ると219km先が見えることになる。逆に219km離れた場所から富士山の山 頂が見えることになる。(実際には空気による光の屈折などで多少変ってくるらしいが。) 富士山の山梨県側の5合目は2305mとされているので、5合目から上の富士山らしい形を見るためには、171km以 内に近づかなければならないことになる。

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上の写真は、昨年の9月に江の島展望灯台の展望フロアから撮った写真。
Q. 江の島展望灯台の高さはどのくらいですか? A. 屋内展望フロアの高さは41.7m(海抜101.5m)になります。 とあり、この写真の水平線までの距離は、およそ、36kmとなる。

地図上で確かめると 熱海が36kmよりも少し遠くて見えない。房総半島も館山付近は40kmほどになるのでそれより近いところなら辛うじて見える程度。地図で見ると指呼の間のようだが、意外な ほど見えないわけだ。

かつて富士山に登ったときに、遠くまで見えて感激した。さすがに日本一の展望台と賞されるわけだと思った。このときは、海側は、静岡方面や湘南海岸、房総半島まで眺 められたが、このあたりまでの富士山頂からの距離はほぼ100kmなので当然といえば当然なわけだ。視界の問題は別にして、計算上伊豆の大島あたりまでは 見えるが、八丈島は見えないことになる。

ところで、東京と大阪の距離は、約400km。東京から大阪を見ても海抜0mからでは(まったく障害物がない大平原であっても)5km先しか見えないので、大阪を見るためには、海抜高度12.6kmまで上昇す る必要がある。これは非常に意外な発見だった。地球儀で見れば当然のことなのだが、いつも平面図を見ることが多いので狭い日本と言っても地球の丸さによって水平線、地平線により見通しが利かないことをうっかり忘れがちだ。

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2008年2月20日 (水)

皇居東御苑を巡る

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2月17日(日)は、第2回東京マラソンで都心がにぎわった日だったが、以前から訪れたいと思っていた皇居東御苑を、寒風をおして巡ってきた。

以前、北の丸公園の科学技術館を訪ねたおりに、北の丸方面から非常に見事なお濠と石垣に囲まれた皇居内(東御苑)に橋を渡って入っていく一般の人たちがいるのを見て不思議に思っており、そのときにブログ仲間の方から、江戸城の本丸地区は東御苑として公開されていて、天守台や松の廊下跡なども残っていると教えてもらったのだった。

今回はそのとき以来の念願がかない、広大な江戸城の本丸、二の丸、三の丸を一巡りすることができた。入園は無料で、三の丸尚蔵館という博物館も無料。大正期皇室御慶事の品々を展示していた。内部は当時の建築物としては富士見櫓がある程度だが、さすがに大江戸城の石垣と堀の見事さは、地方の城の比ではなく、それを眺めるだけでも十分入園する価値があった。

上の写真は、忠臣蔵でも有名な松の廊下の付近。下の写真は、江戸城の本丸御殿や大奥のあったと思われる付近は広大な芝生になっており、そこから見た天守台。

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外国人観光客も結構多く、東京見物のルートになっているらしい。

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2008年2月12日 (火)

ツシマヤマネコをナマで見る

2007年11月20日 (火)ズーラシアの植樹祭と再見キンシコウのときにもらった無料招待券の有効期限が3月末で切れてしまうので、そのとき以来しばらく御無沙汰をしていたズーラシアに2月11日の建国記念の日の祝日に子ども達と見に行ってきた。

