カテゴリー「コンサート」の11件の記事

2009年9月17日 (木)

清水和音 ピアノリサイタル ~ショパン生誕200年を前に~

2005年6月13日 (月) 久しぶりの生演奏鑑賞 で聞いて以来、久しぶりで近所の公会堂の区民音楽祭のふれあいコンサートを聞いてきた。

清水和音 ピアノリサイタル ~ショパン生誕200年を前に~
2009年9月13日(日)午後2時開演

前売り券は6月から発売されていたというが、このリサイタルを知ったのは土曜日に妻が外出した際に駅でポスターを見かけて、「明日こんなリサイタルがあるらしいよ」と伝えてくれたため。自分のアンテナはまったく低くなっていることを実感。

日曜日の朝、公会堂に電話で聞いてみたところ、当日券も若干あるということで、少し早めに出かけて、前売り券より500円高い当日券を長男の分と一緒に購入。自由席制なので、そのまま入場者の列に並ぶ。既に7,8人が入場1時間半前くらいから並んでいた。(その後、最前列に後から来た家族が横入りするというような嫌な場面も見てしまったのだが、このようなのは、行列にはよく見る光景で、周囲は冷たい視線を送るくらい。)

どうも余談が長くなったが、感想は簡単に。

以前も書いたが、古い公会堂で反響板も移動式のものが舞台後方に並べられるだけ。備え付けのピアノか、普通のYAMAHAのグランドピアノだったので、どのような音が鳴るのかとあまり期待せずにいた。会場の入りはほぼ満員。比較的年配の女性が多く、ピアノを習っているような子どもや学生風は少なく、ピアノ教師のような雰囲気の女性は比較的多かった。普通の音楽リスナーのような感じの人はあまり見かけなかった。

今年48歳になる清水和音(日本人の場合、敬称を付けないと違和感があるが、著名人ということで敬称なし)の演奏を聞くのはもちろん生では初めてで、数年前のテレビ放送でN響とブラームスの2番のコンチェルトを、特別に弦の張力を強くして音量を増したというピアノで演奏した番組を見て以来だろうか。

そのときにも増して、上半身が非常にマッチョな筋肉をまとった雰囲気で静かに現われて、おもむろにショパンの即興曲を幻想即興曲まで入れて4曲立て続けに弾いてみせてくれた。音響は、相当残響が少ないこの会場がむしろピアノ演奏にはあっているようで、クリアな直接音が、濁りなく耳に届く。細かいパッセージもよく聞き取れるほど。夜想曲は初期の第4番と5番。プログラム前半の最後は、スケルツォの第2番。特に左手の力があるようで、低音が爽快に響く。右手はよくショパンにある装飾的な軽やかな部分が少しもつれるようで多少苦手そうだった。前半は相当満足のいくでき。

後半は、バラードの第1番から始ったが、出だしのユニゾンで少し音を外すなど前半よりも少し集中力が欠けた感じで、ミスたっちもところどころで聞こえて、あまりいい出来ではなかった。隣に座っていたピアノ教師らしい女性も拍手を少し控えていた様子。

子犬のワルツ、ワルツ嬰ハ短調(作品64の1と2)のポピュラーな作品では、「子犬」は相当のスピードで軽やかに弾こうという意識は感じられたが、粋な洗練は感じられずもつれたような演奏で残念だった。夜想曲第13、14番の2曲は、たっぷりとした豊かな音で、あまり聞くことのないこれらの曲を丁寧に弾いていた。プログラムの最後は、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ。ダイナミックな演奏だったが、やはり細かなパッセージの軽やかな処理が少し不満。

アンコールでは、多分夜想曲の第18番(帰宅後、夜想曲集を聞いて確かめたが確信はない)。トリは、「英雄ポロネーズ」。これは掌中に入ったレパートリーだけあってピアノが壊れるのではないかと思われるほど、ダイナミックでブリリアントな演奏だった。

大都市圏とはいえ、地方の小ホールのリサイタルだったが、生の演奏をたまに聴くのは、いろいろわずらわしさはあるが、やはりよいものだった。






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2008年7月27日 (日)

日本フィル夏休みコンサート2008で初サントリーホール

相当以前に過ぎてしまった父の日だが、その頃「父ちゃんは君たちをいろんなところに連れていってあげてるけど、こちらに引っ越してきて自分の好きな音楽のコンサートにはあまり行けていないんだ。あの有名なサントリーホールでもコンサートを聴いたことがないんだ」とか何かの拍子にぼやいたことがあり、それを覚えていた妻が一応父の日のプレゼントとして、子どもと一緒に行けるサントリーホールということで、今回の日本フィルの夏休みコンサートのチケットを家族分手配してくれていた。

そのコンサートが今日午前中の11時からサントリーホールで行われ、東横線から地下鉄南北線に乗り継いだら意外なほど短時間で、一種の「聖地」サントリーホールに着いてしまってちょっと驚いた。南北線の六本木一丁目駅では、この夏休みコンサートに行く親子連れらしい人々の姿が多かった。

駅の3番出口から約5分でカラヤン広場を通り、サントリーホールへ着く。アークヒルズ界隈も六本木再開発の最初の頃のプロジェクトだったはずで、そのせいかリニューアル工事がここかしこで行われていた。

ホールそのものはアークヒルズのビル地区の中にすっぽり と収まっているため、音楽芸術の殿堂という崇高さのようなオーラはまったくない。ローカルな比較になるが、長野県の須坂市のメセナホールという文化会館などは、低い丘の上に立っているが、建物正面のデザインなど、なかなか素晴らしいもので、地方都市には贅沢なほどの建物になっており、当時そこに住んでいたおりには、よくコンサートにも出かけ、また所属合唱団の定期演奏会や、合唱コンクールも開かれたり、自分の庭のようなホールだったので、そことの比較になるが、外観やホワイエ(ロビー)などは、あの地方ホールも、また長野県の文化会館もそれなりの豪華さだった。閑話休題。

