カテゴリー「教育」の62件の記事

2008年6月15日 (日)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#8『フィンランディア』

2008年5月25日 (日) 小復活 名曲探偵 7 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調 に続いて、6/8(日)夜、NHK BS11(BS2アナログ)放映の事件ファイル#8 シベリウス「フィンランディア」 ~美酒は謎の味わい~  依頼人 小樽もろみ (須藤理彩) 職業 酒蔵の若女将 をようやく昨日 6/14(土)にビデオ録画を見ることができた。

BS Hivision では、既に#9「ベートーヴェンの月光」(6/15今夜BS2で放送されるが)が放映されており、#10「子どもの情景」、#11「幻想交響曲」、#12「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」の放映予定が出ている。NHKが現在のBSアナログを導入したときと同様、早く新しい方式で見なさいとでも言うような強引な視聴者誘導が垣間見られて少々鼻白んでしまう。

さて、シベリウスの『フィンランディア』。オーケストラリスニングの入門曲でもあり、コンサートのアンコールなどの定番でもあり、また合唱曲としても知られ、これまでほとんど分析的な聴き方をして来なかった。おぼろげに、帝政ロシアの圧迫への反抗を音楽で描き、フィンランド独立への気運を高めた曲だという程度の知識しかなかった。

この番組では、その辺りのことも要領よく解説してくれていて、今回も結構ためになった。フィンランドに当たるのが、老舗酒造。近所に大規模醸造工場を建てた大手酒造メーカーが帝政ロシアという図式らしい。若くして蔵元を次いだ女将が、生き残りのため伝統的な手造りを廃止し、合理化・効率化を図ろうとしたところ、古くから酒蔵を支えてきた杜氏の「ゲン」さんが、「フィンランディアを聞いてほしい」とのメッセージを残して失踪したというのが、相談内容だった。

フィンランドは、隣国スウェーデンとロシアの両方から圧迫され、何とスウェーデンからは1155-1809年まで支配を受け、1809-1915までをロシアに支配され、ようやく1917年に独立したのだという。(なお、ベルグルンド盤の交響曲全集のパンフレット(菅野浩和氏)によるとシベリウス一家も、第一言語はスウェーデン語で、シベリウス自身教育はスウェーデン語で受けたのだという。)

『フィンランディア』は、まさにフィンランドという祖国への讃歌であるが、主部のフィンランド民謡風のメロディーに至るまでの激しい序奏的な部分のモチーフは、いくつかに分析されているのだという。これがこの番組の主眼だった。解説は、シベリウスの専門家である指揮者新田ユリ氏。

冒頭の低音域(ホルン、トロンボーン、チューバ)での下降音型が「苦難のモチーフ」と呼ばれ、その強弱法に特徴があるのだという。音程が下の方の音を強調することにより、逆のデクレッシェンドよりも「苦難」の意味が強まるということらしい。(日本フィルの団員が分奏実験をしてくれていた。)。それに続く「闘争の呼びかけのモチーフ」は、トランペットにより吹かれるが、その最初に休符を入れることによりエネルギーを蓄えているという感じが出るのだという。なるほど、この辺りの特徴的な部分にはそういう意味があったのかと得心。

そして、曲調が明るくなり、4拍子の楽譜の上で、5拍子のモチーフが繰り返されるのが「勝利に向かうモチーフ」。5拍子を入れることでズレを生じさせながら、最小公倍数で拍の頭があった瞬間に聞くものの気持ちをいやが上にも高揚させるという仕掛が見えるとのこと。これもなるほどだ。

また、主要メロディーが木管で歌われるが、それを弦楽器のトレモロが取り囲む。このトレモロのあるなしをまた、日本フィルの分奏で実験。若い女性オーボエ奏者だった。トレモロは、どうやらシベリウスの愛する自然を連想させる音であり、響きの奥行きを広げる手法でもあるのだという。風が吹く、風がやむ。自然の息吹の質感の違いなどが表現されているようだという。「作曲に必要なのは、ピアノではなく、しずけさと自然」。

探偵は、ここに「ゲン」さんのメッセージを読み取る。個性的な手造りの酒は、自然によってゆっくる醸し出される。シベリウスのオーケストレーションも楽器群が金管、木管、弦というように音楽をりれーしながら最後にまとまる。

「ゲンさん」がむっつり、さっぱりした人柄から、この有名なメロディーが、フィンランド語の促音便(「っ」で詰まる音)の多さを意識したものだということが語られる。有名な人名でも「ライッコネン、ハッキネン」など。樹の会という男声アマチュア合唱団により、フィンランド語の歌詞の付けられたこのメロディーが無伴奏合唱で歌われるが、リズム的に促音的になる休符の部分などなるほどという感じだった。

「祖国フィンランドへの徹底的な拘りがかえって普遍性をもたらした」というのがゲンさんの最終的なメッセージということで、個性の強い手造りの日本酒は、フィンランド人杜氏である「ゲン・ハッキネン」の手でこれからも作り続けられることになったとさ。

演奏は、デュトア指揮のNHK交響楽団。どのようなコンサートのプログラムの一部として演奏されたのか分からなかったが、手抜きなしに相当気合の入った演奏だった。

放送後、長男とカラヤン/BPO、ベルグルンド/ヘルシンキフィルのCDを聴き比べた。豪華なカラヤン、細身だが清涼感があり慎ましやかなベルグルンドという感じだった。

BS2での放送は、今晩『月光』がテーマ。また楽しみだ。


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2008年6月 8日 (日)

相模川ふれあい科学館バックヤード見学

最近、家の小水槽(フィルター付き)で、近所の小川で採集してきたハゼの仲間ヨシノボリを飼っている次男が、淡水魚の水族館として充実している相模川のふれあい科学館に行ってみたいというので、昼過ぎに出かけてみた。もう何度も訪れており、これで4、5回目だと思う。

ちょうど2時頃に到着して受付で入場券を購入(大人300円、小中生100円)すると、館内放送で、2時半から裏側探検ツアーを募集します。先着順と聴こえてきたので、早速並ぶと、4番目から6番目の券をゲットできた。 飼育員(学芸員)の若い女性がツアコンで、案内してくれた。注意は、三つ。1.勝手に器具や機械に触らない。2.大人でも迷子にならない。3.フラッシュ撮影は厳禁(これはこのバックヤード見学だけではなく、世界のどこの水族館の水槽撮影でも同じく厳禁。魚の目はフラッシュのような強い光にさらされるようには作られていないため失明やパニックになる危険があるため。以下の写真はASA500に調整してノーフラッシュで何とか撮影したもの。)

これがまず水族館の裏側の一つで、療養中のものや展示待ちのものが飼育されている部屋。

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次に、この水族館名物の相模川の上流域から河口までを40mの長い水槽で展示した巨大展示の裏側に案内されて、水槽越しに普通のお客さんお姿を見、また餌やりも体験させてもらった。(いい写真がないので写真は割愛。)その後、その地下にあるろ過装置がずらりと並んでいる壮観。内部には砂が入っており、バクテリアが水の汚れを分解するのだという。ただし、定期的な掃除は必要とのこと。どこの水族館でもこれが命綱のようだ。

