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2007年5月 7日 (月)

5/3-5/6 クルマで帰省

昨年11月末登録のクルマに乗って、この4連休を実家に帰省してきた。この年末年始に帰省しなかったので、昨年の9月以来の父母たちとの再会だった。

カーナビで実家を目的地にセットすると、実家が高速道路のインターに比較的近いこともあり実家最寄の高速を使用するように候補がリストアップされてしまったのだが、一度東名高速の出口から環状8号などを通っての東京縦断は八王子へ出るよりもひどい渋滞を経験したことがあったため、往きは16号経由相模湖IC経由の中央道を選択してみた。ところが、相原付近で相模湖方面の細い一般道がまったく動かなくなり、仕方なく八王子ICに目的を変更、そんなこともあり八王子ICまで出るのに3時間もかかった。改めて神奈川北部の道路事情の悪さを思い知った。その後、中央道も甲府付近で軽い自然渋滞があったため、出発が午前8時で実家着が16時ごろと約8時間もかかってしまった。これならナビの推薦通り、関越道・上信越道経由の方がよかったかもしれないと感じた。

それにしても、カーナビを自分用にカスタマイズするのは結構難しい。また学習機能もあるようなことが書かれているが、それもあまり働かないようだ。自分の地元の道などは、国道などの幹線道路優先でルートが選ばれてしまい、いわゆる地元民の使うそれよりも便利で道路状況もよい抜け道情報がそれほど収録されていないのではないかと思われる。長野県内では、農林水産省により整備されたいわゆる「農業用の道路」(農免道路、広域農道)が主要国道のバイパスとして使われることが多いのだが、それらをナビが選択してくれないのだ。逆にそのような道路を使おうとすると事前の設定が非常に煩雑になる。

5/4は朝から北信州の妻の実家を訪問した後、以前から子どもたちと話題にしていた信濃町の野尻湖畔にあるナウマンゾウ博物館を訪ねた。P50400223 父が2001年に千曲川の河原で発見して、この博物館の学芸員の人に連絡して鑑定してもらったナウマンゾウの歯の化石が今はどうなっているか、同行した妻が受付の人に尋ねてみたところ、すぐに学芸員の方が標本を持ってきてくれて、「普段は3階展示室に、野尻湖以外の長野県内で発見された貴重なナウマンゾウの化石として展示させてもらっているのですが、現在は9月まで隕石などの特別展示のために3階展示室が使われているため倉庫に保管中です。しかし大変貴重なものなので大事に保管させてもらっており、また9月の通常展示には再展示します。」とのことで、発見日時や場所、発見者氏名などがきちんとラベルに書かれていたのが確認できた。これを携帯写真で子どもたちと記念撮影し、帰宅後父に見せたところ大層喜んでくれた。 帰路は、叔母の家に立ち寄り、妻の実家で夕食をご馳走になり、仲人さんの家にお土産を届け、菅平の山越えで実家に戻った。

5/5の子どもの日は、最初松本城と開智学校を見に行く予定で千曲ビューライン(例の広域農道の一つ)を走っていると、鹿教湯温泉方面の山に大量の煙が見えた。どうやら山火事が発生しているらしく、近づくにつれて消防車のサイレンが聞こえてきた。P505000103 ちょうど松本に通じる三才山トンネルへの道路がその火事現場のすぐ側を通っているので、やむを得ず恐る恐る近づいて行ってみたところ、消防車や野次馬が大勢集まっており、木陰から赤い炎の色が見えた。(原因は竹やぶの清掃後の焚き火が周囲に燃え広がったものらしい。翌日はまとまった雨で鎮火したことだろう。)


