『ニーベルングの指環』全曲 指揮:ノイホルト バーデン・シュターツ・カペレ
これが14枚組み 激安『指環』全曲。
ギュンター・ノイホルト指揮 バーデン州立歌劇場(カールスルーエ)
独TIM Cz.BELLA MUSICA EDITION 205200-375 (14枚組) 2003年3月購入(Tレコード) (\1,790+税)
○序夜 ラインの黄金 205201-304 (2枚組) <ライヴ 1993/11/20,1995/4/14>
ヴォータン : ジョン・ウェーグナー
アルベリヒ : オレク・ブリャーク
ミーメ : マイケル・ノウォーク
ファフナー : マルコム・スミス
他
○第1日 ヴァルキューレ 205202-351(4枚組) <ライヴ 1994/1/29,1995/4/17>
ジークムント : エドワード・クック
ジークリンデ : ガブリエレ・マリア・ロンゲ
ブリュンヒルデ : カーラ・ポール
ヴォータン : ジョン・ウェーグナー
他
○第2日 ジークフリート 205203-351(4枚組) <ライヴ 1994/10/1,1995/4/23>
ジークフリート : ヴォルフガング・ノイマン
ミーメ : ハンス・イェルク・ヴァインシェンク
アルベリヒ : オレク・ブリャーク
ファフナー : サイモン・ヤング
さすらい人(ヴォータン):ジョン・ウェーグナー
他
○第3日 神々のたそがれ 205204-351(4枚組) <ライヴ 1995/4/1,1995/6/25>
ジークフリート : エドワード・クック(ヴァルキューレでジークムント役)
アルベリヒ : オレク・ブリャーク
ブリュンヒルデ : カーラ・ポール
グートルーネ : ガブリエレ・マリア・ロンゲ(3人目のノルン役も。ヴァルキューレでジークリンデ役)
他
*関連記事: あずみ椋のコミックと新書館の翻訳
:超廉価盤の『指環』を聴いて (ホームページ「音楽の茶の間」の記事)
以下はこの記事からの引用
2002年春頃に同じTレコードでこの超廉価盤(確かブリリアント版)を見かけたが、あまりに安いので買うのを見送った。その後、クラシックCDのデフレ現象の象徴の一つとして新聞にも取り上げられた記憶がある(バルシャイのショスタコ全集などとともに)。今回横浜のCDメガストアをめぐって、超廉価ゆえに思わず手が出た。これまで主にブリリアントの超廉価が概ね「当たり」だったので、超廉価に対する猜疑心はなくなった。値札は2,590円だったが、レジで店員がセール価格の1,790円だと親切にも値下げしてくれた。その後ネットで見ると、これがこれまでの底値らしい。
さすがに台本と対訳はついていないが、各巻に、独英仏伊西の曲目解説(CDトラックナンバー付きで、ヴァーグナーのト書き付き)が付いている。ライヴ録音とは書かれているが、演奏中の客席雑音は聞き取れない。また、歌手の位置の移動も確認できない。ただ各幕の最後には聴衆の拍手、ブラヴォーが盛大に入っている。
ヴァルキューレは、ショルティ盤の対訳付き台本を参照しながら聞いたが、省略があるようないい加減な演奏ではない。あまりに安いのでつい心配になるが、雑音やエラーも今のところない。ネットでこのCDを取り上げたサイトでも書かれていたが、過度に劇的な演奏でないため、聴き疲れしない。ショルティ盤のヴァルキューレの一部を聴いてみたが、あまりにオーケストラが頑張っていたり、歌手の声にエコーがかかっていたり、ノイホルト盤に比べて煩く感じたほどだ。
他の曲は音楽之友社名曲解説全集の簡略(過ぎる)な解説を参照しながら聴いているが、この大曲に馴染みがあるわけではなく、FMのバイロイトライヴやザヴァリッシュ/バイエルンのビデオを多少かじって、いつも途中で挫折したくらいの経験しかないので偉そうな比較はできないが、このノイホルト盤はライヴでもあり、オーケストラの音がやや弱めに収録されているためか、過度な劇性が抑えられており、濃厚さやくどさへの拒否反応が起きにくい演奏の一つかも知れない。
歌手は、ブリュンヒルデ役にドラマチックソプラノ的な迫力が足りないというような評を読んだが、そのような役への適性は別にして、全体的に2回のライヴからの編集にしては非常にきちんと台詞間違いもなく歌えているし、発音も明晰で変なストレスを覚えない。むしろ個性的過ぎず聞きやすい。
ところで、この廉価だが、バルシャイ盤もそうだったが、製作にオーケストラ自体、歌劇場自体が関わっているというような秘密があるのではなかろうか?一種の宣伝盤として出しているのではないかということだ。これだけの廉価なら世界の多くの国である程度の販売が見込まれ、WDR(ケルン放送)とかバーデン歌劇場の名前がファンに浸透する。CDの製造原価は今や1枚数十円のレベルだというから、指揮者、オーケストラ、演奏者、歌手とCDに関して特別な契約を交しておけば可能なのかも知れない。