なお、魚への餌やりは一日一回でよいそうだ。あまり与えすぎるのはよくないらしい。

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バックステージ見物は、30分ほどで終り。こういう企画には初めて参加したが、結構面白いものだった。

さて、下の写真は、一般展示のカミツキガメが背伸びをしているポーズ。まるでガメラのようだった。

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(追記:ガメラ医師様にこのガメラ写真を紹介いただいたので、もう一枚追加)

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下の写真は、川崎市で捕獲されたオオサンショウウオで、正式にこの水族館の所属となったのだという。

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下の写真は、水族館から出て散策した水郷田名の烏山用水に咲いていたアヤメ。水路には大きな鯉が活発に泳いでいた。

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2008年5月 6日 (火)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#5 シューベルトの弦楽四重奏曲『死とおとめ』

日曜日の深夜11時半から放送のものをビデオ録画しておいて5月5日の月曜日に鑑賞した。

5月4日の日曜日は、ちょうど「藤子F不二夫」特集をやっていて、その大ファンの長男が是非行きたいといっていた杉並アニメーションミュージアムを見学に行ってきた。中央線の荻窪駅で下車し、北口を出て、青梅街道に沿って西へ約1.5kmほど歩いて、荻窪警察署の信号を左に折れると杉並会館という区立の会館があり、その3階にこのミュージアムがある。入場料は無料。http://www.sam.or.jp/ 展示品を見たり、アフレコを体験したり、トレースで絵を描いたり、DVD室で好きなアニメを見たり、映写室で藤子F不二夫の作品(チン・プイ)を見たりして半日ほど楽しめた。

翌5月5日は、天気もよくなく、一日家で過ごし、子ども達は休み中の宿題を全部終わらせたが、ちょうどお昼ごろ、事件ファイル#5を楽しんだ。

題材は、『死とおとめ』の第1楽章と第2楽章。第1楽章では、わずかの小節数の間に、何と6回も転調をしているということがこの音楽の特徴として指摘されていた。また、有名な歌曲『死と乙女』の冒頭の葬送行進曲的な音楽をテーマにした変奏曲だが、短調の部分から急に長調に転調するときの「属9の和音」?の使い方の素晴らしさが指摘されていた。通常、短調から長調に転調するときに使われるこの和音は、フォルテやアクセントなどで強調されるのだが、シューベルトは、ここでデクレッシェンドの後に大変ひっそりと奏でるように指定してあるということが、玉川大学の准教授(先日の悲愴でも登場)が語っていた。

この曲を書き始めた頃のシューベルトは、不治の病梅毒に自分が冒されたことを意識しており、体調も悪かった。絶望的な気分で作曲を始めたが、次第に死と正面から向き合い、それを受け入れるようになっていったというようなストーリーだった。

この曲は、これまで非常に不吉な音楽として捉えていたのだが、今回のような「前向き」の捉え方ができるというのはこじつけとも思えず、参考になった。

女性三人、男性一人(チェロ)の古典四重奏団という団体が演奏を担当したが、なかなか巧い演奏だった。

ディスクでは、非常にスケールの大きいように聴こえてしまい苦手だったアルバン・ベルク四重奏団のものと、「シューベルティアーデ」のセットで、往古の名盤のブッシュ四重奏団のものを持っているがこれまであまり熱心に聴いていなかった。少し前向きに聴いてみよう。

5月6日(火)連休最終日は、久しぶりの好天に恵まれ、湿度も非常に低く爽やかな初夏の一日だった。大山詣でをしてきて、リフレッシュでき、体調は非常に快調だ。

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2008年5月 3日 (土)

『物理が苦手になる前に』(竹内淳 岩波ジュニア新書)

高校になって習った物理の授業は、非常に無味乾燥だった。中学までは理科少年でもあり、また伝記が好きで科学者の伝記などをよく読んでおり、原子物理学などにも興味を持っていたのだが、そのような想像をしていた物理と高校物理はまったく違っており、むしろ化学の方が周期表などで元素を扱っており面白かった。『相対性理論』の一般向けの解説書などは、それなりの興味を持ってその後も読んだりはしたが、いわゆる「物理」からはすっかり離れてしまっていた。

これもたまたまブックオフで見つけたのだが、カバーの裏側に「物理という科目や数式へのアレルギーをとりのぞき、教科書だけでは絶対に味わえない物理学の魅力的な世界に誘います」とあり、この本の出版時は早稲田大学の理工学部の応用物理学科の助教授の著者が前書きで「高校二年でこの科目に出会ったときに大嫌いになりかけた。責任転嫁をするつもりではないが、ある程度努力しても分からないというのならそれは教科書や教育方法などのどこかにも相応の責任があるはずだ」と共感を覚える本音が書かれていて、読んでみようと思った。

力 F , 質量m, 加速度 a とすると F=ma の式が成り立つ などと言われてもチンプンカンプンで、複雑な現象をなぜそんな単純な式で一律に表現ができるのかという疑問が湧いてしまうのだが、それを超短詩型の俳句の背後に広がる深遠広大な世界や、野球のピッチャーの投げるボールのスピード、F1カーのスピードなどから速度、加速度と説明していき、微分、積分までうまく説明している。私には慣性の法則(惰性)は、躓きの石ではなかったが、加速度がなぜ重要視されるのかが、高校時代にはよく理解できていなかったようだ。自然落下運動の重力加速度 g についても 9.8m/秒の2乗 という数値について記憶が戻ってきた。 

ただ、慣性の法則が理解されるようになったのは、6世紀の疑問の提示から17世紀のガリレオまで約1000年かかったという記述は、科学史の結果だけを教育しようとしている現代の教育の欠陥をあぶりだしているように思えた。

同じことがp.81には、「慣性の法則、力=質量×加速度、作用反作用」をニュートンの運動の第一法則、第ニ法則、第三法則と言い、ニュートン力学の真髄はこれで終りだが、これを高校では2、3時間で学んでしまう。しかし、人類が最初に手がかりをつかんでからこの法則性を浮かび上がらせるまで優に十世紀以上を要したとされているのも面白い。

ただ、 F=ma については、力(物理力とされる)が、質量と加速度との両方に比例関係にあることはなんとなく分かるが、なぜその二つの要素を掛け合わせる式になるのかはよく分からない。どうもこの辺がごまかされたような気になってしまうのだ。そして、それらの数式を数学的に組み合わせて式を整理して結論を導き出すやり方には、さらに論理の飛躍があるような気がしてごまかされているような感覚がさらにする。

作用、反作用については、実感からは分かる。衝突の物理も、自動車事故から野球のボールをバットで打つときの衝突、ラグビーやサッカーのフィジカルコンタクトなど興味深い題材を使っている。