12月末で上海へ帰ったはずのキンシコウが、まだ両国間の手続きが手間取っているということで、継続展示されていたのは御愛嬌としてうれしかった。

前回行ったときにすでにアマゾンセンターでお別れ記念のメッセージ募集が始まっており、そのときのメッセージが貼り出されていたので見ていると、次男がこれお母さんが書いた絵に似ているねというので、よく見てみると確かに筆跡が妻のものだ。下の写真がそれだが、帰宅後(所用のため妻は今回は同行しなかったため)この写真を見せると、確かに自分のだと喜んでいた。
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さて、前回は公開直後ということもあったのだろう、まだ人馴れしておらず見ることのできなかったツシマヤマネコ(対馬山猫)に対面するのが今回のハイライトだったが、以前はハクビシンが使っていたケージの中を悠々と歩き回っていた。それほど人だかりはしていなかったが、興味のある人たちは、望遠レンズでその姿を狙っていた。我が家の3倍望遠で撮ったのが下の写真だが、左右の真ん中、下から2番目の横の鉄線のところに小さい顔を出しているのがツシマヤマネコのナマのお姿だ。
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大きさや姿はそこらにいるキジトラとあまり変わらないが、まずは模様が特徴的なのと、尻尾の先の方が太い。また、耳の先が(言われてみれば)丸みを帯びている。今日は一頭(現在、ズーラシアには、オス2頭、メス2頭が「飼育下繁殖事業」により飼われている)がケージの奥の方をいったり来たりしていたが、我が家の子ども達は、ニホンオオカミの滅亡に関心があり、学校の自由研究に発表したほどなので、特にレッドデータブックには関心があるため、生きた絶滅危惧種に会えたのはずい分感激だったらしい。

このツシマヤマネコは、勿論イエネコと同じネコ科だが、wikipediaによるとベンガルヤマネコの亜種であるアムールヤマネコの変種になるという(wikipedia ツシマヤマネコ)が、対馬では、急速にその生息数を減らしているのだという。

さて、園内では、寒さに強いウンピョウ(雲豹 Clouded Leopard) が、暑いときとは違う結構活発な動きをしていたり、ニホンザルが陽だまりでグルーミングをしていたのもほほえましかった。また、アカカワイノシシのウリボウたちが、瓜模様も消えすっかり大きくなっていた。

ところで、珍しいものをみた。ウォークインバードケージの中に、ネズミが結構沢山繁殖しており、放し飼いの鳥達の餌をヒトの気配を気にしながら掠めている現場が数匹目撃されたのだ。ナマネズミというものもあまり直に目にする機会がなく、ネズミ年ということもあり、面白い見ものではあった。

なお、今日は朝開園9時半直後に行ってみたのだが、午後2時ごろに帰るときには、ズーラシア方面の道路が珍しく渋滞していた。不思議に思ったが、冬季は、午後からの駐車場料金が半額の500円になっているのと、三連休中はようやく春先らしいお出かけ日和になったことの二つが理由だろうか。(訂正:午後2時以降の駐車料金半額は、平日のみ。)

p.s. ドライブミュージックは、コープマンによるモーツァルトのディヴェルティメントK.136の快適な演奏。

追記:ズーラシアのホームページも相当リニューアルされており、飼育員の人たちのブログ記事が結構面白い。

追記:2007年11月に撮影された動画発見

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2007年12月23日 (日)

国立科学博物館 花展の 源氏物語絵巻

2007年4月29日 (日) 上野 科博 花展と 本館(日本館)の再開館  という記事で、源氏物語絵巻の華麗な宮廷の情景を十二単や衣冠束帯などの衣装による精巧な日本人形で再現した展示の写真をアップロードしたところ、その写真へのアクセスが結構多いようなので、クリスマスプレゼントではないが、そのとき一緒に撮っておいた写真を追加してアップロードする。

先日、平安時代の郡衙跡らしい遺跡が実家の近所で発掘されたが、そのような東の涯からも租庸調を集め、今から1000年以上昔の人々が、このように繊細華麗な布と染めを用いた衣装をまとって宮廷生活を営んでいたというのは、少し不思議な感じがする。

