ハイドン交響曲全集 鑑賞メモ その3
2006年3月18日 ハイドン交響曲全集 鑑賞メモ その2に続くもの。コメントが短すぎるし全作品ではない。また意味不明の部分もあるが、一応聴いたメモとして。
アダム・フィッシャー指揮 オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団(Brilliant 33枚組み全集)
◆2002年4月11日(木)CD8 No.30-No.33
No.30 『アレルヤ』 1st movement はバロックのシンフォニアのようにハイドンのトランペットで始まる。
No.31『ホルン信号』名の通りホルンが活躍。2nd movement はホルン入りの室内楽のよう。4thはフィナーレ風ではなくチェロのソロなどがあり。
◆2002年4月12日(金)
No.32 Cdur。 2nd mv.にメヌエットが来る。トランペット、ティンパニが目立つ。
No.33 もCdur。 急緩メヌエット急の標準的な順序。これもトランペットとティンパニが目立つ。フィナーレが「ヘミオラ」というのかリズム変更があり面白い。
CD9 No.34-No.37
No.34 d moll。緩急メヌエット急。2曲目の短調作品?急は長調、展開が面白い。
No.35 Bdur。四楽章標準。ホルンが活躍。
No.36 Es dur。ながら聴き。(コメントなし。さすがに集中力が切れる)
◆2002年4月13日(土) CD10 No.38,39, "A", "B" (A,Bは調性ではなく、番号なしのあだ名のようなもの)
No.38 C dur。『エコー』というあだ名。このあたりのCdurはトランペットとティンパニが目立つ。
No.39 ト短調、g moll。シュトルム・ウント・ドラングの始まりか?
( "A", "B"のコメントなし。CD11 No.40-42も聴いたがコメントなし。)
◆2002年4月15日(月)CD12 No.43-45 全部ニックネーム付き。
No.43 『マーキュリー』というもの。由来は何か?あまりよく書けていない作品という印象。
No.44『Mourning』(嘆き) e moll ホ短調(ト長調の平行短調)第2楽章がメヌエット。このような短調作品の作曲経緯は分かっているのだろうか?アダージョは長調で透明な感じ。第4楽章は、焦燥感のある対位法的な曲。
No.45嬰へ短調(イ長調の平行短調)有名な『告別』(さよなら交響曲)。第1楽章はモーツァルトの小ト短調を彷彿とさせる。
◆2002年4月16日(火)CD13 No.46-48
No.46 展開部の動機労作(ママ)がよく分かる。第二楽章は短調色が強い。
No.47 第一楽章はモーツァルトのピアノ協奏曲の冒頭風の金管の信号音で軍隊調。第三楽章は牧歌風のメヌエット。
No.48 『マリア・テレジア』というあだ名。祝祭的でこれまでになく華やか。
◆2002年4月25日(木)CD14 No.49-51
No.49 f moll。" La Passione" 『情熱』か『受難』か?Ⅰがアダージョでいかにもシュトルム・ウント・ドラング的な楽想だ。Ⅳはモーツァルトの小ト短調を連想させる。
No.50 Cdur。トランペットとティンパニの壮麗な響き。メヌエットのトリオが鄙びたいい感じ。
No.50 Bdur。長調系だが陰りがあり繊細。Ⅱはホルン協奏曲的で高音から低音まで奏でられる。協奏交響曲か?Ⅳは平凡な曲想から一転して短調の激しい曲想となる。
◆2002年5月15日(水)、16日(木)CD15 No.52-54
No.52 c moll。 Ⅰ提示部は切迫感のある楽想。モーツァルトの若い頃の曲よりもよほど充実。Ⅱは長調で長い。
No.53 Ddur。『帝国』テインパニを伴う荘重な序奏。ジュピター音型が出る。Ⅱはどこかで聴いた雰囲気の曲で、モーツァルトの魔笛のパパゲーノを思い出させるバリエーション。フィナーレは繊細な感じの曲調。
No.54 Gdur。この序奏も壮麗。
◆2002年6月13日(木)CD16 No.55-57
No.55 『校長先生』と名づけられたのは、第二楽章の少々堅苦しいアダージョのテーマのためだろうか?「びっくり」仕掛けもあり。メヌエットのトリオは弦楽四重奏風で、チェロが特によい。ここでもジュピター音型が!
