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2006年2月18日 (土)

冬季オリンピック トリノ大会 2006

スキー、スケートとウィンタースポーツを少したしなみ、1998年の冬季オリンピック長野大会にボランティアとして少しは関わった者として、今回のトリノ大会について何か書きたいと思いつつ、素朴なナショナリズム的な渇望があまり満たされないためか、なかなか言葉が浮かんでこなかった。

今日土曜日で折り返しの中間点にきて、テレビでは前半戦のハイライトを放送していたが、日本は惜しいところでまだメダルゼロにとどまっている。期待のスピードスケート男子500メートルでは、現世界記録保持者の加藤選手が、メダルに届かず(及川選手は健闘して4位に入ったが、直前のレースで好結果を獲得してて上り調子だったのが効いているように思う。直前の調子はやはり重要だ)、気分的に落ち込んだ。女子の岡崎は34歳という選手としては高齢でそれもヘルニアの手術を経ているのだから、惜しくも0.05秒差で、長野以来のメダルを逃したが立派なものだった。

長野の大会では、コンピュータシステムを某米系大企業がサポートしており、所属企業から「ボランティア」に「派遣」され、そのシステム要員として秋ごろから日曜日ごとに訓練を受け、モーグル男子のテレビ放送の裏方を務めた。コースを正面に見下ろす審判員席についてリザルトシステムを動かした同僚もいたが、自分は、審判員席からの出走情報など選手情報をヘッドセットで受け、競技場を直接見られないテレビルームでオフィシャル映像スタッフに連絡をする役割だった。米系のテレビスタッフだったので、会話は英語で、結構大変だったし、秋ごろからのトレーニングは、あまり意味がなかった^^; 

男子は米国人が金メダル、そして女子は今回も出場の里谷がまさかの金メダルだった。(上村愛子は、入賞)。
競技後は、コースの近くに行くことができ、生の里谷や上村の姿も見ることができた。モーグルコースは、とんでもない急斜面とコブで、私のような下手なスキーヤーでは、斜面を斜滑降ですべり降りるのがやっとのようなコースだった。テレビ観戦では分からないが、実物を目の前にすると世界レベルのアスリートの技術能力のすごさをまざまざと思い知らされる。

今回のトリノでは、上村のメダルが期待されていたが、惜しくも入賞とまりだった。上村の2回目のエアは世界一だと思ったが、採点競技であるモーグルでは、スピードも大きい比重を占める。スピードを維持しながら、高速で確実なターンをすることが本来のmogul (スキー斜面の固いコブ)競技なので、縦横の3次元(3D)回転を確実にこなすためには、そのスピードを制御せざるを得ないところに、今回の上村の得点が伸びなかった要因があったようだ。逆に長野のときの里谷のスピードとターンは見事だった。ただ、モーグルの恐るべきコース、ジャンプするだけでなく、回転を加え、さらにひねりを加えるということはほとんど人間わざではないことだけは強調しておきたい。


今回の日本選手団がメダルに届かないのは、いろいろ原因があるのだろうが、少なくとも、長野の直前のワールドカップでは、ノルディックジャンプにしても船木や原田、岡部、斉藤など、またスピードスケートでも清水が圧倒的な強さを誇り、地元大会ゆえのプレッシャーはあったとは言え、彼らが金メダルの大本命だったことは確かだ。今回は、加藤の世界記録はあったにしても、連勝街道を走っていたわけではなく、また上村にしてもその他の選手たちもオリンピックシーズンの今季の成績はあまり芳しいものではなかった。その意味でスポーツイラストレーティッド誌が直前予想で、日本は加藤と荒川の銅2個としたのが残念ながら相当見事な予想だったといえる。

ただ、出場選手たちはメダルに絡まなくても、その時点での世界最高峰の一人なのだから、メダル騒ぎに狂奔することなく、もっと暖かい目で競技をじっくりと放送、報道してもらいたいものだ。

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コメント

上村の今回の滑りは観ましたが、斜面上部も膝で吸収不足の感じで板が充分に落ち着いていなかった印象が強いです。

私などは雪の無い所の生まれ育ちですので、技術以前に、彼ら彼女らは別世界の人と言う思いです。

それにしても、データシステムがTV中継にそれほど関係しているとは知りませんでした。映像はスイッチングするだけで、計測はセントラルのものをそのまま適当に取捨選択しているかと思っていましたので。全米向き民間放送のサポートは責任重いですね。此方の放送ならば少々の事故に対してだれも文句を言う人はいないでしょうが。

私もスポーツ中継の現場に触れたのはあのときが最初で最後ですので、現在でもあの仕事の役割を恥ずかしながら自分自身あまり把握できていないのが実情です。

自分なりに改めて整理してみると以下のようでした。

スタート前に棄権する選手などが出ることもあるので、そのような変更に備えて、私が審判室との連絡役になり、審判室から出場選手ナンバー、名前の連絡を受け、それをテレビスタッフに伝え、彼らがあらかじめ用意してある国名、選手名などのスーパーインポーズを画面に入れ、採点結果が出るとやはりそれを伝え、テレビ側でその結果を受けるというのが、一連の流れだったように思います。そのような中継役が米系放送と、日本側の放送局の二系統につけられました。

私もこのような字幕、採点結果の表示などは自動化されているものと思っていましたので、結構人手に頼っていることには驚きました。リザルトシステムなども出来合いのものを使用するのではなく、SEが数ヶ月前からチームを組んで手作りで作成するもののようでした。

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