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2005年2月11日 (金)

ヘンデルとハイドンの不人気

HANDEL昨日、帰路CDショップに立ち寄ったところ、EMIの1950年代以前の古い名録音集が発売されており、例のバーコード試聴機で、聞いてみた。クライスラーのベートーヴェンのVn協は、まあまあの音。ブルッフは針音多。ワルターのマーラーの9番は、意外なほど音がよい。現代の演奏のように細部まで立体的に聞こえるわけではないが、メロディーラインがはっきり出ているため、わかりやすい音楽になっていた。コルトーのショパンは聴き応えはするが、今のあっさりした解釈と比べると本当に個性的だだ。リリー・クラウスのモーツァルトのソナタ集は悪くなかった。アクセントは強いが。

昨日、またブックオフでCDを購入。1000円(ただ、福引をやっていて、何と600円分の無料券をゲット)。ヘンデルのコンチェルト(ティ)・グロッソ(シ) 作品3の第1曲から第6曲。トレヴァー・ピノック指揮による1984年録音、初期のピリオド楽器演奏。ヘンデルの合奏協奏曲は、学生時代いつも聞いていたFMでもなかなかかからず、多分まとめて聞くことは今回が初めて。ずっと聞きたいと思っていたものの一つだった。ただ、店頭でみたとき、2枚組で全12曲の作品6かと思いこんでいたのだが、帰宅して開封したら、前記の通りだった。(大作曲家の作品表はここがよくまとまっている)

さて、本題のヘンデルとハイドンの不人気だが、吉田秀和の「LP300選」にしても、各同時代のバッハ、モーツァルトと比べると紙数が少ない。音楽之友社、名曲名盤300というCDガイドには、バッハ15曲、モーツァルト40曲に対してヘンデル3曲、ハイドン6曲。洋泉社クラシック名盤&裏名盤ガイドでは、ヘンデル1曲(水上の音楽のみ)、ハイドン5曲。文春新書「クラシックCDの名盤」でもヘンデル2ページ(メサイアのみ)、ハイドンは8ページ。バッハ20ページ、モーツァルト34ページ。以前、ハイドンの「天地創造」の聴後感を書いたとき、CDショップのハイドンの占める容積の少なさに触れたが、ことほどさように、このふたりは著名な名前に比して不人気である。ゆえに、FM放送などでも聴く機会が少なかったし、未だにCDなどでも同じだ。ハイドンについては近年廉価の交響曲全集(購入したが全曲聴取はしていない)、フォルテピアノによるピアノソナタ全集が発売されたり、ヘンデルでも同じブリリアントから多くの曲集が出ているように状況は多少改善されてきたが。

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コメント

シューマンならずハイドンに続いてヘンデルが気になってしまいました。ヘンデルの場合も通奏低音の扱いなど時代の傑出した技とオペラにみるような当時からの「商業性」が上手く繋がりません。オペラ劇場でもヘンデルをレパートリーに持っていないところは少ない筈ですが、バロックオペラとして正しく演奏出来る音楽監督や劇場は少ない。最近の充実した録音などでこの違いを多くの人は既に知っている訳です。バロックオペラとしても歴史の中での居場所が悪い。私自身モンテヴェルディーからラモーまでの素晴らしい上演には接していてもヘンデルではまだ出会っておりません。器楽曲もどんなに素晴らしくても演奏の機会が限られますね。

「おまえもか」はカエサルの言葉ですが、海老沢敏さんの講座は聴講が盛況だったと聞いております。時代が察せます。

シューマンの協奏曲のエアーチャックを持っていたのですが一寸見付かりませんでした。

ヘンデルとバッハの詳しい評伝が読めるサイトを見つけました。ホームページ作成者の方は、相当熱心な声楽の愛好家のようです。

ヘンデルがいまやほとんど演奏されないことについても言及されていました。
http://perry.sugoihp.com/index.html

早速、流し読みました。英語の文章がネタ基にもなっているようですが、概ね理解出来ました。本日偶々、移動中の車中でヘンデルのオペラを聴くと、違うオペラの最後の終止が違うだけの殆んど同じ素材を聞きとりました。これをパロディーと言うべきでしょうか、月並みと言うべきでしょうか、自己盗作と言うべきでしょうか?明白なのは、モーツャルトのオペラのような明確な性格付けが出来ていないという事です。ヴィヴァルディを出すまでもなくバッハもそうです。ハイドンが数多い交響曲や四重奏曲で、ソナタ形式の和声で性格付けを出来た事が大きいと思います。

あと古典和声の確立への通奏低音の変化を対位法として一括して扱うのは、些か大まかで納得出来ませんでした。

pfaelzerweinさん。いつもどうもありがとうございます。この記事自体古い記事だったのですが、ヘンデルの誕生日の関係で調べていて、覚書のために自分ようにコメントしたつもりで、です、ます調を省き失礼しました。

当時ヘンデルのイタリアオペラの人気が凋落して、オラトリオに方向転換せざるを得なかった背景に、スウィフトの入れ知恵による「乞食オペラ」の存在があったというのは面白いと思いました。

私はハイドン派ですが、ハイドンは名作と手抜きをした(インスピレーションが乗り切っていない)曲の落差が大き過ぎると思います。昔ラジオで聞いた、カラヤン指揮の「ロンドン」の演奏は鳥肌の立つ美しさでした。アーノンクールの「時計」の第一楽章の鋭角的でダイナミックな演奏は、「時計」ではなく、「太陽」とか「恒星」というニックネームがふさわしいのではないか?というすばらしい演奏でした。19世紀の学者が指摘した「黄金数で支配された曲」という意味はこれだったのか、と納得できました。

そんなハイドンでもピアノ協奏曲ト長調の退屈な導入部はつまらないです。あくびが出ます。対してモーツァルトは、人気のないピアノ協奏曲第17番の第1楽章を取っても、ベートーヴェンが好みそうな和声や調性の変化や曲の引っ張り方をしていると思います。聞き映えがする。さすが、モーツァルトという感じがします。

とはいえ、ハイドンのあまり目立たない隠れた名作はたくさんあります。交響曲第52番と第53番もそうです。第53番は「帝国」というあだ名で少しはしられているようですが、第52番ハ短調はほとんど人気がありません。しかし、疾風怒涛期の曲としては、「もっとも劇的な曲」と言われており、第4楽章などは、まるでモーツァルトの短調の曲のような悲愴感を味わうことができると思います。

hitujiさん、古い記事に丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。また、お礼が遅れたことをお詫びいたします。

この記事は、ハイドンの交響曲全集もまだ全曲聴いていない頃に書いたもので、お恥ずかしい限りです。

さらに膨大な弦楽四重奏曲や、ピアノソナタ、ピアノ三重奏曲、バリトン三重奏曲、ミサ曲、オペラなども聴いてみたいと思いつつ、まだまともに足を踏み入れておりません。

やはり、モーツァルトやベートーヴェンに比べてあまり聴く機会が多くないハイドンですが、時に耳にすると、前向きで健全な人間への信頼感のようなものに思いがいたり、心が洗われるような気分になることがあります。

また、バッハに比べて同じく聴く機会の多くないヘンデルですが、昨夜風物詩的に、メサイアを聴いたところ、こちらもハイドン同様の鷹揚で自由闊達な幸福感のようなものを感じることができました。

陰に隠れることが多いようには思いますが、自分にとってなくてはならない作品を残してくれた大作曲家です。


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