一日の始まりと終わり 午前と午後の境目
ココログは、今日14時までの48時間のメンテナンスが、予定を前倒しして13:30には無事完了したという。心配したがよかった。結構軽くなった。
さて、「一日が切り替わる瞬間 0:00 はどちらの日になるのか? 」はよく分からない。これは0という「不思議な数」が関係しているのではないかと思う。瞬間とか点とか線とかそのような現実にはありえない(?)数学的な概念も関係するのではなかろうか?(境界についても難しい)
ところで自分の同級生や親戚にもいたのだが、4月1日生まれの児童は自分の生まれ年の前年の4月2日から同じ年の3月31日にうまれた児童と一緒に、小学校に入学することになる。いわゆる究極の「早生まれ」となる。これは次の法律を根拠としているという。
WIKIPEDIA の年齢計算ニ関スル法律の解説は分かりやすいが、これによると、「毎年、誕生日(「起算日ニ応答スル日」)の前日をもってある年齢は満了するから(本法2項、民法143条2項本文)、誕生日の前日が終了する瞬間(誕生日の午前0時00分の直前)に1歳を加えることになる。」と述べられている。
しかし、よくよく考えると終了する瞬間は同時に誕生日当日が開始する瞬間とも考えられるのではないか?つまり、誕生日の前日が終了する瞬間は、午前0時00分の「直前」とは言えないだろうということだ。法律上の話としては、どうも立法者が0というあいまいな概念を考慮せずに、十分な定義をしていないことが問題なのだと思う。どのように規定すればいいのか分からないが、要するに、「X日24時00分00秒JUSTはX日に属する」とでも規定すればいいのではなかろうか?公式解釈など必要ないように厳密な規定はできないものか。諸外国の法規も気になる。
参考:「4月1日生まれは、なぜ早生まれか?」「ここで3月31日24時は4月1日0時のことですから,「4月1日から満1歳」という理解も成り立ち得るわけですが,法律上加齢される日は3月31日,その翌日は4月1日という解釈になるのです。」とあるが、0時00分00秒000000000・・・は、厳密に考えればどちらの日にも属さない瞬間なのだろうと思うのだが。
これに関係して、数日前、1953年制作の映画について、2004年1月1日施行の新しい保護期間70年が適用されるかどうかについて東京地裁の決定が出てニュースになった。この決定が上記についての考え方の争いを典型的に示しているのではなかろうか?下記の決定を公示するPDFファイルを読むと何が何だか分からなくなるが、要するにこの数直線上でマイナスとプラスの領域を区切る0という一点(瞬間)がどちらに属するかを議論しているのだろう。
この決定の要旨は、言うなれば終了=開始について否定し、非連続性の考え方を適用し、0についての議論を退けたのではないかと思う。むしろ文化庁、差し止め請求申し立ての映画会社側が終了=開始 つまり 0を基本とした解釈によっている。ただ、これにより、自らに有利となり過ぎる論理を組立てて、1953年の映画も70年の保護期間が与えられると主張したようだ。
参考:
決定前の状況
仮処分申請毎日新聞解説記事
弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
平成18年(ヨ)第22044号著作権仮処分命令申立事件 (PDFファイル)
決定後の反応
ローマの休日祭り
[ローマの休日]著作権はもうない?まだある?
なお、これと同列の問題については、正午、午前、午後の言葉遣いの問題の方がポピュラーのようだ。午前12時、午後12時という言い方があるのかどうかという問題だ。ネットで検索すると大量に出てくる。
"00時00分" 正午 午前 午後 でググった結果
昼の12時00分00秒は、「正午」という言い方がある。この正午より前の領域が午前であり、後の領域が午後なのだから、正午は0ポイント、境界を示しているというのが自分の基本的な考えなのだが。
政府機関として 情報通信研究機構(NICT):2004(平成16)年4月設立
(NICTは、周波数や時間の「基」となる国家標準値を定める公的機関です。
その精度は、百兆分の一に達しており、時刻や計測機器などの較正用として標準値を提供しています。)がこののサイトでこの問題について解説しているが、結論から言えば非常に不満足なものになっている。
-------引用開始------------------------------
午前12時00分00秒 = 午後00時00分00秒
午後12時00分00秒 = 午前00時00分00秒
との考え方で統一するのが良いのではなかろうか。
---------引用終わり---------------------------
参考
午後12時についてのQ&A集
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2000545
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=661523
http://matsuri.site.ne.jp/standard/std111.htm
WIKIPEDIA 時刻
WIKIPEDIA 0
これに似た問題に、世紀の起点をどこに置くかという問題があり、21世紀がいつから始まるかについて、ちょうど世紀末頃に議論が起こったことも記憶に新しい。この西暦自体キリスト教に関係がある年号なので、キリスト教的にも相当議論が起こっていた。要するにキリスト生誕2000周年がいつかを議論していたわけだ。
西暦(だけでなくいわゆる年号)は、いわゆる数え年的に(0を含めない序数的に)年を数えるので、西暦0年というものはない。西暦1年は、第1年ということで、起点からは満1年は経過していない年になる。そして西暦1年の初めから西暦100年の終わりの満100年を単位としてこれを第一世紀とするので、第21世紀は当然2001年からとなるのだろう。
その一方で、日本では年齢は満年齢を使い、うまれた年の年齢は満0歳何ヶ月と数えられる。この満年齢と数え年という考え方の両立が起きているのも、マジカルナンバー0のもたらしているものなのだろう。
「期間」というもの「期限」というものは社会生活上非常に重要なものだが、言葉の定義の問題や0の概念の問題で結構分かりにくくなっているのではないかというのが実感だ。
p.s. 2006/11/08 このページがアクセスされていたので、もう一度グーグルで調べてみたところ、2004年の記事だったがコメントのやり取りによりこの問題が分かりやすく解説されたblogを発見。トラックバックさせてもらった。
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