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2014年11月26日 (水)

第5回音楽大学オーケストラフェスティバル 第2日 ミューザ川崎

11/24(月・勤労感謝の日の振替え休日)

第5回 音楽大学オーケストラフェスティバル ミューザ川崎シンフォニーホール 15:00開演。全席指定。1000円。(終演 18:00頃)

上野学園大学 指揮:下野竜也
武蔵野音楽大学 指揮:時任康文
洗足学園音楽大学 指揮: 秋山和慶

9月頃の新聞の夕刊の広告に掲載されていたのを見つけ、全席指定1000円は安いし、指揮者陣は日本の一流クラスなので超お得ということもあり、7月のミューザ川崎のコンサートが楽しめたので、長男と行く約束をしていた。11月初めに最寄りのローソンチケットでチケットを購入しようとしたら、11/16(日)の東京藝大の回は売り切れ(その後、ミューザ川崎のHPで見るとローソンに回した分が売り切れで、舞台後方のP席などは未だ購入可能だったらしい。)で、今回の11/24の回が一階席ブロックが空いていたので、予約したところ、なんと舞台から2列目のこれまでほとんど経験したことのないような前の席が予約されてしまった。その後、妻も都合がつくので行きたいということになり、後日申し込んだところ、これも2列目の少し離れた席になった。

川崎駅前は、私たちがこちらに引っ越してきたから再開発が進み、かつての工業都市の玄関の面影がすっかり消えてしまい、都会的なショッピングモールやミューザの入っているようなオフィスビル、高層マンション群がそびえる、近代的で整然とした街並みになっている。

晩秋とはいえ、小春日和に恵まれた三連休の三日目で、前夜の長野県北部の地震の余震の心配はあったが、いそいそと約1時間を掛けて川崎駅に向かった。ミューザでは、この音大オケのフェスティバル以外にも、モントルージャズフェスティバルの日本版?がこの日あたりからスタートしていて、ホール入口の歩道のコンコースでは、野外ライブも行われていたりした。

14時半頃、ホールのロビーに入場したが、ホール内への入場は何かの都合があったらしくしばらく差し止められていた。多分リハーサルが長引いたのではなかろうか?見回してみると聴衆は、前回と同じく悠悠自適の年金層の60代、70代の音楽好きらしい男性が比較的目につき、そのほか音大の関係者や音大生の家族や友人と見受けられる人達も多かった。

1階の指定席は、まさにステージの際から2mもないほどの近接さで、ミューザのステージは30cmの段差もないほどの低さなので、ほとんど指揮者が聴くのと大差ない音響を聴くことができるようで、わくわくしながらオーケストラの登場を待った。

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場内アナウンスが「このフェスティバルは各大学間の交流と協力を目的としています。その一環として、各大学の演奏の前には共演校からのエールを込めたファンファーレの演奏があります。」と聴衆に紹介していたように、各大学の演奏前に、今回の出演大学の学生が作曲しその大学の学生が演奏するファンファーレが、他の出演大学の演奏の前にエールとして演奏されたが、ステージ最前列に、ずらりと横一列に金管アンサンブルが整列し、喨々とファンファーレを吹き鳴らしてくれたのには驚いた。金管の音のエネルギーというのは、オケで金管の前に座る木管などの奏者が難聴になる恐れがあり、その対策のため、木管奏者の椅子の背もたれ部分に小さい遮音装置を付けたり、奏者自ら耳栓をするなどの話を聞いたり見たりしていたが、約2mの近距離で吹き鳴らされる音は物凄い迫力だった。

さて、トップバッターは、読売日響の常任を務めていたこともあり、時折深夜に日本テレビで放送される読響シンフォニックライブでも数多く登場しその指揮ぶりに馴染んでいる下野竜也氏と上野学園。上野学園は、第五回目の今回が初出演ということだ。

下野氏の録音は、日本人指揮者としては我ながら珍しく、大阪フィルとのブルックナーの0番のCDを保有している。薩摩隼人らしい肝の据わった感じと、エネルギッシュさと、ブザンソンで優勝したほどの繊細精巧流麗な指揮技術の持ち主という印象を持っていたが、まさにかぶりつきの直後の席なので、指揮台なしのステージを大きく使ったその指揮ぶりは見ごたえがあった。近い席だと指揮者や奏者のブレスまでが聞き取れる。極小編成で極短いヴェーベルン(ウェーベルン)の作品10の5曲。ヴェーベルンのオーケストラ曲と言えば、30年ほど前に小澤/ボストン響の来日公演のバルトークのオケコンをメインにしたプロの第1曲目で聴いたことがあったが、作品番号は何番だったか。あの時は、上野の文化会館のステージからは遠い席で、ポツンポツンと鳴らされる音響を遠くから眺めるような感じだった。その後、カラヤン/BPOの新ウィーン楽派曲集などでその独特の音楽には多少馴染んだ(Op. 10は収録なし)が、無調で、さらにこのような室内楽ともいえるほどの小編成のミニマル的な音楽は、今回のような生演奏で、それも演奏者に近い席で聴く方が楽しめるようだ。その楽しみだが、いわゆるメロディーや和声を愉しむような通念としての「音楽」としての受容ではなく、楽器が発する様々な短い動機的な楽音の交錯と、休符や楽曲の間による楽音のホールに消えていくさまや、ホール全体が静けさに包まれる瞬間の緊張感のような一体感が感じられるというものだ。

