マルティノン/VPO の『悲愴』、ボロディン第2番
チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 作品74『悲愴』
ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 〔1958年4月〕 18:24/7:54/8:41/9:55
ボロディン 交響曲第2番 ロ短調
ロンドン交響楽団 〔1960〕 6:38/4:38/7:38/5:50
指揮:ジャン・マルティノン Jean Martinon
先日、ドビュッシーの『管弦楽のための印象』をモントゥー盤とマルティノン盤で聞き比べをしたのだが、そのときに以前にFM放送で聞いたことのあるマルティノンの『悲愴』のことを書いて以来どうしてもCDで聞きたくなり、セルのチャイコフスキーの第4番と一緒に、DECCA BEST100シリーズ に入っているCDを購入した。この録音を腰を据えて聴くのは初めてだ。
マルティノン指揮ヴィーンフィルの『悲愴』は、LP時代に大ベストセラーだったという。『悲愴』のステレオ盤として世界初の発売だったのか、ヴィーンフィルの『悲愴」のステレオ録音として初発売だったのか、非常に話題を呼んだようだ。ただ、これを最初で最後にしてマルティノンとヴィーンフィルの組み合わせの音盤はないというのだから、どういう経緯でこの録音がプロデュースされ、どうして共演盤が出なくなったものなのか興味深いものがある。それほど評判を取ったものなら第2弾が企画されてもよさそうなものだったろうに。
さて、今回も先入観を捨てきれず、予想としては「フランス的な洗練とヴィーン風のしなやかさがミックスされたものだろう」と思っていたら、意外にもダイナミックで結構男性的な演奏だった。amazonなどのレビューにある感想とはことなるのだが、音色にしてもリズムにしてもヴィーンフィルのよく言われる練り絹のような弦の音色と、トゥッティの響きのまろやかさが感じられず、むしろ結構荒々しさダイナミックさが感じられた。第1楽章は、有名な第2主題で相当テンポを落とし思いを込めて演奏している。この辺りはVPOの高弦が美しい。第2楽章の五拍子の「ワルツ」でも、ストレートにさらっと演奏するのではなく、リズム的な処理も結構独特なものが感じられた。
このマルティノン盤の後に、ムラヴィンスキー盤を久々につまみ聞きしようと聴いてみたのだが、とうとう最後まで聞いてしまった。迷いのない真摯な音楽が素晴らしかった。
『悲愴』のタイミング
マルティノン/VPO〔1958〕 18:24/7:54/8:41/9:55
ムラヴィンスキー/レニングラードo.〔1960〕 17:41/8:07/8:22/9:47
小澤/パリo.〔1974〕 18:33/7:59/8:42/10:01
ジュリーニ/LAPO〔1980〕 18:41/8:08/9:25/10:12
この通りタイミング的には小澤/パリ管のものと数秒差の瓜二つ。
併録は、マルティノンがロンドン響を振った ボロディンの交響曲第2番。これも、現在CDでもっている チェクナボリアン指揮の同曲に比べて、タイミング的に相当快速な演奏になっている。チェクナヴォリアンの演奏は、イギリスのオケとは言え、いわゆる本場物に近いものだろうが、あまり好みに合わないものだった。それが、イギリスのオケでフランスの指揮者のこの録音は、曲自体の把握力がよいのかチェクナヴォリアン盤よりも楽しめた。
『ボロディン』のタイミング
マルティノン/LSO〔1960〕 6:38/4:38/7:38/5:50
チェクナヴォリアン/ナショナル・フィル〔1977〕 7:02/4:30/8:35/6:21
マルティノンは、ドビュッシーのオーケストラ曲集(EMI盤)と、ERATO盤のフランクの交響曲程度しか知らず、比較的洗練した音楽作りをする人だと考えていたが、モントゥーのドビュッシーとの比較や今回のCDを聞いてみた結果、結構ダイナミックでテンポも動かして情緒的な音楽を作る指揮者なのかも知れないと思うようになった。
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