8のコペルニクス的転回については、以前小学生が地動説を理解していないということが大々的に報じられたときに自分でも記事にしたのとほぼ同じ趣旨のことがより分かりやすく整理された形で書かれており我が意を得たりという感じだった。

9ニュートンのりんご 10神のジグソーパズル についても要領よくまとめられており、この辺の宗教史、科学史の部分がより面白い部分だ。運動方程式を使えばあらゆる力学的な運動が予見できるという信念がその後の技術発展を支え、そして、電磁気学、相対性理論、量子力学についても触れられている。

私自身も、責任転嫁になってしまうが、先日の三角関数の余弦定理にしても、これらのニュートン力学の三つの法則にしても、文系的な人間には背景にある数学史、科学史の説明が授業のリードなどにあればもっと興味を持てただろうと思う。ともあれ、面白い本だった。三日坊主ではないが、すぐに忘れてしまってあいまいになってしまうのだが。

p.s. この本の著者は、現在早稲田大学の教授であり、講談社ブルーバックスの『高校数学で分かる』シリーズで評価の高い教育者でもあるようだ。教育者と言えば、哲学者ヴィトゲンシュタイン(ウィトゲンシュタイン)の小学校教師時代のエピソードは非常に示唆的だ。また、物理学、数学と言えば、半可通的な言い訳になるが、カール・ポパーの反証可能性のことを思い出してしまう。大学時代の友人がポパーを信奉していたのを思い出す。彼は数学教師の息子だった。


 

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2008年4月 5日 (土)

「にがり」の続きと鶴見の「よねまんじゅう」など

昨日は、テレビニュースか何かで、厚生労働省とにがりの規制の件を扱ったのだろうか、朝から、「厚生労働省、にがり」の記事へアクセスを大分していただいた。あまり参考になる情報でなくて恐縮だ。それで改めて自分でもネットで調べてみたのだが、民主党代議士に対して厚生労働省のお役人が約束したという4月1日に出されるはずの大臣告示も厚生労働省のホームページの新着情報にもどこにも載っていないようで、非常に不可解な状況になっている。極端なことを言えば、一種の「政治、行政の闇」状態だ。

厚生労働省は、旧厚生省と旧労働省が合併した省だが、今回ホームページをざっとみて思うに、業務範囲が広範囲で、また国民生活に深く関わる部分が大きく、一つの省では扱い切れないのではないかと思った。これが社会保険庁問題や医療行政、最近の後期高齢者医療保険制度など多くの問題を処理しきれない元凶の一つではあるまいか。

さて、今日は、長男の中学校入学式で、鶴見区の方に出かけてきた。小規模校だが、入学式は、大変盛大に行われ、私立の入学式をこれまで経験したことがなかったので、非常に興味深いものがあった。

最近、また少々音楽から離れてしまっていてまとめた記事は書けないでいるが、先日はクルマのカーナビ搭載のMP3プレーヤーのディスクに保存してあるグルダの『アンコール』の中のショパンのワルツ第14番ホ短調(遺作)を聴き非常に感銘を受けた。非常に生命力に溢れて輝かしいワルツが演奏されており、グルダのきらめくような才能を実感できた。特に左手が雄弁で、リパッティの有名な演奏のような繊細さはないが、ピアニスティックな魅力を十分に味わうことができた。

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2008年3月14日 (金)

今更ながら三角関数

先日の水平線までの距離で少し数学づいてしまい、サバンナやモンゴルのような大平原では5km先の地平線の辺りが見えるか見えないかが命の分かれ目だから、そこのネイティブの人たちの視力が恐らく非常に良いのだろうな、竹内久美子流に言えばそのような遠目が利く遺伝子を持った人がより多く子孫を残しただろうから、現代のネイティブの視力が良いのかも知れないなどと考えていた。

ところで、視力とは改めてどのような数値なのだろうか、と調べていくうちに(これについてはまた別に詳しく書きたい)、視力は、視角というものに関係しているのだという。5m離れたところから、ランドルト環(例の視力検査表のCのマーク)の切れ目の二点が作る角度(度を60分の1にした分単位)1分の視角(これはCマークの切れ目の間隔とCマークの線の太さが1.5mmに該当する)が見える場合(切れ目がどちらか示せる場合)、その角度で1を割った数(つまり角度の逆数)1.0が視力1.0ということになるのだという。1.2の場合は、視角は0.8333, 1.5の場合は0.6666、0.2の場合は視角が5分ということになるのだそうだ。

模式図に距離とランドルト環の切れ目の長さを2辺とする直角三角形が出てきて、視角θのtangentの計算が出てきて、三角関数につながった。そうこうして、いろいろ調べているうちに三角関数について長年疑問だったことの答えが偶然見つかった。

yahoo知恵袋のQ&Aにちょうどあったのだった。

三角関数のサイン、コサイン、タンジェントの和訳はなぜ、正弦、余弦、正接と言うのですか。
比率なのに、どうして円の一部を示す弦との言葉なのでしょうか。中国からの輸入言葉ですか?

学校では数学史を教えてくれないのです。
宜しくお願いします。

回答日時: 2005/7/10 16:37:02     回答番号: 18,702,151

円に直線を引いてできる長さになるからです。
江戸時代の言葉です。伊能忠敬は測量に使いました。

正弦は半径1の円の弦の半分の長さとして現れます。
正接は半径1の円の接線上の長さとして現れます。

http://www.uja.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=470

「正弦は半径1の円の弦の半分の長さとして現れます。」
弦が関係していると思ったが、やはりその通りだった。半径1の円がポイントだったわけだ。

同じく「正接は半径1の円の接線上の長さとして現れます。」これも接線が関係している
とは思ったが、その通りだった!

余弦は、WIKIPEDIAの「余弦は"余りの角(その角と直角以外の角)の正弦"であるためこう呼ばれる」ということで、なんとなく分かるが、

より分かりやすい説明は、
http://wiigame.hp.infoseek.co.jp/other/sin.html にあった。

cos・cot・cosecですが、下の図のこの部分を「余角」というそうです。

で、この図の赤い線の長さが、余角のsin(→弦)になってるんです。余角の弦だから、余弦。cot・cosecもそういうことです。これ知ったときはちょっと感動した。

本当に私も感動した。まったく長い道のりだった。大学時代に数学科の友人に聞いても、「それは、そういうものだ。覚えるしかない」という感じで、なるほど数学ができるやつは違うわいということで、解決には至らなかった。サインとコサインの区別は数Ⅰの試験勉強の直前勉強では何とかなったが、その後はすぐに区別があいまいになってしまった。そこで、円の弦、接線に関係付ければ記憶の助けになると思ったのだが、いろいろな一般向けの解説本をひも解いてもこのような伊能忠敬らも使ったという歴史的なそれなりに意味の通った用語としての正弦、余弦、正接の説明はなく、ようやくネットが解決してくれたという次第である。(講談社現代新書『算数・数学が得意になる本』は分かりやすい本だが、このような説明はなかった。)