このほかの新ウィーン楽派の作品の生の体験では、ベルクの弦楽四重奏による「抒情組曲」を、昔仙台にいた頃にあのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の仙台公演で聴いたことがあるのだが、今聞けばどうか分からないが、不協和音の連続に麻痺してしまい、耳には音が入ってくるのだが、別のことが脳裏に浮かぶような状態だったことを思い出すが、それとはまったく正反対の聴体験だった。

2曲目のモーツァルトのハフナー交響曲は、あまりにも馴染の曲だが、生で聴いたのは初めてだったと思う。練習の成果か、アンサンブルもきっちりと揃っており、若きモーツァルトの思わず駆け出してしまうような楽想の溌剌とした魅力が楽しめる演奏だった。下野氏の指揮は、躍動的で、全身で音楽を表現し、思わず見とれ、聴きほれてしまった。音響的には、目の前に位置していた低弦(チェロ、コントラバス)のボリュームが小さ目だったのが気になった。これは席の特徴なのか、指揮者の解釈なのか、オーケストラの特徴なのかははっきり区別が付かなかったが、少々物足りなく思った点だった。いわゆる響きのベースとしての量感が不足気味だった。(補記 当日プログラムに書き入れたメモより:ティンパニがよく鳴っていて格好良かった。音色的には近年一般化してきたピリオド演奏的な少々硬めの音だったが、キビキビしていて全体を引き締めていた。)

席のことだが、ホールのセンターだが、ステージに向かってやや右側で、弦楽器の前列はよく見えるが、その後ろになるひな壇上の管楽器や打楽器奏者の姿はほとんど見えない。

第2団体目は、時任康文氏と武蔵野音楽大学によるバルトークの管弦楽のための協奏曲(通称、オケコン)。若い頃に何度も聴き、聴き比べて親しんだ曲。FM放送のエアチェックでも様々な指揮者、オケのものを集め、その後CD時代になっても初演者のクーセヴィツキーとボストン響の歴史的録音など数種類がいつの間にか集まっている好きな曲の一つ。前述したように、小澤とボストン響というコンビによる生で聴いたことのある曲とはいえ、最近は聞く機会が減っていた。

素人的な事前予想では、果たして膨大な協奏曲的な難しいソロやデュエットが含まれ、変拍子の箇所や、カノン、フガート的なアンサンブル上相当難しそうな箇所を含み、なおかつバルトーク的な緊張度を保ち、夜の音楽の静寂さ・神秘さを対比させ、野蛮と洗練を合せ持つような演奏が、音楽大学オーケストラに期待していいのだろうか、という少々意地の悪いことを危惧していたが、誠に見事な演奏だった。時任氏は寡聞にしてマスメディアを通じてはこれまで知ることは無かった人だったが、手際よくこの難曲を捌き、もし自分が奏者だったとしても演奏しやすいだろうな、と思わせてくれるような指揮ぶりだった。20世紀のモダンのフルオーケストラの大編成ということもあり、今度は低弦部の響きも物足りなさはなかった。難しい「対の遊び」でのデュエットには生ならではの微かな瑕瑾はあったが、全体的には申し分なく、また、中断された間奏曲での、ショスタコービチとメリー・ウィードウに淵源のあるという「愉快なテーマ」とそれに対する哄笑は、非常にビビッドな表現だったし、あのライナー/シカゴ響の名盤でもよく揃っていないフィナーレの冒頭の精密な弦楽器の刻み(この部分はセル/クリーヴランド管がダントツ)は、素晴らしく訓練されていたりして、とても満足のいく演奏だった。(なお、弦楽器の奏者の中には、大学の先生と思われる年代の奏者の方も交じっていたのは、それだけ難しい曲だということか、それともそのような伝統なのだろうか。)

第3団体目は、名指揮者、秋山和慶氏による洗足学園音楽大学によるレスピーギの「ローマの泉」と「ローマの松」。ステージ一杯のマンモスオーケストラは、見るだけで壮観だった。これも、20世紀のオーケストラピースとしてオーディオ的にも人気のある曲で、やはり若い頃には耳にすることが多かった。トスカニーニとNBC響による規範的なリファレンス録音がある曲で、比較的近年ではソ連の指揮者スヴェトラーノフによる爆演が話題になった曲でもあり、古くはオーマンディやムーティによるフィラデルフィア盤や、ライナー/シカゴ響で楽しんだものだが、生演奏としては初めて聞くものだった。秋山氏の指揮による演奏には、以前北海道旅行の折、新聞記事を読み立ち寄った北海道道知事公舎での札幌交響楽団の野外コンサートで触れたことがあるが、齋藤秀雄門下の名匠として、テレビ、ラジオなどでも触れる機会が多い人ではある。サイトウキネンオケの立ち上げでは、秋山氏も主導者の一人だったが、それがいつの間にやら「オザワキネン」になってしまった現状に疑問を感じている音楽ファンもいるのではなかろうか。閑話休題。

