シューマン ヴァイオリン協奏曲(遺作)
先日、pfaelzerweinさんの 「灰の水曜日の前に」という記事を読み、シューマンのことを考えていたので、ふとアルゲリッチのピアノ、クレーメルのヴァイオリン、指揮はアルノンクールでヨーロッパ室内管弦楽団の「シューマン ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲」のライヴ盤のことを思い出し、しばらく聞いてなかったのを聞きなおした。(音楽の茶の間のCDラックにも漏れていたのを追記した)。
演奏者名を見ただけで、このCDが非常に豪華な布陣だというのが、よく分かる。曲がそれほど長くないこともあるので、ピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲がCD1枚に納められているが、CD2枚でそれぞれがレギュラープライスでもおかしくないネームバリューの持ち主たちではある。
私は、これまで満足に(FM放送などでは耳にしたことがあったかも知れないが)聞いたことのないヴァイオリン協奏曲を知りたくてこのCDを購入した。
この曲は、シューマン晩年の作品で、遺族による蘇演反対もあったらしいが、 クーレンカンプ(クーレンカンプフ)により初演された。当時の録音も残っているようだ。既に精神障害が相当進んでいた時期の作品ということで、献呈された ヨアヒムがシューマンの「名誉のために」お蔵入りにしたらしい。
クレーメルは、かつてEMIに ムーティと組んで録音しているが、再録音をしたところをみるとこの曲に魅力を感じていることは確かだろう。
購入後、数度聞いてどうも馴染めなかったのだが、昨夜聞いたところなぜか非常に親しい曲に出会ったような感慨を抱いた。なぜだろうか。シューマンではこれまでそういうことが何回かあった。交響曲では比較的聞きやすいといわれる「ライン」など、初めは敬遠していたが、ある日、冒頭主題の魅力に気がつき、その後一気呵成に愛好曲になった。
さて、第1楽章は、第1主題と第2主題が短調と長調で提示され形式感がしっかり出ているが、あまりにも直截で、素朴過ぎる形式だ。第2楽章は、夢想的な雰囲気の曲。いかにもシューマン的な楽章だ。その第2楽章からアタッカで始まる第3楽章は、ロンド的な曲で同じフレーズが何度も繰り返されるが、いわゆる停滞感とでもいうのだろうか、スパイラルのようで、前へ進む感じがほとんどしない不思議な音楽だ。ヴァイオリンの技巧的なフレーズは、どの奏者に助言を得たのだろうか。シューマンのあの不思議なチェロ協奏曲もそうだが、弦楽器の扱いが得意でなかったはずのシューマンにこのような曲が書けたのは面白い。そういえば、名ピアニストでもあったバルトークが、むしろ弦楽器の分野(弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ソナタ、無伴奏ソナタなど)で前人未踏の傑作を作曲したのと相通じるものがあるかも知れない。
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なお、n'Guin HOMEPAGEは小児科のお医者さんによるシューマンへの愛情がよく伝わるもの。シューマンの有名な指の故障や死因についての医師ならでは推理は非常に興味深い。
n'Guin HOMEPAGE
ところで、現在、日本は、世界的に著名なシューマン学者を有している。前田昭雄博士である。主著にはあまり触れたことがないが、活躍は、レコード藝術などの連載で早くから知っていた。
かつてベートーヴェンでは故・児島新氏という世界的に最前線の研究者がいたし、バッハの樋口隆一氏や、モーツァルトにしても 海老澤敏氏を初め、多くの学者を擁している。西洋音楽に対する文献的な研究が東洋の国、日本でこのように深く進んでいるのは、非常に不思議な現象だろう。ただ、ブルックナーの交響曲について、本場ドイツ、オーストリアの相当のファンでも、いわゆる版や異稿のことはあまり気にしないらしいが、日本ではイッパシのファンなら、版の問題を抜きに演奏を語ることは許されない雰囲気だ。
私が、自分の体験した音楽について、コメントを書くこと自体、日本では他にも多くのホームページで同様なことが行なわれているので、奇異に感じないが、実は結構ユニークなことなのかも知れない。これらのことの淵源は、四書五経などへの注釈学が日本で盛んだった(と思う)ようなことと相通じるものがあるのではなかろうか?
