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2006年3月11日 (土)

村上春樹「海辺のカフカ」とシューベルトのニ長調ソナタ

しばらく前に話題になった「海辺のカフカ」という小説を読んでみた。作者は、村上春樹。彼の小説は、20年ほど前だったか「ノルウェイの森」がやはり話題になった頃に数編読んでみたことがあった。それらは当時の私の趣味には合わず、それ以来手に取ることはなかった。ただ、彼の「アンダーグラウンド」やこの小説が世間で話題になっていることは知っており、気にはなっていた。

先日、丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳のジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」(三分冊のうちの)Ⅰを入手し、ダブリン空港の書店で、ディレッタントを気取って、分厚いペーパーバックの James Joyce "Ulysses"を購入して以来おそらく初めてその内容に触れることを始めた。「ダブリン市民」「若い芸術家の肖像」は文庫本で入手して読めたのだが、大作の「ユリシーズ」と「フィネガンズ・ウェイク」はこれからだ。この集英社の「ユリシーズ」には、下段に注釈が施されているほど親切なのだが、内容はさすがに手ごわい。(以前、ブルームズデイのことを記事にしたことがあったが、この作品のファンはいったいどこまで読み込んでいるのだろうか?)

そんなおり、以前から気にはなっていた「海辺のカフカ」を見かけ、古典だけではなく、現代小説もたまにはいいかと買って読んで見た。そして今日ようやく読み終えた。作品そのものは、これまで読んでことのある村上春樹作品の中で自分にもっともしっくり来るものだった。

ところで、上巻のP.189からP.194のドライブミュージックのエピソードで、「シューベルトのピアノ・ソナタ ニ長調」の作品論が繰り広げられていたのには驚いた。もちろんこのところ自分が、シューベルト付いているからだ。

しかし、曲についてはすぐにピンとは来なかった。シューベルトの番号付のピアノソナタは21曲あるようだが、ニ長調のものは、

ピアノ・ソナタ第17番ニ長調D.850,Op.53(1825)[4楽章]

だけだ。

「フランツ・シューベルトのピアノ・ソナタを完璧に演奏することは、世界でいちばんむずかしい作業のひとつだからさ。とくにこのニ長調のソナタはそうだ。とびっきりの難物なんだ。・・・ 統一性ということを念頭に置いて聴いてみると、僕の知るかぎり、満足のいく演奏はひとつとしてない。これまで様々な名ピアニストがこの曲に挑んだけれど、そのどれもが目に見える欠陥を持っている。・・・」 「曲そのものが不完全だからだ。ロベルト・シューマンはシューベルトのピアノ音楽の良き理解者だったけど、それでもこの曲を『天国的に冗長』と評した」(P.190)

「一般的にいえば、演奏としてもっともよくまとまっているのは、たぶんブレンデルとアシュケナージだろう。でも僕は正直なところ彼らの演奏を、個人的にはあまり愛好しない。・・・」 「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。・・・」(P.193)

最近シュナーベルの録音を聞いたばかりだった。ほとんど記憶に残っていなかったので、聞きなおしてみた。なるほど、結構風変わりな作品ではある。ただ、このソナタだけが不完全な曲だろうか?不完全さというなら、シューベルトの作品の場合、その仕上げや推敲の点では多くがトルソ的な素朴な風合いを感じさせるので、これを取り立てて特別視するのが適切なのかよく分からない。

ちなみに シュナーベルのピアノだと、第1楽章 Allegro vivace 8:21, 第2楽章 Con moto 13:16, 第3楽章 Scherzo(Allegro vivace) 7:57, 第4楽章 Rondo(Allegro moderato) 7:38 というタイミングになる。

また、シューマンが「天国的な長さ(天上的な長さ)」と評したのは、彼がその未発表のシューベルトの自筆稿を発見して、それを自分の音楽評論誌に発表する際に昨日の記事で書いた「交響曲ハ長調(現行番号第8番、過去には7番とも9番とも呼ばれた、通称ザ・グレート)に対して用いた評言ではなかったろうか?ちょっとネットをあたってみたのだが、このソナタに対してのものは見つからなかった。(吉田秀和訳・編の岩波文庫シューマン「音楽と音楽家」や、音楽解説全集などに当たってみれば出ているかも知れない)。

なお、交響曲ハ長調(現行番号第8番、過去には7番とも9番とも呼ばれた、通称ザ・グレート) について、GOOGLEで興味深い論考を発見した。 シューベルトの「大ハ長調交響曲」と“歓喜の主題”

これは、「ようこそシューベルトのページへ!」に含まれている。

p.s. 「海辺のカフカ」にはこのシューベルトのソナタのほかに、ロックやジャズの曲名もいくつか使われている。また、ベートーヴェンの生涯への言及がまとめてあり、超有名曲のベートーヴェンの「大公」トリオは、やはり先日記した「百万ドル」トリオの録音への絶賛(第34章)のほかに、私がLPで持っているスーク・トリオオイストラフトリオの録音も取り上げられていた。

