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2005年3月の29件の記事

2005年3月31日 (木)

R25という雑誌に「のだめ」とクラシック音楽の記事

「のだめ」が各方面で話題になっているようだ。先日の雑誌「ダ・ヴィンチ」に特集が組まれていたようだが、同じリクルートが発行している若手サラリーマン向けの無料誌 R25 にも コラムで「のだめ」が取り上げられていた。また、R25の巻末コラムでは石田衣良という作家が自作に書き入れたクラシック音楽について語っていた。

P.S.
その後、「のだめ」の感想。
少々、ネタバレあり。
のだめがパリの名門 コンセルヴァトワールに入学して、アナリーゼのゼミに参加したときに、まったくついていけずに凹む場面がある。そのとき友人である同級生から「君は、日本の大学で学んできたんだよね。僕は、市立の音楽院で勉強してきたよ」と突っ込まれる。このエピソードは、ヨーロッパの大学生がよく勉強し、反面日本の学生が勉強しないかを示すものではなかろうか。のだめは設定上天才肌でそのような地道な知識や分析力に頼るタイプではないのだろうが、その演奏からは恐らくあまり知性は感じられないのではなかろうか。ブラームスの交響曲第3番の第3楽章のアナリーゼなどといえば素人の自分でも受けてみたい授業だ。

「もう一枚のモナ・リザ」

<ルーヴル美術館ミステリー>ビートたけしの歴史的大発見 名画モナ・リザはもう一枚あった!
という番組が先日放映された。

美術の好事家ぶるための私の参考書として細野不二彦作の(参考:インタビュー「ギャラリー・フェイク」で、元メトロポリタンのキュレーターで現在は贋作画廊を経営する主人公の藤田玲司が「もう一枚の『モナ・リザ』」をライフワーク的に追い求めている。今回のビートたけしの番組をみて、細野がよく美術史の裏面を調査しているのが分かった。むしろ、たけしのテレビ番組の方が、このコミック(だけではないと思うが)を参考にして実地調査したような印象だ。
たけしが今回世紀の大発見をした「もう一枚」は「アイルワース版モナリザ」と呼ばれ、スイスの地下金庫に秘蔵されているのだという。映像で見た限りでは、ルーヴルのモナリザよりもずっと若く,美しい。ただし、ルーヴルのような神秘の微笑は見られない。(アイルワースで検索すると数多くのサイトがヒットする。注目度が高い。)

ラファエロが当時「モナ・リザ」を見てスケッチ風に模写したものが残されており、そのスケッチには、ラファエロの円柱と呼ばれる建物の円形の柱が画面の両側に描かれているが、ルーヴルのものにはない。今回のアイルワース版にはそれが描かれている。

ルーヴルのモナ・リザの年齢は、それほど若い夫人の肖像ではないように見える。先日、フィレンツェの経済学者が、当地の図書館で古い記録を調査して、ジョコンダ夫人の実在の記録を発見したと新聞記事に出ていたが、レオナルドがジョコンダ夫人の肖像を依頼された当時の夫人は20歳台だったらしい。(モナ・リザは高血脂症 

今回の「アイルワース版」が、この歴史的発見の後、実際にどのような鑑定を受け、どのような鑑定結果が出るのか興味があるが、番組としてもちゃんとフォローアップしてほしいものだ。(ラファエロのスケッチとルーヴルのモナリザを元に、若い婦人の肖像を描けば「贋作いっちょうあがり!」ではなかろうか?「ギャラリー・フェイク」では、ナチスドイツの総統美術館の元館長(GD)がブラジルで生きており、この「アイルワース版」に相当する作品を所蔵していたが、藤田の鑑定は、目に気品があるが、これはラファエロのものだろうというものだった。そして、その作品はGDとその屋敷ともに灰燼に帰した。いったいどのような鑑定になることだろう。)

なお、ルーヴルのものは、レオナルドがフランソワ一世の招きを入れ、フランスに晩年を過ごした際に死去まで手元に置いていたものだという。ただ、これも(ギャラリー・フェイクにあるが)ペルージャという男によりルーヴルから盗まれ、その際に複製と交換されたという可能性があるのだという。

検索したら「ギャラリー・フェイク」とこの番組を扱ったBLOGがあった。こちらです。

2005年3月30日 (水)

東芝、1分で充電できる新型電池

すごい電池が現れた!これが低価格で普及すれば、すべての乾電池をリプレース可能かも知れない。

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0503/29/news025.html

2005年3月29日 (火)

映画「ヴェニスに死す」

以前の映画「バリー・リンドン」の記事関連で、リンドン女伯爵を演じた気品のある美女マリサ・ベレンソン(ベレンスン)が、あの映画「ヴェニスに死す」で主人公の音楽家アッシェンバッハ(グスタフ・マーラーをモデルにしたと言われている)の夫人を演じていることを知り、確認してみようと思っていたが、この映画のビデオはなかなか見たい気分にならなかった(これまで何回か見たけれどどうも不満が残る経験をしたからかも知れない)。ようやく重い腰を上げてこの映画のビデオを見た。ところで、アッシェンバッハがマーラーをモデルとするならば、その夫人は、あのアルマ・マーラーだ。昨夜は、前半を見ただけだが、アッシェンバッハ夫人の実物は現れず、ヴェネツィアのホテルの部屋に上半身のポートレート写真として飾られているだけだった。幼い娘の写真も飾られていた。

まだ、今回は最後まで見ていないが、名画だという評判が高いこの映画に、いくつかの点で不満を覚えたために、見直すのを躊躇したのが分かった。

1971年の時点でマーラーの5番のアダージェットを使用したのは、少々先駆的ではあるが(もっとも、戦前からこのアダージェットはSPレコードでも愛好され、ワルター/VPOの演奏が人気があったらしい)、演奏の質があまり高くない。イタリア人指揮者がローマの聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮したもの。(ところで、イタリアには他のヨーロッパ諸国に比して、著名なオーケストラ団体がないのはどうしてなのだろうか?常設オーケストラでは放送局関係があるようだが、著名オペラ劇場のオケがドイツのように独立してオーケストラ曲を演奏することがあまりないようだ。その中では、このオーケストラは比較的録音も多い。)イタリア映画ゆえに、イタリアの楽団を使ったのだろうが。なお、映画の開始時のクレジットに この楽団とともにALTO で某と出てくるが、このアルトは女声のアルトのことか、それともヴィオラのことか。今のところ判明していない。

質と言えば、メリー・ウィドーワルツなどをサロン風に演奏しているリドのホテルのピアノ三重奏があまりにも拙い。特にヴァイオリンはもう少しどうにかならなかったものか?場末のホテルではなく超一流のホテルが舞台なのだから。

また、映像的には、(DVDはワイドスクリーンで収録されているようだが)ビデオはテレビ画面に合わせたサイズなので広がり感や奥行き感に乏しいのと、色彩に透明感が不足していて、鑑賞しずらい。カメラワークの問題だろうか?どうにも古めかしい。

今回鑑賞したところ、美少年タジオは、女流指揮者の西村某氏を思い出させた。

(続く)

2005年3月28日 (月)

新江ノ島水族館

1月の末に続き、実家から父母が孫たちと会うために遊びに来てくれた。次男が2年前に幼稚園のお遊戯会で主役の浦島太郎を演じたのにちなんで昨年開館した新江ノ島水族館見物を母が提案してくれたので、鎌倉駅で待ち合わせて、江ノ電で江の島に出かけた。

快晴に恵まれ、最高気温予想が、18度Cということで暖かくなるかと思っていたのだが、風が冷たくて、体感気温上はあまり暖かくなかった。鎌倉から江の島にかけての海岸は、ちょうどいい波が出ていて、ほとんど隙間なくサーファーたちが波と戯れていた。カヌーに乗っていた人もいたし、ウィンドサーフィン、ヨットも出ていた。杉花粉は、「非常に多い」予報だったが、海辺なので、比較的少なかったらしく、花粉症の気味のある父もそれほどひどいアレルギー症状は出なくてよかった。

江の島を訪れるのは、海水浴で訪れて以来3年ぶりくらいだろうか。引っ越して来た当初は、有名観光地の鎌倉や江の島にも何度も足を運んだが、生活が落ち着いてしまうとなかなか一度訪れた場所には足を運ばなくなる。今回は江の島の弁財天にお参りしたのだが、参道からまっすぐに伸びる石段がきれいに工事されており驚いた。石段の途中には弁天様と童子の石像も飾られていた。辺津宮(海辺にあるお宮という意味らしい)に参り、そこで母が料理して父がかついで来てくれた弁当をひろげ、ピクニック気分で食事をした。

参道のみやげ物屋には、沢山玩具が陳列されていたが、子ども達は「ぐっと我慢の子」で、感心した。以前次男が2歳の頃ここを訪れたところ、大量に陳列されているおもちゃを見て買って買ってが始まり、難儀したことがあった。幼児には目の毒で、気の毒だった。