この山火事が理由ではないのだが、途中で気が変わり、三才山トンネル手前から引き返し、どうしようかと迷った後、いっそのこと「地元の旧跡めぐり」をしようと旧浅科村(現佐久市)の八幡(やはた)宿にある八幡神社と重要文化財の高良社(こうらしゃ)を見物することにした。妻の祖母がここの脇本陣の家系の出だということで、姻戚関係的には我が家にもそれなりに縁のある神社にはなる。例の「風林火山」の武田信玄も寄進したことのある由緒ある神社らしい。高良社(こうらしゃ)とは高麗社のなまりではないかとされ、このあたり一体が、平安時代以来名馬の産地として知られている(いわゆる官営の牧)場所で、その放牧技術を伝えた帰化人の本拠であったか、その人々の信仰の地であったかという想像が膨らむ(但し、全国各地にある高良社の由来、祭神とされる武内宿禰、八幡神社には結構複雑な関係があるらしい)。江戸時代にも小諸藩主からの寄進があり、特に八幡社は武神としての崇拝を受けたらしく、この社殿の周囲の木彫り彫刻類もおびただしく見事なものだった(重文の高良社よりも豪華な彫刻が施されている)。P505000134 ただ、連休中とは言え、バイパスも開通して交通量が少ないこともあり、訪れる人も我が家以外には、中山道ハイクらしい一組の老夫婦のほかには誰もおらず、物寂しい風景だった。



次に向かったのは、明治の洋式学校としては松本の開智学校と古さでは一ニを争い、これも重文指定されている「中込学校」。私はすでに何度も来たことがあるのだが、妻や子ども達は初めてで、明治の教場の様子や石板、石墨、足踏みオルガンなど実際に触れて使えるものも展示されており、相当面白かったようだ。 P505000146



その後、近隣にありながらこれまで通りすぎるばかりだった「浅間縄文ミュージアム」をようやく訪れることができた。(先日訪れた国立科学博物館の日本館の展示に、このミュージアムからの展示物として縄文太鼓?があったのも子ども達の気を引いた。)

ホームページから想像していたよりは、こじんまりした展示スペースだったが、やはり重要文化財に指定されている御代田町内の浅間山麓の川原田遺跡出土の「焼町」土器の見事な文様の示すオリジナルのほとんど損傷のない多くの見事な土器や、特別展の「仮面の縄文」で懐かしい川上村大深山遺跡出土の「ウルトラマン」と呼ばれる香炉のオリジナルが貸し出し展示されており、また最後には子どもの喜びそうな体験コーナーもあり結構充実した考古博物館だった。 P5050014

P5050026

なお、人面香炉型土器でgoogle イメージ検索をしたところ、井戸尻遺跡の同様の土器の写真を発見した。焼町土器にしても塩尻市の焼町で発見された土器の様式がそのように名づけられたのだというが、八ヶ岳を隔てた浅間山麓の御代田町であのような傑作群が作られ、人面香炉型土器にしても、富士見の井戸尻から川上の大深山まで直線距離的には数10キロだが、やはり影響関係があったものと考えられる。旧石器から縄文の石器で特徴的な黒曜石の産地は限られており、有名な和田峠産のものが東日本各地から出土していることからも、縄文人たちは旅というよりも冒険旅行の苦難もいとわずに、各地の集落が交流をしていたのだろう。今回の御代田の川原田遺跡の土器類があまりにも完全な形で出土したのは、奇跡的なことだが、逆な想像をすれば、そこに住んでいた人々は何らかの天変地異(浅間山の噴火による火砕流とすれば縄文時代のポンペイのごとし)や疫病の発生などにより、その集落を捨てざるを得なかったか、滅亡したのか、どちらかなのではないだろうか?そう考えると、立派な遺物は彼らの墓碑でもあるようにも思われる。

