カテゴリー「ディスク音楽04 独奏」の102件の記事

2008年7月 2日 (水)

『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』 青柳いづみこ (文春新書622)

2008年2月20日第1刷、同年5月10日第2刷の比較的新しいクラシック音楽関係のエッセイ。

2006年6月 6日 (火) フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」の記事を書いたときに、青柳いづみこオフィシャルサイトの執筆&インタビュー 評論「進化するフジ子ヘミング」/「すばる」  2006年8月号を発見し、それ以来ときおり新聞記事などで目にするピアニスト・エッセイストだが、愛好まんが『のだめカンタービレ』や『神童』『ピアノの森』を題材にしたエッセイと帯にあり、手に取ってパラパラ読んでみたところ、「目の敵にされるホロヴィッツ」だの「ゼルキンとホロヴィッツのバトル」だの興味をそそってやまない小見出しが目に入り、税抜き定価730円と高いが購入したのだった。

現在、流行している音楽漫画を題材にしたのはタイムリーなのだろうが、いわゆる際物で、数年したら、訳が分からなくなってしまうことだろうと心配しつつ読み始めたが、「のだめ」の部分を除いても、ピアニスト、指揮者論として、プロフェッショナルとしての裏話的な話も書かれており、一般愛好家にはとても面白い本だった。

「目の敵にされるホロヴィッツ」の章では、日本の現役ピアニストたちの1992年時点での談話が載っているが、若林顕(あきら)氏「リヒテル。ホロヴィッツとコルトー」、横山幸雄氏「リヒテルとミケランジェリ」、清水和音氏は「アシュケナージが20世紀で一番優れたピアニストだと思う」、アンドラーシュ・シフ「アラウ」と、いわゆる作曲家の意図の尊重、楽譜への忠実とそれのアンチテーゼとしてのホロヴィッツという対立構図のようだった。プロのピアニストが言うのだから一理はあるのだろうが、ホロヴィッツのピアノ演奏は、それほど作曲家の意図に反し、楽譜に忠実でないだろうか? グールド、ポゴレリッチ、ブーニンなどホロヴィッツよりも楽譜の指示から離れたピアニストはいるわけだし、先日じっくり聞いたホロヴィッツの『クライスレリアーナ』にしても楽譜に忠実ではないだろうか、少し気になるところだった。

まあ、そのような違和感もあったにはあったが、全体としては特にピアノ音楽に関心のある人なら一読しても損はないという盛りだくさんの内容で、できれば「のだめ」のストーリーはある程度知っている方が楽しめるかも知れないという本だった。

指揮者の謎という章はあるが、掘り下げるべき内容に比べて、文章の量が短すぎたようには思った。

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2008年6月28日 (土)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#10 シューマン『子どもの情景』

事件ファイル #10 シューマン「こどもの情景」 ~ピアニスト刑事(デカ)、危機一髪~ 依頼人橘(たちばな)明日香 (斉藤由貴)  職業 女優

今週初めの日曜日6月22日のBS2(アナログと表示されるようになってしまった)を録画していたものを、次男の授業参観日が午前中に終り、午後の寛ぎの時間に見始めたのだが、今度は前回の『月光』と違って冒頭部分が録画されていなかった。それで、この「事件」のプロローグが分からないまま、番組を見ることになった。

今回の演奏者も仲道郁代さん。解説も玉川大学の野本准教授の出演。

斉藤由貴と言えば、私自身はそのドラマを見ることはなかったが、確か「スケバンデカ」シリーズに出演していたのではなかっただろうか。それで、ピアニストデカというのだろうが、何しろイントロ部分を見ていないのでなんとも言いようがない。彼女は、先々週まで放映していたNHKの木曜日ドラマの『バッテリー』(原作 あさのあつこ)という少年野球ものの主人公の口うるさい母親役を演じており、その素のままで演じているような口うるさいオバサンぶりには、若かりしアイドル女優を知っているものにとっては結構驚きだった。閑話休題。

ところで、この『子どもの情景』というピアノ曲集については、このブログでもケンプ、ホロヴィッツ( )、アルゲリッチアシュケナージブレンデルなどで直接間接に取り上げたことがあったり、あの有名な『トロイメライ』が収録されており、ピアノ演奏技術的にもそれほど高度ではない曲もあり、つまみ弾きするのに一応楽譜も持っていたりして、古くからのなじみの曲集だ。オムニバスLPの『トロイメライ』は確かケンプのものだったと思う。

さて、番組だが、この女性刑事を演じる女優が、舞台でピアノを弾くことになったが、子どもの頃のトラウマなどが原因でピアノを弾けなくなり、天出探偵と、カノン助手の事務所に相談にやってきたということらしい。その謎を解くのは探偵の任務というよりも心理カウンセラーが適任ではないかと茶々を入れたくなったが、仲道郁代さんの模範演奏は、端正で細やかなものでなかなか素晴らしいものだった。先週の『月光』もそうだが、いわゆる「弾けている」ピアニストだと思った。

この番組の特徴であるアナリーゼ的な部分では、第1曲のシソファミレの動機(音型)が、全曲に統一感を与えているというのが第1ポイントだったようだ。演奏としては、第1曲『見知らぬ国々と人々』、第3曲『鬼ごっこ』、第4曲『おねだり』、第9曲『木馬の騎士』、第10曲『むきになって』とドラマ仕立ての中で演奏され、その後国立音大の藤本一子さんがシューマンにおけける文学と音楽の結びつき、暗示的な題名というようなことを話していた。

曲中の白眉であり、シューマンの最も知られたメロディーとされる『トロイメライ』(白昼夢と訳された:いわゆる Daydream believer に通じる)の分析が番組的な主眼で、これにより女優のトラウマが解消されたようだが、その辺が筋書き的に飛躍があったのか、よく理解できなかった。この曲は、諸井誠『名曲の条件』(中公新書)でも取り上げられていたが、その解説よりもこちらのテレビ解説の方が分かりやすく、メロディー冒頭のドの音(途中で転調するが)の長さが初めは四分音符、次が八分音符、最後が前打音(装飾音符)というように短くなっていく不規則性によりファンタジーを生んでいる巧妙な技といような解説だった(ような気がする)。

最後に、仲道郁代氏の演奏が流され、テロップで、第1曲(6度の音程 シとソ が全曲を結びつけ)、第7曲トロイメライ(白昼夢)ではヘ長調が主調だが、途中に重要なハ長調の和音が重要で印象的であること、第12曲『子どもは寝入る』、第13曲『詩人は語る』で途中カデンツァが出るが、このカデンツァで引用される音楽のことについては触れらていなかったのは、少し手抜きだろうか?それとも見落としか?