有名な捨て猫たちが参道で寝ていたが、あまり数は多くなかった。また、富士山方面は霞んでおり、たおやかなお姿は拝めなかった。

水族館は、再オープン当初から大人気でチケット売り場に行列ができていたらしいが、さすがに最近は一時のブームは過ぎたらしくそれほどの行列ではなかった。ただ、数年前、旧館を訪れたときも比較的高いと思ったがチケットがやはり高く、大人2000円、子ども1000円もした。水族館は、全国的に私立が多いように思うが、どうなのだろうか?動物園に比べると、少々料金が高いのもそのせいかも知れない。(なお、年間チケットがなぜか非常に安く設定されており、大人4000円、子ども2000円で、一年間入場できるようだ。リピーター重視ということだろうが、この値段のつけ方はあまり理解できない。)旧館時は、道路の両側にあった建物がすっかり取り壊され、海岸側のみが水族館になっていた。平べったい建物で、ディスプレーは工夫を凝らしてあったが、展示魚類が少なく感じた。

これまでに、新潟県の上越市水族館、横浜の八景島水族館、品川水族館、池袋のサンシャイン水族館、蓼科アミューズメント水族館、伊豆三津シーパラダイスなどの水族館を見てきたが、どれも一長一短か。江ノ島水族館は、相模湾の魚類を中心に展示してあり、巨大水槽もそれなりに見事だったが、上越市に比べれば小さい。また、八景島や品川のようにチューブの中をくぐり、海中散歩気分を味わわせるをするような工夫はなかった。ただ、外光を取り入れているためか、魚類の水槽内部が非常に明るいものが多く、好印象だった。旧館もクラゲの展示が充実していたが、新館もそれなりに集められていた。なお、珍しい展示としては、マリアナ海溝や日本海溝の極限的な深海の生物がまとめられていたが、あまり目を引くディスプレーにはなっていなかったのが残念。また、今上天皇による研究(ハゼ類)のコーナーがあった。昭和天皇のものも展示されており、天皇家の生物学者としての一面を教えてくれた。

イルカショーは、旧館時のプールもあまり大きくなかったが、新館でもあまり大きさが変わらないようで、八景島に比べると少し狭く感じた。まあ、品川、直江津もあまり大きくないが、八景島は非常に大きいプールで、ベルーガやセイウチの演技などもあり、この点は八景島の方に分があるように思う。(ここでも海風が寒かった。ただ、旧館時は寂れた感じで観客数も少なかったが、今回は超満員。) 水族館生まれ四世のイルカ(世界初だそう)が1歳になり、ジャンプにデビューしていたが、2歳のイルカに比べると、前方宙返りがまだまだ未熟だった。イルカショーのイルカたちのあのジャンプ演技は、相当の努力の賜物なのだという。

その他、アシカやペンギンも展示されていた。また子ども用には触れるプールもあり、無毒のエイや無害のサメに触ることができ、鮫肌のザラザラを実感したようだ。ちなみにエイはヌルヌルしていたらしい。

荒俣博氏監修、海洋堂製作の、展示品のフィギュアがガチャポンとしてなんと200円で購入できるのは、入場者の特権の一つだろう。ミュージアムショップでは、我慢していた子ども達に、じいちゃん、ばあちゃんがペンギンとサメ・エイのフィギュアセットを買ってやり双方とも満足したようだ。ただ、全体的に商品それほど魅力的なものはなかった。八景島の方がオリジナルの楽しいお土産類を売っていたように思う。

折角の広大な敷地なのだから、1階か2階上に建て増しして、もう少し展示物を増やした方がいいように思った。以前朝日新聞の土曜日版"BE" にもこの水族館の女性経営者が好意的な記事で紹介されていた。なるほど女性ならではの細かい気遣い(トイレが綺麗、展示ラベルに漢字が表記されている、など)を感じることもあったが、少々エンターティメント志向過ぎるようなので、大人でもさらに興味が持てる内容が見たかった。個人的には、鰯や鯛、イセエビなど食卓に上る海洋生物の展示が面白かったので、外観が綺麗だったり珍しい魚類だけでなく、鯖やサンマ、平目などなど、魚屋の店頭で売られる魚の生態をもっと見たい。パンフレットがもう少し充実したものがほしい。

P.S. 子ども達は魚類図鑑をよく見ているので、魚の名前、生態に詳しく、ホウボウという魚が、胸鰭が変化した昆虫の脚様のもので、海底を歩くの解説してくれたのはうれしかった。

ベートーヴェンの命日 3月26日

Ludwig van Beethoven は1827年3月26日に亡くなったので、この日は、彼の没後178年だった。ヴィーンの自宅でなくなった彼の葬儀には、2万人とも3万人とも言われる多くの人々が参列したという。あのシューベルトもその行列に加わったらしい。ベートーヴェンは晩年、甥カールの問題で苦労し、体調を崩し、スランプに陥り、浮浪者のようにヴィーンの街を彷徨することもあったらしいが、これだけ盛大な葬儀が営まれたということは、ヴィーンの民衆は彼の音楽を愛し、尊敬していたということなのだろう。(人気は、ロッシーニなどに奪われていたとは言え)

新聞で、この日が楽聖忌と呼ばれると書かれたコラムを見かけた。

(ちなみに誕生日については、明確な記録はなく、1770年12月17日ボンで洗礼を受けたという記録があるため、おそらく誕生日は当時の慣習を考慮するとその前日だと考えられているという。)

なお、ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた「不滅の恋 ベートーヴェン Immortal bloved」は、その不滅の恋人についての推理や映画全体の出来には異論・反論があるとは言え、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の自作自演、ナポレオン戦争時代のヴィーン、第九の初演、甥カールとの軋轢など、彼の生涯の場面場面を描いた映像は見ごたえがある。

2005年3月24日 (木)

Anner Bylsma 70Years

所用で帰宅時に町田まで出たついでに、TAHARAに立ち寄って、ニールセンの「不滅」かバルトークの「不思議なマンダリン」を探していたら、廉価のセットもののコーナーに ビルスマ70歳記念の限定盤11枚セットが何と3000円ちょっとで売っていたので、思わず購入してしまった。帰宅してHMVのサイトで調べると相当売れ行きのよかったものらしい。

このサイトを見て驚いたのだが、この製品には誤植が多いようだ。ビルスマの誕生記念というのに、ソニークラシカルは無粋なものだと呆れてしまった。いくら廉価盤とは言えこれはないだろう。HMVのサイトの情報では、ソニークラシカルとしては交換予定はないのだという。それに、録音データがまったく記載されていないのも不誠実ではなかろうか?安い値段を勝手につけたのは、ソニークラシカルの方だろう。安いので多少にミスは我慢しろというのは商売人の風上に置けない(と怒ってしまった)。ブリリアントなどは、CDのエラーなどがあると割と容易に交換に応じてくれるのだから、ソニーの傲慢さが目立つ。

(ソニーのサイトを見たらほとんどが国内盤で現役のようだ。)

ところで、肝心の録音の方だが、ビルスマの名録音が数多く楽しめる大変充実したものだ。バッハの無伴奏の旧録音やベートヴェンのチェロソナタ全集(ピアノフォルテはインマゼール)の新録音。DISC8のニールス・ガーデは、デンマーク生まれの音楽家で、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演の指揮を行った人物。

ビルスマといえば、まだ女房と結婚する前1993年頃に、どういう伝手で呼んだのか、長野県の須坂市という田舎の小都市にピアノフォルテ奏者の渡辺順生(渡邊順生)氏と一緒にやってきて、ベートーヴェンの3番とボッケリーニのソナタ(コンチェルト)?の何番かを演奏してくれたことがあった。結婚前の女房と一緒に聴きに行った。(ホームページにも記載してある。)メセナホールという音楽ホールの小ホールで、まさに目の前で妙技を繰り広げてくれた。ボッケリーニの途中で暗譜が途切れて、楽章の最初から弾き直すというハプニングがあったりしたが、夢のような音楽経験だった。

CDでベートーヴェンの3番を聞いてみた。ロストロポーヴィチとリヒテル、フルニエとグルダというヴィルトゥオーゾの演奏で耳に馴染んだこの曲だが、インマゼールの達者な指さばきにも支えられ、ビルスマの素朴な音色のチェロが表情豊かに歌う。特にロストロ盤では、この曲は盛期ベートーヴェンの仰ぎ見るような傑作という印象が強いのだが、ビルスマたちの演奏を聞くと親密で心に語りかけてくる音楽になっている。

なお、ボッケリーニ、デュポール、ロムベルク(初耳)などの古典派の音楽家の曲をまとめて聞けるのと、シューベルト、メンデルスゾーン、ガーデ、シューマン、ブラームスなどロマン派の音楽をピリオド・アプローチで聴けるのも面白い。モーツァルトの奇跡のK.563ディヴェルティメントも楽しみだ。

以下は、HMVの紹介サイトの曲目一覧を引用させてもらったものにところどころ注釈をつけた。

ディスク 1 (ジャケットは新盤のものが用いられている!が、録音はバロックチェロによる旧盤)
バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009

ディスク 2 (ジャケットは新盤のものが用いられている!が、録音はバロックチェロによる旧盤)
バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012

ディスク 3 (インマーゼールのフォルテピアノとの共演による新録音)
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調op.69
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番ヘ長調op.5-1
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調op.5-2

ディスク 4 (インマーゼールのフォルテピアノとの共演による新録音)
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調op.102-1
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調op.102-2
ベートーヴェン:「魔笛」の"Ein Maedchen oder Weibchen" 「娘っ子かご婦人が」(パパゲーノのアリア)の主題による12の変奏曲ヘ長調op.66

ディスク 5
ボッケリーニ:序曲(シンフォニア)ニ長調op.43
ボッケリーニ:チェロ協奏曲第3番ニ長調G.476
ボッケリーニ:八重奏曲(ノットゥルノ)ト長調op.38-4(九重奏版)
ボッケリーニ:チェロ協奏曲第11番ハ長調G.573
ボッケリーニ:シンフォニア ハ短調G.519

