カテゴリー「ディスク音楽01 オーケストラ 」の200件の記事

2008年7月 4日 (金)

ブーレーズ/CLO(1969年)にセルはどのくらい関与したのだろうか

明け方の雷鳴と豪雨の後の急激な気温の上昇と晴れ間は、まるで梅雨明けのような感じだが、まだ時期的には梅雨の真っ最中。7月7日の七夕は、やはり旧暦で行うべきだろう。梅雨空でのランデブーでは牽牛と織女も哀れだ。

暑い夜は、暑い音楽で爽快になるという方法もある。そこで、暑苦しい音楽の代表格でもある『春の祭典』で以前から思っていることを書いてみようと思う。

ストラヴィンスキーの舞踊音楽『春の祭典』の演奏史(録音史)にエポックを画したピエール・ブーレズ指揮クリーヴランド管弦楽団の録音(手持ちは、NYPとの『ペトルーシカ(1911年原典版)とカップリングされた SRCR 2031 という1990年代末の発売のCD) だが、1970年に逝去した音楽監督ジョージ・セルはそのときには元気に活躍しており、1970年の日本の大阪万国博記念での初来日で数多くの名演を残し、帰国後多くのファンにとっては意外な急逝だったのだから、ブーレーズの録音にもセルは何らかの関与をしたのではないかと想像をたくましくしてしまう。

セルが遺したストラヴィンスキーがディスコグラフィー的にどのくらいあるかは興味があるが、『火の鳥』の1919年版組曲(1961年録音)をCDで聴いている。これがまた素晴らしく克明でダイナッミクな輝かしい演奏であり、セルとストラヴィンスキーの相性の良さを感じさせるものだけに、『ペトルーシカ』『春の祭典』などはコンサートに掛けたことがあっても不思議ではないように思うのだが、どうだったのだろうか。『魔王カスチェイの兇暴な踊り』などのリズミカルで斬り味の鋭い演奏など、そのまま『春の祭典』につながるような演奏に聴こえる。

さて、ブーレーズの『春の祭典』は、1969年7月28日(としか書かれていない)にクリーヴランドのセヴェランス・ホール(クリーヴランド管の本拠地)で行われたと書かれている。演奏史を画するような録音が、たった一日のセッションで行われたということは、その当時のクリーヴランド管の実力というものを抜きに考えることはできないだろう。

ブーレーズは、1967年から1972年までクリーヴランド管の首席客演指揮者を務めており、セル急逝後のクリーヴランド管を支えたということも忘れることはできない。来日公演でも、セルと同道しており、コンサートの指揮も行ったのは、セルが自分の体調の悪化を知っており、万一に備えての同行依頼だったとも聞いたことがある。

このクリーヴランド管との名盤の後、ブーレーズはディジタル録音でも、DGに同曲を録音しており、一般的には録音のよさもあり、その評価も相当高いようだ。ブーレズ自身も、クリーヴランド管とのこの録音に対して相当強い意識があったのだろうか?なお、DECCAでは、リッカルド・シャイーが(なぜか?)このクリーヴランド管で『春の祭典』を録音している。

このCBSでの録音で、『春の祭典』のバーバリズムが計算しつくされた設計によるものであることが認識されたため、それ以降の録音の多くはこの影響下にあり、バーバリズムを強調するのは、ロシアンスクールの指揮者たち(フェドセーエフやゲルギエフなど)がほとんどのようだが、今聞いてもこのブーレーズの録音の魅力は失せることはないように思う。

モントゥーやマルケヴィッチの録音にも興味があるのだが、未だ聴く機会がない。

  ブーレーズ ショルティ C.デイヴィス 小澤 ドラティ ゲルギエフ
  CLO CSO ACO BSO デトロイト響 キーロフ
  1969 1974 1976 1979 1981 1999
序奏 3:36   3:26 3:12 3:39 3:23
春の萌し-乙女たちの踊り 3:19   3:24 3:17 3:07 3:13
誘拐の儀式 1:25   1:23 1:25 1:26 1:17
春の踊り 3:53   4:05 3:26 3:34 3:41
部族の戦いの儀式 1:59   1:51 1:54 1:54 1:46
賢人の行列 0:43   0:40 0:54 0:42 0:40
大地へのくちづけ 0:21   1:34 1:07 0:22 0:26
大地の踊り 1:23       1:07 1:10
第1部 大地礼賛 16:39 14:42 16:23 15:15 15:51 15:36
序奏 4:06   4:32 4:01 3:57 4:23
乙女たちの神秘的な集い 3:18   3:20 3:08 3:09 3:34
いけにえの讃美 1:31   1:32 1:29 1:36 1:36
祖先の呼び出し 0:39   0:41 0:48 0:55 0:49
祖先の儀式 3:37   3:32 3:17 3:27 3:51
いけにえの踊り 4:39   4:47 4:23 4:37 4:55
第2部 いけにえ 17:50 17:20 18:24 17:06 17:41 19:08
全曲計 34:29 32:02 34:47 32:21 33:32 34:44

この表は、エクセル2000をhtmlに変換して、そのソースコードを貼り付けて作成した。

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2008年7月 1日 (火)

ヴァルター/コロンビア響の『新世界より』

梅雨の晴れ間の一日。夕方は雲行きが怪しかったが、雨は降らなかったようだ。今は、たとえば日本気象協会とか気象庁とかいろいろなサイトで降雨レーダーと時間予報が見られるので便利だ。長男が箱根に2泊3日で学校のキャンプに出かけているのだが、降雨レーダーでは箱根も恐らく霧(雲)は巻いているだろうが雨にはなっていないようだ。