このようなミニチュアールの曲集においても仲道郁代氏の演奏が聴き応えがあったのが、収穫だった。

追記:2008/06/29

最近、シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris)のTeldec レーベル録音で、この曲集が収録されたCDを入手した。このほかにOp.82『森の情景』, Op.124『アルバムの綴り』 (Albumblatter)[全20曲]が収録されているもの。輸入盤で、録音日時、ロケーションが記されていないが、マルP, マルCが1986年とあるので、その頃の録音だと思われる。ヴィルトゥオーゾで知られるカツァリスの演奏なので少し構えた気分で聴き始めたが、技術の余裕のためもあるのだろうが、大変叙情的で透明感のある仕上がりに聴こえる部分と、ヴィルトゥオーゾの血が騒ぐのか第9曲など少々煩いほどの音響の部分が交じり合う。ただ、本来聞き逃すような声部を独自の解釈で拾い上げるようなこともしているのがちょっと面白い。

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2008年6月19日 (木)

録画に失敗 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#9 ベートーヴェン『月光』ソナタ

事件ファイル #9 ベートーベン 「ピアノ・ソナタ“月光”」 ~狙われた花嫁 ~ 依頼人 曽名田 ひかる(西尾まり) 職業 OL 6月15日(日)11時過ぎに放送されたのをビデオ録画しておいて、昨日水曜日の夕食の時に見たのだが、番組のちょうど中間あたりで、なぜか録画が終了してしまっており、いつものように探偵の推理の結論までを楽しむことが叶わなかった。

ピアニストのゲストは、仲道郁代さん。最近、ベートーヴェンの演奏にも力を入れているとのことで、解説の玉川大の野本准教授がレクチャーしながら弾いてくれた演奏とはやはり格段の差があるなと、野本氏には失礼ながら思った。

この仲道氏、妻が一緒に聴きに行ったことがあるというので、思い出してみると、ピアノのソロではなく、あのフルートの工藤重典氏、チェロの林峰男氏とのトリオで当時住んでいた長野の田舎に来演して、ハイドンやヴェーバーのトリオなど珍しい曲目や、フォーレの『夢のあとに』、サン・サーンスの『白鳥』などポピュラー名曲をやってくれたのだった。仲道氏のソロの演奏を聴けたわけではなく、ピアノとしての印象があまりなかったのですっかり忘れていたのだった。

ところで、今回のピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調『月光』のアナリーゼで、興味深かったのは、冒頭楽章の分散和音が、終楽章のやはり分散和音に使われているということ、また冒頭楽章の低音部の最初の三つの音が、第二楽章の主題にも使われているということで、素材の統一が図られているという点の指摘だった。また、第1楽章と第3楽章にナポリ和音が使われており、それが非常に効果的だということだった。

ちょうど、仲道氏が、第3楽章の猛烈なピアノでの上昇主題とスフォルツァンドでの2回の和音の実演をしてくれているところで、録画が切れてしまったので、このミステリーの結末がどうなったのかは分からず、残念だったが、これまでオーケストラ曲に興味を持っていた長男が聴いてみたいというので、先日感心したブレンデルの『月光』をステレオ装置でスピーカーから流してみたところ、「へー、すごい曲だねー」と素直に感心していたので、今後の楽しみが増えた。

今晩は、いつものステレオイアフォンで、シュナーベルの全集から『月光』を聴いているが、第1楽章のサーフェースノイズが盛大なのには改めて驚いた。それに比べて、第2楽章、第3楽章はまあ聴ける音になっている。第3楽章は、シュナーベルらしい挑戦的なテンポで、非常に迫力のある音楽になっている。フレーズの長さと推進力が素晴らしい高揚感を生み出してくれる。天邪鬼のようだが、このような演奏のどこが(いい意味でもそうではない意味でも)「精神的な」演奏なのだろうか?確かに精神の高揚を伴い、高尚で真摯な姿勢の音楽だということは感じられるが、それよりももっとダイナミックで生気に溢れた音楽という趣の方が強いように思うのだが。

追記:6/21(土)夏至の日 早朝3:40

「録画に失敗」と書いたが、同じ放送を録画した方のブログ(★My Tiny Little Piano World★ 征爾とユンディの再放送)によると、当日の放送時間の変更で最後の15分間が収録できなかったらしい。BShiでは再放送(BShi 6月21日(土) 午後0:45~)があるようなのだが、BS2でも再放送を望みたいものだ。

このところずっと寝つきはよいのだが、大体4時ごろに目が覚めてしまい、その後うとうとするような睡眠が続いている。今晩は、土日が休みなので、パソコンに向かい雑文を書き付けているが、夏至祭の夜(聖ヨハネの日)というのに、梅雨の本格的な雨が降り始めた。先日入手したストコフスキーの編曲集(Transcriptions for Orchestra by Leopld Stokowski カンゼル指揮シンシナティ・ポップスによるTELARC盤)を聴いている。この中に、何とベートーヴェンの『月光』の第一楽章がオーケストレーションされたものが収録されているのだ。原曲のピアノ演奏ほど印象に残るものではないが、それなりに工夫されている。この中では、ディズニーの初代『ファンタジア』本編に未収録となったドビュッシーの『月の光』が美しい音で聴くことができ、ぼんやりとした頭に心地よい。こちらの編曲もピアノ原曲に比べるとムード音楽的になっており、冴え渡った秋の月光というよりも、朧に霞んだ月の光の風情で、これはこれで面白い。前の記事ではドビュッシー的なオーケストレーションと書いたが、豪勢な鳴り方はストコ節だろうか。なお、このCDの最後には、ストコフスキー編曲版の『禿山の一夜』も収録されている。

ちょうど今晩は夏至のイブで、『夏の夜の夢』もこの『禿山の一夜』もこのイブ(正確には、6月24日が聖ヨハネ祭で、その前夜が聖ヨハネ祭のイブということらしい)が舞台になっているらしい。

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2008年6月14日 (土)

ドイツ・ハルモニア・ムンディ50周年記念 50枚セットを買ってしまった

DHM と略すらしいが、SONY/BMG傘下に入ったこともあるのか、50周年記念で膨大な録音が超廉価で発売された。

初回があっと言う間に完売したという話題をいくつかのブログ記事で拝見していて残念に思っていたが、再発売が決定したという話を聞き、またもや久々に禁を破って6/10の早朝HMVに注文を入れたところ、6/13の午後には佐川急便で38*38*22という巨大なダンボールに入って届けられた。中にはクッション類はまったくなく、同時注文の2枚のCDと一緒にラップでくるまれて、それがその大きなダンボール箱の底面に軽く接着された状態で届いた。環境への負荷低減のため発泡スチロールのクッション材の使用を減らすためかと想像したが、底面の補強という点では心配の残る梱包形態だった。ただ、中のCDにはまったく異状なく、傷や凹みもなかった。英語版の表記を写すと "Deutsche Harmonia Mundi 50th Anniversary Edition"  50CDs FROM THE LEGENDARY BAROQUE AND ANCIENT MUSC LABEL とある。HMVの紹介ページはこれ

これまで ハルモニア・ムンディの名前は知ってはいたが、音盤としてはLPもCDも一枚ももっていなかった。これまで聴きたいと思っても聞けずにいたマショーやビーバー、フレスコバルディなどの作品も聞けるし、バッハの曲でもソロ・チェロ組曲やロ短調ミサ、モンテヴェルディの『ヴェスペレ』などの手持ちの音盤の同曲異演盤も聞けるのでと思い、購入に踏みきった。

何から聞いてみようか迷ったが、 【モンテヴェルディ:『聖母マリアの夕べの祈り』(全曲) コンラート・ユングヘーネル(指揮&リュート) カントゥス・ケルン コンチェルト・パラティーノ】は、ガーディナーの録音で何度も聞いている曲なので、聴き比べてみようと聴き始めたところ、ガーディナーの録音が華麗で少し饒舌過ぎると聴こえるほど、まろやかで滑らかな美しさの演奏が聴けて驚いた。DHM自体、その筋では十分有名なレーベルで、私が知らないだけなのだが、このような演奏、録音を聴いてみると、「(当然のことながら)まだまだ世の中は広いものだ」と、陳腐な感想が生まれてきた。