P7270012_3家族連れで賑わうカラヤン広場で、10時半の開場の仕掛けオルゴール(オルガン)が鳴り出して人々がホールに吸い込まれていき、その後を追って我々も中に入る。ホールに入るとさすがにそこは、テレビなどでも見慣れた正面に豪華なパイプオルガンとシャンデリアのある巨大なサントリーホールの空間だった。

今回は、「のだめ」で取り上げられた「ラプソディー・イン・ブルー」を指揮者弾き振りで演奏するため、若手の沼尻竜典(ぬまじり・りゅうすけ)と渡邊一正(わたなべ・かずまさ)が指揮者として起用されており、今回のサントリーホールの午前11時と午後2時の2回で7月19日からの沼尻氏の指揮は終了、その後7月29日から8月2日は渡邊氏の番になるということで、夏休みコンサートとは言えなかなかのハードスケジュールのようだ。

曲目は、第1部がモーツァルト『フィガロの結婚』序曲。颯爽と登場した沼尻氏は、快調なテンポでモーツァルトを指揮する。初めて聴くサントリーホールのナマの響きだが、舞台に向かって左側の1階平土間の一番後ろの方で、少々音が遠く、残響の多さに慣れるまではなかなか音楽に集中できなかったが、各パートの音も分離して聴き取れるようになってきた。次は、「G線上のアリア」。チェンバロなしの弦楽合奏のみの演奏でリピートも省略されていたが、弦の響きの溶け合いが美しかった。解説と歌として江原陽子という歌手が登場し、「G線」のことを指揮者に質問し、実際にコンサートミストレス江口有香さんが、めったに聴くことができないヴィルヘルミ編曲のG線のみで弾くこのアリアの冒頭部分を弾いてくれたが、ヴァイオリンとは思えないほどの低い音で聴くこのアリアはなかなか聴き物だった。次は楽器紹介をしながら、チャイコフスキーの『白鳥の湖』の『4羽の白鳥の踊り』とハチャトリアン『剣の舞』。フルート、オーボエもなかなかよかった。『剣の舞』は、さすがにアピール力の強い曲で、終演後子どもも妻も凄い迫力だったと言っていたが、会場の残響の関係もあったのか(千葉県文化会館、府中の森芸術劇場、横浜みなとみらいホール、ミューザ川崎シンフォニーホール、大宮ソニックシティの順で、今日がサントリーホール初日)、活躍する打楽器群とその他のパートがほんの少しだけずれているように聴こえたように思った。演奏を始めてしまえば途中で修正が聴くような曲ではないし、あれだけのテンポで駆け抜けるのは結構難しいのだろう。

次は、指揮者弾き振りの『ラプソディー・イン・ブルー』。なお司会者が「日本フィル夏休みコンサート2008ハイライト版です」と紹介したが、全曲ではなく、途中の部分を巧妙にカットしていたが、聴きなれている長男などは、後で「省略があったね」と言っていたので、できれば全曲を聞いてみたかった。演奏は、沼尻氏のピアノも堂に入ったもので、ピアノの響きも美しく、オーケストラともども熱の入ったいい演奏だった。クラリネットのアドリブ風トリルから始まって、途中金管楽器がミュートを使ったりしての特殊な音響を出す部分など会場も沸いていた(ように記憶しているが)。カデンツァでは、沼尻氏はイロイロな曲のサビの部分を演奏していていて、なかなか芸達者だと思ったが残念ながらどんな曲だったか短期記憶が弱まっており思い出せないのが残念。

この後、オーケストラ演奏にのって、会場のみんなで歌を歌う(このようのコンサートでは定番の)コーナーが設けられ、「誰にだってお誕生日」「大きな古時計」「さんぽ」が歌われた。合唱から遠ざかって相当経つのでしばらく大きな声で歌ったことがなかったが、なかなか気持ちよく歌えた。

休憩を挟んでの第2部は、ムソルグスキー=ラヴェル編曲の組曲『展覧会の絵』。この曲は、コンサートでナマで聴いたのは初めてで、また単に子ども向けとも言えず期待して、昨日などは、オーマンディ(CBS)盤やジュリーニ/CSO盤(ハーセスのトランペット!)を、長男と聴き比べて楽しんだのだが、やはり生演奏の迫力は素晴らしかった。

生演奏も、数多く聴けば、もっと冷静な聴き方ができるのだろうが(ただ、それが必ずしも音楽を楽しむためによいことかどうかは別だが)、ホール全体に広がる金管や打楽器の音の迫力に圧倒されることが多く、いわゆる音楽の情報量よりも、感覚的な喜びの方がまず多くなる傾向があるように思うのだが、今回の『展覧会の絵』は、子どもを飽きさせないという多少の演出(絵のない巨大な額縁)や、黒子の持って出てくる巨大な曲名紹介でもそれほど興をそがれずに、音楽そのものを結構楽しめた演奏になっていた。

以前にも書いたが、高校時代オーマンンディ盤によって十分に親しみ、細部まで覚えきったような感じの曲だが、ここ10数年は離れていた曲だった。個性的で描写的な音楽の集合である組曲で、面白い曲揃いで、気軽に聴ける曲ではあるのだが、音楽にもっと別の充足感を求めるようになると次第に敬遠しがちになってきていた曲だった。数年前に手持ちのCDの聴き比べのような記事を書いたことがあったが、表面的な印象を書いただけで、それほどつっこんだコメントは書かなかった。私が高校のときにはまった『展覧会の絵』だが、子ども達は意外にこの曲への食いつきが悪く、今回のコンサートで魅力に開眼するかも楽しみだった。

