司馬遼太郎「対談 中国を考える」「歴史と風土」
陳舜臣との対談「対談 中国を考える」とエッセイ「歴史と風土」を読んだ。
陳舜臣は、司馬遼太郎とは、大阪外語大学の同窓生なのだという。実家に彼の大部の「中国の歴史」があるが、日本生まれの中国人(華僑)ということは知らなかった。
「対談 中国を考える」は、1970年代の数回の対談をまとめたもの。毛沢東後の四人組というような名前が出てくるように時事問題を扱う本としては相当古いが、歴史談義が多いため内容的には古くない。中国がアジア的停滞を抜け出すために、共産主義を必要としていたという仮説や、日本がアジア的停滞から脱していたという点で他のアジア諸国とは異なるという認識は面白かった。また、今読み返すと、その後の歴史を見通すかのような的確な予測が多く述べられており、感心した。
「歴史と風土」でも、多くの蒙を啓かれた。
ただ、少々引っかかったのが次の点だ。もともとの釈迦の原始仏教の教えには、当然現代日本のような墓地、戒名については全く言及がなく、死や死後の世界、霊魂についても言及がないとされる(中村元博士による原語訳を引用)。それに日本でも平安から鎌倉、江戸時代までは、現代のような墓石の相や戒名に値段があるというような「迷信」はなかったと言っている。高野聖が高野山に納骨したのが起源ではないかと予想している。それに関して、司馬氏の亡父の墓地のある寺院の住職については、相当手厳しいコメントを加えている。坊さんにもこの程度の人もいるのだな、と。
しかし、盆(盂蘭盆会)の風習は、古代から行なわれていたというし、浄土信仰と関連があるのだろうが、地獄・極楽の宗教説話による庶民の教化もあったのだから、少々司馬氏の舌鋒が原理主義的に鋭すぎるような感を受けた。江戸時代の葬式仏教、民衆管理機関として檀家制度以来、日本の仏教は変わって来てはいるだろうが、墓地や戒名についても、その頃からの伝統ではないのだろうか?また御霊信仰、祖先崇拝の素朴な信仰、習俗は、年間行事に組み込まれている。
戒名を金で買うという風習はいったいいつ頃から始まったものなのだろうか?金で買うとは言い過ぎかも知れないが、お布施という考え方は古くからあったのではないのだろうか?
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