今日は、天皇の74歳の誕生日だ。万世一系という世界にもまれな天皇制を保つこの日本だが、継体天皇、桓武天皇、南北朝の争乱、江戸幕府による圧政など天皇制の危機は多く、この華麗な平安朝の時代も藤原摂関家により権力はほしいままにされていた。最近読んだ網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』(隆慶一郎の時代小説に大きな影響を与えた史観を一般向けに易しく説き起こしたもの)でも、天皇制が多くの職人の権威付けと特権を与える存在だったという意外なことも書かれていた。また、日本という国名も中国との関係で命名されているという指摘も面白かった。

と、難しいことはぬきにしても、宮廷文化というのは、どの時代も庶民にとっても魅力的なものだ。

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2007年11月20日 (火)

ズーラシアの植樹祭と再見キンシコウ

土曜日は、以前申し込んでおいたズーラシアの植樹祭に家族全員で参加してきた。


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植えたのは、このヤマブキとユキヤナギ、そして我が家には割り当てがなかったがアジサイの三種類だった。池の周囲に約1500人が集まって植樹をしたので、10時開始だったが、11時前にはほとんど完了してしまった。

さて、ズーラシアでは、今年一杯で中国の幻のサル キンシコウが上海に帰されることになった。元々の貸与契約でそうなっていたらしい。1999年に開園したときから展示されていたので丸8年になったのだという。キンシコウはいつでも人気があるのだが、この報道があってから特に注目されているようで、大勢の人だかりがしていた。また、人が多いことがサルたちにも影響したのか、活発に活動して目を楽しませてくれた。メッセージを募集していたので、全員でキンシコウへのお礼を書いてきた。


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また、最近ツシマヤマネコの展示を始めたとのことで、初めて見られるかと期待して行ったのだが、まだ人に慣れていないようで、展示室の方には姿を見せず実物を見ることはできなかった。この写真は、展示ケージのそばに張られていたもの。運がよければ見られるそうだ(ズーラシアはこの「運がよければ見られる」という展示が多い)。

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2007年11月 4日 (日)

シュルレアリスムと美術 横浜美術館(9/29-12/9)

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これまで一度も横浜美術館の展覧会を見たことがなかったので、秋晴れの一日、家族でドライブを兼ねてみなとみらいまで出かけてみた。

(上の写真は、グランドギャラリーに展示されているダリなどの彫刻)

横浜美術館前の広場にはこれまでにも何度も訪れたことがあるので皆馴染みの場所なのだが、数年前のルーヴル美術館展も子ども達が幼くて興味を示さないこともあり、中にはなかなか入らずにいた。

今回は、ポスターで私が以前から好きなルネ・マグリットの『大家族』が使われていたこともあり、見に行きたいと思ったので、子ども達の少しの抵抗を排除(?)して、とうとう中に入れた。今回この展覧会ならと思ったのは、シュルレアリスム絵画は、相当抽象性の高いものは別にして、比較的子どもにも面白いものだからという自分自身の実感があったからだ。案の定、具象的・写実的な絵画にはそれほど興味を示さない子ども達も、一通り見回った後は、「今日のは面白かったね」と言っていた。

展示は、第4から第6が企画展のシュルレアリスム作品。エルンスト、マグリット、ダリ、キリコ、ミロ、ピカソ、デルヴォー、マン・レイなどが並べられ結構見ごたえがあった。マグリットの「大家族」、「王様の美術館」・エルンスト「少女が見た湖の夢」(横浜美術館所蔵品)などが子どもにアピールしていたようだ。

常設展では、日本画で描かれた動物の特集があり、『宿神』の関係で今村紫紅の『鞠聖図』が興味深かった。また、下村観山が森狙仙という画家の『狼図』を模写したものが、ニホンオオカミの関係で面白いものだった。

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2007年10月29日 (月)

平日の鉄道博物館なのに大混雑

今日月曜日は、先週土曜日の授業参観日の振り替え休日で、子ども達は休みだった。うらやましい。

昨日、早めに宿題を済ませておけば、振り替え休日にあわせて休みを取ったお母さんが、さいたま市にこの10月14日に新しく開館した鉄道博物館に連れて行ってあげるという約束をして勉強をやらせたこともあり、私は通常の勤務で行けなかったが、私抜きで出かけてきた。