沼尻/日本フィルの『展覧会の絵』は、結構見事な演奏だった。トランペットソロは、プログラム掲載の首席の星野さんだろうか、一曲目のプロムナードのソロは、ハーセス顔負けの素晴らしい音だった。「こびと」の打楽器、「古城」のサキソフォーン、「チュイルリー」のアンサンブル、「ブィドロ」の重々しいチューバソロも見事。ナマでは結構粗が出るのではと心配した「殻をつけたひよこの踊り」とアンサンブルが難しそうな「リモージュの市場」も颯爽とこなし、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」でもミュート付きトランペットが疲れることなく甲高い声でしゃべっていた。「カタコンブ」は、ひっそりとした足取りで地下墓地を歩む姿の部分が緊張感があり、「ババ・ヤーガ」では、迫力満点の魔女の姿が描かれていた。「キエフの大門」は、さすがにいつも聴いているステレオイアフォンや、大きな音を出すのは控えざるを得ないステレオセットでは聴けない大音響を聴けカタルシスを得ることができた。この曲など、指揮台で指揮できれば、爽快な曲だろうといつも思っているが、つい手が動いてしまい、子どもに後から注意されたほどだった。

アンコールは、恒例の「ラデツキーマーチ」で、手拍子の演出もたくみに、子ども向けとは言え長丁場を無事聴き終えることができてほっとした。

なお、この午前の部か午後の部は、NHKBS11が収録することになっているとパンフレットにも書かれており、それらしいテレビカメラが二階席の両側で撮影していたようだった。オーケストラがフォルテの部分で、カメラマンたちがヘッドセットを使ってディレクター?と会話しているような声が耳に入ってきたのはいただけなかった。妻もその声には気がついたようで、誰かがラジオでもうっかりスイッチを入れたのかと思ったなどと言っていたので、結構大きい音だったのだろう。テレビ放映は楽しみだが、テレビのスタッフは少々注意不足ではなかったのではあるまいか?

まあ、こうして初のサントリーホール詣でも無事終わって、いつもは子どものための外出が多いが、自分も満足できる外出もやはり精神衛生上必要だと思った次第だ。とはいえ、比較的廉価なこのコンサートでも、そうおいそれとは来れないし、ましてや外来演奏家など最近の経済事情では相当難しいこともあり、高価なコンサートでなくてもいいから、それ用に貯金でもして、数ヶ月に一度くらいはナマの演奏を聴きに行きたいものだと思う。

追記:2008/10/09

日本フィルのホームページを見てみたところ、NHKBS11の収録ではなく、BSデジタル11という放送局の収録だったとのことだ。

番組名:BS11スペシャル「日本フィル ファミリーコンサート2008~音の展覧会~」
放送日(予定):2008年11月2日(日)14時~16時30分
■BS11の試聴方法はこちら

NHK衛星第2(アナログ)がBS11とも新聞のテレビ欄に書かれていたりするので、勘違いしてしまっていた。無料放送だというが、ディジタルチューナーがないので、今のところ見れない。残念。

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2007年9月20日 (木)

スイトナー/SKD モーツァルト後期交響曲集

Suitnermozart オットマール・スイトナー(スウィトナー)指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 モーツァルト 交響曲第33、34、39、40、41番 (徳間音工、ドイツ・シャルプラッテン)2枚組み 〔1974年-1975年、ドレスデン・ルカ教会〕定価2,000円(ブックオフ定価 500円) 


まったくの想像だが、スイトナーのドレスデンのボックス(10枚組み)を入手した人が、上記曲目が全て含まれている上に35,36,38番なども収録されているようなので、手放したものと思われる。

オケの響きは相変わらず美しい。特に、第40番の第2、3楽章では弦の静謐で透明な音楽にうっとりとしてしまった。

聴きなれた後期の三曲の交響曲をスイトナーの指揮で聴くと、これまでのスイトナーの印象とは少し違い、結構直線的で武骨な面も聞こえた。それを強く感じたのは、第41番のフィナーレ。非常に勢いがあり、ためを作ることもなくインテンポでグングン前に進む。有名なフガートもバリバリとした音楽になっている。

また、第40番の第1楽章もセルの特に東京ライヴのような柔軟さはあまりなく、生真面目できっちりとした楷書風の演奏だった。

聞きなれない曲の33番、34番も結構楽しめた。

スイトナーの音盤は、先に記事にした同じSKDとの『魔笛』のほかに、ベートーヴェンの『第9』がある程度。

しかし、N響の指揮者としてしばしば来日したおりには、FM放送などでよく聴けたものだった。

私が唯一N響の定期演奏会を聴いたのは、スイトナー指揮によるブルックナーの交響曲第8番の演奏だった。(多分このページに書かれている1986年の演奏会だったと思う12/17か12/18かはメモの記録がどこかに行ってしまい分からない。)

この生演奏が、それまで茫漠としていたブルックナーが急に面白くなったきっかけだった。教育出張かなにかの折、比較的早く宿に戻れた日に、新聞に出ていた演奏会案内を見つけ、当日券を電話予約で取った。初めて入ったNHKホールの舞台に向かって右側の最前列に近い席で音響バランスはあまりよくなかったが、身じろぎもせずに聞き入ってしまったのを思い出す。オーストリア出身でクレメンス・クラウスの薫陶を受け、主に東側で活躍した指揮者で、ブルックナー指揮者としてはそれほど名高いわけではないと思うが、ブルックナー初心者にも分かりやすい音楽で、雄大な音楽に包まれる感じを味わった。

スイトナーは、しかし、東独が消滅するのとほぼ時を同じくして、事実上の引退状態になって今に至っているようだ。

ヘルベルト・ケーゲルのようにピストル自殺を遂げた指揮者もいるし、クルト・マズアのように民主化・自由化の旗手として活躍した人物もいる。またザンデルリングのように、ソ連から戻り、東独で活躍し、西側でも最後の巨匠として名を成した人もおり、まだ自由化前の東独から亡命?して、西側のオケで活躍したテンシュテットのような人もいる。東西冷戦は、音楽界に東西の競争心を掻き立てる一方大きな爪あとも残した。スポーツ界では、ちょうど東ドイツを初めとする東側のステート・アマチュアが特にオリンピック競技で世界を席巻した時代があったが、音楽でも国家主導の下、西側への優位を使命として与えられて活動させられた人々が多かったのではないかと思う。それが、突然の壁の撤去により、精神の均衡が崩れる人がいたのも無理からぬことだった。

イデオロギー対立が世界規模では終結したと思えば、民族対立、そして今は文明の衝突とも言われる事態になっている。

スイトナーの活躍を思うにつれ、東ドイツという今は消滅してしまった共産主義国家の体制化での音楽活動というものを改めて考えざるを得なくなってしまった。今や、東西冷戦、鉄のカーテンの向こう側の記憶が薄れ、たとえば、当時のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによる録音や、これら多くの東ドイツ、チェコ・スロヴァキア、ポーランドなど東側諸国の音楽家の当時の状況を忘れての単純な演奏比較は、時代精神でもある演奏様式の違いの意識とともに、避けなければいけないことではあるのではあるまいか?