まったくお恥ずかしい話だが、これでようやく子どもにも三角関数の説明ができそうだhappy01

p.s.いろいろ調べていくと、視角から分解能まで話が発展し、見分けられるギャップ = ( 2 * 円周率 * 距離 ) / ( 360 * 60 * 視力 ) という式まで出てきた。この式に数値を代入すると、視力の計算式同じ結果が出るので、正しい式なのだろうが、どのようにしてこの式ができたのかが現在謎であるsign02

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2008年2月12日 (火)

ツシマヤマネコをナマで見る

2007年11月20日 (火)ズーラシアの植樹祭と再見キンシコウのときにもらった無料招待券の有効期限が3月末で切れてしまうので、そのとき以来しばらく御無沙汰をしていたズーラシアに2月11日の建国記念の日の祝日に子ども達と見に行ってきた。

12月末で上海へ帰ったはずのキンシコウが、まだ両国間の手続きが手間取っているということで、継続展示されていたのは御愛嬌としてうれしかった。

前回行ったときにすでにアマゾンセンターでお別れ記念のメッセージ募集が始まっており、そのときのメッセージが貼り出されていたので見ていると、次男がこれお母さんが書いた絵に似ているねというので、よく見てみると確かに筆跡が妻のものだ。下の写真がそれだが、帰宅後(所用のため妻は今回は同行しなかったため)この写真を見せると、確かに自分のだと喜んでいた。
P2110110

さて、前回は公開直後ということもあったのだろう、まだ人馴れしておらず見ることのできなかったツシマヤマネコ(対馬山猫)に対面するのが今回のハイライトだったが、以前はハクビシンが使っていたケージの中を悠々と歩き回っていた。それほど人だかりはしていなかったが、興味のある人たちは、望遠レンズでその姿を狙っていた。我が家の3倍望遠で撮ったのが下の写真だが、左右の真ん中、下から2番目の横の鉄線のところに小さい顔を出しているのがツシマヤマネコのナマのお姿だ。
P2110104


大きさや姿はそこらにいるキジトラとあまり変わらないが、まずは模様が特徴的なのと、尻尾の先の方が太い。また、耳の先が(言われてみれば)丸みを帯びている。今日は一頭(現在、ズーラシアには、オス2頭、メス2頭が「飼育下繁殖事業」により飼われている)がケージの奥の方をいったり来たりしていたが、我が家の子ども達は、ニホンオオカミの滅亡に関心があり、学校の自由研究に発表したほどなので、特にレッドデータブックには関心があるため、生きた絶滅危惧種に会えたのはずい分感激だったらしい。

このツシマヤマネコは、勿論イエネコと同じネコ科だが、wikipediaによるとベンガルヤマネコの亜種であるアムールヤマネコの変種になるという(wikipedia ツシマヤマネコ)が、対馬では、急速にその生息数を減らしているのだという。

さて、園内では、寒さに強いウンピョウ(雲豹 Clouded Leopard) が、暑いときとは違う結構活発な動きをしていたり、ニホンザルが陽だまりでグルーミングをしていたのもほほえましかった。また、アカカワイノシシのウリボウたちが、瓜模様も消えすっかり大きくなっていた。

ところで、珍しいものをみた。ウォークインバードケージの中に、ネズミが結構沢山繁殖しており、放し飼いの鳥達の餌をヒトの気配を気にしながら掠めている現場が数匹目撃されたのだ。ナマネズミというものもあまり直に目にする機会がなく、ネズミ年ということもあり、面白い見ものではあった。

なお、今日は朝開園9時半直後に行ってみたのだが、午後2時ごろに帰るときには、ズーラシア方面の道路が珍しく渋滞していた。不思議に思ったが、冬季は、午後からの駐車場料金が半額の500円になっているのと、三連休中はようやく春先らしいお出かけ日和になったことの二つが理由だろうか。(訂正:午後2時以降の駐車料金半額は、平日のみ。)

p.s. ドライブミュージックは、コープマンによるモーツァルトのディヴェルティメントK.136の快適な演奏。

追記:ズーラシアのホームページも相当リニューアルされており、飼育員の人たちのブログ記事が結構面白い。

追記:2007年11月に撮影された動画発見

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2008年1月15日 (火)

JR 大回りというレジャー

大回り乗車とはなんぞや? というページに詳しくあるように、最近の鉄道ブームで、大回りという「レジャー」が知られるようになってきた。私もその理屈を知らない前も、数回実行したことはあるが、今回は子ども達が段々「鉄」化してきたこともあり、猛烈に寒い寒の入りの三連休の最終日、華麗な振袖姿の妙齢の女性の姿を横目に、近郊区間をミニ大回りしてきた。

最寄駅-(横浜線)--東神奈川-(京浜東北線)--川崎--(南武線)--府中本町--(武蔵野線)--西国分寺--(中央線)--八王子--(横浜線)--最寄り駅の隣駅 という一筆書き路線を乗ってみた。

隣駅までは大人130円、子ども60円。乗車時間は、約3時間程度。食事は、最寄駅のコンビニに飲み物とサンドイッチ、おにぎりを買い込み、空いている座席でひっそりと食べた。 (追記:「駅すぱあと」という路線探索ソフトを使って調べてみたところ、この大回りの料金は大人130円と見事に表示された)

P1140098_3
これまで南武線には乗ったことがないというのと、特に中央線では、E233系という新型車両が昨年から投入されたといい、昨年の秋にも乗ったのだが、駅のメロディーの確認のためにも本格的に乗ってみたいということで一両目に乗り込んでみると、何とまだ14日しかたっていないのに、平成20年製造のピカピカのまだ新車の香りがする車両に乗れて、子ども達は大満足だった。

ところで、長男はJR各駅の発車時のメロディーに関心があるということで、昨年のクリスマスプレゼントは、中央線のメロディー入りの目覚まし時計をリクエストされ、購入した。Pc290030 今回の乗車で、いろいろな駅の実際のメロディーを聴けたのだが、子ども達によるとこの時計に収録されているメロディー(たとえば、八王子では「夕焼け小焼け」)と実際の駅のメロディーは微妙に音程が違っているのだという。


今日は、本州の岩手県の盛岡近くで、 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/rank_daily/data00.html

日最低気温の低い方から
順位都道府県観測所観測値昨日までの
観測史上1位の値
昨日までの
1月の1位の値
統計開始年
時分年月日年月日
1 岩手県 藪川 -22.8 ] 07:00 -27.6 1988/02/17 -26.6 1985/01/07 1976年
2 北海道 十勝支庁 本別 -22.0 ] 05:50 -28.1 1978/01/29 -28.1 1978/01/29 1976年