(No.56,No.57 コメントなし)
◆2002年7月17日(水)CD28 協奏交響曲B dur。Vn,Vc,Ob,Fg (No.91,92と同じCD)。
ハイドンにはチェロ協奏曲のほかには、よく知られたソロ協奏曲(Vn協奏曲はあり?)があまりないのはなぜか?
(No.91,92 コメントなし)
◆2002年8月24日(土) CD16の聴き直し。No.55のジュビター音型がまたコメント。No.56,57のコメントなし。
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このあたりで連続(断続)リスニング挑戦は頓挫。
細かく聴けば様々な趣向が分かるのだが、概括的に見れば同じ傾向の音響を聞き続けると耳や感性いわゆる飽和状態になるような気がして、聞き続けられなくなるようだ。ただ、久しぶりにこうして記事をまとめているとまた聴きたくなってくる。
ハイドンの交響曲全集をこうして聴いてくると、たとえばハ長調が主調の曲は、トランペットとティンパニが積極的に使われるなど調による楽器法のようなものがあるように思われてくる。モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』は壮麗な楽想で、ギリシャの最高神である『ゼウス』(ローマ神話のジュピター)に擬せられているが、モーツァルトがこのハ長調を選択した際に、様式的な伝統により、トランペットとティンパニが楽器法的に選ばれたということは十分ありうるように思う。ハ長調のピアノ協奏曲(No.13,21,25)でもやはり、トランペットとティンパニが曲想を決める働きをしているようだ。このようなことは古典派の交響曲、管弦楽曲研究では常識だとは思うけれど。
No.55『校長先生』をスピーカーから音を出して鑑賞した。ヘッドフォンでの聴取では残響がわずらわしく感じていたが、ホルンの高い響きなどの残響はスピーカーから聴くと大変好ましい音になっていた。
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コメント
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はじめまして。mozart1889さんのブログから飛んできて以来、よく覗かせていただいていました。
このハイドンの交響曲全集、気になっていますので参考になります。でも、自分が買ったら聴くのが苦行になってしまいそうなボリュームですね・・・ハハ・・・。また続編を期待しています。
投稿: ヒロノミンV | 2006年11月 5日 (日) 23:14
望 岳人 さん こんばんは。
ハイドンの交響曲全集。私にとっては、聴くだけで『ライフワーク』になってしまいそうです。気合だけが空回りしそうです。
一時期、ドラティの全曲盤が欲しいと思ったこともありましたが、パリ・セットとロンドン・セットで止めようと思っています。
と言う事は、いまだに両方とも未購入です。
投稿: あるべりっひ | 2006年11月 5日 (日) 23:29
ヒロノミンVさん、初めまして。あるべりっひさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
ハイドンのこの33枚組みの全集は、もう4年も前に購入したものですが、未だに全曲制覇しておりません。一日一曲でも104+A+B+協奏交響曲で、107日で完聴できるはずなのですが、なかなか続きません。以前に日記帳の片隅に書いておいたメモを一応全部BLOGに投稿してみましたので、またこの続きを聞いていきたいとは考えています。
この全集(ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカの全集も相当廉価になったようですね)を入手しなければ聴く機会がなかった初期の曲を聴けたのは面白い経験でした。まったく初期の頃から様々な工夫を凝らし、交響曲形式を進展させながら生涯作曲し続けたハイドンの凄さの一端に触れられたような感じがします。情緒的な感動とは少し違いますが、相当面白いです。
今度は耳が飽和しないように気をつけながら続きを聞いて行きたいと思っております。
投稿: 望 岳人 | 2006年11月 6日 (月) 23:32