ディスク 6  (オーキスのピリオド・ピアノとの共演)
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調op.38
シューマン:民謡風の5つの小品op.102
ブラームス:チェロ・ソナタ第2番ヘ長調op.99

ディスク 7
デュポール:2つのチェロとフォルテピアノのためのソナタ ニ長調
デュポール:2つのチェロのための9つの練習曲第11番イ短調
ベートーヴェン:「マカベウスのユダ」の"See here the conqu'ring hero comes"「見よ勝者は来た」の主題による12の変奏曲ト長調  (「勝利をたたえる歌」という題名で有名な旋律)
デュポール:2つのチェロのための11の練習曲第9番ニ短調
ロンベルク:チェロ・ソナタ第1番変ホ長調
ボッケリーニ:2つのチェロのためのソナタ変ホ長調
ベートーヴェン:「魔笛」の"Bei Maennern, welche Liebe fuehlen" 「愛を知る男性は」(パミーナとパパゲーノの二重唱)の主題による7つの変奏曲変ホ長調WoO46

ディスク 8
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調op.20
N.ガーデ:弦楽八重奏曲ヘ長調op.17

ディスク 9
モーツァルト:ディヴェルティメント(弦楽三重奏曲)変ホ長調 K.563
モーツァルト:アダージョとフーガ ヘ短調 K.404a-6
モーツァルト:アダージョとフーガ ニ短調 K.404a-1
モーツァルト:アダージョとフーガ ト短調 K.404a-2
モーツァルト:アダージョとフーガ ホ長調 K.404a-3

ディスク 10
シューベルト:弦楽五重奏曲ハ長調 D.956
シューベルト:ヴァイオリンと弦楽のためのロンドイ長調 D.438

ディスク 11
ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲イ短調 RV 418
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ハ長調 RV.117
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ヘ短調 RV.143
ヴィヴァルディ:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲変ロ長調 RV.547
ヴィヴァルディ:2台のヴァイオリンと2台のチェロのための協奏曲ト長調 RV.575
ヴィヴァルディ:4台のヴァイオリンのための協奏曲ニ長調 RV.549
ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲ト長調 RV 413
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ホ短調 RV.134
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲イ長調 RV.159

今日聞いた音楽

◆ストラヴィンスキー「春の祭典」ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団
 長男のリクエスト。以前は小澤/BSOを掛けることが多かったが、最近はこれだが、少々後半の終結部がワザとらしい。ディズニーのファンタジアの影響でこの曲が好きになったようだが、小学生がこれを聞いてどんなふうに感じているのだろうか。小澤盤やファンタジアのストコフスキーの演奏のテンポの違いなどを指摘したりするので、結構記憶しているらしい。

◆ブラームス 自作の主題による変奏曲 Op.21-1 レーゼル(旧東独のドイツシャルプラッテン独奏曲全集3巻から。
まだ、第4、5巻が入手できていない)
 レーゼルのピアノはそれほど覇気は感じられないが、音もダンゴにならず、結構透明感のある演奏だ。

◆ブラームス 交響曲第4番 小澤/サイトウキネンオーケストラ
 そういえばどういう演奏だったかと急に思いつき久しぶりに聞いた。悪くはないのだが、流線型気味で、サラサラ流れる。音色も渋く重厚というのから遠く、淡彩で軽い。マスとしての響きに物足りなさを覚える。

◆R.シュトラウス 家庭交響曲、ホルン協奏曲第1番、ドン・ファン  セル/クリーヴランドO.
ホームページの「音楽の茶の間」のR.シュトラウスの項目を修正する必要があり、その関係で解説ページを参照しながら聞いてみた。セル没後30周年のリマスター盤。アダージョの部分は先日聞いたときフムフムという感じだったが、今回はなるほどという感想。解説のR.シュトラウスはホルンが肝心という指摘はなるほどという感じだが、ドイツ・オーストリアのオーケストラ音楽は、ホルンの背景的な音色がどの作曲家の曲でも重要な気がする。たとえば、モーツァルトの交響曲第25番、第29番など。ホルンが安定して、和声的なバックグラウンドを作り出せるかどうかでその曲の演奏が相当違って聞こえる。その点、日系のオケは少々物足りない。
 ところで、ドンファンの演奏時間9分30秒頃からのファンファーレで、セルの気合に満ちた唸り声がかすかに聞こえる。このドンファンの演奏は、非常にエネルギッシュで輝かしいものだが、セルの燃え方がこの声からよくわかる。

2005年3月23日 (水)

多摩川の南 

都市伝説・メリーさんの真実というサイトをたまたま見つけて読んだ。

敗戦日本を象徴する女性を描いたノンフィクションだが、その中で特に印象に残ったのは、多摩川のこちら(北側)には「外人」「進駐軍」を入れるなという江戸幕府、日本政府の政策の「一貫性」によって形づくられた横浜という町の性格だ。今は華やかなハレの装いを見せる港町横浜だが、幕末の開国時代と、敗戦後の占領軍の進駐時代には、そお重荷を背負わされた町だったのだなと、ショックを受けた。

文明開化によって先進的な町が誕生し、華やかな外国文明の取り入れ口、洋行の出発地の町だった横浜と、現代の同じくおしゃれな観光地横浜との間には、連合国の占領時代、朝鮮戦争時代の暗く陰鬱、その反面エネルギッシュな町の歴史があったのだ。

今でも横浜市内には多くの米軍基地、施設が存在し、神奈川県内には横須賀、座間、相模原など米軍基地が横たわっている。ときおり、横浜の空に爆音を響かせて軍用機が飛び交っている。

名曲の空似

(1)シューベルトのピアノソナタにはあまり興味がなく、晩年の大作ピアノ・ソナタ第21番D.960でさえ「さすらい人幻想曲」を聞きたくて購入したブレンデルの旧盤にいっしょに収録されていたの聞いたのが初めてだった。まだこの曲に馴染んでいるとは言えないが、その後ケンプやシュナーベルなどの演奏を聞きこの膨大な作品に少しずつ親しめるようになった。

ところで、その第1楽章のゆったりした第一主題が始まってしばらくたち、低音のトリルの後、どうも聞き覚えのあるフレーズが聞こえてきた。懐かしい「鉄腕アトム」のテーマソング(谷川俊太郎作詞、高井達雄作曲)の「空を越えて ラララ 星のかなた」の「星のかなた」のフレーズとそっくりなのだ。(このことは、すでにいろいろなところで指摘されているようだ。http://www.nhk.or.jp/kimakura/index.html) TVの「タモリクラブ」に空耳アワーなるものがあるが、名曲の空耳アワーというところだろうか。

(2)ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調は、実際はベートーヴェンの第2番目のピアノ協奏曲だが、出版順のため第1番とされている。そのフィナーレのロンド形式の中間部(クープレ部分)に非常に印象的な部分が現れる。短調で、アクセント(スフルツァンド)の位置を、定型から外してあるので、まったく中南米のいわゆるラテン音楽に聞こえる。

はるか昔、NHKのFM放送が私にとっての「音楽の窓」だったが、確か夏休みのある日の午後実家でぼんやりとFM放送を聴いていたときだと思うが、このような「他人の空似」を聞かせる特集があり、このフィナーレとラテン系のポピュラー音楽がそっくりだということを実際に比較して聞かせてくれたことがあった。そのときはそのラテン音楽の名前を記憶したつもりだったが、それを忘却してしまい、現在ネットでいろいおろ検索しても分からない。どなたかご存知ではないだろうか?

FCLA が BLOGになった

デンマークの歌劇場の記事に書いた St. Ives さんの日記を読ませてもらっていたら、あのniftyのFCLA がBLOGとして再開(?)したという。早速行って見た。http://fcla.nifty.com/

パソコン通信時代のFCLAは、身近にクラシック音楽好きがいなかった自分には面白いところだった。特にクラコン(クラシック・コンテンポラリーの略らしい)という部屋では、いわゆるスレッド(ツリー)形式で自由にいろいろな話題が語られていて、あの熱気が非常に懐かしい。特に、Ives を アイヴズと発音するかアイブスと発音するかの論争が印象に残っている。あの頃アクティブで活躍していた猛者の方々も、そのままのハンドルネームで自分のHPを運営するなど、ときおりネット上で名前を見るが、一国一城の主という趣で、なかなか近寄りがたい。

BLOGという形でどのように運営されるのか分からないが、しばらく注目したい。

自分のハンドルでは JIM-KNOPF という名前で出ていたのが一番長かったかも知れない。

2005年3月22日 (火)

デンマークの新国立オペラ劇場

3/22付けで「プレゼントされたオペラ劇場」http://www.asahi.com/world/germany/music/TKY200503160426.htmlという記事がasahi.comに出ていた。デンマーク一の大富豪が寄付したものだというので興味をもった。(なお、この記事は日本におけるドイツ年の関連記事として掲載されたもの)

デンマークといってもあまり馴染みがない。童話作家のアンデルセンや、あのデンマーク王子「ハムレット」の名前を辛うじて知るくらいだ。また、モーツァルトの妻コンスタンツェが、モーツァルトの死後再婚した相手が、デンマーク人の外交官ニッセンであり、彼は「モーツァルト」伝を残した。それと、デンマークは、ルター派のプロテスタントが盛んな国のためか、私の所有しているバッハの「オルガン小曲集」は、デンマーク人のオルガニストによるもの。

それにしても、この大富豪、どういう人物なのだろうか?