膨大な音盤を蒐集して、未聴状態で放置することをチョモランマにひっかけてミチョランマと言うらしい(座布団数枚もの!)が、この50枚組みのCDは、多彩なラインナップということもあり、多分ミチョランマ登録されることはない!と、自分で決意する次第だ。



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2008年6月10日 (火)

グルダのベートーヴェン ピアノソナタ全集

Beethoven_piano_sonatas_gulda グルダのこのベートーヴェンのピアノソナタ全集(9枚組み amadeo アマデオ盤、まるP 1968年)は、新潮文庫の吉田秀和『世界のピアニスト』でのグルダの項で絶賛されていたのを読み、どうしても聴きたくなり、長野市のクラシックレコード専門店ディスク・アカデミーに注文して入手したものだった。注文から半年以上経って予約していたこともほとんど忘れていた頃、当時住んでいた独身寮に電話連絡が届き、ようやく手に入ったのだった。このような全集ものCDを購入したのはこれが初めてだったのでずっしりとした重さに感激した。

ベートーヴェンのピアノソナタには、結構ユニークな入門の仕方をした。ドイツ正統派のバックハウスやケンプがかろうじて現役だった1960年代に聴き始めた(といっても小学生だった)のだが、チャイコフスキーコンクール第1回に優勝したアメリカ人ヴァン・クライバーンが、優勝後の凱旋公演でのチャイコフスキーとラフマニノフの協奏曲だけのスペシャリストではなく、「本格派」ピアニストとして活動し始めた頃に録音されたRCAのベートーヴェン三大ソナタが田舎のレコード屋に入荷し、そのLPを父が買ってきたのを、まだ電機蓄音機で掛けてもらい聞いたのが初聞きだったと記憶する。今でもそのLPはスクラッチノイズが結構多いがそれなりに聞ける状態で実家にある。ただ、その頃は漫然と聴いていたようで、ようやくこれらの曲がそれなりに耳に入り始めたのは、中学生になってからだったと思う。ある日突然、いくつかのメロディーが耳にしみこみ始めたのだった。それでも、まだ鑑賞しているというのには程遠い状態だったと思う。

その後は、FM放送で聴ける音楽は、実家にあった音楽之友社の名曲解説全集や、弟のソナタ・アルバムの楽譜を参照しながら、本当に片っ端から聴いたが、やはり放送される曲は有名曲が多く、全集踏破は夢のまた夢だった。

学生時代には、『悲愴』『月光』『熱情』と『告別』『ヴァルトシュタイン』『テンペスト』の六大?ソナタを、バックハウスのステレオ録音LPの再発もので入手し、夏休みなどに帰省するたびによく聴いたが、刷り込みのクライバーンがスタンダードになっていた頃だったので、バックハウスの演奏は少々リズムが固いようにも聴こえた。

ようやく社会人になって入手できたのが、このグルダの全集。勿論、古くはシュナーベル、ケンプやバックハウス、当時の現役パリパリのブレンデル、アシュケナージなどの選択肢はあったのだが、『世界のピアニスト』でのグルダのこの全集の賛辞は最大級であり、ほとんど脇目も振らずに入手という感じだった。

この録音で使われたピアノは、パッケージにしっかりFluegel : Steinway と書かれているが、一部ではベーゼンドルファーではないかというようなことを読んだことがある。録音的には結構独特な音色がするのでそのような噂が生じたものか。録音は、オーストリア放送のStudio Klagenfurt という場所で行われたらしい。日本語解説パンフレットは、門馬直美氏によるもの。

なお、その後改善されたらしいが、このCDのトラック番号は、何と今は廃れてしまったindex番号であり、indexの頭だしができないCDプレーヤーでは、楽章をつまみ聞きすることはできず、1曲ごとにまるごと聴く(という正しい)聴き方を強いられることになっているのが面倒であり、また面白い。

大手レコード会社の統合で、このアマデオ原盤もユニバーサル傘下に入ったらしく、今では超廉価で、あのデッカのシュタイン/VPOがオケを務める協奏曲全集と一緒にこの名全集が一挙に入手できるのだというから驚いてしまう。

周辺的なことばかり書いてきたが、この全集で、初めて初期のソナタや、ソナチネ・アルバムにも入っている小曲作品49の1と2、そして後期の深遠なソナタ群も親しいものになった。そして、のりに乗った天才グルダの一筆書き的な録音により、中期のエネルギッシュな革新的な作品群はまったくものすごい様相を呈してくれている。前進するエネルギーがこれほどありながら、細部まで緻密に弾けている演奏は、そうはないと思う。

今晩は、昨晩アラウで聴いた作品27の1をグルダで聴いてみようと思う。騒がしいほどの音楽だが、質実剛健で地味なアラウもこのような陽気で豪快なグルダもやはりベートーヴェンだ。

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2008年6月 9日 (月)

アラウのベートーヴェンピアノソナタNo.13, No.14『月光』, No.15『田園』

Arrau_beethoven_13_14_15

ベートーヴェン
 ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 作品27の1
  6:00/2:15/3:28/5:40
 ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27の2『月光』 
  6:45/2:25/7:40
  ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調 作品28『田園』
  9:28/7:50/2:00/4:53

  クラウディオ・アラウ(ピアノ) 

〔1962年6月12日-18日、アムステルダム、コンセルトヘボウ〕
 PHILIPS PHCP-3534

今日も、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ。今度はクラウディオ・アラウ(1903/2/6-1991/6/9)の1962年のときの録音。59歳と言えば、日本のサラリーマンでは(65歳定年制のところは別にして)既に定年を一年前に控えて身辺整理をし始めている頃で、会社生活的には枯れたイメージが強いが、ピアニストとしては壮年期の真っ只中であり、長命であったアラウの場合、この後30年近く現役を続け、ベートーヴェンのソナタも1980年代に再録音している。

アラウの録音は、ジュリーニとのブラームスの第2ピアノ協奏曲(1962年録音、EMI)とベートーヴェンの『ディアベリ変奏曲』(1985年4月録音, Philips) 程度しか音盤はなく、比較的聴いたことのないピアニストの内の一人だ。

チリ生まれだが、わずか8歳の時にベルリンに留学し、あのフランツ・リストの弟子のマルティン・クラウゼに師事したということで、リスト直系の弟子にあたる。わずか11歳!でベルリンでデビューしたというので、両親がイタリア系かスペイン系かは分からないが、氏より育ちという点では、ドイツのピアニストと言うべきなのではなかろうか。

ピアノ・ソナタ第13番は、双子の幻想曲風ソナタの『月光』の陰に隠れてはいるが、たまにグルダの全集で『月光』を聴く際に耳にするときなど、結構魅了される曲だ。明朗活発で、『月光』とは対照的なところも面白い。上記の『ディアベリ』の頃には指捌きなどが苦しくなっていたが、1960年代のこの頃は、高速なパッセージもものともせずに爽快に弾き切っている。

