ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番(五嶋みどり アバド/BPO)
モーツァルトイヤーということで、ついモーツァルトのCDを取り出し勝ちだが、その気持ちを抑えて敢えて対照的な音盤を取り出してきた。
先日中古盤で購入したもの。
同じ奏者のチャイコフスキーの協奏曲も収録されている。いずれも、ベルリンのフィルハーモニーホールでのライブ録音。チャイコフスキーは10年近く前になるが、NHKでライブが放映されたことがある。ソロの演奏は非常に集中度の高い熱の入ったものだが、オケも聴衆も何か疎外感があるような不思議な雰囲気だった。また当時のソニーのトップの大賀氏夫妻がコンサート後のみどりを迎えるシーンなどがあり、公共放送が企業宣伝をしているような違和感を抱いたことがある。また、このときの録音はリリース予定だとアナウンスされたが、なかなか発売されなかったことを覚えている。現在の録音は1995年の3月7日から11日に渡る数回のコンサートを編集したもののようで、一発録りではない。
さて、ショスタコーヴィチの曲だが、みどりのオフィシャルサイトには彼女自身による楽曲解説があるが、この曲は残念ながらない。有名な曲なのでFM放送をよく聴いた時代には耳にしたことのある曲ではあるが、CDとして聴くのはこれが初めて。予備知識は、吉田秀和氏の「音楽時評」か「音楽展望」かに出ていた、スターリンによる恐怖政治の最中に作曲された曲だということ。そしてスターリン死後、D.オイストラフに献呈され、あのムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルハーモニー(現、サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー)によって初演されたこと。20世紀、ヒトラーと並び自国民を多数殺戮したスターリンではあるが、最近の研究報道では、粛清を恐れた側近により毒殺されたという説が出ているという。政治学の課題図書で、そのスターリン後の政治体制を描いたメドベジェーエフの「フルシチョフ、権力の時代」を学生時代に読み、例のボルコフの「証言」も少し目を通したことがあるが、20世紀はそのような時代だった。
どうも20世紀は政治の時代というだけあり、20世紀の音楽で政治の翳を感じない音楽はあまりないのだが、その中でも、モーツァルトに比すべき神童で、ソ連の誇りであったショスタコーヴィチの音楽は、非常に苦い音楽が多い。比較的大衆好みに作られ表面的には分かり易い第5番の交響曲は別にして、ショスタコーヴィチを聴くにはその訴えるメッセージが何かを絶えず意識しなくてはならなくなってしまっている。純音楽的に楽しめない作曲家の極北かも知れない。(シェーファー=フォアマンの「アマデウス」で描かれたように、モーツァルトも決して政治とは無縁ではなかったのだが。)
そのようなわけで、このCDは聴くには聴いたが、何がなんだか分からないというのが本音だ。
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 作品99(77)
第1楽章 夜想曲:アダージョ
第2楽章 スケルツォ:アレグロ・ノン・トロッポ
第3楽章 パッサカリア:アンダンテ
第4楽章 ブルレスカ:アレグロ・コンブリオ
1997年12月5日から8日録音。
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この曲は、スピーカーから音を出して漫然と聞くよりも、ヘッドフォンで密室的に聴いいたところ、このほうが音楽のメッセージを受け取れるように感じた。今年は、ショスタコーヴィチ生誕100年ということで、メモリアルイヤーだった。旧ソ連を代表する作曲家として、母国ロシア国はどのような対応をするものか注目される。(これを機に、自分のホームページの交響曲全集の解説の邦訳もケリをつけようか?)
投稿: 望 岳人 | 2006年2月 5日 (日) 22:44