ケンプの シューマン 『クライスレリアーナ』
Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)
『クライスレリアーナ』 Kleisleriana 作品16
ヴィルヘルム・ケンプ(ケンプフ) Wilhelm Kempff
(1)2:45 (2)7:40 (3)3:46 (4)3:45 (5)3:29 (6)4:15 (7)2:25 (8) 3:40
〔1972年2月、ハノーファー、ベートーヴェン・ザールでの録音〕
『クライスレリアーナ』は、E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann 1776-1822)という総合芸術家の創造した架空の人物ヨハネス・クライスラーに由来するという。クライスラーは、シューマンの創造した同じく架空の人物フロレスタンとオイゼビウス的な両極端の性格を持つ人物として描かれているようで、この曲も衝動型と夢想型の二つの性格の小品により成り立ち、全部で8部分から成り立っている。
ただ、クララとクライスレリアーナの冒頭の「ごろ」が似ているのは単なる偶然なのだろうか?大恋愛の末、駆け落ち同然で結婚したクララ・ヴィークへの慕情を音にした音楽だという考えを元にした音楽サイトを以前拝見したことがある。(そのサイトでは、ホロヴィッツのCBS盤を一番に推奨されていたが、残念ながら未だ聞いたことがない。)しかし、この曲は、クララへではなく、あのフレデリック・ショパンに献呈されている。
ショパンがポーランドを離れ、ヴィーンにデビューした頃、シューマンはショパンが作曲した『「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調 (Variations on the theme "La ci darem la mano")Op.2』を、自分が筆を執っていた『一般音楽時報』で激賞し、2人の天才音楽家の間には交流が生じたようだ。(評論文は、シューマン著・吉田秀和訳『音楽と音楽家』p.16 <<作品2>>で読める。)ショパンもシューマンには、バラード第2番を献呈している。(ただし、このサイトによると、ショパンはシューマンの「誤解」について冷淡だったようだ。しかし、その通説に対する反論もありこちらの方が説得力がある。この間のシューマンとショパンについては、海老澤敏『巨匠の肖像』バッハからショパンへ <<ショパンの肖像>>に要領よくまとめられている。)
このシューマンの初期作ながら、傑作とされる曲を、ルービンシュタイン、ケンプ、アルゲリッチのピアノによるシューマンの『クライスレリアーナ』を聞き比べてみようと思う。たまたま録音年代的には1960年、1970年、1980年とちょうど10年刻みの記録のようになっている。
今回は、最も親しいケンプの演奏で聞いてみた。このCDは、妻が購入したもの。というのも、当時見た大林宣彦監督の映画『二人』で、妹(石田ひかり)が亡くなった姉(中島朋子)の魂の語りかけにより映画の中で非常に上手に弾いたシューマンの『ノヴェレッテン』が気に入り、それを聴きたくて、『ノヴェレッテ』が収録されているこの2枚組みを買ってきたのだという。ところが、この『ノヴェレッテ』はお目当てと違い、現在もっぱら私が聞いているという次第。
1897年生まれのケンプは、この録音のとき、すでに75歳。第1曲の非常に速い左手などは、他の演奏に比べて完全には弾かれていないのだが、その左手がどのような対旋律として右手に対しているかというようなことが分かる演奏になっている。シューマンの情念的な部分の表現としては、少々穏やか過ぎる演奏ではあるのだろうが、遅い部分の夢想的な演奏と、このような知的な構成力(あまりケンプの場合ここが指摘されないのは不思議なのだが)では他の追随を許さないのではなかろうか?
