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2006年4月 7日 (金)

モーツァルト 歌曲集 白井光子、ハルトムート・ヘル夫妻

Mozart_lieder◎モーツァルト 歌曲集
春へのあこがれ K.596
すみれ K.476
ラウラに寄せる夕べの想い K.523
など21曲収録

白井光子(MS), ハルトムート・ヘル(P)
1985年8月、1986年5月 ハイデルベルクでの録音

白井光子の名前を初めて知ったのは、音楽之友社の「クラシックレコード総合カタログ」でモーツァルトの宗教曲を見ていたときだったと思う。まだドイツが東と西に分かれていた時代で、東独の指揮者ヘルベルト・ケーゲルがライプツィヒのオーケストラとモーツァルトのミサ曲を録音しており、そのソリストとして何枚かに彼女の名前を見つけたのだった。モーツァルトのミサ曲の録音に起用される日本人歌手とはどんな人だろうと関心をもった。(モーツァルト愛好家には、ケーゲルの名前はこのミサ曲集の指揮者ということで知られていたが、ドイツ統一の直前か直後彼がピストルにより命を絶ち、その後彼の様々なオーケストラ指揮の録音が発掘され、その特異さが注目を浴びた頃には、むしろ意外の感に襲われたものだった)。

さて、このCDは、前回のモーツァルトイヤー1991年の前に録音、発売されたもので、店頭で白井光子の名前を見て購入したものだった。その後、モーツァルトイヤーには、前述のケーゲル指揮のミサ曲集を含む録音が、フィリップス=小学館のモーツァルト全集に収録され、白井光子の歌唱をそこでも聞くことができるようになった。

白井光子の声は非常に柔らかいメゾ・ソプラノで、低い音域に少々癖が感じられるが、高い音域は伸びやかで美しい。ドイツ語の発音のよしあしについてはあまり分からないが、非常に正確だということを読んだことがある。

このCDに収められたリートは、1775年K.152(K~6 210a)から死の年のK.596「春への憧れ」,K.597「春のはじめに」まで。珍しい K.Anh.26 (K~6 475a)「私はひとりぼっちで」(断片)も聴くことができる。

これらの曲で、やはり白眉は「すみれ」K.476 と 「ラウラに寄せる夕べの想い」K.523だろうか。前者の「すみれ」は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩によるもの。後者は、作者不詳とも言われるがヨアヒム・ハインリヒ・カンペという人の作品だと考えられている。

この「すみれ」については、pfaelzerweinさんの"Wein, Weib und Gesang" の「 ローアングルからの情景」で詳しい内容が読める。(詩の最後の一節は、モーツァルト自身の追加「かわいそうなすみれよ!それは本当にかわいいすみれだった」)

P4010083

「夕べの想い」は、1787年ロンド・イ短調、ハ長調、ト短調の弦楽クインテット、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と「ドン・ジョヴァンニ」の年の作品。「クローエに」など数曲のリートが続けて作曲されている。「夕べの想い」の詩は、自分の死が近づいた予感と、死後に自分の墓前に詣でる知人たちに「一本のすみれ」とひとしずくの涙をささげてくれればそれが何よりものはなむけになるという、静かな悟りの心境が歌われており、「死は身近な友である」というモーツァルトの死生観を示すかのように、歌もピアノも淡々としたモノローグを慎ましく奏でる。

白井光子の夫君 ハルトムート・ヘルのピアノは、しっかりと妻の歌唱を支えているという風情だ。

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コメント

TB有り難うございました。音質は悪いですけど聴き比べ出来ましたか?PDFのスコアも何ら裏づけも無いので何とも言えませんが、装飾音の解釈の違いの大きさは解りますね。

バーバラ・ボネーは、オペラなどで聞いていますが、特に馴染みがある訳でも無いので、意志の高さは感心しました。ただ、オペラティックな発声はどうなんでしょう。パーソンズは、流石とは思いました。

ある意味歌手にその気が無ければ、ピアニストもそれまでと言う感じです。音形は、歌手に合わせるしかないですからね。

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございました。

装飾音の違いは、楽譜のピアノ伴奏の2小節目や4小節目などに出てくる前打音をどう取るかということだと思いますが、今回取り上げられた比較的新しい録音でも違いがありますね。

古い録音、シュヴァルツコプフやアメリングなどを例にして、海老沢敏氏が前回のモーツァルトイヤーの時にNHKの放送講座で、この前打音の解釈の違いを語られていました。「古い解釈では、前打音はあくまでも拍の前に短く演奏されるのだが、最近の解釈では、それを拍の真上で奏で、音価を比較的長く16分音符で取るのが多い」とのことでした。当時の演奏様式の研究の成果とのこと。ただ、そうなるとモーツァルトや当時の作曲家が、普通に16分音符で書けばいいものをなぜ前打音でわざわざ記譜したのかが疑問として残りましたが。

スミレの写真は、今年花見に行ったとき、林間にひっそりと咲いていたものです。おそらくタチツボスミレという種類だと思います。

スミレは種類が多いみたいですね。ひっそりと(ぽっこり)咲いているから、やはり前打音ですよ。

前打音の解釈も、装飾音として以下に詳しいです。ダブルリード協会の論文ですが、結構疑問が解けます。

http://idrs.colorado.edu/Publications/DR/DR9.3/DR9.3.Ross.html

Regarding the Vorschlag, there are again no hard and fast rules.

特に前の音からの繋ぎは、管楽器で避けきれない、云う所の音符から音符の「間の音」を思い出すと良く分かります。

改めてこの話題に返りますと、カデンツァでもアイドリングでも無い場合、歴史的演奏実践というよりも様式の中での記譜法の問題でもあるかなと思いました。

それで演奏家も名曲であれば、試せば試すほど芸術的に報われると云うか。この曲の場合、ピアノの情景描写と歌詞のニュアンスの両方が絡み合って、更に動機から動機へと景も変わっているので、こんな小曲でも興味尽きませんね。

正 し く 演奏すれば曲の内容や作曲家の意思が、聴者にも手に取るように解るのが、名曲なのでしょう。

pfaelzerweinさん、詳しいご教示ありがとうございます。

のべつ幕なしにモーツァルトの作品を有難がるのは、単なるブランド崇拝と変わらないのでなるべく控えたいのですが、このような小曲ゆえに、余計モーツァルトの才能の冴えには驚かされます。

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