2005年6月8日 BLOG 一周年
2004年6月8日にこのココログを開始したので、今日で丸1周年になった。
2004年の5月、6月はIT系のBLOGで読んでいた梅田というIT経営者のBLOGで、ネットの世界で「電車男」が話題になっていることを知り、その関連でBLOGに興味を持ったように記憶している。それ以前には、イラク戦争で進駐していた米軍兵士がBLOGを使って現地報告をしており、それが話題になっていることは知っていたが、BLOGのイメージがネット公開の日記とどのように違うのかその差異が理解できていなかった。
その前から BLOG以前の日記機能を使ってウェブ日記を付けており(日々雑録)これを一気に移行したのが、2004年の6月8日だった。
その後、2005年の2月に 備忘録として使っていた掲示板(茶飲み話)を移行した。
一市井人の雑多な備忘録をこのようにネットで公開することにはほとんど意味がないだろうが、自分にとっては精神衛生的な鬱憤晴らし的な意味があるかもしれない。「皆がすなるBLOGというものを、われも・・・」という付和雷同的な動機も一つ。日本人はこの紀貫之(~945)による男性の仮名文日記の以前から、他日の公表を前提として漢文による日記をつけていたという伝統もあり、庶民日記もそれなりの意味があるという考えも頭の片隅にあった。ただ、匿名とは言え、責任のとれないような言論は差し控えたいので、未消化の感情を露にすることはできるだけ控えているつもりだ。
多くの個人の膨大な記録がネットに蓄積され、常時検索、参照できるというイメージは、管理社会的な悪夢の一つでもあろうし、また、人類という生物の一種族による「情報の共有化」のプラスの夢想の一つかも知れない。最近、個人レベルでも団体レベルでもデジタルデータによる保管スペースの圧縮とコピーの容易さにより膨大な量の記録(メモリ)が蓄えられるようになっていることについて考えているが、BLOGもその一環だろうか。
その他BLOGについて感じていることは以下のようなことがらだ。
トラックバックのマナー、コメントのマナーなどまだ未確立の部分が多いようだ。トラックバックは、トラックバックの送り手の記事に、送られ先の記事が引用なりリンクされていることが基本だと思っているが、現在のトラックバックの大多数が、関連する話題を扱っている相手の記事にリンクを貼らずに単にトラックバックを送信しているケースが多いようだ。トラックバックを送った本人も自分の記事に相手の記事のリンクを張っておかないと、いつどの関連でトラックバックしたのか分からなくなってしまうのではなかろうか。
コメントについては、自分がどのようなBLOGにどのようなコメントをしたかは一元的には管理できない。投稿者欄にハンドルネームをきちんと入れておけばGOOGLEではある程度検索できるが、相手側のBLOGが閉鎖されたりすればその手段も無効になってしまう。コメントについては、どこかに記録を取っておく必要があるかもしれない。
これまでのHTMLベース(といってもtagを打ち込んでいるわけではないが)の普通のホームページの更新がどんどんおろそかになっている。これは、ウェブに接続できる環境ならいつでもどこでも更新できるBLOGと、自前のPCでHTMLで体裁を整えて自分なりにリンクを張り、アップロードしなくてはならないホームページの使い勝手があまりにも違うからだ。BLOGが預金通帳の明細表だとすると、ホームページは残高表として整理されるべきだというのが、私の考えだが、入金、出金とその差額の計算とは違い、残高は取捨選択しなくてはならないのが結構しんどい。
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