という低い気温を記録したということが、最新型E233系のドア上部のディスプレーのニュースで映し出されていたが、関東地方もまるで信州の寒さのように寒風が耳や頬に冷たく、せっかくの美しい晴れ着のお嬢さん達は寒さで顔がこわばっているようで、同情した。首回りのショールだけでは、パンツ(ジーンズ)とブーツに慣れた彼女達には足元がひどく寒かっただろうと思う。

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2007年12月12日 (水)

任天堂 Wii Fit を購入

12月1日に発売の任天堂のゲーム機 Wii につなげて使うボードとソフトのセット、Wii Fit(任天堂の公式ページ) を自分用のクリスマスプレゼント?に、帰宅時に最寄の量販店に立ち寄って購入してきた。

「フィット」はいわゆるフィットネスのことらしく、付属(というかこれがメインのハードになる)の体重計のようなボードに素足で乗り、その上で前後左右のバランスを取りながら、ゲームやヨガなどのフィットネスを行いつつ、体重、BMIを遊び感覚で管理できるというものだ。

このゲームについては、ネット量販のサイトでは、発売予定の発表があった頃から、先物買い的なレビューが相当ついていて、その注目度が高いことに驚いていたが、あまり運動をしないので、室内で遊べるものもいいかと購入した次第。

早速、帰宅後、子ども達がワイワイ騒ぐのをなだめながら、接続にかかったが、説明書の説明が充分ではなく、接続までに少々手間取った。まずは、ソフトの入ったディスクを挿入して、本体のOSにあたるプログラムをアップグレードし、その後、このWii Fitソフトを起動して、その指示に従って本体とボードを接続してやればよかったのだが、ソフトを起動する前に何度か接続にトライしてうまくいかなかった。

CMも盛んに流されており、既に結構売れているようだが、子ども達に聞くと、Wii本体なしに使えるという誤解があるようで、これだけ購入して使えないというクレームが多いらしい。確かにこれだけの値段で、かつこれだけの大きさなのでその誤解も無理からぬところなので、是非任天堂にはそのような誤解がないようにコマーシャルや販売店を通じて正しい情報を流してもらいたいものだ。

家族を登録して、少しバランスゲームをやってみたが、結構難しい。それでもスキーのジャンプなどは本格的なCGの中に自分の分身がプレーするというスタイルで迫力もあり、面白いし、アルペンスキーのジャイアントスラロームでは昔取った杵柄を披露しようとしたのだが、まだボード上でバランスを移動するのに慣れないため、巧くできなかった。

体重管理も簡単にできるし、結構はまりそうだ。

参考:日経BP記事 12/5付け 、 日経BP トレンディネットの記事 12/10付け

なお、ネットでの値段は定価8,800円(税込み)を上回る現象がおきているようだ。これは、人気ゲーム機では最近よく起きる現象で興味深い。

追記:2008/1/20
1/13(日)版の朝日新聞 be on Sunday の「日曜ナント カ学」に「踏ん張る時代は終わった」という題名で、カービングスキーとトラディショナルスキー(旧式のスキーをこういうらしい)の技術の差を科学的に解説した特集が載っていて、ちょうどpfaelzerweinさんからのコメントに関係していてタイムリーだった。トラディショナルは、「右ターンなら外足となる左足を踏ん張る、いわゆる『外足荷重』が基本だった」とあり、「一方のカービングは、『曲がりたい方向に体を傾ければ、板が勝手に曲がってくれる。踏ん張る必要がない。とにかく楽です。」(サロモン担当者による) そして肝心の荷重は旧式スキーと違って「内足」でのコントロールが大切で、外足荷重的な滑り方をすると思うように滑れない、らしい。

その意味で、Wii Fitの設定は、カービングスキー時代に合致しているとも言えるのかも知れない。(少し上達すると、長い距離で旗門も難しい上級コースにチャレンジできるが、うまくいかない!)

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2007年11月 4日 (日)

シュルレアリスムと美術 横浜美術館(9/29-12/9)

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これまで一度も横浜美術館の展覧会を見たことがなかったので、秋晴れの一日、家族でドライブを兼ねてみなとみらいまで出かけてみた。

(上の写真は、グランドギャラリーに展示されているダリなどの彫刻)

横浜美術館前の広場にはこれまでにも何度も訪れたことがあるので皆馴染みの場所なのだが、数年前のルーヴル美術館展も子ども達が幼くて興味を示さないこともあり、中にはなかなか入らずにいた。

今回は、ポスターで私が以前から好きなルネ・マグリットの『大家族』が使われていたこともあり、見に行きたいと思ったので、子ども達の少しの抵抗を排除(?)して、とうとう中に入れた。今回この展覧会ならと思ったのは、シュルレアリスム絵画は、相当抽象性の高いものは別にして、比較的子どもにも面白いものだからという自分自身の実感があったからだ。案の定、具象的・写実的な絵画にはそれほど興味を示さない子ども達も、一通り見回った後は、「今日のは面白かったね」と言っていた。

展示は、第4から第6が企画展のシュルレアリスム作品。エルンスト、マグリット、ダリ、キリコ、ミロ、ピカソ、デルヴォー、マン・レイなどが並べられ結構見ごたえがあった。マグリットの「大家族」、「王様の美術館」・エルンスト「少女が見た湖の夢」(横浜美術館所蔵品)などが子どもにアピールしていたようだ。

常設展では、日本画で描かれた動物の特集があり、『宿神』の関係で今村紫紅の『鞠聖図』が興味深かった。また、下村観山が森狙仙という画家の『狼図』を模写したものが、ニホンオオカミの関係で面白いものだった。

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2007年10月28日 (日)

上杉鷹山が受けた教育 

以前、上杉鷹山を主人公にした歴史小説を読んだ際に、その孟子の政治哲学を基礎としたと思われる伝国の辞などに関心して、そのような政治姿勢を生んだのは、彼の素質だったのか、教育だったのかと疑問を呈したことがあった。

この10月27日土曜日の朝日新聞のBeという土曜日版に、そのことについてまとまった記事が出ていた。Be Entertainmentの『昔も今も』という連載で、教師④ 「平洲が吹き込んだ魂」という回がそれだ。春秋左氏伝 哀公元年の条 「国の興るや、民を視ること傷めるが如くす(中略)その亡ぶるや、民を以って土芥となす」を訓み、講義を聴いたとき、鷹山は涙を流したのだという。

これによると、鷹山はその素質、性格から、もともと民への憐憫の情を大量に持っていたようであり、平洲により知識の裏づけを加えられ体系化されたもののようだ。

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2007年10月27日 (土)

授業参観日の父母のおしゃべり

子どもの通っている小学校は、春(夏至の前)と秋の今頃の土曜日に授業参観日があり、朝の学活(ホームルーム)の時間から給食の時間を経て下校時間まで一日中見学ができるようになっている。これまでも毎週土曜日が休みなので妻と手分けして子どもが授業を受ける様子や学校内の様子を見学している。