平日なので開館直後とは言え空いているのではないかという私の予想はまったくはずれてしまい、ちょうど同じような振り替え休日が多かったのか、何が原因か分からないが、子ども連れや中学生の仲間連れというような来館者でごった返していたという。(他のブログの訪問記を読めば、平日は比較的空いているという情報だったのだが。)

まずは最寄り駅で前売り券を購入しようとしたが、すでに売り切れだと言われたという。それでも、当日券で入れるからと11時ごろ大宮駅に着いたところ、入場2時間待ちというプラカードを持った係員がおり、少し心配になったが、親子連れがぞろぞろ大成駅(鉄道博物館駅)方面行きの埼玉鉄道の方へ行くので、大丈夫だろうと思って行ってみたところ、2時間はかからなかったが入場に1時間弱かかったという。また、近くのコンビニも猛烈な混雑で、ようやく弁当を購入できたほどだったとのことだ。

入場してからは、さすがに内部は広く、古い交通博物館とは相当趣きが違っていたとのことだが、予約の必要なシミュレーターや豆電車のようなものは全然だめだったとのこと。また、大パノラマも通常は予約制だが、今日は入場者が多かったためか、立ち見でも可能ということで、予約は取らなかったとのこと。

平日でも、このような日があるということは、ここ当分の土日は混雑がすごいだろう。先週土曜日に放送された『アド街っく天国』の紹介の影響もあったのかも知れないねなどと子ども達が言っていたが、私のテツハクデビューは相当先になりそうだ。

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2007年10月23日 (火)

夏目漱石展 江戸東京博物館

東京墨田区の両国にある江戸・東京博物館で開催中の夏目漱石展を見に行ってきた。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0926/200709.html

http://www.asahi.com/soseki/

以前から訪れたいと思っていた博物館で、今年新聞店から2007年度の日本列島から発掘された遺物展というようなものの無料券ももらっていたのだが、そのときは結局足を運ばずじまいだったので、今回が初めてだった。

今年は、両国の国技館の隣にこの博物館ができてから15周年だといい、また、夏目漱石が朝日新聞社に小説記者というような肩書きで入社し、『虞美人草』の連載を始めてから100周年にあたり、さらに漱石の弟子で当時東北帝国大学の教授だった小宮豊隆が、空襲での消失を免れるために自分が東北帝大図書館長だったこともあり、1944年までに一括して漱石山房の蔵書・資料等を図書館に疎開させ、それがそのまま委託された形で保管されている貴重な「漱石文庫」を所蔵する当の東北大学が創立100周年ということで、その3つの記念年をあわせた形でこの展覧会が開催されたものだという。

http://www.library.tohoku.ac.jp/collect/soseki/index.html

妻がこの展覧会に行きたいということで、子どもたちはあまり乗り気ではなく(それでも博物館の常設展は楽しめたようだった)、私も文学者の展覧会は美術展や科学展ほどほど面白くないだろうとは思ったが、たまには女房孝行ということで行ってみることにした。

この博物館は、相撲の本場所が行われる国技館の隣にある少々奇矯な形の建造物(内部に広大な空間を作るため)だが、漱石展はその一階の特別展示室で開かれていた。

昼頃に両国駅に到着したので、博物館内の食堂で少々江戸情緒の感じられる深川丼や穴子定食などを食べたのち、特別展と常設展のチケットを求め入場した。(小学生は、常設展は無料だが、漱石展は有料。また後知恵だが上記の朝日新聞のサイトでは割引きクーポンが手に入ったが、事前の調査不足で使用しなかった。)

