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2006年1月27日 (金)

W.A. Mozart の250回目の誕生日と G.Verdiの命日

音楽界はモーツァルトの250回目の誕生日を盛大に祝っているが、今日は1901年にVerdiが亡くなった日でもある。昨年来音楽史カレンダーなる記事をアップしているが、この史上最大のオペラ作曲家の記念日をつい忘れがちだ。

自分自身Verdiについてはとんと疎く、昨年アダージョ・ヴェルディを購入したときにも同じようなことを書いたが、いまだにその魅力に開眼できないでいる。

開眼できないと言えば、先日「クラシック音楽のひとりごと」 mozart1889さんのベルグルンド/ヘルシンキ・フィルのシベリウス 交響曲第1番ホ短調の記事にコメントしたのだが、シベリウスの第3番から第7番の交響曲はどうにもとっかかりがなくてまともに聴いたことがない。

大学時代頃まではマーラー、ブルックナー、ヴァーグナー、バルトークなどは好奇心で聴いたが音楽を愛好しているかという点では苦手な部類だった。しかし今では非常に親しい作曲家になっている。そのように次第に親しくなっていける作曲家もあれば、どうもピンと来ない作曲家がいる。ヴェルディやプッチーニなどのオペラ作曲家もその中に含まれる。これらの作曲家は多くの愛好家がいるし、シベリウスなどは非常に深遠な魅力があるという感想などを読んだりすると、感性や能力のベクトルや守備範囲にはやはり違いがあるなと感じる。

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さて、最近空想的なことを書き連ね、音楽をまともに聴いてこなかったが、250年前に誕生した作曲家の音楽を久々に落ち着いてきくことができた。ひとつは、トン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック・オーケストラによるディヴェルティメントK.136,137,138とセレナードK.525。100番台の3兄弟は、3楽章形式だが、なぜこれらがディヴェルティメントと名づけられたのか。ホグウッド張りに弦楽合奏によるジンフォニーという名前の方がふさわしいと思う。また、有名なアイネ・クライネ・ナハト・ムジークも第二楽章のメヌエットが失われた今の四楽章形式では、これも弦楽合奏によるジンフォニーというべきだと思う。先にピリオドアプローチによる軽さが気になるようなことを書いたが、これらの演奏は少々ノンヴィヴラートと中膨らみの奏法が気になるとは言え精緻で見通しがよくはつらつとした音楽になっている。(1988,1989年録音)

また、かつてのベルリンフィルのフルート奏者 アンドレアス・ブラウとオーボエ奏者 ローター・コッホ に アマデウス・クァルテットのメンバーが加わったフルート四重奏曲、オーボエ四重奏曲も、久しぶりに聞いた。ブラウのフルートの音色はあまり冴え冴えしていないが、K.285のアレグロ、アダージョ、ロンドーを楽しめた。音楽的な充実度から言えば、K.370のオーボエ四重奏曲ヘ長調が凌ぐだろうが、魅力的なのはK.285の方だ。

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コメント

拙ブログをご紹介いただきまして、有り難うございました。
ボクもシベリウスは1・2番の交響曲と交響詩(フィンランディアやトゥオネラの白鳥など)とヴァイオリン協奏曲が気に入っています。よく聴きます。
最近、ようやく3番や5~7番の交響曲も面白くなってきました。でもホンマ最近なんです(^^ゞ
4番は、まだよく分かりません。

ヴェルディの誕生日だったんですね。昔はよくオペラを聴いたんですが最近はとんとご無沙汰です。ワーグナーも苦手ですしね。歌劇はどうも全体的にアカンです(^^ゞ

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