島崎藤村の故郷が岐阜県に編入
長野県木曽郡山口村が、平成になってからは初めての越県合併により、岐阜県中津川市に編入された。山口村馬籠は、明治から昭和にかけて活躍した詩人・小説家の島崎藤村の出身地である。
今回の県を越えての合併は、昨日今日持ち上がった動きではなく、地勢的には至極自然のなりゆきだったことは、馬籠を訪れた人なら肯ける出来事だった。もともと馬籠が属していた神坂村が昭和33年に馬籠を残して中津川市に編入された経緯がある。藤村の「夜明け前」は、大部の小説で、20年以上前に購入しながらまだ第一部をようやく読了したくらいなので、語る資格はほとんどないのだが、馬籠宿と妻籠宿との間には峠があり、今でも険しい木曾街道をしのぶよすがとしてハイキングコースになっているくらいで、その峠を境として、南西側の馬籠は、信濃の国ではなく、美濃の国になってもおかしくなかったと思う。
藤村は、自己のアイデンティティを信州人に置いていたかは定かではないが、「夜明け前」の登場人物たちは、明瞭に自己を信州人と規定し、美濃人とは異なると意識していたようではある。
国語辞典や百科事典などは、しまざき‐とうそん【島崎藤村】 詩人、小説家。本名春樹。長野県出身。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)などとしているので、出身都道府県を表記する場合には苦労するだろうが、藤村が生まれた1872年には木曾郡は筑摩県であり、1876年(明治9年)に長野県となっているという事情もある。
長野県人にとっては、島崎藤村は、信州小諸で教鞭をとっていた時代のこともあり、郷土を代表する人物だと思われているが、今回の合併により、岐阜県の出身であると言われてもピンとこない。
ただ、行政区的には山口村が岐阜県に編入されたとはいえ、旧国名上は信濃の国(信州)であるので、「信州馬籠宿(現岐阜県)生まれ」とでもするのが、解決策だろうか。
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