文学者の展覧会というと、私の故郷小諸に常設されている島崎藤村の藤村記念館で見慣れており、文学者の生い立ち、原稿、写真、初版本というところが主なもので、漱石展もその例に漏れなかった。しかしこの展覧会は、上記の東北大学の漱石文庫の収蔵品が主要展示物であるため、漱石が主にロンドン留学の折に生活費を削りながら収集した多くの書籍が並べられているのが特徴だ。漱石の細かい書き込みがあるページを見ると、彼がロンドンで神経をすり減らすまでに刻苦勉励した様子が如実に伺われる。ここに展示されているのはその一部だが、それでも膨大な書物である。シェークスピアを初めとする英文学者、詩人のものが多いが、心理学、社会学等の書籍もあるようだ。その多くの著者・書籍名はほとんどが知らないものだった。漱石が約2年間の孤独な留学生活で読み、読もうとした多くの書籍を見るにつれ、江戸時代の末に生まれ文明開化の只中に成長した最初期の英文学者としての漱石ということを思った。

(追記:他の方のblog記事を読んで思い出したのだが、漱石の西洋絵画への関心を示す蔵書も多かった。特にJ.E.ミレー(Millais)画ハムレットの『オフェリア』で有名なラファエル前派の作品を好んでいたようで、そのためか、『草枕』ではその『オフェリア』の画像について主人公がこだわっている様子を描写している。さらに、読書ノートについては、綿密に章立てごとに要旨をまとめているものもあり、非常に細かい字とともに漱石の几帳面な性格がうかがわれるものがあった。)

ほかに印象深かったものというと、漱石の大学予備門時代?の数学の答案用紙であるが、幾何の証明問題など、美しい英語の筆記体でペン書き(鉛筆?)によりビッシリと回答が書き込まれているのには驚いた。予備門では数学の成績も良好で、友人の薦めがなければ文学者ではなく、建築家を志していたかも知れなかったようだ。

また、(これは漱石の伝記では有名なのだということを後で知ったが)、帝大か一高へ提出した履歴書に「本籍 北海道・・・」と書かれている部分があったのには驚いた。これは、なんらかの理由(兵役逃れという説が強い)で本籍の東京から分籍したものだという。(http://www.iword.co.jp/iword/s05_10.html にまとまった記事あり。)

当時の東京朝日新聞の紙面には、朝日入社後最初に連載した『虞美人草』の新聞小説第一回のすぐ右隣に、勅令として東北帝国大学の設立の記事が掲載されており、その意味でこの展覧会は運命的なものであるようにも感じた。

正岡子規との交友を示す多くの俳句の添削などもあったり、晩年の漱石が描いた南画?水墨画や漢詩の掛け軸なども展示されていたが、漱石がフランスのJ.F.ミレー(Millet) のモノクロ版印刷の絵画を模写して彩色したものが現在山梨県立美術館にその原画と一緒に収蔵されているということも紹介されていた。

新潮文庫の漱石のカバーは印象深い図案だが、漱石も自著の装丁には相当凝ったようで、自らの装丁デザイン原稿なども展示されていた。

岩波書店の創立者岩波茂雄は、漱石山房によく顔を出していた弟子にあたる関係だったようで、岩波からの初の漱石全集が展示されていたり、『こころ』の原稿(岩波書店蔵)なども展示されていた。

なお、入り口には、漱石の等身大の上半身の人形(ロボット)が展示され、復元音声により、熊本の旧制五高時代の漱石の学校式典での祝辞の一部が繰り返し流されていたのは少々うるさかった。出口には、漱石のデスマスクとその石膏原型が並べて展示されていた。

出口の外の通路には特別展用ミュージアムショップが出店しており、漱石の著作のほかに、漱石に関する著作、それに関川夏央原作・谷口ジロー画の『「坊ちゃん」の時代』という劇画の文庫版(双葉文庫)も売られていたり、猫のTシャツや東北大が企画したという仙台の菓子店白松が最中の羊羹なども売られていた。国立大学が羊羹を企画し商売をするというのは、さすがに独立行政法人としての経済的な意味があるのだろう。廉価な方の「漱石の愉しみ」という羊羹セットを一つ求めた。

