指揮者 岩城宏之氏逝去 哀悼の意を表します
YAHOOニュースを先ほど見たところ、岩城宏之氏が逝去したとのニュース見出しを見つけ、愕然とした。
最近、入院されたとのことで、pfaelzerweinさんが心配されていたが、その後、復帰したというような報道に接していたし東京混声の記念演奏会にも出演していたとの記事も読んでもいたので、安心していた。
先日、バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタの記事で、岩城宏之氏の打楽器を思い出したばかりだった。
中学生以来、「岩城音楽教室」など彼の著書に触れる機会があり、その後岩波新書のエッセイ「楽譜の風景」などで親しい存在だった。週刊朝日のショートコラムも愛読していたこともあった。
生演奏には触れる機会はなかったが、N響正指揮者として、テレビやFMでその指揮に触れる機会は多かった。N響とは、早い時期にコロンビアにベートーヴェンの交響曲全集を録音している。
故・山本直純氏とは、芸大出身で親しかったようだ。「森の歌」にその頃の愉快なエピソードが書かれていた。
日本人としてはじめてヴィーンフィルの定期に出演するなど、同世代の小澤征爾氏と張り合うように活躍し、海外ではオーストラリアのメルボルン響で活躍、金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢を立ち上げるなど実績を積んだ。最近のベートーヴェン交響曲連続演奏が、キャリアの最後を飾ることになった。
昨年だったか、テレビの夫婦が出演するトーク番組で、夫人の木村かをり氏と一緒に出演したのを思い出す。
同時代の指揮者として、朝比奈隆氏のようなカリスマ的な名声や小澤征爾氏ほどの世界的なスターとしての名声はなかったと思うが、病床で木琴の魅力に取り付かれた少年がその後研鑽を積み、芸大の打楽器科に入学し、その後、数奇な運命を経て、日本を代表するNHK交響楽団の指揮者に就任、その後ベルリンフィルやヴィーンフィルまで指揮をするという実力を備え、現代日本の音楽演奏に大きな功績を残された。庶民的な親しみやすい人柄で、文章も巧みだった。
【追記】1 Wikipediaでは、すでに逝去という記述になっている。ドイツのあのバンベルク響の常任も務めたこともあったという。また、ヴィーンフィルの定期は、ハイティンクの代役で、そのときの模様は、岩城氏の「フィルハーモニーの風景」で語られていた。何が何でもという決死行でヴィーンに駆けつけたのだという。また、ハイドンのテンポ設定についてヴィーンフィルの古参奏者にアドバイスを受けたことも書かれていた。
【追記】2 yahoo blog検索で、マエストロ日記というBLOGで「訃報・指揮者岩城宏之氏死去
」を拝見。著書「岩城音楽教室」、バルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の記載に共感して、TBを送信させてもらった。
【追記】3 6/16(金)の深夜 NHK BS2で追悼番組として、岩城氏が最後に登場した?1997年のN響の定期公演での「悲愴」交響曲の演奏を放送しており、ビデオに収録して聴いた。池辺晋一郎氏が喪服で出演されていた。オーボエの小島葉子氏やフルートの小出信也氏など懐かしいメンバーも演奏していた。この曲は、岩城氏がN響デビューで演奏した曲とのことで、その記念ということもあったのだろう。以前はよく耳にした曲だったが最近はあまり聞かなくなっている曲のひとつで、それもあってか非常に新鮮だった。現代オケを十分に鳴らした恰幅のいい演奏だった。
【追記】4 6/18(日)夜には、ちょうどサッカーワールドカップの裏になってしまったが、NHK総合で、「振るマラソン」コンサートを中心にして、岩城氏の追悼番組を放映していた。ビデオに収録してみた。
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コメント
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ご無沙汰しております。
