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2007年7月12日 (木)

セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)

Szell_gilelis_emperor ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調(『皇帝』)

エミール・ギレリス(ニューヨーク・スタインウェイ)

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団

<1968年 セベランスホール、クリーヴランド>

〔EMIのためにCBSの録音陣による録音〕

〔CD記載のタイミング表示Ⅰ:20:08,  Ⅱ&Ⅲ:19:20、実測ではⅡ:8:58, ⅢAllegro に切り替わる瞬間から10:18〕

併録:
自作テーマによる32の変奏曲ハ短調 G.191 (10:45)
Wranitzkyの『森の娘』によるロシアふう主題による12の変奏曲 イ長調 G.182(11:44)
『アテネの廃墟』のトルコ行進曲による6変奏曲 ニ長調 作品76 (7:09)

RCAレーベルのためにデッカの録音陣がロンドンでハイフェッツとサージェントによる協奏曲(ブルッフの協奏曲、スコットランド幻想曲、ヴュータンの5番)を録音したように、ここではEMIのためにCBSの録音陣がベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しEMIにマスターテープを提供したという。このアメリカ製のCDのパンフレットには、このときのセッションがまったく短い時間で終わったことなどのエピソードを含めて、演奏者への言及をほとんど見たことがない外盤としては珍しくパンフレットのp.6-p.14にわたって次のような興味深いレポートが書かれている。

1968年にエンジェル/EMIは、セヴェランス・ホールでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲とこのCDで聴かれる変奏曲(ハ短調の32変奏曲、Wranitzkyの『森の娘』による12変奏曲、『アテネの廃墟』のトルコ行進曲による6変奏曲)を録音するために、ギレリスとセルを連れてきた。

その時点でセルとクリーヴランド管はC.B.Sレコード(米コロンビアレコード)と契約を結んでいたため、このセッションは、エンジェルのためにコロンビアレコードによって録音された。・・・ 

この数年前からEMIのクラシック部門のディレクターであるピーター・アンドリーが始めたギレリスによるベートーヴェンのピアノ協奏曲プロジェクトだったが、セル/クリーヴランド管との第3ピアノ協奏曲の共演後、ギレリスからアンドリーに彼らとの全集録音の提案があった。・・・

オーケストラ、アメリカ音楽家協会、コロンビアレコード、モスクワの文化省との数ヶ月に渡る交渉後、セッションが開始されたのは1968/4/29。

EMIは、コロンビアレコードの熟練したクルーである プロデューサー:ポール・マイヤー、レコーディング・エンジニア:バディー・グラハムとフランク・ブルーノと契約した。ピーター・アンドリーはエンジェルのジョン・コンヴィーと一緒に進捗を精しく見守った。ニューヨークスタインウェーのトップ調律師フランツ・モアが駆けつけた。

その数年前ギレリスはレニングラードで番号順に全集を録音したがそれは不幸な経験に終わったので、今回は番号順ではないことにこだわり、3番からセッションが始められた。ギレリスは迷信深く、11という数字には落ち着きをなくした。 

セルとクリーヴランド管のいつものやり方は、中断なしに各楽章を2度レコーディングするというものだった。そして必要な挿入はピンポイントでセルから練習番号や小節数で指示され、しばしばセルが口笛でそのパッセージを示した。オーケストラは例外なく準備が整い、調子が整った。ギレリスもそのやり方に合わせ、彼はよく油を注されたピアノ演奏機械のようだったが、彼の指からつむがれる音楽はまったく機械的ではなかった。・・・ギレリスは、プレイバックを聴ききわめて満足だと告白した。・・・

セルとクリーヴランド管のおかげで五曲の協奏曲は、四回の長いセッションで録音された。ピーター・アンドリーは「なぜヨーロッパでは一楽章に3時間も費やすのか?ここでは、1曲の協奏曲が4時間でできる。信じられない。」と語った。五曲の協奏曲がたった数日で完成したので、エンジェルは数ヶ月、数年に渡る細切れで録音された全集より、目的や表現の上でずっと統一性があるだろうと表明した。早くも10月にはこのアルバムは店頭に並んだ。(ハイ・フィデリティ・マガジンの記事の引用)