Souseki_youkan

会場は押し合いへし合いほどの来場者ではなかったが、絵や彫刻と違って一点一点じっくり目を凝らして見るような資料が多いので、見物人の動きが遅く、一通り見終えるまでに一時間以上はかかった。そのような状況なので、並んで見ている人の間に横入りするような若い女性もおり、そういう意味では不愉快なことがままあった。来場者のマナーの問題でもあるが、会場整理のうえで一工夫が必要ではなかろうかと思った。

『坊ちゃん』『吾輩は猫である』の題名を辛うじて知っている小学生の子どもたちにはつまらなかったようで、五分ほどで会場を一回りしてきて、その後しばらく会場内を行き来していたが、飽きてしまい私たちが来るのを一時間ほど出口のところで待っていたようだ。少々可愛そうだった。なお、この中は貴重な資料を守るため照明が暗くされ、もちろん写真撮影も禁止だった。

この特別展を出て、常設展には6階行きのエレベーターに乗って行った。エレベーターを出ると巨大な空間が広がっており、通常の建物の3階から6階を吹き抜けにして江戸や明治・大正・昭和の東京を様々な形で再現している展示スペースだった。入り口は、お江戸日本橋を復元した木造の橋。江戸の大名屋敷から、庶民の暮らし、物流、娯楽、防火などの展示、明治の文明開化、関東大震災、第二次大戦の空襲、戦後の復興期までを展示してあり、急ぎ足での見学だったが、結構面白かった。

P.S. 漱石展の翌日 夏目鏡子(漱石の妻)談、松岡譲(漱石の長女筆子の夫)筆の『漱石の思い出』(文春文庫)を買い求め読み始めたが、『「坊ちゃん」の時代』で描かれたエピソードのいくつかがここに生き生きと描写されており興味深かった。自伝的な小説『道草』は未読だが、これと併せて読むとまた面白そうだ。

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2007年10月11日 (木)

青梅で遊ぶ 

10月6日から8日はまた三連休。体育の日が10月10日でないのは、どうも違和感がある。先週は、ずーっと喉と頭が痛かったのだが、そのうち気管支がゼイゼイいい始めて咳と痰が出始め、10/3,10/4と仕事を休むほどだるくなった。10/5の金曜日は休めなかったため少し熱があったが出勤してきたので、土曜日はまた寝て過ごし、日曜日はまだ微熱があったが、家族サービスで出かけてきた。

最初は、両国の江戸東京博物館でやっている東北大学図書館所蔵の夏目漱石資料展を見に行こうという予定だったが、子どもも興味もなさそうだし、人ごみもいやだということで、妻が青梅に行こうと言い出して、初めて行く事にした。

我が家からは、立川から青梅線に乗り換え片道訳1時間半程度。私は、あきる野市方面は数度来たことがあるのだが、家族は初めてで、東京とは言え田舎で山河の風情が面白かったようだ。

青梅市全体でレトロ路線をとっているようで、駅の待合室などが昭和30年代風に作ってあったり、懐かしい絵画調の映画ポスターが駅構内に張られており驚いた。駅の山側の小学校ではちょうど秋晴れの日に運動会が開かれていたようだった。

青梅より奥は、相当以前勤め先の山岳部の合同登山が開かれた大岳山まで入ったことがあるのだが、青梅は初めてだった。

まずは、目的地の青梅鉄道公園 http://www.kouhaku.or.jp/ome/index.html に行ってみた。この鉄道車両の展示公園は、交通博物館などのパンフレットで知ってはいたが、ようやく来れたという印象だ。青梅駅裏の丘陵の上にあり、徒歩で15分ほどだが結構上り坂がある。1960年代にできた施設なので、電車模型のパノラマレイアウトも古めかしいものだったが、子どもたちには大人気で、毎正時の運転には大勢の幼児たちがつめかけていた。なぜ男の子は電車模型が好きなのだろうか?実感として脳の性差は確実にあると思う。展示館は二階建てで屋上からは多摩から都心の方が眺められるが、新宿のビル群などは確認できなかった。

