東洋人が西洋音楽を演奏すること、聞くこと
初稿:2005年4月1日 エントリー
(相当以前に書こうと思って下書きを書いていた記事ですが、とりあえずアップします。)
小澤征爾などの活躍により、日本人が海外で西洋クラシック音楽を演奏することは当たり前のようになり、商品としてのCDも全ジャンルの売り上げのたった1%程度とはいえ、コアなクラシック音楽ファンの存在により、メガストアのクラシック音楽スペースはかなり大きい。自分が関心があるからかも知れないが、ネット上でも多くのクラシックサイトが運営されている。また、新聞でもクラシック音楽のコンサートの広告記事など、相当のスペースを占めることがある。
もともと、文明開化以降の日本の音楽教育自体が、西洋音楽の輸入、消化によって成り立って来たわけで、その他の分野同様、追いつけ追い越せがスローガンだった。その精華が、サイトウメソッドとその門下生たちの活躍なのだろう。
産業革命以降、西洋文明が全世界を覆い尽くしている。(一方では、「文明の衝突」などということが言われ、西洋文明とイスラム文明の対立が激しくなっている。)その中で、西洋文明化した現代日本人は、自分が西洋文明を享受することはまったく不思議に思わない。欧州の都市を旅行すると、言葉の問題はあるにしても、日常生活ではほとんど違和感を感じないが、むしろ日本の田舎や中国の地方都市に行く方が、不便を感じる。それだけ、日常が西洋化しているのだろう。
音楽は世界の共通言語だという、楽天的な認識があるが、本当にそうだろうか?世界というのは、西洋文明のことではないのだろうか?文化大革命時代の中国はもとより、イスラム圏では、西洋音楽の演奏が、宗教的な理由から禁止されることもあると聞く。
近年、私の感覚では、小澤征爾、内田光子、ヨー・ヨー・マ、ズービン・メータ(インド系なのでコーカソイドだろうが)、五島みどりなどは、現代のクラシック音楽界ではビッグネームの東洋出身者であるが、彼らの演奏から受けるニュアンスが、同世代の西洋出身の代表的な演奏家からのニュアンスと微妙に異なるように感じるようになっている。内田光子などは、ヴィーン育ちでヨーロッパで教育を受け、ヨーロッパで大成した演奏家だが、彼女自身達者な日本語をしゃべることもあり、ニュアンス面では日本的なものを感じる。
音楽が含有するメッセージは多義的であり東洋人の解釈・演奏が間違っているとは言えないだろうが、多分ここで感じる違和感は非常に微妙なもので、例えば自分の母国語を、ネイティブではない外国人が達者にしゃべっているときに感じるような「バタ臭さ」のようなものだろう。
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【追記】 5/11 「フランスに揺られながら」BLOGからトラックバックをいただいた。
このことに関していつも思い出すのだが、もう何年も前になるが、ヴィーンのピアニスト イエルク・デムスが来日して某地方都市でリサイタルを開いたのを聞いたことがある。デムスのピアノはLP時代にピアノ名曲集やパツァークの「冬の旅」のピアノで聞いていたのでその名前には親しみがあったし、吉田秀和の「世界のピアニスト」には技術的にはメロメロだが落語の名人を聞くような趣があると指摘されていたこともあり、期待して聞きに行った。曲目はシューベルトの即興曲集とベートーヴェンの第32番のソナタがメインだったと思う。
技術的な不安定さというのは、ときおり左手のコントロールがあいまいなのか急に強奏されたり、ぎこちない弾き方にあるのだろうかと感じたし、ベートーヴェンのソナタの第二楽章の変奏曲で、リズムがジャズ的になる部分など「頑張れ」と声援したくなるような個所もあったが、全体に非常にリラックスした雰囲気で、好々爺や孫にピアノで語りかけるような演奏だった。楽譜の再現演奏としての完成度から言えば、指捌きが達者な若手の方が優れているのだろうが、デムスは、完全に演奏曲を手中にしており、そこから自分の音楽を自然に表現しており、音楽と演奏の間の齟齬が感じられないのがよかった。素朴といえば素朴なのだが、意識的な解釈というものを超越したような音楽で、その面で「名人」的なのだろう。