今日は、時ならぬ台風20号が時速80kmを越えるようなスピードで伊豆諸島付近から銚子付近をかすめるように通過したこともあり、朝から雨脚が強く、参観の父母も少なかったが、好天の日などはそれこそ学校中が父母は幼児で溢れかえるようになることもある。

私が小学生だった頃の授業参観日と言えば、年に一度か二度、平日のあらかじめ決められた時間に父母(父は通常は勤務日なので、主に母親だった)が来校して、その時間帯だけ参観し、その後担任の先生と父母の懇談会などがあったように記憶しており、先生も児童もその日のその時間帯のみは結構改まった雰囲気で、また父母も結構改まった服装で静粛に参観したものだった。

ところが、現在は上記のような方法で学校を公開しているので、正門で不審者チェックは受けるものの、教室への出入りは自由ということもあり、授業時間中にも関わらず、特に母親達の井戸端会議的なおしゃべりが喧しく聞こえるのが当たり前のようになっている。最近では父親もそのおしゃべりに加わる向きもあるようで、当初は授業中の私語は慎むように躾けられた身にとっては驚くべきことだった。最近は皆慣れっこになってしまったのでそれほどマスコミも取り上げないのかも知れないが、大学の大教室の講義ではおしゃべりをするのが当たり前らしいし、また、小中学校の全校集会や、もっと改まった入学式、卒業式の際にも、私語でワイワイするのが当たり前のようになっていると聴く。

このようなことを書くと反発をくらいそうだが、大人でもTPOを弁えない人々が増えているということは、民度、文化レベルが下がって来ているのかも知れないと思ってしまう。

もっとも家父長制的な長幼の順、教師への盲目的な敬意などが否定されてきたこともこの背景にはあるのだと思うが、そのような封建制の遺物が撤去された後に、相互に敬意を払い合うような文化的な規範ができあがってきていないということを、この授業参観日における親の無駄話や子ども達の落ち着かなさが示しているのかも知れない、などと偉そうに考えた。

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2007年10月26日 (金)

洋の東西 の 住所、人名の順

9/19夜、子どもたちがドヴォルザークの『新世界から』の第4楽章を歌っていたので、夕食後にいくつか聞いてみようということになり、先日聞いたノイマン以外の、小澤/サンフランシスコ、ケルテス/VPO、セル/クリーヴランドの順に第4楽章を聞いてみた。

「ケルテスはどこの国の人?」というので、「ハンガリー。セルもハンガリー。ハンガリーは名指揮者が多い国なんだけど、ヨーロッパの国と違って、名前を 日本や中国と同じように姓名の順で呼ぶ国なんだ。それはチンギス・ハンのモンゴルがヨーロッパまで攻めていったことに由来するようだよ(後で調べたら、ローマ時代のフン族・匈奴やその後のアッティラの影響のようだ)。それで、有名な人ではバルトーク・ベーラ、コダーイ・ゾルタン、セル・ジョルジ、ケルテス・イストバーンという言い方になるんだって」というような会話をした。子どもたちはなかなか感心したらしい。

ハンガリー人(マジャール人)がモンゴロイド系か否かについては、論争があるようだが、一応下記の「下戸」遺伝子の研究によれば、モンゴロイドの遺伝子を含んでいる人もいるらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンガリー#_note-0

ところで、そのことを今日思い出していたところ、西洋では住所も、まずは番地 町名 自治体名 国 というような順序で書くのだが、これは東洋の国、自治体名、町名、番地の順の方が合理的だろうと思い出し、少し考えてみた。

(郵便番号や電話番号は、西洋でも 大グループから小グループ(そして個人番号)の順に設定されているので、合理性から言えば大から小なのだと思うが)。

ただ、まず身近なところから、それを段々広げていく西洋風の書き方は、国を越え、大陸、地球、太陽系、銀河系などとその範囲を無限につなげていく書き方になるとも言える。逆に東洋風では、最初に規定した大グループを超える範囲については、記述ができなくなるということがある。

中国語の語順は、西洋語の主語+動詞+目的語SVOのような語順に似ており、同じ東洋系とは言え、日本語、韓国語の語順とは異なっているようだが、大から小の地名、人名の記述は中国ではいつの時代からのものなのだろうか? 

アラブではどうなのか、アフリカでは、ネイティブアメリカではどうなのだろうか?

*以前に書いておいたが、アップを失念していた記事。

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2007年10月23日 (火)

夏目漱石展 江戸東京博物館

東京墨田区の両国にある江戸・東京博物館で開催中の夏目漱石展を見に行ってきた。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0926/200709.html

http://www.asahi.com/soseki/

以前から訪れたいと思っていた博物館で、今年新聞店から2007年度の日本列島から発掘された遺物展というようなものの無料券ももらっていたのだが、そのときは結局足を運ばずじまいだったので、今回が初めてだった。

今年は、両国の国技館の隣にこの博物館ができてから15周年だといい、また、夏目漱石が朝日新聞社に小説記者というような肩書きで入社し、『虞美人草』の連載を始めてから100周年にあたり、さらに漱石の弟子で当時東北帝国大学の教授だった小宮豊隆が、空襲での消失を免れるために自分が東北帝大図書館長だったこともあり、1944年までに一括して漱石山房の蔵書・資料等を図書館に疎開させ、それがそのまま委託された形で保管されている貴重な「漱石文庫」を所蔵する当の東北大学が創立100周年ということで、その3つの記念年をあわせた形でこの展覧会が開催されたものだという。

http://www.library.tohoku.ac.jp/collect/soseki/index.html

妻がこの展覧会に行きたいということで、子どもたちはあまり乗り気ではなく(それでも博物館の常設展は楽しめたようだった)、私も文学者の展覧会は美術展や科学展ほどほど面白くないだろうとは思ったが、たまには女房孝行ということで行ってみることにした。

この博物館は、相撲の本場所が行われる国技館の隣にある少々奇矯な形の建造物(内部に広大な空間を作るため)だが、漱石展はその一階の特別展示室で開かれていた。

昼頃に両国駅に到着したので、博物館内の食堂で少々江戸情緒の感じられる深川丼や穴子定食などを食べたのち、特別展と常設展のチケットを求め入場した。(小学生は、常設展は無料だが、漱石展は有料。また後知恵だが上記の朝日新聞のサイトでは割引きクーポンが手に入ったが、事前の調査不足で使用しなかった。)