このオペラ劇場も大富豪(綴りが分からないせいもあり)も Google ではうまくヒットしない。

追記:   いくつかのサイトを巡ったら 3月5日 デンマーク国立歌劇場(新劇場) R.シュトラウス:「エレクトラ」 という記事を見つけた。FCLAで活躍していた St.Ives さんのサイトで、彼は今ヨーロッパにいるらしい。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日

昨日3月21日は、2005年の日本では春分の日だった。(春分の日は、3/20か3/21かになる。なぜずれるか、地球の公転周期が、ぴったり365日ではなく、閏年で調整してもずれるため。詳しくは、下記サイトを。)

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0330.htm

さて、このサイトを見るとキリスト教における3/21の重要性がよく分かる。まさに誕生日自体がJ.S.バッハの生涯を象徴するかのようだ。

キリスト教における「春分の日」  キリスト教において、「春分の日」は復活祭(イースター)を計算する起点となるため大変重要なのですが、キリスト教における春分の日は、3月21日と決められております。  実は現在の暦として広く使われているグレゴリウス暦は春分日が3月21日からあまり外れないように考えられた暦なのです。・・・・・

辞書的には、以下の通り。

しゅんぶん【春分】 the 「vernal [spring] equinox 合成語  春分点 the 「vernal [spring] equinox 春分の日 the Vernal Equinox

Progressive Japanese-English Dictionary, Second edition ゥ Shogakukan 1986,1993/プログレッシブ和英中辞典  第2版  ゥ小学館 1986,1993

equinox 
1 昼夜平分時
the vernal [the spring] ~  春分
the autumnal ~  秋分.
2 〔天〕分点,昼夜平分点.
語源 ラテン語aequinoctium (aequi-等しい+nox夜+-ium=昼と夜が等しい時).NOCTURNAL, NOCT(I)-

Progressive English-Japanese Dictionary, Third edition ゥ Shogakukan 1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典  第3版  ゥ小学館 1980,1987,1998

◆歴史データベース on the Webで検索した「バッハ」

1685/03/21,貞享2/02/17
ドイツの作曲家バッハ(Bach,Johann Sebastian)誕生。
1723/05/05,享保8/04/01
ヨハン・セバスチャン・バッハが、ライプチヒの聖トーマス教会のカントルに就任する。
1729/04/15,享保14/03/18
バッハの「マタイ受難曲」がライプチッヒで初演される。
1747/05/07,延享4/03/28
バッハが、フリードリッヒ2世に「音楽の捧げもの」を献上する。
1750/07/28,寛延3/06/25
バッハ(Bach,Johann Sebastian)没。65歳(誕生:1685/03/21)。ドイツの作曲家。

西洋音楽史とその同時代の世界史、日本史を確認する作業が、ホームページ時代からの課題なのだが、今回八代将軍吉宗が、ほぼバッハと同時代を生きたことが分かった。吉宗はバッハより1年早く生まれ、1年遅く亡くなった。
1751/07/12,寛延4/06/20
徳川吉宗が、脳卒中で没。68歳(誕生:貞享1(1684)/10/21)。第8代将軍だった。

昨日は、特にこのことを意識せずに、長男のリクエストで、バッハのオルガン曲を聞いた。パワー・ビッグズの演奏で、「われらが神は堅き砦」「目覚めよと、我らに呼ばわる物見らの声」「トッカータとフーガ ニ短調」「小フーガ ト短調」

なお、バッハの知人ジルバーマン製作のオルガンでバッハの曲を弾いたCDもあるようだ。

ところで、今日、ベートーヴェン43さんの「気ままに行こう」にアクセスできないのに気が付いた。システムトラブルだろうか?復活を期待したい。

各国のユーロ硬貨

オーストリアのユーロ硬貨というように、硬貨の裏面はユーロ各加盟国で独自のデザインで発行されているということを初めて知った。オーストリアでは、1ユーロ硬貨にモーツァルトの肖像が使われている!

表面は共通

2005年3月18日 (金)

インフルエンザから復活

金曜日に送別会に出て土曜日に休日出勤をしたとき、少々からだがだるいと感じていたが、夕方結婚記念日ということでワインを少し飲んでみてもあまり飲めない、少々調子を崩したかと思っていたら、日曜日に熱が出た。37度ちょっと。妻が用事で外出するので駅まで送っていって、子ども達には勉強させ、遊ばせながら、自分は布団で休んでいた。先月風邪をひいていたのですぐ治ると思っていたが、月曜日朝にも熱が下がらず、会社を休む。風邪薬を飲んでおとなしく寝ていたのだが、真夜中、非常に寝苦しくて起きて熱をはかったらなんと38度を越えている。布団をかけてもブルブルするほど寒くてほとんど寝られず。火曜日朝には熱は一時39度を越えた。これはインフルエンザだ。火曜日はまったく食欲もなく、ウィダーインゼリーというような栄養補給食とポカリスエットを口にして、寝込んでいた。唇は乾き、涙は乾きひどい状態だった。このまま熱が下がらなければ医者に行こうと思った。しかしこの晩、大量に発汗して水曜日になると熱は相当引き、食欲も出てきた。この調子だと回復は早いかと思っていたら、症状が今度は胃腸に来て、下痢になってしまい苦しんだ。水曜日の真夜中も目が醒め、長い時間雪隠詰になってしまった。木曜日になるとさすがに胃腸の調子ももどってきて、熱も37度程度に落ち着いてきたが、時折のどが痛む。本調子とは程遠いが、金曜日には会議もあるし出勤しないわけには行かない。

なお、女房子どもは冬の初めにインフルエンザの予防接種を受けていたためか、子どもはこの冬何回か発熱したが、私のようにひどい風邪は引かずに済んでいる。

2005年3月11日 (金)

愛知万博について

先日書いた愛知万博の展示についてのニュースが段々目に入るようになってきた。

その中で、子ども達が楽しみにしているのは、恐竜ロボット、そしてブログ記事で知ったライデン博物館のニホンオオカミ、ニホンアシカ、ニホンカワウソの剥製。

まだ愛知万博は開幕直前なのにあまり盛り上がりを見せていないようだが、それでも段々話題になってきているようだ。(ビッグイベントといえば長野オリンピックの時は、長野にいたのだが、直前までどうなることかと思って気に病んでいた。ただこちらは競技会で日本選手が期待以上の活躍、清水、岡崎、里谷、船木、原田、岡部、斎藤、西谷、植松らのメダリスト誕生で、湧きに湧いたから、最後の盛り上がりはすごかった。博覧会ではそのような現象は期待できない)

ところで、1970年大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」で、当時はベトナム戦争や公害問題の真っ只中だったとは言え、比較的楽天的な進歩観を当時の人々が抱いていた象徴だろう。今回の「愛・地球博」というのは、「あいち」の駄洒落だと思うが、非常にあいまいだ。地球博とななにか?あまりにも巨大過ぎて焦点がぼけやしまいか。元々相対的な地位低下に嘆いていた中京地方(そういえば、古代でも都が置かれたことがないのに京とは、こはいかに?)が、オリンピック誘致にも敗れ、次善の策として誘致したものだったように聞いている。本気度はどの程度なのか?ちなみにテーマは「自然の叡智」だそうだ。

http://expo2005.ameblo.jp/entry-d35947da3e0fbfc25e82e3f285fdcbb7.html

http://www.jlp.net/letter/050215e.html

先日のこの万博を紹介するテレビ番組で、「となりのトトロ」というアニメ映画の舞台となった昭和30年代の武蔵野の村落に建てられた半洋風建築の草壁家の借家を実物大で再現したものが紹介されていた。燃料が薪のかまど、風呂も実際に使えるようだ。ジブリ美術館の運営(館長である宮崎駿監督の子息がここでも館長を務めるようだ)らしく予約制だという。この映画が人間と自然がまだまだうまく折り合っていた(共生)時代を描いているからここに誘致されたのだろうと思うが、後ろ向き、回顧趣味(retro志向)が強すぎないか。現代人の多くは、もはやあのような生活に戻りたくても戻れない。個人的には無用なノスタルジーを掻き立てられるようであまり愉快ではなかった。

その番組で紹介された日本館の仮設テント(pavilion)は、巨大なピーナツのような竹細工だという(が、耐火性の面ではどうなのだろう?高熱を加えて曲げた竹は、火には弱いのではなかろうか?)。会期中だけ保てばいい仮設テントとしては、それなりに環境負荷が少ないのだろうか。その他、リニアモーター駆動の列車が会場を走るという。実用化としては、上海のリニアモーター列車についで2番目になるのだろうか。ただ、速度は早くなく100km/h程度らしい。

人類が、人類によって引き起こされた部分もある地球環境の変動に逆らって、「人類が暮らしやすい環境」を維持するためには、最新鋭の科学・技術を活用するほかはないと思う。目先の問題としては温暖化ガスによる地球温暖化だが、中国を含む発展途上国の人々の生活レベルの向上(衣食住、教育、健康など)意欲は激しいものがあり、それによる温暖化ガスの排出、新たな汚染、資源枯渇が引き起こされるだろうが、先進国は自分が辿った道ゆえ、勝手にそれを押さえつける権限など毛頭ない。科学・技術の発展がどの方向に向うのかは、その学問的・経済的な自律性ゆえに見当がつかないが、少なくとも人類規模の発展・繁栄のためには、生活レベル向上に伴う費用(金銭的なものだけではなく環境的なものも含めて)を何とかまかなうようにできなくてはならない。そのようなコンセプトをこの万博は示すべきではなかったか。それともルソー張りに「自然に帰れ」と叫ぶか?