追記:2008/02/09
*『クライスレリアーナ』の記事とタイミング
ホロヴィッツ (1)2:34 (2)7:01 (3)3:35 (4)3:19 (5)3:20 (6)3:55 (7)2:14 (8)3:38
ブレンデル (1)2:44 (2)8:06 (3)4:39 (4)3:58 (5)2:57 (6)4:16 (7)2:07 (8)3:21
アルゲリッチ (1)2:35 (2)9:40 (3)4:32 (4)3:54 (5)3:08 (6)4:11 (7)2:06 (8)3:27
ルービンシュタイン(1)2:56 (2)8:53 (3)4:41 (4)3:12 (5)3:19 (6)3:37 (7)2:19 (8)3:57
ケンプ (1)2:45 (2)7:40 (3)3:46 (4)3:45 (5)3:29 (6)4:15 (7)2:25 (8)3:40
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» シューマン クライスレリアーナ [音に巡る想い]
望 岳人さんのブログに「ケンプのシューマン「クライスレリアーナ」」を
エントリーしておられる。
この曲は、聴いた回数こそ「カーナヴァル」には及ばないけれども
・・・「カーナヴァル」は昔コルトーのSP盤を聴きまくったのだから・・・
後々次第に心惹かれるよ... [続きを読む]
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こんにちは。「クライスレリアーナ」は「カーナヴァル」と共に
好きなピアノ曲で、ホロヴィッツのLPも持っています。
最も印象的なのはCDで入手したコルトーですが、ホロヴィッツの
最後の曲などにはハッと驚いたような記憶があります。
最初に手にした盤はアシュケナージでしたが、印象に残っていないです。ケンプも録音していますか。堅実な演奏でしょうね。
好きな曲なので過去に記事にしたかと思って探しましたが、ありませんでした。(苦笑) ホロヴィッツを午後聴いてみようかな。
投稿: 丘 | 2006年11月14日 (火) 11:59
こんばんは。ホロヴィッツで聴いてみました。
もっと個性の強い演奏かと思っていましたが、
さほどでもないですが、音の鮮明な美しさ、
響きの豊かさ、過度な想い入れを感じさせない
詩的な香り・・・などの印象でしたので、TB
させてもらいました。
投稿: 丘 | 2006年11月14日 (火) 20:56
丘さん、コメントとトラックバックををありがとうございます。
記事を拝見しました。
-----
コルトーは和音の中のある音を非常に強調したり、アクセントを過度な
程に際立たせたりして、癖の強い演奏である。しかも低音(左手)を
すごく響かせている。 そこに非常に印象付けられたのではあるが、
それに比べると、ホロヴィッツは案外さらりとしている。大袈裟な表情の表出は感じられずに聴き易い。
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この感想を読ませていただきながら、コルトーのショパン、ホロヴィッツのショパンや『子どもの情景』を思い浮かべました。
コルトーとホロヴィッツの『クライスレリアーナ』の違いがよく分かる内容で、両方とも聞いてみたいと気になりました。
投稿: 望 岳人 | 2006年11月14日 (火) 22:22
もっぱらホロヴィッツ(LP)、アラウ(CD)で聴いております。ご紹介のシューマンとショパンの通説の誤解、そのとおりだと思います。私も、「ミソクソにこきおろす割には何度も訪問しているよなぁ、ショパン君」と思っておりました(^_^;)>poripori
積年の誤解を正すよい機会でした。感謝!です。
投稿: narkejp | 2006年11月15日 (水) 06:46
narkejpさん いつもコメントありがとうございます。
感謝などとはとんでもありません。
ショパンの伝記にはあまり詳しくなく、シューマン側の伝記しか知らなかったので、ネットで、「お手をどうぞ」変奏曲を調べていたところショパンのあまりの失礼な手紙にびっくり仰天して、その反論がないか探したらようやくあったというものです。
ショパン側の(なんだか敵対しているような書き方になってしまいましたが)評論家・伝記作家はショパンのために書いたことかも知れませんが、今となってはシューマンの鑑識眼の高さとショパンの偏狭な趣味(彼らの音楽作品によく表れていますが)を彼らが逆に証明してしまっているのかも知れない、と少々シューマン側に肩入れした見方もできるかも知れないと思います。
最近ペーパーフィルターで淹れたおいしいコーヒーを飲んでいませんが、記事を拝見して飲みたくなりました( ^^) _U~~
投稿: 望 岳人 | 2006年11月15日 (水) 21:49