総白髪の紳士然とした佇まいで、にこやかな笑みを湛えて登場。この柔和な表情には、奏者は安心感を抱くだろうし、リスナーの側もその雰囲気に包まれる。イアフォンでのリスニングが専らになってしまった昨今、このような大オーケストラによる楽曲を聴くにしても、大音量で聴くことが少なくなっているし、さらに華麗で親しみやすく覚えやすいメロディーや音型にあふれているこのようなショウピース的なオーケストラ人気曲は、かえって途中で飽きてしまうことが多いのだが、前回このホールで聴いた「シェエラザード」もそうだったが、実演に接すると、あまりの面白さに集中力が途切れなかった。「泉」も「松」もメディチ荘だの、トレヴィの泉だの、ボルゲーゼ荘だの、アッピア街道くらいしか覚えておらず、交響詩の題名はうろ覚えだが、情景が極彩色で目に浮かぶようで、オーディオで聴いている音響が写りがそれほどよくない写真葉書だとすると、実演の鮮明で情報量が多く、ダイナミックレンジも無限に広い演奏は、まさに実景を味わっているようなもので、これはこの一連のコンサートの締めとして計画されていたのだろうが、アッピア街道の松でのローマ軍団の大行進の強烈なクレッシェンドは、圧巻で、最後のフォルティッシモ?が鳴り終わったあとの残響とともに、終演後は万雷の拍手とブラボーだった。そうそう、ジャニコロの松のナイチンゲールの鳴き声は、どうするのだろうと思っていたが、打楽器奏者?が録音の音源を流していて、上手くはまっていた。ただ、レスピーギの時代はミュージックコンクレートの走り的でそれも珍しくて話題を呼んだのだろうが、人口音響が氾濫している現代ではその意義はどのようなものだろうかとも思い、再現芸術としての音楽の難しさに改めて思いを馳せたのだった。

総じて、音大に入れるだけの技量を備えてその後訓練を積んだ若さ溢れる音大生のオーケストラが、一線級の指揮者によって、ここ一番の全力投球で奏でてくれる音楽は、やはりすがすがしかった。そして十分に聴き応えがあった。青春の息吹というものは、それだけ貴重な瞬間だ。

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2014年9月 2日 (火)

小学館 モーツァルト全集のCDを夏の帰省時に持ち帰った

初秋を知らせてはくれるが、少々煩いアオマツムシが樹上で鳴き始めた。熱帯性のデング熱の感染が日本でも確認されたことがニュースになっているが、同じく熱帯性のアオマツムシはすっかり亜熱帯の南関東の風物詩になってしまっている。

1991年のモーツァルト没後200周年を記念して発刊された小学館のモーツァルト全集15巻+別巻(CD190枚組)。オランダのPhilips社のCDによる Complete Mozart Edition (こちらは180枚組。おそらく小学館の10枚はモーツァルと以外の作曲家の作品10枚分が多いのだろう)をベースにして、モーツァルト学者の海老澤敏氏を中心とした著者陣が生涯、作品論、18世紀の文化・世相などを記述・論述した浩瀚な書籍が全16巻にも上るもので、各冊が美麗なハード函の中に納められている。CDは最大4枚入りの通常のCDケース2個が薄目のカートンに入り、そのカートンが縦置きで2個ずつ(1函にケース4個で、CD最大16枚収納)が書籍に並んで収納できるようになっていて、その書籍とCDを同梱した函の厚みが各巻10cmほどある。すべて横に並べると横幅が160cmにもならんとする。

就職してからある程度経験を積んだ年齢にもなり、全巻予約すれば、分売よりも数万円も安く買えるというので、数年の刊行期間の間に転勤になったときのことも書店で相談に載ってもらい(ただ、今思えば覚書などは交わさなかった)、一括払いで購入したものだった。当時はまだ独身寮生活だったので、それなりに自由になる金銭があったので、このようなまさに言葉通り、趣味のための贅沢な買い物ができたのだが、結婚後や育児期間中では無理だっただろう。ただ、別巻(モーツァルトとその周辺)は、全巻完結後の分売だったはずで、無理して買ったような記憶がある。(結婚後に同じく発売された小学館のバッハ全集は、管弦楽・協奏曲の巻を妻がプレゼントしてくれたのだが、さすがに他の巻は買えなかったし、講談社のベートーヴェン全集はカタログを見ただけだった。)

それ以来、2000年に現在の住居に引っ越す際に、学生時代から独身時代にかけての多くの書籍類と一緒に実家に置かせてもらったまま、時折帰省したときにつまみ聞きをしただけで、「モーツァルト」本を読んだ際に、手持ちのCDコレクションにその曲が無いと、全集があれば聴けるのになどと思うことがままあった。

既にiTunesでHDDに取り込んでの音楽鑑賞に慣れてから10年近く経過していたこともあり、以前にはPCとHDDを持ち帰り、時間のあるときに実家に行ってPCリッピングをしようかというアイデアがあった。今回はクルマで帰省するので、書籍ごと15冊全て持ち帰ることも考えたが、ただでさえ物が溢れていて片付かない集合住宅では置く場所も無い。せっせとテレビ番組をBDにダビングしているが、その時に使っているBDを入れる書籍型のケースのことを思い浮かび、96枚入りを2冊購入し、すべてCDケースから移し替えて持ち帰ってきた。

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現在、48枚をiTunesでリッピングしたところ。

併せて、実家に置いてあったオカールの「モーツァルト」、同「比類なきモーツァルト」、井上太郎の「モーツァルトのいる部屋」、「わが友モーツァルト」を持ち帰った。A.アイシュタインと海老澤敏の似た装丁の大冊2冊は置いてきた。