2021年6月27日追記:

「超有名曲のベートーヴェンの「大公」トリオは、やはり先日記した「百万ドル」トリオの録音への絶賛(第34章)のほかに、私がLPで持っているスーク・トリオオイストラフトリオの録音も取り上げられていた。」

相当前に追記した p.s.の部分だが、改めて原作を読み直してみて訂正したい。

(「海辺のカフカ」(下)2002年9月10日発行 初版)

わざわざ、スーク・トリオを消して、オイストラフトリオに修正したのだったが、これは意味がなかった。どちらのトリオも言及されているのだった。

第40章(P.266)で、大島さんがホシノ青年に対して「僕の個人的な好みはチェコのスーク・トリオです。美しくバランスがとれていて、緑の草むらをわたる風のような匂いがします。」とあり、スーク・トリオへの言及の記憶は間違いではなかった。

オイストラフトリオについても、第34章(P.169)に、喫茶店の店主の台詞で「中にはもう少し構築的で剛直な『大公トリオ』を好む方もおられます。たとえばオイストラフ・トリオとか」と書かれていた。

なお、第38章(P.225)で、ホシノ青年は大公トリオが収録されている廉価版(1000円)をCDショップで買った。

「百万ドルトリオほど華麗で伸びやかな演奏ではなく、どちらかというと地味で堅実な演奏だった」

「同じ作曲者の手になる『幽霊トリオ』・・・も入っていた」とあるが、これについては、原作には演奏者は言及されていないようだ。

自分が所有している「大公」「幽霊」のカップリングのCDは、アシュケナージ、パールマン、ハレルによるEMI録音のものがある。1980年代の録音なので、まだ廉価版ではなかったかも知れない。この顔ぶれからすると華麗で外連味のありそうな感じがするが、意外に地味で堅実な演奏になっている。

スーク・トリオのものは、1975年録音のものをLPとCDで所有している。LPはこの作品の音盤では、一番最初に購入したものだ。CDで買い直して何度か聞いたが、LPの頃より感銘を受けなかった。作中での大島さんによる評は、自分の感じとは少し異なる。

オイストラフ・トリオ(オイストラフ、オボーリン、クヌシェヴィツキー)のものは、残念ながら聴く機会がいまだにない。

百万ドルトリオのものは、本ブログ内の2006年7月28日 (金) 百万ドルトリオ 「大公」、シューベルト第1番 で書いた通り、この「海辺のカフカ」を読んでから購入したRCAの正規盤。1941年ということもありモノ録音であるのは当然として、針音が耳につき、混濁するのが残念。音質も団子状で、音のつやも不足しがちで、「名人芸」は楽しめるほどではない。

これに比べると、カザルストリオ(コルトー、ティボー、カザルス)による1928年の音質の良さはどうだろう。復刻の関係もあるのだろうが、針音はせず、当然モノだが、各楽器の分離もしっかりしていて、音の伸びもあり、音楽を十分に楽しめる。

現在の愛聴盤(音源)は、ボーザール・トリオ Beaux Arts Trio [Menahem Pressler (p), Daniel Guilet (vn), Bernard Greenhouse (vc)] による 1964年のステレオ録音。他の録音のソリスト達の集まりではなく、専業のピアノ三重奏団。広がりのある音場で、伸び伸びとした音色と美しく対話型のアンサンブルが楽しめる演奏になっている。80歳を過ぎて突然売れっ子になったプレスラーで、プレスラーのピアノに感心したのは、モーツァルトのピアノ四重奏曲を聴いた時だったが、この頃も実に達者なピアノを聴かせてくれる。

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コメント

「天国的な長さ」'himmlischen Längen'については以下のリンクの冒頭で態々auf die große C-dur-Symphonieとベックメッサー氏こと評論家賞の審査員Max Nyffeler氏が交響曲に掛かる事を断わっています。

http://www.beckmesser.de/themen/schubert.html

しかし、「もはや思い出す事の出来ない一つの世界へ」云々のオリジナルも出所もネットでは見付かりませんでした。

ピアノ曲にこの言葉を使うのは常套の批評ですから恐らく参考にした英文のオリジナル批評が存在するのでしょう。

但し、「冗長」となっているのがポイントで、否定的ですから明らかにこれは特別です。ここが否定ならばオリジナルのシューマンとは明らかに異なっています。些か伝言ゲームのようですが、作者はここで「話し手のスノビズム」を強調しているのでしょうか?

やはり、「天国的な長さ」は大ハ長調の交響曲の枕詞ですよね。「そこには果てしのない長さという一種の倦怠感のニュアンスが含まれている」とは吉田秀和「私の好きな曲」にありますが、「海辺のカフカ」の「冗長」にはおっしゃるとおり、作者の意見とも、登場人物の感想も含まれているのかも知れません。なお、村上春樹は、このニ長調ソナタについて自分の音楽評論集で詳しく語っているそうなので、興味がわきました。

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