さて、7月に入って、何か7番に関係するものを選ぼうとは思うのだが、未だまったく白紙状態。そんな中、ブルーノ・ワルター(ヴァルター)が1959年代末に録音したコロンビア響との『新世界より』の輸入盤(MK42039 CBS MASTERWORKS)が手に入り、早速聴いてみた。

これまでノイマンなどのチェコの本場もの、セルやケルテスと言ったハンガリー出身指揮者の引き締まった強烈な演奏に親しんできたので、ワルターはどうかなと思いながら聴いてみたところ、これがまたなかなかよかった。これこそ「微笑みのワルター」なのかなと思わせる演奏だった。

ライヴ録音では、荒れ狂ったような演奏もあるそうだが、このCBSのスタジオ録音盤は、柔和なワルターの音楽の典型のような気がする。懐かしさが感じられ、また疲れた気持ちに慰めを与えるような雰囲気のある演奏だった。

戦争で愛するヨーロッパを追われ、ドヴォルザークがこの曲を書いたアメリカに住まざるを得なくなったワルターの望郷の念も感じられるようだ。

音楽に対峙するだけでなく、音楽に慰められるのも時にはいいものだ。

追記:同日、夜寝る前にもう一度聴きなおしたらところ、印象が少し異なった。微笑み、慰めだけではなく、LP時代からの愛聴盤ワルターのベートーヴェンの『英雄』のように、他の演奏と比べるとこじんまりとスケールが小さく感じるが、そこに没入して音楽と一体になると、雄大さ、力強さ、壮麗さなども感じられるという、多面性があるように思えた。

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2008年6月26日 (木)

今日6月26日が誕生日なのは

今日は長男の誕生日で、先ほど誕生祝いの夕食を食べたところだ。私達両親や祖父母、叔父たちから誕生日、クリスマスといろいろなプレゼントをもらってきた彼だが、その多くが玩具類だった。狭い家の上、男の子二人の玩具が溢れかえってしまい、まさに身の置き所がない状態。最近のプレゼントは、本にしているが、その本も新刊書だけでなく、ブックオフが身近にあるため、つい簡単に買い与えてしまいこれも本棚から溢れかえっている。わが身を振り返っても、CDと本の山がいくつも出来てしまい、辰巳渚さんのような『捨てる技術』が身に付かず、捨てたりブックオフで売ったりすることに逆に罪悪感があり、溜まる一方になっている。

今年の誕生日は、鉄道研究会に所属したのを記念して、鉄道関係の書籍を数冊プレゼントした。今はひそかな?鉄道ブームらしく、マニアでない一般人が読んでも楽しそうな本も出ており、わたし自身も楽しめそうだ。

さて、これまで知らなかったが、指揮者のクラウディオ・アバドが1933年6月26日生まれで、今日が誕生日なのだという。既に75歳になったわけだ。私が20代の頃は、マゼール、メータ、ムーティ、オザワなどと並んで、次世代のホープだったアバドだったが、ミラノ、ヴィーン、ベルリンと主要ポストを歴任しながらも、やはり先にあげた同世代の指揮者たちと同じく、かつての巨匠たちのような成熟感が感じられないままの印象を持ち続けている。ベルリン後は、大病を克服し、ルツェルンなどでも活躍するなど決して深化していないわけではないのに、こちらの音楽の受容スタイルというか固定観念がそういう枠組みを作り出しているのかも知れないが、いつまでも颯爽としたアバドのイメージがぬぐえないでいる。

アバドの音盤はあまり縁がなく、帰宅するときにそのことを考えながら頭の抽斗を探ってみたのだが、一番初めに思い出したのはあまり印象がよくなかったモーツァルトの交響曲第40番と41番(ロンドン響)だった。そのほか、何があっただろうかと、CDの山を探ってみると意外にいくつか見つかった。古い順では、ロンドン響とのペルゴレージ『スターバト・マーテル』。ハイドンの交響曲第95、101番(ヨーロッパ室内管)。トランペット協奏曲(ハーセス、CSO)。モーツァルトのピアノ協奏曲第20、21、25、27(グルダ、VPO)。 9、17番(R.ゼルキン、ロンドン響)。先に挙げたロンドン響との交響曲40、41番。Live Classic の35番(ヨーロッパ室内管)、38番(トリノRAI管)。ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ヴェーバー コンツェルトシュトックも ブレンデル, BPO, ロンドン響)。チャイコフスキーとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲(五嶋みどり、BPO)。マーラーの交響曲第4番(VPO)。ヤナーチェク『シンフォニエッタ』(ロンドン響)。『アダージョ・ヴェルディ』から『行け、わが思いよ、金色の翼に』など。プロコフィエフの古典交響曲(ヨーロッパ室内管)とピアノ協奏曲第3番(アルゲリッチ、BPOとの名盤)。ヴァイオリン協奏曲第1番(ミンツ、CSO)。バルトークのピアノ協奏曲第1、2番(ポリーニ、CSOとの名盤)。先日購入したストラヴィンスキーの『プルチネルラ』と『火の鳥』(ロンドン響)、と結構な枚数があり自分でも驚いた。(7/5追記 アバド/VPOによるブラームスのハンガリー舞曲全曲のCDもあった。)

LP時代は、上記のグルダとのピアノ協奏曲と、マーラーの5番の交響曲(CSO)とリュッケルトの詩による歌曲のカップリングがあった程度だ。この"5 Lieder nach Ruckert" は、交響曲の少々生硬な感じよりもゆとりがあって本当に美しい演奏で音楽だと感心した記憶が今でも強く残っている。