『月光』は、前半は目覚しい特徴の見えない演奏のように聴こえた。第1楽章も淡々と弾かれ、第2楽章も少し重めの三拍子。第3楽章は、少々重いイメージのあるアラウにしては意外と言っていいほど直線的な演奏になっている。タッチのせいか音色は比較的丸く、和音は分析的に鳴るというよりも少々団子気味でそれが野暮っぽさにも通じるが、重量感のある迫力にも通じる。ヘッドフォンで聴いているのだが、ところどころアラウの「ブレス」のような呼吸のような音が交じるのも興味深い。なお、低音(左手)のバランスだが、いわゆるドイツ的な演奏ではバスの強調が目立つようなイメージがあるが、それほど低音を響かせることはない。コーダのめまぐるしいパッセージの迫力は見事だった。それでも全体から受けるイメージは、洗練よりも朴訥だった。

『田園』は、誰が名づけたニックネームかは知らないが、のどかな気分を感じさせる曲調であることは確かだ。この曲でのアラウも、洗練や外連を狙うことなく、無骨で飾り気がない演奏スタイルを貫いている。その意味では、似たスタイルのイメージが強いルドルフ・ゼルキンよりも、飾り気というか色気というか、場面や局面での表現の転換というか、そのようなものが少なく、さらに地に足が着いた演奏という感じだ。研ぎ澄まされたり、挑発的であったり、華麗であったり、繊細巧緻であったりという要素はほとんどないように聴こえる。かと言ってものすごく乱暴でエネルギッシュとも違う。第2楽章の音楽自体がそれこそ朴訥な歌の楽章は、アラウの演奏でさらに黙々と歩むベートーヴェンの姿を想像させたりもする。第3楽章のスケルツォと第4楽章は、重々しくピアノを鳴らすが、音楽的な明るさ、軽みは面白く表現されている。

一聴して面白い演奏ではないが、そのうちまた聴きたくなるような演奏というのはこういうものを言うのかも知れない。


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2008年6月 8日 (日)

バレンボイムのベートーヴェン ピアノソナタ集(EMI)

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ベートーヴェン 

ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13『悲愴』
 9:35/5:51/4:48  〔1966年9月19日、アビーロード・スタジオ〕

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2『月光』
 7:05/2:25/7:40 〔1966年9月19日,28日、同上〕

ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57『熱情』
10:36/8:04/5:25〔1966年9月28日、29日、同上〕

昨日は、梅雨入り後とは言え、久々の初夏の晴れ間に恵まれ、子ども達の小学校の春季運動会が無事挙行された。学校2学期制の余波が次第に学校行事の時期に及ぶようで、昨年は校舎の耐震工事のために5月開催とのことだったが、今年も夏休み明けではなく、この時期の開催になった。

北緯35度のこの付近では、夏至の南中高度は78.4度にもなるため日差しが非常に強く、おかげで腕時計の後がくっきり白く模様になるほど日焼けしてしまったが、子どもは、熱中病になることもなく、踊りに駆けっこに、騎馬戦に、児童会の役割にと大忙しだった。

さて、梅雨時になると、何故かベートーヴェンのピアノソナタが聴きたくなるのだが、どうしてだろう。

2007年6月 1日 (金)バレンボイムの弾くベートーヴェン『月光』『熱情』『ヴァルトシュタイン』は、1980年代のDG録音で、タインミングは、『月光』 6:38/2:13/7:42 と『熱情』10:36/7:37/8:13。

このEMI録音は、それより前のまだ若かりし頃(1942年生まれのバレンボイムなので、20代前半)の録音。EMI「新・名曲の世界73」として分売されており、目に留まったので、比較の興味から購入して聴いてみた。

三大ソナタだけがベートーヴェンのソナタのすべてではないことは十分承知だが、やはりこの三曲は、その形式の多彩さ、内容の深さ、ピアニステイックな魅力等で、何度聴いても飽きない作品だと思う。

さて、先日、ブレンデルの1970年代の録音で、この三曲を聴き、それ以前にもゲルバー、R.ゼルキン、ホロヴィッツ、グールド、アシュケナージの「三大ソナタ集」やシュナーベル、グルダの全集でも聴き比べを楽しんできたが、若きバレンボイムのこの録音も十分楽しめるものだった。

下記が新旧の所要時間の比較。

月光の旧盤の7分台は相当遅い部類。また、熱情の第2楽章は、旧盤も新盤も非常に遅い部類。バレンボイムのandante は、通常のadagio的なテンポ感覚なのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番の第2楽章でも感じたことを以前にも書いたが、顕著な特徴のように思う。『熱情』の終楽章は、破綻を恐れず突き進み、大変な迫力で弾き切っており爽快でもある。

『悲愴』は、若きロマンティスト、バレンボイムの面目躍如の演奏で、愛すべきものだと思う。

 ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2『月光』
  旧 7:05/2:25/7:40〔1966〕
  新 6:38/2:13/7:42〔1983〕

 ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57『熱情』
  旧 10:36/8:04/5:25〔1966〕
   新 10:36/7:37/8:13(展開部と再現部のリピートあり)〔1981〕

p.s. 同じ頃(1966、1967年)のグールドの録音は、まさに破天荒のテンポ設定。

ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13『悲愴』
 6:04/4:43/3:45  (バレンボイム旧盤 9:35/5:51/4:48)

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2『月光』
 4:10/1:40/4:59 (同上 7:05/2:25/7:40)

ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57『熱情』
  15:01/11:08/5:24  (同上 10:36/8:04/5:25)

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2008年6月 5日 (木)

斎藤雅広のピアノによる小曲集『The Romantic my favorite』

元々は非売品(ヤマハピアノのデモンストレーション用らしい)のようだが、ブックオフで購入。

よくあるピアノ小曲集だが、軽井沢の大賀ホールで、2005年7月28日-30日に、YAMAHAの NEW CFⅢSというモデルを使って録音したものだという。

演奏者の斎藤雅広は、以前NHKの教育テレビで、キー坊主という登場人物に扮して音楽番組に出演していたときに知ったピアニスト。大変優れた技術を持ったピアニストで、芸大時代は、「芸大のホロヴィッツ」というニックネームを奉られたほどだったらしい。日本音楽コンクールでは優勝したが、海外コンクールではあまり成績を残さなかったのだろうか。そのため、いまいちネームバリューが低い感じだが、相当の実力者だとは思う。

この小曲集でも、達者な技術と豊かな音を聞かせてくれて楽しい。

曲目は、ショパンの夜想曲嬰ハ短調、『雨だれ』、幻想即興曲、夜想曲変ホ長調作品9-2、子守歌。ドヴォルザークの『ユーモレスク』(これは、別マイクによるテイクも収録されているが、後の収録の方が丸みを帯びた音に聞こえる)。ルービンシュタイン『ヘ調のメロディ』。ベートーヴェン『エリーゼのために』。グリーグ(斎藤編曲)『君を愛す』。J.S.バッハ(ヘス編曲)『主よ、人の望みの喜びよ』。サティ グノシエンヌ第1番、ジムノペディ第1番。ドビュッシー『月の光』『夢』。シューマン『トロイメライ』。ハーライン(斎藤編曲)『星に願いを』。