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2007年9月19日 (水)

エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル  2001年4月29日(日) みなとみらい大ホール

2001年に行ったリサイタルの感想文を若干編集して再度コピペ。

ピアノ版の『展覧会の絵』(リヒテルのソフィア・ライヴ)について書いていて、そういえば生演奏でこの曲を聴いたと思い出したので、検索が容易なように改めてアップする次第。

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みなとみらい大ホール 2001年4月29日(日)19:00開演

◎ピアノソナタ第1番(シューマン)
◎トッカータアダージョとフーガハ長調BWV564(バッハ/ブゾーニ)
◎展覧会の絵(ムソルグスキー)

相当以前のことだが、キーシン12歳の時のショパンのピアノ協奏曲第1番モスクワライヴのカセットテープを妻が友人から借りてきたので聞いたが、非の打ち所がない完璧な演奏に驚かされたものだった。

その後、キーシンファンになった妻が、小澤・ボストンとのラフマニノフの3番のCDを買ってきたのを聞いたのだが、あまり感心しなかった。だが、フィルアップされたカーネギーホールリサイタルライブからのラフマニノフやリストが素晴らしい演奏だった。コンチェルトの方の録音の音量設定レヴェルが低すぎるので、折角の演奏が十分味わえないのかも知れないと思う。

さて、リサイタルだが、子どもがまだ就学前なので、横浜に越してきてからは、コンサートには出かけられなかったが、みなとみらいの公演は託児室があり、妻と二人で聴くことができた。

もともと私自身はそれほど関心がなかったピアニストで、妻がリサイタル券を予約したので、少々気が重いと思いながらでかけた。それでも、元を取るために、それまで最後まで聴きとおせなかった難曲シューマンのピアノ・ソナタ第1番を手持ちのCD(アシュケナージ)で何度も聞いたり、ブゾーニ編曲のバッハは入手できなかったので、原曲のオルガン版(ビッグズ)を購入して聞いたりしてしっかり予習していった。

感想を一言で言うと、技巧も表現力も音楽性も安定性も一級品だった。特に凄まじいばかりのフォルティッシモでも音が割れず、複雑なパッセージでも音が濁らず、ピアニシモもよく通り、レガートも滑らかだった。メインプログラムの『展覧会の絵』では、よりレッジェーロでノンレガート的な軽やかさを求めたくなる部分もあったが、それは欲張りというものだったか?

アンコールを計8曲(5曲ほどで子どもを迎えに行ってしまったので)やったサービス精神も立派なエンターティナーである。いわゆる妙技も披露してくれた。

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6年も前のリサイタルなので、正確には覚えていないが、ホロヴィッツやリヒテルのライヴ録音に比べても、まったく技術的には遜色のない演奏だったと記憶している。しかし、彼等に共通する鬼気迫るような集中力や高揚感のような、少々羽目を外したとも言える感情的な解放はあまり感じられなかった。キーシンの演奏には、いい意味でのそのような人間的な部分が不足しているのかも知れない。ただ、そのメインプログラムに比べて、アンコールでの気分転換のようなサービス精神は、ピアノを弾くこと、聞いてもらうことが楽しくてたまらないという風情が感じられ、そのギャップに戸惑った。

このときに、リサイタルの感想でも書いたキーシン12歳のときのショパンの1,2番のCDを私が購入し、シューマンの幻想曲とリストの超絶技巧抜粋のCDを妻が購入して今も手元にある。

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2006年11月 9日 (木)

イエルク・デムスのシューベルティアーデ

"Demus_schubertiade Eine Schubertiade" シューベルティアーデ

シューベルト
1. 即興曲 ヘ短調Op.142-1
2. 同 変イ長調 Op.142-2
3. ピアノ小品 変ホ長調D.946
4. 即興曲 変イ長調Op.90-4
5. 同 変ロ長調Op.142-3
6. ハンガリーのメロディー ロ短調D.817
7. 楽興の時 ヘ短調Op.94-3
8. 同 嬰ハ短調Op.94-4
9. 「第一ワルツ集」Op.9 から12のワルツ
10.クッペルヴィーザーワルツ 変ト長調
11.「フランツ・シューベルトの祈り」
(詞:デムス、即興曲変ト長調Op.90-3による テナー:ゼーゲル・ファンデルステーネ)

イョルク(イエルク/イェルク)・デームス(デムス) Jörg Demus (ピアノ)
                    〔1993年録音 1913年製ニューヨークスタインウェイ使用〕

戦後、フリートリヒ・グルダ、パウル・バドゥラ=スコダとともに「ウィーン三羽烏」と称されたイエルク・デムス。グルダは、モーツァルト・ベートーヴェンを中心レパートリーにしながらジャズにも進出したが、最高のピアノ弾きとして君臨した。バドゥラ=スコダは、音楽学者として活動し、フォルテ・ピアノなどの演奏も手がけた。イエルク・デムスは、F=ディースカウと「詩人の恋」を録音、パツァークと「冬の旅」を録音、ウェストミンスター・レーベルにシューマンのピアノ四重奏曲、五重奏曲を録音など1960年代はバリバリの活躍をしていたし、バドゥラ=スコダとの連弾でも名声を博した。ただ、それぞれの道や資質は異なっており、ヴィーンゆかりのピアニストとしてひと括りにするのは乱暴だとは、吉田秀和氏の著書に書かれていた。