2005年3月 9日 (水)

腰痛の日の読書

昨日3/8(火)は腰痛がひどく出勤できなかった。そこで布団にあお向けになって、以前購入した本を読み、音楽を聴いて過ごした。腰痛の原因は肥満と運動不足による筋力の衰えだということが分かっているのだが、なかなか減量できない。

「ウィーン・フィル 音と響きの秘密」(中野雄 著)文春新書
「帝王から音楽マフィアまで」(石井宏 著)学研M文庫

前者は、政治学者の故・丸山真男のクラシック音楽への傾倒について「丸山真男 音楽の対話」(文春新書) を書いた人。東大法学部出の元銀行マンで、ケンウッドというオーディオメーカーの取締役を退任後後、音楽プロデューサーとしてヴィーンフィルメンバー来日時の録音なども担当したらしい。なぜか家族全員がACOのコンセルトヘボウにフリーパスでモントゥーとも知り合いだったとか、信じられないようなことが書かれている不思議な経歴の持ち主でもある。著書は上記二冊のほか、宇野功芳氏らとの3人評論家体制の「クラシックCDの名盤 宇野功芳 中野雄 福島章恭 文春新書」「クラシックCDの名盤 演奏家篇 同上 文春新書」がある。丸山氏に関する本は、稀代の政治思想史学者についての知られざる一面に光を当てたという点では評価できるが、全体に最も貴重だと思われる丸山語録や丸山蔵書、音盤などに詳しく触れることがなく、まとめ方が甘いように思った。ウィーンフィルについての著作も章立てに論理性があまり感じられない。 ヴィーンフィルの奏者に個人的な知己があり、そこからの談話の紹介が面白い。基本的に性善説である。

一方、後者はクラシック音楽界の裏面をえぐったもので、それなりの信憑性があるらしいことは、他の類似の本「巨匠伝説」など推定されるものだ。ただ、性悪説、人間不信的な立場から書かれているようで、この著者は多分音楽業界の関係者から相当心情的に傷つけられたことがあったのだろうと想像される。苦さや汚さが表面に出て、音楽への愛が感じられない。著者の名前は、モーツァルティアンとしてつとに知っており、この文庫本には、その片鱗を覗かせる章もあるのだが、全体的にはあまり証拠を挙げない決め付け的な論調が目立っており、愉快ではない。外来オーケストラが、日本公演で手抜き演奏をするという噂についても、憶測的な書き方でしかない。中野氏側からは、これに対して書かれているかのような擁護的な記事も見えて興味深い。現在でも「新潮45」あたりで匿名のスキャンダル記事を書いている評論家がいる。

石井氏の言うとおり、ヴィーンやヨーロッパという地名にあこがれる日本人を舐めて荒稼ぎする音楽家もいるし、そうでない音楽家もいる。そんなことは、世界中どこでも行なわれていることだろう。一律に白黒で二分するような話ではない。骨董の真贋を判定するのは自分が汗水たらして稼いだ金を使わなければ会得できないというようだが、音楽だって同じことだろう。

少々飛躍するが、同じ石井氏のエッセーだったかなんだったか、「日本人の聴衆がメロディーには強いが和声には弱い例として、来日したあるリートの伴奏ピアニストがわざと音を抜いたりして和声を変えて演奏したことがあったが、誰も気付かなかったと語っていた」というのを読みショックを受けたことがある。

吉田秀和氏のエッセーだったか、「西洋の耳、日本の耳」というようなタイトルで、日本人の耳が、虫の音を言語的に聞き、騒音としては聞かないが、西洋人は逆だという非常に面白い実験結果を紹介していたが、西洋人と日本人では、なぜそのような脳の使い方の差が生じているのかは分からないが、西洋音楽の聴き方が違うということはありえるだろう(他のアジア諸国はどうなのだろう)。それが、中野氏の本で触れている「合奏になるとヨーロッパのオケは日本やアメリカのオケに比べて非常に美しい音を出す」というエピソードに通じるような気がする。以前東芝オーレックスコンサートが、ヨーロッパの超一流ではないが、一流の楽団を呼び、比較的安価でコンサートを開いていたが、その一環で来日したヤノフスキ率いるフランス国立放送管弦楽団のコンサートで、フォーレの「ペレアスとメリザンド」の最初の音が、もうたまらなく美しいふわっとした音で、非常に印象に残っている。小澤征爾は優れた音楽家だが、その演奏に満足できなくなっている要因の一つとして、彼の音楽が立体的でないことが挙げられるかもしれない。小澤の唸りは有名だが、それは彼がメロディーを重視していることに通じると思う。和声の柱の動きではなく、線の重なりと結果としての和声の動きなのだろう。

最近買ったCD

3/3
◆ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」 
ベーム Karl Boem ヴィーンフィル Wiener Philharmoniker 1973 LONDO(DECCA) 中古価格 250円 
LPでも所有している(ブルックナーとの出会いの曲。当時レコード芸術主催のレコードアカデミー賞を受賞するなど名盤の誉れ高く、ブルックナー入門のため2枚組みの高価なLP(確か4000円くらいした)を清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入。しばらく馴染めなかったが、いつ頃からか、第1楽章から親しめるようになった。)。LPの方が、音色がつややかで静謐な音響だったように記憶する。記憶の美化作用だろうか?演奏は確かにこの演奏だ。ハイティンク/VPOも悪くないが、楽譜の版の選択の違いかやはりこのベーム盤がしっくりする。

3/4
◆Adagio Karajan DG 中古価格250円
1.交響曲第5番~第4楽章:アダージェット(マーラー)
2.カノン(パッヘルベル)
3.タイスの瞑想曲(マスネ)
4.交響曲第3番~第2楽章:アンダンテ(ブラームス)
5.シンフォニア「聖なる墓に」~第1楽章:アダージョ・モルト(ヴィヴァルディ)
6.「ペール・ギュント」第1組曲~オーゼの死(グリーグ)
7.ディヴェルティメント第15番~第4楽章:アダージョ(モーツァルト)
8.アダージョ(アルビノーニ)
9.交響曲第7番~第2楽章:アレグレット(ベートーヴェン)
10.G線上のアリア(バッハ)
11.悲しきワルツ(シベリウス)

◆Adagio Karajan2 DG 中古価格250円
1.「ペールギュント」第2組曲~ソルヴェイグの歌(グリーグ)
2.歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~精霊の踊り(グルック)
3.リュートのための古代舞曲とアリア第3組曲~シチリアーナ(レスピーギ)
4.協奏曲イ短調RV523~ラルゴ(ヴィヴァルディ)
5.弦楽セレナーデ ハ長調~エレジー(チャイコフスキー)
6.トゥオネラの白鳥(シベリウス)
7.協奏曲集「四季」~“冬”ラルゴ(ヴィヴァルディ)
8.合奏協奏曲第12番op.6-12~アリア(ヘンデル)
9.交響曲第9番「新世界より」~第2楽章(ドヴォルザーク)
10.「アルルの女」第1組曲~アダージェット(ビゼー)
11.アダージョとフーガK.546(モーツァルト)
12.亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル)

なお、アダージョカラヤン3、4も発売されているらしい。あまりアダージョ的でないものも入っている。3の12とか、4の6とか。また4の2などは1の2と重複では?

アダージョカラヤン3 1.交響曲第3番~第3楽章ポコ・アレグレット(ブラームス) 2.合奏協奏曲第5番~第6楽章メヌエット(ヘンデル) 3.歌劇「椿姫」~前奏曲(ヴェルディ) 4.バレエ組曲「レ・シルフィード」~前奏曲とマズルカ(ショパン/ダグラス編) 5.弦楽のためのソナタ第1番~第2楽章アンダンティーノ(ロッシーニ) 6.協奏曲集「四季」~秋からアダージョ(ヴィヴァルディ) 7.「ホルベルク組曲」~アリア(グリーグ) 8.ディヴェルティメント第10番~第4楽章アダージョ(モーツァルト) 9.スラヴ舞曲op.72-2(ドヴォルザーク) 10.ブランデンブルク協奏曲第6番~第2楽章アダージョ・マ・ノン・タント(バッハ) 11.バレエ組曲「眠れる森の美女」~パノラマ(チャイコフスキー) 12.組曲「惑星」~金星-平和をもたらすもの(ホルスト)

アダージョカラヤン4
1.歌劇「カプリッチョ」op.85~月光の音楽(R.シュトラウス)
2.カノンとジーグ ニ長調~カノン(パッヘルベル)
3.交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」~第2楽章(モーツァルト)
4.交響曲第2番ハ長調op.61~第3楽章(シューマン)
5.弦楽セレナーデ ホ長調op.22~第4楽章(ドヴォルザーク)
6.交響曲第3番ハ短調op.78「オルガン付」~第1楽章(サン=サーンス)
7.交響詩「ローマの松」~ジャニコロの松(レスピーギ)
8.バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」~アダージョ パ・ド・ドゥ(アポロとテルプシコール)(ストラヴィンスキー)
9.浄夜op.4~アダージョ(シェーンベルク)
10.組曲「惑星」op.32~海王星(ホルスト)