ショパンは、癖がない演奏だった。ドビュッシー『月の光』は少々鋭角的な演奏で驚いたが、『夢』は明晰ながら繊細な演奏。なお、ヘス編曲の『主よ・・・』は、ケンプ編曲よりも音の数が多い編曲だ。この演奏は、少々も大げさな感じで、好みは分かれるかも知れない。もっと慎ましやかで敬虔さを感じさせる解釈の方が自分としては好みだ。

録音もよく、このCDが非売品というのは、もったいない話だ。

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2008年5月31日 (土)

ブレンデルのベートーヴェン『月光・悲愴・熱情』(1970年代録音)

雨の土曜日。先日までの初夏の気温から一挙に春先の気温に下がってしまった。

今年でブレンデルは現役引退すると表明したとのことで、手持ちのハイドンやシューベルト、シューマン、ブラームスなどを聴いているが、最近ユニバーサル系のシリーズものJupiterというシリーズで、1970年代フィリプス録音の「三大ソナタ」が入手できたので、気軽な気持ちで聴き始めてみた。

ベートーヴェン 

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2『月光』
 6:04/2:25/7:34

ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13『悲愴』
 9:42/5:19/4:32

ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57『熱情』
  9:55/6:40/8:11

ウームとうなってしまった。ブレンデルのベートーヴェンをこれまでほとんど聴いてこなかったのを後悔している。生演奏の『ディアベリ変奏曲』を聴いたり、『エロイカ変奏曲』をCDで聴いた程度で、協奏曲やソナタも始終FM放送を聴いていた頃には耳にしたのだろうが、エアチェックでもLP,CDでも何故か購入する機会がなかったのだ。

ピアノの音色の滲みのなさ、音色・表情の切り替えの的確さ・素早さ、指回り、構成力、緻密さ、そしてフィリップス録音だけあって録音に気になる癖が少ないなど、私にとって十二分に満足できるものだった。

一般には、三回目の全曲録音の90年代のものの評価が高いようでそれも聴いてみたいし、古いVox時代のものにも興味があるが、今から約30年前の壮年期の70年代のブレンデルだから余計に今の自分にピッタリするのかも知れない。90年代の来日時にテレビ放送で視聴した後期の三大ソナタは、演奏の完成度の点で少々不満が残るものだったので。

曲順にちょっと印象をメモしておこう。

『月光』は、第1楽章は遅くもなく速くもないテンポで粘らずに奏されるが、ペダルの使い方が巧いのだろう和音も濁らず、オルガン的な低音もしっかり持続され、継続する八分音符三つのリズムもゴツゴツせずに滑らかで付点音符も嫌味がない。中間部のクレッシェンドの盛り上がりもまことに自然だ(それだけ精密ということだが)。第2楽章は、主部も比較的重いテンポでダイナミックの幅も大きく取っており、音色的にも曇り気味なので、「二つの深淵の間の花」のような愛らしい音楽にはなっていない。第3楽章のクライマックスに向けての助走というイメージだ。第3楽章は、激しい情緒ながら厳格で細部まで繊細な神経が感じられる演奏だ。この楽章はピアノソナタにおける『エロイカ』的な飛躍のような音楽で、濃厚な情緒を幅広いピアノフォルテの能力によってまさに鍵盤狭しと荒れ狂うように表現するが、ブレンデルはそれを崩すことなく、音色や和声的な濁りも感じさせず大きなスケールとダイナミックによって描ききっている。

『悲愴』は、初期作であることを感じさせる比較的ノンレガート的な弾き方で、小気味よい音楽になっている。第1楽章のグラーヴェも鈍重な響きになることなく、主部の低音のオクターブによる持続もゴツゴツせずに、若々しいセンチメントに溢れた主題を疾走させている。(なお、この楽章はR.ゼルキンのようにグラーヴェ冒頭からリピートする例があるが、ブレンデルのリピートは、主部から。)展開部のグラーヴェはためらいがちで少々遅い。コーダの和音は決然と終わる。第2楽章の美しいメロディーもロマンティックに崩すことなく、品格が感じられる。第3楽章のロンドはこの音楽そのものが本来的に持っている少々感傷的な甘さも湛えつつ、駆け抜ける。

『熱情』は、第1楽章の冴えた高音の音色が目覚しい。非常に技巧的な音の細かい部分では少し指回りが苦しいところもあるように聴こえるが情緒の真正さが感じられる。第2楽章の変奏曲は、多くの演奏で比較的空虚さを感じてきたが主題の柔らかい音色と和声の流れが分かるような演奏が素晴らしく、その後の変奏の描き分けも統一感があるにも関らず多彩な音楽を聞かせてくれる。ディアベリ変奏曲でもそうだったが、変奏曲が巧いように思う。第3楽章も意識や情緒の気まぐれな中断がなく、音楽としての内容の維持が提示部なら提示部で持続するような音楽作りが感じられる。その意味で非常に安定して信頼性の高い音楽だということが言えるのかも知れないと思った。展開部になるとその一貫した情緒やアーティキュレーションに微妙に変化がもたらされる。この辺りが構成感がよくつかめる要因なのだろうと思う。プレストでは、主部よりテンポアップされている。新主題と第1主題によるコーダは、精密さと熱狂の絶妙な結合が聴かれ、崩れがまったくない。ここで、第1主題の対旋律を抽出して提示するのはこれまであまり耳にしなかったので新鮮だった。

ブレンデルは、上で挙げた作曲家のほかモーツァルト、リストなど自らレパートリーとなる作曲家を絞り、深めていったという意味でオールラウンダーが多い現代ではユニークな方のピアニストだと言えるだろう。バッハも得意としていたが『平均律』は録音されていないのだろうか、という思いがある。バッハのフーガを、現代ピアノの機能を十分に発揮させたブレンデルの明晰なピアノで聴いてみたい。

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2008年5月12日 (月)

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#6 ドビュッシー『前奏曲集第1巻』

フランス料理のシェフ 飛石蔵人 (トビシ、クロウド !)の相談。

ピアノは、ドビュッシーの全ピアノ作品を日本人で初めて演奏した中井正子というピアニストの演奏。解説は、ピアニスター?Hiroshi。

つぶれかけのレストランに、フランス修業時代の師匠からメッセージ。帆、亜麻色の髪の乙女、音と香りは夕暮れの大気に漂う。沈める寺。

前菜: 帆 ふわふわした響きは、全音音階のため。ピアニスターヒロシが、童謡『蝶々』『ロンドン橋』を全音音階で弾いてみる。面白い。有名な全音音階の例:鉄腕アトムのイントロ。ドビュッシー「不毛な伝統から音楽を解き放ってやりたい」

スープ:亜麻色の髪の乙女。変ト長調だが、いわゆるヨナ抜きの五音音階。スコットランド民謡などの影響。小舟にてがBGM。1889年のパリ万博でのインドネシア、ジャワ島のガムラン音楽。あらゆるニュアンスがこの音楽にはある(ドビュッシー)。料理にも引き算が必要。

メインディッシュ:音と香りは夕暮れの大気に漂う。

中井正子の解説。イ長調にロ音のフラットでスパイス。属七の和音の連続による色彩感。五感を研ぎ澄ませ。

すべてを鐘の音の如くピアノで響かせる。

「沈める寺」 不完全な和音、完全な和音、ペダルを踏んで低音部を響かせ、沈む様を描く。
すべての味を響かせるやる気、情熱を取り戻し、フレンチレストランはその後三ツ星にランクされた、とさ。