2003年3月24日(月)にようやく神々のたそがれまで聞き終わった。とは言え、リブレットを参照しながらは、ヴァルキューレと神々のたそがれのみ。ラインの黄金は解説書もみないで聞き流し(現在リブレットを未ながら2回目に挑戦中)。ジークフリートは解説書を見ながら。
長大なこの「オペラ」は確かに魅惑する部分と嫌悪する部分が入り混じっている。ライトモチーフが精巧に織り上げているため、音楽的に注意を払いながら聴くと言葉もあまり関係なく、音楽として面白い。しかし、いざ台本を参照しながら聞くと、荒唐無稽な筋書きのゲルマン神話に呆れることが多い。
ラインの娘たちの媚び、アルベリヒの欲情、ヴォータンの卑劣な契約破棄、巨人の愚かさ、ローゲの陰険さ、人間のいない神話時代なのにヴォータンはヴェルズングを誰に生ませたのかとか、ジークムントとジークリンデの近親相姦やヴォータンの恐妻、フリッカの身勝手。ブリュンヒルデはまあまともか?しかし、養子と養親の殺し合い、恐怖を知らぬ能天気なジークフリート、見掛け倒しで弱いファフナー、いやらしいハーゲン、阿呆のグンター、カマトトのグートルーネ、世界の平和より男との愛を優先するブリュンヒルデ、また忘れ薬、などなど。もともと神話はつじつまが合わないものだが、ヴァーグナーが脚色したゲルマン神話には、いわゆる神聖なものはほとんど感じられない。その意味でギリシャ・ローマ神話的だ。しかし、これが同時代と後の欧州世界に大きな影響を与えたのだから何をかいわんや。ヴァーグナー前と後というように。
あのショパン弾きで有名なコルトーが熱烈なヴァグネリアンで、愛好から一歩進み、ナチス占領下のフランスのヴィシー政権に協力するほどだったというのだから、まったくもって芸術というのは・・・。フランス人はガリア戦記にみるようにローマの支配下にあった時代があるため、自らをラテン系と称しがちだが、中世にはフランク王国の一部だったのだから血統的にはゲルマンの血も入っているのだろうし、その古層にはケルトの血もあるのだろう。その彼らがゲルマン神話への親近性を抱くことも異様ではないのだが・・・。
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コメント
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詳しくは知らないのですが、カールスルーへの劇場では結構常時簡単に録音が行われています。仰るように、演奏家の名前を出していても、契約書で公開権は劇場にあるのでしょう。所謂、ナクソスなどでお馴染みのノン・エクスクルシーヴというものです。悪い言い方をすれば束ねて幾らです。
ケルンの場合は放送局が権利を持っているので、放送用の録音は予算に含まれています。一番手っ取り早いのは、それを流出させるだけです。昔から、社会還元としてラジオで流すためにスタジオ録音がされたのですが、市場化の波で今はこうして可能な限り経済化・合理化する方法が取られています。こうしたものは、ですから放送局が放送権を持っている場合が殆どです。
ですからいまでも、戦後の放送交響楽団のスタジオ録音はCD化されようとされまいと、倉庫から有線で配給されてラジオで流されています。しかし以前は、クーベリックなどもDG専属でしたので録音などで、スタジオ録音と演奏会の機会に便乗した形でも、レーベルが経済的にもより関与していた筈です。それに比較すると、宣伝の意図と言うよりも、寧ろ現在は経済の効率化と考える方が良いかと思います。ライヴはもともとただのようなものですし、数回のものの編集もデジタル化で比較的容易になっています。
こうした状況を市場から見ると、選択の豊富さと価格破壊で恩恵を受けているようですが、同時に既にお気付きのように、以前のような資金をかけた制作は皆無になってきて、崩壊現象はメディア市場に留まらない悪影響を齎しています。
投稿: pfaelzerwein | 2006年10月14日 (土) 15:58
pfaelzerwein さん、いつもコメントありがとうございます。特にドイツ発の音源の価格破壊的なpricingの背景について長らく疑問に思っていて、この元記事を書いたのですが、明快な説明をいただけて感謝しております。パブリックドメインについても書いたことがあるのですが、際限のない価格低下は、これまでような資本主義的芸術活動の質の面に大きな影響を与えるような気がします。
blogでもそうですが、私のように素人が気軽に情報発信にできるのはいいですが、ディジタル化による複製・編集の容易化が背景で、特にyou tubeやpod castingなどの映像面、音声面でも、「以前のような資金をかけた制作は皆無になってきて」いることが現実化しており、憂慮すべきことかも知れません。いわゆる芸術面でのプロフェッショナルの地位が低下してきているように思います。
投稿: 望 岳人 | 2006年10月15日 (日) 08:13