その活躍の多彩さに比べて、どちらかと言えば関心の薄い方の音楽家ではあるが、どうも理由は分からない。メータもムーティもマゼールも同じ程度なので、どうしてもその前までの世代の音楽家の方に関心があるからというのが最も素直な理由だろうとは思う。

今晩は、久しぶりにモーツァルトの『ジュノム』協奏曲を取り出して聴いている。

晩年のルドルフ・ゼルキンは、モーツァルトをアバド/LSOと、ベートーヴェンを小澤/BSOと録音してくれて、どれも味わい深い演奏を聴くことができる。アバドがオーケストラと作る音楽が、ゼルキンの音楽の万全なサポートであるかは分からないが、この若書きとはとても思えない『ジュノム』(昔は「わこうど」と訳されたこともあるのだそうだ)の深い音楽世界を味あわせてくれるものであることは確かだ。こうしてみると、結構協奏曲の指揮が多いのは、彼に対する自分の関心を象徴しているのかもしれない。

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2008年6月24日 (火)

ケンペ/SKD の『ティル・オイレンシュピーゲル』

ルドルフ・ケンペという指揮者は、結構聴いているような気がしていたが、音盤的にはほとんど持っていないことに改めて気がついた。チョン・キョンファのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番のオケの指揮がこのケンペでオーケストラは、ロイヤル・フィルハーモニーというのが唯一の音盤だったようだ。(併録は、プレヴィン指揮のロンドン響とのシベリウスのヴァイオリン協奏曲)

またしても、ブックオフでの購入だが、一時期リマスタリング(チャイコフスキーの弦楽四重奏曲)に不平を言ったことがあるEMICLASSICS 決定盤1300シリーズの R.シュトラウス『アルプス交響曲』のフィルアップに、『ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快な悪戯』が収録されており、聴いてみたところ、まさに魅了されてしまった。

主にケンペの活躍は、ミュンヘン・フィルとのものだったように記憶していたが、そういえばこの時期、シュターツカペレ・ドレスデンとこのリヒャルト・シュトラウスのオーケストラ曲集をまとめて録音していたのだった。この『アルプス交響曲』などは、人気ランクで上位によく入るものだったと思うが、曲自体にあまり魅力を感じなかったので、手持ちのアシュケナージ/CLOのものがあればいいと思っていたところがある。

例のブックオフの廉価価格なので、ケンペを一度聴いてみたいものだとつい購入してしまったが、1970年のアナログ期の東独でのEMI録音にしては、結構マルチマイクなのか、楽器の分離もよく、音色もくすみがなく、明快で歪のない音響を聴くことができる。SKDは、主にブロムシュテットの指揮のものをこれまでよく聴いてきたが、指揮者に対する反応も鋭敏なようで、他のケンペの指揮のものを残念ながらほとんど知らないが、細部までゆるがせすることなく、明快に演奏しつくしている。そこに、これはケンペの指示による表情付け、音色指示なのだろうか、なんとも多彩な表情が聞き取れる面白い聴きものになっている。

以前、セル、ベーム、カラヤン、アシュケナージの指揮でこの曲を聴き比べをしたことがあったが、中ではセルによる場面転換の鮮やかさに相通ずるものがあるように思った。SDKもリヒャルト・シュトラウスが指揮台に立ったことのある関係深いオーケストラであり、シュトラウスの演奏の伝統とそれへの矜持のようなものを持っているようにも思える。

本当に生彩に富んだ愉快なティルだった。ケンペのイメージは、実直なドイツのカペルマイスターで地味なイメージをこれまで持って来たが、この生気溢れる音楽は今更ながら驚かされた。

EMI CLASSICS TOCE-13060  14:36  1970年6月 (あのドレスデンのルカ教会での録音とのこと)

なお、アルプス交響曲は、1971年9月録音で、トラックナンバーが1から22まで切ってあり、場面場面の描写の確認にも便利だ。

P.S. 久しぶりにチョン・キョンファによるブルッフの協奏曲を聴いている。先日感心したハイフエッツの録音や、聴きなれたコーガンのものに比べるとソロは少し没我的で自己陶酔しているかのようだが、第2楽章、ケンペの指揮するロイヤルフィルによるちょうど『アルプス交響曲』の主題によく似た部分など、これまでオケに注目することはあまりなかったが、なかなか素晴らしい音楽になっていると感じた。

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2008年6月21日 (土)

コリン・デイヴィス/BSOの『夏の夜の夢』の音楽

今日は、天文学上の夏至の日 Midsummerではあるが、キリスト教の聖ヨハネの日Midsummer Day は、毎年6月24日なのだそうだ。そして、そのEve が6月23日とされているとのこと。

ただ、それでも、輸出関係の仕事で調べてみると、フィンランドあたりは、6/21の夏至(今回は土曜日だが)とその前日の6/20は休日になるようでもある。北欧諸国は特に夏至を大切にするとのことで、ノルウェーやスウェーデンでも同様に夏至を祭るらしい。IKEAの広告は見かけなかったが、今年も夏至祭をやったのだろうか? 日本では、ちょうど梅雨の真っ最中でもあり、夏至祭りというのは古来から盛んではなかったのではないかと思う。冬至の南瓜やコンニャク、柚子湯に類するような民俗行事があるのかよく知らない。

さて、以前、セル/CLOのCDで感激を新たにして、最近プレヴィン/VPOの有名なCDのことも書いたが、結婚披露宴のBGMに使ったなどとおりに触れて書いているコリン・デイヴィス指揮BSOの思い出深いCDを久しぶりに聴いてみたところ、これはこれでみずみずしい音楽が聴けて驚いた。