落語の名人と言えば、放送アナウンサーの発声、発音、抑揚、スピードの標準的な話し方に比べて、相当デフォルメされた個性的な話し方をもっているものだが、音楽の再現演奏においても、似たようなことがあるのだと思う。例えば、前座噺の「寿限無」でも、アマチュア、前座、二つ目、真打、名人、大名人では相当異なるだろうし、これを放送アナウンサーがニュースのナレーションのように話した場合、日本語が達者な外人が話した場合では、大きくニュアンスの差が出てくる。伝統や文化的な背景への理解度、呼吸、間の差など、活字の落語台本に現れてこないものが表現の差となるように思う。
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» 内田光子 − free woman − nomade? [フランスに揺られながら]
季刊誌「考える人」2005年春号が目に留まる。内田光子ロングインタビューを読む。以前から、存在感のある音楽家(「存在」と言い換えた方が良いかもしれない)だと思っていた。バレンボイム−シカゴ響との競演の写真もうれしい。自分の世界を信じて、少しずつその世界を広げていっているうちに大家の仲間入りをするような人がいる。彼女もそういう一人だろう。これからさらに芸が広がり、深まっていくことは�... [続きを読む]
「東洋人に西洋音楽が解かるのか?」ぐらいに挑発的に語りかけないと反応が無いのですかね?本質的な問題だと私も考えています。仰るように芸術分野を越えた問いなのですが、音楽の演奏のそれも具体的に絞っていくと分かり易いですね。例えば旋律、律動、響きなどです。どれも民族学などの分野でも扱われる分野だと思われます。慎重に右脳左脳等の話の領域に簡単に結論を求めないようにしていくと有意義でしょう。言語と旋律の繋がりは熱心な音楽愛好家ならば皆気が付いていますね。私は特に英語の旋律です。演奏なら正しい?アーティキュレーションが出来るかどうかですか。小沢氏のアイブスの名演などを聞き直してみたいです。ロシア人やユダヤ人の律動などに相当するノリが東洋人の場合はどの様に出るか?斉藤メソッドはこれの反作用ですよね。響きで言えば、気候や住環境を含めて、町の音自体が違いますね。サウンド・ランドスケープの領域ですが。例えば車のエンジンの音作りなど顕著です。声帯と発声などもよく言われることです。
綺麗な英語を話すケント・ナガノ氏の演奏なども興味ある例です。
総じて言えば、ロシア人でベートーヴェン演奏の評価を得る人などと同じで、上に挙がる様な著名な演奏家は「本場物」でなくても、決して「珍しいもの」を示してくれるからでなくて何処か「素晴らしいもの」を示して成功している訳です。するとそのようなものの何が必要かどうかと言う、殆んど同じ問いが、各々の聴衆の一人一人に投げかけられるのではないでしょうか?
投稿: pfaelzerwein | 2005年4月 5日 (火) 16:16
いつも的確なコメントをいただきありがとうございます。まだエントリーとして挙げるほどの内容ではなかったのですが、考察を進める手がかりが得られるコメントをいただき大変参考になります。またよろしくお願いします。
私が東洋人の演奏ということを特に意識し出したのは、ヨーヨーマのバッハの無伴奏組曲と、小澤/サイトウキネンのブラームス交響曲全集のCDを聞いてからです。それぞれ世テクニック、メカニック的には世界水準の高度な演奏であり、といって決して機械的な特徴のない演奏というわけではなく、十分個性的な演奏なのですが、あえて言えばその個性が作品と合致していないという感覚でした。
投稿: 望 岳人 | 2005年4月 5日 (火) 20:01
取り上げられているテーマに興味が湧いたのは、もう20年以上も前のことになりますが、アメリカ滞在中に見たテレビ番組の印象が強烈だったからではないかと思います。小沢征爾とおそらくヨーヨーマ(他にもいたかもしれません)が話をしていて、このテーマになった時に、小沢が突然ここからはオフカメラで、とカメラを遮ってしまったのです。
音楽は楽しみに聞くだけで詳しいことはわかりませんが、異文化(アメリカ)の中で生活して長くなればなるほど強く感じるようになった異文化の圧力とでも言うべきものと関係があるのかもしれないな、と直感しました。日本で日本人相手に演奏している時には感じない、どうしようもない違和感が日本人には付きまとっているのではないかと思いました。それが苦しみにも繋がっていたのではないかと想像しています。あくまでも想像ですが。
興味深いテーマが他にもありますので、また訪問させていただきます。ありがとうございました。
投稿: paul-ailleurs | 2005年5月11日 (水) 21:12