Demus_in_suzaka 1997年5月30日に彼の来日公演を聴く機会を得た。左の画像はリサイタルのチケットと、一緒に聴きに行った妻がリサイタル後に、上記のCDを購入しCDのブックレットにもらったデムス本人のサイン。

このときのデムスのプログラムのメインは、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番だった。彼の実演は、確かに左手は非常に怪しかったが、それでもあの難曲をハラハラさせながらも最後まで弾ききってくれた。(というのもプロのピアニストに対しては失礼な言い方だが)。

このリサイタルの前に、現在日本で編曲者・ピアノ演奏者として活躍している音楽家のポピュラーコンサートを同じホールで聞いたのだが、そのショパンなどの有名曲の演奏が、よく指は回るし音は綺麗なのだが、あまり心に伝わってこなかった経験を不思議に思っていた矢先だったので、それと比較して、デムスのピアノにはなんとも言えないメッセージが込められていたのを実感できたリサイタルだったことを思いだす。

これについて10年ほど前Nifty-serveというパソコン通信時代のFCLAというクラシック音楽の会議室にも投稿したことがある。

落語や戯曲の台詞を、意味や背景、様式を十分把握していない例えば来日した外国人のような人が日本語でそれなりの発音で流暢に話すのと、専門家の噺家や俳優がそれぞれのその人なりの癖のある語りぶりで話すのとでは、伝わる意味の内容や量が違うのではないかという仮定。それが、楽譜的には即物的に正しく確実に弾いた音楽(極端にはmidiの音楽)と、少々怪しいタッチでも様式や意味内容を十分踏まえた上で弾いた音楽との違いと同じようなものではないかと、書いたことがある。デムスの音楽には、ヴィーンを初めとしたヨーロッパで、多くの一流の音楽家たちの間で成長したピアニストの持つ音楽語というものはどういうものかを聞けたようなリサイタルだった。

学校教育でも伝達できるようにマニュアル化、組織化、グローバル化されている西洋クラシック音楽であり、音楽に国境はないとはよく言われることではあるが、例えば日本人があの相撲の拍子木の次第に間隔の短くなるリズムを特別な訓練がなくても見よう見真似で打てるのと違い、あのようなリズムの伝統のない西洋では、あれを楽譜に表すことも困難で、プロの打楽器奏者でも苦労するといことがある、という。また、蝉や鈴虫のような虫の音を聴く際に西洋人と日本人では、それを雑音と聴くか、意味のある音と聴くかという点で脳の使い方まで違うという有名な話があるが、洋の東西の音楽についての感性の差は以外に大きいものだとも言えるかも知れない。そういう考えは、西洋音楽を日本人である自分が聴くということについての懐疑にもつながり、なかなかつらいのだが。

このデムスのCDは、そのときのリサイタルの感慨を完全によみがえらせてくれるものではないが、味のある音楽を聴かせてくれる。大切なCDの一つだ。

1曲目の即興曲は、まさに「天国的な長さ」的な演奏。なお、10曲目の『クッペルヴィーザー・ワルツ』(Kupelwieser-walzer Ges-dur)は、シューベルトの友人クッペルヴィーザーの曾孫に口伝で伝えられたワルツをR.シュトラウスが採譜したものだという。

p.s. デムスが10月末に来日中ということで、コンサート記事を見つけてトラックバックを送らせてもらった。

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2006年6月11日 (日)

ソコロフのラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 

ツィメルマンのリストを聴き、それから彼のレパートリーとしては意外な「ラフマニノフ」の録音を聴いてみて、少々記憶がよみがえった演奏があった。

グレゴリー・ソコロフがソ連のオケと来日したときのラフマニノフだ。彼は、このときの紹介でも、チャイコフスキーコンクールを弱冠10代で制覇したと書かれていたが、そのような才能の持ち主が、なぜ(言っては悪いが)1991年の(ムラヴィンスキーが指揮した団体とは異なる)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の(またまた言っては悪いが)少々ドサ回り的な強行軍に同行してきたのだろうかと不思議に思った。コンクール後、スランプに陥ったか何かで、西側に名前が売れなかったのかも知れないとも考えた程度でソコロフについては、その当時はまったく知識がなかった。

その後、ソコロフのことを思い出すことはなかったが、最近、ネットであるピアニストのBLOGを読み、その人が非常にソコロフを高く評価していることを知った。ネットで検索してみても、一部では「最高」との評価を得ているようだ。パリでのリサイタルのDVDが発売されているようだし、CDも何枚か出ているようだ。

1991年の彼らのコンサートツアーは、このサイトの情報では、この通り。今から思うと、1991年8月にソ連が崩壊したばかりで、指揮者、楽団員、ソリストとも、以前に結ばれた契約に基づくとはいえ、非常に不安定な状況下での演奏だったのではないか。

長野県須坂市のメセナホールは、この年か前年に完成したばかりの、地方都市には贅沢なほどのホールだが、100人を超すフルオーケストラとピアノを舞台に並べると狭いほどで、また音響的に残響時間が長めなのが特徴なのだが、これだけのオケの大音量だと特にブラスの強奏では響きが飽和してしまい、少々聞き苦しくなることがあった。

このときソコロフではなく、1990年にチャイコフスキーコンクールで優勝したばかりの諏訪内晶子もソリストとして同行していたので、自分自身も諏訪内が来てくれればなどと思っていた。

さて、そのソコロフだが、丸々とした体型の40代の壮年のピアニストで、100人を超すような大オーケストラをバックにラフマニノフの2番という有名曲を演奏してくれたのだが、残念ながら正直あまり印象に残っていない。(そういえば、この曲、小林研一郎がモスクワフィルと長野に来演したとき、ダン・タイ・ソンがソリストで弾いたのだが、そのときもあまり印象に残らなかった。)