この記事により、この録音がウォルター・レッグのプロデュースによるものではないことが伺われる。また、この録音より数年前のギレリスのソ連時代のベートーヴェンの協奏曲全集が彼にとって不幸な経験だったということも語られているのが興味深いが、1958年のプラハでのK.ザンデルリングとの共演はライヴ録音だし現在ブリリアントで入手できるマズア指揮のライヴ録音は1976年のものなのでそれとは違うようだ。(メロディアレーベルなどにはその全集があるのだろうかと思ってネットを探したら、テスタメントから一部出ているようだ。「鎌倉スイス日記」さんの記事によるとヴァンデルノートとレオポルト・ルートヴィヒという指揮者との共演で全集を作ったらしいEMIのボックスでも一部を入手可能だ。)それと、この録音がギレリス側からの申し入れによるらしいのも面白い。また、ヨーロッパでの数ヶ月、数年にわたる細切れ録音としては、少々時代は遡るが同じEMIレーベルのクレンペラーの録音データがそれにあたるように思われる。私が聴けるクレンペラーの録音はどれも素晴らしいものだが、特にブラームスの1番交響曲など非常に細分化された録音データになっている。

なお、この録音の翌年の1969年、セルの招きでギレリスはザルツブルク音楽祭にデビューし、オルフェオがライヴ録音を発売したセル/VPO,ギレリスによるオールベートヴェンプロを演奏したのだった。

この録音は、高校時代の音楽鑑賞の時間に、芸大を卒業したという音楽の先生が、「物理の名物先生そっくりの分厚いメガネを掛けた指揮者セルのオーケストラをバックに、透明な音色を持つギレリスが素晴らしい音楽を奏でている」とベルト(ワイヤー)ドライブの高級ステレオで聞かせてくれた記憶がある。非常に印象に残っていた録音だ。最近になってようやく中古店で、1986年発売のこのアメリカ製のCDを入手できた。

『皇帝』と呼ばれるこの曲は、これまでLPではバックハウスとイッセル=シュテット/VPO, グルダとシュタイン/VPO。CDでは、フライシャーとセル/CLO, R.ゼルキンと小澤/BSO, グルダとシュタイン/VPO, アシュケナージとメータ/VPOで聴いてきた。この中で刷り込みは、バックハウスだろうか。

改めて、「鋼鉄のピアニスト」と呼ばれたギレリスと、セル/クリーヴランド管の録音を聴いてみると、上記のレポートにあるように、鋼鉄どころか非常に「油の効いた精密機械」の演奏というイメージで、そこに非常に精緻な音楽を作るセル/クリーヴランド管がバックを務めるというのだから、よく言われるようにソリストと指揮者&オケによる競奏ではなく「室内楽的」に協力し合って奏でるまさに協奏曲になっている。

セルの指揮も強引なリーダーシップというものではなく互いに尊重し合いながら透明感のある音楽を奏でている。私としては、この曲にはもっと「外連み」のような俗受けするアプローチや、ヴィルトゥオーゾ性を剥き出しにした丁々発止のアプローチの方が、曲の成立事情から言っても似つかわしいように思うので、今のところ少々物足りなさを覚えてはいる。

なお、セル晩年のEMI録音は、有名なドヴォルザークの8番を初めとして、オイストラフとロストロポーヴィチとのブラームスのドッペル・コンツェルト、オイストラフとの同じくブラームスのヴァイオリン協奏曲、シューベルトの『ザ・グレート』が残されているが、これらもCBSの録音陣によるものなのだろうか?というのも、CBS録音にはあまり聴かれない強奏部分のビリつきが、どの録音からも聞こえるのはどうしてなのだろうと思うからだ。特に残念なのは、何度も書いているが『ザ・グレート』。大変優れた演奏だと思うが、マスターテープ管理の問題か、CBS録音とEMIのマスタリングの相性の問題か、いずれも名演奏だと思うだけにそのビリつきが気になってしまうのは残念だ。中ではドヴォルザークにはそのような音質上の問題はほとんどないとは思う。

追記: 2007/12/19

2007/11/18に べっく という人からコメントをいただいた。何の挨拶もなしで、自らのブログ、ホームページも入力しないコメントだったので、不愉快に思いながら、挑戦的な疑問に答えないのも癪に障るので、一応調べて返答したが、いまだに返信もない。

