ゴルトベルク変奏曲 グールド(新旧)、レオンハルト
J.S.バッハ アリアと種々の変奏(ゴルトベルク変奏曲) ト長調 BWV988
(1741/1742出版)
グレン・グールド:ピアノ
〔1955年6月10日、14日~16日、ニューヨーク、モノーラル〕
Total Timing: 38:27
グレン・グールド:ピアノ
〔1981年4月22日、25日、5月15日、19日、25日 ニューヨーク、ディジタル〕
Total timing : 51:18
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)〔1964年頃、ステレオ〕
Total timing : 47:41
お定まりのパターンで、この曲の入門は、グレン・グールドの1955年録音のLPからだった。私がクラシックに親しんで、バッハのこの曲が視野に入った1970年代は、ゴルトベルクと言えばグールドと相場は決まっていたようなものだった。それ以前のバッハ演奏の因習を打破したまったく新しいバッハ像を打ちたてたと言われて、そんなものかと思い込み、実のところ、それまでのバッハ演奏を知らずに、今度はグールドを逆に権威として崇め奉っていたように思う。その後、グールドが1982年逝去の直前に残した1981年の録音を当時のCDレギュラー価格3800円で入手し、ディジタルならではのピアノの透明な音とゆっくりしたテンポに驚いた。シフのピアノ録音などをFM放送で聴いたくらいで、やはりグールドは究極かと思っていた。
ところが、数年前、何の気なしにチェンバロによるゴルトベルク、グールドの打破した因習的な演奏とはどんな感じなのだろうという興味から、仕事帰りに立ち寄ったCD店の店頭にあったレオンハルトの旧盤のCDを購入して聞いてみて驚いた。グールドが絶対かと思っていたが、そうではないことに気づかされたのだ。確かに、グールドの即興的なテンポ、ピアノならではの多彩なアーティキュレーションとデュナミークの変化、声部の描き分けなど、素晴らしいものであることは否定できないが、このレオンハルトの比較的初期の録音を聴くと、グールドで馴染んだ音楽が別の装いで登場したかのようにまったく新しい表情を見せてくれた。
この曲は、カイザーリングという貴族が、バッハの弟子のゴルトベルクをお抱え音楽家として雇っており、睡眠不足に悩んだカイザーリングがバッハのこの長大な「主題と変奏」を睡眠薬代わりに弾かせて聴いたという伝説から、ゴルトベルク変奏曲というあだ名が付けられたといわれているが、グールドの刺激的な演奏はもちろんのこと、チェンバロ特有のダイナミックの変化の少ない少々単調に流れる恐れのある条件でもレオンハルトの演奏を聴いている分には、逆に覚醒してしまう。
以前にも書いたが、同じ大作曲家の大変奏曲でも、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲こそ、集中力が次第に麻痺し、眠りに誘われる曲なのと対照的だ。
なお、このゴルトベルクのアリア(主題)は、バッハが二度目の妻 アンナ・マグダレーナのために書きとめた「音楽帳」に収録されている。この曲集には、当時流行していたり、バッハが気に入った小曲が書き込まれているのだが、一体誰が作曲したものなのだろうか?
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コメント
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始めまして。こんばんは。
グールドの「ゴルトベルク」には目がありません。
レオンハルトもシフもペライアも、それぞれ独自の主張が立ったいい演奏ですが、グールドのスケール大きく生き生きした音楽のほうがやや勝るのではないかと思います。さらに新旧を比べるならば、新盤のほうがやや懐が深い感じがします。私の無人島の1枚の有力候補です。
投稿: 吉田 | 2006年10月14日 (土) 00:25
吉田さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
初めにグールドを聴いて、この長大な変奏曲の面白さを教えられ、馴染むことがなかったならば、その後のいろいろな演奏を楽しむことができなかったと思いますので、その意味からもグールドの演奏は私にとっても大切なもので、感謝しています。
また、よく言われますが、アリアで始まりアリアで終わるこの曲と、ゴルトベルクでデビューし、(実際には違いますが)ゴルトベルクで閉じたグールドのピアニストとしての人生がオーバーラップして、なにやら非常に不思議な感じがします。
投稿: 望 岳人 | 2006年10月14日 (土) 07:16