屋外展示は、ちょうど屋根掛け工事のため(恐らく近年PHの値が7よりも相当小さくなっている酸性雨の影響から古い鉄製の機関車などを保護するもの)、汽笛一声でも使われた2号蒸気機関車などの貴重な車両は見られなかったが、動輪が五つもあるE型だとか、子どもたちの憧れの、新幹線の0系だとかが展示されており、運転席にも座れることもあり非常に楽しめたようだ。近くの公園には、「タカトンボ」が群れていたが、先日のラジオ放送で聞いたように、赤トンボの姿はあまり見られなかった。昨年の夏には、更埴市の古墳公園で沢山のアキアカネの乱舞を見たのだが。

公園で2時間ほど過ごした後、駅と途中で見かけた赤塚不二夫博物館に子どもたちが行きたいというので、町の方にもどり行ってみた。駅前の青梅街道が駅と同様の昭和レトロ調に統一されており、その中心にこの博物館があるという設定だった。私と妻は外で待っていることにして、子どもたちだけで内部を見学したのだが、外で待っていると、博物館の係りの女性が、展示室の外は無料なので、腰掛けて待っていてもらってもいいですよ、と声を掛けてくれて、室内で『天才バカボン』のアニメを見ながら30分ほど過ごした。この周辺にはそれなりに観光客が詰め掛けていたが、全体的にはひっそりとした町の風情だった。

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2007年10月 2日 (火)

映画『真珠の耳飾りの少女』(2003年イギリス)

9/26からフェルメールの『牛乳を注ぐ女』が国立新美術館で公開されているが、前景気を煽るためにかNHKのBS2で表題の映画が9/24に放映されていたのをビデオに収録しておき、急に11月ごろの気温になってしまった9/30の日曜日に家族で鑑賞した。

子どもたちも以前一緒にブリヂストン美術館に見に行ったルノワールだとか、この春に見たレオナルドだとか、ゴッホ、ピカソ、ダリなどの画家の名前を知っているが、このフェルメールは(最近買った世界史年表にも名前が出てこないので学校教育ではあまり教えられないようで)知らなかった。

2000年にこちらに引っ越してきたばかりのとき、上野の国立西洋美術館でちょうどフェルメールとレンブラントとオランダの画家たち展に家族で出かけて見た『恋文』が初めて生で見たフェルメールだったが、幼かった子どもたちをつれていったのだが、さすがにまったく覚えておらず、そのときに買った展示目録やフェルメール特集の「週刊美術」を出してきて見せたが、それほど興味を引かないようだった。私自身もフェルメールを知ったのは、ようやく20代になってからで、インターネットにつないでダウンロードした『デルフトの眺望』を壁紙にしていたこともあった。

さて、この映画だが、日本語版も出ている小説(白水社)を元にした映画だという。印象的な『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』のモデルが誰かを探ったフィクションであり、歴史上の有名人の伝記的な疑問を解き明かそうとして独自の想像を働かせたという点では、ベートーヴェンの不滅の恋人を扱った『不滅の愛』に通じるものがあった。

さて、フェルメールは、日本で言えば江戸時代の初期に活動したオランダの画家で、映画ではその生涯をすごしたデルフトの運河界隈の情景を巧みに再現しているようで、興味深かった。この頃のオランダは鎖国していた日本と長崎の出島を通じて交渉を持っていたということを子どもたちに話しながら見た。そう考えると港の船や商店などもまったく縁のない時代や場所ではなく思えたから不思議だ。