このことが結構棘のように気にかかっており、これまでいろいろ調べてみたが、英語のサイトでGilels Discography で Google検索したところ、よくまとまったものが二件ほどヒットした。

そのうちの一つ Emil Gilels Discographyには、

Concerto for piano #3 in C minor op. 37
Leningrad SO conducted by Sanderling, Kurt  rec. 1957, Leningrad

と書かれており、推測通り1957年にK.ザンデルリングの指揮による録音のあったことが記されているが、これはレコード(CD)番号が書かれていないため、どうやらお蔵入りになったものらしい。これが、いわゆる「不幸な経験」だったのだと推測される。

また、レニングラードでnumerical orderで録音されたというのは、何かの誤解のようで、#3,#4,#5が1957年、#1,#2が1958年となっている。ロシア語の翻訳の齟齬か、記者の誤解だったのだろうか?(それとも私のミスリードか?)

なお、こちらのディスコグラフィーによると、

27/10/1966 - Cleveland - Live - Cleveland S.O./Szell

ILLUMINATION iLL-Sze-30/31 (2CD)
CULT OF CLASSICAL MUSIC COCOM1013 (4CD)
DISCO ARCHIVIA 326 (3CD)
とあり、セルとのEMレーベルのスタジオセッションの前に、コンサートでこの3番を共演していることが書かれていた。

なお、別のEMIの録音では、1957年に#1,2をヴァンデルノートの指揮パリ音楽院オケと、#4,#5をルートヴィヒ指揮のフィルハーモニア管と録音しているが、#3だけは、1954年にモノでクリュイタンス指揮のパリ音楽院オケと入れているようで、これも#3への拘りの元なのかも知れない。

追記:2008/09/08  RSSリーダーを整理していたところ、この記事が紹介されているブログをたまたま発見した。何と以前書店で売られていたEMIと小学館のクラシックインというシリーズにこの『皇帝』が収録されていたとのことだ。

2012/5/29追記:ギレリスのEMI録音集が2010年に発売されているのを見つけた。

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ディスク音楽02 協奏曲」カテゴリの記事

コメント

望さん、こんばんは。
ギレリスとセルのベートーヴェンは愛聴盤ですが、録音の裏話はしりませんでした。実に興味深く読ませていただきました。
有り難うございました。
セル晩年のEMI録音のうち、ドヴォルザークの8番と、シューベルトのグレートは素晴らしい演奏と思うんですが、確かに録音の不満が残りますね。

mozart1889さん、コメントありがとうございます(一部修正させていただきました)。

CBSの録音陣がEMIのために録音したという話を、セル関係の雑誌記事かブログかサイトで読んだ記憶があったのですが、このCDを入手できてようやく「裏が取れた」^^;という感じです。

拙い英語力なので、パンフレットの原文でよく意味が取れない部分は適当に訳したり、省略したりしているので、細部が正確かは自信がないのですが・・・


さて、シューベルトの『ザ・グレート』は、現在ディスク販売会社のサイト

http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?artistcode=000000000034589&genre=700&keyword=SZELL&adv=1&target=CLASSIC
 で検索してみても、SONYからの古い方の録音はアカタログにあるようですが、私が持っているセラフィム(EMI)の「廉価盤」はカタログにないようで、不思議に思っています。LP時代にはもっといい音だったと教えてもらったことがあったので、是非最新リマスタリングで再発売してもらいたいものです。モノ録音まで含めて名盤揃いの最近発売開始のEMIのBEST100にも残念ながらこの録音は含まれていませんでした(;_;)

ギレリスとセルのこの『皇帝』も、記憶の美化かも知れませんが、高校時代に金属製のターンテーブルの高級オーディオで聴かせてもらったときは、「こんなに透明なピアノの音があるのだろうか」というほどビリツキが感じられないものでしたので、オリジナルはもっといい音ではないかと想像しております。

私のセルのコレクションには、フライシャーとの協奏曲全集が含まれているのですが、ギレリスとの全集が抜けています。以前、出先で全集を見つけたのでしたが、そのときはあいにく持ち合わせがなく、残念ながら見送りました。そんなものに限って、なかなか出会わないのですね。ぜひ入手したいものの一つです。
この録音の際の裏話、とても興味深く読みました。感謝です。

narkejpさん、こちらにもコメントいただきありがとうございました。

フライシャーとのベートーヴェンは、3番と5番のカップリングの廉価盤で聴いております。

ギレリスとの全集は、記事に書いたように高校時代から知ってはいたのですが、これまでEMIの廉価盤の分売で目にしたことはあったにもかかわらず、何度も入手を見送ったことがありました。HMVのサイトを見ると現在は外盤でも全集は入手はできないようですね。

