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2006年1月26日 (木)

井上太郎「モーツァルトと日本人」

「モーツァルトと日本人」。書店でたまたま目についた。この著者は、「モーツァルトのいる部屋」で全曲の感想をまとめており、あまり学究的ではないモーツァルティアンとして親しい感じがする人だ。

目次をパラパラと見て、小林秀雄から河上徹太郎、大岡昇平、吉田秀和という人文系の知性によるモーツァルト受容史がまとめて読めるのが面白そうだと思って購入した。

クラシック音楽との出会い
モーツァルトとの出会い
日本人の西洋音楽受容
初期のオーケストラ活動
クラシック音楽の普及
昭和戦前のモーツァルト像
モーツァルトのSPレコード
小林秀雄の『モオツァルト』
河上徹太郎の『ドン・ジョヴァンニ』
モーツァルティアン大岡昇平
吉田秀和とモーツァルト
遠山一行とモーツァルト
モーツァルト文献の邦訳
戦後のコンサートとオペラ
LP・CDによるモーツァルトの普及

著者のモーツァルト論は「いき」とモーツァルトなどで披瀝されているので、この著書では繰り返されてはいない。日本におけるモーツァルト受容史として簡易ながら面白くまとめられている。ただ、演奏面、研究面では少々物足りない。海老沢敏氏を筆頭にした日本におけるモーツァルト研究についてももう少し触れてもよかったのではなかろうか?

また一般に日本人はモーツァルトを聞くのは好きだが、演奏するのは苦手とされる問題についても演奏論的に書いてほしかった。たとえば、日本育ちの小澤征爾のモーツァルトはヴィーン・シュターツ・オーパーの音楽監督になった今でもあまり好評を得ていないのにかかわらず、ヴィーン育ちの内田光子のモーツァルトは先のモーツァルトイヤー頃から欧州でも評価が高いのはなぜか?何か呼吸のようなものが関係しているのではないかとディレッタント的には思うのだが。人為の極致でありながら自然な呼吸が感じられないモーツァルトには聞く者として容易に違和感を覚えるのだから難しい。

21世紀の今、モーツァルト以前の作曲家の作品はピリオドアプローチがあたりまえになってしまい、オペラ以外は現代の一線級の指揮者、オーケストラはモーツァルトのシンフォニーを真っ向から演奏・録音しなくなってから久しい。セル、ベームなどの往年の名匠のモーツァルトをいまだに愛好する身としてはどうもしっくりこない。

なお、小林秀雄の「モオツアルト」にも引用されてその代名詞ともなった 「疾走する悲しみ」の種本、アンリ・ゲオンの「モーツァルトとの散歩」(ここで tristesse allante という言葉が用いられた) は、父の蔵書だが何度読み直しても素晴らしい。

この言葉は一人歩きをしてト短調の弦楽五重奏曲の第1楽章や同じくト短調の交響曲第40番の形容というように誤解されることが多い(前者については、小林秀雄が原因だ)のだが、「今日モーツァルトを聴くヒント」のフルート四重奏曲ニ長調K.285にあるように、この言葉が用いられたのは、この曲の晴れやかなニ長調の第一楽章に対してだった。ゲオンは、この印象的な単語を弦楽五重奏曲ト短調K.516の第一楽章に対しては「直接」は用いていない。

《第二楽章では、蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピチカートのリズムに支えられながら流れるフルートの歌は、陶酔と同時に諦観の瞑想を、言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。魂を満たすきわめて赤裸な、いとも純粋な音・・・。第一楽章は(アレグロ)は、1787年の無二の傑作《弦楽五重奏曲ト短調》K516の冒頭部のアレグロの最高の力感のうちに見出される耳新しい音をときとして響かせている。それはある種の表現しがたい苦悩で、《テンポ》の速さと対照をなしている足どりの軽い悲しさ(tristesse allante)言いかえれば、爽やかな悲しさ(allegre tristesse)とも言える。この晴れやかな陰翳という点からみれば、それはモーツァルトにしか存在せず、思うに、彼のあるアダージョやアンダンテなど…をよぎるもっとはっきりした告白よりもずっと彼らしいものである。》

晴れやかで軽やかで飛翔するかのような元気のよいフルート四重奏曲第1番のアレグロニ長調こそ、ゲオンにとっては「足どりの軽い悲しさ(tristesse allante)言いかえれば、爽やかな悲しさ(allegre tristesse)、晴れやかな陰翳」であり、これを「弦楽五重奏曲ト短調K.516のみに」適用したのは小林秀雄の深読み若しくは誤読なのではないだろうか。(K516の第1楽章に見出される耳新しい音をときとしてK.284の第1楽章が響かせており、その耳新しい音こそが、「足どりの軽い悲しさ」なのだから、K516がそれを含んでいるということは間違いがないのだが。)

