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2007年9月18日 (火)

ホロヴィッツの『クライスレリアーナ』

Schumann_horowitz_kreisleriana

ロベルト・シューマン(1810-1856)

クライスレリアーナ 作品16

ウラジーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)

〔1969年12月1日、ニューヨーク市30番街スタジオ〕


究極の『クライスレリアーナ』という評判のあるホロヴィッツのCDを入手して聞いてみた。

これまで、ホロヴィッツのピアノはもちろん録音でしか聴いたことがなく、アメリカのホワイトハウス(?)での演奏会の映像をかつてテレビで見た覚えがあり、あの「ひび割れた骨董」のときとその後の来日のときのどちらかはFM生中継で聴いた(ベートーヴェンの後期のソナタOp.110?が印象に残っている)。しかし、多くのピアノ音楽愛好者やプロのピアニストがホロヴィッツの演奏を絶賛するのは知っていながら、自分としてはあまり感激したり感心したりしたことはなかった。

古くは、トスカニーニとのブラームスの2番の協奏曲や、チャイコフスキーの1番は、トスカニーニの短いフレージングのブツギレの音楽とホロヴィッツのバリバリとやかましい音色でむしろ敬遠したい方のものだった。

ホロヴィッツが原曲の譜面に手を入れたと言われる『展覧会の絵』も豪快かも知れないが、他の『展覧会の絵』の演奏に比べて音楽的な内容が乏しく伝わってくるものがないように感じる。また名盤と言われるスカルラッティのソナタ集も、美しい音色や繊細な表現は見られるものの、突き放したような表現、音楽への愛おしさを感じさせない表現が、どうも耳につく。ベートーヴェンの三大ソナタも、ショパンの2番のソナタを含む名曲集も、ホロヴィッツの凄さというのはこのようなものなのだろうかという否定的な感想の方が多かった。またスクリャービンやラフマニノフはあまり親しめないでいる。比較的気に入ったのは、以前にも記事にした同じシューマンの『子どもの情景』のモノーラル録音の入った古いRCA録音のもので、中ではドビュッシーやフォーレが面白かった。

このシューマンも評判の高さは聞いていたものの、また裏切られるかも知れないと敬遠して、入手をためらっていたものだった。

しかし、その不安感はいい意味で裏切られた。

まず、このCDは、全体的に音色に嫌味がないように聞こえる。1曲目の『トッカータ』作品7にしても、2曲目の『子どもの情景』作品15にしても突き放した仕事ではなく、念入りに演奏しているようだ。第6曲の『大事件』のピアノの響かせ方は好きではないが、次の『トロイメライ』の繊細な音色と演奏は他に得がたいほどのものだ。

さて、メインの『クライスレリアーナ』作品16だが、第1曲目から、これまでに聴いたどの録音よりも高い精度で楽譜がリアライズされているように聞こえる。(私自身が楽譜を見ながらでも強弱の表現がどのようになっているかの把握は苦手だからホロヴィッツのデュナミークが正確かどうかはよく分からないし、アウフタクトの速いアルペジオ的なパッセージとシンコペーションによるリズムの崩しは目でもあまり追いきれていないのだから偉そうなことはいえないが)。

また第2曲でも第1中間部の入り組んだ譜面が解きほぐされているかのように聞こえる。(なお、第2中間部のリピートはしていない。) 

第3曲での、主部の最後の和音の力強い音色にはしびれるし、中間部の曖昧模糊とした音楽も朧な雰囲気を出しながら、精緻に弾かれている。そしてコーダの強烈な打鍵は肺腑をえぐる。

第4曲の前半のモノローグも、中間部の下降アルペジオ(『詩人の恋』の『まばゆく明るい夏の日に』を思わせる)も自家薬籠中の表現という趣。

第5曲、付点リズムのスケルツォ、劇的な中間部、そしてスケルツォとめまぐるしく表情が変わるが、それぞれ的確で素晴らしい。

第6曲の右手と左手の対話のようなゆっくりした音楽も両手の表情が雄弁だ。

第7曲は、ホロヴィッツの指捌きの見事さが特に味わえる。弾きにくそうなパッセージもあいまいさを残さずに音にしている。

第8曲は、ホロヴィッツはこの特徴的な執拗なリズムをゆったりと始める。中間部も執拗なリズムが豪快に繰り返されるが、また第1部の静かなリズムにもどり消え入るように終わる。

失礼な表現ながら、あまり知的なイメージのなかったホロヴィッツだが、楽譜を見ながら聴くと、この『クライスレリアーナ』は、相当緻密に楽譜を読み込んでいるのではないかと思われた。

いかにも盛期ロマン派のピアノ小曲を束ねた全体としては30分近い曲だが、ホロヴィッツの演奏で聞くと統一感というよりも一曲一曲の個性が描き分けられて聞こえる。また、アルゲリッチのような没入型と違い、客観性も保たれており、激情的な表現も聞こえるが、鋭利なテクニックのためか、混沌のようには響かず、風通しのよい音楽に聞こえるのも意外だった。

一般の評価とは違うかも知れないが、ホロヴィッツのシューマンは知的だった。

なお、このCDには、『アラベスク』作品18、『花の曲』作品19も収録されている。

*『クライスレリアーナ』の記事とタイミング

ホロヴィッツ    (1)2:34 (2)7:01 (3)3:35 (4)3:19 (5)3:20 (6)3:55 (7)2:14 (8)3:38
ブレンデル         (1)2:44 (2)8:06 (3)4:39 (4)3:58 (5)2:57 (6)4:16 (7)2:07 (8)3:21
アルゲリッチ       (1)2:35 (2)9:40 (3)4:32 (4)3:54 (5)3:08 (6)4:11 (7)2:06 (8)3:27
ルービンシュタイン(1)2:56 (2)8:53 (3)4:41 (4)3:12 (5)3:19 (6)3:37 (7)2:19 (8)3:57
ケンプ               (1)2:45 (2)7:40 (3)3:46 (4)3:45 (5)3:29 (6)4:15 (7)2:25 (8)3:40

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