オカールの2冊もちょうど1991年頃に買ったもので、当時は少々小難しく、ざっと読んだだけだったが、今回改めて読み直してみると、さすがに読み応えがある。とはいえ、「比類なき・・・」は独特の用語(フランス語の原書で使われている重要な概念を表す術語に、日本語として対応するこなれた言葉が無かったのかも知れない)が多く用いられ、まだ隔靴掻痒的な感じは残った。

さて、「全集」の詳細は以下の通り。

「全集」でもなければ聴く機会のほとんどない、第2巻、第3巻は今のところ、ことに興味をそそられ面白いが、古くはブレンデルとマリナーのピアノ協奏曲全集を購入(これはこの「全集」を購入後、友人にプレゼントした)して楽しんだことのあるウィーン時代初期(1782-1784年)の11番から19番の協奏曲(K.413-K.459) が懐かしい。特に11番から16番は久しぶりに聴いた。モーツァルトが、「音楽の玄人にも素人にもその人なりに楽しめる」ように書いたと手紙で父に知らせ、自作自演でウィーンで大人気を博した曲だが、20年ほど経過した後で、久しぶりに聴いてもとても楽しい。

(CD1~12) /モーツァルト全集1 交響曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110019

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(CD13~24) /モーツァルト全集2 セレナード、ディヴェルティメント
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110027

(CD25~36) /モーツァルト全集3 管楽セレナード、管楽ディヴェルティメント、舞曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110035

(CD37~48) /モーツァルト全集4 ピアノ協奏曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110043

(CD49~60) /モーツァルト全集5 ヴァイオリン協奏曲、管楽のための協奏曲、管楽のための室内楽曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110051

(CD61~73) /モーツァルト全集6 弦楽のための室内楽曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:409611006X

(CD74~85) /モーツァルト全集7 ピアノをともなう室内楽曲、ヴァイオリン・ソナタ
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110078

(CD86~97) /モーツァルト全集8 ピアノ曲
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110086

(CD98~108) /モーツァルト全集9 宗教音楽〈1〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110094

(CD109~119) /モーツァルト全集10 宗教音楽〈2〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110108

(CD120~130) /モーツァルト全集11 オペラ〈1〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110116

(CD131~141) /モーツァルト全集12 オペラ〈2〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110124

(CD142~153) /モーツァルト全集13 オペラ〈3〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110132

(CD154~165) /モーツァルト全集14 オペラ〈4〉
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110140

(CD166~178) /モーツァルト全集15 コンサート・アリア、歌曲他
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110159

(CD179~190) /モーツァルト全集 別巻 モーツァルトとその周辺
著者名:海老沢敏 監修:エリック・スミス
出版社:小学館  ISBN:4096110167

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2014/9/22追記
The Compact Complete Mozart Edition (デッカのサイト)を発見した。

各トラックデータに録音データ、演奏者等が詳しく掲載されている、優れもの。

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2014年7月19日 (土)

超人的な能力をもった音楽家マゼールが逝去

享年は84歳だったというのだが、最近まで続いていた旺盛な活動とエネルギッシュな容貌からまだまだ活躍してくれるだろうと思っていたので、相当驚いた。

これだけ著名で楽壇狭しと大活躍した大指揮者なのだが、なぜかとりとめの無い印象がある。そのため、熱心に聴いたわけでもなく、とりわけファンだったのでもなかった。

自分のブログ記事やiTunesライブラリを検索すると、マゼールのものは結構ヒットするのだが、協奏曲の指揮が圧倒的に多い(*)。

ただ、映像ではロージー監督による「ドン・ジョヴァンニ」「カルメン」があり、どちらも面白かった。

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この指揮者で、特に印象に残ったのは、数年前にNHK響に初客演したときに放送された映像だった。これを視聴し、N響がくらいついて必死に演奏しているのを見て、やはりすごい指揮者だと思ったことを思い出す。

その天才ぶりは幼少の頃から発揮され、天寿を全うするまで続いていたのだが、当たり前のように高水準の演奏・録音を行っていると、そのすごさが隠れてしまうという側面もあったのだろうが、高水準ではあっても、心の芯にまで食い入ってくるような印象が少なかったように思う。 音楽誌などでは「曲者」という評が印象に残っているが、ほとんどそのようには感じなかった。そういう意味では高度の才能のあるアルチザン(職人)ではあっても、内部的な破綻や矛盾などを抱えて何が何でも自己を表現し尽くさなければ生きていけないような芸術家気質ではなかったのかも知れない、などと素人的には思ったりもする。

縁といえば、先日7/13のコンサートでは、休憩時間にマゼールと因縁のあったベルリンフィルによる「シェエラザード」も売られていた。これは初出盤が出た当時の3500円のフルプライスで入手したものだったので、リーフレットデザインで覚えていて、長男とマゼールのCDが売られていたと話したものだった。

マゼールの業績で、唯一無二と言ったら何になるだろうか?自分の好みでは、ヴァーグナーの「指環」の管弦楽編曲版の自作自演だろうか?

