ブラームス 合唱曲集 ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団
ブラームス(1833-1897) 合唱曲集
1. 愛の歌-ワルツ 作品52(全18曲) (ピアノ伴奏)
2. 四つの歌 作品17 女声と2つのホルン、ハープのための
3. 三つの歌 作品42 6部の歌声のための(無伴奏)
4. 四つの四重唱曲 作品92 4部の歌声とピアノのための
5. 五つの歌 作品104 混声合唱のための(無伴奏)
<<第5曲 Im Herbst (秋に)>>
ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団
〔1990年11月 ロンドンでの録音〕
このCDを買ったのは、10数年前で、今の住居に引っ越す前の地で混声合唱をやっていたとき。音楽を聴きながら、当時の事を思い出した。
コーラスをやっている時に、近くに全国でも銀賞を取ったような団体があり、その合唱団が得意としていたのが、ブラームスの『秋に』 Im Herbst という曲だったと聞き、一、二度ナマで聴いたがどうもピンと来なかった。当時ちょうどこの合唱曲集のCDが発売され、その曲が入っていたので購入してみた。結果『秋に』は結構難解な作品だということが分かった。
アマチュアの合唱というのも、人間の集団が抱える様々な問題を当然のように持ち、人間関係的にもなかなか難しい世界だった。社会人の混声合唱ともなると年齢も経験も千差万別であり、趣味志向の同じ集まりというよりも地縁や知人との関係で集まるケースも多いようだった。また、団体同士の優劣、指導者の優劣、やっかみ、そねみのようなものが渦巻いているような部分もあった。中学、高校、大学で合唱をみっちりやってきた人たちのプライドは高く、社会人になって始めたような私などはなんとなく気後れすることが多かった。
また、日本の現代の作曲家は、いわゆる古典的もしくはロマン派的な合唱曲を書く人が多く、そのような作品が合唱界という枠の中では、鑑賞曲としてではなく、歌唱する曲として人気があるというのも、初めは奇異に思った。その意味で、クラシック系の大作曲家の古典的な合唱作品を好む団体のほかに、20世紀後半の現代日本の合唱作曲家の作品を好むいわゆる民族派的な団体、個人も多かった。言葉の問題があり、横文字は駄目という場合には、必然的に日本の作品になることが多かった。結局、ベートーヴェンの第九の合唱への参加を機に始めた合唱も、結婚とその後の子育て、転勤をきっかけに合唱からは離れてしまった。
ただ、合唱音楽の実践を通じての経験は、鑑賞にも役立つことが多かったことは確かだ。たとえば、指揮者と個々の合唱団員により音楽はどう作られていくか。楽器としての声のトレーニング、特に高い声の発声。TPOを含む様々なコンディションと演奏の出来などなど。
ついつい、音楽を聴く立場は、少々思い上がった態度で演奏家を裁いたりしがちなのだが、自らの演奏経験を省みたときには、たとえプロとは言え無慈悲な批判は慎みたいと思うようになる。
ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団の演奏は、このブラームス以外には、モーツァルトのハ短調ミサ(未完)という絶品とも言うべき録音があり、フォーレの初版のレクィエムとフランス合唱曲集も美しい。モンテヴェルディやヘンデルも名演だ。
ブラームスの場合には、少々透明感がありすぎだという贅沢な感想を覚えるほど涼やかな歌唱になっている。『LP300選』でも取り上げられた『愛の歌』のワルツ集などは、市民階級の上品な集まりを想像させるものになっている。 聴いていて楽しいのは、この『愛の歌』のほかに、2つのホルンとハープを伴奏にした女声による『四つの歌』作品17。
『秋に』の詩は、モーツァルトの『ラウラに寄せる夕べの想い』に合い通じる内容を持っている。音楽は、足取りの重いテンポで半音階的なメロディーと長調、短調が交じり合った不安定な感じの和声をもち、ダイナミックの幅が大きい。全体として難解な音楽だ。(これを無伴奏で歌うのは結構難しそうだ。)
ブラームスは、ヴィーンで合唱団の指揮者を務めたほどの合唱のエキスパートで、最も偉大な作品は『ドイツ・レクィエム』だろうが、なかなか他の作品をまとめて聴ける機会がないので、このCDなどはその点最適なものだろうと思う。
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