その後、サムソン・フランソワの『前奏曲集』を聴いた。ベロフやミケランジェリに比べて、味付けが濃厚で面白かった。

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2008年5月11日 (日)

アシュケナージのチャイコフスキー『四季』

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)

四季-12の性格的描写(Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques*)Op.37bis(1875~76)[p][12曲]
1月「炉ばたで(Au coin du feu)」 2月「謝肉祭(Carnaval)」 3月「ひばりの歌(Chant de l'alouette)」 4月「松雪草(Perce-neige)」 5月「白夜(Les nuits de mai)」 6月「舟歌(Barcarolle)」 7月「草刈り人の歌(Chant de faucheur)」 8月「収穫(La moisson)」 9月「狩り(La chasse)」 10月「秋の歌(Chand d'automne)」 11月「トロイカで(Troika en traineaux*)」 12月「クリスマス(Noel*)」

題名:http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/index.html 参照

併録: 瞑想曲Op.72-5, 少し踊るようなポルカ Op.51-2, 熱い告白、やさしい非難 Op.72-3,
子守歌 Op.72-2 (Op.72 は『18の小品』)

アシュケナージ(ピアノ) 
〔1998年12月12-13日 ドイツ ベルリン、テルデックスタジオ、1998年9月26-27日 ギリシャ アテネ ディミトリ・ミトロプーロス・ホール(メガロン・アテネ・コンサート・ホール)〕POCL-1903 (466 562-2)

アシュケナージのデッカ録音はどうも音色が自分好みではなく、これまでもあまり積極的に聴くほうではなかったが、チャコフスキーのこの「四季」の曲集を持っていなかったので、店頭で目に付いたこのCDを購入した。

比較的新しいアシュケナージの録音だが、この録音は響きの点でもにじむような不満がなく、アシュケナージの多彩な音色を味わえるものだった。

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2008年4月27日 (日)

「ゴルトベルク」変奏曲を聴く

先日のテレビ番組に刺激されて、久しぶりにグールド晩年のゴルトベルク変奏曲全曲をじっくり聴いた。

アリアのテンポは非常にゆっくりだ。グールドのつぶやきや鼻歌が聞こえる部分では、一緒に聴いていた長男も驚いていた。

先日の番組の作品解説により、30の変奏が、3グループに分かれるということに気づかされて改めてそのグループ分けに注意しながら聴いてみた。現在演奏されている変奏番号が何番かということは、最初のアリアの番号1をプレーヤーに表示されるindex番号から引くことで当然分かる。その番号の数を3で割り、その余りの数で第1グループ、2、3グループと分類すると分かるわけだが、音楽を聴きながらその単純な計算をするのが結構面倒で、第1グループが性格的な舞曲(メヌエット、ジーグ)など、第2が技巧的な音楽、第3が1度ずつ音程がずれていくカノンのグループと暗算するのは結構難しかった。特に、第3グループの変奏は、index番号4のものが、1度のカノンとなり、7のものが2度のカノンなるのだが、今演奏されているのが何度のカノンかと考えるのはちょっとした頭の体操だった。たとえば、index 28 は、(28-1)÷3=9 で余り0なので、第3グループ(カノンのグループ)となり、商が9なので9度のカノンとなる。書けば単純なのだが、音楽を聴きながらだと、混乱してしまう。お恥ずかしい話だ。それでも、このように整然と曲が作られているのがわかったので、3度のカノンだと主題の3度上で追いかけ主題が提示されるのが分かる気がするし、2度や4度、7度だとよく不協和にならずに作曲できたものだと感心するなど面白さがわかるように思う。

また、そのテレビ番組で、変奏が30のため、第16変奏から後半になるというようなことを言っていたかは忘れたが、第16変奏は、管弦楽組曲の序曲と同様のフランス風舞曲になっており、これまで意識しなかったが、この曲はまさに後半の始まりを告げる序曲の趣が強い。

それにしても、私も妻もそうだが、このゴルトベルク変奏曲は、演奏には難しい曲だろうが、比較的に短い特徴的な変奏が次々に登場するためか、何度も聴いているうちに、それぞれの変奏がいつの間にか記憶に刻まれやすいようで、つい演奏を聴きながら指が動いたり、鼻歌を歌ったりしてしまう。そのために余計、伝説とは異なり、「眠れなくなる」覚醒作用のある曲なのだということがあるような気がする。

なお、今晩の「名曲探偵」は、23:00 クラシックミステリー名曲探偵アマデウス “交響曲第6番 悲愴”~遺された楽譜の謎 とのことだ。

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2008年4月22日 (火)

NHKBS11 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#3 『バッハの魔法を解け』(ゴルトベルク変奏曲)

先日、NHKの『その時歴史が動いた』でのモーツァルトの取り上げ方に苦言を呈したが、日曜日の夜11時から NHKの衛星放送第2(BS11)で放送された『名曲探偵』は、なかなかよく出来た内容だった。題材は、J.S.バッハのGoldberg変奏曲。ゴールトベルクと英語、独語チャンポンの名称で語られていたが、これは日本の楽曲名でこのおかしな表記が通例になっているからやむを得ないとも言えよう。

NHK クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス 第3回。ちなみに第1、2回は見逃した。)

さて、探偵ドラマとしては少々チープな舞台設定ながら、演奏は豪華だった。熊本マリがゴルトベルク変奏曲をこの番組のために、レクチャー的に弾いてくれたのだった。モンポウの演奏で知られる美人ピアニストだが、このゴルトベルクについても日本の女性ピアニストとして全曲録音を行ったのは彼女が初めてだったという。それだけのことはあり、非常に掌中に納まった感じで、自由自在という感じの演奏だった。

番組も、このバッハの名曲の構造を分かりやすく説き起こし、冒頭と最後に主題(低音部が主題だが)となるアリアを配し、その間を30曲の変奏でつないでおり、その第1変奏から始まる1+3nの数列のグループ、第2変奏の2+3nのグループ、第3変奏の3+3nのグループが、それぞれ舞曲などの性格的な音楽、次第に複雑化するトッカータのような技巧的な音楽、1度のカノンから始まり2度、3度と次第に主題と応答の度数が増えていく超絶的な作曲技巧のグループに分けられていることを要領よく説明してくれていた。特に熊本マリによるカノンの解説は分かりやすかった。また、アリア主題のトリルの意味を実演で比較してくれたのも得がたい内容だった。

また、この曲には欠かせないグレン・グールドの初期の録音と晩年の録音についても触れていた。

まともに作ろうと思えば、このような正攻法でも音楽的な興味を逸らさない番組もできるのにと、あの「その時」と比較して感じたものだった。ヴィデオ録画を子ども達とも一緒に見たのだが、比較的とっつきにくいこの曲を子ども達も興味を持ったようだった。

なお、宇宙物理学者?の方が、このゴルトベルクには宇宙的なフラクタル性を感じると言っていたが、バッハの超精密な音楽作りには、物理学徒を引き付ける誘引力があるのかも知れない。ゲーデル・エッシャー・バッハではないが、エッシャーの騙し絵も紹介されていた。

P.S. 小説家の島田雅彦が登場したが、印象に残らなかった。というよりも、このストーリーへの登場の必然性が感じられなかった。とは言え、30曲の変奏というのは、月齢に関係するのかも知れない。ミサ曲ロ短調などの象徴的な数字などとにかく、バッハは数字に強かったらしいから。

