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2006年8月 6日 (日)

東京国立科学博物館の南極展

Taro_jiro

猛暑の中、見物中。タロとジロの剥製が久しぶりに再会した。

*Moblogによる携帯電話から投稿

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2006/08/07(月) 追記:

8/6(日)快晴で酷暑。61回目の広島原爆記念日。

なぜこの時期に南極展なのだろうとは思ったが、子どもたちが新聞や科学雑誌で見かけて是非行ってみたいということで、上野まで出かけてきた。カハクの本館は、相当改修工事が進み、入り口も本館の地下から入れるように整備されていた。また、あのフーコーの振り子が(以前のように趣のある展示ではないが)復活していた。

フーコーの振り子の解説記事

特別展とは言え、昨年のティラノサウルス"スー"の時よりもずっと空いていた。それでも新館地下の特別展会場内に入ると、それなりの人ごみだ。今回の展示は、朝日新聞社による映像をPDPタイプのディスプレーで写すものが多く、そこで人の流れの渋滞が起こり、なかなか観客は先に進めない。

展示物は、写真を掲載したタロとジロの剥製や、第一次隊と現在の観測隊の居住棟の実物や、雪上車、南極で多数発見された隕石(月、火星からの隕石など)、同じく発見された恐竜の化石など。またシロナガスクジラの頭部の骨格標本や、ペンギンなどの剥製が展示されていた。南極の氷に直接触れられるコーナーもあった。

また、ライヴ中継ということで、南極基地の隊員と会場を衛星通信で結んで、質疑応答やクイズなどを行うコーナーがあり、次男が質問者として手を挙げて立候補したところ、司会者に3番目くらいに指名してもらい、会場の前に行き、「日本の雪上車は何台くらいいるのですか」という質問をして、「クルマに興味があるの?将来南極観測隊員になりたい?」などと聞かれていた。

そんなこともあり、子どもたちは結構興味を持ったようだったが、カハクの特別展の会場が狭いこともあり、なるほどこんなものかという感想だった。

原因の如何を問わず、現在の温暖化により南極の氷(大陸の上に平均2000m,最高4000mも降り積もっているのだという)が危機的状況にあることや、オゾンホールについては、それほどアピールはされていない展示だったのは、不満が残るものだった。

なお、子どもたちの活躍に対してのご褒美として、雪上車のチョロQ1台1000円也を2台購入した。

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2006/08/08(火)追記。

南極展の順路の初めの方に、ノルウェーのアムンゼン、イギリスのスコット、そして日本の白瀬矗(のぶ)中尉の南極点到達競争のことも展示されていて、感銘を受けたのを書き忘れていた。1909年、アメリカ人のピアリーに北極点到達で先を越された三人の探検家は、今度は南極点に目標を変更し、ほぼ同時に南極を目指したようだ。(このあたり、世界史における研究や探検の同時多発的な現象のひとつと思われ、興味が湧く。あの利根川博士のノーベル賞受賞も、ほぼ同時に別のグループも同じ研究にいそしんでおり、タッチの差だったという。)

この南極点への競争は、1911年(明治44年)12月14日アムンゼン隊の勝利に終わり、スコット隊は約1ヶ月遅れの1912年1月18日に到達したものの、帰路全員が遭難してしまった。ちなみに、この悲劇を映画化(『南極のスコット』)した際にヴォーン・ウィリアムスが作曲した映画付随音楽を、彼自身が交響曲に仕立て直したのが『南極交響曲』だという(未聴)。

日本の陸軍中尉白瀬矗隊は、木造漁船を改良した帆船「海南丸」で南極を目指した。映像展示で、南極への探検の季節待ちをしているオーストラリアかニュージーランドの港で、アムンゼン隊かスコット隊に、「その船でよくここまでやってきたものだ」と哀れまれたエピソードが紹介されたいた。白瀬隊も1912年1月には南極大陸(周辺の海氷部?)に到達し、南極点に向けて出発したが、1月28日に南緯80度付近で前進を断念して、6月20日には全員無事、日本に帰国したという。このとき名づけられたのが、大和雪原(やまとゆきはら)。

大隈重信などの支援はあったが、資金は一般人からの義捐金に頼ったが、白瀬自身も借金をして、探検後の残高が今の貨幣価値で2億円にものぼったという。

このような事実を挙げながら、南極展は、白瀬探検隊の壮挙を顕彰し、その後に続く日本の南極観測を紹介し、青少年へ冒険への奮起を促しながら、それとなく報道に携わった朝日新聞の宣伝をするという意味合いがあったように思われる。

太陽風によって起こされるオーロラが極地で見られることの説明や映像展示は結構面白いものだった。このオーロラは、太陽系の他の惑星でも発生するのだという。

なお、南極とのライブ中継に出演した南極側の隊員は、南極観測基地の建造物を支援しているミサワホームの社員だったことを、会場で配布していたミサワホームのパンフレットで知った。

最後に、おなじみのニホンオオカミ零式艦上戦闘機、トリケラトプス・アパトサウルス・ティラノサウルスなどと対面して帰宅。出口にあったマイナス5度Cの南極体験ルームは真夏のマイナス気温なので気温差35度Cもあり期待したがそれほど寒くはなかった。

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