文学者の展覧会というと、私の故郷小諸に常設されている島崎藤村の藤村記念館で見慣れており、文学者の生い立ち、原稿、写真、初版本というところが主なもので、漱石展もその例に漏れなかった。しかしこの展覧会は、上記の東北大学の漱石文庫の収蔵品が主要展示物であるため、漱石が主にロンドン留学の折に生活費を削りながら収集した多くの書籍が並べられているのが特徴だ。漱石の細かい書き込みがあるページを見ると、彼がロンドンで神経をすり減らすまでに刻苦勉励した様子が如実に伺われる。ここに展示されているのはその一部だが、それでも膨大な書物である。シェークスピアを初めとする英文学者、詩人のものが多いが、心理学、社会学等の書籍もあるようだ。その多くの著者・書籍名はほとんどが知らないものだった。漱石が約2年間の孤独な留学生活で読み、読もうとした多くの書籍を見るにつれ、江戸時代の末に生まれ文明開化の只中に成長した最初期の英文学者としての漱石ということを思った。

(追記:他の方のblog記事を読んで思い出したのだが、漱石の西洋絵画への関心を示す蔵書も多かった。特にJ.E.ミレー(Millais)画ハムレットの『オフェリア』で有名なラファエル前派の作品を好んでいたようで、そのためか、『草枕』ではその『オフェリア』の画像について主人公がこだわっている様子を描写している。さらに、読書ノートについては、綿密に章立てごとに要旨をまとめているものもあり、非常に細かい字とともに漱石の几帳面な性格がうかがわれるものがあった。)

ほかに印象深かったものというと、漱石の大学予備門時代?の数学の答案用紙であるが、幾何の証明問題など、美しい英語の筆記体でペン書き(鉛筆?)によりビッシリと回答が書き込まれているのには驚いた。予備門では数学の成績も良好で、友人の薦めがなければ文学者ではなく、建築家を志していたかも知れなかったようだ。

また、(これは漱石の伝記では有名なのだということを後で知ったが)、帝大か一高へ提出した履歴書に「本籍 北海道・・・」と書かれている部分があったのには驚いた。これは、なんらかの理由(兵役逃れという説が強い)で本籍の東京から分籍したものだという。(http://www.iword.co.jp/iword/s05_10.html にまとまった記事あり。)

当時の東京朝日新聞の紙面には、朝日入社後最初に連載した『虞美人草』の新聞小説第一回のすぐ右隣に、勅令として東北帝国大学の設立の記事が掲載されており、その意味でこの展覧会は運命的なものであるようにも感じた。

正岡子規との交友を示す多くの俳句の添削などもあったり、晩年の漱石が描いた南画?水墨画や漢詩の掛け軸なども展示されていたが、漱石がフランスのJ.F.ミレー(Millet) のモノクロ版印刷の絵画を模写して彩色したものが現在山梨県立美術館にその原画と一緒に収蔵されているということも紹介されていた。

新潮文庫の漱石のカバーは印象深い図案だが、漱石も自著の装丁には相当凝ったようで、自らの装丁デザイン原稿なども展示されていた。

岩波書店の創立者岩波茂雄は、漱石山房によく顔を出していた弟子にあたる関係だったようで、岩波からの初の漱石全集が展示されていたり、『こころ』の原稿(岩波書店蔵)なども展示されていた。

なお、入り口には、漱石の等身大の上半身の人形(ロボット)が展示され、復元音声により、熊本の旧制五高時代の漱石の学校式典での祝辞の一部が繰り返し流されていたのは少々うるさかった。出口には、漱石のデスマスクとその石膏原型が並べて展示されていた。

出口の外の通路には特別展用ミュージアムショップが出店しており、漱石の著作のほかに、漱石に関する著作、それに関川夏央原作・谷口ジロー画の『「坊ちゃん」の時代』という劇画の文庫版(双葉文庫)も売られていたり、猫のTシャツや東北大が企画したという仙台の菓子店白松が最中の羊羹なども売られていた。国立大学が羊羹を企画し商売をするというのは、さすがに独立行政法人としての経済的な意味があるのだろう。廉価な方の「漱石の愉しみ」という羊羹セットを一つ求めた。

Souseki_youkan

会場は押し合いへし合いほどの来場者ではなかったが、絵や彫刻と違って一点一点じっくり目を凝らして見るような資料が多いので、見物人の動きが遅く、一通り見終えるまでに一時間以上はかかった。そのような状況なので、並んで見ている人の間に横入りするような若い女性もおり、そういう意味では不愉快なことがままあった。来場者のマナーの問題でもあるが、会場整理のうえで一工夫が必要ではなかろうかと思った。

『坊ちゃん』『吾輩は猫である』の題名を辛うじて知っている小学生の子どもたちにはつまらなかったようで、五分ほどで会場を一回りしてきて、その後しばらく会場内を行き来していたが、飽きてしまい私たちが来るのを一時間ほど出口のところで待っていたようだ。少々可愛そうだった。なお、この中は貴重な資料を守るため照明が暗くされ、もちろん写真撮影も禁止だった。

この特別展を出て、常設展には6階行きのエレベーターに乗って行った。エレベーターを出ると巨大な空間が広がっており、通常の建物の3階から6階を吹き抜けにして江戸や明治・大正・昭和の東京を様々な形で再現している展示スペースだった。入り口は、お江戸日本橋を復元した木造の橋。江戸の大名屋敷から、庶民の暮らし、物流、娯楽、防火などの展示、明治の文明開化、関東大震災、第二次大戦の空襲、戦後の復興期までを展示してあり、急ぎ足での見学だったが、結構面白かった。

P.S. 漱石展の翌日 夏目鏡子(漱石の妻)談、松岡譲(漱石の長女筆子の夫)筆の『漱石の思い出』(文春文庫)を買い求め読み始めたが、『「坊ちゃん」の時代』で描かれたエピソードのいくつかがここに生き生きと描写されており興味深かった。自伝的な小説『道草』は未読だが、これと併せて読むとまた面白そうだ。

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2007年10月11日 (木)

青梅で遊ぶ 

10月6日から8日はまた三連休。体育の日が10月10日でないのは、どうも違和感がある。先週は、ずーっと喉と頭が痛かったのだが、そのうち気管支がゼイゼイいい始めて咳と痰が出始め、10/3,10/4と仕事を休むほどだるくなった。10/5の金曜日は休めなかったため少し熱があったが出勤してきたので、土曜日はまた寝て過ごし、日曜日はまだ微熱があったが、家族サービスで出かけてきた。

最初は、両国の江戸東京博物館でやっている東北大学図書館所蔵の夏目漱石資料展を見に行こうという予定だったが、子どもも興味もなさそうだし、人ごみもいやだということで、妻が青梅に行こうと言い出して、初めて行く事にした。

我が家からは、立川から青梅線に乗り換え片道訳1時間半程度。私は、あきる野市方面は数度来たことがあるのだが、家族は初めてで、東京とは言え田舎で山河の風情が面白かったようだ。

青梅市全体でレトロ路線をとっているようで、駅の待合室などが昭和30年代風に作ってあったり、懐かしい絵画調の映画ポスターが駅構内に張られており驚いた。駅の山側の小学校ではちょうど秋晴れの日に運動会が開かれていたようだった。