ゲオン自身、特にその弦楽五重奏曲ト短調K.516については一章を設けてその筆舌に尽くしがたい音楽の魅力について語っているので、短調のモーツァルトへの理解は非常に深いものがあった。ヨーロッパではこのようにモーツァルト死後の時代には、むしろ短調のモーツァルトのロマンチックなデモーニシュな魅力の方が重視されていたのではなかろうか?ニ短調のピアノ協奏曲や「ドン・ジョヴァンニ」はロマン派にも愛好されたという。(ただ、シューマンがト短調交響曲K.550を古典的で晴れやかで均整の取れたものと評したのは吉田秀和による訳書で読める(*)。堀内敬三がこの曲について多分シューマンを参考にしてほとんど同じ傾向の解説をしているのが、井上太郎の著書で読めるが、今日からみると唖然とする)。

(*)追記:シューマンの『音楽と音楽家』では無かったようだ。シューマンのこの交響曲に対する評価は全音のポケットスコアの解説に書かれていた。

しかし、ゲオンはむしろこのニ長調の軽やかな音楽にこそモーツァルト独自の悲しみを嗅ぎ取ったのではあるまいか。

小林秀雄による「モオツアルト」は、それとは逆に、古典的で均整の取れた明朗な作品を作曲した永遠の神童として日本で受容されてきた従来のモーツァルト像に対して、同じtristesse allanteを用いながら、短調のロマンチックなモーツァルト像を突きつけたということなのだろう。

この言葉を支点として、洋の東西のモーツァルト受容の差異がここに顕著になっているといえるのではなかろうか?

仏語    英語
tristesse sadness   
allante     initiative,(active)
allegre     cheerful, merry

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コメント

拝読しました。Henri Ghéon (1875-1944)と言う人は、間違っていなければ、古典からロマンへの文学・劇場の流れを研究していた文人医師のようで、フランスでも比較的知られていないようです。確かに1943年に着想したと言う有名な著書の小林秀雄とこの文人との比較は興味深いですね。充分に読んだ事は無いのですが、前者もエッカーマンのゲーテとか何とかを扱いながら、後者の建設的な仕事とは到底比較出来ない様です。

古典の再生がゲオンの狙いで、モーツァルトをロマンの影から引き出して古典を再定義する事に目的があったように思うのですが、如何なんでしょう?仰るように反自然主義的な作家のこれを反対に読んだと言うのは何故か?

「この精神の飛翔には沈黙するしかないのであろうか。」?!

確か訳者高橋英郎氏のあとがきに書かれていたように思うのですが、おっしゃるようにゲオンが本国フランスではあまり知られていないとすると、この「モーツァルトとの散歩」を日本に紹介し、この邦訳のきっかけを作ってくれたのは小林秀雄「モオツアルト」ですね。

モーツァルト没後のヨーロッパでのモーツァルト受容史は詳しくは知りませんが、ニ短調のピアノ協奏曲をベートーヴェンが愛奏しカデンツァを残したこと、ロマン派の文人たちが「ドン・ジョヴァンニ」に熱烈な賛辞を捧げたこと、ショパンがその葬儀にあたりモーツァルト(ジュスマイヤー補筆)の「レクィエム」を演奏してくれるように頼んだこと、など、短調のモーツァルトは欧州では相当親しまれてきたのではないかと予想しております。

ゲオンが「彼のあるアダージョやアンダンテなど…をよぎるもっとはっきりした告白よりもずっと彼らしいものである」と述べているアダージョやアンダンテは、言及されているFl四重奏曲第1番や、ジュノム協奏曲、Vn&Vaの協奏交響曲、第17番・第23番のピアノ協奏曲のメランコリックでロマンチックな緩徐楽章などを指してしるのではないかと想像しますが、ゲオンとしてはこれらの一聴して悲哀の感じられる音楽よりもむしろ長調にこそモーツァルトの「晴れやかな陰翳」を感じたのでしょう。

ゲオンがわざわざメロディーだけでなくスコアまで引用して解説したK.516の第1楽章は、まさに涙も追いつけぬ疾走をしますが、「晴れやか」さなどは薬にしたくてもありません。

やはりゲオンの tristesse allante はK.136の若い頃のディベルティメント(弦楽ジンフォニー)などの颯爽とした長調の快速楽章から受ける情緒に求める方がいいのではないかと愚考しております。

1/28土曜日の朝のニュースで、ザルツブルクでの生誕記念コンサートの一部が放映された。ヴィーンフィルハーモニーカー、ムーティの指揮、ソリストは内田光子!で、ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503の第1楽章、カデンツァの部分。内田が身振り大きく、オケに合図をしていた。

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