死の報に接して岩城さんの業績を考えますと、もし氏が指揮者として存在しなければ、どれほど音楽文化が貧困になっていたかと思います。
初演魔と自嘲する功績のみならず日本の交響楽団活動での業績は無視する事が出来ないでしょう。
仰るように私自身を含めて、馴染みがあって人気があってと言う指揮者ではないと思うのですが、その業績は他の方と比べて比較出来ないかもしれません。
ドイツの放送交響楽団への客演などもそうした存在感を示しているのでしょう。氏の初演曲録音の幾つかは、将来に渡って途轍もなく貴重な資料となって行くに違いありません。
投稿: pfaelzerwein | 2006年6月13日 (火) 17:25
pfaelzerweinさん 丁寧なコメントをいただき恐縮です。今度も元気に笑顔で復帰されると思っておりましたが、残念です。おっしゃるとおり、現代作品の初演魔であり、新作の委嘱を活発にされていた功績は非常に偉大だったと思います。
生はいつでも聴けるだろうと思っていたのが悔やまれます。
今晩は、NHKの名曲アルバムのビデオで、岩城さんの若き日の指揮姿が映っているヘンデルの「王宮の花火の音楽」とヴィヴァルディの「四季」を聴いて偲ぼうと思っております。
投稿: 望 岳人 | 2006年6月13日 (火) 22:30
大変驚いています。残念です。N饗の指揮をされていた頃から最も親しみのある指揮者でした。
立派な業績からは嘘のような、ドレミを123と
数字で表記していた時代のことや、ユーモアのある暖かい人柄などが著書からも偲ばれます。
やんちゃだった芸大での記述も面白く、海外演奏会でどこのオケだったか、自分のミスで落ち込んでいたところを団員から呼び出された時の話には
ひどく感動したものです。
生演奏では、京饗を振られた時の一度だけですが
忘れられない思い出となりました。
投稿: 丘 | 2006年6月14日 (水) 08:23
丘さん 丁寧なコメントいただき恐縮です。(cocologの不調でせっかくコメントいただいたのにご迷惑をおかけしました。)
私が一番印象に残っている岩城さんの指揮は、自分が中学生の頃テレビで見たN響での「春の祭典」でした。その頃、「春の祭典」はゲンダイオンガクで、ひどく難解な音楽だと思っており、身構えて聴いたのを思い出します。どういう演奏だったかは記憶にはないのですが、スゲーナーと感激したことだけは覚えています。その後「楽譜の風景」で「ハルサイ」の暗譜での失敗をザックバランに語っていたのを読み、指揮者の心理と記憶、フォトコピーなど印象に残りました。
「森の歌」「フィルハーモニーの風景」は本当に面白いエッセイでした。
投稿: 望 岳人 | 2006年6月14日 (水) 15:36
私のブログをお読みくださってありがとうございます。家にある岩城氏の著書を探し出してみると「楽譜の風景」「フィルハーモニーの風景」など
たくさん出てきました。ああいう風に音楽家という職業の舞台裏を分かりやすく書いたものって他にないですよね。
ほんとに音楽家として稀有な存在の方だったのだと認識を新たにしています。
投稿: マエストロ | 2006年6月16日 (金) 00:07
マエストロさん、コメントありがとうございました。私自身読者としては結構熱心な方でしたが、リスナーとしてはそれほど熱心でなかったのが悔やまれます。今晩もBSで追悼番組があり、お得意の「悲愴」のようです。拝聴したいと思います。
投稿: 望 岳人 | 2006年6月16日 (金) 18:27
指揮者 岩城宏之氏を悼む
投稿: hokuto77 | 2006年11月 9日 (木) 22:34
hokuto77さん、コメントありがとうございました。
今年も来日していることを貴記事で知り、デムスの記事からトラックバックさせていただきました。デムス氏はお元気のようで安心いたしました。
なお、投稿者名のリンクの「指揮者 岩城宏之氏を悼む」という記事、拝読しました。
投稿: 望 岳人 | 2006年11月 9日 (木) 23:05