長年のご活躍に敬意を表し、ご冥福を祈りたい。

参考:2008年9月28日 (日)くさくさした気分だがなぜか面白いマゼールの指揮

2008年2月 2日 (土)マタチッチの『シェヘラザード』

(*)コーガン、ギレリス、アシュケナージ、ヨーヨー・マ

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2014年7月13日 (日)

初ミューザ川崎シンフォニーホール

7月13日(日)14時開演。指揮者:ユベール・スダーン、ピアニスト:イリヤ・ラシュコフスキー 、管弦楽:東京交響楽団。 (名曲全集第99回

曲目:ムソルグスキー「モスクワ川の夜明け」、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」

2004年開館で、今年満十周年になる音楽専用ホールだが、これまで開館直後に見物に行ったことがあったが、2011年の大震災でホールの天井が落下(手抜き工事の疑いがあったという)し、その後改修工事が進められ、ようやく最近(昨年4月に)再開館した。

長男の誕生日プレゼントでその日前後のN響や新日フィルなどのコンサートがいくつか候補に挙がっていた。ミューザ川崎に興味があったこともあり、1曲目を除いて有名曲過ぎるプログラムだし、ピアノ協奏曲は2年前聞いた曲だということはあったが、チケットもローソンで取得でき、聞きにいってきた。R0014595_2

予約できた席は2階席で、舞台正面客席側から見ると右手(いわゆる上手)の奥側、つまり舞台を右袖上部から見下ろすような席だった。以前別のホールの同じような二階桟敷席でツィメルマンのリサイタルを聴いたときに、音は上に昇ってくるという性格が実感できて、音の素晴らしさが堪能できた経験もあったが、それでも初ホールではどのような音が聴けるか少々不安だった。

管弦楽、協奏曲、ホールの響きを満喫できた。

オランダ出身の指揮者スダーンは、東京交響楽団の音楽監督を長らく務め、近年名誉指揮者に退いたそうだが、いわゆる手兵だけのことはあり、指揮とオケともまったく遺漏が無いほどの安定感で、前回聴いたプロオケの神奈川フィルとは違い、ヒヤヒヤしながら聴くような精神衛生に悪い聴き方をしないで済んだ。それに加えて、若手の生きのいい男性ピアニストとの協奏、競奏が凄かった。やせ形長身イケメンピアニストだが、馬力は凄く、猪突猛進的な速いテンポを取る箇所もあったが、オーケストラとの齟齬が生まれることはなく、一体となった音楽は凄かった。

スダーンは、とても知的な指揮者らしく、ラプソディックにやろうとすればそうできるピアノ協奏曲を、折り目正しく形式を明らかにしていたし、ピアニストもその土台の上に乗っての驀進だったので、破たんも無かったのだろうと思われる。難所と思われるピアノとオーケストラによるフガートの部分では、アンサンブル的な要素がピアニスト、指揮者、オーケストラから感じられた。正面から鑑賞するだけでは分からないが、側面から見ると、指揮者と楽員特に木管、金管、打楽器奏者との距離は結構あり、そこで指揮者は身振り手振りと視線で奏者と会話し、奏者もそれに応え、また奏者間での楽想の受渡しなども目に入ってくるのが面白い経験だった。

「シェエラザード」は、いい言葉ではないが、「通俗名曲」として遇されることの多い曲で、ディスクでもそれなりに聞いてきてはいるが、少し食傷気味であり、新たな発見などないような印象をいだいてい今にいたっているが、今回初めて聴いた実演によって、意外に「深い」音楽なのかなという印象を持った。

PCでのデータ再生などのとても安易なリスニングでは、途中で飽きれば停めてしまうようなことが当たり前で、若いころに「入門曲」として聞いたような「名曲」はライブラリに入っていてもあまり熱心に聴くこともなくなっているのだが、こうして自前でお金を払ってのコンサートでは、周囲のリスナーたちにも気を遣いながら、最後まで集中して聴くことが常なので、聴きなれたと思い込んでいる曲の意外な魅力を発見することもあるように思う。ソリスティックな楽器の扱いはもとよりアンサンブルにもリズムや楽想の変化が激しく、相当の練度が求められる曲であり、なかなかの難曲だと感じた。

以下素人考えの開陳で気が引けるが、この交響組曲は、作曲者は交響曲として聞かれることも想定していたとはいえ、「動機労作」のような楽想の「展開」が乏しいように感じる。そのため、構成がやや平板で、聞き飽きるのではないかと思うのだが、集中して聴くと、主要モチーフのシャリアール王とシェエラザード以外のモチーフも引用、再現が行われ、終楽章では複合的に組み合わされ、大団円と穏やかな終結を迎える。

千一夜の「うたかたの夢」が豪奢な絨毯や宮殿、波瀾万丈の物語などをちりばめながら、虚空に消え去っていくようなイリュージョンを見せられるかのようだった。

リムスキー=コルサコフが、どれだけエンターテイメント性と芸術性について意図したのかはよくは知らないが、華麗な音の絵巻とだけ評して敬遠するだけがこの曲への接し方ではないように思えた。

コンサートマスターは、名物コンミスの大谷さんではなく、若手の男性だった。シェエラザードのソロは美しかった。ホールトーンがとても効いていた。コンサートマスター的にも微妙な音程が難しいソロとアンサンブルの要として、なかなか大変な曲だっただろうと思う。

公演は、土日などの休日に行われるマチネーコンサートで、「名曲全集」というシリーズ。チケットは当日売り無しのほどの盛況で、ほぼ完売だった模様。客席も9割以上埋まっていた。客層は、いわゆる退職後の世代と思われる60歳以上と見受けられる男女が多く見受けられた。客層の特徴は、今回の「名曲」過ぎる名曲プログラムの影響なのかも知れないとは思ったが、もしかすると近年の中高年が豊かな生活を送り、若年層が貧困にあえぐようなこの国の現状を象徴するものかも知れないなどと、ふと思った。