PHILIPS 420 653-2  メンデルスゾン=バルトルディ (1809-1847)
交響曲第4番 イ長調 作品90『イタリア』 10:55/6:46/6:47/5:45
『夏の夜の夢』 序曲作品21 11:22, スケルツォ作品61-1 4:44, ノットルノ作品61-7 6:00, 結婚行進曲作品61-9 5:15  

サー・コリン・デイヴィス指揮ボストン交響楽団 〔1976年1月、ボストンでの録音〕

序曲は、こんなに表情豊かだっただろうか?低音も録音の関係かボストンのシンフォニーホールの特徴か少しもやついてはいるが、音楽は聴いていてウキウキしてくるようなごキゲンな演奏で驚いた。メインプロの『イタリア』交響曲の録音がどうも低音抜けのようなバランスのため、『夏の夜の夢』も同じようだと思っていたようで、思い込みというのも怖いものだ。スケルツォも、夏の短夜に飛び回るケルトの妖精たちの姿を思わせる軽やかでひそやかなものだし、ノットルノ(夜想曲)はBSOのホルンも好調で豊かでメローな音楽を味わえた。結婚行進曲は、戯曲の中では滑稽な場面で使われるものなのだが、ここでの演奏はまことに正々堂々とした格調の高いもので、生真面目に演奏されている。

このCDも、初代のヤマハCDプレーヤーの時代に購入したもので、『イタリア』の低音には不満を持ちながらもそれは何度も何度も聴いたものだった。

サー・コリンは、一時期は小澤のボストン響の音楽監督の対立候補だったということで、これらの録音のほかに、シベリウスの交響曲全集を録音しており、その評価も一時期は大変高いものだったように記憶している。

外は梅雨の雨で、室内はひどく蒸し暑い。こんな時期には爽快なヨーロッパの6月の短夜を感覚的に思い起こすよすがはこの音楽くらいだろうか。

参考:
◎セル/CLO  序曲 11:29, スケルツォ 4:14, 夜想曲(ノットルノ)6:13, 間奏曲 3:22, 結婚行進曲 4:51
◎プレヴィン/VPO 序曲 12:04、スケルツォ 4:41、情景と妖精の行進曲 1:52、『まだら模様のお蛇さん』(2Sp, 女声合唱) 4:15、間奏曲 3:24、夜想曲 6:39、結婚行進曲 5:14、 プロローグ~葬送行進曲 0:24+1:03、道化師たちの踊り 1:39、情景と終曲 5:46

P.S. なおアメリカ映画『夏の夜の夢』で使われている序曲は、小澤/BSOの録音(DG盤)のものだ。

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2008年6月15日 (日)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#8『フィンランディア』

2008年5月25日 (日) 小復活 名曲探偵 7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調 に続いて、6/8(日)夜、NHK BS11(BS2アナログ)放映の事件ファイル#8 シベリウス「フィンランディア」 ~美酒は謎の味わい~  依頼人 小樽もろみ (須藤理彩) 職業 酒蔵の若女将 をようやく昨日 6/14(土)にビデオ録画を見ることができた。

BS Hivision では、既に#9「ベートーヴェンの月光」(6/15今夜BS2で放送されるが)が放映されており、#10「子どもの情景」、#11「幻想交響曲」、#12「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」の放映予定が出ている。NHKが現在のBSアナログを導入したときと同様、早く新しい方式で見なさいとでも言うような強引な視聴者誘導が垣間見られて少々鼻白んでしまう。

さて、シベリウスの『フィンランディア』。オーケストラリスニングの入門曲でもあり、コンサートのアンコールなどの定番でもあり、また合唱曲としても知られ、これまでほとんど分析的な聴き方をして来なかった。おぼろげに、帝政ロシアの圧迫への反抗を音楽で描き、フィンランド独立への気運を高めた曲だという程度の知識しかなかった。

この番組では、その辺りのことも要領よく解説してくれていて、今回も結構ためになった。フィンランドに当たるのが、老舗酒造。近所に大規模醸造工場を建てた大手酒造メーカーが帝政ロシアという図式らしい。若くして蔵元を次いだ女将が、生き残りのため伝統的な手造りを廃止し、合理化・効率化を図ろうとしたところ、古くから酒蔵を支えてきた杜氏の「ゲン」さんが、「フィンランディアを聞いてほしい」とのメッセージを残して失踪したというのが、相談内容だった。

フィンランドは、隣国スウェーデンとロシアの両方から圧迫され、何とスウェーデンからは1155-1809年まで支配を受け、1809-1915までをロシアに支配され、ようやく1917年に独立したのだという。(なお、ベルグルンド盤の交響曲全集のパンフレット(菅野浩和氏)によるとシベリウス一家も、第一言語はスウェーデン語で、シベリウス自身教育はスウェーデン語で受けたのだという。)

『フィンランディア』は、まさにフィンランドという祖国への讃歌であるが、主部のフィンランド民謡風のメロディーに至るまでの激しい序奏的な部分のモチーフは、いくつかに分析されているのだという。これがこの番組の主眼だった。解説は、シベリウスの専門家である指揮者新田ユリ氏。

冒頭の低音域(ホルン、トロンボーン、チューバ)での下降音型が「苦難のモチーフ」と呼ばれ、その強弱法に特徴があるのだという。音程が下の方の音を強調することにより、逆のデクレッシェンドよりも「苦難」の意味が強まるということらしい。(日本フィルの団員が分奏実験をしてくれていた。)。それに続く「闘争の呼びかけのモチーフ」は、トランペットにより吹かれるが、その最初に休符を入れることによりエネルギーを蓄えているという感じが出るのだという。なるほど、この辺りの特徴的な部分にはそういう意味があったのかと得心。