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2008年3月29日 (土)

ダン・タイ・ソンのショパン『夜想曲集』

Chopin_nocturnes_dang ショパン
 夜想曲全集
  ダン・タイ・ソン(ピアノ)

1986年9月23-28日 福島市音楽堂 ビクター音楽産業 VDC-5029-30

2005年10月17日 (月) ショパンとフンメルの命日で、ちょっと取り上げたが、ダン・タイ・ソンの演奏による『ノクターン』全集。ダン・タイ・ソンの姓名については、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の記事で書いたことがあるが、小林研一郎指揮モスクワフィルの演奏会(メインはショスタコーヴィチの第5交響曲だった)に、ダン・タイ・ソンがソリストを務めてラフマニノフの第2ピアノ協奏曲を弾くのを聴きに行き、その折に妻が購入したもの。

先日、ポリーニとアシュケナージでショパンを聴いたがその後しばらくショパンから離れてしまっていた。

1958年ベトナム生まれ。ベトナム戦争中、米軍の北爆の中、地下壕でピアノの練習をしたというエピソードが知られている。ソ連で勉強。ショパンコンクールで優勝(その回にポゴレリッチが落選しアルゲリッチがそれに怒って審査員を辞任した)。

このCDの頃は、まだ28歳。現在の貫禄のある風貌(公式サイト、いきなりピアノ協奏曲第1番のピアノの音が出る)とは大分異なり初々しい容貌だ。

このCDのピアノの音色は非常に美しい。アジア人ということもあるのだろうか、音が非常に繊細で透明。厚ぼったさや粘っこさはほとんど感じられない。植物的と言うような感触だ。ベトナムといえば、日本でも食べられるようになった米の麺フォーが有名だが、若い女性のアオザイの姿がそれと似通った楚々とした風情なのと合い通じるものがあるのだろうか?いわゆる一般的な民族的な特質で、音楽家の音楽を論じるのは粗雑過ぎるが、本当に透き通るようなしなやかな音色だと思う。

演奏スタイルは、モスクワで勉強したので、ロシアンスクールとも言えるのだろうが、やはり粘っこさがなく、サラサラとした音楽が聞こえる。その分、やや食い足りないというところもあるのだが、いわゆるいやみのない演奏だ。

同じアジア系として、多くの日本人ピアニストや中国系のフー・ツォン、近年のショパンコンクールで優勝したリ・ユンディなどと比較もできるのだが、彼らに比べてもダン・タイ・ソンのスタイルはケレンミが少ないことが特徴だと思う。

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2008年3月23日 (日)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番作品110を聴く

◎シュナーベル〔1932年1月21日、ロンドン、EMIアビーロード第3スタジオ、モノ〕6:33/1:55/9:51
◎ソロモン〔1956年8月20日、ロンドン、EMIアビーロード第3スタジオ、モノ〕 7:08/1:57/10:48
◎グールド〔1958年、ストックホルム、ライヴ、モノ〕 8:42/2:16/12:54
◎ケンプ〔1964年1月、ハノーファー、ベートーヴェン・ザール〕 6:18/2:16/9:44
◎グルダ〔1967年7-8月、ヴィーン〕 6:05/1:48/8:58
◎ヴェデルニコフ〔1969年、モスクワ〕 6:00/2:05/10:12

先日発売の『のだめカンタービレ#20』で、取り上げられていたこのピアノ・ソナタの名曲を、手持ちのCDを取り出してきて改めて聴き比べ、感激もし、また大変面白かった。手元にあるピアノ譜は、音楽之友社版(ペータース版?)だが、参照しながら聴いてみた。

この楽譜には、実演を大学の文学部の教室で招聘教授の奥様がジュリアード出身ということで何かの講義の折に聴いたことや、1985年にピーター・ゼルキンが来日?したときに後期3大ソナタを弾いたFM放送のこと(1月9日と日付がある)や、上記の録音のうち簡単なコメントが書き付けてあった。すっかり忘れていたが、以前からお気に入りで、聴き比べをしたらしい。

ソロモン:硬質な音、品格の高さ。

ケンプ:第2楽章のテンポが遅い。美しい響き。終楽章の盛り上がり。フーガの巧さ。

グルダ:テクニック的に安心感。先を急ぎすぎる、アリオーソの部分など。

ヴェデルニコフ:最も真摯な演奏、感動的。

ポリーニ(FM放送85/1/18):すごい。テクニック、形式感。

今回聴き直してもこれらの印象はあまり変わらなかったが、それ以降新たに入手したグールドシュナーベルについて簡単なコメントを書きとどめておきたい。

シュナーベルは、先日全集を買ったときにも聴いたのだが、細部にこだわらずに大局的に音楽を把握しているという印象を強くもたされる演奏が多いように思う。それに加えて、シューベルトの古い録音でも感じたが、ムジチーレンする喜びが率直に伝わってくるように思う。スケルツォ(2拍子)のトリオ(中間部)などは指捌きという点では苦しいものがあるが、上記のリストでもヴェデルニコフやグルダといった指捌き的な技術では並ぶもののないようなメカニックを持った人たちとほぼ同じテンポで弾き切っているのがすごいと思う。あるべきテンポを追求した結果だろう(同様に、ハンマークラフィーアでも、冒頭から信じられないようなテンポを設定している)。その結果として、前に述べたような音楽を大づかみにして聴き手に届けるということに成功しているのではないかと思われる。

1930年代の歴史的録音などというと、以前ブルーノ・ヴァルターのザルツブルクライヴの『フィガロ』を聴いたときにも驚いたのだが、普通は古色蒼然としたおどろおどろしいような演奏が聴かれると思うとまったくさにあらず。ヴァルターのはアセテート盤起こしでもあり、音質的にはどのような音楽が演奏されているのかが分かる程度だったが、このシュナーベルの録音は、楽章によってヒスノイズの量が違ったり、帯域は狭いものの、シュナーベルの清々とした音色が十分聞き取ることができ、また演奏解釈上も、新即物主義的といっても機械的なザッハリヒなものではなく、感情が十分含まれており、否むしろベートーヴェン的な勢いのある迫力を伝える演奏としてはこれに勝るものはそうなないのではないかというものだ。録音でまとまって聴くことができる最も古い全集のはずだが、本当にこれは聴く価値のあるものだと思う。

一方、グールドの演奏は、このようないわゆるドイツの伝統的な演奏に比べると、本当にユニークな演奏だと思う。グールドがヨーロッパでも高く評価されるようになった欧州ツアーのうち、ストックホルムでのライヴ録音。同じようにユニークなスタジオ録音の方はまだ聴いていないのだが、リサイタルでこのような演奏を聴いた聴衆は相当面くらい驚かされただろうと思う。各楽章とも2割程度遅いテンポを取っている。ノンレガートがグールドのトレードマークだが、ベートーヴェンではバッハのような演奏ではなく、美しい歌をレガートで聴くことができる。とにかくゆっくりしたベートーヴェンだが、これはこれで楽しめるので、その意味でもベートーヴェンの懐の深さが感じられる。

なお、これら6種類を聴き比べると、改めてヴェデルニコフの録音の過不足のない技術による透徹した演奏の凄さが感じられる。特にフィナーレのフーガの入り組んだ部分などの捌きは関心する。閉塞されたソ連の中でラジオ放送のためにこのような録音を残したというので、その意味でも凄いことだと思う。