ミューザ川崎は、川崎駅の西口ロータリーに面したビル内にあり、アクセスが非常に便利だ。駅の改札口からホール入口までゆっくり移動しても10分もかからないほどなので、平日の19時開演でも、会社の定時を終わってからかけつけても何とか間に合う。横浜のみなとみらいホールも、東横線直通ができたので、アクセスはよくなったが、ミューザもほとんど同じくらいの利便性だということが分かった。

(2014/7/14追記・修正)

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2013年10月14日 (月)

マリナーとスターソリストたちによるブランデンブルク協奏曲

澄み渡る秋晴れの下喨々と

HMVのサイトでは廃盤になっているが、ここに含まれるブランデンブルク協奏曲集のCDがフィリップスのシリーズものAn Excellent Collection of Classical musicの中古盤2枚で売られており今年のいつ頃だったか入手した。

こちらは今でも入手可能なようだ。)

①Brandenburg Concerto no 1 in F major, BWV 1046
演奏者 : Pini, Carl (Violino Piccolo), Nicklin, Celia (Oboe), Davis, Barry (Oboe), Tennick, Angela (Oboe), Sheen, Graham (Bassoon), Brown, Timothy [horn] (French Horn), Baker, Julian (French Horn)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 19:41     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]

②Brandenburg Concerto no 2 in F major, BWV 1047
演奏者 : Szeryng, Henryk (Violin), Petri, Michala (Recorder), Holliger, Heinz (Oboe), Bernard, Andre (Trumpet)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 11:42     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]

③Brandenburg Concerto no 3 in G major, BWV 1048
演奏者 : Birch, John (Harpsichord), Sillito, Kenneth (Violin), Vigay, Denis (Cello)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 13:25     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]

④Brandenburg Concerto no 4 in G major, BWV 1049
演奏者 : Szeryng, Henryk (Violin), Petri, Michala (Recorder), Selin, Elizabeth (Recorder)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 16:3     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]

⑤Brandenburg Concerto no 5 in D major, BWV 1050
演奏者 : Malcolm, George (Harpsichord), Szeryng, Henryk (Violin), Rampal, Jean-Pierre (Flute)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 21:7     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]
      
⑥Brandenburg Concerto no 6 in B flat major, BWV 1051
演奏者 : Nesbitt, Dennis (Viola da gamba), Sansom, Marilyn (Viola da gamba), Shingles, Stephen (Viola), Best, Roger (Viola)
指揮者 : Marriner, Sir Neville
楽団 : Academy of St. Martin in the Fields
言語:     時間: 16:34     録音場所: 05/1980, St. John's Church, London, England [Studio]

ご覧の通り、シェリング、ランパル、ホリガー、ペトリなど多国籍スタープレーヤーによる豪華版。

CDをカーナビに読み込ませ、運転時に聞いたのだが、秋晴れの中走るには適した演奏だった。

特に第2番のアンドレ・ベルナルド 甲高いトランペットの澄み切った音色は、秋空のような輝きだった。

3番から6番までも、もちろんいいのだが、トランペットが活躍する2番やオーボエがいい感じの1番は、普段は意識に上ることが少ないわりには、たまに聞くといい曲だと思ってしまう。

このような多彩で独創的な編成と、曲趣の娯楽的作品にも関わらず、すべてをJ.S.バッハの名の下に統合してしまう作曲家の力量に恐れ入る。

そういえば、ブランデンブルク協奏曲は、ずっと以前20年以上前になるが、実演で全六曲を通しで聴いたことがあったのを思い出した。確か某住宅メーカー主催公演で、N響メンバーによる公演だった。現在第2ヴァイオリンの最前列にいる大林女史がソリストで出演していたことを覚えている。人生、時になぜか忘れていたことをふと思い出す。

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2013年8月14日 (水)

ヘンデル 合奏協奏曲集作品6全曲 ピノック指揮イングリッシュ・コンサート

2009年のヘンデル没後250年の記念年にも入手しなかったCDだが、この7月にブックオフに3枚ばら売りで廉価で売られていたので、購入した。

同じ店舗で、10年近く前に、作品3のCDを購入したことがあったが、ようやくの作品6の12曲全曲との邂逅といった感がある。

ヘンデルの気宇、気品と雅趣は、コレルリやヴィヴァルディ、テレマン、J.S.バッハに似ても非なるものがあり、何とも楽しめる。

トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート
 サイモン・スタンデイジ、エリザベス・ウィルコック(バロック・ヴァイオリン)、
 アントニー・プリース(バロック・チェロ)
 1981年、1982年録音

12の合奏協奏曲集 作品6  12 Concerti Grossi Op. 6
作曲年 1739年
編成 2vn,vc,弦楽合奏,バッソ・コンティヌオ

319 合奏協奏曲第 1番 ト長調
320 合奏協奏曲第 2番 ヘ長調
321 合奏協奏曲第 3番 ホ短調
322 合奏協奏曲第 4番 イ短調
Handel01


323 合奏協奏曲第 5番 ニ長調
324 合奏協奏曲第 6番 ト短調
325 合奏協奏曲第 7番 変ロ長調
326 合奏協奏曲第 8番 ハ短調
Handel02


327 合奏協奏曲第 9番 ヘ長調
328 合奏協奏曲第10番 ニ短調
329 合奏協奏曲第11番 イ長調
330 合奏協奏曲第12番 ロ短調
Handel03

参考情報:

この著名な(と思われる)楽曲だが、Wikipediaにも英語版以外では詳細な解説が掲載されていない。ドイツでも、日本語でも。ヘンデルの「不人気」?は世界的なものらしい。

ヘンデル 合奏協奏曲 作品6 Wikipedia (英語版)

ヘンデル 合奏協奏曲 作品3 Wikipedia (英語版)

ヘンデルの協奏曲 Wikipedia (日本語版)

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2013年1月 4日 (金)

年末に届いた "LIVING STEREO 60 CD COLLECTION"

2010年に発売され人気だった表題のボックスセット(アメリカ版)は、完売になっていたが、ヨーロッパ版が再発されたということをHMVで知り、昨年年末に注文しておいたのだが、数日で届いた。旧RCA(ビクター)の初期のステレオ録音の集成で、現在はソニーミュージックの一レーベルとなっていて、そこからの発売になっている。ミュンシュ/ボストン響、ライナー/シカゴ響、ハイフェッツ、ルービンシュタイン、ヴァン・クライバーンなどが主要演奏家で、まさに米国の黄金時代を象徴する録音群だと思う。彼らの人気レパートリーが主だが、意外にもラインスドルフによるイタリア・オペラのラ・ボエーム、マダム・バタフライ、トゥーランドット、それにプレヴィターリという指揮者のラ・トラヴィアータ(椿姫)が含まれていてこれが60枚の内の8枚を占めている。(と書いたが、当時のアメリカ出身の人気歌手、レオンタイン・プライス、アンナ・モッフォ、テノールのリチャード・タッカーなどの出演のためRCAがローマに進出して録音したもののようだ。メトではなくローマで1950年代、60年代に録音したところに時代を感じる。なお、トゥーランドットは、ニルソン、テバルディ、ビョルリンクなど凄い顔ぶれの歌手揃い。)

このシリーズは、ステレオ録音最初期の録音なのだが、リマスタリングが成功しているのか、聴き慣れたライナーの「オケコン」「弦チェレ」も1980年代発売の日本製の同じ音源のCDよりも相当音質が改善され、セルの録音に比べて粗さを感じていたライナーのそれが、今回のCDでは勝るとも劣らぬ緻密な音楽・演奏に聞こえるようになっているので、全体的に聴きやすくなったのは確かだろう。

すでに60年も前の録音だが、レコード録音できる音楽家がスーパー音楽家だった時代の労力と資金がたっぷり掛けられた時代の録音でもある。これはお買い得だと思う。

余談だが、この60枚の並び順には、どのような規則性があるのだろうか?少し考えたが分からない。

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2012年9月23日 (日)

グレン・グールド コンプリート・バッハ・コレクション

Glenn Gould: The Complete Bach Collection

6月20日にHMVでたまたま見つけて、予約注文していたこのボックスセットだが、ようやく9月21日に配達された。

立派な布張りの箱入りで、ハードカバーの上質紙の解説書付(英語と独仏語)。CDとDVDがセット。

CDの方は、半分以上ばら売りで持っていたが、DVDは全く所有しておらず、さらにゴルトベルクのザルツブルクライヴとグールドのレコードデビュー前のCanadian Broadcasting Corporation( CBC カナダ放送) でのゴルトベルクの録音(音質はよくないが)も含まれていたのが購入の決めてだった。

ザルツブルクでのライヴを聴くと、コンサートでのグールドが本当にすごかったことが実感できる。スタジオ録音でのテープ切り貼りのマジックでは無かった。また、デビュー録音とは違う声部を浮き立たせていたりして、グールドの解釈の多様性と、その反面のつかみどころの無さが感じられた。

CBCへの録音は、青柳いづみこ氏のサイトに書いてあった記憶があるが、デビュー録音は、様々な解釈の可能性の中からの、選択だったことが理解できるような演奏だった。

一九五四年にCBCのラジオ放送用に録音した《ゴルトベルク》を聴くと、当時の彼が、バロック音楽です らロマンティックなアプローチで弾いていたことがわかる。  それから一年、伝説の五五年盤《ゴルトベルク》のレコーディングに際してグールドは、トスカニーニのように即物的に弾くことが流行していた五〇年代の趣味に合わせて、自分の演奏を刈り込み、浄化し、我々がよく知る形につくりあげた。  作戦は見事に成功し、グールドは一躍国際舞台に躍り出た。

DVDのモンサンジョンによるゴルトベルクは、最後のゴルトベルクと同じ時期の映像のはずだが、CDジャケットの疲れた表情のグールドとは異なり、生き生きとした表情と、素晴らしい指の魔術を見せてくれる映像で、以前Youtubeで部分的に見たことはあったが、通して視聴して感激を新たにした。

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2012年7月 5日 (木)

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、第2番、第3番 ギレリス、マゼール/NPO

ギレリスのEMIボックスに収録されていたチャイコフスキーのピアノ協奏曲全集を聴いた。1970年代の録音で、マゼール指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(フィルハーモニア管が創立者のレッグが手を引いたため解散を余儀なくされ、自主団体として活動をしていた時期の名称)との共演。

有名な1番も含めて初めて聴く録音で、中でも2番、3番は作品の存在は知っていたが作品そのものを正対して聴くのはおそらく初めてだと思う。2番、3番にもこれまで興味はあり、ポストニコワとロジェストヴェンスキーの全集を聴いてみたいと思っていたのだが、これまで入手はできていなかった。特に3番は未完に終わった交響曲第7番の素材が用いられた(ブラームスのピアノ協奏曲と交響曲との関係と似ている)とのことで、そこにも興味があった。