3/7
◆ムソルグスキー(ラヴェル編曲)「展覧会の絵」、他 
オーマンディ Eugene Ormandy フィラデルフィア管 Philadelphia orchestra 1966 CBS(SONY) 中古価格 750円
これもかつてLPで所有。LP時代でもオーケストラの多彩でパワフルな音響を聴きたいときには真っ先にこれに手が伸びた。この曲に求めるものの差もあると思うが、その後デュトア/モントリオール、ケーゲル/ライプツィヒ放送響などを聞いてもどうも満足できなかった。(ラヴェルへの編曲の委嘱者でその初演者クーセヴィツキー/BSOの1943年の録音は非常に豪快で私好みだが、全曲演奏でないのが非常に惜しい。)今回CDで買い直して聞いたところ、記憶による美化はなく、十分な満足感を与えてくれた。他のヴィルトゥオーゾオーケストラによる同曲異演盤(ベルリンフィルやシカゴ響など)をあまり聞いたことがないので自信はないが、この録音はパワフルで豪快なフィラデルフィアサウンドがよく捉えられているようで、この曲の魅力を味わわせてくれるものの一つだと思う。ただ、難点を言えば、ヴィドロ(牛車か虐げられた人々か決着がついたのか?)のテンポが非常に速いこと。ここをじっくり聞かせてくれたら鬼に金棒だったと思うのだが。沼津交響楽団のコラムのページ「展覧会の絵」を聴く28・・・オーマンディー(http://nso.soc.or.jp/column.html)というすごい聞き比べのページにもこの録音への的確なコメントがあった。なお、このCDには、LPに収録の「はげ山の一夜」のほかにシャブリエの「スペイン」とチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」が収められていたが、後者の演奏解釈がこれまで聞きなれたセルCLO、小澤BPOなどと異なり、メロディーを浮き立たせるのではなく、伴奏部をやけに克明に演奏し、分析的・解剖的に聞こえた。

(2006/3/2 この記事から 「クラシック音楽のひとりごと」2006/03/02のBlog オーマンディ/フィラデルフィアのブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」 にトラックバックさせてもらった)

◆ドヴォルザーク スラヴ舞曲集Op.46,72(ピアノ2台版)全曲 ベロフ Michel Beroff、コラール Jean-Philippe Collard EMI 中古価格250円

つい最近発売された1300円のCDのようだが、びっくりする値段で売られていた。オーケストラ版(ドヴォルザーク自身がピアノ2台版から編曲したもの)は、クーベリック指揮のバイエルン放送響盤で持っている。オーケストラ版はよくコンサートのアンコール用に演奏されるから聞く機会は多いが、全曲通して聞くのは少々つらい。ただ、Op.72-2のホ短調のメランコリックな曲はクライスラーによりヴァイオリン用にも編曲されているが、交響曲第8番の第3楽章と並んで私が最も愛好する曲で耳にすることが多い。

当時作曲家の初演曲演奏以外にはオーケストラ演奏自体が現在のように頻繁に行なわれたわけではなかったらしい。家庭でも名曲を聞きたいという需要は多かったので、リストによるベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲のように家庭でも楽しめるようにピアノ編曲は盛んに行なわれたようだ。このピアノ2台(連弾)版の方は、ブラームスのハンガリー舞曲集(ピアノ版)にならって作曲されたものだが、ブラームスの場合とは異なり、ほぼ同時にオーケストレーション版も発売されたという。ただ聞いてみるとオーケストラ版をピアノ曲に編曲した感じで、ピアノ書法としては不自然なところもあり、オーケストラ演奏の方が自然に感じられるが、オーケストラ版よりも気楽に聞ける。なお、例のジムロック社が結構潤ったほどこの曲集が売れたということは、当時の家庭での音楽のレベルの高さの裏付けになるだろう。

この録音は1970年代らしいが、当時のベロフ、コラールと言えば、フランスを代表する俊秀で、彼らのソロや室内楽はいくつかCDなどで聞いているが、特にベロフは非常に硬質で透明な音色のピアニズムの持ち主だと思う。その彼ら二人にしても、2台ピアノの演奏は、音が濁るように聞こえる。1台ピアノの連弾の場合も音が濁ることが多いように思うがそれは完璧なアンサンブルが達成できていないせいだと思う。2台ピアノの場合はそれに加えて、それぞれが独立してペダルを踏むため、相互に余計な共鳴が伝わってしまい、透明な響きが得られないのではなかろうか?連弾は簡単な曲でも楽しいもので、自分たちで楽しむにはいいのかも知れないが、観賞用としては少々つらい。

2005年3月 7日 (月)

BLOGはどうなる?

購読しているメルマの3/7付けの号に下記の記事が掲載されていた。

●ヒット中の「ブログ」でISPに重い負担、収益化も見えず

 デザインをテンプレート化し、更新作業が容易な簡易ホームページ作成サービス「ブログ」の勢いが止まらない。「livedoorブログ」「gooブログ」「エキサイトブログ」「はてなダイアリー」など、開設数は軒並み10万件という大台を突破している。

 表向き、各社は久々にヒットしたコンテンツに歓喜している。今後注力するコンテンツとしてブログを柱の一つに掲げる事業者も多い。ただ、内情は複雑だ。アクセス増加に伴うサーバー増強の負担が拡大しているためだ。「1秒間に20件もの更新がある。つい先日もサーバーを大幅に増強したばかり」(NTTレゾナント・パーソナル事
業部の村井説人チーフプロデューサー)。

■詳しい内容は下記URLから
http://nikkeibp.jp/wcs/j/biz/363292

このまま流行が続けば、Internet Service Provider(ISP いわゆるプロバイダ)の資源を食いつぶしてしまい、現在のような無料サービスが受けられなくなるかも知れない。


まだ、これだけの流行をISPとしての収益に結びつけるビジネスモデルができていないらしい。ネット広告がラジオ広告を超えたと先日報道されていたが、おそらく広告がらみの運用が増えるのだろうとは思う。

2005年3月 5日 (土)

関内散策

今日土曜日は非常に寒かったが、天気もよくなったので、午後から横浜の関内に出かけて周辺を散策した。司馬遼太郎の街道をゆくシリーズの「横浜散歩」で紹介されている外国人居留地(関内)への関所があった吉田橋やそこから港方面へ通じる馬車道(近代日本最初の歩道付き舗装道路)などをブラブラ歩きながら、神奈川県の県立歴史博物館に立ち寄った。この建物は旧横浜正金銀行の本店だったもので、非常に重厚な洋風建築。緑青色の教会風のドームが遠くからも目立つ。

午後5時で閉館ということで、時間的に駆け足の見学だったが、3階の古代から中世、2階の近世から昭和までがコンパクトだが、巧みに整理されて展示されており、貝塚の断面模型や、古代村落の様子、中世の武家屋敷の模型など結構子ども達も喜んでいた。鎌倉時代のコーナーには大鎧や源頼朝像(本物は国立博物館蔵)などが展示してあったが「複製」となっているなど、展示物は全体的に国宝・重文級の貴重なものが所蔵されていないようで、客寄せの目玉がないのが残念だ。ただし、館内に円覚寺舎利殿の実物大?の模型が設置されていて、内部に入ることができるのは驚いた。(1階のフリーゾーンはミュージアムショップ、喫茶店、ライブラリがあるので、街歩きの一休みに立ち寄れそうだ。)

その後、伊勢佐木町のカレーミュージアムでカレーを食べたのだが、ラー博ほどの満足感はなかった。自分にとってはカレーは満腹するほど食べたい食べ物なので、まずは量が少ないのでは不満なのだ。ラー博は、値段は高めだが、分量はそれなりある。「パク森」と大阪から出店の「自由軒」に立ち寄ったのだが、どちらも値段の割りにはどうにもボリュームが少ない。係員が丁寧で親切なのはいいが、少々やりすぎという印象。土曜日の夕方ということで人手はそれなりにあった。

値段的に比較対象にするのは恐縮だが、たまに昼食に食べるすき屋という牛丼屋のポークカレーの方が個人的には好みだ。子ども達は、家で母親が作ってくれるカレーライスの方がお好みのようだ。今回は、家族連れということもあり、本格的な激辛カレーなどは食べられなかったのだが、もう一度足を運びたくなる牽引力が不足しているように感じた。

カレー関係の料理では、クンビラ(金毘羅の語源だという)という長野にある(閉店という情報も聞く)ネパール料理店(渋谷にも姉妹店があるらしい)が印象に残っている。

ドラえもん のび太の ワンニャン時空伝

ここ数日の寒さは、この冬(立春過ぎなので暦の上では春なのだろうが)一番の冷え込みだ。金曜日の雪の影響もあり土曜日の外出は無理かも知れないと、貸しビデオ屋で ドラえもん映画の最新作(2004年春作品)を借りてきた。(DVDでも貸し出されていたのでDVDを借りてきた。)この映画は、シリーズとしての歴史で、25周年の作品なのだという。しかし、原作者の藤子・F・不二雄氏が1996年逝去したこともあり、これの後はしばらく映画製作は予定がないということで、2005年春には公開作品はないようだ。(ただしネットで検索したところ、2006年に「のび太の恐竜2006」が公開されるらしい。)

