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2007年8月 4日 (土)

エッシェンバッハの『インヴェンションとシンフォニア』(カセットテープ)

Eschenbac_inventionsinfonia J.S.バッハ

15曲のインヴェンションと15曲のシンフォニア 全曲

クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)

〔1974年6月-9月、ラス・パルマス (スペイン領カナリア諸島?)〕

プロデューサー:フランツ=クリスティアンヴルフ
ディレクター、レコーディングエンジニア:カール=アウグスト・ネーグラー
ドイツ・グラモフォン Educational (ピアノ・レッスン・シリーズ) CEV-1010


梅雨も明けて暑くなると、長かった学生時代の夏休みに、実家でおぼつかない手つきでバッハのインヴェンションを少しずつかじって楽しんだ頃のことを思い出す。お手本にするほどピアノのメカニック的な技術があったわけではないが、参考にと先日のグールドのと並んでこのエッシェンバッハのものもよく聞いた。

現在は、パリ管やフィラデルフィア管などとのロマンチックな(主観的な要素の強い)音楽作りで指揮者としての著名度の方が圧倒的に強いエッシェンバッハ(ちょうどバレンボイム、アシュケナージと同じ音楽航路のようだ)だが、ドイツの戦災孤児として幼児を送りながら、その後の戦後のドイツのピアノ界を背負う皇太子的な位置につくほどピアニストとしての活躍は目覚しかった(小澤ボストンとの共演による『皇帝』は『皇太子』と評されたこともあった)。彼のモーツァルトのピアノ曲集はとても好意をもって迎えられ、ドイツ系の音楽への期待は高かった。

そのエッシェンバッハの全盛期に、どのような意図で企画されたのか、いわゆるドイツ系のピアノ教則本の曲集を彼に実際にお手本用に録音させて発売するという企画があったようで、このバッハの曲集を含め、ツェルニーの30番、40番や、ソナチネアルバム、ソナタアルバムなどに含まれた相当の枚数のLPが発売されたものだった。ただ、これらは、「教則用」という範疇にとらわれたためか、一般的な音楽評論の対象にならなかったように記憶している。このカセットは、先のグールドのカセットの音が非常に独特すぎるので、ピアノ演奏でもっと素直なものはないかと探してもとめたものだった。

Music_bach_inventions

 左の楽譜は、日本の地方の楽器店やピアノ教室でも容易に入手できる、全音楽譜出版社版の『インヴェンション』の楽譜。

エッシェンバッハの演奏は、もちろんこの楽譜に書き入れられたツェルニー、ブゾーニらの後世の校訂者による様々なピアノ演奏的な表情記号(p,f, cersc., dim., スラー、スタカート、フレージングなど)通りではなく、彼独自のアーティキュレーションによってはいるが、非常にストレートなピアノ演奏を聞くことができる。

グールドの軽快な指捌きによる歌うようなノン・レガート(矛盾した形容だが)のようなパッセージによる魅力はあまりなく、少々ゴツゴツした肌触りのフレージングではあるが、それもバッハの音楽は吸収している。

エッシェンバッハは、ケンプなどのドイツ派のピアニストにあたるわけで、グールドはもちろん、グルダとも違い、その後ピアノによるバッハの道を突き進めていったわけではないが、いわゆる当時の標準的なドイツのピアニストが、ピアノでバッハをどのように弾いたのかという点でもなかなか貴重な録音になっているように思う。

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コメント

小澤ボストンとの共演による『皇帝』のLPが手元にあったので聞いてみました。エッシェンバッハの演奏は、モーツァルトを弾いていた時のような傾向で、音を均等に公平に扱うのを是としているかのようです。それをすることで自然に生まれてくる陰影を聞かせる。だから、フレ-ズからフレーズへと次から次へとミニマルに山谷が出来る。当時の評価は知りませんが、現代的と言われたのでしょうか。どうしてもずんどこ節になる小澤ともその点でも好く合っていると思います。細かなところまで、そのやりかたに合わせるのが流石です。

クレンペラーと合わせたバレンボイムなどとは大違いですが、こうした灰汁抜きされた見通しの利くシルエットを明確にするスタイルは当時、西ドイツでももてはやされたのでしょう。小澤がベルリンで名演・迷演の数々を繰り広げるのもこれ以降でしょうか。今こうして聞くと、あの当時の様式の傾向が歴史的に見えるのが不思議です。

pfaelzerweinさん、暑中お見舞い申し上げます。

東日本もようやく真夏の気候になってきましたが、梅雨明けの遅れと季節外れの台風のおかげで、まだ夏がどこかにいるかのようなおかしな気分です。

さて、ピアニストとしてのエッシェンバッハは、自分が音楽をよく聴き始めた頃に活躍していた演奏家なので、その演奏スタイルが古くなったかどうかという観点からは聞いてみず、彼の演奏上の特徴をそのように詳しく聞いてみたことがなかったので、大変参考になりました。私が記事にした『インヴェンション』では、ドイツ的なのかどうか、一拍目をきちんとアクセントを入れて拍節感をきっちり出しているという印象がありました。どれも短い曲なので「フレーズからフレーズへのミニマルな山谷」までは感じられなかったのですが、当時の彼は、ピーター・ゼルキンなどと並んで新感覚の演奏家という印象がありました。

ピーターの方もずい分名前を聞かなくなって久しいですが、いわゆるLonghairではないですが、ヒッピー的な風潮、文化大革命的な影響の残っていた頃の、自己懐疑、自問自答しながらの演奏というスタイルだったでしょうか?彼らにとっては、1970年代は黄金時代だったなどととても言えないでしょうね。

こちらは不順ですが予想通り涼しい夏です。こちらこそ、暑中お見舞い申し上げます。

表現が不十分でした。上でアーティクレーションに触れておられたので、それを含めて聴いたのでした。ご指摘のように、ネーティヴなドイツ風が基本にあることで 自 然 に 起伏が出来るようになると思うのです。そうすることで、表現様式として新味が在ったのですね。

例えば上の世代のグルダやブレンデルと比べてみると、継承しているものが異なりますよね。バレンボイムが出て来るのもこの文脈でです。

確かに、ピーター・ゼルキンも頭を過ぎりましたが、ピアニストとして最初にアンチ・ルドルフ(継承)がありの現在があるので、その時代を背負っていても過去にはなりきらないです。

デュオパートナーのユスティス・フランツ大統領もショービッツの政界?に進んだように、彼らがその後ピアノを弾き続けることが難しくなったのは、同様のスタイルならばベトナム出身など、それこそ小澤風に駆逐されてしまったからでしょう。それでも、ランランとまではいかないですが。

pfaelzerweinさん、再びコメントいただきありがとうございます。

エッシェンバッハについては、吉田秀和氏による1970年代の来日公演の記事など(全集や朝日文庫で)読めますが、非常に注目していたようでした。その後、フランツなどとのデュオの後、いつの間にかピアニストとしては行き詰ってしまっていたのですね。今でも初期のモーツァルトのピアノソナタ全集など、ファーストチョイスとして評価する向きもあるようなのですが。

ただ、どうも彼はwikipediaの英語版によると、早くからあのセルに師事したり、カラヤンを助言者としていたとのことで、指揮の世界への飛躍?が彼の初めからの望みだったかも知れないとも思いました。ポスト的にはフィラデルフィアとパリという一流オケのシェフですから申し分ないですが、来日公演のNHKでの放送などを聴くと(まさにランランとの共演でしたが)、彼の音楽作りはピアニスト時代と断絶があるように感じました。

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