まず作品として多くの異演盤で聴きなれた第1番だが、このCDでのギレリスのピアノは非常に雄弁で、少々攻撃的だと感じるほどの力強く荒々しいピアノ演奏を聴くことができる。この曲は演奏によっては、形式がはっきりせず、不必要に長過ぎ、また分裂した印象を持つこともあるが、このギレリス、マゼールの共演では、古典的な3楽章の協奏曲としての形式感が浮き彫りになった感がある。そこには有り余るほどのピアノ演奏技巧を以てしてのギレリスの挑戦的なテンポ設定が要因としてあるのではなかろうか。その一方では、抒情的な部分、ピアノの弱音が煌めくような部分ではその表現の幅広さも聞き取れる。

意外にも名曲名盤選などにはリストアップされることのない録音のようだが、アルゲリッチやリヒテルなどの「定番」的な評判を持つディスクに伍して、勝るとも劣るものではないように感じた。ただ、演奏の出来としては、マゼールとギレリスとの意思疎通が完全に図られていないように感じる齟齬も聞き取れ、そのあたりが惜しい。とは言え、一方ではそのような競い合いも興味深い。(リヒテル、カラヤン盤は両者の張り合いがよく指摘されるが、長年聴いてきても、指摘されるほど競い合っているようには聞こえないのだが。)

第2番ト長調は、第1番の人気に比べて、不当なほど無視されている作品のようだ。シロティ(ジロティ)によるカットが行われた版による演奏。(最近は、復元されたオリジナルによる演奏もあるようだ。)http://blog.goo.ne.jp/florian2896/e/9ad58eb0e6cc618e82851e89a8bbf570

別にこの曲が気に入って、その再評価に尽力しようという気持ちではないのだが、ざっと聴いてみての印象では、一般リスナーにとっても退屈な曲ではない。ピアニストにとってはどうなのだろうか?ピアニスティックな演奏効果が上がるパッセージなどもあるし、美しいメロディーもところどころで聴くことができる。主調は、ト長調なので、そのあっけらかんとした明るさが不人気の原因なのかとも勘ぐってしまうが。

http://blogs.yahoo.co.jp/jinichi3560/1505874.html

http://ameblo.jp/anator/entry-10200059197.html

第3番は、作曲途中で放棄された「変ホ長調」交響曲(のちに補筆完成され、第7交響曲「人生」という名前で呼ばれることがある)の素材を生かすために作曲された特殊な経緯と形式の協奏曲。これはユニークな形式の曲なので、また別に書いてみたい。

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2012年6月16日 (土)

ギレリス EMI全録音 (9枚組) ベートーヴェンピアノ協奏曲(セル/CLO)など

今日は、ブルームズ・デイ。昨日までの初夏らしい爽やかな晴れ間の代わりに朝から梅雨の雨が静かに降っている。近くの水田はほとんど田植えを終え、緑の稲苗が水面からわずかに顔を出している。

R0012052

2007年7月12日 (木) セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)で書いたが、エミール・ギレリスとセルの競演盤のベートーヴェン ピアノ協奏曲の全曲は以前から全曲を聴きたいと思っていたが、時折国内版で分売されるのを見かけるだけで、全集としては見かけず、ずっと聞く機会が無かった。

ところが、その記事の末尾に最近備忘録的に書いたように、2010年にギレリスがEMIレーベルに録音したものがBoxセットで発売され今も入手可能なのを見つけ、内容を確認したところ、セルとの全集のほか、ルートヴィヒ、ヴァンデルノート、クリュイタンスと録音した「全集」も含まれているという凝ったものだということが分かった。2010年がギレリスの没後25年だったようだ。他に、マゼールとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲全集(第1番から第3番)なども含まれている。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3860426

前に入手した『皇帝』は、中古盤のアメリカEMIのもので、残念ながら私の貧弱なリスニング環境では、強奏時の音割れやひずみ(最近「クリップ」 clipping と言うことが分かった*)が出がちだった。これはなぜかセルとクリーヴランド管によるEMIへの録音でなぜか頻発して悩みの種だったものだ。

今回のCDを入手して、早速聴いてみたところ、リマスタリングの効果かどうかは分からないがクリッピングは比較的減っている印象を受け安心した。これまで聴く機会が無かった第1番から第4番は、クリッピング的にはさらに良好な印象だ。

演奏の感想は別に書いてみたいが、いい買い物をした。楽しめそうだ。

なお、先に入手したHybrid-SACDのセル/クリーヴランド管のブラームスのヴァイオリン協奏曲(オイストラフ)と二重協奏曲(オイストラフとロストロポーヴィチ)は、CDレイヤーに関してはクリッピングの従来のCDからの改善はあまり聴くことができなかった。ブログなどを検索するとSACDについては、音質は改善されていて、クリッピングに関するコメントもないようなので、SACDレイヤーには一縷の望みがあるのではないかと期待しているのだが。

*クリッピング clipping
入力信号が規定の入力レベルを超えると、
出力信号が歪んでその波形の頭部(許容入力を越えた部分)が削り取られた状態になります。これをクリップまたはクリッピングといいます。この波形には無数の高周波が含まれているので、音がつまって、音色としては濁った感じになります。

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