映画では、フェルメール家の年配の召使いが、『牛乳を注ぐ召使い』とそっくりだったり、フェルメールの妻が『手紙を読む青い衣の婦人』と同じ妊婦だったり、『真珠の<<首飾り>>の婦人』はパトロン夫人がモデルだったり、『合奏』そのままの場面のヴァージナル(ハープシコード?)がフェルメール家に置かれていて画家と夫人が演奏を楽しんだり、『水差しを持つ若い女性』をアトリエで描いていたりで、ところどころフェルメールの絵そのままの映像が非常に美しかった。また、屋根裏部屋での絵の具の調合の場面では、ラピスラズリや墨などの色素をすりつぶしたりと亜麻仁油と調合するなどの技術を習得するためにこそ画家の弟子入りが必要なのだろうということがなるほどと思わせるようによく描かれていて面白かった。

また、新教国であるはずのオランダだが、フィクションの若い召使いグリートの家やそのボーイフレンドの肉屋はプロテスタントであり、フェルメール家やそのパトロンは贅沢な食事を楽しむなどカトリックであったようで、その差異も丁寧に描かれていた。庶民のレベルでは共存していたようだ。

フェルメールが用いたと想像されているカメラ・オブスクラは、ディズニーシーのフォートレス・エクスプロレーションにも実物が置かれていたが、この映画でもレンズ付きのものが再現されていた。望遠鏡を発明したホイヘンスがちょうどフェルメールの同時代人であり、フェルメールはいち早くレンズを用いた機械を入手したという設定だろう。

その生涯の詳細があまりわかっていないフェルメールの残した印象的な『少女』のモデルとしてはフェルメールの娘ではないかと言う説も唱えられているが、自分の娘にあのような清潔とは言え、いわゆるコケットリーを持たせることはありえず、むしろ原作の小説、この映画の唱える説が相当蓋然的であるように思った。

この映画の主人公である『少女』を演じたのは、『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年作品でコメディに分類されるのだという!)での物憂げな演技が印象に残ったスカーレット・ヨハンソン。ファミリーネーム的には恐らく、スカンジナビア系の出身だと思うが、『少女』に瓜二つというわけではなく、『少女』の微笑よりも、堪える女性を感じさせた。台詞の少ない抑制的な演技がなかなかだった。

なお、映画と小説のエンディングは少々異なるらしい。またアメリカではR指定というだけあり、少々小学生には早い恋愛シーンもあった。

参考図版:WIKIMEDIA COMMONS フェルメール

フェルメールの作品は、その細部までの細かい書き込みのため、画像では比較的大きく拡大されて紹介されることが多いのだが、意外にも非常に小さい。

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2007年9月25日 (火)

電車とバスの博物館(川崎市 宮崎台)

東急電鉄と東急バスが、東急田園都市線宮崎台駅の高架下とその周辺に設置した博物館。公式サイトはこれ

朝日新聞土曜日beのアンケートにも出ていたが、土曜日から月曜日の三連休は結構不評らしい。私も成人の日、体育の日がずれるのはどうも感覚的にそぐわないし、飛び石連休の方がいい場合もある。先週は一日少し遠出したが、今週は天気もはっきりせず、家族の意見もまとまらなかったので、家でダラダラして過ごしたが、どうもすっきりしないので、月曜日に少しクルマを走らせてでかけてきた。

とにかく入場料が安い。大人100円、こども50円で、当日の入・出場が自由。かつての「交通博物館」や横浜市の「市電保存館」に比べると手狭だが、身近な東急電鉄の古い車両も見られることもあり、少し鉄道マニア(鉄ちゃん)的になっている子どもたちには結構面白かったようだ。

私は、別館でYS-11のコックピットに座り4分間ほどのシミュレーション飛行をやってみたが、スロットルや、操縦桿、計器類など面白いものだった。無事離着陸できたが、アシスタントの係りの人がほぼ操縦をやってくれるので、こちらはただ手を添える程度で済んでしまったのは、少々物足りない感じではあった。

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