« ホロヴィッツの『クライスレリアーナ』 | トップページ | スイトナー/SKD モーツァルト後期交響曲集 »

2007年9月19日 (水)

エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル  2001年4月29日(日) みなとみらい大ホール

2001年に行ったリサイタルの感想文を若干編集して再度コピペ。

ピアノ版の『展覧会の絵』(リヒテルのソフィア・ライヴ)について書いていて、そういえば生演奏でこの曲を聴いたと思い出したので、検索が容易なように改めてアップする次第。

------------------------------

みなとみらい大ホール 2001年4月29日(日)19:00開演

◎ピアノソナタ第1番(シューマン)
◎トッカータアダージョとフーガハ長調BWV564(バッハ/ブゾーニ)
◎展覧会の絵(ムソルグスキー)

相当以前のことだが、キーシン12歳の時のショパンのピアノ協奏曲第1番モスクワライヴのカセットテープを妻が友人から借りてきたので聞いたが、非の打ち所がない完璧な演奏に驚かされたものだった。

その後、キーシンファンになった妻が、小澤・ボストンとのラフマニノフの3番のCDを買ってきたのを聞いたのだが、あまり感心しなかった。だが、フィルアップされたカーネギーホールリサイタルライブからのラフマニノフやリストが素晴らしい演奏だった。コンチェルトの方の録音の音量設定レヴェルが低すぎるので、折角の演奏が十分味わえないのかも知れないと思う。

さて、リサイタルだが、子どもがまだ就学前なので、横浜に越してきてからは、コンサートには出かけられなかったが、みなとみらいの公演は託児室があり、妻と二人で聴くことができた。

もともと私自身はそれほど関心がなかったピアニストで、妻がリサイタル券を予約したので、少々気が重いと思いながらでかけた。それでも、元を取るために、それまで最後まで聴きとおせなかった難曲シューマンのピアノ・ソナタ第1番を手持ちのCD(アシュケナージ)で何度も聞いたり、ブゾーニ編曲のバッハは入手できなかったので、原曲のオルガン版(ビッグズ)を購入して聞いたりしてしっかり予習していった。

感想を一言で言うと、技巧も表現力も音楽性も安定性も一級品だった。特に凄まじいばかりのフォルティッシモでも音が割れず、複雑なパッセージでも音が濁らず、ピアニシモもよく通り、レガートも滑らかだった。メインプログラムの『展覧会の絵』では、よりレッジェーロでノンレガート的な軽やかさを求めたくなる部分もあったが、それは欲張りというものだったか?

アンコールを計8曲(5曲ほどで子どもを迎えに行ってしまったので)やったサービス精神も立派なエンターティナーである。いわゆる妙技も披露してくれた。

----------------------------------

6年も前のリサイタルなので、正確には覚えていないが、ホロヴィッツやリヒテルのライヴ録音に比べても、まったく技術的には遜色のない演奏だったと記憶している。しかし、彼等に共通する鬼気迫るような集中力や高揚感のような、少々羽目を外したとも言える感情的な解放はあまり感じられなかった。キーシンの演奏には、いい意味でのそのような人間的な部分が不足しているのかも知れない。ただ、そのメインプログラムに比べて、アンコールでの気分転換のようなサービス精神は、ピアノを弾くこと、聞いてもらうことが楽しくてたまらないという風情が感じられ、そのギャップに戸惑った。

このときに、リサイタルの感想でも書いたキーシン12歳のときのショパンの1,2番のCDを私が購入し、シューマンの幻想曲とリストの超絶技巧抜粋のCDを妻が購入して今も手元にある。

« ホロヴィッツの『クライスレリアーナ』 | トップページ | スイトナー/SKD モーツァルト後期交響曲集 »

コンサート」カテゴリの記事

コメント

ここ四回で登場したピアニストでは、リヒテルを15年前ほどに小さな会場で協奏曲ですが聞いています。その印象は、強打鍵豪快な印象とはことなり、繊細でリズム感に満ちた踊り子のような軽快な足取りの音楽が強かったです。

勿論録音などは聞いておりましたが、このピアニストがその「音楽性」により世界の頂点に躍り出たことを証明していました。

キーシンが上のような技術を持ち合わせているのは疑いなく、ホロヴィッツが独自のピアニズムを完成させたのも異論はないことでしょう。ガブリーロフは録音で聞いておりますが、一度機会があればと思うピアニストです。外連味がないと言うのはなによりもの善徳ですよね。

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。

ソフィア・ライヴのリヒテルは、豪快なヴィルトゥオーゾの趣でしたが、日本でのシューベルトのソナタ第13,14番の録音などは、繊細で歌心に満ちたものでした。ホロヴィッツの魅力はなかなか自分の好みに合わないようでしたが、このシューマンを聴いて只者ではないと納得できました。

キーシンは、ロシアン・ピアニズムの伝統を背景に持ち、凄い実力を備えているのことはおぼろげながら把握できましたが、メインプログラム的な曲では充分に自己を解放していない面があるように感じています。「音楽」が伝わってこないようなもどかしさを感じることがあります。

ガヴリーロフについては、チャイコフスキーコンクール優勝程度のことしか知らないのですが、確かにリストの『ラ・カンパネラ』の聞き比べでは、最も外連味を排したストレートなアプローチでした。

意図したわけではないですが、ロシアにゆかりのピアニストを連続で聴いたことになるのに改めて気づかせていただきありがとうございました。この後は、そのつながりで、ギレリスのグリーグ『抒情小曲集』を聞こうと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« ホロヴィッツの『クライスレリアーナ』 | トップページ | スイトナー/SKD モーツァルト後期交響曲集 »

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31