そして、曲調が明るくなり、4拍子の楽譜の上で、5拍子のモチーフが繰り返されるのが「勝利に向かうモチーフ」。5拍子を入れることでズレを生じさせながら、最小公倍数で拍の頭があった瞬間に聞くものの気持ちをいやが上にも高揚させるという仕掛が見えるとのこと。これもなるほどだ。

また、主要メロディーが木管で歌われるが、それを弦楽器のトレモロが取り囲む。このトレモロのあるなしをまた、日本フィルの分奏で実験。若い女性オーボエ奏者だった。トレモロは、どうやらシベリウスの愛する自然を連想させる音であり、響きの奥行きを広げる手法でもあるのだという。風が吹く、風がやむ。自然の息吹の質感の違いなどが表現されているようだという。「作曲に必要なのは、ピアノではなく、しずけさと自然」。

探偵は、ここに「ゲン」さんのメッセージを読み取る。個性的な手造りの酒は、自然によってゆっくる醸し出される。シベリウスのオーケストレーションも楽器群が金管、木管、弦というように音楽をりれーしながら最後にまとまる。

「ゲンさん」がむっつり、さっぱりした人柄から、この有名なメロディーが、フィンランド語の促音便(「っ」で詰まる音)の多さを意識したものだということが語られる。有名な人名でも「ライッコネン、ハッキネン」など。樹の会という男声アマチュア合唱団により、フィンランド語の歌詞の付けられたこのメロディーが無伴奏合唱で歌われるが、リズム的に促音的になる休符の部分などなるほどという感じだった。

「祖国フィンランドへの徹底的な拘りがかえって普遍性をもたらした」というのがゲンさんの最終的なメッセージということで、個性の強い手造りの日本酒は、フィンランド人杜氏である「ゲン・ハッキネン」の手でこれからも作り続けられることになったとさ。

演奏は、デュトア指揮のNHK交響楽団。どのようなコンサートのプログラムの一部として演奏されたのか分からなかったが、手抜きなしに相当気合の入った演奏だった。

放送後、長男とカラヤン/BPO、ベルグルンド/ヘルシンキフィルのCDを聴き比べた。豪華なカラヤン、細身だが清涼感があり慎ましやかなベルグルンドという感じだった。

BS2での放送は、今晩『月光』がテーマ。また楽しみだ。


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2008年6月14日 (土)

ドイツ・ハルモニア・ムンディ50周年記念 50枚セットを買ってしまった

DHM と略すらしいが、SONY/BMG傘下に入ったこともあるのか、50周年記念で膨大な録音が超廉価で発売された。

初回があっと言う間に完売したという話題をいくつかのブログ記事で拝見していて残念に思っていたが、再発売が決定したという話を聞き、またもや久々に禁を破って6/10の早朝HMVに注文を入れたところ、6/13の午後には佐川急便で38*38*22という巨大なダンボールに入って届けられた。中にはクッション類はまったくなく、同時注文の2枚のCDと一緒にラップでくるまれて、それがその大きなダンボール箱の底面に軽く接着された状態で届いた。環境への負荷低減のため発泡スチロールのクッション材の使用を減らすためかと想像したが、底面の補強という点では心配の残る梱包形態だった。ただ、中のCDにはまったく異状なく、傷や凹みもなかった。英語版の表記を写すと "Deutsche Harmonia Mundi 50th Anniversary Edition"  50CDs FROM THE LEGENDARY BAROQUE AND ANCIENT MUSC LABEL とある。HMVの紹介ページはこれ

これまで ハルモニア・ムンディの名前は知ってはいたが、音盤としてはLPもCDも一枚ももっていなかった。これまで聴きたいと思っても聞けずにいたマショーやビーバー、フレスコバルディなどの作品も聞けるし、バッハの曲でもソロ・チェロ組曲やロ短調ミサ、モンテヴェルディの『ヴェスペレ』などの手持ちの音盤の同曲異演盤も聞けるのでと思い、購入に踏みきった。

何から聞いてみようか迷ったが、 【モンテヴェルディ:『聖母マリアの夕べの祈り』(全曲) コンラート・ユングヘーネル(指揮&リュート) カントゥス・ケルン コンチェルト・パラティーノ】は、ガーディナーの録音で何度も聞いている曲なので、聴き比べてみようと聴き始めたところ、ガーディナーの録音が華麗で少し饒舌過ぎると聴こえるほど、まろやかで滑らかな美しさの演奏が聴けて驚いた。DHM自体、その筋では十分有名なレーベルで、私が知らないだけなのだが、このような演奏、録音を聴いてみると、「(当然のことながら)まだまだ世の中は広いものだ」と、陳腐な感想が生まれてきた。

膨大な音盤を蒐集して、未聴状態で放置することをチョモランマにひっかけてミチョランマと言うらしい(座布団数枚もの!)が、この50枚組みのCDは、多彩なラインナップということもあり、多分ミチョランマ登録されることはない!と、自分で決意する次第だ。



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2008年6月13日 (金)

セル/CLO の ブラームス 交響曲第4番 

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ブラームス (1833-1897)

 交響曲第4番 ホ短調 作品98

 ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

13:22/12:54/6:41/10:36 (録音年は、このCDには記載がない)
  併録:『大学祝典序曲』『悲劇的序曲』

(CD SONY SBK46330 Essential Classics シリーズ)

〔交響曲第4番:1966/4/8-9, 大学祝典序曲と悲劇的序曲:1966/10/28 出典:橋本健二さんのMusic Szellar

(このジャケット写真は、LP時代 セル・クリーヴランド管弦楽団の芸術1300シリーズ)

LP時代から長年聴いてきて、私の音楽鑑賞のベースの一つになってしまっているジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のブラームスの交響曲第4番のCDをようやく入手しできた。