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2008年3月17日 (月)

『のだめカンタービレ』#20

日曜日に『のだめカンタービレ』#20を購入して読み終えた。今回は、ターニャと清良のコンクール(世界的に有名なフランスのコンクールなのでロン=ティボーがモデルだろうか)が主に描かれ、のだめがそのコンクールに刺激を受けながら、真一とともに苦闘する様子が書かれていた。ターニャが弾く『クライスレリアーナ』は、アルゲリッチ的な演奏を連想させた。ただ、アルゲリッチには歯切れの良さは備わっているので、少し違うかも知れないが、全身全霊没入型としては同じ仲間かも知れない。

全体的に、これまでになく不穏な雰囲気が漂う巻だった。

相変わらず多くの曲が登場し、のだめがオクレール先生からレッスンを受けた多くの曲目リストが公開されたりもしていた。先日もちょうどポリーニの演奏で取り上げたショパンの3番や、まだこのBLOGではあまり書いていないが、ベートーヴェンの後期3大ソナタの中でも愛好する第31番のソナタが登場する本格的な展開で、それらの曲へののだめや真一のコメントの台詞がなかなか新鮮で「ため」になった。

このように独奏曲が主体だが、協奏曲もコンクールだけあって多く登場し、ベルクのヴァイオリン協奏曲ラヴェルのピアノ協奏曲も登場した。

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2008年3月13日 (木)

デ・ラローチャのアルベニス『スペインの歌』など

Albeniz_de_larrocha イサーク・アルベニス(1860.05.29-1909.05.18) 

 ピアノ曲集 

 アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)

 EMI CLASSICS CDM 7 64523 2 (EMI ODEON, S.A. MADRID (ESPANA)

  〔1959年頃の初出〕


今日もショパンはお休み。

元々は、アルベニスの有名な『入江のざわめき』あたりを聴きたくて買ったもの。裏面の曲目一覧はスペイン語なので、『入江のざわめき』が収録されていないことはわからなかった。(確か、1990年代に長野の中古盤店『アンサンブル』で購入したものだと思う。)ちなみに、イエペス編曲・ギター演奏だが、『入江のざわめき』は後日入手。スペインの歌の第1曲『アストゥーリアス』のイエペス編曲・演奏も収録されている。

(新星堂の輸入・販売品の背表紙に曲名は書かれているが)いつもお世話になっているクラシック・データ資料館で曲名を調べさせてもらった。

1. 組曲「スペインの歌(Cantos de Espana*)」Op.232,B.44(1896頃/1896出版)[p][5曲]

 (1) 前奏曲ト短調(Preludio)Op.232-1〔※出版社がアストゥーリアスと改題して「スペイン組曲第1集」に使用〕
 (2) オリエンタル ニ短調(Oriental)Op.232-2
 (3) やしの木陰変ホ長調(Bajo la palmera)Op.232-3〔※キューバOp.47-8を参照〕
 (4) コルドバ(夜想曲)ニ短調(Cordoba*)Op.232-4
 (5) セギディーリャ嬰ヘ長調(Seguidillas)Op.232-5〔※出版社がカスティーリャと改題して「スペイン組曲第1集」に使用〕

2.スペイン組曲第2集(2 suite espanola*[Suite espanola No.2*])B.32(1890以前/1889出版)[p]より 第1曲「サラゴーサ(Zaragoza)」

3.組曲「スペイン(Espana[6 hojas de album])」Op.165,B.37(1890)[p][6曲]よりマラゲーニャ ホ短調(Malaguena*)Op.165-3

4.マジョルカ嬰ヘ短調(Mallorca[Barcarola])Op.202,B.41(1891出版)[p]

5.サンブラ・グラナディーナ ニ短調(Zambra granadina[Danse orientale])B.41(1890~91頃)[p]

6.ラ・ベーガ(草原)(La Vega)B.46(1887)[p]〔※組曲「アルハンブラ宮殿」(未完)の第1曲として作曲〕

7.アスレーホス(Azulejos)B.50(1909/1911=グラナドス完成/1922出版)[p]〔第1曲「前奏曲」のみ=未完/グラナドス完成〕

1959年以前のスペイン録音ということで、音質はちょっと悪い。ヒスノイズはタップリで、音割れもする。しかし、1923年の生まれのデ・ラローチャは当時30歳代で、そのピアノ演奏は生き生きとしており、ピアノの音色の美しさや明晰な解釈、レガートの美しさなどは味わうことができる。いわゆる本場物の最たるものだと思う。なかなか聴く機会のないアルベニスのピアノ曲をまとめて聴けるのはありがたい。中ではアストゥーリアスとマラゲーニャがギター的な同音連打を多用していて面白い(上記のイエペスのアストゥーリアスのギター編曲は、調性を変えているが、原曲が本当にギター的な発想で書かれたことが如実にわかるような気がする)。ラ・ヴェーガは一曲で13分を越える大曲。スペイン音楽的な語法は使われているが、転調の多い音楽はそれまでの曲とは趣を異にするようだ。

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2008年3月11日 (火)

ポリーニ ショパン ピアノ・ソナタ第2番、第3番

Chopin_sonta_pollingショパン
 ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.35

 ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58

ポリーニ(ピアノ)

〔1984年9月5-11日 ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレスザール〕

あのポリーニが久しぶりにショパンを録音したということで、田舎町のCD屋にもすぐに入荷して1985年の発売直後に購入したものだったと記憶する。新譜で出たポリーニのディジタル録音、CDのうちで初めて購入したものでもあった。

どんな凄い演奏が聴けるのかわくわくしながら、買ったばかりのヤマハのCDプレーヤーで聴いたのだが、研ぎ澄まされた鋭利な刃物のように凄みのあったポリーニが変わってしまったのではないかという危惧を抱いて、今日まで至っている。

もちろん、破綻のない技術は安定感がある。しかし、どこかよそよそしく空虚で、『エチュード』や『プレリュード』で聴いたポリーニはそこにいないように感じた。これは、その後1988年に録音されたベートーヴェンの『テンペスト』『ヴァルトシュタイン』『告別』、第25番でも感じられた。

今回本当に数年ぶりに取り出して聴いているのだが、やはり『エチュード』や『プレリュード』の延長線上の演奏ではないように聞こえる。言葉にならずもどかしいのだが、ピーンと張り詰めた緊張感が薄れているのではないかと愚考する。

1972年の『エチュード』、1974年の『プレリュード』から10年経過する間も、ベームなどと共演し協奏曲も録音し、次第に円熟していったとも言えるのだが、たとえば、この第2番の異様なフィナーレなど、もっと凄みをもって演奏ができたのでは?と思ったりする。

音楽としてより豊富な第3番のソナタでは、第1楽章の微妙なルバートがあまりポリーニらしくない、ポリーニは前進するリズムよりも細部への拘りが優先しているのではないかと思ったり、第2楽章のスケルツォの主部の滑らかで精緻な音楽は素晴らしいが、トリオの部分は生気がなく、第3楽章のラルゴの歌も透徹した抒情はあまり聴けず、左手の合いの手も平凡に聞こえる。言い方はひどいが、どこか空虚さが漂うのだ。それでも