東照宮に豊臣秀吉が相殿(あいどの)されている
子どもが6月に日光に一泊二日の修学旅行に行くために、家庭学習で日光についてなるべく調べておくようにという宿題をもらってきた。
私自身は独身時代に会津方面の山と日光の太郎山の登山の行き帰りの途中に、二回も日光東照宮を参拝したことがある。単に江戸幕府の創設者である徳川家康を祭神とした徳川家にとって最重要の神社(宗教施設)で、そのために江戸時代の五街道の一つ日光街道が整備されたというような一般的な事柄しか知らずに、二回とも陽明門や三猿、眠り猫、鳴き竜、徳川家光廟程度を見て回った記憶しかない。輪王寺も二荒山神社もよく知らなかったほどだ。(フタラサンの音読みがニコウなので、これが日光の語源だろうと思った程度だった)。
その後、ずーっと日光とは縁がなかったが、隆慶一郎の『影武者家康』『捨て童子・松平忠輝』などの時代小説などで、家光の祖父家康への崇拝と、父秀忠への愛憎(相当作家が想像力を逞しくしたフィクションだが、説得力がある)を知ったりしたので、家光が現在の形に東照宮を整備し、自らの廟をその地に建てたことの意味を少し理解できたように思ったが、今回旅行ガイドブックやインターネット情報で調べてみると、その頃は知らなかった意外な事実が、あっけらかんと書かれていることに驚いた。合祀とは言わず相殿(あいどの)と言うらしいが、日光東照宮には、家康を東照大権現という名で主神として祭り、豊臣秀吉、源頼朝が一緒に祭られているというのだ。
家康は、群馬県の新田の庄を領地とし新田義貞を輩出した新田氏を祖とする、つまり源氏の血統であるという血統伝説が松平氏に伝わっていたため、藤原氏を称するしかなかった豊臣秀吉と違い、源氏の子孫ということで、朝廷から幕府を開くことを認められた経緯もあり、武家政権の創始者である源氏の棟梁頼朝が祭られているのはまったく奇異なことではないのだが、秀吉の場合は、不可解な感をいだかせる。
それも、日光だけでなく、その大元である静岡の久能山(ここでは織田信長も合祀されている)でも、また滋賀県にある日吉東照宮でも秀吉が祭られているらしい。(仙台にも東照宮があったし、全国各地に東照宮はあるようだ。それらはどうなのだろうかと思って調べたら、そのような例はあまりないらしい。)
江戸幕府を倒して、明治新政府を作った薩長が中心となった勢力が、徳川氏の守り神である東照大権現のそばに、徳川家によって豊国神社を破壊され、大明神としての神格を否定され、豊臣一族を徹底的に滅ぼされた秀吉を合祀することで、徳川氏への牽制をおこなったのではないかという説も唱えられているようだが、真相はどうなのだろうか?
奇説として、日光東照宮プロジェクトの推進者の僧天海が明智光秀だったというような面白い話も話題になっているし、戦国末期の天下人たちの人間模様が未だに日光では渦巻いているようだ。
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