4月の4番ということで、手持ちのブラームスの4番を下記のように何種類か聴いてきたが、今改めてこのセル盤を聴いてみて、「この演奏は尋常ではない」という感想が沸き起こっている。ちょうどルガーノライヴと呼ばれるシューマンの交響曲第2番の演奏を聴いたり、オルフェオのザルツブルクライヴでのベートーヴェンの交響曲第5番を聴いたりしたときのような熱気と興奮がこの演奏にはある。

通常、ブラームスの後期の作品(1885)、古い形式を用いて、その人生への諦念を表現したような、少し枯れたイメージのある曲で、後ろ髪をひかれるようだとか、晩秋だとか、どちらかと言えば寂寥的な音楽として語られることが多いように感じているが、このセルの指揮による音楽は、特にダイナミックの幅が大きく、フォルテ、フォルテシモでは鳴りのよいクリーヴランド管弦楽団を全開にしてオーケストラを力強く響かせているかのようだ。そのため、非常に陽性の音楽に変貌しているように聴こえる。

この演奏をそれこそ、何度も聴いて刷り込みになっていたので、これまで少々軟弱気味な演奏では満足できなかったのも無理はないと改めて感じた。ヴァイオリンは、ポルタメントに近いほどの音のずりあげをしているし、ホルンは音を割るほど強奏するし、ティンパニの強打、木管群の叫びもすさまじい。全体的にいわゆるいい意味で決然とした男性的な音楽になっている。陰翳や哀愁という要素は非常に少ないように思う。ただ、意外だったのが、フィナーレのパッサカリアのテンポ。もっとがっちりして緊張感が高いものと記憶していたが、比較的遅めのテンポを取り、穏やかな変奏などは慈しむように演奏している。しかし、対照的なテンポの速く強奏の多い変奏では、強烈なたたきつけるような音楽での盛り上がりはまた無類の凄さを示す。非常にきっぱりして精密・明晰でエネルギッシュな音楽なのだ。

セル/クリーヴランド管弦楽団の数多い録音の中でも、取り立てて言及されることの多い録音ではないとは思うが、私にとっては、ブラームスの4番はこれを措いては十分満足できる演奏がそうはないことが改めて分かった。

併録の『大学祝典序曲』は、セルの演奏では初めて聴くが、これまたエネルギッシュな演奏になっている。元々陽気な音楽だが、上機嫌の部類の演奏だ。コーダでの『ドイツ学生歌』の再現は、ちょうど『ハイドンバリエーション』でのテーマの再現を思わせるように、非常に感動的な再現になっている。このような曲で思わず胸が熱くなるとは・・・

『悲劇的序曲』は、LPでもカップリングされていたもの。こちらは、トラジックな情緒だが、女々しくなくやはり男性的悲劇を示すかのような演奏になっている。

高校生時代からだからもう30年にもなるが、私がセルの音楽を好きになったのは、まさにこの交響曲の第4番と『悲劇的序曲』のカップリングだったことが今晩改めて確かめられてなんだかうれしい気分だ。

タイミング比較:

セル/CLO〔1966〕  13:22/12:54/6:41/10:36 

小澤征爾/斎藤記念オーケストラ〔1989年〕  12:03/11:05/6:18/9:45
ベーム/VPO〔1975〕13:18/12:06/6:42/10:23
カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

C.クライバー/VPO〔1980〕12:45/11:49/6:04/9:12
ヴァント/NDR〔1985〕11:51/10:46/6:24/9:28


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2008年6月11日 (水)

先日の『題名のない音楽会』と『名曲探偵』が書けないのは

帰路によく立ち寄るスーパーマーケットに、埼玉県羽生市(はにゅうし)の東亜酒造製のウィスキー『ゴールデンホース 武州』というのが置いてあり、地ウィスキーというのも面白そうだと思って購入して、夕食後飲み始めたところ、口当たりと喉越しがよく、このところアルコール飲料と言えばビールか発泡酒だけだったので、つい気分よく飲んでしまっている。

そこで、ソロモンのベートーヴェン 後期ピアノソナタ集について雑文をものそうと思ったが、順延。

日曜日朝の『題名のない』は、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』特集。『佐渡裕の題名日記』という番組連動ブログが立ち上がっており、そこでおよそのことはわかってしまうのだが、結構面白かった。やはり指揮者にとっても、オケにとっても難曲であるということが確認できてほっとした。

『名曲探偵』は、『フィンランディア』が題材だったようだが、ビデオ録画をまだ見られずにいる。見たら少し感想を書き付けてみたい。

今、ワルター(ヴァルター)指揮コロンビア交響楽団によるブラームスの交響曲第1番を聴いている。ファーストチョイスにはふさわしくないが、この曲を結構聴いて来た耳には、演奏のできのよしあしは別にして、さすが大巨匠の指揮だという部分が聞かれて面白かった。パンフレットの解説は、門馬直美氏で「ワルターの音楽の世界~常に微笑を忘れず』というもの。

また、読んでいる本は、あの青柳いづみこさんの文春新書『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』というもの。『のだめ』、『神童』、『ピアノの森』を題材に、ピアニスト論が多岐に渡り面白い。

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2008年6月 6日 (金)

プレヴィン/VPOの『夏の夜の夢』の音楽

Previn_midsummer_nights

フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-1847)

劇音楽『真夏の夜の夢』
 序曲 作品21
 劇音楽 作品61
  第1番 スケルツォ
  第2番 情景と妖精の行進曲
  第3番 『まだら模様のお蛇さん』(2Sp, 女声合唱)
  第5番 間奏曲
  第7番 夜想曲
  第9番 結婚行進曲
第10番 プロローグ~葬送行進曲
第11番 道化師たちの踊り
第12番 情景と終曲 (合計時間 47:01)

