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2006年11月29日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番『新世界から』セル/CLO

Dvorak_s9_szell アントニン・ドヴォルザーク Antonin Dovrak(1841-1904)

  交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界から』

ベドルジーハ・スメタナ Bedrich Smetana(1824-1884)

   交響詩『モルダウ』 (連作交響詩 『我が祖国』第2曲)

ジョージ・セル Georg Szell 指揮 
クリーヴランド管弦楽団 Cleveland Orchestra
〔ドヴォルザーク:1960/3/20,21 スメタナ:1962/7/19 クリーヴランドでの録音〕

ドヴォルザークが1892年から2年間滞在した新世界アメリカは、南北戦争を終結し1862年の奴隷解放宣言を経たアメリカだった。その地で、ドヴォルザークは、もちろん同郷のチェコ人のコミュニティーなども訪れたようだが、音楽院の院長としてネイティヴ・アメリカン(旧称アメリカ・インディアン)やアフリカ系アメリカン(いわゆる黒人系)の学生などから彼らの独特の音楽をも学んだようだ。現在最も愛好されている彼の傑作、この『新世界』交響曲および『アメリカ』弦楽四重奏曲、チェロ協奏曲は、意外にもこのアメリカ滞在中に作曲されている。

ところで、そのアメリカ合衆国(「合州国」という訳語は未だに広まらないが)オハイオ州クリーヴランドという町の名は、エジソンの伝記にでも関心がなければ、恐らくあまり耳にすることのない町だが、ジョージ・セルのおかげで、音楽愛好者にとっては、現在でも世界有数のオーケストラの所在地として、あまりにも当たり前の地名になってしまっている。

Wikipediaでクリーヴランドを読むと、デトロイトと並ぶような自動車工業の町だったらしいが、1960年ごろまではひどい環境汚染に見舞われていたところのようだ。

20世紀はアメリカの世紀であり、その繁栄の原動力となった五大湖周辺の重工業地帯で、自らの出自(母方はチェコ人かスロヴァキア人らしい)の一つでもある国を代表する音楽『アメリカからのヨーロッパへの挨拶』を演奏するというのは、逆にヨーロッパから自らの意思ではなく、亡命してきたセルのような指揮者にとっては、どのような感慨のものだったのだろうか?

そのような部外者の興味関心とは大きくかけ離れて、CBS録音のセルのドヴォルザークは(EMI録音とは違い)純音楽的なアプローチにより、オーケストラの透明な音色と緊密なアンサンブルとソロ楽器の安定した上手さを用いてすっきりしたボヘミアの音楽を奏でている。それでもあまりにも有名な第2楽章のコールアングレーのソロはそっけなく演奏しているのではないかという予想もこれまた外れて、情緒のある演奏になっている。また終楽章で熱狂的に盛り上がる部分も一糸乱れないが、冷たくはなく熱い演奏になっている。ドヴォルザークのオーケストレーションは、あまり上手くないオーケストラの演奏だと鳴りがよくないのだが、その点この演奏だとそのような心配はまったくない。

スメタナの『モルダウ』は、ライヴ録音などを聴くとアンサンブルを整えた精密な演奏は非常に難しいようで、冒頭の源流の部分などアンサンブルをあわせるのが大変そうだが、このセルとクリーヴランドは水の音楽でありながらまさに「水も漏らさぬ」完璧な演奏を繰り広げている。クーベリックにはボストン響との『我が祖国』全曲の見事なスタジオ録音のほか、全曲録音をいくつか残しているが、セルには全曲録音はないのだろうか?

ところで、このカップリングは、LP時代にも買い求めたもので、音盤としては重複になる。そのLPの前に購入したノイマンとチェコフィルのアナログ録音盤も同じ組み合わせだった。特に『新世界』はノイマン(前に記事を書いたCDの前の録音)で聞きなれた音楽だったが、セルのを聴くと、吉田秀和氏の「大工業地帯の機械が精密に動くような精緻なフレージングが冒頭から聞かれる」という趣旨の評の通り、ボヘミア的な鄙びたラプソディックな音楽ではなく、洗練された大交響曲として立ち表れる感じだ。そこには、すぐに感じられる「懐かしさ」のようなものはないが、底流としてはこの音楽の愛が感じられるように思える。多分自分とセルの音楽との相性の問題だろうが、いわゆるあまりにも有名すぎて聴き馴染んだ音楽(といっても「通俗名曲」とするのは、どうだろうか?受けを狙った迎合的な音楽ではないと思うので)だが、このセル盤を聞き始めると途中で飽きることがなく、つい最後まで聞いてしまう。(フルニエ、BPOとのチェロ協奏曲もまったく同じだ。)

録音は、残念ながら少々古びた感じで、ヒスノイズや強奏での濁りが多少あるが、それほど聴きにくくはない。

【手持ちのタイミング比較】
セル/クリーヴランドo.     〔1960〕 8:39/12:08/7:51/10:55
ケルテス/VPO               〔1961〕  9:44/11:46/7:39/11:05
小澤/サンフランシスコso. 〔1975〕 12:36/12:00/7:45/11:35 (第1楽章提示部リピート)
ノイマン/チェコpo.           〔1981〕 9:36/11:34/8:17/11:22

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コメント

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏に初めて触れた一枚です。LPのジャケット写真と同じで、懐かしいものですね。演奏はおっしゃるとおり。セルはあからさまな情緒性を排し、機能性や構造性を重視したモダニストが本質だと思いますが、そこで結果として出てくる人懐こさや香り高さは、演奏されている音楽の持つ本質なのでしょう。
スメタナの「わが祖国」の全曲録音がないのはかえすがえす残念ですが、モーツァルトの交響曲で33番はあるのに「プラハ」交響曲の録音もないくらいですから、彼の審美眼が相当に厳しかったか、レコード会社の制約が相当に厳しかったのでしょう。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音状況などを考えると、後者の要素が大きいかも、です。今となっては残念無念です。

narkejpさん、コメントありがとうございます。

やはりセルによる『わが祖国』全曲録音はないんですね。確かにこの連作交響詩は、すべてが名作というわけではありませんから、セルの取捨選択があったのかも知れませんね。

彼のドイツ・オーストリア音楽はもちろん、ボヘミア、ハンガリー音楽には格別な魅力がありますね。彼の演奏を聴くとつい最後まで聴いてしまうということがよくあります。

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