印象に残らないのは理由がある。実演で聴くこの曲は、録音とは異なり、ピアノの音が分厚いオケに埋没しがちで、そう細かい部分までは聞き取れない。だから、そういう意味では、ツィメルマンの録音のようにあれほど細かい音がちりばめられているのは実演では聞き取れるほうがまれだと思う。

とはいえ、ソコロフを実演で聴けたのは、今となっては貴重な体験だったかも知れない。


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1991年
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
(指揮者:アレクサンドル・ドミトリエフ)

12月11日:須坂メセナホール
ムソルグスキー/はげ山の一夜
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/グレゴリー・ソコロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

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2006年6月 8日 (木)

リスト ピアノ・ソナタ ツィメルマン

Liszt_zimermanリスト ピアノ曲集 ツィメルマン (DG POCG-1467 431 780-2) <1990年録音>

☆ピアノソナタ ロ短調、灰色の雲、夜、悲しみのゴンドラⅡ、葬送曲

自分のホームページからの引用。今宵も、昨夜から聴いているリストのピアノ曲集を。

1993.07.14(水)コメント:このところ、リストのピアノソナタが著名ピアニストの間でブームであるようで、ポリーニ、ポゴレリッチ、そして以前からリストのスペシャリストであるブレンデルもあいついでレコーディングをしている。このCDは5月のツィメルマンのリサイタル(長野県岡谷市 カノラホール ショパン ピアノソナタ第3番、ドビュッシー映像、シマノフスキ?)を聞いたあと、記念にと購入したもの。パンフレットにその素晴らしさがつづられていて興味を持った。以前にFMラジオをよく聞いていたころ何回か耳にしている曲だが、今回初めてじっくり耳を傾ける。7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。この曲は盛期ロマン派の産んだラプソディックかつ構成的な曲である。19:50からフガート的な部分に入る。リストの白髪の肖像が思い浮かぶ。25:00からのきらめくようなパッセージ。「灰色の雲」は本を読んでいるうちにうっかりとききのがすような静かな曲。「夜」には、ハンガリアン・ラプソディーの反響がきこえる。「悲しみのゴンドラ」はワーグナーの死と関係があるのだという。その意味で、ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章と兄弟のような関係。ブルックナーの方が美しいが。「葬送曲」は余りに有名なショパンと比較してしまう。レチタチティーヴォ風。ショパンの英雄ポロネーズのパロディーが後半に聞こえる。

結婚前の妻と一緒に聞きにいったリサイタルの日付があいまいになっていたのだが、長野県岡谷市のカノラホールのホームページを見つけて調べたところ、1993年5月16日(日)が クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル だったことが分かった。ドビュッシーの「映像」、ショパンのピアノソナタ3番、シマノフスキ?、何度も呼び出された末の最後のアンコールは誰とは知らない単純なスケールの練習曲のようでくつろいで弾いていたようだったが、このピアノの響きが絶品だった。

ちょうど今、クリスティアン・ツィメルマンが来日しており、今夕の夕刊に、岡田暁生氏による京都でのリサイタルの評論が掲載されていた。写真を見て驚いたが、ツィメルマンも風貌に年季が加わった。完璧主義は相変わらずらしい。今回もおそらく自ら調律したピアノを弾いたのだろう。モーツァルト10番、ベートーヴェン「悲愴」、ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」、ポーランドの女性作曲家のソナタ2番、アンコールにガーシュイン。

「細部の完璧さにこだわりなおかつそれを実現するがゆえにベートーヴェンやショパンではベルカント的な興に乗って一気呵成に奏でる音楽の魅力が損なわれたという」趣旨の評を読み、なるほどと思った。レガートで音をつなげて弾く能力など当然過ぎるほどもっているのだが、全体の流れを阻害しても敢えて彼は細部の明瞭さを求めてなのか(グールドほど極端ではないが)ノンレガート的に弾くように解釈する傾向があるように思える。

自分でも「7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。」のように感じたし、シューベルトの即興曲集でも同じような印象を持った。ただ、小澤とのラフマニノフの2番などは、逆にそのような細部へのこだわりが、曖昧模糊とした響きの曲かと思い込んでいたこの曲を、力技で見通しのよい響きの透明さを持つ楽曲に変えてくれてもいた。複雑な構成で、響きが濁り勝ちな曲ほど彼の力が発揮されるとも言える。

P.S. いつも迷うのだが、Zimerman のカタカナ表記はどれがポーランド語音に一番近いのだろうか? 私はツィメルマンを使っているがDGの表記はツィマーマンとなっているし、ジメルマンというのもある。英語風の読み方ではジマーマンもありそうだ。この件で、この「赤・白・緑 ハンガリー」というブログのコメント欄に参考になる書き込みを発見した。

マゼールも マーツェルとか呼ばれた時期もあったようだが。

6/16には 東京大学の安田講堂で、東京大学医学部の招きによりツィメルマンが演奏会とディスカッションを行うという情報がネットにあった。「ツィマーマン東大コンサートのおしらせ

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2006年6月 7日 (水)

リスト 超絶技巧練習曲集 抜粋 キーシン

Kissin_schumann_liszt

シューマン 幻想曲 ハ長調 Op,17
リスト 超絶技巧練習曲集より No.12 変ロ短調「雪かき」 No.11変ニ長調「夕べの調べ」 No.10 ヘ短調、No.5 変ロ長調 「鬼火」 No.8 ハ短調 「狩り」 1995年8月22日-25日 フライブルクでの録音

2001年4月29日に横浜のみなとみらいホールで、エフゲニー・キーシン リサイタルを聞いたおりに妻が購入したCD、これまでリストはまともに聴いたことがなかったが、昨夜のフジ子・ヘミングのリストの意味を確認するためにも、超絶技巧を持ち安定感のあるキーシンのリストを聴いてみた次第。

いずれも「超絶技巧練習曲」というだけあり、音の数がやたらに多くダイナミックも極端に幅広い曲が多い。胸苦しくなるほどのピアニズムを聞かせてくれる。ピアノも底鳴りがするほどよく響いている。テクニック、メカニックや音響的な面ではまったく間然とするところのない演奏であるが、聴いて何かが残ったかという、いつものリストのごとく、「あー、すごい音響ですね。それで何を言いたかったのですか?」という空虚が残されただけ。

リストは、少々瑕があっても楽譜通りの演奏より、フジ子の演奏の方が面白いように感じる。今晩も「泉のほとりで」「ます(シューベルトの歌曲をトランスクリプション)」、「ハンガリー狂詩曲第2番」を聞いたのだが、どれも面白かった。むしろキーシンのように洗練されるよりも、少々崩した方がリストは面白いのではなかろうか?