アンドレ・プレヴィン指揮 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団
エヴァ・リンド(S), クリスティーン・ケアーンズ(Ms)、ヴィーン・ジュネス合唱団

〔1986年2月24-25日、ムジークフェラインザール、ヴィーン(日本版のパンフレットには1985年となっているが誤植だろう)〕 Philips 28CD-580 420 161-2

このCD, 昨年の9月に入手したのだが、ようやく半年以上経過して夏至の季節になり、久しぶりに取り出して聴いてみた。つい最近のCDのような気がしていたが、既に23年も前の録音になるのだと思うと、自分もいつの間に年をとってしまっただろうという感に襲われる。というのも、まだ社会人に成り立ての頃、この録音が発売されたが、そのうち聴くだろうと思いつつ結局これまで聴かなかったのだった。

メンデルスゾーンのこの曲は、同じフィリップス録音だが、コリン・デイヴィスとボストン響の録音(イタリア交響曲とのカップリング)で結構早い頃から馴染んでおり、その結婚行進曲を自分の結婚披露宴に使わせてもらったほどだった(ただ、その演奏は別にして、録音には完全に満足していたわけではなかったが)。それでも、メタルテープにダビングして、会場の大きなスピーカーから流してもらったら、ちょっと金属的な音だったが、エネルギッシュでいかにも有名なウェディングマーチが流れ、会場からオーという声が挙がったほどだったのを覚えている。

さて、この頃のアンドレ・プレヴィンは、ヴィーンフィルの寵児的な地位にあったようで、数多くの録音を残していたようだ。この録音のほかにモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振り、「シェエラザード」、「展覧会の絵」などもある。なぜか、プレヴィンが指揮して出来上がる音楽からは、穏やかな喜びの感情、充足感のようなものが伝わってくる。この妖精物語でもある『夏至の夜の夢』も、特に序曲や夜想曲などを聴いていると夢幻的な世界に引き込まれるような雰囲気になってくる。ヴィーンフィルもリラックスして魅力全開という様子だ。

ただ、メンデルスゾーンと言えば、ライプツィヒ・ゲヴァント・ハウスの方に縁があり、プロデューサー的には、スター指揮者に、作曲家に縁のあるオケで録音させるのも面白いように思うが、ここでは、珍しくヴィーンフィルがメンデルスゾーンを演奏している。この序曲と劇音楽を用いた『A Midsummer night's dream』の本公演の舞台か映像を見て見たいものだと思うが、これまでその機会はない。音楽的には、まったくおかしなものを使っているが、著名な女優のミシェル・ファイファー、キャリスタ・フロックハート、ソフィー・マルソーらが登場するアメリカ映画はそれなりの出来だ。

今年の夏至は、6月21日(土)。ゆっくりと夏至の夜、蛍狩りでもしてみたいものだ。

そういえば、来年、2009年がメンデルスゾーン生誕200年になる。誕生日は2月3日。

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2008年6月 4日 (水)

小澤/BSO の ラヴェル オーケストラ曲集

小澤征爾のラヴェルのオーケストラ曲集は、確か米国籍の日本文学研究者ドナルド・キーン氏がその当時絶賛していたような記憶がある。

ドナルド・キーン氏と言えば、大学に入学直後、仙台市内の歯科医師会館?とかいうホールで講演会があり、級友と聴きに行った記憶が今蘇ってきた。確か三島由紀夫との交友や現代日本文学の話題が主で、当然クラシック音楽のことは講演の話題には出なかったような気がする。

キーン氏が、小澤/BSOの録音では確か『シェエラザード』も誉めていた。当時の『レコード芸術』誌に、「風姿花伝」のようなタイトルで、エッセイを連載していたのだった。そこで題材になっていたのだと思う。

さて、この小澤/ボストンのラヴェルだが、曲目は 『ボレロ』『スペイン狂詩曲』『ラ・ヴァルス』『亡き王女のためのパヴァーヌ』『クープランの墓』が収録されている。就任当初の小澤の初期のプロジェクトは、ラヴェルとベルリオーズだったと思うが、ラヴェルはこのほかにも数曲録音されており、立派な選集でLP発売されていた。(ところで、ほとんどドビュッシーの録音がないように思うのだが、どうしてだろう。)

FM放送で、この『ボレロ』は聴いたことがあったが、他の曲は今回が初めて聴いた。全体として、1974,5年の録音にしては、くっきりした明瞭な録音で、小澤の録音にしては比較的近接マイクで取られているように思う。そのためか楽器の存在感が明確で、ラヴェルの精密なオーケストレーションの妙技が、小澤/ボストンの明快な演奏によってたっぷりと味わうことができた。音色も精彩があり、なかなか優れものの演奏・録音だと感じた。

クリュイタンス/パリ音楽院管によるラヴェルはオーセンティックな名演として知られ、以前からCDでよく聴いてきたが、むしろその演奏・録音よりも、この小澤盤は、私にとっては面白いかも知れない。

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2008年6月 2日 (月)

Sony ステレオイヤーレシーバー MDR-E10LP

○P 2005 SONY CORPORATION 780円の特価品。昨年来、使ってきたフィリップス製のステレオイヤーフォンがそろそろくたびれてきたので、またフィリップスがないかと探した見つからず、ソニーの廉価品の特価品が目についたので購入。特性は18-22kHz となっている。フィリップスよりも元気がいい印象。高音は少しざらつきがあるが、ドンシャリではなく、分解能もそれなりで中音域もマスクされずそれなりに聞きやすい。またフィリップスに比べるとホールに広がるような広がり感もある。結構満足して聴けている。

