蛍狩り
昨夜、7時半頃、蛍の光を楽しみに出かけた。蛍スポットに向う途中で出くわした近所の知り合いの話では、前の晩とそのまた前日も来てみたのだが、見られなかったというが、昨夜は運良く見ることができた。昨年の今ごろに同じ場所を訪れたときに比べると数が少ないようだが、この5月は全体的に少々低温気味だったのが影響しているのかも知れない。天気はこの後、しばらく雨模様のようだが、蒸し暑い雨上がりの夕方にまた訪れてみたい。
蛍の薄緑色のまさに蛍光色のかそけき光点が、薄闇の中に飛び交う様は、ゆめまぼろしの世界に足を踏み入れた感を抱かせる。周囲の森からは栗の花の香りが漂い、時折薄暮の空を横切る影は、アブラコウモリ、ヒナコウモリが昆虫類を捕食している姿だろう。田植の終わった水田からは、アマガエル、トウキョウダルマガエル、ツチガエルなどがそれぞれ特徴的な鳴き声を響かせる。次男曰く「蛍の光とカエルの合唱だね」。後で聴いたら歌の題名だと意識していなかったとのこと。
「たそがれ」は、かつては「大魔が時・逢魔が時・王莽が時」でもあった。薄闇に目を凝らして蛍の光を楽しんだ後、人家のあるところまで戻ると街灯の明かりや特に自動販売機の明かりが眩しいこと。「夏は夕暮れ」の平安時代はもとより、つい昭和の初期までは山里では電気の明かりなどなかったのだと思うと不思議な感じだ。8時半を過ぎても空は町明かりを反映して漆黒の闇にはならなかった。
蛍見物は、ちょうど今ごろの季節、蒸し暑く、月明かりがない晩の、日暮れから暫くたってからが適当なようだ。懐中電灯は必要な場所以外では点灯は禁止。その光に反応して蛍が光らなくなったりするため。また、水路の周辺の草を踏み荒らすのも避けたい。蛍のメスは水辺の草に産卵するから。
さて、「蛍狩り」は、国語辞典では、「夏の夜、水辺などに光る蛍を捕らえて遊ぶこと。《季・夏》Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988」のように、実際に catch, hunt の意味で解釈しているようだ。「ホーホー蛍来い」も、竹箒の箒の部分を振り回して、蛍を捕まえる子ども達の遊び歌なので、狩りはそのまま捕えることが原義なのだろうが、蛍が激減している現代の蛍見物には似つかわしくなくなっている。
秋に「紅葉狩り」という言葉がある。「山野に紅葉をたずねて観賞すること。紅葉見。《季・秋》Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988」 同じ「狩り」でも鑑賞に主眼が置かれている。
その内、「蛍狩り」についても、同じように「夏の夕べに、蛍の光を鑑賞すること」などと、意味が変遷していくのではあるまいか?
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