金曜日の晩、早速家族で見たが、非常に面白かった。

Adagio Karajan, Adagio Karajan2

アダージョカラヤン、同2の欧州盤のCDが何と各250円で売っていたので、買い求めた。このCDは日本でも発売され、クラシック音楽としては異例のベストセラーになったが、そのミーハー的な流行に反発を感じ、ことさら無視してきた。しかし、先日じっくり聞いたロッシーニの序曲集のカラヤンのCDの好印象と、この値段に釣られて購入したた。

通して聞いてみたが、自分にとっては、癒しや安らぎというよりも、気力が萎えさせる方の効果が強いように感じた。バロックからマーラー、シベリウス、レスピーギまでの時代的に広範囲で多様な曲目を、自分の意思による選択でもなく、また演奏者による選択でもなく、クロノジカルな順序も追わずにアトランダムに聞くのは非常につらい。ただ、これはカラヤンの演奏や録音のせいではなく、このようなコンピレーションを作ったレコード会社が責めを負うべきだろう。個々の録音については、これまで聞いたことのある他の演奏者による録音の記憶と比較して、結構新しい発見などがあり、それなりに面白かった。

ただ、自分のホームページでも紹介しているが、同様なコンセプトでまとめられたと思うマリナーによる癒し曲集の方がよほど良い。

「バーバーのアダージョ」 マリナー/AOSMITF (アカデミー・オヴ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

このアルバムは、近現代の作曲家の穏やかな管弦楽作品を集めたもので、いわゆるヒーリング系の選曲である。

バーバー 弦楽のためのアダージョ
ヴィラ・ロボス ブラジル風バッハ第5番よりアリア
レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲
ラフマニノフ ヴォカリーズ
カントルーブ オーベルニュの歌より「バイレロ」
ディーリアス 「春初めてのカッコウを聞いて」
ヴォーン・ウィリアムズ 「グリーンスリーヴズによる幻想曲」
シベリウス 「トゥオネラの白鳥」
サティ(ドビュッシーによるオーケストレーション)ジムノペディ第1番、第3番

音楽が慰めや癒し、日々の糧となるか、単なる慰みものや時間潰しになるかは、リスナーの態度によるのだろうが。

2005年3月 4日 (金)

いよいよ愛知万博

EXPO2005 AICHI JAPAN 愛 地球博 というのが正式名称らしい。会期は2005年3月25日から9月25日とのことで、もう今月末から始まる。近くの旅行会社に、パンフレットが置いてあった。前売り券を買うと若干安くなるようだ。

これに合わせてセントレア(中部国際空港)が開港した。トヨタ自動車主導のカイゼンによる空港建設、運営で、相当経費が浮いたらしい。(浮いた経費はどこへ行ったのだろうか?)

会場は、瀬戸物の名前の元になった瀬戸地区と、安土桃山時代の秀吉と家康の小牧・長久手の合戦で知られる長久手地区らしい。名古屋駅からは相当距離があるようだ。ただ、当初はこの地域にある海上の森(かいしょのもり)という貴重な自然を潰して、愛・地球博を誘致しようとしていたが、猛反発をくらって計画を修正したところに今回の万博の捩れがある。それでもどれほどの貴重な自然が潰されたのか?

さて、現在中京圏はトヨタ自動車を主軸として景気がよい。名古屋の復権だろうか?ただ、名古屋に他の地域から赴任した転勤族にとって名古屋はあまり人気がないという。閉鎖的、自負心、ごり押し、ケチなどなどの県民性があるらしいが、それと今日の繁栄および不人気と関係があるのだろうか。(自分の実感ではなくあくまでも新聞報道などによる評価、調査結果なので、誤解なきよう)

「1970年のこんにちは」の大阪万博は見に行けなかった。ただ、万博を機に、あのセル/クリーヴランド管弦楽団の最初で最後の来日公演があった。その貴重なライブ録音は、私の宝の一つだ。

現在不景気とはいえ来日公演ラッシュの日本のクラシック音楽界なので、既にそのような未来日の大物などはいないだろうが、何か目覚しい公演があればいいと期待する。

2005年3月 3日 (木)

ロッシーニの序曲集

1792年の閏日2月29日がロッシーニの誕生日だと「中年会社員の観察日記」の記事で教えてもらったのがきっかけで、昨晩は、手持ちのCDでロッシーニの序曲集を聞いてみた。カラヤン/BPOの1971年の録音で「絹のはしご」、「アルジェのイタリア女」「セビリアの理髪師」「ウィリアム・テル」の4曲。スッペの序曲集とのカップリングのもの。

父の影響でクラシック音楽の聞き始めからいわゆる「本格」志向だったので、ホームミュージック選集などに含まれるような「通俗」(嫌な言葉だ)名曲の音盤(LP,CD)をあまり保有していなかったのだが、幼い子どもたちにはやはりその時期に合った音楽を聞かせたいのと、中古店などで廉価で入手できるようになったので、いままで買わなかったCDも揃い始めた。(ショスタコーヴィチは最後の交響曲である第15番で、少年時代に聞いた「ウィリアムテル序曲」の騎行の部分を引用している)

ロッシーニの序曲集は、別にジェルメッティ指揮のシュツットガルト(Stuttgart)放送響のCDを持っているが、いわゆるロッシーニ指揮者のジェルメッティの演奏よりもカラヤンの演奏の方が楽しい。録音のせいかホールの特徴かジェルメッティの解釈か、低音が重くもったりとしていて、輝かしさ軽快さが不足している。「ドイツ小僧」と呼ばれたというロッシーニだから、このような重い演奏もありなのだろうが。そういえば、ジェルメッティは10数年前のシュヴェツィンゲン音楽祭での「後宮からの誘拐」がテレビ放映されヴィデオ録画して鑑賞しその演奏に感心したことがあるが、最近あまり名前を聞かない。

さて、カラヤンは、1960年代の「悲愴」を愛聴していたが、それ以外のベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトなど存命中も積極的に聞きたい指揮者ではなく、積極的にフルプライスで買うことはなかったが、このCDなどの演奏を聞くと、オケの合奏も充実しているし、木管や金管のアンサンブル、ソロもうまく、ロッシーニクレッシェンドの演出も巧みでさすがだと思わざるを得ない。まさに昇り盛りの覇気も感じられる。先日ハイドンの「天地創造」もそうだったが、1960年代ながら鮮明な録音で聴けるこの頃のカラヤンの音盤を聞いてみたくなった。

このほかに、テスタメント盤で、カンテルリの「どろぼうカササギ」序曲があるが、これはモノ録音だが、爽快なすばらしい演奏だと思う。(併録の「イタリア」は響きが拡散していてあまり好きではない。第一楽章を欠く「運命」も収録されている。)

いわゆる本場のトスカニーニ、アバド、ムーティ、シャイーなどの録音は未聴。

【2005.05.03追記】
トスカニーニアバドのロッシーニについては、この記事にトラックバックを送ってくれた webernさんの"blogout"の記事が参考になる。

【2006.06.27追記】narkejpさんの「電網郊外散歩道」の記事へトラックバック。

【2006.11.14追記】 mozart1889さんのクラシック音楽のひとりごとの記事へトラックバック。

大都市と大雪

今晩から明日にかけて関東地方は、南岸を進む低気圧の影響で、春の大雪に見舞われそうだ。

長野では、北信(北部信州)地方が雪の本場で、都からの位置関係では、下(しも)にあたり、東信、中信、南信でまとまった雪が降るのは今回のように春の低気圧が降らせるときになる。このような雪を上雪(かみゆき)といった。

長野に住んでいた頃は、冬のシーズンになれば、自動車のタイヤを冬用のスタッドレスに交換し、通勤の際にもいわゆる防寒靴(冬用のブーツ)を履くようになる。道路や鉄道の除雪体制も整っているので、いきなり大雪が降らない限り、交通麻痺になることはあまりない。それが常識だと思っていたので、当時は関東に大雪が降れば交通麻痺と転倒者続出という報道に接すると、信じがたいような感想を持ったものだ。

ところが、いざ関東地方に住み始めると、降雪自体が非常に稀で、交換するスタッドレスタイヤも実家に置きっ放し、防寒靴も邪魔なので置いてないというように、雪への備えがまったくないため、やはりこれから降る雪が心配になる。日本の太平洋側の大都市は雪に弱い。

1936年2月26日も大雪だったという。二・二六事件の首謀者は、特に大雪の日を狙ったわけではあるまいが、大雪の首都というのは、それ以来何か特別な感慨を人々に抱かせるようだ。宮部みゆきの「蒲生邸事件」は、タイムスリップとこのニ・ニ六事件を絡ませた設定でテレビドラマにもなった小説だが、ある種の迫真性をもってこの事件を描き出していて読み応えがあった。

今日は、新暦の桃の節句。あまり大雪にならないように願いながらも雪にちなんだ音楽を聴こう。

「冬」を題材にした音楽というと、ヴィヴァルディの「四季」の「冬」、モーツァルトの「橇すべり」、聞いたことがないがハイドンのオラトリオ「四季」の「冬」、シューベルトの「冬の旅」、チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」、ピアノ曲「四季」から「炉辺で」「トロイカ」、ブラームスの「冬のハルツの旅」、ルロイ・アンダーソンの「橇すべり」などなど。ドビュッシーには「雪が踊っている」「雪の上の足跡」というピアノ曲があるし・・・。