CBS/SONY FDCA306のバーンスタイン/NYPのビゼーの『カルメン』『アルルの女』の組曲を聴いているが、カラヤン/BPOのものよりも面白く聴けている。表情が少々くどいのは、御愛敬だろう。大変丁寧に音楽を作っている。クリュイタンス的な華麗さや粋な雰囲気は少ないが、音楽が多弁になっている。

ところで、今日2日午後、気象庁は「近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられる」と発表した。例年より早い梅雨入りだという。

今日の新横浜は、サッカーのワールドカップアジア3次予選で電車がひどい混雑だった。3-0でホームゲームを快勝したが、次はアウェーのオマーンで40℃の猛暑の中の戦いがあるのだという。結構険しい。

六大学の早稲田は、斎藤投手が前のシーズン、4年間すべて優勝だという大言壮語が自信過剰で苦々しく思っていたが、今シーズンはそのしっぺ返しか振るわず、明治に数シーズンぶりの優勝をさらわれた。「奢れるもの久しからず。勝って兜の緒を締めよ」だったのではあるまいか。いい薬だった。

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2008年6月 1日 (日)

題名のない音楽会 第3回 指揮者に挑戦大会その2

先日、2008年5月25日 (日) 指揮者のテンポ保持の難しさという記事を書いたが、今週はその続きが放映された。日曜日朝9時は、子どもが楽しみにしている『ゲゲゲの鬼太郎』の時間なので、『題名のない音楽会』はこのところずっと見ていなかったのだが、『徹子の部屋』に佐渡裕が登場してその番組の司会を引き受けたと言っていたので、一度見てみるかとビデオ録画をしてみたところ面白い番組だった。そして今週もビデオ録画したのを鬼太郎終了後すぐに見てみた。

先週見て巧いと思ったのは、伊福部昭のオーケストラ曲(変拍子だったと思う)を指揮したオペラもやっているという30-40代の男性の指揮だった。小学生はなかなかだったが、サッカーとピアノ、作曲をやっている万能中学生のは少し身体が動きすぎて分かりにくい指揮だった。白衣の薬品研究者の女性の指揮は『禿山の一夜』でユニークなものだったが、結構音楽を知っている人ではないかと思った。ブラームスの第2番のフィナーレを熱狂的に終わらせたのは気持ちがいいだろうと思った。

今週は、ルー大柴のゲスト出演も面白かった。オーケストラが素人指揮によくついて行っているのには感心する。ルーのゆっくりおとなしい『新世界』フィナーレの冒頭を指揮にきちんと反応して演奏していた。こういうのがすごく面白い。グランプリをとった75歳後期高齢者を自称する音楽歴の長い愛好家の老人による『田園』の嵐から感謝の歌へのつなぎとフィナーレは、8分の6拍子の弾むようなリズムには欠けていたが、不思議な感動を誘うものだった。ゲストの青島氏が「オケは指揮者の辿ってきた歴史に反応して音楽を作る」というような感想を述べ(隣の席の岩村氏という若い指揮者が少々「オイオイ」という顔をしていたのが面白かった)ていたが、まさに人間性を感じさせるものだった。中学生女子のベト7の第1楽章主部も躍動感よりも第1主題冒頭の初めは処女のごとく淑やかな表現と確保(繰り返し)での脱兎のごとし(飛翔感)の対比は面白く、高校ブラバンのトロンボーン兼指揮者のブラームスの第4番フィナーレは、こういう音を目前で響かせられたら何ともいえない感激だろうと思わせてくれた。宇宙開発事業団の人のチャイコフスキーの4番の第1楽章の終結部も、場面展開の部分で思わぬパートの強調などがありユニークで面白かった(ゲストの宮本氏が難しい部分でしたがよくこなしましたねと言っていた。番組後、手持ちのムラヴィンスキー/レニングラードpo、セル/LSO、カラヤン/BPO、小澤/BPOで聴いてみたが、こういう劇的な場面転換とクライマックスへ緊張感の高め方、クライマックスでの解放はカラヤンの指揮はさすがに巧みだった。)

素人によるこういう個性的な指揮(たった一分だが)を目にし耳にすると、普通のプロフェッショナルな人たち(上記の大指揮者たちでも)の作り出す音楽が楽譜と伝統と権威の縛りに囚われ過ぎているのではないかという危惧が頭をかすめる。個性的でありさえすればいいというのではなく、作曲者の意思の尊重、楽譜の尊重など基本的に誠実な姿勢がプロの解釈者、演奏家として必須条件だとは思いつつも、標準的な音楽解釈が録音などにより流布し、指揮者もオケもそれをなぞるかのような演奏が現代では比較的多いように思う。また、原典尊重主義がピリオドアプローチの基本理念だろうが、その時代時代の標準的な演奏解釈での演奏は、よほどの機会に恵まれないと感動には結びつかない。とはいえ、これもまた音楽=感動というのは、音楽史的には比較的短い期間の流行なのかも知れないのだが。

逆にプロオケの表現力、追随力がこれほどあるというのは、新たな発見で大変面白かった。

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2008年5月29日 (木)

5/29は『春の祭典』初演日だそうだ

「1913年5月29日 パリで、ストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」がニジンスキーの振付けで初演される。」

初演者 ピエール・モントゥーの指揮のものを聴きたいのだが、まだ聴いたことがない。

最近は、長男も「ハルサイ」よりもボロディンを好んでいるためあまり聴く機会がないが、久しぶりに 小澤/BSO のしなやかで軽快な演奏を聴いてみよう。ドラティ、C.デイヴィス、ゲル