録音についてのレポート、セル晩年の録音のエピソードとしてどこかで読んだことがあったのですが、これが原資料の一つだろうと思い、もう少し精読して全訳しようと思いつつ、著作権などの問題もありそうで、抄訳としました。参考になって幸いです。

ココログのメインテナンスが終わったようで、今度はコメント送れるかな?
この記事の後、ギレリス盤を見つけ、さっそく入手しました。いい演奏ですね!全曲盤がカタログにないのが惜しまれます。東芝さん、全曲盤を安価に出してくださいねっ!

narkejpさん、おはようございます。一応予定通りココログメンテナンスは完了したようですが、どうも御迷惑をおかけしました。

本当に、このセルとの全曲盤は是非復活して欲しいものですね。

こんばんは。
TBを有り難うございました。
セルの指揮も良し、オケも巧いです。素晴らしい伴奏に乗って、ギレリスのピアノも最高ですね。
音が貧しいのが少し残念なんですが・・・・。

mozart1889さん、こんにちは。

また、コメントをいただき恐縮です。音に関しては、米国盤の解説にある1960年末のCBS録音陣によるものとしては、なぜ?というものと、LPで高級ステレオで聴いたときの記憶(美化作用はあると思いますが)との比較で不満はありますが、このような音楽を聴かせてくれるものですから、ありがたいと思っております。

この録音の裏話は本当なんですかね?ち
ギレリスがレニングラードで録音したのは、ザンデルリング指揮レニングラードフィルとの共演でした。
疑問1:番号順に録音していません。具体的には、57年4番5番/58年1番2番です。
疑問2:3番を録音していないのです。旧ソ連では47年にモスクワでコンドラシンと録音しているだけです。つまり全集で録音できなかったのです。

ギレリスが不幸な経験だと本当に感じているのであれば、原因は3番が録音できなかったためだと思います。そのためセルとの録音はその3番から始めたのだと思います。

べっくさん、初めまして。念のため、ライナーノートのその部分を意訳しておきます。

「ソリスト(ギレリスのこと)の要求によって第3協奏曲が注目された。数年前レニングラードで、ギレリスは番号順に(in numerical order)5曲の協奏曲を録音した。それは不幸な経験になってしまった。その結果として、クリーヴランドでは同じ番号順のパターンを繰り返したくないとギレリスは固執した。ギレリスは、特に数字に関しては迷信的だった。・・・」とあります。

べっくさんの紹介してくださったザンデルリング/レニングラードフィルとの録音とは状況的に矛盾するようですね。私自身はこの件にそれほど興味はありませんが、このライナーノート(High Fidelity Magazineからの許可により転載されたものとのことです)によれば、3番も録音されたようです。もしかしたらうまくいかずに発売されなかったのかも知れないですね。レニングラードでの録音は今でも入手可能なんでしょうか?

Towerレコードのリンクにある同じザンデルリングとのプラハでの全曲ライヴ録音もあるようですし、EMIに入れたヴァンデルノートやルートヴィヒとの録音もあうようなので、なぜ3番がギレリスにとっての拘りなのかかよく判らないですね。

せっかく疑問を呈していただきましたが、この程度しか分かりません。ちなみにこの米盤のCDは、CDC-7 47619 2 DIDX-877 ○P 1986 EMI Records Limited というもので、Made in Canadaです。冊子の方はPrinted USAとなっております。

ギレリスの協奏曲全集はもうひとつありまして、マズアとモスクワでやったライブ。これはレーニン勲章受賞記念コンサートの録音ですが、全く違った顔を見せてくれます。

gkrsnamaさん、古い記事にコメントありがとうございます。

マズアとの録音は、いつのものでしょうか。本文中に「現在ブリリアントで入手できるマズア指揮のライヴ録音は1976年のもの」と書いてあるもの以外に存在するとすれば、聴いてみたいですね。

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