夜半には雨が雪に変わるらしい。早春のときならぬ冷え込みで、ここ数年咲き急いでいた桜も開花が例年より遅れるとのことだ。

◆ドビュッシーの前奏曲集第1巻から第6曲 Des pas sur la neige 雪の上の足跡 Samson Francois サムソン・フランソワの演奏

◆同じく Children's Corner 子どもの領分から第4曲 The Snow is Dancing 雪が踊っている(この曲集は英語題名ということを初めて気づいた)

2005年3月 1日 (火)

廉価BOX CD

SCHUBERTIADEhaydn_sympzinman_beetshosta_sqPALESTRINAdebussy_ravelshosta_sympRING


いつのまにか廉価BOX CDが増えた。BRILLIANT レーベルの功績が大きい。

◆HISTORYのシューベルティアーデ 1950年以前の歴史的名録音を多く含む 10CD
◆ハイドンの交響曲全集 A.フィッシャー指揮 オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団 ハイドンゆかりのエステルハーツィ邸での録音 33CD
◆ベートーヴェン交響曲全集 ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 5CD
◆ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲全集 ルビオ・カルテット 5CD
◆パレストリーナのミサ曲 プロ・カンティオーネ・アンティクア 5CD
◆ドビュッシー&ラヴェル ピアノ曲集 サンソン・フランソワ 6CD
◆ショスタコーヴィチ 交響曲全集 バルシャイ指揮 WDR交響楽団(ケルン放送交響楽団) 11CD
ヴァーグナー 楽劇「ニーベルングの指輪」全曲 ノイホルト指揮バーデン州立歌劇場 14CD

BOX CDは所有の喜びはあるし、参照用にも使えるが、いかんせん同じ演奏家による同じ作曲家の同じジャンルの作品の集成というスタイルが多いため、聴き飽きやすく、恥ずかしながら全曲制覇したのは、RINGとベートーヴェンのみ。ここにあるだけで何せ89枚もある。

今晩聞いたのは、この中から ショスタコーヴィチの交響曲第2、3番と弦楽四重奏曲第5番、第11番、第12番。

「御多分に洩れず」

ご他聞に漏れない、多聞に漏れない、(御)多分に洩れない 正しいのはどれかすぐに分からなかった。

国語大辞典(新装版)小学館 1988で調べたら、

ごたぶん【御多分】
多数の人の意見、行動など。大部分の人が従う方向。
御多分に洩(も)れず : 他の大部分の人と同様に。例外ではなく。

たぶん【多聞】
1 多くの物事を聞いて知っていること。博識。物知り。
2 多くの人にもれ聞こえること。

たぶん【他聞】
他人にきこえること。他人の耳にはいること。「他聞をはばかる」

ということで、(ご)多分が正しいことが分かった。

利益窃盗ということ

2021/04/16追記

このブログの人気記事ランキングに当記事が挙がっていて、以下のリンクをクリックしてみたら、詐欺サイトまがいにとぶようになっていたので、急遽リンクを削除しました。

弁護士佃克彦の事件ファイル 「食い逃げ」の法律学 PART1 「食い逃げ」の法律学 PART2

 

---------

2009/05/24 追記

 

弁護士佃克彦の事件ファイル 「食い逃げ」の法律学 PART1 「食い逃げ」の法律学 PART2

 

が新たにヒットし、丁寧に読んでみたたら、コメントをもらった「法1さん」が受けた講義についてそれなりに分かったような気がする。それでもやはり面倒くさい法律理論ではある。

 

おそらく、裁判員制度では、このような「利益窃盗」問題は対象にならないだろうが、さらに重大犯罪の場合、「未必の故意」のような一種の「心理」「心のあや」がその量刑の決め手になるような事例が出てくるだろうから、このあたりも法律の専門家でなくとも理解できるような噛み砕いた、というようりも一般常識に合致できるような、説明のしかたが望まれるように思う。

 

 

 

 

 

-------以下は元記事------

 

最近マスコミで窃盗問題が喧しいが、学生時代に刑法の各論で教科書を読み、講義で聞いたはずなのに、最近法律関係のエッセイを読んでいて、何でこんな摩訶不思議な刑法の運用になるのかと改めて驚いたことがある。不勉強が恥ずかしい。

 

それは、刑法の詐欺罪に関連して「利益窃盗」という用語のことだ。利益窃盗は不可罰(罰すべからず)とされる。刑法に明文規定がないからだという。立法政策的な配慮なのか、それとも立法ミスなのか。

 

例えば「食い逃げ」をしても、初めから支払う「意志がなく」(証明しろと言っても不可能だろうが)、店員などにとがめられることなく、店から脱出すれば、詐欺にもあたらず、「利益」を窃盗しただけだとされる。

 

物の窃盗は当然罰せられるが、利益の窃盗は刑法典には規定がないため、不可罰になるのだという。一般人の感覚(常識)とは相容れない。

 

エッセイに書かれていたが、この事例は本当に「利益」の窃盗なのだろうか?飲食は単なるサービスを受けるという利益を得るのではなく、飲食物という立派な財物が関係しているので窃盗罪に該当するのではなかろうか?(追記:2008/09/08 お恥ずかしい話しだが、最近食堂で食事をしていて、この違いが分かった。財物の定義の問題だ。最近に食品偽装問題が関係してくれば別だが、多くの人は、他人に提供されて、その人が手を付けたもしくはそのまま残した料理を食べようとはしない。つまりその料理は、手がついていればほとんどの場合流通することはありえないし、手を付けられなくても、例えばラーメンの場合は時間が経てば伸びてしまうし、温かい料理は冷めてしまい、その時その場所でなければ価値がなくなってしまう。それゆえ、食堂で提供される飲食物は一般的には財物にはならないのだろう。)

 

また、キセル乗車した電車の乗客が、駅の改札を通らずに、駅員に制止されずに駅の外に逃げ出した場合も同様だという。 実際には、キセル乗車などは刑法以外の法律で罰せられるそうだし、食い逃げで刑事上の罪を問われなくても、民事上の責任は残り、例えば店の従業員に後日見つかった場合などは、支払いを免れることはできないそうだ。

 

似たような例で、電気窃盗については、当初電気は財物ではないと考えられていたが、ある事件に関して大審院(現在の最高裁にあたる戦前の最終裁判所)判決が、電気を財物とみなすと「拡大解釈」をして、窃盗罪として罰したことがあった。この後、刑法が改正され、電気は財物であるとみなすという規定が設けられ、いまや電気窃盗は立派な犯罪となったという。(しかし、電気も目には見えないが、電子という物質が引き起こす現象なので、物質である限り財物ではないのだろうか?大審院判決は財物の概念を「拡大」もしくは「類推」解釈したと言えるのか? これは、いわゆる管理不能なエネルギー、電波などにも類推されるのではあるまいか)

 

それにも関わらず、利益窃盗は現在にいたるまで不可罰となっている。

 

ところで、最近は情報を制するものがビジネスを制するといわれるほど、情報に金銭的価値が認められている。しかし、現在の刑法では、情報そのものを盗んでも罰することはできないとされているらしい。

 

他の罰則規定のある法律で対応されるのかも知れないが。入学試験の問題だとか、企業の内部資料だとか、いわゆるソフトウェア全般(コンピュータプログラム以外にも音楽、映像ソフトなど)だとか。 この情報の窃盗が刑法上の大問題となっているようだ。 何であれ「価値」あるものを「正当でない」手段で自己の占有におくもしくは自己の利益のために使用するものは罰せられるという規定を作れば、どこに問題が生じるだろうか?

 

p.s. これに関して、最近2007年になって、企業内の秘密情報漏えい、個人情報の漏えい、自衛隊の機密情報の漏えいについて、まずは単なる窃盗罪(CD-ROMなど安価なものの窃盗容疑)として対処したようだが、やはり法律が現実に合致しなくなっているのではあるまいか。

 

 

 

 

ヘンデル ヴァイオリン・ソナタ集 作品1

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CD番号 PHCP-9641 462 343-2

演奏者 アルテュール・グリュミオー(Vn)  ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(cem)

録音 1966年1月2-5日 アムステルダム

モダンヴァイオリンと恐らくモダンチェンバロによる演奏。美音と端正な表現で鳴るフランコ=ベルギー派の名ヴァイオリニストによるヘンデルの作品1。通奏低音のチェロやヴィオラダ・ガンバは用いられていない。

ネットでもどうしても見つからないが、学生時代ミュージックカセットで、この作品1のヴァイオリンとフラウト・トラヴェルソのソナタの選集をよく聴いていた。アルヒーフ・プロドゥクツィオンのものだった。確フルートのニコレやカール・リヒター等と一緒に活躍していたビュヒナーがバロックヴァイオリンを担当していた記憶がある。フルーティストとチェンバロ、チェロは思い出せない。

検索を英語まで範囲を広げたが見つからなかった。(フラウトトラヴェルソ・ソナタで 日本の有田盤がアルヒーフから出たので、カタログ落ちしてしまったのかも知れない) その思い出があるため、このグリュミオーの演奏は当初は流麗過ぎ、時にはポルタメントも聞こえるなどロマンチック過ぎると感じていたが、やはりその美音には抗し難い。

なお、私の記憶にある「幻の録音」は掲載されていないようだが、この作品についての充実した聞き比べリストがあった。グリュミオー盤についてもコメントされている。 HANDEL ON THE WEB BBC - MUSIC - PROFILES GEROGE FRIDERIC HANDEL

P.S. 画像ファイルを2枚アップしたが、位置をHTMLで決めなければならないらしく、てこずった。

追記:同じ音盤の別記事。上記の古いカセットの演奏者が判明。

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