ハンガリー狂詩曲でも、生真面目にやられても内容の空虚さが浮き彫りになるだけだが、ストコフスキー張りに思い切りデフォルメするのは悪くないように思う。リスト自身、ピアノですべてを表現しつくそうと、清冽な「ます」までもきらびやかな衣装をまとわせてしまったほどの人物なのだから、必ずしもオリジナル偏重の必要はないのではなかろうか?

(ただ、今ツィメルマンの演奏で聞いている ピアノ・ソナタ のようなシリアスな曲もあるのだが)

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2006年6月 6日 (火)

フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」

Fujiko_campanella
帰宅時に最寄の本屋で「ピアニストの名盤―50人のヴィルトゥオーゾを聴く 」(平凡社新書 本間 ひろむ 著)という本を見かけ、ざっと立ち読みしてみた。CDで入手できる第一次大戦前後のE.フィッシャーあたりから現代のファジル・サイあたりまで50人のピアニストを概観した手引き書だが、めずらしく、日本のピアニストとしてフジ子・ヘミングが取り上げられていたのが興味深かった。リンクしたアマゾンのユーザー評では、これに異論を唱えている人もいるが、ミーハー的、ワイドショー的に取り上げられることが多いためか、いわゆる正統的な音楽評論の対象となることの少ないフジ子・ヘミングについて、綺羅星のごとき大ピアニスト、名ピアニストと並べてどのような紹介をしているかが興味があった。技術的な面での批判と、このようなピアニストがもてはやされるようになった日本の音楽市場の成熟?のようなことが書かれていた。

ちょうど推薦のCDが、長野でのリサイタルの記念に妻が買ったベストセラーCDだったので、今晩改めて聞いてみた。

曲目は、リストの7曲とショパンの3曲。リストには他の演奏のCDがないので、単独で聴くことになるのだが、ショパンは、ルービンシュタインとポリーニにリファレンスになってもらった。まずは、ショパンのエチュードOp.25-1,25-7をポリーニの有名なエチュード集から聴いてみた。その次にフジ子・ヘミングの演奏を聴いたのだが、フジ子の演奏の方が好みだと感じた。

「エオリアンハープ」と呼ばれるOp.25-1は、素朴なメロディーをアルペジオ風の細かい和音が彩る形の練習曲で、ポリーニはさすがにその細かいアルペジオを一点一画ゆるがせにせず楷書で演奏するのだが、メロディーラインの魅力はフジ子・ヘミングの方に軍配があがるように思う。また、Op.25-7はゆったりとしたレントのメランコリックな曲でチェロのソロがレチタティーボ的に語るような表現の幅の広い曲想だが、これもポリーニのは激情的な部分も極度の洗練で精密に弾けているという以上のものはあまり感じないが、フジ子・ヘミングの訥弁の方に訴えかける力を感じる。それに、音色はポリーニの国内盤の再発CDの音質があまりよくないのもあり、フジ子の録音の方がピアノの音の魅力を感じる。確かにピアニシモからフォルテシモまでのいわゆるピアノのダイナミックスの幅は狭いかも知れない。さすがに夜想曲Op9-2はルービンシュタインに軍配か?

私は、どうもピアニストの上手い下手というのがよく分からない(オーケストラもそうだが)ようで、ケンプの演奏が下手と言われても、少しの指のもつれが感じられるくらいなのを下手と言うのだろうかと思ったり、ハンマークラフィーアのあの複雑怪奇なフーガを明瞭に構成しているように聞こえるのだが、そういうのを幻想的で自由きままな演奏というなのだろうかと思ったりしている。だから、どうもフジ子・ヘミングの上手い下手もよく分からないのかも知れない。

リストは、有名な「ラ・カンパネラ」はよく聞くと、非常にたどたどしい演奏ではあるのだが、このいわゆるbravuraな曲を超絶技巧の持ち主といわれるピアニストの演奏で何度となく聴いたが、あまり急速に演奏するとピアノの鳴り方も充分でなく、音響的にも不満が出てしまい満足したことはほとんどなかったが、このユニークな「ラ・カンパネラ」は、単なるアクロバットではなく、きちんとしたメッセージをもった曲を聴いたという感想を持たせてくれるような気がする。他のリストの曲も、それまでリストは騒々しくつまらないと思い勝ちだったが、フジ子・ヘミングの演奏で初めて面白いと思った曲(小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ)もあるほどで、彼女のリストをもっと聴いてみたい気がする。

P.S. 2006/10/3  BLOG 今日の音色♪の ピアニストの論評♪ に コメント欄で付記した 青柳いづみこ氏の「フジ子ヘミング」の演奏への正面切っての評論について書かれているのをYAHOO BLOG検索で見つけて、トラックバックを送らせてもらった。

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2006年1月30日 (月)

2001年に聴いたリサイタル(ブレンデル)

アルフレート・ブレンデル
2001年11月2日(金)19時 横浜みなとみらいホール
◎ハイドン:ソナタ ト短調 Hob.XVI-44
◎モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
◎モーツァルト:ソナタ イ短調K.310
◎ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲 ハ短調

ブレンデルのディアベリ変奏曲の記事を読み、コメントさせてもらったが、そのリサイタルのメモを今更ながらだが、アップしておこうと思う。

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いわゆる一線級のプロフェッショナルのピアニストのリサイタルを聞いたことはあまりない。このブレンデルは数少ない経験の中の一つだ。(数少ないが、ツィメルマンがダントツに素晴らしかった。デムスは面白かった。また、キーシンは見事だった。)