5/6は、往きの道路の戻りだと時間がかかりすぎるだろうということと、早めに高速道路で距離を稼いで、渋滞予想時間の前にその場所を通過し、とにかく都内に入ればどんなに渋滞していてもファミレスなど立ち寄れる場所は多くあるし、都内での迂回路検索こそカーナビの出番だということで、上信越道・関越道経由で戻ることにして、朝9時ごろ出発したところ、練馬には11時半ごろ、自宅には環状7号と246号経由でほぼ1時前には到着できてしまい、往きの苦労は徒労だったことがよく分かった。都内の道路の渋滞も場所と時間をずらせば、八王子までの16号の渋滞よりもどうもましなようなので、今後はもっと都内の道路を研究してみたいと思う。 総走行距離は、800kmほど走りまくったこの4日間だった。

P.S. なお、同伴したCDは、ブロムシュテットとSKDのベートーヴェン交響曲全集(このうち、1,3,5,6番をきくことができた)、小澤/BSOの「ピーターとオオカミ」など。かつてCDチェンジャーにベートーヴェンの交響曲全集をセットして長距離クルージングをするというような広告が記憶に残っているが、現代の圧縮・記録技術では、チェンジャーを積まずとも、それがいとも容易にできるようになってしまった!それこそHDDの容量次第では、あのモーツァルト全集を入れることさえ可能ではないか!

1300ccでCVTのVITZだが、ようやくエンジンの回転もスムーズになり、高速道路での合流での加速や追い越しなどでもほとんどストレスなく運転できた。ただ、菅平の須坂市側のような急カーブ、急傾斜の連続するハードな山道の登りでは、トルク不足は否めない。大排気量のクルマが走行車線で悠々と規制速度オーバーで上っていくのに比べて、大人子ども四人と荷物を少々積んでいる我が家のクルマは、ギヤセレクトをS(スポーツモード)にしても登坂車線を制限速度でようやく上れるほど。高速道路の長い登りなどでは別に問題ないのだから不満はないのだが。

以前のCIVIC FERIO 1500に比べると、衝突安全性が格段に向上していることに見られるようにやはりボディ剛性が高いためか、カーブでの安定感やタイヤの踏ん張り感はずっとこちらが優れているので、下りの急坂のカーブでも不安定感がないのもうれしかった。

ただ、いくつかこのクルマのレビューで書かれている感想だが、出足の鈍さだけが(省エネ追及とのtrade off 関係なのだろうが)少し気になる。急発進しないことは安全性にもつながるかも知れないけれど。また、シートは自分の体型に合うのか、ほとんど腰などの疲れを感じず、自分の長距離運転には合っているようだ。

追記 2012/04/28:

人面香炉型土器を調べていたら、ナショナルジオグラフィックの2007年7月号に、上記の浅間縄文ミュージアムの展覧会の紹介記事が載っていたのを発見した。

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コメント

千曲川の河原でナウマンゾウの歯の化石を発見されたとは、父上殿、すごい!有意義な連休を過ごされたようですね。たまに長距離ドライブをすると、毎日の中に変化があって、いいものです。音楽CDのお供は、ブロムシュテットのベートーヴェンですか。田園交響曲など、季節もちょうどいいかもしれませんね。

narkejpさん、コメントありがとうございます。

このブログとは別に、地元をテーマにしたブログを細々やっていますが、歯の化石の記事を紹介させてもらっていますので、リンクを張っておきました。

ナウマンゾウは日本列島の様々な場所にいたらしく、長野のような中央高地以外にも瀬戸内や関東、北海道でも化石が見つかっているようです。原始時代の遺物や古生物の化石が現代人の我々目にとまるようなところで発見されるというのは、過去が現代に語りかけているようで不思議な感じです。水石(盆石)を探しているときに偶然珍しい「石」だと思い手にとったところ、動物の化石ではないかとピンと来て、以前私が父母と行ったことのある野尻湖のナウマンゾウ博物館を思いつき連絡をしたとのことです。

ブロムシュテットの全集をこのところ聞いていますが、美しい響きと引き締まったリズムで、結構ドライブに適しているように感じました。

追伸 二番目のお孫さんが誕生されたとの記事を拝見しました。おめでとうございます。

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