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私は交響曲『ライン』と『春』は大好きです。
聴いたときから好きだったのですが、聴き始めて数年後に音楽評論家が、なんであんな変な交響曲を作ったんだろうと評論するのを聞きました。
そこで賛否別れることを知ったのですが、私の感覚では、これがシューマンの交響曲の香りであると納得して聴いています。
『中年会社員の観察日記』作者
投稿: sakaiy22 | 2005年2月15日 (火) 00:41
sakaiy22さん、いつもコメントありがとうございます。シューマンの交響曲は、しばしば「鳴らない」、「楽器法が拙い」と評価されているようですが、私にはよくわかりません。むしろ自作曲の初演に携わる機会があった彼ですから、彼の求める響きが得られなければ改作したのではないかと想像します。実際に交響曲第4番は改訂されているわけですから。オーケストラ奏者、指揮者にはシューマンの曲を演奏するのは非常に難しいようですが、そのような結果得られる中間色こそシューマンが求めたものだったかも知れないと弁護したくなります。
ただ、実際多くの指揮者がバランスを整えるためにオーケストレーションをいじることがあるようですね。また、楽器の個性が明瞭なピリオド楽器で演奏することにより、風通しが悪いと言われる音響が違って聞こえることもあると聞きました。
投稿: 望 岳人 | 2005年2月15日 (火) 17:11
シューマン 交響曲 オーケストレーションで ググっていたら、面白いBLOGに行き当たりました。指揮者下野竜也氏。ヴィーンであの湯浅氏に師事したときのことが書かれていました。
http://seikyo.blogzine.jp/tatsu/2004/10/
ただ、不思議なのは、プロ(予備軍)を感激させるような湯浅氏は、なぜ舞台に上がらないのかということです。
投稿: 望 岳人 | 2005年2月15日 (火) 17:24
手伝ったヴァイオリニストとしてJoseph Joachimが何処かに書いてありませんでしたか?
それよりも興味あるのは南ポーランド出身の大ヴァイオリニストKarol Lipinskiに「謝肉祭」が捧げられている事です。その前にフランクフルトでライバルのパガニーニを聞いている。リピインスキーはドレスデンのカパルマイスターも勤めていたようですが、親交があったのでしょうか。
またKreislerianaとか、ここでもヴァイオリニストとかETAホフマンが出てきて、シューマンだけではありませんがロマンティック文学・芸術を検索して行くと限がないという感じです。そのようなものを扱う学問やビジネスはこれだから今まで食繋いで来れた。偉大なる堆肥と言うと語弊があるでしょうか。
仰るような注釈学ではないかもしれませんが、少し視点を変えていくだけで幾らでも論文が書ける、疑問ですね。只、ETAホフマンなどの書物が次から次へ出てくる様子はこちらでも変わりません。ネットのデーターベース構築で今後状況は変わってくると思いますが。
投稿: pfaelzerwein | 2005年2月17日 (木) 16:53
pfaelzerweinさん、ヘンデルとハイドンの関係でもコメントありがとうございます。
さて、ヴァイオリン協奏曲ですが、ヨアヒムへ献呈はしたものの、助言は得ていなかったのではないかと思われます。
それで、調べていましたら、シューマンおたく学会 < シューマンおたく学会データベース < ヴァイオリン協奏曲部会(もくじ) < 投稿 No.20 http://totoroo.cside.com/musik/schumann/db/etc/vlnkonz_bukai/
を発見しました。非常に詳しく、死蔵の経緯が書かれていました。
「謝肉祭」がリピンスキーというヴァイオリニストに献呈されていたという件、情報ありがとうございます。パガニーニの名を含んだあのピアノ曲がどうして他のヴァイオリニストにという疑問があります。
またサイト紹介になりますが、http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/schumann/02solo02.html は ASCHについて分かりやすく書かれていました。
極東の国でなぜ西洋音楽研究が盛んになっているのかを素人考えで妄想したものゆえ、注釈学については、誤解を招く書き方だったかも知れません。
投稿: 望 岳人 | 2005年2月17日 (木) 19:02