ブレンデルは、私が盛んに音楽を聞き始めた高校生の頃、次々に録音を発表して、日本の批評界でも非常に評価の高いピアニストだった。知的であり、音色は美しく、「ピアニストが最も注目しているピアニスト」という評を読んだことがある。ベートーヴェンのソナタ、モーツァルトのピアノ協奏曲、シューベルトのソナタをレパートリーの三本柱として君臨し、吉田秀和氏もブレンデルのモーツァルトのピアノ協奏曲をエスプレッシーヴォのピアニストとして好意的に評論していた。

ブレンデルのベートーヴェンを聞く機会はあまりなかったが、シューベルトのソナタ21、「さすらい人」幻想曲、マリナーと入れたモーツァルトのピアノ協奏曲集は座右のCDだった。

ブレンデルは何度も来日しているが、2001年で何度目になったのだろうか?90年代にはブレンデルについての音楽界の評価も70年代、80年代からは相当落ち着いてしまい、むしろ発見がないピアニストというマイナスイメージを持たれていたように思う。2001年に来日して横浜で聞けるという話があっても、自分としてはあまり聴きたいとは思わなかったのだが、4月に聴いたキーシンのリサイタルに感激していた妻が、コンサート案内で先行申込をしてチケットを入手していたので、会社帰りに待ち合わせて聴きに行った。(子ども達はまだ未就学だったので、託児室に預かってもらった)

プログラムの期待は、なんと言っても難曲の「ディアベリ」変奏曲。いわゆる晩年の少々誇大妄想的なベートーヴェンの一連の曲の一つで、「ミサ・ソレムニス」、弦楽四重奏のための「大フーガ」や「第九」「ハンマークラフィーア」ソナタなどと同じ系譜に属するように思う。

この作品は、CDではアラウの晩年の録音のものを所有していた。高名な作品ではあるが、あまり聴く機会もなかったため、知識欲が優先した「お勉強」のために求めたものだったが、いざ聴いてみると、いわゆるピアノ譜や詳細な解説を参照せずに全曲を聞き通すのは非常に大変な曲だということが分かった。何度挑戦しても最後まで集中力を保つことができず、途中で止めてしまったり、居眠りしてしまったり、どうしても最後まで行き着けない。ブルックナーやマーラーの大交響曲などで1時間を越える器楽曲には慣れているし、ピアノ独奏曲でも、ハンマークラフィーアやシューベルトの大ソナタなどでも集中力が途切れることはあまりない。ましてや、めまぐるしく楽想が変わる変奏曲はむしろ飽き難い作品のはずだ。どうしてこうなるのだろうか。(この曲をネット検索すると、ベテランリスナーにして、結構最後まで聴き通せないという率直な感想が多いようだ。)

しかし、貧乏根性を発揮して、このリサイタルのブレンデルの演奏を味わい尽くすためにも、という気持ちで、アラウのCDを何度となく聞くうちに、次第にそれぞれの変奏を聞き分けられるようになってきた。

聴衆は、広いみなとみらいホールがほぼ満員の盛況だった(ように思う)。子ども達を預けに行くと、横浜在住の外国人の子どもも数人いた。いまだに西洋人にしてみれば、日本人がこのようにかの国の音楽を愛好し、その名匠の演奏会に詰め掛けるのは奇異には思わないだろうか、感想を聞いてみたいものだなどと考えたりもした。

プログラムは、シューベルトはないが、いわゆるヴィーン古典派の三巨匠の作品を時代順にまとめたもの。ハイドンには珍しい短調のソナタ。モーツァルトも短調作品で、未完のニ短調のファンタジー、そして傑作イ短調ソナタ。ハイドンのソナタには疎いので初めて聞くようなものだったためあまり印象が残っていないが、モーツァルトのファンタジーとソナタは、正統派ブレンデルとはまったくスタイルの違う個性派グールドの録音で早くから親しんできたもの。また、ソナタは、ブレンデルと同じく東欧出身のルーマニア人リパッティの名演奏(のエアチェックテープ)で長らく聴いてきた。グールドやリパッティの低音部の軽い疾走するような演奏に比較して、ブレンデルの実演はより身振りの大きいもので、ピアノ協奏曲で親しんだ透明な音色よりも丸みを帯びたやや不透明な音色だったが、じっくりと聴かせる演奏だった。

休憩の後はメインプログラム、ディアベリ変奏曲。50分はかかるこの長大で複雑な曲をリサイタルで聞かせる力量は、このような巨匠でなくては持ち得ないものだろう。私では、順番さえ覚えきれない。しかし、ブレンデルはもちろん楽譜も持たずに、身一つで登場し、おもむろに椅子に座り、また無造作に少々滑稽なディアベリによるワルツのテーマを弾きだす。アラウの録音は、変奏曲間の間は、録音技師により設定されたものだろうが、実演では変奏の間はブレンデル自身のもので、意外に思えるほど間を空けて弾いたように記憶している。

予習の効果のせいか、実演にのめりこめたせいか、ブレンデルの演奏が素晴らしかったせいだろうが、この長大な曲を最後までほとんど飽きることなく聞きとおすことができたのは、うれしかった。このピアノ曲は、それこそベートーヴェンが陳腐なディアベリの主題をもとに、自らの作曲技法、演奏技法の全てを投入したもので、中ではほとんどバッハのフーガかと思うような対位法的な変奏もあれば、スケルツァンドな哄笑もあり、瞑想的な楽章もある。シューマンの謝肉祭は、短いモチーフを基本にしたいわゆる小曲集だが、そのようなものの先取りとして捉えれば、この破天荒さが理解できるような気もした。当時のベートーヴェンとしては遺言のつもりはなかっだろうが、それまでの集大成的な作品だったという自負はあっただろう。そのようなことを思わせるリサイタルだった。
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