青梅より奥は、相当以前勤め先の山岳部の合同登山が開かれた大岳山まで入ったことがあるのだが、青梅は初めてだった。

まずは、目的地の青梅鉄道公園 http://www.kouhaku.or.jp/ome/index.html に行ってみた。この鉄道車両の展示公園は、交通博物館などのパンフレットで知ってはいたが、ようやく来れたという印象だ。青梅駅裏の丘陵の上にあり、徒歩で15分ほどだが結構上り坂がある。1960年代にできた施設なので、電車模型のパノラマレイアウトも古めかしいものだったが、子どもたちには大人気で、毎正時の運転には大勢の幼児たちがつめかけていた。なぜ男の子は電車模型が好きなのだろうか?実感として脳の性差は確実にあると思う。展示館は二階建てで屋上からは多摩から都心の方が眺められるが、新宿のビル群などは確認できなかった。

屋外展示は、ちょうど屋根掛け工事のため(恐らく近年PHの値が7よりも相当小さくなっている酸性雨の影響から古い鉄製の機関車などを保護するもの)、汽笛一声でも使われた2号蒸気機関車などの貴重な車両は見られなかったが、動輪が五つもあるE型だとか、子どもたちの憧れの、新幹線の0系だとかが展示されており、運転席にも座れることもあり非常に楽しめたようだ。近くの公園には、「タカトンボ」が群れていたが、先日のラジオ放送で聞いたように、赤トンボの姿はあまり見られなかった。昨年の夏には、更埴市の古墳公園で沢山のアキアカネの乱舞を見たのだが。

公園で2時間ほど過ごした後、駅と途中で見かけた赤塚不二夫博物館に子どもたちが行きたいというので、町の方にもどり行ってみた。駅前の青梅街道が駅と同様の昭和レトロ調に統一されており、その中心にこの博物館があるという設定だった。私と妻は外で待っていることにして、子どもたちだけで内部を見学したのだが、外で待っていると、博物館の係りの女性が、展示室の外は無料なので、腰掛けて待っていてもらってもいいですよ、と声を掛けてくれて、室内で『天才バカボン』のアニメを見ながら30分ほど過ごした。この周辺にはそれなりに観光客が詰め掛けていたが、全体的にはひっそりとした町の風情だった。

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2007年10月 2日 (火)

映画『真珠の耳飾りの少女』(2003年イギリス)

9/26からフェルメールの『牛乳を注ぐ女』が国立新美術館で公開されているが、前景気を煽るためにかNHKのBS2で表題の映画が9/24に放映されていたのをビデオに収録しておき、急に11月ごろの気温になってしまった9/30の日曜日に家族で鑑賞した。

子どもたちも以前一緒にブリヂストン美術館に見に行ったルノワールだとか、この春に見たレオナルドだとか、ゴッホ、ピカソ、ダリなどの画家の名前を知っているが、このフェルメールは(最近買った世界史年表にも名前が出てこないので学校教育ではあまり教えられないようで)知らなかった。

2000年にこちらに引っ越してきたばかりのとき、上野の国立西洋美術館でちょうどフェルメールとレンブラントとオランダの画家たち展に家族で出かけて見た『恋文』が初めて生で見たフェルメールだったが、幼かった子どもたちをつれていったのだが、さすがにまったく覚えておらず、そのときに買った展示目録やフェルメール特集の「週刊美術」を出してきて見せたが、それほど興味を引かないようだった。私自身もフェルメールを知ったのは、ようやく20代になってからで、インターネットにつないでダウンロードした『デルフトの眺望』を壁紙にしていたこともあった。

さて、この映画だが、日本語版も出ている小説(白水社)を元にした映画だという。印象的な『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』のモデルが誰かを探ったフィクションであり、歴史上の有名人の伝記的な疑問を解き明かそうとして独自の想像を働かせたという点では、ベートーヴェンの不滅の恋人を扱った『不滅の愛』に通じるものがあった。

さて、フェルメールは、日本で言えば江戸時代の初期に活動したオランダの画家で、映画ではその生涯をすごしたデルフトの運河界隈の情景を巧みに再現しているようで、興味深かった。この頃のオランダは鎖国していた日本と長崎の出島を通じて交渉を持っていたということを子どもたちに話しながら見た。そう考えると港の船や商店などもまったく縁のない時代や場所ではなく思えたから不思議だ。

映画では、フェルメール家の年配の召使いが、『牛乳を注ぐ召使い』とそっくりだったり、フェルメールの妻が『手紙を読む青い衣の婦人』と同じ妊婦だったり、『真珠の<<首飾り>>の婦人』はパトロン夫人がモデルだったり、『合奏』そのままの場面のヴァージナル(ハープシコード?)がフェルメール家に置かれていて画家と夫人が演奏を楽しんだり、『水差しを持つ若い女性』をアトリエで描いていたりで、ところどころフェルメールの絵そのままの映像が非常に美しかった。また、屋根裏部屋での絵の具の調合の場面では、ラピスラズリや墨などの色素をすりつぶしたりと亜麻仁油と調合するなどの技術を習得するためにこそ画家の弟子入りが必要なのだろうということがなるほどと思わせるようによく描かれていて面白かった。

また、新教国であるはずのオランダだが、フィクションの若い召使いグリートの家やそのボーイフレンドの肉屋はプロテスタントであり、フェルメール家やそのパトロンは贅沢な食事を楽しむなどカトリックであったようで、その差異も丁寧に描かれていた。庶民のレベルでは共存していたようだ。

フェルメールが用いたと想像されているカメラ・オブスクラは、ディズニーシーのフォートレス・エクスプロレーションにも実物が置かれていたが、この映画でもレンズ付きのものが再現されていた。望遠鏡を発明したホイヘンスがちょうどフェルメールの同時代人であり、フェルメールはいち早くレンズを用いた機械を入手したという設定だろう。

その生涯の詳細があまりわかっていないフェルメールの残した印象的な『少女』のモデルとしてはフェルメールの娘ではないかと言う説も唱えられているが、自分の娘にあのような清潔とは言え、いわゆるコケットリーを持たせることはありえず、むしろ原作の小説、この映画の唱える説が相当蓋然的であるように思った。

この映画の主人公である『少女』を演じたのは、『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年作品でコメディに分類されるのだという!)での物憂げな演技が印象に残ったスカーレット・ヨハンソン。ファミリーネーム的には恐らく、スカンジナビア系の出身だと思うが、『少女』に瓜二つというわけではなく、『少女』の微笑よりも、堪える女性を感じさせた。台詞の少ない抑制的な演技がなかなかだった。

なお、映画と小説のエンディングは少々異なるらしい。またアメリカではR指定というだけあり、少々小学生には早い恋愛シーンもあった。

参考図版:WIKIMEDIA COMMONS フェルメール

フェルメールの作品は、その細部までの細かい書き込みのため、画像では比較的大きく拡大されて紹介されることが多いのだが、意外にも非常に小さい。

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